書 館 文 化学 と 生物
筆者は1956年から4年間,アミノ酸発酵の誕生から黎明期 に全力を傾注した後(1),1959年晩秋アメリカへ2度目の留学 を行い,シカゴ大で研究員として,ハーバード大ではフェ ローとして研鑽を積んだ.シカゴからボストンに移る数カ月 前に,“Cold Spring Harbor Symposium on Cellular Regula- tory Mechanisms” (June 4 〜12, 1961) への出席を招待され た.当時は分子生物学の草創期であり,遺伝子から始まっ て,転写,翻訳,その調節まで,当時の立役者が世界中から 集まって朝から晩まで,講演と討論の連続であったが,まだ 初期段階の研究が多かったせいか,最新の知識のほとんどな い若輩の筆者でもおおよそ理解できて,甚だエキサイティン グでたいへんなインパクトを受けた8日間であった.なかで も大腸菌の糖代謝に関する酵素合成の調節を解明し,オペロ ン説を提唱したJacobとMonodの講演は見事であった.筆 者をこのシンポジウムに招いてくれたUmbarger博士は,自 身の講演で筆者のオルニチン発酵生産におけるフィードバッ ク阻害による酵素反応の調節に関する研究を紹介してくれ た.ハーバード大では,抗生物質の作用機作に関する研究に 従事し,1年で 誌2報分(2) の実験を行って日 本に戻った.
1963年1月より理化学研究所,微生物研に勤務した.東大 の池田庸之助・教授が主任研究員を兼務されていたが,筆者 は全く自由に研究をさせていただいた.同室には,一本鎖 DNAを特異的に切断する Nuclease S1 を麹菌のタカジアス ターゼ標品より発見したばかりの安藤忠彦博士がおられた.
理研における8年間は,当時先端的研究の世界的潮流となり つつあった分子生物学の実験を含めた筆者の学習の時代で あった.その間書いた論文はわずか4報であったが,4報目 の 誌 の 論 文(3):“Isolation of arginine repressor in
” は,別刷請求が約千通くるほど反響があっ
た.その後ほとんど同時期に,性格の異なる4つの研究機関 からお誘いがあったが,名古屋大学農学部に決め,1971年 度から勤務した.
タンパク質生産菌の発見
新講座であったので,微生物学分野であれば研究テーマの
選択は自由にまかされた.一つは 誌に載った研究の 継続(タンパク質生合成の調節,遺伝子発現の調節)であ り,もう一つは微生物によるタンパク質の高効率分泌生産系 の構築であった.この2つは,別のテーマではなく,タンパ ク質生合成の調節機構の研究を基礎と応用の両面から行うも のであった.応用研究としてタンパク質の分泌生産を取り上 げたのは,麹菌や或種の細菌がでんぷんの糖化酵素やプロテ アーゼを大量に菌体外に分泌し,培養液中に蓄積することが 数十年も前から知られており,種々の酵素が広く活用されて いたからである.
一方,タンパク質のような大きな分子がどのような仕組み で細胞外に出てくるのか,当時は全く知られていなかった し,正面から取り組んでいた研究者はいなかった.それでも 細胞中の特定のタンパク質が効率良く排出(分泌)される機 構にたいへん興味をひかれ,多種多様な酵素タンパク質が容 易に大量に得られれば,基礎・応用を問わず生物・生命現象 の研究にも役立つし,タンパク質利用の産業にも貢献すると 考えたからである.
