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化学と生物 Vol. 54, No. 2, 2016
明らかとなったスフィンゴ脂質の代謝経路
フィトスフィンゴシン代謝による奇数鎖脂肪酸の産生
スフィンゴ脂質はグリセロリン脂質,ステロールとと もに生体膜を形成する主要な脂質分子であり,すべての 真核生物に存在する.スフィンゴ脂質は多機能脂質であ り,血管形成,皮膚バリア形成,細菌毒素/ウイルス受 容体,糖代謝,神経機能,免疫などにおいて重要な働き をもつ(1)
.スフィンゴ脂質の骨格であるセラミドは脂肪
酸と長鎖塩基がアミド結合した構造をもつ(図1
A).哺
乳類の主要な長鎖塩基はスフィンゴシンであり,4位と 5位の間にトランス二重結合をもつ.ジヒドロスフィン ゴシンは飽和長鎖塩基であり,量は少ないもののすべて の哺乳類組織に存在する.フィトスフィンゴシンは4位 に水酸基をもち,表皮や小腸などの特異的な組織にのみ 存在する.出芽酵母にはスフィンゴシンは存在せず,ジ ヒドロスフィンゴシンとフィトスフィンゴシンが主要な 長鎖塩基である.セラミドの分解によって生じたスフィンゴシンはリン 酸化されることでスフィンゴシン1-リン酸(S1P)とな る.S1Pは脂質メディエーターとして知られ,免疫系で の作用は多発性硬化症の治療薬(フィンゴリモド)に臨 床応用されている(2)
.S1Pは細胞外では脂質メディエー
ターとして作用するが,細胞内ではスフィンゴシンの代 謝中間体という側面をもつ.S1Pが2位と3位間で開裂 を受けて長鎖アルデヒド(ヘキサデセナール)へと変換 後,何段階かの反応を経て,炭素数16のパルミチン酸 として主にグリセロリン脂質へ取り込まれることは,1960年代後半にはすでに知られていた.しかし,S1Pリ アーゼSPLによるS1Pの開裂以降の反応の詳細,かか わる遺伝子が明らかとなったのは最近である(3, 4)
.ヘキ
サデセナールは長鎖脂肪酸(ヘキサデセン酸)への酸 化,CoA付加によるヘキサデセノイルCoAへの変換,パルミトイルCoAへの飽和化を経てグリセロリン脂質 へ取り込まれる(図1B)
.それぞれの反応は脂肪族アル
デヒドデヒドロゲナーゼALDH3A2,アシルCoA合成 酵素(ACSL1‒6など),トランス2-エノイルCoA還元酵
素TERにより触媒される. 遺伝子に変異が 生じると皮膚神経疾患であるシェーグレン・ラルソン症 候群を引き起こす.上述のS1P代謝経路はスフィンゴシンを分解する唯一の経路であり,遮断されるとスフィン ゴシンは常にスフィンゴ脂質合成に再利用されることに なり,スフィンゴ脂質の恒常性維持(ホメオスタシス)
に異常をきたす.S1P分解経路の律速段階を触媒する 遺伝子のノックアウトマウスでは,肺,心臓,尿 管,骨の形態異常,肝臓での代謝異常,骨髄細胞の過形 成などさまざまな異常が生じ,生後1カ月以内にほとん どが死亡する.
