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東京農工大学農学部農芸化学科での遠藤 章さん - J-Stage

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228 化学と生物 Vol. 56, No. 3, 2018

東京農工大学農学部農芸化学科での遠藤 章さん

石原 邦

東京農工大学名誉教授 遠藤さんの専門は農芸化学で,土壌中の菌類からコレ

ステロールの形成を抑制する物質を取り出す研究をされ ている研究者という紹介が教授会でされたのを覚えてい るくらいで,農学部農学科を卒業し,水稲の体内水分と 光合成の生理生態について,主として野外で実験研究を してきた私には,あまり関心がありませんでした.た だ,昭和54年1月に農学部に赴任され,新年宴会の席 で,楽しそうに歌をうたっておられたことだけは,不思 議に心に残っています.

赴任されて2年くらい経った春だと思いましたが,遠 藤さんの研究室の秘書のような役目をされている,いつ もニコニコしていて,よく気の付く,学内で顔の広い竹 田美智子さんが,私の研究室に来られ,「遠藤先生を訪 ねる農学部の先生が非常に少なくなり,先生はいつも本 を読んだり,原稿を書いたり,仕事ばかりしているの で,時間のあるときに,遠藤先生の研究室に行って,雑 談をしたり,四方山話をしたりしてもらえませんか」と いわれました.最初,びっくりしましたが,すぐ竹田さ んの意図している意味が分かりましたので,その後,月 1回か2回ブラッと遠藤さんの研究室を訪ねたりしまし た.多分,最初の2, 3年は研究について話をしたこと は,ほとんどありませんでした.

東京都府中市にある東京農工大学農学部の構内には十 数ヘクタールの非常に広い農場があり,春は桜の花見祭 り,秋には農業の収穫感謝祭が農学部付属農場主催で毎 年開催されていました.この春,秋のお祭りには,農学 部関係者が無礼講で参加できますので,竹田さんや私の 友人たちが集まって,遠藤先生を囲んで,ビールや酒を 飲みながら,賑やかに大声で話したり,時には寮歌を 歌って,短い時間大騒ぎしたことは,日頃のストレス解 消には非常に効果的であったように思います.

日本の農業教育や研究は,クラーク博士が校長の札幌 農学校と東京の上目黒駒場野に明治10年に設立された 駒場農学校で始まりました.その後の駒場農学校の変遷 の過程を簡単に追ってみると,明治23年に東京農林学 校(本科)は文部省に所管が変わり,東京帝国大学農科

大学に改称され,農科大学にあった乙科は,学生の農場 実習の改善向上に努める実科と変更されました.この状 態が長く続きますが,大正8年実科を廃止する声があが り,卒業生,学生を含む駒場校友会の会員が母校独立運 動を13年間展開した結果,実科を廃止する代わりに,

すでに当時主要な県に設立されていた高等農林学校と同 格の東京高等農林学校が昭和10年に府中市に設置され ることになりました.この農林学校が母体となって,戦 後の昭和24年5月31日国立学校設置法により現在の東 京農工大学農学部が発足し,農学教育,研究を正式に実 施することになりました.

しかし,大学教育研究の整備などは,東大,京大など のいわゆる旧制大学で先んじて行われたので,新制大学 の農工大では,建物の建設が始まったのが昭和40年頃 からで,施設,組織の整備,教官などの補充は,多分遠 藤さんが赴任される頃まで続いていて,農学部や各学科 内では混乱状態が多少残っているところもあったのでは ないかと思います.

遠藤さんが平成18年に執筆,出版された「自然から の贈り物̶史上最大の新農薬誕生」,「新薬スタチンの発 見̶コレステロールに挑む」をみると,研究の大半は,

農工大学に就任される前の職場で実施され,成果をあげ られたことはよく理解できましたが,遠藤さんがその後 に書かれた,小論文,資料,パンフレットなどを拝見す ると,農学部に来られて以後も,特許,薬品の毒性・効 果の問題,さらに薬品会社・マスコミなどとの関係な ど,研究者としての能力,素質が問われる厳しい案件が 多くあり,研究機関としての歴史,伝統などが直接的,

間接的に影響し,問題になることがしばしばあることも 知りました.さらに,農工大学の18年間に64件の特許 を出願し,商業化に成功した事例が8つもあることをお 聞きし,研究を続けながら,学生の教育研究に対しても 貢献・尽力されて来られたこともよく分かりました.

遠藤さんが多くの研究学術賞を授与されていること は,よく知られていますが,最初に授与された西ドイツ の国際賞,ハインリヒ・ウイーランド受賞記念祝賀会が

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昭和62年に東京で開催されたときには,大学の参列職 員は,学長,農学部長,農学部事務長のほか,教授,助 教授併せても10人程度でびっくりしました.その後,

広く新聞,テレビなどに紹介され,平成18年4月に国立 劇場で天皇,皇后両陛下ご臨席の下で,非常に盛大に開 催された日本国際賞の授与式では会場が満員になり,遠 藤さんの業績が学内の学生,卒業生,同窓生はじめ,東 京農工大学関係者に広く知られるようになったと思いま す.

このように有名な国際賞を非常にたくさん受賞された 遠藤さんに研究について伺ってみると,自分の専門だけ でなく,医学,化学,生物学など,非常に幅広く,しか もそれぞれの学問の進化,発展過程について深く詳細に 関心をもち,論理的に理解されるように常に努力されて おられ,その姿勢に非常に感動,敬服いたしました.こ のようにたくさんの研究学術賞などを授与されたのは,

言うまでもなく,日頃のご研鑽・ご努力の賜物であり,

今回のガードナー国際賞の受賞を含め,心から賞賛とお 祝いを申し上げます.

すでにご説明しましたように,農工大学農学部で教育 研究する農学は,農業という特殊な産業の実学,すなわ ち現象の変化に重きを置き,経験,慣習などを通じて,

技能,技術を探求し,法則性を追求する特殊性をもって いて,研究方法論は物理学・化学・薬学・基礎医学とは かなり異なります.このような環境の中で,理解できな いこと,科学的考え方の大きな相違に耐えながら,20 年近くにわたり教育研究に努められ,立派な業績を上げ て来られました.この間,戸惑いや苦労も多く,お疲 れ,あるいは苦痛を感じられたことも少なくなかったと 思います.最後に,長い間,本当にご苦労様でしたと,

ご慰労申し上げたいと思います.

遠藤さんが書かれた「スタチンと歩んだ50年」の最 後に,「自然を師とし,現場から学ぶ」とあります.私 も好きな言葉を書かせていただきます.「稲のことは稲 にきけ,農業のことは農民に聞け」(横井時敬),「科 学・技術には国境はないが,科学者・技術者には祖国が ある」(パスツール一部改変).

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プロフィール

石 原  邦(Kuni ISHIHARA)

<略歴>1957年東京大学農学部農学科卒 業/大学院生物系研究科修士課程,同博士 課程修了/1962年東京大学農学部農学科 助手/1966年東京農工大学農学部農学科 助教授/1980年同大学農学部教授/1997 年同名誉教授/同年宇都宮大学農学部生物 生産学科教授/1999‒2004年東京農業大学 国際食糧情報学部国際農業開発学科嘱託教 授<研究テーマと抱負>1981年日本作物 学会賞「水稲葉身における気孔の開閉とそ の光合成に及ぼす影響について」,1994年 日本農学賞及び読売農学賞「水稲の光合 成,物質生産に対する根の役割と多収性品 種の生理生態的特性に関する研究」

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