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教育方法1こおける統合の間題
宮 口
春 雄
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教育の分野で統合(Integratiou)ということが 問題にされてきたのは久しいことで,これは1むしろ 意図的な教育と同時に始まった問題であるというこ ともできよう.統合というのは多くの場合, 分化に 対応する概念として用いられている.一つのものか
ら分化してそれぞれ特有の意味と存在とをもったも のが,同時に相互に関連して一の斌歯を回復するは たらきである.しかもその回復された一は最初 のものそのままではなく,また分化したものの 軍なる総和でもない.それぽより高次の体系と 機能とをもった一,いわば前進した一である.L・T・
Hopkinsは統合をもつて「進行的,相互作用的,適 応的な知的行動のうちにふくまれる過程をあらわす 手みじかなことば」・1)であるとし,E・C』Lindem5n ほ「生活が続くうちは,完全な統一もしくは統合を 達成することはできない」といい,統合の概念にふ くまれている眞の価値は「あきらかに活動的,力動 的なものである」とし,さらに「教育は統合された
(Integrated)社会で満足してはたらく統合された パーソナリティをつくり出すことを求めるのではな
くて,むしろ統合しつつある(integratiロ9)甘会で
,力動的に生活する統合しつつある人聞をつくり出 すことを求めているのである」!)といっている・人間 の成長発展に與かる教育の立場からは・統合を静止 的,固定的,完成的,名詞的にみるよりは・力動的・
前進的,未完成的,動詞的にみる方が・その実竣的 性格に対応していると考えられる.これを学習とい う覗霜からみれ1ま,学習とは統合り前進を意味し・
新統合の成立過程に対して與えられる名聾であると いうことができよう.
このような統合への要求は,人間にとって本質的 なものであるとみられる.前掲HOpkinsは「相互 作用の過程では,正常な個人はだれでも自己自身の 中の統一と,自己の環境に対する統一的な関連とを 維持しようと努力する.いいかえれ1ま,彼は成長し っっある自己の統合性(Integri句)もしくは自己の 健全な全体性を保持しようとする」t3)と言ってい
る.
さて教育において読合が問題覗される俣豫として
は,教育が統一的な人格の形成をめざしているとい うことと,それが意圖的具案的なものであるかぎり,
教育龍車をねらっているということとの二 が考え られる.論者によっては,元來が統一的有機体であ る見童自身による統合に期待して,かたわらからの 計置的もしくは技術的な作用を有害無益現する例も ある.(4)しかしながら今日のように複雑廣汎な教 育課程をπr定期聞に指導することを要求されている 場合には,全面的にこのような自然的な統合にまか せるとなると,その統合は機会的にも質的にもきわ めて貧しい結果をみることになるであろう.学誉者 自体がもつ統合への基本蛭な要求も,これに答えて くれる積極的な助力がなければ,現実の多様な場面 の輻鯵のうちに濠してしまうのである.ここに彼等
,自身の統合を助けるために・一定の計書と実際的な 指填技術とが必要になってくる.
教育の実際において統合∂問題を考える場合に,
上述の二つのねらいを軸心として,これを教育目的
・教育内容・教育方法の……つの面から展開するのが 適当と思われる。
教育目的の面においては,理想的人間像としての 民主的人格の形成を頂点とした目的体系が有機的に 樹立され,目的体系それ自体が統合を実現している 一ばかりでなく,教育内容,教育方法の一切をそこに
統合せしめていることが必要とされる.
教育内容の面からいえば,それは教育課程の統合 の問題であって,すでに多数の研究が累ねられて、・
る.十分に指導された統合過程がそのままカリキュ ラムであるといわれるが,〔5、統合こそはカリキュ ラム構成の諸原理のうち中心的な位置を占めるもの ということカ:でき よう.
