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書 館 化学 生物

東北大学では,米国留学から帰国された直後の志村憲助先 生の御指導を受けて,卒業研究「C末端アミノ酸より見た絹 フィブロインの生合成機作について」を学ばせていただいて いた.

1959年農学部を卒業する頃,公務員試験に合格して農林 省で面接試験を受けた.面接官のお一人であった食糧研究所

(現食品総合研究所)所長の櫻井芳人先生から,種々御質問 をいただき,その日のうちに食糧研究所採用の内定通知をい ただいた.当時,食糧研究所としては緊急に解決が求められ ている課題があり,その研究を進める研究員の採用が急がれ ていたようであった.そして筆者は,第Ⅰ章で述べてきた澱 粉科学の潮流の中で研究者の道を歩むことになった.第Ⅱ章 では,流れの中で自身が経験してきた研究について述べさせ ていただく.

  農林省食糧研究所にて

グルコースのアルカリ異性化

1959年は酵素法による澱粉から結晶ブドウ糖 (グルコー ス)の工業生産の可能性が見えてきた時期であった.国産砂 糖が絶対的に不足している日本の甘味料自給の立場から,グ ルコースをフラクトースに異性化して甘味を増強すること を,当時科研科学(株)にいらした藪田貞治郎先生が提案され た.櫻井研究所長は,これを食糧研究所で酵素法と化学法で あるアルカリ異性化法の2つの方法でアプローチすることを 決定された.

1957年にMarshall & Kooi(24)によって発見されたグルコー スイソメラーゼを利用する酵素法は一つのアプローチであっ た.1959年当時,佐藤友太郎氏,津村信蔵氏の研究室で のグルコースイソメラーゼ(酵素化学的 にはキシロースイソメラーゼ)を発見し,研究が開始されて いた.このほかにも日本の多くの大学,研究所で各種微生物 が生産するグルコースイソメラーゼの研究が行なわれていた が,産業化するには酵素活性が低く,また反応に砒素が必要 など問題点が多く,基礎研究の段階にとどまっていた.

遅れて研究に参加した筆者は鈴木繁男先生の指導のもとで アルカリ異性化の研究を始めた.

1895年に発表されたLobry de Bruyn-Alberda van Eken- steinによるアルドース・ケトースの転換反応を利用したア ルカリ異性化は,長い歴史をもつ糖の反応である(25).過去 の文献を調べる手始めに東北大学で学んだ麻生清先生の講義 ノートを開いてみると,糖の反応の章に,酸化反応や還元反 応などの記述があり,最後に「糖をアルカリで処理すると著 しく分解して,反応として過去に役に立ったことがない」と いう一行があった.

基礎研究と産業技術のギャップ

過去に,この反応を用いてグルコースの異性化を試みた例 は多くあった.しかし,いずれも異性化率が低く,生成した フラクトースはアルカリ条件下では不安定で,分解して強く 着色することが述べられていた.過去の失敗例を詳細に調べ て,その問題点を避ける条件の実験を繰り返し,高温短時間 法でグルコースの35%をフラクトースに異性化することに 成功した.この反応条件を再現するテストプラントを1963 年に食糧研究所に構築し(図

9

,グルコースのアルカリ異 性化の工業的利用の基礎研究を進めた(26)

粒状活性炭,イオン交換樹脂による糖液精製法も完成し て,試作品の評価を参松工業(株)の頼富憲三郎氏に依頼し た.実験装置およびパイロットプラントで得た製品を見られ た後,反応中の数%の糖の分解と反応液の微弱な着色,精 製後の微妙な異臭を指摘された.そして氏から「学会で発表 して論文をつくるだけならこれで結構だと思うが,産業化す

日本の澱粉科学と産業の発達史を辿って

Ⅱ.ライフワークとしての澱粉・関連酵素の研究 ― ブド ウ糖の異性化,澱粉結晶のダブルへリックスの提唱,そし て新規糖質産業の創生へ

貝沼圭二

九州大学大学院農学研究院特別顧問

図9世界初のブドウ糖の連続異性化装置(農林省食糧研究所)

(2)

るにはまだ問題が多く,長い道のりが残っている」と,20 代であった筆者には非常に厳しいコメントをいただいた.頼 富さんは基礎研究が完成しても直ぐに産業技術にはならない ことを教えてくださったのであった.この貴重な助言は生涯 忘れることのできない言葉となり,後に筆者の研究グループ の研究および生研機構の競争的研究資金の採択に際する判断 基準のもとになった.

1964年に津村信蔵氏および高崎義幸氏の が 生産するグルコースイソメラーゼの出現により,酵素を用い た異性化糖の産業化は急加速され,糖の分解,着色などの問 題点をもつアルカリ異性化は短時間で表舞台から消滅した.

身体中から力が抜ける思いがした.初めて取り組んだ研究で 最初の挫折を味わったが,駆け出しの研究者として非常に貴 重な経験をすることができた.

アルカリ異性化の研究で残ったものは,1964年に日本農 芸化学会誌に発表した言葉「異性化糖液」が現在の「異性化 糖」の語源になっていること(26) と東北大学から学位をいた だいたことである.