このような研究にどう取り組むかは,重要な問題だと考え た.基礎的研究を行う場合には,当時すでに生化学,遺伝学 的に膨大な情報が蓄積していた大腸菌,枯草菌を使用するの が常識になっていたが,筆者のアミノ酸発酵の研究の経験か ら,タンパク質を効率良く,大量に分泌生産する微生物,す なわちタンパク質生産菌が得られれば上記の目的を達成する のに,好都合であると考えた.そこで,まず図
1
のような簡 単で効率の良いスクリーニング法を考案し,なるべく多種類 のサンプルから分離した細菌類,約1,200株についてそれら のタンパク質生産性を調べた.その結果,土壌から分離した 5菌株が強酸によって,コロニーの周辺に大きな白濁を示 し,液体振とう培養で3 〜5 g/Lの菌体外生産を示した.分 離株の約3%は0.2 〜 1 g/Lのタンパク質を生産した.5株の 高生産菌の中のNo. 47菌をその後十数年,主な研究対象と した(4).タンパク質生産機構の解明
47菌の高効率タンパク質生産メカニズムを明らかにする
Brevibacillusによるタンパク質の分泌生産
鵜高重三
ために,どのような培養条件下で,どのタンパク質が作ら れ,分泌されるか検討した.本菌は酵母エキスや肉エキスを それぞれ加えていくと菌の生育は添加量に比例して増加する が,タンパク質生産量は少量にとどまった.一方,ポリペプ トン添加濃度にほぼ比例して生育も生産も増加した.グル コースとポリペプトンをそれぞれ1%とし,2種のアミノ酸 を主たる成分とする培養液で本菌を好気的に1.5日間培養し た結果,12 g/Lのタンパク質が生産された.この場合,培 養液に加えた主な炭素源と窒素源の約半分(重量当たり)が タンパク質として生産されたことになり,驚くべき効率で あった(5).
菌体外に大量に蓄積するタンパク質の分子量が約11万と 13万で比較的大きく,細菌類が分泌する酵素の多くは分子 量数万ないしそれ以下で,本菌の菌体外タンパク質はアミ ラーゼ,プロテアーゼ,ヌクレアーゼなどの活性を示さな かった.数年間悩んだ末,タンパク質を分泌している細胞の 表層に特異な構造体(メソソーム)があるという説を基に,
タンパク質を分泌している本菌の表層構造を調べるために細 胞の超薄切片を電子顕微鏡で観察した.はじめ,筆者自身が 切片を作り観察したときは,細胞表層の細かい構造ははっき りしなかったが,へこみ構造は数個見られた.ちょうどその 頃(1977年)着任した塚越規弘助教授(現 名誉教授)に相 談したところ,メソソームはartifactの可能性が高いとのこ とで,彼自身の経験からダブル固定法を選択,使用して得ら れた細胞表層の超薄切片断面像は非常に鮮明であった(6) (図
2
).表層は数層の構造体からなり,後の生化学的分析結果と 合わせると,一番外側に2層のタンパク質(外からOWP,その次がMWP),さらに内側は薄いペプチドグリカン層で あり,その内部が膜で包まれた細胞質になっていることがわ かった.このタンパク質層は Surface layer (S-layer) とも 呼ばれるもので,表層タンパク質が規則正しく並び結晶構造 を形成しているのが特徴であった.ほぼ同じころオーストリ アの U. B. Sleytr らによって,グラム陽性,陰性を問わず 種々の菌種に同様な構造が存在しうることが報告されてい た.本菌の増殖に伴う表層タンパク質層の変化をその超薄切 片の電顕像で追ったところ,対数増殖期には細胞壁タンパク 質層が存在するのに定常期になると消失すること,タンパク 質を分泌生産しない場合は定常期の細胞にもタンパク質層が 存在することなどから,細胞壁タンパク質が培養液中に蓄積 するのではないかと推定され,事実細胞壁タンパク質と主要 な菌体外タンパク質とが同一であることが,生化学的,免疫 学的分析によって確認された.これらの結果を総合すると,
本菌では対数増殖後期になると増殖に必須な成分の欠乏によ り,細胞壁タンパク質が細胞から培地中に離脱し始め定常期 には細胞壁を失った細胞となるが,この時期になっても細胞 壁タンパク質の分泌生産が続行し,培養液中に大量に蓄積す ることがわかった.このように塚越らによってなされた本菌 における細胞壁タンパク質の効率的合成(生産)と分泌の大 筋のメカニズムの解明は,本菌を宿主とするタンパク質の生 産システムの開発におけるブレイクスルーになった.
