トップランナーに聞く
◆ 小学生から研究者? ◆
̶̶ こういう道(研究職)に入ったきっかけはありま すか?
阿部 子どもの頃から,いわゆる生き物が好きで,いろ いろな生き物を飼っていました.モンシロチョウの幼虫 から始まって,オタマジャクシ,メダカ,カニとか,カ ミキリムシ,カマキリ,コオロギ,スズムシや,変わっ たところではミジンコ,ウミウシやアリジゴクなどを 飼っていました.皆さんが普段飼わないだろうなという ものまで飼いましたね.
̶̶ 小学生の頃ですか?
阿部 そうですね.生物が好きで,川に行っては捕ま え,遠足で三浦海岸などへ行くとヤドカリやウミウシを 捕まえ,家にもって帰ってきていました.生まれは横浜 なのですが,小学校から高校まではずっと東京でしたの で,遠足で三浦海岸,高尾山,鎌倉に行ったときは必ず 捕まえていました.今思えば,母親はさぞ嫌だったろう なと思いますが,許してくれていたので,とても良かっ たと感謝しています.
̶̶ 世話はご自分でされていたのですか?
阿部 そうですね.この生き物には何をやればいいんだ ろうかとかそれぞれ調べましたね.ウミウシをもって
帰ってきたときには,どうやって海水をつくればいいん だろうか,塩分濃度はどのくらいか,ほかに何を入れれ ばよいのだろうか,温度はどうすればいいのだろうかと かですね.また,水道水だと塩素が入っているので,1 日置いてカルキ飛ばしをするなど,そのときに覚えまし たね.
̶̶ 生物が好きだったのですね.
阿部 子どもの頃から,生き物が好きで,理科も好きで
聞き手
竹中麻子
明治大学農学部
松藤 寛
日本大学生物資源科学部森永乳業株式会社 食品基盤研究所所長 阿部文明 氏
「 お い し い を デ ザ イ ン す る」 を コ ン セ プ ト に,夢 の あ る 新たな商品作りと将来に向けた技術革新を行っている森永乳 業株式会社.神奈川県座間市にあるきれいな研究・情報セン ターにて,ご自身の研究開発に対するこれまでの姿勢から若 手 研 究 者 や 研 究 教 育 に 携 わ る 者 へ の メ ッ セ ー ジ ま で,熱 く 語っていただきました.
した.高校(小山台高校)の生物学の先生がとてもユ ニークな先生で,最初の授業のときに,わら半紙を配っ て,そこに一つの細胞の絵を描かせるんですね.そして この細胞が生きるためには何が必要なのか? そこに は,当然,核があって,DNAがあって,ミトコンドリ アがあって,小胞体があって,核小体があってというよ うなことを描いていくのですが,そのときにその細胞が 生きるために栄養素がどのように入って,どのように出 ていくのか,また代謝はどのように行われているのか,
ということを考えさせる授業をしてくれました.そこ で,細胞というのはなぜこんなに不思議なんだろう,生 物をやりたい,細胞をもっと見てみたいと一気に興味を もつようになりました.
そのうち,一つの細胞が生きるためには何が必要か,
多細胞のときにはどうなのかなども非常に面白くなっ て,それしか勉強しませんでした.そのため,ほかの成 績は悪かったんですけど(笑).
̶̶ いい先生にめぐり遇われましたね.
阿部 私としては一つの大きな分岐点でしたね.その頃 は,農芸化学というところは全然頭になく,ただ生物学 を勉強したい,理学部生物へ行きたいと思っていまし た.しかし,その生物の先生が,「お前のやろうとして いることは,大学から社会に出たときに応用があまり利 かないんじゃないか.大学や高校の先生になるとかそう いう場合ならいいけど,研究者みたいなことをやりたい なら,農芸化学という分野があるぞ」と教えてくれまし た.それで,農芸化学の大学を調べ,そっちへ行ったん ですね.その先生がいらっしゃらなければ,全く違う分 野に行っていたでしょうね.
