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卒業論文
上智大学経済学部経営学科 網倉ゼミナール
日本の雇用問題と今後
~フリーター・ノマドワーカーから小商いへ~
0842372 氏家 隆敏
1月15日 提出
2 目次
Ⅰ.はじめに
Ⅱ.仮説
Ⅲ.根深い問題
① フリーターの出現
② ノマドワーカーの出現
Ⅳ.原点回帰
① ミシマ社
② 小商い
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Ⅰ.はじめに
今、ここに一冊の本がある。今野晴貴著『ブラック企業、日本を食いつぶす妖怪』であ る。昨今、その実態が明らかになりつつあるブラック企業の社会的な負の影響についてま とめられた本だ。一部を抜粋したい。『ブラック企業問題とは、成長大企業による大量採用・
大量解雇(離職)によって若者が使いつぶされるという問題である。だが、労働相談を受 ける中では、一つ一つの事案が、ただ相談者本人の問題として深刻であるばかりではなく、
日本社会の将来を考える上できわめて深刻な問題を含んでいることに気づかされる。』i 就職活動中の大学生は、ブラック企業に関する情報に対して極めて敏感になっている。
しかし、ブラック企業は巧みに自分達にとって悪い情報を隠蔽する技術を行使し、雇用の 需要・供給のギャップにつけこみ、労働条件を改善させる気もない。
このような状況の中で従来の労働体系を改めて問い直し、今後、どのような働き方が日 本人にとって可能であるのか考察したい。
Ⅱ.仮説
昨今、日本の労働形態はSNSを用いた人材交流や情報取得の向上につれて、多様な働き 方が増加しているように見える。その一例がノマドワーカーと呼ばれる形態であり、スタ ーバックスなどでmac bookを用いて仕事をこなしている人々をイメージして頂きたい。し かし、その実態を個別にみてみると、政府主導でフリーターを職業選択の自由という枠組 みの中で自己責任という社会的な風潮を作り、それが非正規雇用の増大に繋がった事実と 同様のことが起こりえるのではないかという仮説を持った。
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Ⅲ.根深い問題
① フリーターの発生
(労働力調査より抜粋)
フリーターが急増した時期は大きく二回ある。初めは、1980年代後半バブル経済時に高 給なアルバイトが増加し、フリーター自体が現在よりも不安定な労働形態ではなかった時 代である。次の時期はバブルが崩壊した後、就職氷河期と言われる時代に突入し正社員の 募集人数が急速に減少した時期である。上記の図を確認して頂ければ1990年以降、非正規 比率が一貫して上昇していることに同意して頂けるだろう。
現在、問題とされているのは1990年以降の非正規労働者達である。90年代後半から企 業のリストラが高まり、家計の補助を目的とした主婦層の就業や、景気が回復するまでの 間、とりあえず仕事にありつくために非正規労働についた若者たちが増加した。しかし、
現在に至っても雇用状況は回復せず、夫婦ともに非正規雇用である人や、正社員の労働条 件さえ悪化することにより、アルバイトであることよりも正社員になることのメリットが
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低下したため、働くこと自体を忌避する若者が増えている。
(対象者1076人)
(自由回答による印象調査)
日刊工業新聞 2006 年 1 月 10 日連載 goo リサーチと日刊工業新聞社による共同企画調査<第 22 弾>より抜粋 http://research.goo.ne.jp/database/data/000233/
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前ページのグラフは、世間がフリーターなどの非正規雇用に対して抱いている印象を調 査したものである。この中で、特に注目したいのはフリーターという労働体系の印象で最 も高いパーセンテージを獲ったのが「かっこわるい」という回答であった点だ。私は、こ の点がノマドワーカーという言葉に身を隠したフリーター変種の発生に繋がっているので はないかと考える。
② ノマドワーカー
ここからは、ノマドワーカーとして働く人物の思考や行動を確認し考察を進めていく。
本田直之著『ノマドライフ好きな場所に住んで自由に働くためにやっておくべきこと』
を参考にしたい。彼は上智大学でも非常勤講師として学生に教えているということなので、
身近な題材として取り上げる。