グルコースイソメラーゼのバイオリアクター

話は前後するが,これは異性化糖に関連するので,ここで 述べさせていただく.1968年にFrench研究室へ留学した直 後,訪問したクリントンコーン社の研究室で見たものは,

Black boxと称されるバイオリアクターであった.この装置 にブドウ糖溶液を通液し,出口をテクニコンのオートアナラ イザーに直結して,生成するフラクトースをリアルタイムで モニターするものであった.同社は参松工業(株)と共同研究 をしており,両社は同じ酵素を用いていたが研究手法はまっ たく異なっていた.先行していた日本のグルコースイソメ ラーゼの研究は生産菌の検索,菌や培養条件の改良など,酵 素の生産性を上げることに注力されており,すべて伝統的な 農芸化学的アプローチで,酵素反応はバッチ式で行ない,反 応終了後酵素は廃棄されていた.

クリントンコーン社で見たものはまったく逆で,酵素を固 定化してリアクターに閉じ込め,その中に糖液を流す様式で あった.すなわち,単位時間にどれだけの量の糖液を通液す ることができるかというアプローチで,リアクターのデザイ ン,通液速度,酵素の耐久性などの工学的なアプローチを主 体にする研究であった.酵素の工業利用の新しい形式を見た ことに興奮を覚えると同時に,この分野は間もなくアメリカ に抜かれるという予感がした.現在,異性化糖の生産量およ び普及度はアメリカが圧倒的に高い.

  アイオワ州立大学への留学時代

Dexter French 教授との出会いと研究テーマの決定 最後の段階で敗北を喫したグルコースの異性化反応の研究 は,酵素のもつ無限とも思える可能性を教えてくれた.酵素 を扱えずして研究を続けることの難しさを痛感し,1966年 に来日したT. J. Schoch博士の講演の通訳,国内旅行に同行

した際に,将来の夢として米国留学を語った.そしてアイオ ワ州立大学のDexter French教授(図

10

)の研究に非常に 興味があることをお話した.その後,Schoch博士,二国先 生のご推薦をいただき,1968年夏に希望していたアイオワ 州立大学のFrench教授の研究室へ博士研究員として留学が 決まった.French 教授は1940年代に天然高分子の中で初め て澱粉のへリックス構造を提案し,また環状構造を有するサ イクロデキストリンの構成グルコース単位をX線回折で決 めた,米国を代表する澱粉科学者であった.

Meyerモデルへの疑問

French教授と初めての打ち合わせで,筆者は当時可能性 が見え始めた酵素を用いた澱粉の構造研究を進めたいという 希望を述べた.1940年に発表されたアミロペクチンのK. H. 

Meyerの樹状構造(3)は,混沌としていた澱粉の化学構造に 明解な回答を与えた.しかし,筆者は細部について疑問を感 じている部分があった.この疑問とは,「もしMeyer モデル 図10Dexter French 教授(1975年頃)

図11アミロペクチンのMeyerモデル 1940

(3)

(図

11

)が示しているようにアミロペクチンが分子内で均等 に枝分れしているならば,X線回折で結晶構造を示す規則正 しい分子配列は得られないのではないか?」というもので あった.Meyerは有機化学的な方法によって 

α

-1, 4グルコシ ド結合と 

α

-1, 6グルコシド結合の比を求めていたが,これは 分子全体の平均的な値と思われた.筆者は基質特異性が明確 な酵素を用いることにより,分岐構造の細部についての疑問 に答えが得られるのではないかと考えていた.「酵素を用い る澱粉の構造決定は魅力的なアプローチであるが,現段階で は前人未到の登山に似ていて,すべての道を自分で切り拓か なければならない難しさがある」というのがFrench 教授の 意見であった.2年間という期限で留学した筆者には時間が 足りないのではないかという先生の憂慮がその言葉の裏には あった.

「澱粉はなぜ水に沈むのか?」という質問

French教授は,その時「澱粉はなぜ水に沈むのか?」と いう質問をされた.考えてもいなかった質問で,即答ができ ずにおり,「日本では沈澱する粉と書いて澱粉という」と要 領を得ない返答をしてその場は終った.2週間ほどFrench  教授の1940年代の澱粉のシングルへリックスの論文を読ん だり,酵素法による多糖類の構造決定の現状を調べたりして 時間が経過した.その頃になると「澱粉はなぜ水に沈むの か?」という質問は,「なぜ澱粉は比重1.6と重く,水の中で 沈澱するのか?」ということを問われたのではないかと思う ようになった.教授は1940年代にご自身が提案して,定説 になっているシングルへリックスの構造では澱粉の比重1.6 を説明できないことに気が付いていたようであった.予備知 識がまったくない新しいpost-doc.の筆者に問い,どのよう なアプローチでこの問題に取り組むのかを観察されていた節 があった.

種々相談した末,筆者の希望の酵素法による構造決定と先 生の提示された澱粉の比重の2つのテーマに同時に取り組む ことにして,ようやく実験を始めることになった.これらの 研究を少し詳しく以下に述べさせていただく.

酵素を用いたアミロペクチンの構造研究

筆者は,Meyerモデルの問題点を明らかにするためには,

アミロペクチンの分岐構造を詳細に調べることが必要で,こ れが最も直接的に問題点に到達できるのではないかと考え

た. (現 在 は )

の生産するプルラナーゼが発見され,この酵素はプルラン の 

α

-1, 6グルコシド結合部分やアミロペクチンの分岐部分を 分解することが報告された直後であった.当然,酵素法によ る澱粉の構造研究はすでに先行する研究成果が蓄積されてい るものと考えていた筆者にショックであったのは,当時構造 決定に直ちに利用可能な酵素はほとんど市販されていなかっ たことである.