二重結合をもたないジヒドロスフィンゴシンの代謝は 基本的にはスフィンゴシンの代謝と同様であるが,不飽 和結合をもたないため,飽和化のステップを欠く.フィ トスフィンゴシンの代謝の前半部(長鎖脂肪酸である2- ヒドロキシパルミチン酸産生過程まで)はスフィンゴシ ンやジヒドロスフィンゴシンと同様であるが,4位に水 酸基をもつため,代謝の後半部では独自の代謝経路をた どる.2-ヒドロキシパルミチン酸は
α
酸化を受けて,炭 素数15の奇数脂肪酸(ペンタデカン酸)へ変換後,ペ ンタデカノイルCoAとなって,主にグリセロリン脂質 へ取り込まれる(5)(図1B).これまで生体内の奇数鎖脂
肪酸の由来としては,脂肪酸合成酵素がまれに炭素数3 のプロピオニルACPを使用する(通常は炭素数2のア セチルACPを出発材料にする)ことで産生されると考 えられていた.奇数鎖脂肪酸は一般的な組織では偶数鎖 脂肪酸の100分の1程度であるが,フィトスフィンゴシ ンが多い皮膚のセラミドの脂肪酸部分は約半分が奇数鎖 である.フィトスフィンゴシン代謝経路はこれまで知ら れていなかった新しい奇数鎖脂肪酸の産生経路である.長鎖塩基の代謝経路・代謝酵素は種を超えて保存され ている.フィトスフィンゴシンは酵母でも奇数鎖脂肪酸 へ代謝される.フィトスフィンゴシンの代謝酵素遺伝子 の変異株では炭素数15のホスファチジルコリン量が野 生株の約40%にまで減少することから,フィトスフィ ンゴシン代謝経路が酵母の主要な奇数鎖脂肪酸産生経路 であることがわかる.また,酵母では2-ヒドロキシパル ミチン酸をペンタデカン酸に変換する過程で働く新規因 子として,Mpo1が同定された(5)
.
フィトスフィンゴシンから産生された奇数鎖脂肪酸
日本農芸化学会
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に,偶数鎖脂肪酸と異なった機能はないようである.
フィトスフィンゴシンの代謝経路は奇数鎖脂肪酸を産生 するために存在するというよりは,そのままでは利用が 難しい2-ヒドロキシ脂肪酸を代謝可能な非水酸化脂肪酸 へ変換しようとした結果として奇数鎖脂肪酸が産み出し たと考えるほうが妥当であろう.奇数鎖脂肪酸は,偶数 鎖脂肪酸と同様にグリセロリン脂質やスフィンゴ脂質な どほかの脂質の材料として利用できるだけでなく,
β
酸 化による分解も可能である.奇数鎖脂肪酸のβ
酸化では アセチルCoA以外にプロピオニルCoAも産生されるが,スクシニルCoAを経てクエン酸回路で代謝される.
生体分子は一般的に狭い範囲の濃度に保たれており,
そのホメオスタシスが破綻すると細胞機能が低下して疾 患に結びつく例が数多く知られる.フィトスフィンゴシ ンの奇数鎖脂肪酸への代謝経路も,通常の長鎖塩基より 水酸基を一つ多くもつフィトスフィンゴシンのホメオス タシスという観点で重要である.
1) 木原章雄:医学のあゆみ,248, 1112 (2014).
2) A. Kihara & Y. Igarashi: , 1781, 496 (2008).
3) K. Nakahara, A. Ohkuni, T. Kitamura, K. Abe, T. Na-
ganuma, Y. Ohno, R. A. Zoeller & A. Kihara: , 46, 461 (2012).
4) A. Kihara: , 1841, 766 (2014).
5) N. Kondo, Y. Ohno, M. Yamagata, T. Obara, N. Seki, T.
Kitamura, T. Naganuma & A. Kihara: , 5, 5338 (2014).
(木原章雄,北海道大学大学院薬学研究院)
プロフィール
木原 章雄(Akio KIHARA)
<略 歴>1993年 京 都 大 学 理 学 部 卒 業/
1995年同大学大学院理学研究科修士課程 修了/1998年同大学大学院博士後期課程 修了/同年日本学術振興会特別研究員(京 都大学ウイルス研究所)/1999年日本学術 振興会特別研究員(基礎生物学研究所)/
2001年北海道大学大学院薬学研究科助 手/2005年同助教授/2007年同大学大学 院薬学研究院准教授/2008年同教授<研 究テーマと抱負>スフィンゴ脂質や極長鎖 脂肪酸など脂質の代謝,生理機能,病態の 解明.脂質の重要性を広めていきたい<趣 味>カメラ,野球観戦
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.75 図1■セラミドの構造と長鎖塩基の代謝経路
(A)スフィンゴ脂質は長鎖塩基と脂肪酸からなる セラミドを疎水骨格とし,長鎖塩基の1位水酸基 に極性基を有す.(B)スフィンゴシンとフィトス フィンゴシンの代謝経路.C18:1は炭素数18,不飽 和 結 合 一 つ で あ る こ と を 指 す.P,リ ン 酸 基;
CHO,アルデヒド基;COOH,カルボキシル基;
OH,水酸基.
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