異種タンパク質の分泌生産システムの開発
タンパク質生産菌 によるタンパク質の高 効率生産機構がほぼ明らかになった1970年代後半から80年 代初頭,ちょうど組換えDNA技術が世界的に広がった.そ れは,基礎,応用を問わず,バイオ分野のまさに革命的技術 であり,本菌を用いるタンパク質の生産システム構築にも必 須であった.同研究室の山形秀夫助手(後に東京薬科大学教 図1■タンパク質生産菌のスクリーニング法
図2■ 47 の超薄切片像
対数増殖期の細胞の表層構造を示し,outer wall (OW), middle wall (MW) はタンパク質層,inner wall (IW) はペプチドグリカ ン層,CMは細胞質膜を示す.
授)が,ペンシルバニア大学の井上正順教授のもとで,2年 間組換え技術を利用して研究を行い帰国したところであった ので,山形の指導のもと,研究室の総力をあげて研究に取り 組んだので,苦労も多かったが順調に研究は進展した.
1. 宿主
タンパク質生産菌として47菌とその変異株(例えば47‒
5Q,菌体外プロテアーゼ活性のより低い変異株)を用いて いたが,1985年頃ヒゲタ醤油(株)から本研究に協力したい 旨の申し出があり,筆者が行った1,200株の探索では足りな いと思っていたので,より大規模の探索をお願いした.その 結果,自然界から分離したおよそ10万株より筆者の方法に より37株のタンパク質を大量に分泌する細菌が得られた.
37株のなか,31株は , 6株は と考えら れた.生産菌は に属すると思われ,その中の1株,
HPD31は47‒5Qと同程度の極めて低いプロテアーゼ活性を 示した. は土壌から分離されることが多いが,生 牛乳や乳製品からも分離される安全な細菌である.47菌と HPD31菌については,生菌,菌体外タンパク質を複数の経 路でマウスに投与しても異常は全く認められず,本菌は GRAS (Generally regarded as safe) と認定されている.
また, の分類については,ヒゲタ醤油の信太 治らが1990年から数年かけて駒形和男東京農業大学教授
(元 東大教授)の指導のもとに研究し,従来の のほとんどが新属: に入れられ,
(47など), (HPD31など), など,10 の 種 に 分 類 さ れ て い る(7).例 外 は,
ATCC 9999 で,ペプチド性抗生物質の生産菌として古くか ら知られているが,現在は 属になってい る.なお, 47のゲノム解析はNITEに よ っ て 行 わ れ,そ の 情 報 は http://www.bio.nite.go.jp/
dogan/Top で得られる.
2. 細胞表層タンパク質遺伝子とその5′ 側発現調節領域の クローニング
本菌の増殖中は,2種類の表層(細胞壁)タンパク質のみ をハイスピードで,大量に生成し,菌体外に分泌しているよ うに見られる.さらに定常期になっても,十分な養分があれ ば,長期間タンパク質の生産は維持される.このことから,
細胞壁タンパク質遺伝子とその5′ 側上流には強力な発現調 節領域が存在することが推定された.
塚越,山形,坪井昭夫(現 奈良県立医科大学教授)らは 細胞壁タンパク質遺伝子のクローニングとその全塩基配列決 定に挑戦し,1983年ごろたいへんな労力と時間を費やして 成功した.しかし,肝心の細胞壁タンパク質遺伝子の5′ 末 端上流領域のクローン化は大腸菌を宿主とする組換え系では 成功せず,枯草菌を宿主として初めて可能となった.本遺伝 子のプロモーターは5つ (P1 〜 P5) からなり,その領域は 大よそ350 bpに及び,それぞれのプロモーターは主に対数 増殖期で使われること,P2のように多くの細菌に見られる
塩基配列とは異なるユニークな配列を有し,対数増殖期から 静止期にわたって使われることが見いだされている.また,
枯草菌や大腸菌のコンセンサス配列とよく似たP1は における活性は非常に弱い.ユニークな配列を有する P2, P3 が比較的強い活性を示し,本菌の増殖の各時期,細 胞壁タンパク質の合成と分泌,それらの制御にも連動してい ると考えられる.このあたりの実験と考察は主に山形と安達 貴弘(現 東京医科歯科大准教授)によってなされた(8).タ ンパク質生産菌HPD31の表層タンパク質は1層からなり,
47菌は2層であるが,これらの菌は同じ属に分類される.し かし,異なる種の菌株であるにもかかわらず,後者の菌の細 胞壁タンパク質遺伝子とその上流にある転写,翻訳開始部位 の塩基配列とHPD31菌のそれと極めて高い相同性が認めら れた.また,OWPの欠損株が得られるのに,MWP, CWP の欠損変異株が得られないことはペプチドグリカン層に接触 している細胞壁タンパク質層の合成や分泌,その制御が細胞 にとって重要であることを示している.