酵素の精製とオリゴ糖の調製に過ごした日々

利用を考えていた酵素を試薬カタログで調べると,純度が 高く,他の酵素活性の混在していない酵素は非常に限定され

ていた.豚すい臓 

α

-アミラーゼ (Porcine Pancreatic 

α

-Amyl- ase, PPAと略す)は,純度の高い標品が購入可能であり,

直鎖オリゴ糖に対する反応形式がすでに調べられていた唯一 のものであった(27).甘藷 

β

-アミラーゼの結晶標品は,混在 する 

α

-グルコシダーゼを除去しなければならず,またプル ラナーゼに至っては自分で を培養して酵素を調 製しなければならなかった.その上,これらの酵素を用い て,未知の糖の構造を決定するために必要な基質特異性の情 報がまったくといってよいほど存在しなかった.

酵素の精製と並行して,基質特異性を調べるための分岐オ リゴ糖が必要で,アミロペクチンの 

α

-1, 6グルコシド結合近 傍に類似する構造の分岐オリゴ糖の調製が最初の仕事になっ た(図

12

.分岐オリゴ糖の調製とその糖に対する各種分解 酵素の反応形式を調べる仕事が始まり,手間と時間のかかる 実験で,French教授の前人未到の登山に等しいと言われた 意味が理解でき始めた.アミロペクチンの分岐構造決定の本 実験にとりかかる前に,アミラーゼの分岐オリゴ糖に対する 作用形式の論文を数報発表することができた(28〜30).本実験 に着手するための酵素 ― 高純度のPPA,甘藷 

β

‒アミラー ゼ,グルコアミラーゼ,プルラナーゼ,サイクロデキストリ ン 合 成 酵 素 (cyclomaltodextrin glucanotransferase, CGT- ase)― の基質特異性が決まったのは,留学期間の半分以上 を過ぎた頃であった.

結果はなかなか見えず,朝に晩に「What is new ?」と挨 拶代わりに質問される教授に辟易することが多い毎日であっ た.夕方別れるときに,その日の結果を簡単に報告して家に 戻るが,翌朝「What is new?」と聞かれることは「昨夜は どうであったか?」と聞かれていることである.パーティな どで楽しく飲んだ翌朝は特にきつかった.しかし,この頃に なると教授の「What is new?」は「必要ならいつでも議論 をする」というサインであることがわかるようになってき た.

図12 分 岐 オ リ ゴ 糖を調製中の筆者 アイオワ州立大学に て (1968)

(4)

明らかになったアミロペクチン分岐構造とクラスターモデ ルの提案

アミロペクチンをPPAで第2ステージまで分解した後,

カーボンカラムクロマトグラフィーで分離した重合度の異な る 

α

-limit dextrin(重合度4 〜13)を出発物質にして,数種 の酵素反応と2次元クロマトグラフィーの組合せで基質特異 性に基づいて元の構造を推定する作業が続いた.細部は省略 するが,非常に時間と手間のかかる実験であった.完成して みると,筆者が最初に疑問を抱いたMeyerモデルの問題点 がはっきり見えてきた.実験の結果,アミロペクチンの 

α

‒1,6結合の65%は重合度4 〜7の6種の単分岐オリゴ糖(図

13

)として得られ,残りの35%は重合度6 〜10の8種の複分 岐オリゴ糖(図

14

)として得られた(31).このことは,アミ ロペクチンの分岐点の35%は,ある特定の場所に偏在して いることを示しており,Meyerの平均的に分岐しているモ デル(この場合にはすべての分岐オリゴ糖は単分岐オリゴ糖 として得られるはずである)とは大きく異なるものであっ た.

分岐点が偏在することにより,それ以外の部分は直鎖分子 が規則正しく配列し,X線回折で結晶性を示す可能性が初め て説明できた.この実験により,著名な科学者の発見で定説 になっている理論でも,疑問がある場合には自身で納得いく まで検証してみることの必要性を学んだ.発見された当時と 新しい手法や優れた機器が導入されている現在では,異なる アプローチが可能であり,また新しい事実が見えることがあ る.

1972年,French教授はこの実験結果をもとに,分岐点が 偏在して直鎖が並行に並んでいるアミロペクチンのクラス ターモデル(図

15

)を発表した(32)

1968年,二国は澱粉の一粒一分子の超高分子モデル(図 4;前回参照)を発表した際に,アミロペクチンを房状構造 で示したが,房の長さの次元が明示されていなかった(13). Frenchモデルとは異なる次元に見えるが,形は非常に似て いる.その後,プルラナーゼと 

β

‒アミラーゼを段階的に反 応させた実験からRobin, Mercierらは,改良された詳細なク ラスターモデルを発表している(33).さらに多くの研究者に よる微修正がなされ,1986年に檜作の定量化されたモデ ル(17) (図6;前回)が報告されて現在に至っている.