しかしながら目的の統合もカリキュラムの統合も 実は机上の案に歎ずるもので・篠原助市氏の言をか
りれば「客観的統合」〔6)にすぎない.それが事実 として実際に学甕看たる児童生徒自体の内部に主観 的に具現するために ち教師の媒介作用すなわち指 導技術の発動にまたなけれぼならない.ここに方法 上, 技術上の統合の問題が起ってくるのであるが・
この方面にはまだ攻究の歩乃が進捗しないようにみ
2 福島大畢学芸学部論集第5号
られるので,以下一つの試論を展開してみたいと思
う.
一
廣く教育方法といえぼ,教育課程を正規の授業を 中心として実施する部門,いわゆる学習指導法と,
それ以外の指導面いわゆる生活指導の方法とがあ るわけであるが・ここでは狭くとって前者すなわち 学習指導法を主として考えてゆきたい.
統合Z)観点から教育方法をみた場合,そこで問題 となるのは・いかにして彼等の学習経験を統合させ てやるか,これを指導技術面から確保するためには どうすれぼよいかということである.まず統合され た学習脛聾とはどのような性格のものであろうか.
(1〕 そこで1よ新しい学習腰蓑自体が一つ∂焦点に 向って講造化されていると同時に,饒有の脛象体系 の中に明確に位置づけなれ組織化され調和されて、・
る.
図それは彼の環境と連続し,環境との間に力動 的な帽互作用が行}つれるように機制化され生活化さ れている.それは完全に主体の肢節となり,主体の 生きた手となり・機能化され,「眞に彼の一部」〔7)
となってイ・る.
(31それ怯同時により高次の債直観もしくは価値 体系を形成している.統合ま教育目標したがって便 値への志向を中心として織り成されるからである.
14)統合された学習経験はよく花持され固定す る.それぽ先行経験.先行体系の中へ緊密に構造化 され・かつ明瞭な意味を獲得しているからである.
⑤ 統合された学習経旗はよく韓移し,応用力を 発揮する.それは確実な把持に加えて,応用の意欲
と態度をそなえ,いわば力動化され機能化されてい るから,同類には直ちに結びつこうとする構えをも って・・る.W・H。Burtonのいうように,それはPer・
so恥lityの一部となり,行動を決定するdy恥mic factorとなって》・るのである.(8)したがってそれ はまた創造的活動の基礎となるものと考えら乖る.
正し・Mu鵬11のいわゆる「意味深、・学習」〔9)(玉fea・
njngfuHeaming) とはこのような経験を生み出 す学習であると考えられる.
さてこのような統合的経験を児童生徒自体の内部 に形成させるためには,指導の実際においてどのよ
うな配慮を必要とするであろうか.これを教育方法 上の主なる視点に関連させて考察してみよう.
〈1)学習過程・(指導過程)ど読合
一つの輩元を学習する場合1こ,導入,展開,終結
lg54−3
し
の段昔もしくは目的,計豊,実行,批判の段階をふ くむ学習過程は,分化と統合の過程であり,既有縄 験体系の再購成の過程である.統合という観点から みれぼ,もちろん終結の段階もしくは批判の段階が 統合の主舞台である.しかしながら学習目標を中軸 として諸活動を展開すること,終結における統合を 予想して・活動の放漫を規正し,着々と構造化を進 めてゆくことなど1ち過程の最初から必要である.
動揺は李衡を,活動は砥功惑を求めるよ.うに,分化 は常に統合によるより高}・調押均斉を求める.学習 活動が単なる分1ヒに止まったならば,.それは素材の 搬出作業にすぎず・素材の一つ一つは学習の迷い子 である.分化は常に出発,煮を銘記し,歩みの目的を 把持して到達鮎すなわちより高家の統合体をめざ す・希望にみちたいとなみでなけれ寒ならない.
(1)学習形態と統合
前述の統合的経験の特質から推してゆくと,学習 内容が完全にかれらの生活に化すること,すなわち 完全な統合が成立するためには,學習が学習者の生 活自体を通して行われることが必要である.カリキ ュラムの講成におのて・生活カリキュラムもしくは 経験カリキュラムが志向され,輩元の計書において 生活革元もしくは経験輩元が志向される所以である これを学習形態の面からいえば,生活化された形 態・したがって社会化され,作業化された形態が統 合を助けるものとして重覗される.たとえば現場学 習,劇化学習,構成学習,訪問学習のような活動的 形態,あるいは問題学習,プ・ジェクト学習のよう な綜合的な后動を内にふくんだ形態がその例であ
る.