3. 形質転換法
Tris-PEG 法:グラム陽性菌の形質転換には,細胞をプロ トプラスト化した後ポリエチレングリコール (PEG) で DNAを細胞内に導入する方法が広く用いられているが,
属細菌では,プロトプラストの桿状細胞への 再生ができないので使用できなかった.山形は本菌の表層構 造を考慮し,細胞をpH 8.5のトリス緩衝液に懸濁すること によってタンパク質層を除き,ベクター DNAを添加,PEG 処理によって高率の形質転換に成功した.タンパク質層を除 いた細胞はペプチドグリカン層に覆われているので,再生が 容易に起こったが,コンピテントセル (C.C.) の保存はでき なかった.
NTP法:ごく最近,ヒゲタ醤油の水上らによりTris‒PEG 法の大幅な改良が行われ,C.C. の保存が可能となり,転換 効率が >106/
μ
g DNAとなった.これとほぼ同等の転換効 率を示すエレクトロポレーション法と異なり,高価な機器を 要しないし,発現ベクターの構築に当たって,制限酵素処理 やライゲーション反応などの操作を省ける.2010年日本分 子生物学会,生化学会合同大会で発表された.4. ベクター
枯草菌ベクターとして汎用されているブドウ状球菌由来の 発現ベクター,pUB110(neomycinr 遺伝子を有し,多コ ピー)を に使用できたが,外来プラスミドの ゆえにneomycinなしには,安定して細胞に保持されない.
一方,数十株の の潜在プラスミドの有無につ いて調べたところ,2株に見いだされた. 481 に 2.3 kbase のプラスミドを見いだし,それにエリスロマイシ ン耐性遺伝子を連結して,pHY481を作成した.このベク ターは薬剤による選択圧なしに50世代以上安定に保持され,
本ベクターの細胞当たりのコピー数は2, 3と少なかった.も う1株から得られた潜在プラスミド,pHT926はDNAサイ
ズが1.5 kbaseと小さく,コピー数は約80, 宿主菌に非常に安 定に保持される(9).
また,大腸菌と 菌の両細胞で複製される便 利なシャトルベクターが開発されている.
5. タンパク質の分泌生産効率の向上
前述したように, を宿主として用い,この菌 の有する強力なプロモーター活性,タンパク質を高効率で分 泌生産する能力を発揮させれば,細胞壁タンパク質がこれま で記録されたことのないほどの高い効率で,分泌生産され る.しかし,本生産系のポテンシャルをフルに活用するに は,いくつかの問題があることも明らかになった.
1) 本生産系は分泌性タンパク質の効率的あるいは大量生 産を目標として開発したので,本来細胞内のタンパク質の生 産には適さない.しかし,ベクターからシグナルペプチドを 除けば,タンパク質を細胞内に大量に生産できる.しかも,
作られたタンパク質は可溶性で,大腸菌のように不溶性の inclusion body にならないらしい.
2) HPD31のプロテアーゼは微弱で,活性の測定が難し いが,ヒトの成長ホルモンを分解する.このプロテアーゼを 変異で破壊した31‒OK株は,非常に分解されやすいタンパ ク質を本系で分泌生産する場合に有用である(10).