「澱粉はなぜ沈む」から澱粉のダブルヘリックス構造の提唱 シングルヘリックス構造に基づく澱粉の結晶構造の問題点 French教授との会話の中で「澱粉はなぜ水に沈むのか?」

と い う 質 問 を 受 け た こ と は,す で に 述 べ た.そ の 後,

French教授が1943年に発表された論文を詳細に調べてみた 結果,教授はアミロース・ヨウ素複合体のX線回折から,天 然高分子で初めての例として,アミロースがシングルヘリッ クス構造をとっていることを発表していたことがわかっ た(7).その後,シングルヘリックスから成るという概念のも と,澱粉の結晶構造は多くの研究者により研究がなされてき た.シングルヘリックス構造をもとにして,長さが数オング ストローム違うモデルや,ヘリックスの間に水分子が存在す るモデルが提案されたが,いずれもシングルヘリックスの概 念に基づいていたのである.

French教授の1944年の論文を読んでいた際,筆者は澱粉 を構成しているマルトースと,セルロースを構成しているセ ロビオースの構造について「ラセンを巻いて存在しているア ミロース中のマルトースの長さが,直線的に伸びきったセル ロース分子中のセロビオースより長いことは説明できない

(1944年)」(34)という記述を発見した.教授はすでに天然の澱 粉の結晶構造はシングルへリックスでは説明不能であること に気付いていたのであろう.

2週間ほどした後に,筆者は教授に問われた質問の意味 は,数多くある糖質の中で,なぜ澱粉だけが非常に比重が大 図13アミロペクチンの 

α

-limit dextrinに存在した単分岐オ

リゴ糖

図14アミロペクチンの

α

-limit dextrinに存在した複分岐オリ ゴ糖

図15Frenchのアミロペクチンのクラスターモデル 1972

(5)

きく,水に沈むのかということ,すなわち「澱粉の結晶構造 をもう一度調べて見る必要がある」というメッセージである ことに気がつき,即実験に取り掛かった.

Nägeliアミロデキストリンの調製

澱粉の結晶部分を調製する方法として,澱粉粒を16%硫 酸中で室温の穏やかな条件下で加水分解するものがある.こ のようにして酸可溶性部分を除いた酸抵抗性残渣は,Nägeli  amylodextrin(アミロデキストリン)と呼ばれており,澱粉 の結晶部分に相当する糖質と考えられていた.

1874年に発表されたNägeliの古い文献に忠実に従い,3 ヵ 月にわたり室温で加水分解して得られたNägeliアミロデキ ストリンについて種々の条件でX線回折や酵素を用いた構 造解析を行なった(35).長い実験の経過は省略するが,澱粉 のX線回折図形は水分子の存在で鋭敏になる.一方,完全 に脱水しても非晶質の糖質(コーンシラップ)をfillerとし て充填することにより,16オングストロームの回折線は不 鮮明になるが,それ以外は保持される.これが新たな発見で あった.すなわち,澱粉の結晶内で水の果たす役割は結晶構 造そのものに対してではなく,結晶の基本的な部分は,澱粉 分子自身が形づくっていると思われた.これらの観察から French教授と筆者は,澱粉の結晶部分は2本の直鎖分子が 縄をなうように絡み合っているダブルへリックスを形成して いるのではないかと推測するようになった.

澱粉結晶における水分子の役割とダブルヘリックス仮説の 誕生

水分子は,ダブルヘリックス相互間の位置関係や間隔を保 つために必要であるものの,ダブルヘリックス形成自体には 必須のものではないという考えに至った.CPK分子模型

(図

16

)を組んでみると,2本は左巻きのヘリックスで,水 素結合を介して完全に密着したダブルヘリックスを形成する ことが可能で,ヘリックス内には澱粉の鎖を加水分解する酸 が浸入する空間もないために酸加水分解抵抗性糖として残っ たことが説明できた.このモデルのさらなる魅力は,二本鎖 で構成されることで結晶の単位胞の中に従来のシングルへ リックスに比較して2倍の糖が充填され,比重も理論値の 1.60に非常に近くなることであった.このモデルに基づき澱 粉の各種の性質を解釈しても矛盾点は見つからなかった.

French教授と筆者は,この結果を 誌に投稿

したが,無名の日本人の研究者がファーストネームであり,

かつそれまでの澱粉の結晶の常識を根本から覆す論文に対す る抵抗は強く,受理されるまでに時間を要した.レフェリー とのやり取りが延々と続いたが,1972年に誌上発表された.

これが「Kainuma-Frenchの澱粉のDouble Helix」仮説誕生 の経緯である(14).この仮説はA. D. French(French教授の 長男でセルロースの結晶構造の専門家)と筆者らのComput- er Modeling(36)および酵素を用いた構造決定(37)の実験から も 支 持 さ れ た.筆 者 ら 以 外 に も,ア メ リ カ(38),フ ラ ン ス(39),イギリスなどの多くの研究室で詳しい追試が行なわ れ,発表後40年を経過した現在,澱粉の結晶構造として,

さらに精緻なダブルヘリックスモデルが研究されている.