この本では、右肩上がりだった日本の経済成長が過去のものとなったことなどを理由に
「仕事と遊びの垣根のない、世界中どこでも収入を得られるノマドビジネスを構築し、2 カ所以上を移動しながら、快適な場所で生活と仕事をすることで、クリエイティビティや 効率性、思考の柔軟性が向上し、それがいいスパイラルになるライフスタイル」というノ マドワーカーの定義を簡潔にまとめてくれている。ii
この文だけを見ればSNSを駆使しコネづくりやサークル、ボランティア活動に精を出す、
俗にいう「意識の高い学生」や「社畜」といわれる社会人にとって憧れのワーキングスタ イルのようにみえる。実際、彼の講演を聞きに行った人の中には『「旧来型のスタンダード に縛られていたと気づけば、誰でもノマドライフができる環境が整っている」講演や取材 でこうした話をすると、時折「さっそく明日からでもノマドになります!」という反応が あります。』ⅱというように誰でもすぐに、ノマドワーカーになれると考える人が出てくる。
本田氏は、このような反応に対してノマドライフは今すぐにできるものではないという ことを明記しているが、ノマドワーカーになることが容易であり誰にでも可能であるとい う印象を与えてしまっている点には注目しておきたい。
また、この本の中でもう一つ特筆するべきことはノマドライフを続けていくメリットに 関して触れた点だ。『ノマドライフは、収入は一度下がりますが、続けるうちに上がってき ます。なぜ上がるのか。ノマドライフは、続けていくと、ライフスタイルそのものがコン テンツになるからです。ライフスタイルを突き詰めるほどに生活や仕事のスキルが上がり、
その上がったスキルからビジネスをクリエイトする能力がつくのです。』ⅱ
以上の内容を参考に考えると、この仕事形態を安易に採用してはいけない理由が見えて くる。ノマドワーカーの執筆物を読んで全体的に流れている考えは、前提として日本経済 や終身雇用型の労働体系に対する閉塞感や不信感である。そのため、彼らの多くは殊更に 世界的な雇用状況の大変化や、他国と比べた場合の日本型労働の後進性を述べる。確かに、
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この点に関してはいくつか同意できる箇所もあるだろう。
しかし、彼らの大部分は当人が批判する大企業で自らのブランド価値や技術を磨いたこ とが社会的に評価され独立に成功している。調べてみると広告代理店や出版社時代の肩書 きゆえにオファーされたとしか思えない仕事や日本の雇用状況の問題点を批判した著述で 生計を立てているノマドワーカーが多い。私は自分の築き上げてきた実績や経験、コネを 使って独立すること自体に異論はない。ただ、ノマドワーカーという労働形態が大企業な どで働いた経験、コネに拠っているものならば、それは、ノマドワーカーという目新しい 言葉ではなくフリーランスなど従来からあった言葉で十分まかなえることであり、わざわ ざ取り上げるほどのことではないはずだ。
ノマドワーカーの問題点は上記に見てきた事柄のように誰でもできるという考え方を広 めておき、それをメディアや官公庁が積極的に取り上げることによって、結果的に新しい 非正規雇用の数を増加させてしまう点にある。
フリーターの発生の最後にノマドワーカーはフリーターの変種であるという仮説を述べ た。この論拠は、今まで述べてきたノマドワーカーの問題点とともに90年代以降のフリー ターという労働形態が、安い労働賃金で働く人材を確保しようと自由な雇用体系が得られ るという宣伝の下で国策的に進められ、一部の若者がそれを支持した状況と重なるからだ。
ノマドワーカーは平たく言えば正社員のアウトソーシング化であり、正社員を削減したい と考えている企業側から見ればこれほど嬉しいことはない。
本田氏の著作にも述べられているが、企業を退職した直後は一時的に年収が200~300万 に下がるとある。しかしスキルの向上と共に年収が増加すること、収入の使い方を変えて 生活の満足度を高めることができるという理由を根拠に半ば楽観論と、とれる考えを述べ ている。だが、年収200~300万といえば平均年収を大きく下回っており、それ以降も年収 が上がる保証もなく、保険代や国民年金を払うことさえままならないようになれば現在大 量にいる元正社員の非正規雇用者と同様の立場になってしまう可能性が高い。
そもそも日本のノマドワーカーは多くがブログの広告収入や雑誌の取材などで生計を立 てているため、本来のノマドワーカーとは質的に異なるものだ。ヨーロッパなどでノマド ワーカーとして働いている人々は各分野で専門知識を持っている人々であり、一日の行動 記録や趣味などを書いたブログで生計を立てている日本型ノマドワーカーとは異なる。そ のような、実態を詳細に述べたうえで、自由な働き方を求めれば今より不幸な立場に追い 込まれる労働者が増え、フリーター、ノマドワーカー以後も労働条件の切り下げは収まら ないだろう。
