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化学と生物 Vol. 52, No. 4, 2014
巻頭言
Top Column研究の潮流と個人の研究
原 博
北海道大学大学院農学研究院Top Column
栄養化学という農芸化学の分野で研究し ている.私が所属している北海道大学の研 究室名は食品栄養学で,100年以上受け継 がれた名前であるが,研究対象としての食 品そのものを強く意識できる良い名前だ と,少し前の先輩教授から聞いた.農芸化 学へは,生物を利用して何かしたいという 漠然とした理由と,いろいろ入り交じって いておもしろそうな感じがして入ったが,
環境・食糧・健康の諸問題を解決する分野 が,実学指向で集まった研究領域である,
と学科長をやらされたとき気づいた.
数十年前学生だった頃の専攻分野では,
食事組成を変えて実験動物に食べさせ,血 液や肝臓中のコレステロールなどの成分が 上がった,下がったという現象のみを見て いる研究が多かった.そのなかで,大学院 で最初に手がけた,特定のアミノ酸がいろ いろなアミノ酸代謝の酵素量を一斉に制御 するという出身大学での研究は,栄養素は 代謝制御のシグナル分子であるという,今 はよく知られた事実を先取りしたものだっ た.この観点は,現在の研究室に入り参画 させていただいた,難消化性糖や食品ペプ チド研究の方向性を決めてきたように思 う.食品ペプチドが,消化管内分泌細胞に 対して管腔側から直接作用すると確信した ときには,かなり興奮したのを覚えてい る.今は,これらの研究とともに,脂質や フラボノイド研究にも興味が赴くまま入っ てしまったが,これらの吸収や調節分子と しての作用は,いまだ知られていない秘密 がいっぱいあることがわかり,深いトラッ プに引きずり込まれてる.
科学は客観性とロジックであり,この面 では研究者個人のなかでも成り立つが,一 方で,上で述べたような根底に流れる研究 の指向は,個人を超えてその学問,という
より学派とでも言うべきところに流れてい ることを感じる.また,ある実験を行う場 合,その組み立て方は一定の決まりはある が,その実験者の考え方が大きく影響する し,データの見方も個人によって異なる.
真実は一つと言いつつ,データの裏に隠れ ている真実をあぶり出すには,論理性はも ちろんであるが,個人のアートに近い感性 が必要である.栄養化学では個体現象を常 に念頭に置くため,要素が多く複雑であ る.データを見てその裏にある機構を見抜 く,アーティスティックなセンスが養われ るのは若いときであろう.先輩たちのもっ ているもの,研究室に流れているものを感 じとって,その上に独自性を付加していく ことが必要である.
あと一つ,研究を行っていて強く思った ことがある.私は,小動物の外科手術やカ ニュレーション技術を多く手がけてきた.
方法は,みんなで共有することも重要であ り,既存の方法を必要に応じて使えばいい と思っている方も多いと思うが,独自の方 法をもつことは,考え方や思考が広がると いう面もある.必要性が新しい方法を生む という面もあるが,独自の方法から新しい 発想が生まれることもある.論文を読みま くって,今の研究の現状を知ったり,方法 を得たりするのも重要だが,反面独自の発 想を失うこともある.とにかく一度やって みると,予想した結果や希望した結果が外 れることが多い.しかし,不思議な結果や 予想しない結果が得られたとき,宝の山の 端に触れているかもしれない.論文を読み まくって,その隙間をつつくよりははるか におもしろいと思う.
とりとめもなく思い浮かんだことを書い てしまったが,農芸化学を目指す若い方に 何か参考になることがあれば幸いである.