またちょうどその頃,バイオテクノロジーという言葉 が流行っていて,大腸菌の遺伝子組換えなどを見て,も うバクテリアをやりたいっていうのがありましたね.も ともと小学生の頃から,将来何になるのかっていうの は,必ず「研究者」って書いていたのもありますけど
(笑).ただ,まだ遺伝子組換え技術もできていない頃 で,バクテリアをやりたい,微生物学の研究室があると ころがいいということで,いろいろ大学を調べました ね.
◆ 大学での研究生活 ◆
̶̶ 今でこそインターネットやオープンキャンパスが ありますけど.当時はどのようにしたのですか?
阿部 あの頃は大学のガイドブックみたいなものがあ り,各学部にどのような学科があり,どのような研究室 があるかっていうのが1行記載で書いてありましたね.
そこで,応用微生物学研究室があった茨城大学へ進学し ました.親戚も多く,縁があったものですから.親元を 離れたいという思いもですね.ただ,応用微生物学を やっているというだけで,何をやっているのかというの はわかっていませんでしたが….
1年生の頃は一般教養で,2・3年生のときは専門科目 の勉強でしたね.3年生の後半で研究室を選ぶというと ころで,私は迷わず応用微生物学研究室でした.その 頃,応用微生物の研究室は2つあり,一つは土壌細菌と か窒素固定菌を対象にしている研究室.もう一つは遺伝 子組換えに取り組んでいる研究室でした.当時は,技術 がまだ発達していなかったので,遺伝子が入るのかどう かみたいな感じでしたが,迷わずそちらの研究室を選び ました.
そこで,白井 誠先生とお会いしました.当時はまだ 助手でしたが,ものすごく厳しく,ものすごく熱心な研 究者で,いつも夜中の2時ぐらいまでいらっしゃるよう な先生でした.その先生より早く帰れないので,毎晩2 時ぐらいまで研究していましたよ.翌朝9時に来いと言 われるんですけど,なかなか来られなくて,寝坊してよ く怒られましたね(笑).あの頃は,夏休みも冬休みもほ とんどなくて,ずっとこもりっきりでした.一応,日曜 日は休みでしたが,やっぱり微生物を扱っていると,毎 日の世話をしないと翌日の月曜日からの実験ができませ んから,なんだかんだでずっと研究室に来ていました ね.そういう意味では,修士2年までの3年間は,今の 研究者としての原点であり,いろいろなことを教わりま した.特に研究者として必要なことを厳しく指導され て,本当にそこは良かったと思っています.今みたいに ワークライフバランスなんてなかった時代ですからね.
先生は,もちろん夜中までやれとは言わないですけど,
何となく背中がそう物語っているんですよね(笑).です から,大学の先生方にいつもお願いしているのは,「厳 しく鍛えてください」「そこで甘やかすと本人のために なりませんよ」って言っています.
◆ 森永乳業へ入社 ◆
̶̶ 大学院修士のあと,社会に出よう,もしくは博士 課程に進学しようという分岐はありましたか?
阿部 博士課程に行こうという気は全然なく,社会に出 たい,微生物を活かした研究者になりたいと思い,会社 を探しました.農芸化学学会で毎年発表していて,合計 3回発表したのですが,そのときほかの企業さんが発表 しているのを見て,企業がどのような研究をしているか おおむね理解していました.微生物ということで,酒や
醤油などもあったのですが,乳業のヨーグルトは健康と いう点でヒトとのインターラクションがあるので面白そ うだと思い,電話して,「こういうことをやっていて,
御社に入りたいのですが,どうすればいいですか」と何 社か連絡しましたね.当時はバイオテクノロジーが流 行っていたのでいろいろな会社が取り組んでおり,いく つかの製粉会社や化学系の会社も受けていいところまで 行っていたのですが,真っ先に決まったうちの会社,森 永乳業に決めました.当時の研究所は目黒にあったので すが,面接した日に研究所を見学させてもらい,説明を 受けた印象がとても良く,この研究所で働かせていただ けるのであればということで,入社を決めました.