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Ⅳ.原点回帰
現在、先進国経済全体では約4000万人が職につけないでいる。主な理由としては、製造 業分野におけるロボット導入などで熟練工や機械工が必要となくなっていること。貧困か ら教育が受けられないために、スキルがあがらず結果として労働条件を満たせずにいるこ となどが理由に挙げられる。このような時代の中で、一部で指南力を発揮し始めた会社を 例に「小商い」という概念に触れ結びとしたい。
① ミシマ社
ミシマ社は2006年自由が丘に設立された出版会社である。社長の三島邦弘氏は設立 まで、勤務していた大手出版社を退職し斜陽産業とされる出版業界に挑戦した。年に6~7 冊程しか本を出版しないにも関わらず、明確な企業のコンセプトにより注目を浴びている。
三島氏自身も、AERAなど各雑誌で若手の旗手として取り上げられているが、従来の若手 経営者像であったクリエイティブ、敏腕といったイメージとは異なった形で特集を組まれ ている。
ミシマ社は、社長自身が述べる通り普通の会社である。ただ、ここでいう普通という意 味は出版業界の原点に戻るという点においてである。そもそも出版業界に新たに身をおく には越えなければならないことがある。それは流通を担っている数社の取次店が新たに出 版社との取引を拡大したがらないということへの対策だ。これは、出版物の返品の多さが 理由に挙げられるが、問題をクリアするために「直取引営業」に三島氏は注目する。取次 を介すことなく書店と直に交渉し卸す。徹底的に原点回帰したシステムを目指した。
また、彼のインタビューによれば自分の目で把握できる範囲以上に会社を拡大すること はしたくないと述べている。ノマドワーカーについて触れた際、彼らの中に右肩上がりの 経済成長論を疑問視する箇所があったが、最終的に非正規雇用が拡大した場合と同じこと が起こる方向性に進もうとしているのではないかという結論を出した。それは、ノマドワ ーカーやそれに加担する人々はフリーターに関するアンケートの中にあった「かっこわる い」といった印象と逆の方向を向いているようで根本で同類であるためだ。
だが、ミシマ社の提示する考え方は基本に立ち返るということ。必要以上に拡大路線を とらないというメッツセージを帯びることで一線を画したものだと考える。企業家の平川 克美氏は著書『小商いのすすめ』の中で、日本の経営の根本にあったものは小商いという 概念であったということを述べている。
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② 小商い
平川氏の述べる小商いとはマイクロビジネスなどを意味するのではない。その意味する ところは端的にいうとヒューマンスケールである。2008年の金融危機のように、人間が把 握、制御しきれないところで進んでいく経済観念とはほぼ対局に位置する。この考え方は、
時代に逆行したものかもしれない。しかし、著書『小商いのすすめ』の中に日本のモノづ くり全盛の時代を牽引したソニーの設立趣意書内に書かれた井深大の言葉にも小商いの感 覚が残っていることを示している。その部分を引用したい。『一、経営規模としては、むし ろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経営 活動を期する』iii
日本の著名な技術者として、真っ先に想起される人物の一人がこの感覚を持ち、それが その後のソニーの発展に繋がったことを考えると、ものづくりという分野に限らず小商い の感覚を持つことは経済が縮小し人口が減少する日本に必要な考え方ではないだろうか。
私は過剰に営利を追求する大企業やノマドワーカーを根本から否定するつもりはない。
しかし、この両者の持つ目線の方向は同じ向きであるがゆえに多様性が生まれていないと 考える。そのため小商いという考え方をこれらの思想とは異なった第2の道として増やし ていくことが日本の労働者が生き延びるために重要な鍵になると考える。
10 参考
i 今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』p148
ii 本田直之『ノマドライフ 好きな場所に住んで自由に働くために、やっておくべきこと』
p6、p30、p35・36
iii 平川克美『小商いのすすめ』p207 その他参考文献
三島邦弘『計画と無計画のあいだ』