経済のグローバル化が急速に進行する今日の世界にあって、民主主義と経済発展 との両立が欧米諸国においても困難な要請と化していることは、貧困問題や格差是 正が深刻な政治課題になっていることひとつをとってみても明らかである。企業の 経済活動が国境を楽々と越えるため、国民経済と資本主義的発展の幸福な両立がも はや成り立たなくなったとする『暴走する資本主義』(1)のロバート・ライシュや、私 企業による経済的利潤追求と公益への貢献を両立させようと苦労するマイケル・ポ ーター等(2)も、同じ問題意識に立つと言ってよい。
政治発展と経済発展の関係という時代遅れの感のあるテーマに、歴史制度論の立 場からあらためて取り組んだアセモグルとロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか』(3)
も、同じ文脈に位置付けることが可能であろう(4)。本稿は、アセモグルとロビンソ ンのキー概念である、制度の包摂性
(inclusiveness)
、非包摂性(exclusiveness)
を手掛 かりに、現在の東南アジア諸国の政治と経済との課題を瞥見する。*
政治発展と経済発展との関係を考える際に、事例研究への大きな挑戦となるのが 東南アジアを含む東アジアであり、それはいまも変わらない。この地域が、非民主 的な政治制度の下での持続的とも言える経済発展がまとまって観察される唯一の地 域であるためである。この点に着目した東アジア分析は、「東アジア」モデルを部分 的に承認した世界銀行『東アジアの奇跡』(5)でひとつのピークを迎えた。しかし、
「東アジア」モデルは
1997
年のアジア経済危機のあと一気に色あせてしまった。「ク ローニー資本主義」論に代表されるように、権威主義体制下での経済発展は、見せ かけの成長でしかなかったとの議論が支配的になったためである。加えて、「東アジ ア」モデルの本家本元である日本の長期に及ぶ経済停滞が同モデル凋落に拍車を掛 けた。状況を変えたのは、台頭する中国経済である。中国はアジア経済危機後、むしろ 勢いを増し経済成長を続けた。BRICsと称され、一時、東アジアの文脈から切り離 された中国であるが、ブラジル、ロシア、インド等の経済成長が勢いを失うなか、
依然として高い経済成長を続け、ついに世界第
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の経済大国となった。東南アジア国際問題 No. 625(2013年10月)●
1
◎ 巻 頭 エ ッ セ イ ◎
Katayama Yutaka
諸国も
2000年代に入ると回復基調に乗る。その東南アジア諸国には、
「半分の民主主 義」や社会主義国といった非民主主義国家が少なくない。アセモグルらの研究の背 景には、こうした東南アジアを含めた東アジアの経済発展があることは間違いない。アセモグルらの仮説は比較的明快である。権威主義的な政治制度(非包摂的な政治 制度)の下であっても、経済的な制度が包摂的であれば、一定期間の経済発展は可 能であるが、長期的な経済発展のためには、政治制度が包摂的な制度(民主主義)で なければならないというものである。アセモグルらの議論が「東アジア」モデルと 決定的に異なるのは、政治エリートによる中長期的な経済成長戦略の策定と資源配 分が持続的な経済成長を可能にしたのではなく、経済的な機会を広く平等に国民各 層に与えることが重要であるとした点にある。包摂的な経済制度があれば、非包摂 的な政治制度の下でも一定期間経済成長が可能であると主張するのである。
このアセモグルらのアプローチは、とりわけ東南アジアの政治と経済の課題を考 察する際に有効である。なぜなら、その「包摂性」は、政治と経済とのそれぞれを 独立して論じながら、なおかつ、両者の相関を重視するからである。「包摂性」の具 体的な指標や、政治制度が一定期間非包摂的であっても、経済的包摂性が保証され れば経済成長が可能であるとする場合の「一定期間」が、どの程度の幅をもってい るのか曖昧さを残すものの、東南アジアのように政治制度と経済制度の組み合わせ が多様な地域においては魅力的なアプローチである。
*
今日の東南アジア諸国は
4
つのグループに分類できる。第1のグループが、民主主
義が定着したフィリピン、タイ、インドネシアである。第2のグループは、
「半分の 民主主義」あるいは「グレーゾーン体制」であるシンガポール、マレーシアである。第
3
が、民主化の初期段階が進行中のミャンマー、そして、最後のグループが社会 主義体制を維持しているベトナム、カンボジア、ラオスである。政治と経済との関係は、このそれぞれのグループごとに異なるが、グループを超 えた共通の課題もある。そのなかでも特に重要なのは、「中所得の罠」である。人口 ボーナスが持続する間に、いかに「中所得の罠」から脱却するかが、すでに中所得 領域(1人当たり
GDP〔国内総生産〕が 3000
ドルから1
万2000ドル)に入った東南アジ ア諸国共通の課題である。罠に陥らないためには国全体の生産性を向上させること が不可欠である。筆者は、これも経済制度の包摂性と密接に関連していると考える。国全体の生産性を向上させるには、「人材育成」重視を含め、なにより経済活動への 参加の機会が広く国民各層に開かれていなければならないからである。
タイ、フィリピン、インドネシアの課題は、所得格差是正、腐敗対策、そしてセ ーフティーネット拡充である。制度面における国民の政治参加への障壁は、ほぼ完 全に取り除かれ、いまやその政治参加の質が問題となっている。経済格差是正と並
◎巻頭エッセイ◎東南アジア諸国の政治と経済の課題
国際問題 No. 625(2013年10月)●
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んで腐敗撲滅やセーフティーネット拡充といった「ガバナンス」が最重要課題にな るのは、政治的包摂性に見合った経済的包摂性の拡充を、拡大する中間層を中心に 国民が強く求めているためである。他方、政治指導者は先進民主主義国同様、持続 的な経済成長の必要と低所得層による再配分政策的な要求との「股裂き」に遭い、