3) 細菌からヒトまで種々のタンパク質の分泌生産を試み た結果,その分泌効率は多くの場合分泌性タンパク質のアミ ノ末端に組み込まれたシグナルペプチドの構造によって大き な影響を受けることがわかった.そこでシグナルペプチドの コア部位にある疎水性アミノ酸からなる
α
-へリックスを形 成する領域のアミノ酸配列を種々改変して検討した.細胞壁 タンパク質のシグナルペプチドの疎水領域にへリックスを形 成しやすいロイシン残基 (L) を一つずつ増加したところ,5 残基付近に分泌のピークが認められ,タンパク質の分泌量が 数倍増加した.またシグナルペプチドのN末端付近に塩基 性アミノ酸に富んだ領域があるが,アルギニン残基 (R) を さらに増やすと生産量が増加する場合があった.たとえば,MKKRR……LLLLL…で約10倍増加した(11).
4) 分泌されるタンパク質(すなわち,細胞外に生産され るタンパク質)のN末端から20 〜30残基のアミノ酸配列は 分泌効率に大きな影響を与えうることが知られており,N末 端のアミノ酸配列を変えることによって,20倍,さらに培 養条件の改良で約100倍へと,生産量が向上した例があ る(12).
組換えタンパク質の分泌生産
細菌由来の
α
-アミラーゼなどの遺伝子を本発現分泌系の シグナルペプチド配列の切断箇所につなげると予想どおり,2, 3日の好気培養で1 〜数g/Lの生産を示した.そして,ヒ ト由来の遺伝子の発現を初めて試みたのは,ヒトサイトカイ ンのEGF(上皮増殖因子で53アミノ酸からなり,3つのジ
スルフィド結合を有する)の生産を武田薬品の垣沼淳司バイ オテクノロジー研究所長らと協同研究として行った.通常の 培養条件の検討によって,約240 mg/LのEGF生産に成功し た(13).当時としては,ヒトタンパク質の高効率生産として
評価され 誌( 誌)に発表
した.その5年後には, 由来のコピー数が少な い非常に安定なプラスミド:pHY481を用いて,約1 g/Lの EGFの生産が得られ,さらに数年後には,別の安定なプラ スミドを使用してヒゲタの宮内らによって工業化され,
1.5 g/Lの生産で比較的シンプルな精製法で95%以上の純度 のEGF生産を達成した.われわれの研究が 誌に発表 されるや世界中から多数の本系送付の要求があった.その中 でオーストラリアのCSIRO国立研究所から精製した EGF 1 g の要求があったが,大学内でそれを用意することは困難 で,ヒゲタ,武田,筆者らの3者で相談した結果,ヒゲタが EGFを大量生産し,ヒツジの採毛薬として輸出することに なった.1994年,世界で最も広く読まれている実験書であ
る 誌で本系について,どのように優
れた特徴をもっているか詳しく説明したところ(14),その後 数年間,国内外から本系の請求が続き,200通以上になっ た.2006年に,ヒゲタは本・発現分泌系をキット化してタ カラバイオ(株)を通じて,国内で発売し,2010年には世界 中に販売を拡大した.
EGFの次に取り上げたのは,名古屋市立大薬学部の池澤 宏郎教授との共同研究による のsphingomyelinase と のphosphatidylinositol-specific phospho- lipase C(15) の分泌生産で,原株による生産量に比べて,そ れぞれの酵素遺伝子の組換え株による生産量は500倍と 2,000倍になった.すべて菌体外に生産されたタンパク質は 容易に精製されて高純度の酵素として,薬品の製造や生体成 分の生化学的機能の解析に広く用いられて,研究者に喜ばれ ていると言う.また,同大学の医学部細菌学の杤久保邦夫教 授らはコレラトキシンB subunitの遺伝子を用い,本系によ る効率的生産に成功し,このsubunitに毒性は全くなく,粘 膜投与で強いアジュバント活性を有することが破傷風トキソ イドワクチンを用いて明らかにされた.そのほか,多数の関 連研究は免疫学へ多大な貢献をしたばかりでなく,将来のよ り優れたワクチン創成に役立つであろう(16~18).