優れた指導者の言葉

卓越した指導者であるFrench教授の一言「澱粉はなぜ水 に沈むのか?」という短い質問は,1940年代から30年間真 理であると信じられ,世界の糖質科学者が積み上げてきた澱 粉の基本構造を根本から覆すヒントとなるものであった.こ の 質 問 を 筆 者 に 与 え,問 題 の 所 在 を 教 え て く だ さ っ た French教授に今でも心から感謝している.これほど短い言 葉で問題の核心を突いた質問を受けたことは初めてであり,

その後の私の人生で,それに匹敵する言葉を耳にしたことは 現在に至るまでない.

  再び食品総合研究所に戻って

マルトヘキサオース生成酵素の発見と種々のオリゴ糖類の工 業生産

マルトヘキサオース生成酵素  新規酵素の発見

澱粉分子の構造決定の目的で, を用

いてプルラナーゼを調製したことはすでに述べた.得られた 酵素標品を用いてアミロペクチンの枝切りを行なった際に,

必ず大量のマルトヘキサオース(6分子のグルコースが直鎖 状に結合したオリゴ糖)が生成されることを観察した.この ことは,アミロペクチンにはマルトヘキサオースの短い枝が 数多く存在することを示しているように見受けられた.これ が事実であるとすると,澱粉の生合成の際の枝付け酵素(Q 酵素)の作用はアミロペクチンの分岐点から6番目の 

α

-1, 4 グルコシド結合を切断して,その外部を他の直鎖部分に転移 して新しい分岐構造を生成することを意味している.そし て,その結果としてマルトヘキサオースの分岐が残存してい ることになる.これは新しい発見であった.

Q酵素の反応は澱粉の生合成でホットな研究分野であり,

当時数グループが先陣を競うものであった.この実験結果に 大変興奮したFrench教授は,早速この事実をQ酵素の反応 機作との関連で短い報文にまとめた.実験担当者の筆者は投 稿まで1週間の猶予をいただき,この酵素を研究室にある各 種澱粉に反応させた.いずれも結果は同じであった.念のた めに最後に試みた澱粉の直鎖成分のアミロースへの反応で 図16Kainuma-FrenchのアミロペクチンのDouble Helix

デル 1972

(6)

も,大量のマルトヘキサオースが生成した.この実験で,分 岐構造を含まないアミロースから大量のマルトヘキサオース が生成されたことは,反応は分岐点の枝切りではなく,

α

-1, 4結合をマルトヘキサオース単位に切断するまったく新 規なアミラーゼが混在していたという驚くべき結論に達した のである.

同時期に同菌株で調製したプルラナーゼを用いていたマイ アミ大学のWhelan教授と親交のあったFrench教授は,こ の発見を直ぐに電話で伝えた.マイアミ大学の研究グループ もまったく同じ現象を発見して,筆者らが最初に考えたよう にマルトヘキサオースをアミロペクチンの特異な短鎖として 論文を投稿した直後であった.筆者らは一歩手前で止まり,

これを新規酵素の発見としてとらえた.本酵素の直鎖オリゴ 糖に対する作用形式を示す二次元ペーパークロマトグラムを 図

17

に示す.決して忘れることができない1枚のクロマトグ ラムとなった.ここまでの実験をアイオワ州立大学で行な い,1970年に帰国した.

オリゴ糖生成酵素を用いたオリゴ糖の工業生産の可能性 1970年に帰国して再び食品総合研究所に戻り,この酵素 を研究室の中心テーマの一つとして本格的に研究を進めた.

新しい酵素の発見とその性質という論文発表(40)を行ない,

さらに小林昭一氏,若生勝雄氏,中久喜輝夫氏らが研究を担 当して,作用形式,生成するアノマー型(41)などを明らかに した.その後,マルトヘキサオース生成酵素はGlucan 1,4-

α

-maltohexaosidase (EC.3.2.1.98) として国際酵素命名委員会 に登録した.

本酵素は,Robytらにより発見されたマルトテトラオース 生成アミラーゼ(42)に次ぐ2番目のexo型のマルトオリゴ糖生 成アミラーゼであり,その後日本の研究者により,マルトー ス,マルトトリオース,マルトペンタオースなどを特異的に 生成するアミラーゼが微生物から発見された.筆者は一群の

酵素はオリゴ糖の大量生産の優れた手段になると考え始め た.

国内外の学会,澱粉研究懇談会,アミラーゼシンポジウム などで研究結果を報告し,同時に今まで製造が困難で日本酒 や醤油などの発酵生産物に少量含まれていたに過ぎないオリ ゴ糖の大量生産の可能性を語った.1970年から75年の頃で あった.これに対して,特に澱粉研究懇談会のメンバーの反 応は迅速で,大学,公的研究機関,企業などの研究者の参加 を得て,多くの共同研究が誕生した.一部は農林水産省の食 品産業バイオリアクター研究組合のテーマとして発展して いった.

日本で開花した新規糖質産業

日本の応用糖質科学の研究者および産業は,澱粉,砂糖か ら始まり,乳糖,キシラン,マンナン,キトサン,セルロー スなどの糖質原料と加水分解酵素や糖転移酵素との組み合わ せで活発なオリゴ糖製造の研究を開始した.その結果,マル トオリゴ糖,フラクトオリゴ糖,ガラクトオリゴ糖,乳果オ リゴ糖,大豆オリゴ糖,キシロオリゴ糖,イソマルトオリゴ 糖などの名称のオリゴ糖が製造され販売された.いずれも腸 内細菌叢の改善効果があり,初期の特定保健用食品の中心に なった.1970年代後半から80年代にかけて百花繚乱のごと く幅広いオリゴ糖研究が日本で開花し,現在に至っている.

