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化学と生物 Vol. 54, No. 11, 2016
有機化学演習III
̶大学院入試問題を中心に̶
豊田真司 著
A5判,248頁,本体価格3,100円,東京化学同人
私の研究室の本棚には,学生時代に購入し40年近く 経った今もしばしば利用している書籍が何冊か並んでい る.そのなかに,紙はかなり茶色に変色し,随所に赤色の 下線や鉛筆の文字が書き込まれた一冊がある.「有機化学 演習̶大学院入試問題を中心に̶」(湊 宏著,第1版第1 刷1978年4月1日発行)である.この年,大学4年生で あった私は直ちにこの本を購入して勉強し,大学院入試に 備えたのであった.その後,幸いにも有機化学の研究者の 道を歩むことができ,大学に職を得てからも,常にこの本 は私の傍らにあった.この本から何度となく,講義の定期 試験や大学院入試,あるいは種々の資格試験などの作題の ためのヒントをもらった.カバーが擦り切れたこの本を手 にして思うことは,大学院入試の頃,私なりに精一杯勉強 して得た基礎的な知識や経験がその後の研究・教育の基盤 になって,現在の私があるということである.
その後,「有機化学演習̶大学院入試問題を中心に̶」
は1995年にII巻が出版され,このたびIII巻が刊行され た.前巻が出版されてから20年余,まさに大学院を目指 す諸君にとって待望の書である.しかし,本書は決して,
新しい問題を収録することによって前巻の不足を補っただ けのものではない.前二巻と比較すると,以下に述べる特 徴によって,本書はとても親しみやすい演習書になってい ることがわかる.第一に,前二巻は各章の最初にその章の 基本事項が記載されていたが,本書ではそれを廃し, 問 題を解きながら学ぶ という方針を明確にしたことであ る.総合問題を除く各章はすべて,「例題」,「解答」,「解 説」とそれに続く「演習問題」の形式になっており,たい
へん学びやすい構成になっている.第二に,各章に掲げら れた例題も基本的に大学院入試問題であり,それを解くこ とによって,その章の基本事項が確認できるような工夫が なされていることである.前二巻では,著者が作成した つぎの反応の機構と生成物を示せ といった形式の問題 が,例題として十数題も羅列された章も少なくなかった.
私が学生の頃は,有機化学ではできるだけ多くの問題をこ なし,多数の反応を記憶すべしといった風潮があったよう に思う.しかし,有機化学の基礎知識としては単に多くの 反応を知っているよりも,重要な反応について,なぜその 反応が起こるのかを説明できることのほうがよほど大切で あろう.第三の特徴は,問題の解答が非常に丁寧に書かれ ていることである.これは本シリーズの特徴でもあるが,
本書は特に,巻矢印を用いた反応機構や共鳴構造式が 手 を抜かずに 詳しく表記されている.これは初学者にとっ て,たいへんありがたいことである.
これらの特徴から,有機化学の基本事項を確認するた めに一冊の演習書を必要とする諸君には,私は迷わず本書 を薦めたい.本書は大学院の受験準備のために利用できる ことはもちろんのこと,化合物を中心に章が設けられてい るため,学部学生が講義で学んだ知識を確認するためにも 使うことができる.何十年か後に,どこかである大学教員 が,本書によって有機化学の基礎を学んだことを懐かしく 思う光景がきっとあるに違いない.
(村田 滋,東京大学大学院総合文化研究科)
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