そのほか,Interleukine-2 (IL-2), IL-6, h-Growth hormone, tuna-Growth hormone(11), Erythropoietin と そ の receptor, Fab′ 抗体などの生産が大学で研究され,成功している.ヒ ゲタやそのベンチャーでも,種々のタンパク質の発現・分泌 の試行を受注しているが,その内容は企業秘密で明らかにさ れていない.一方,本系を利用して,工業的規模で大量生産 されているタンパク質は非常に少ないが,小規模生産は増え る傾向があると言う.
おわりに
1971年からタンパク質生産菌のスクリーニングを始めて 40年,長いようでもあり,短くも感じる.最も,40年の前 半22年が筆者の現役時代でタンパク質生産の開発の大半は われわれが大学で行ったと考えている.特に1980年代から 90年代の半ばにかけて,当時の教室員が一丸となってブレ ビス ( ) に向かって研究を行った印象が蘇る.
本研究の目的は,種々のタンパク質の高効率生産を可能とす ることと,生体高分子のタンパク質が分泌されるメカニズム に興味をもって研究をスタートしたのであるが,実際には後 者の問題でジスルフィド結合にかかわる酵素について検討 し,少数の論文を出すのみで終わった(19〜22).奈良先端科学 技術大の門倉 広の指摘もあるように(23),分泌性タンパク 質の膜透過はこれまで考えられているよりはるかに複雑な過 程を経るようである.
筆者がこれまでに経験したことから考えると,本系の利用 は主として2つある.一つは分子量も余り大きくなく,糖鎖 などの修飾もない,比較的単純なタンパク質や酵素などは本 系で菌体外に,正しく折りたたまれた生物活性を有する分子 として効率よく分泌生産できるので,その分離・精製も容易 で,純度の高いタンパク質として,そのままアカデミックな 基礎研究(たとえば,種々のタンパク質の構造と機能の解明 や生体内のタンパク質間の相互作用の研究)に広く役立つと 思われる.また,真正細菌(特に本系の宿主,
に分類上近い種類の細菌)の遺伝子を発現分泌させることは 容易である.このことは応用研究(たとえば,バイオマスの 効率的分解に利用する酵素は安価で大量生産できることが重 要かつ必須である.)でも広く有用であることを示している と考えられる.
もう一つは,本系で医薬用のタンパク質を遺伝子から発 現・分泌生産させるのは,難しいことが多い.近年の研究を 見ると,真核生物,酵母のタンパク質合成過程や分泌の仕組 みともに,細菌などに比べずっと,複雑かつ,精緻なメカニ ズムを有することがわかってきている.それでは,ヒトのタ ンパク質はすべて本系で効率的生産はできないかと言うと,
そうではない.前述のように大量生産が可能なEGFは大き な前駆体からプロセスされてできる小さいタンパク質ゆえと 考えられるが,真偽のほどは不明.小さいタンパク質でも,
生産効率が非常に低い場合がある.
こうして,タンパク質の分泌生産の研究には,解決しなけ ればならない問題がたくさんあるのが実情である.しかし,
悲観することはない.クロスワード・パズルを楽しむつもり で実験にねばり強く取り組めば,目標のタンパク質生産に成 功する確率は高いと筆者は信じている.
1995年,筆者はタヒチ島で開催された,パスツール没後
100年記念国際シンポジウムに招待され,本エッセイと類似 の表題で講演した.その偉大な業績で人類の恩人ともいえる パスツールを記念した国際的会合で講演した栄誉もさること ながら,美しい環礁に囲まれたゴーギャンゆかりの島に滞在 した7日間は忘れ難い思い出になった.
謝辞:過去40年,名古屋大学農学部の筆者の研究室に在室した諸氏はも ちろんのこと,非常に多くの方々に,いろいろな方面からさまざまなご 援助や励ましをいただきました.心から感謝し,厚く御礼を申し上げま す.
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