しかしとらるべき學習形態は・生活一化の程度の如 何にかかわらず豊富多様であることが望ましい.そ れは学習過程に攣化を與えて興味を集中持続させ,
学習型の個人差に適応する機会を公李に與えるとい う効果があるばかりでなく,また多面的に学習する ことによって学習の統合が助けられる.すなわち多
くの覗,点を獲得して学習対象を構造的に把握し,多 数の結合手に支えられるからである.ただし学習過 程にあらわれる學習形態詳の系列は,学習の連続的 な発展を確保するように配意さオしなけれ コfならな い.問題解決または仕事の完成の必要際件として,
一つ一つの学習形態が次々と自・然に要求されるよう になることが望ましい、もしその系列が灘然として 出現してくるのであれば,それは過程の輩調を破る だけの効果しかなく,意味のある学習の連続1亡保護
されないであろう.
宮口:教育方法におげる統合の問題 3
(貰)数箇の助書と続合
いかなる学習形態をとるにせよ,教師は学習者の 活動の推移をよく注視し,統合の契機を看取したな
らば,敏速適確な発問発言によって,この機会を有 効に活用しなければならな。・.たとえば既有経験を 再生させたり,それを新経験に連関させたり,比較 概括を促したり,応用を暗示したりする類である.
それは事前計書におり込むことのできない機会教育 に属するものが大部分を占める.これがためには先 ずもって敦飾自身のうちに指導内容が完全に統合さ れていることが條件となる.
なおここでは学習者の側からずる質問の自由を認 めるということも彼等自身による統合を促進する意 味で軍!要硯される.(10)
(贋)個別指導と続合
学習者個々についての完全な理解1おあらゆる指 導の出発鮎であるが,これを統合D醐,乾からみれ ば,一人一人の経譲構造を明かにし,統合の障害と なってのる要因を探究しつつ個別指導にあたること が大切である.こうして見出された障害に1おいく つかの類型があるであろう.したがって類型を同じ
くするものについてのグループ指導も可熊になって
くる.
さらに積極的には個入個人に対してそれぞれっも つ特長を伸ばし,困難を克服するように働まし,活 動に専心したら,これを外部から中翻しないように っとめることも,統合をよくする條件の一つであ
る・(11)専心没頭ということ自体がそのまま統合的 活動であるといってもよいからである.
(V)観聴墨教具と続合
学習者と學習環境(廣養の)を媒介する感毘的通 路の主なるものは覗聴畳であるが,個々の学習形態 はそれぞれ特有の親睦畳的方法をもつている.した がって学習形態の多様化ということは覗聴覚的方法 の多様化ということをも意味する.多様な視聴覚的 方法が採長補短,相互補完(たとえば見学と映書,
実物と写眞,演示と医解の如く)によって学を対象 を正確に把握させることが必要である.硯聰寛的方 法に使用される物的手段は覗聴寛教具であって,い わゆる教具とは多くの場合これをさしている.それ ゆえ覗聴毘的方法の多様化ということは教具の多様 化ということに発展する.たとえば詩書と映書の鱗 片・拡大図と縮小冨・鳥撮図と局所図の対比などに よって正確敏速な理屏洞察を幼げ,学習の読合を促 進するという効果が期待さオしる.
(VI)環境構成と統合
望ましい学習環境の構成を人的環境構成と物的環 境構成とに分ければ,いうまでもなく前者は第一家 的な條件であるが,さらにその中でも特に教師自体 の在り方が中心問題となる.これを統合の観鮎から みれぼ,教師自体が統合されたPersonalityをそな え,指導内容を完全に自巳の内部に統合し,しかも 児童生徒に対する愛情と旺盛な指樽意欲とをもって いることが基本條件である.愛情と熱意は望ましい 雰囲氣をかもし出す源泉であり,指道上のtactを生 む母体である.