この理由を米国パデュー大学のWhistler教授は,「日本には 質の高い糖質酵素研究と層の厚い研究者,および多糖分解物 を食品として受け入れる素地があった」と分析した.これは かなり的を射た見方と思われた.

食品総合研究所においても,炭水化物研究室,酵素利用研 究室,素材化技術研究室などの研究グループがオリゴ糖研究 の拠点になり,臨床検査薬に使われているマルトペンタオー ス(小林昭一氏,桶本尚氏)やマルトヘキサオース(筆者,

中久喜輝夫氏),包摂作用で広く食品や医薬品に使用されて いる 

α

-サイクロデキストリンや分岐サイクロデキストリン

(小林昭一氏,筆者),イソマルトオリゴ糖(小林昭一氏,弥 武経也氏,筆者),ジフルクトースジアンヒドリド(原口和 朋氏)などのオリゴ糖や唯一のノンカロリー糖質甘味料であ るエリスリトール(春見隆文氏,佐々木堯氏)などの基礎研 究を行ない,共同研究を行なった企業に産業化していただい た.企業から派遣され共に研究をした研究員を通して,効率 の良い連携のもとに基礎研究の成果が次々と産業化されるプ ロセスの中に身をおき,研究者冥利に尽きる日々であった.  

当時,筆者の研究室では並行して生澱粉糖化(筆者,門馬 充氏),セルロースからアミロースへの酵素的変換およびセ ルロースの糖化(佐々木堯氏)などの研究も行なっていた が,バイオエタノールやエネルギー問題に関連してバイオマ ス変換技術が再び国家的な研究目標になっている現在,基礎 的な知見として活用されることを願っている.

酵素技術の粋を集めたオリゴ糖

オリゴ糖の種類は増えたものの,機能は腸内細菌叢の改善 効果以外のものは長い間出現しなかった.最近になって,よ うやく歯のカルシウム沈着を促進するリン酸化オリゴ糖,食 図17マルトヘキサオース生成アミラーゼを発見した際の2

元ペーパークロマトグラム 1970

2次元展開で観察されるようにG7, G8, G9などの直鎖マルトオリゴ 糖は,本酵素の反応によりG6+G1, G6+G2, G6+G3, G6+G4と非 還元末端からG6単位に分解される.

(7)

品中の澱粉の老化防止,タンパク質の変性防止の機能を有す るトレハロースなど,次世代の機能をもつオリゴ糖が出現し てきた.100万t規模の異性化糖産業で,澱粉の完全糖化の 妨げとなっていた馬鈴薯澱粉中のリン酸基をオリゴ糖として 分離したリン酸化オリゴ糖や,澱粉の糖化工程でグルコアミ ラーゼの逆反応副成物で糖化率を低下させるイソマルトース を積極的に製造する方向に変えたイソマルトオリゴ糖は,い ずれも柔軟な発想から生まれた商品である.イソマルトオリ ゴ糖は現在,腸内細菌叢の改善に大量に利用されているオリ ゴ糖である.

また,筆者が酵素利用の芸術品と考えているものに分岐 CD(サイクロデキストリン)(塩水港精糖株式会社)とトレ ハロース(林原生物化学研究所)がある.前者は枝切り酵素 の逆反応を利用してCDにマルトースの枝を付けてCDの水 溶性を著しく高めたものであり,後者は新たな2種の新規酵 素を発見して澱粉を巧みにトレハロースに変換したものであ る.日本人らしい緻密な発想と技術で得られたオリゴ糖であ るといえよう.

澱粉の完全酵素糖化法の完成およびグルコースの異性化で 酵素技術を掌中にした糖質産業界および関連酵素産業界の意 気は高く,オリゴ糖,糖アルコールなどの糖質産業は,現在 数百億円規模の産業に成長して,世界においてもユニークな 新規糖質産業として注目を浴びている.今後どのような展開 をしていくのか,可能性の多い楽しみな分野である(図

18

樹幹に澱粉を蓄積するサゴヤシと生澱粉分解酵素 サゴヤシとの出会い

1976年に第1回国際サゴヤシシンポジウムが東マレーシア

(ボルネオ島)のサラワク州都クチン市で開催されることに なり,新しい澱粉利用の講演依頼の招待状を受け取り参加し た.参加してみると,シンポジウムではサゴヤシを巡る話題 が討議され,多くのことを学びうる絶好の機会となった.サ ゴヤシは赤道から南北10度までの熱帯湿潤地に生育し,10

年で成熟して太い樹幹に200 〜400 kgの澱粉を蓄積する.開 花後6 ヵ月程度で澱粉はすべて消失して,木は枯死していく という.数多くある民話のロマンや澱粉の消長と植物生理の 関係からも非常に謎が多く,好奇心が刺激される植物であっ た.第二次大戦中にマレーシア,インドネシア,パプア ニューギニアなどで戦った日本軍人の中には,サゴ澱粉で命 を繋いだ人々も多くいたという.

管理された栽培は限られた地域にしか存在しないが,計画 的に植林されたマレー半島のプランテーションでは20 t/ha の澱粉が収穫可能であると報告された.米や小麦に比較して 数倍生産性の高い澱粉生産植物である.