̶̶ 最初から,研究所勤務ですか?
阿部 最初は工場でしたね.それも北海道の中頓別工場 でした.もう今はない工場ですが,最北端の地で,宗谷 岬から60キロぐらい南に行ったところです.内陸です から,ブリザードが吹き荒れるようなところでした.冬 になると,地吹雪で道路が閉鎖されちゃうんですよ.最 初赴任したときは,もうどうなることやらでしたね.旭 川駅から,今はない天北線という鉄道に乗って北へ向か うのですが,途中から駅についても森しかなく家が全く なくなるんですね.中頓別町は,ゴールドラッシュで明 治時代に栄えて,それ以降は林業・酪農の町になったの ですが.東京港区ぐらいの広さに,当時で人口3,000人,
牛6,000頭,そして信号が1個か2個しかないような,そ んなところでした(笑).
̶̶ 何年ほどそちらに?
阿部 最初の2カ月間の研修を終えて,6月に赴任して1 月中旬に帰ってきましたから,9カ月くらいですね.
やっぱり現場のあの工場を経験させてもらったというの は,今となれば良かったのですが,当時はどうなるかっ て不安でしたね(笑).今でもそうですが,最初は工場に 行って,そこから研究所に戻ってくるというパターンが 多いですね.ただ,それは約束ではなく,本人たちにも 言っているわけではないので,いつ戻ってくるかはわか らないですね.1年かもしれないし,3年かもしれない し.
̶̶ 北海道の工場では何をされていたのですか?
阿部 原料工場だったので,脱脂粉乳を作ったり,バ ターを作ったり,また牛乳を集めたり,受け入れ作業,
積み上げての保管作業など,小さい工場だったので,原 料工場のあらゆる業務をやっていましたね.そういう意 味では,工場全体の仕事が覚えられたので,そこは私に とっては良かったですね.
̶̶ その後はどちらへ配置換えされたのですか?
阿部 当時目黒にあった栄養科学研究所でした.微生物 研究室へ配属になったので,私にとって非常に良かった です.今でもそうですけど,大学で専攻したことと関係 する研究室へ行けるかというと必ずしもそうではないの で.もちろん,大学の研究室でやっていたことが,会社 で役立つかどうかって,また別問題ですから.たまたま そこの研究室に人が欲しいということだったのですが,
私の場合は非常にラッキーでした.
̶̶ 微生物研究室では具体的にはどのようなことをさ れたのですか?
阿部 その微生物研究室では,ビフィズス菌・乳酸菌の 研究をしている研究室でしたので,最初は,ビフィズス 菌の酸素感受性に関する研究をやらせていただきまし た.ビフィズス菌は偏性嫌気性菌でありながら,酸素が あっても,たとえばその辺の試験管の中でも生育できる んですね.振っちゃうとだめですけど.工場で工業的に ビフィズス菌を培養するとき,酸素の影響はすごく大き いので,酸素感受性機構の解明というテーマをいただき ました.今ではなかなかないかもしれませんが,その テーマだけをやれと言われたので,ビフィズス菌自身の 性質をよく理解するうえで非常に良かったですね.なぜ ビフィズス菌は酸素を代謝するのか,その機構は何か,
どのような因子を与えると酸素耐性が高まるのかという ようなことをしていました.今,工場でいろいろ生産し ていますが,酸素の問題は重要です.たとえば工場を設 計する場合とか,タンクを設計する場合,培養条件を考 えるときなどには,そのような基礎研究の成果というの がすごく役に立ちますね.最初から,開発みたいなこと をしていると,そういうことは考えられなかったのかな と思います.基礎研究をやらせてもらえたおかげで,論 文を書いて,学会で発表してと,2〜3年間は集中して やらせていただきました.
◆ 永く貢献できる素材や技術を見つける基礎研究 ◆
̶̶ 基礎研究はレアなケースになるのですか?