このような人的環境のもとに物的壌境を構成する 場合にほ,一づフ)焦点を設差してすべてがにれを中 心として有機的に統一されるように考案しなけれぼ ならない.そあ焦鮎となるべきものは,その学年の 教育目標と現在≠脅している掌元の学習目標とから なる目標体系である.この目標体系を中心として一 切の物件が力動的に穂成されるところに学習の統合 が期待されるであろう.
亥に学習環箋はこれを教室や学校に限定すべきで なく・家庭および地域直会にまで拡大してゆかなげ ればならない.したがって家庭および地参仕会が,
學校の教育方針を理解1.,しかも積極的にこれに協 力する態勢をとることは,學習者の統合を助ける所 以である.もしも學校との間二帥pがあり,方向が 背馳していれ一ま,学校がぜっかくきずく統合は一方 からくずされていって,D面ntegr昌t1ngpersonality をつくることになるであろう.
(雁)詳債と統合
測定(Mea3uren・ent)から評価(Ev昌lu鋤・n)
への発展は,量的な見方から,これをも内にふくめ た質的な見方もしくほ綜合的な見方への発展を意失 する、このことほHOpkinsも、・うように,評価のね
らいが贋値と行動二あることを意味している.q2)
すなわち学習の結果,學習者が全体としてどれだけ 優1直体系を高めたか,そしてこの債道獲得の結果と してどのように行動するかということに中心がおか れるのである.
さて学習の統合をほかるためにほ次の諸点に注意 さオしな1ナれぽfならない.
(5) 許償の基準ぱ学習目標と一致していること.
両者の間に不整合があってはならない.
(b) 評贋の方法自1本が,同時に学習事項の整典,
概括,練習,応用の機能を果たすように方法を構 成すること.したがって評債の内容は学習事項の 全般にわたらなければならなの.
(c) 許償の結果を学習者に理解させ,彼の学習計
卜
4 福島大学学芸学部論集第5号
蜜・学習方法・學習過穫を反省さぜ,以後のより 効果的な学習への指針を見出させること.
〈d) 自己評便の態度・方法,習暉を養い・みずか ら学習の統合につとめるように填くこと.
(W)生活指導と続合
学習指導と生活指導とが一体となって計書されな けれまならないことは,目的への統合という点より して,教育課程の構成原理である.指導の実際にお いて泥者が表裏一体,相互補完の関係をもつて統一 的に進む二とは,よりよき統合を確保する所以であ る.特に生徒会の活動,クラブ活動,その他の自主 活動ま,専心的な活動の行われる場面であり・した がって學習の生活的発展として力遅く統合的経験が なされる機会である.Recreationは統合的経瞼で あり,それゆえに Integr轟ting per80nalityの形成 に貢献するという見解にもここで注意しておきた
し、.(13)
個人指導にあたって汰個人のもつ統合の障害,非 統合(Di8integr乱tion)の原因を探究してこれを克 服もしくは除去するように助言助力を與えてやらな ければならない.E.C.Lin『!en]an ltこのような非 統合の原因として形態学的,生理学的,心理一機誰 的1技衛一文化的・肚会一文化的の五種港1をあげて 説明している.(14)また精神病学者1.H.Mackin・
nonによれぽ,精神的な面の非統合拙身体全組織 に影響を與え,精神的な疾患ばかりでなく肉体的な 病氣をも惹起するものであり,その逆も成立すると いうこと1亡,すでに病原学的に承認ずみであるとい う.(1のかくして実際の指導にあたって1るそれ ぞれの分野の専門家の手をわずらわす必璽が生じて
くるのである.
(∬)担任制と統合
学習者の統合を媒∫トする教師ほ,彼自体統合され た人格をもち・指導内容がその人格体系によく統合
されていることが大団である.したがって学級教育 においては,分科担任よりも一人の教師が一学級の 学習指導の全部を担当する方が,上述の統合をはか るに便である.小学よにおける学級担任制はこの意 味からいって理、患豹である.