人類学者の発表では,サゴを主食とするサゴイーターの分 布とマンイーター(食人種)のそれは地図上で大部分が重な ることが示された.また,サゴにまつわる民話の多さなどか らも,現地に住む人々の生活に密着した植物であることが理 解できた.当時,日本でも東京大学の大塚柳太郎氏がすでに パプアニューギニアでサゴイーターの生態と栄養学的な研究 を進めておられ,日本から2人がシンポジウムで発表した.

サゴ澱粉の性質を他の既知の澱粉と比較したダイアグラムを 図

19

に示した.

サゴは生物学よりはサゴ生育地における人間生活との関連 で研究されていることが多く,澱粉の研究者は筆者のみで あった(43).その後,JICAの熱帯作物資源調査団が神戸大学 佐藤孝名誉教授を団長として派遣され,筆者もボルネオ島の サラワク,カリマンタン,パプアニューギニア などへ数度 同行した.

図18市場で求めた新規糖質を含む食品の例

図19サゴ澱粉のStarch Diagram

サゴ澱粉と既知の澱粉の諸性質との類似性を示すダイアグラムで,

サゴ澱粉の物性を示す (●  ●) の位置は,同心円上にある既知 澱粉の諸性質と最も類似性の高い位置に置いてある.

(8)

長門公先生とサゴヤシ学会

サラワクでのシンポジウムの様子を聞きたいという,熱帯 農業の研究で著名な故長戸公先生のご要望で,詳しい報告と 将来の世界の食糧供給に果たすサゴヤシの可能性をお話し た.その後,長戸先生はサゴヤシ研究のために高額の私財を 寄付され,この基金で若い学生調査隊の派遣が開始された.

また作物,土壌,遺伝子解析による品種の分類,澱粉利用な どに関する研究を中堅研究者が現地で行ない,今日世界のサ ゴヤシ研究を日本が先導するに至っている.そしてサゴヤ シ・サゴ文化研究会が誕生し,現在は,サゴヤシ学会となっ ている.筆者がサゴヤシ学会長在任中には,組織委員長とし て2001年につくばで国際シンポジウム (Sago 2001) を開催 した.長門先生が世界の食糧問題を憂いて私財を投じられた サゴヤシの研究は,現在その成果を世界に広げており,京都 大学の高村泰樹名誉教授は食糧問題が深刻なアフリカにサゴ の吸枝を移植し,新たな一歩を踏み出している.またアジア においても,マレーシアとインドネシアで大規模なサゴ林の 造成が進行している.

サゴヤシから分離した生澱粉分解酵素と澱粉の調理特性 筆者が1980年にパプアニューギニアのサゴ林で採取した 黒かび( )は,火の気のない熱帯雨林に生 息する微生物で効率よく生澱粉を分解する菌であった(44, 45). おそらく,この菌は熱帯雨林の中で生育し,人間が火を使っ て加熱糊化した澱粉に遭遇することもなかった微生物と思わ れる.農林水産省のバイオマス変換研究計画の一環として,

菌を大量培養して得た酵素を用いた無蒸煮アルコール発酵で 日本酒とサツマイモ焼酎を試作した.この実験により菌の産 業的利用における有用性が証明された.現在,バイオエタ ノールの研究が世界的に再び注目を集めているが,これは時 代の要請より20年早い研究であった.

共立女子大学の高橋節子名誉教授のグループによる調理科 学的な研究から,サゴ澱粉は希少澱粉であるワラビ澱粉,葛 澱粉などと調理学的には近い性質であることが判明し,多く の新しい用途が示唆された(46)

  結びに代えて  心如工画師

ふりかえって

この文章の執筆にあたり,何故自分は農芸化学に進み,そ して澱粉科学を専門にするようになったのかということを改 めて考えてみた.1943年第二次大戦中に,都内の幡代小学 校に入学し,空襲の激しくなった1945年に吉祥寺にある武 蔵野第三小学校を最後に,東京から山形県,福島県,宮城県 へと疎開した.小学4年生になるまでに6回の転校を経験し て宮城県北部の山村に落ちついた.現在ほど勉強することを やかましく言われる時代ではなく,転校生も落ちこぼれるこ となく小学校,中学校を卒業することができた.野球ばかり していた中学生時代は,何か人間の生活に役立つ分野の研究 者になりたいという漫然とした将来の夢をもっていた.

東北大学農学部に入学して,最初の2年間は有機化学の井 上尚人東北大学名誉教授の研究室にて,放課後にガラス器具 の洗浄と先生のイソフラバノンの有機合成のお手伝いをしな がら,化学実験室での心構えと作法を学ばせていただいたこ とを今でも感謝している.農芸化学科に進学した後期は,志 村憲助東北大学名誉教授の教授室で,生化学の実験を先生か ら直接御指導いただいた.卒業後に澱粉の研究に入ってから も仙台に伺い,引き続き御指導をいただいた.

卒業してからのことは,本稿に詳しく述べてきたが,澱粉 科学の研究に集中できたのは52歳までの間のことである.