阿部 今,この研究・情報センターには主に3つの研究 所が入っています.食品総合研究所という,いわゆるデ ザートとかヨーグルトとかチーズを開発している研究 所.栄養科学研究所といって育児粉乳とか流動食みたい なものを開発している研究所.そして私がいるところの 基盤研究所です.基盤研究所では半分以上は基礎研究を やっています.ただ,ほかの研究所で最終商品の開発を している人たちは,やっぱりなかなか基礎研究はでき ず,技術開発を含めた商品開発が中心ですね.栄養科学 研究所では,母乳の研究とか赤ちゃんの健康の研究をし
ているので,基礎研究をされている方はいますが,それ ほど多くはありません.それ以外にも分析センターとい う部門も別にありますから,全体でいうと基礎研究は 10%ぐらいでしょうかね.
ただ,基礎研究がうちの会社でどれだけ貢献している かどうかということを考えないといけない.会社に貢献 できる基礎研究成果であればいいんですけど,論文を書 いただけではダメですからね.現実的には,やっぱり良 い商品開発ができる,良い技術をもっていることが非常 に役立つと思いますので,本当に10年,20年にわたっ て,うちの会社を養えるような素材なり,技術を見つけ るために基礎研究をやっています.たとえばビフィズス 菌.1977年にビフィズス菌の牛乳,78年にビヒダス ヨーグルトをつくって,そこからどんどん広げているの で,その基礎研究も一生懸命やっています.ラクトフェ リンという母乳に含まれているタンパク質もずっとやっ ていますね.
だから,永くうちの会社にとって貢献できるような素 材,あるいは技術を見つけるためにやっぱり基礎研究と いうのがあるんですね.それが見つけられない基礎研究 はたぶんダメです.これは研究所長としての私と会社と の闘いになっちゃうんですけど,いい研究から必ずしも いい成果が出るわけではない.いい技術だとしても,そ れがちゃんと世の中に認められて,5年,10年と続くよ うになるのはやっぱり時間が必要なんですね.そこをど う見定めるのかが大事だと思います.でも,経営者はそ れっていつ金になるんだって発想もありますからね.
̶̶ 乳業業界はライバル会社との競争が激しいような 気がするのですが,いい素材を見つけてそれを継続して いく大切さと,また新しいものを開発していくところバ ランスはどうですか?
阿部 商品をヒットさせるためには,基礎研究とか商品 の実力,プラス営業上の努力,仕組み,仕掛け,すなわ ちマーケティングを含めた販売戦略があるわけで,そこ の2つがないとヒットしないんですね.商品によっては マーケティングだけでヒットさせるものもいっぱいあり ますが,やっぱりいい商品じゃないとなかなか長続きせ ず,いい商品をいかにつくるかというところが大事で す.そこは,われわれの技術の問題ですね.それでは,
その比率はということになりますが,会社によっても違 うと思います.技術8割で,2割のマーケティングの販 売力で展開しているところもあれば,逆に8割のマーケ ティング力でやっているところもあります.正解はない と思いますが,技術サイドとしては,どんなにマーケ ティングがあろうがなかろうが,コアとなる技術なり,
種となる素材がないと商品になりませんから,基礎研究 でそれをつくっていく.ビフィズス菌,ラクトフェリ ン,あるいはペプチドとか,今はアロエとかやっていま すが,そういうことをいかに見つけていくかですね.
◆ 海外への展開 ◆
あとは,今われわれは海外のほうでもかなり展開して いますので,海外のお客様方に対して,どのようなデー タや品質があればいいのかということを常に考えていま す.
̶̶ 海外に特化した付加価値をつけるということです か?
阿部 そうですね.基本は同じところが多いのですが,
日本の消費者が望む価値と,海外のお客様が望む価値っ て違うんですね.たとえば,日本ではヨーグルトを食べ てくださる消費者の方々にお役に立てるデータは何かと いうことを考えてやっていくわけですが,海外の場合 は,たとえば健康食品をやっている人たちは,臨床試験 の論文がないとうまく製品に使えなかったりするので,
そのようなデータを出していかなければならない.育児 粉乳になると,赤ちゃんへの効果ということを明らかに していかなければならないですね.そうすると,ヨーグ ルトとはまた違う目的になりますから,目的によって研 究テーマはいろいろ変わりますね.