しかし中等学校では現在のところ分科担任制をと らざるをえないので,教師の活動ぱしばしば「生徒 を忘れて教材に集中する」〔16)弊におちいりやす い.担手教科にはくわしいが,他形科につのても,
謝科間の関連についても実際には何も知「)ない教師
1954−3
たちが,教材の洪水になやむ生徒に対して,それぞ れ担任教科への忠誠を要求する.(1マ)このままの 状態では到底学習の統合を期待することはできな い.そこで綿密なカリキュラム構成によって重複,
脱落,矛盾・不整合を避けると共に・各科担任教師 相互の間に常時緊密な連絡がとりかわされて,方法 上有機的な統一が保たれるようにつとめることが必
要になってくる.
なお原則的にいえば,学級担任制もしくは教科担 任制において,それぞれ相当期間持上り制を採用す る二とは,統合を円滑にする上に効果がある.また これに関連することであるが,小学校,中学校,高 等学校を通じて,指導技術に一貫性もしくは連続的 発展性をもたせることも,統合的経裁の発展を助け
る上に大きな役割を果たすものといわれよう.
1
以上のほかに日課表と統合の関係も重要かつ困難 な問題であるが今回はこれにふれる余裕がなかっ た.全体として理論にはしったが,その実証的な研 究は今後の課題として残されている.
教育の問題は結局は実竣の問題である.実蔑の問 題は実際的効果の問題に帰着する.理想的人間像を 絶えず克明にえがきつづけて7学習者をこれ二誘導 し,その実際的な効果,事実としての効果を見届け ながら次々と指導の手を打ってゆかなけれまならな い.しかしてかかる実際的動果とは帰するところ・
学習内容が眞に学習者自身の人格体系,繊体系の 中に統合されることにほかならない.統合の問題が 教育効果の死命を制する問題たる所以である・
(H)あるいほ(圃)かf)遣展的に考察されるように
,単に個人の非統合の原因を除去するに止らず,積 極的によりよき統合の條件を外部から設定してやる ことが璽瑳である.したがって学習の統合という尖 端を完全にするためには,その基盤として,学校管 理上,教育行政上の諸施策が適正にゆたかに行われ なけれぼなP)ない.統合の問題はかくしてついに政 治の問題に発展し,さらに一般化して「人類社会の 問題として,人類の歴史の問題として見ることが必 要である」q8)といわれるようになってく為.
(1954.2.7)
引用文献
(1〕II・pkin9,L.T.,lnteg賦i・n,1937,P・2
(Z〕 Ilopkin9,ibid. p.23 131 110pkins,id重d、p、12
宮口:教育方法における統合の問題 5
・ 4)パン・エブリー・キルパトリノク,佐藤宿駅「小学 校に於ける分科教授の理論と方法」大正9年p・38
・05) HOpkins,ib{d.P.75
160篠原助市「教授原論」昭和28年改訂版P.87
。.ヨBurton,W.H.,The Guidance of Learning
Activities, 1944, p、10 p.134
・{8)Bu耽on,idid.P.134
(9)Murse1],J.L.,Succe8sfulTeaching,1946,
Chapter3
・{ゆ Struck,E.Tり Cre3t1ve Te呂ching, 1938,
P.597
、⑪ Hocket土,J.A.anb Jacobsen,E.W.,翌。・
dernPmctices圭ntheE】en・ent肛yScho・1,
1943,P.202
1の Hopkins,ibid.p.299
㈲ P】昌nt,」.S., Per60n51ity and the Cultur轟l
Pattem,1937,P.296〜298
DougL、ss7H.R.,Education for Life AdJus七一 ment,1950,p.287〜288
田〕 Hopkins and Other8}丑)id.p、25
㈲ Hopkins,ibid. p.135〜136 0の Struck,ib三d.p.20 α,〕 HOpki口s,ibid. P.32
㈱ 梅根悟「統合の問題」(山田榮編「教育課程と 世界観」昭和28年P.97)