O口 出発点における富士製鉄の生産構造. ③ 釜鉄の合理化と月七五︑○○○トン体制の確立. の日本最小規模の鉄鋼一貫製鉄所である釜鉄の今後は︑きわめて厳しいものがあるといわざるをえない︒.
へというコースを歩んだことも︑釜鉄の特徴である︒. 化したのである︵第二・第九表参照︶︒銑鉄においても︑日鉄. ① 出発点における富士製鉄の生産構造.
に北日本製鉄への帰属が決まった︒. 銑鉄から鋼材までの一貫設備能力のバランス. を目標として推進された︵﹃釜石製鉄所八○年史﹄四三ページ︶︒.
なお︑この期の釜鉄の生産高の推移は第一五表の通りである. 開 高い.出 ③ 富士製鉄の合理化と釜鉄の. 富士製鉄傘下の三製鉄所︵室蘭・釜石.
るが︑すでに見たように日鉄時代に形成. された生産構造︑すなわち銑鉄と半成品. もって出発したために︑富士製鉄の合理.
めざされた︒そして富士製鉄の各製鉄所. 釜鉄の合理化と月七五︑○○○トン体制の確立. 第20表 富士製鉄の長期生産計画における釜鉄の.
釜 石 富士・東海
比重 (単位:千トン) 1新日鉄釜石合理化の歴史的位置1. れ︑高炉の大型化もいっそう進み︑生産能力は飛躍的な上昇を続けた︒しかし六二年に日本経済は不況に陥り︑鉄鋼需要. 釜石製鉄所八○年史﹄は︑ ﹁昭和三七年鉄鋼不況の対策として三七年六月鋼塊二〇%減産︑一〇月二五%︑三八年一.
月三〇%減産が打ち出されるに及んだ︒この結果釜石製鉄所は月五万トン台の粗鋼生産に低落し︑遂に赤字状態に突入︑. 付加価直の低い鋳物銑や条鋼・半成品を主力製品としている釜石にとって︑鉄鋼不況の打撃はいっそう大きく︑六三年上. 期にはいっても釜石のみは赤字を脱することができなかったのである︒.
第二に︑これまで具体的に見てきたように︑釜石も一貫して合理化・近代化努力を続け︑五五年に比較して六〇年には. 倍の微増にとどまっている︒しかしそれにしても︑新規立地の新鋭製鉄所は別としても︑富士の中でも第一次.第二次合. 理化で近代的製鉄所へと変貌した広畑や室蘭に比べて︑その立ち遅れははなはだしいものがあった︒.
六三年九月の経営審議会に示された釜石の体質改善の説明では︑釜石の体質劣化の原因として︑. ① 釜石の製品は不況に弱く︑品種構成に問題があること. ② 釜石の製造原価は割高であり︑とくに固定費︵なかでも労務費︶に問題があること.
一新日鉄釜石合理化の歴史的位置− 一〇五. 一新日鉄釜石合理化の歴史的位置一.
中LN−OON
おいても︑釜鉄の歴史に新たな段階を画するものであるといえよう.. 製鉄所とも最大限の努力を傾けたが︑鉄鋼需要の低迷が長期化し︑生産能力と需要のギャップが拡大するなかで︑新日鉄. 新日鉄が打ち出した体質改善合理化計画は︑.
第二に︑従来の合理化戦略は︑所間分業体制を前提にしながらも︑各製鉄所毎の技術的および経営的近代化による生産. 打ち出したことである︒これは︑新日鉄内各製鉄所の︑これまで一貫して進められてきた生産構造の充実化.近代化.一. はなくなり︑個々の製鉄所の生産構造バランスおよび採算性という各製鉄所の技術的・経営的自立性︵自足性︶は︑すく.
ということは︑休止対象設備をかかえた釜石・広畑・光・八幡にあてはまることであり︑逆に残りの新鋭製鉄所は︑老朽. 略は︑個別製鉄所単位でみれば︑最も大きな犠牲を釜石製鉄所に強いることになるのである︒. とれた一貫製鉄所として生き残ってきたのである︒ここで大形工場を失えば銑i鋼一圧延のバランスは大きく崩れるばか.
うな技術的バランスのとれた一貫製鉄所を新規立地し︑あるいは既設製鉄所をこのような技術的バランスをもったものに. 第二に︑それとの関連で︑とくに大形工場休止によって釜鉄の収益性が失われてしまう︑あるいはすくなくともきわめ. 一新日鉄釜石合理化の歴史的位置一 表24表 釜石製鉄所の主要設備.
出所)釜石製鉄所のパンフレット。年間設備能力はr新日本製 鉄株式会社史』656ページ. 1新日鉄釜石合理化の歴史的位置1 第25表 最近の釜石製鉄所の生産高 (単位:千t). 戦後金鉄の生産構造と今後の展望.
は新日鉄の一構成製鉄所として︑生産品目を特化させながらも銑鋼一貫製鉄所としての技術的バランスの充実とそれに基.