̶̶ ビフィズス菌は海外ではあまり理解されてなく て,広めるのに苦労なされたという記事があったのです が.
阿部 アメリカでの話で,96, 97年頃だったと思います が,Natural Products Expoというアメリカで最大の自 然食品の展示会があったときに,ブースを出して紹介し てみたんです.そうしたら,やっぱりビフィズス菌なん か全く知らないですし,「お前らはバクテリアを食べる のか」「感染症を起こすだろ」みたいなそういう時代で した.通りすがりの方を捕まえて,一生懸命説明しよう とするんですが,「知らん」「何だ,これは」「お前の英 語はよくかわらん」などと言われましたね(笑).
最初のうちは,見向きもされなかったのですが,アメ リカのあるメーカーさんが森永のビフィズス菌はとても 面白いということで採用していただき,そこから少し広 がっていった感じでしたね.カプセルをつくっている メーカーさんだったのですが,そのメーカーさんのブー スを飛び込みで訪れ,たまたまおられた社長さんに向 かって説明すると,その会社の研究者・開発者の人を呼 んでこられて,「これ,どうなんだ」って.ちょうどう ちの菌には生理効果のデータもあり,それに加えてカプ
セルに入れても,2年でも3年でも安定性が良いという データもそろっていたので,面白いということになり採 用されたんですね.
そこをきっかけに,どう説明すると,向こうのお客様 に採用されるのかということが何となくわかってきて,
そこからそれこそ100社,200社と話をしましたね.あ の頃は40歳前後で若かったこともあり,1日に何十社も 説明しましたね.キャラバンを組んで,なかなかたいへ んでしたが,楽しかったですよ.
このカプセルは,35〜36歳のときにその技術をつ くったんですね.常温や室温に置いても安定なビフィズ ス菌の粉をつくるっていう.当時は,菌は冷蔵庫に入れ ないともたなかったのですが,プロバイオティクスは生 きてないと効果がないわけですからね.常温で保存でき るものをつくろうということで,それを一生懸命いっと き集中して開発して,できたものを海外にもっていった んですね.アメリカ,韓国,ヨーロッパといろいろなと ころに行かせていただいて,いろいろなお客様と打ち合 わせさせていただきましたね.
̶̶ その頃は,夜2時まではやらなかったですか
(笑)?
阿部 その頃は会社が許してくれません(笑).菌末をつ くるなんて,当時の主流ではなかったわけですね.やっ ぱりヨーグルト,チーズ,飲料あるいは育児粉乳をつく るのが主流だったんですよ.菌末だの,健康食品だの,
原料だのというのはほとんど見向きもされなかったので すが,当時の所長がそういうことをどんどんやれって 言ってくださったんですね.それで,自分なりにいろい ろ考えて,がむしゃらにやっていましたね.正直,よそ の研究リーダーからは,「そんな研究はやめろ」と言わ れたこともありますから.
̶̶ でも,それが将来,日の目を見たんですよね.
阿部 そうですね.その頃は金食い虫の研究だったかも しれませんが,やらせていただいたおかげで何とかそれ を伸ばすことができ,国内外のいろいろなお客様に喜ん でもらえるようなものができ,ビジネスとしても成り立 つようになりました.だから,そういう意味では30代 後半から40代前半はどんどんやれて楽しかったですね.
ビジネスが大きくなってくると注目されるようになり,
工場を建てたり,いろいろな要望が来るので難しいこと も増えますが.やっぱり自分の技術である消費カテゴ リーができ,それ専用の工場ができたというのはうれし いですね.