食品総合研究所食品工学部長のときに急遽,霞ヶ関の農林水 産省で農業研究全般を考える研究開発官に召集され,バイオ テクノロジー課長,農林水産技術会議事務局長などを務めた 後,国際農林水産業研究センター創設のために筑波に戻った ものの,再び食品総合研究所に戻ることはなかった.そし て,澱粉の研究は研究室の後継者のメンバー,共同研究を続 けている大学の研究者の方々と細々と現在も進めている.

澱粉研究,研究マネージメント,国際農業研究などに携 わった経験から,農林水産省退官後にアジア太平洋経済協力 

(APEC)  農 業 技 術 協 力 部 会 議 長,経 済 協 力 開 発 機 構 

(OECD) の新食品・飼料安全性タスクフォース副議長,世 界最大の農業研究組織である国際農業研究協議グループ 

(CGIAR) の7人から成る科学理事会理事,総合科学技術会 議基本政策専門調査会や農林水産技術会議の委員などの経験 をさせていただいた.これらすべてが自身にとってかけがえ のない貴重な経験であり,これも自らの研究生活の原点と なった酵素研究での苦悩,そしてその後の澱粉研究との出会 いがもたらしてくれたものと日々思う次第である.

「心如工画師」

本項の表題は「こころたくみなるがしのごとし」と読み,

長い間筆者のオフィスの壁にかけていた大型の色紙に書かれ

図20筆者の座右の銘「心如工画師」

国際農林水産業研究センターにて

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た文字である(図

20

.華厳経の百字心経の始まりの言葉 で,「画家が自然や万物を自由に描くように心もまた宇宙万 物を巧みに描く画家である」という意味とのことである.筆 者は澱粉科学の研究者として生涯実験室で仕事をするつもり でいたところ,50歳を過ぎてから農林水産省の研究行政に 参画することになり,自身の人生計画は大きく方向転換し た.研究現場と研究行政のギャップの大きさに悩んでいた時 期に,事情を知った知人が東大寺の学僧筒井寛秀師に書いて いただいた書である.添えられた師の手書きの手紙に「仏の 心は優れた画師のようにその置かれた状況に応じて何事にも 巧みに対応していくものである」という言葉が加えてあっ た.研究から研究行政と新しい環境で仕事をした時期,この 額を見ていると何故か心が平穏になると同時に挑戦する意欲 が湧いてきた座右の銘である.この言葉は新たな問題に直面 したときに,与えられた環境に身をおき柔軟かつ細心の計画 のもと「忍耐」と「努力」で突破口を見つけることの重要性 を示唆するものだと筆者なりに解釈している.

本稿の内容は部分的にすでに発表している部分があること をお断りしておく(47, 48)

謝辞:本稿にお名前を挙げさせていただきました先生方,同僚,研究仲 間の皆様,さらに基礎研究を工業化に結び付けてくださいました産業界 の方々に長い間の御支援,御交誼に心から御礼を申し上げます.また本 稿を執筆する機会を与えてくださいました前和文誌編集委員長 京都大 学 村田幸作教授に御礼を申し上げます.

文献

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114号 (2006.10) から第131号 (2008.3) まで連載(18回), 日本食糧新聞社.

穆   勝  宇(Shengyu Mu) <略 歴> 2004年天津医科大学卒業/ 2011年東京大 学大学院医学系研究科博士後期課程修了/

同年同大学医学部附属病院腎臓・内分泌内 科研究員,現在にいたる<研究テーマと抱 負>高血圧,心血管障害とエピジェネティ クスの関連を明らかにしたい<趣味>サッ カー

松永 俊朗(Toshiro Matsunaga) <略 歴>1982年東京大学大学院農学系研究科 農芸化学専攻修士課程修了/同年農林水産 省農業研究センター/ 1992年同省農業環 境技術研究所/ 1997年同省九州農業試験 場/ 2006年農業・食品産業技術総合研究 機構中央農業総合研究センター,現在にい

たる<研究テーマと抱負>植物のホウ素欠 乏の生化学診断法の開発,土壌の有機態窒 素の化学形態の解明

南  篤 志(Atsushi Minami) <略歴>

2002年東京工業大学理学部化学科卒業/

2004年同大学大学院理工学研究科化学専 攻修士課程修了/ 2007年同博士課程修 了/同年富山県立大学嘱託研究員/ 2008 年北海道大学大学院理学研究院助教,現在 にいたる<研究テーマと抱負>特異な化学 変換を触媒する二次代謝産物生合成酵素の 解析<趣味>野球,サッカー観戦 三間 穣治(Joji Mima) <略歴>1996 年京都大学農学部農芸化学科卒業/ 1998

年同大学大学院農学研究科農芸化学専攻修 士課程修了/ 2000年同研究科応用生命科 学専攻博士課程中退/同年同研究科応用生 命科学専攻助手(2003年農学博士)/2006

〜 2009年米国ダートマス大学医学部生化 学科博士研究員/ 2009年大阪大学蛋白質 研究所テニュアトラック准教授,現在にい たる<研究テーマと抱負>これまで蓄積し た生化学,蛋白質化学,膜蛋白質化学の バ ッ ク グ ラ ウ ン ド を 活 か し,今 後 も

完全再構成系を主力エンジンに、細 胞内膜交通(メンブレントラフィック)や オルガネラ膜動態の分野で独創的かつイン パクトのある研究を目指します<趣味>

サッカー,スキー,ハイキング

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