◆ 5つの価値観 ◆
これは,うちの研究所スタッフにも常に言っています が,うちの研究所はビジョンというか,食品基盤研究所 WAYというものをつくっていて,その中で「5つの価 値観」というのを出しています.一つめは「目標の明確 化」で,何を目的にそれをやるのか.次に「消費者のお 客様の笑顔」で,優れた技術でもお客様や社会に役立っ てこその研究であるので,お客様が笑顔になる研究をし ろと.さらに「三本主義」で,今やっている研究が本物 か,本質を突いた研究か,本気で取り組める研究かとい うこと.そして「世界基準」で,世界を意識して研究を しなさい,井の中の蛙ではダメということ.そして最後 は,ワタミの社長も言っているのですが,「Date your dream」で,大きな夢を見なさい,夢を見ることは大事 である,ただそれにdateで日付を付けなさい,そして それに向かったスケジュールを立てなさいと.この「5 つの価値観」をもちなさいということで,一生懸命すり こんでいます.
̶̶ 大学の研究室でも使わせていただきます.
阿部 食品基盤研究所は基盤研究を中心としているの で,大学の研究室と似ているところはありますね.た だ,目的がやっぱり違います.こちらでも論文は書きな さいと言っています.論文を書くとレフリーからのコメ ントであったり,新しい発見にもなったり,場合によっ ては世界基準になる.以前は,学会発表しかしないとい う人もいたのですが,今は論文を書くよう勧めていま す.しかし,論文を書くことが目的ではないので,書く ための研究ではダメと.また,企業ですから,発表でき ないデータもたくさんあり,逆に発表できないデータの ほうが価値は高いのですが,論文発表するために枝葉の 実験もやったりしています.
̶̶ どういう人材に来てもらいたいというのはありま すか?
阿部 開発系と基礎系でちょっと違うところはあります が,面接官として出たときに思うのは,バイタリティー のある人,めげない人が欲しいですね.会社に入ると,
いくらでも課題は出てきますし,上からもガンガン言わ れますので.ただ,人材採用って難しくて,多様性とい うのも大事なんですね.同じタイプの人ばかりが集まっ てもいい成果は出ませんから.だから,単純にある程度 そういうことに耐えられる人というのが最低条件かもし れません.
̶̶ 一番最初に大学の先生は厳しくあれとおっしゃっ ていましたが,今の学生に求めること,今のうちにやっ
ておいたほうが良いということはありますか?
阿部 そうですね.研究職に就きたいのであれば,やっ ぱり研究者とは何ぞや,研究とは何ぞや,ということは しっかり勉強しておいて欲しいですね.自主的に自分で やろうとしているのと,先生から言われたことをそのま まやっているのとでは全然違います.
あとは,やっぱりその研究とは何ぞや,ということも しっかり勉強してきてもらいたいですね.農芸化学とい う分野は,食品会社の場合,ものすごい武器になると 思っています.無機化学,有機化学,土壌学,酵素,微 生物,生化学,さらには遺伝子などいろいろなことをや るわけですよね.だから,どこの職場へ行っても,農芸 化学分野出身の皆さんはその引き出しをもっているんで すね.必ずしも,自分の専門のところに行けるわけがな いですから.
自分の反省にもなりますけど,大学2年生,3年生の ときにあるいろいろな授業や実験で必要なことはしっか り学んでおくべきかなと思います.微生物をやりたいの
に,何でこんなことをやらなきゃいけないんだ,何でこ んな授業を取っているのか,と思いながらでしたが,で も将来必ず役に立ちますね.そういう意味では,農芸化 学の良さってその幅の広さかなと思います.
̶̶ 学生の読者にもぜひ読んで欲しい記事になりそう です.本日は有意義なお話を聞かせていただき,ありが とうございました.
プロフィル
阿部 文明(Fumiaki ABE)
<略歴>1987年茨城大学大学院農学研究 科修了/同年森永乳業入社/1988年同栄 養科学研究所微生物研究室配属/2006年 同食品基盤研究所生物機能研究部配属/
2011年同機能素材事業部長/2012年同食 品基盤研究所長,現在に至る<研究テーマ と抱負>機能性食品素材の研究・開発と開 発した素材の世界展開<趣味>ゴルフ,ワ イン
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