ポピュリズムの誘惑に駆られる。いまのところ、これら国の政治指導者は、政治的 安定を最優先課題に、慎重な調整型の政治に徹している。タイを含め政権交代(国 王逝去)をめぐって一時的な混乱が起こることはあっても、深刻な事態に至る可能 性は低いであろう。経済が外資と外国貿易に大きく依存しているため、政治的安定 が経済成長に不可欠な条件であるとの認識を、与野党を問わず政治指導者が共有し ているゆえである。
シンガポールとマレーシアでは政治参加の障壁が残っている。いずれも「半分の 民主主義」である。1人当たり
GDP
で日本を抜いているシンガポールは別にして、マレーシアは「中所得の罠」が最も懸念される(6)。マハティール政権以来のマレー 人優遇政策(ブミプトラ)が維持されていて、それが経済面だけでなく、政治面でも いまや足かせになっているためである。具体的には、高学歴の華人の国外流出がや まず、また外資誘致で隣接するシンガポールに圧倒的な差をつけられている。政治 面では、与党連合「国民戦線(BN)」の長期支配を支えてきたゲリマンダー的な与党 に有利な政治制度への批判が、マレー系住民の間でも高まっている。2013年に実施 された総選挙では与党連合は議席のうえでこそ過半数を維持したものの、総得票数 では野党が上回ったとされる。これに対してシンガポールは、経済面での包摂性は、
独立以来、非常に高い水準で維持されているため、政治制度が非包摂的であっても、
依然として、国民の厳しい批判の対象とはなっていない。ただ近年は政権が積極的 に進める移民政策の結果、給与水準が低く抑えられているとの認識が国民の低所得 層から広がって、野党候補の当選が徐々に増えてはいる。
ミャンマーは、まさに遅れてきた民主化が現在進行中である。国軍を中心とした これまでの既得権益層と、アウン・サン・スー・チーらの民主化勢力との間で一時 的な妥協が成立した。いまのところ、西側からの援助と投資が殺到し、経済的な機 会がこれまでの国軍独占からその周辺に及んでいることもあって、既得権益層と新 規参入者の間にwin-winゲームが成立している。問題は、2015年に予定されている総 選挙までに憲法が改正されないとスー・チーが大統領になることができないことで ある。大統領への意欲を隠さないスー・チーに対して軍人が多数を占める議会が、
憲法改正を認めるか否かが争点である。
ベトナム、カンボジア、ラオスの社会主義国の内政面での課題は、基本的には中 国の場合と同様である。外資を導入するため市場経済を部分的に導入し、より包摂 的な制度にしたため、経済機会が国民各層に開かれたことが重要である。いまのと
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国際問題 No. 625(2013年10月)●
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ころ、各国とも比較的高い経済成長が続いていることと、経済的な機会が非共産党 員にもある程度開かれているため、不満は危機的なレベルには達していない。しか し、党幹部の腐敗に対する批判は一般国民に深く根付いており、ガバナンス改革が これらの国でも重要課題になっている。
以上、駆け足でみたとおり、東南アジアの政治と経済との現状は、包摂性と非包 摂性との幾通りかの組み合わせとして分類できる。結論として言えるのは、経済制 度において完全な非包摂型は、ミャンマーの改革路線の開始によって姿を消したこ とである。シンガポール、タイを筆頭に、東南アジア諸国は、社会主義国を含め程 度の差こそあれ、経済的制度としては包摂的である。これが、2000年代に入って東 南アジアの多くが再び成長路線に入った最大の理由である。他方、政治的包摂性に ついては、社会主義諸国、シンガポール、マレーシア、そしてミャンマーが、それ ぞれ課題を抱えており、その深刻度も経済的包摂性との相関で異なる。当面、大き な挑戦に直面しているのはミャンマーであるが、経済的な包摂性が、今後どの程度 持続的なものとなるかによって、政治危機の深刻度は変化することになろう。
(1) Robert B. Reich, Supercapitalism: The Transformation of Business, Democracy, and Everyday Life,
Alfred A. Knopf, 2007(邦訳=ロバート・B・ライシュ〔雨宮寛・今井明子訳〕『暴走する
資本主義』、東洋経済新報社、2008年)。
(2) Michael E. Porter and Mark R. Kramer, “Creating Shared Value: How to Reinvent Capitalism and Unleash a Wave of Innovation and Growth,” Harvard Business Review, January–February, 2011, pp.
1–17.
(3) Daron Acemoglu and James Robinson, Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity, and
Poverty, Crown Business, 2012(邦訳=ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン
〔鬼澤忍訳〕『国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源』、早川書房、2013年)。
(4) アセモグルらの議論とライシュの議論の大きな違いは、政治発展と経済発展とのずれは、
グローバル化以前から、つまり古くから存在したか否かにあり、存在したというのがアセ モグルらの見解である。
(5) World Bank, The East Asian Miracle: Economic Growth and Public Policy, Oxford University
Press, 1993(邦訳=世界銀行〔白鳥正喜監訳〕『東アジアの奇跡―経済成長と政府の役割』、
東洋経済新報社、1993年)。
(6) 1人当たりGDPは1万146ドルである(2011年現在)。IMF, World Outlook Database, 2012.
[付記] 本論考を準備する際に、白石隆氏から助言を得ると同時に、同氏が2013年5月に公益 産業調査研究会で行なった講演の速記録をいただいた。深く感謝申し上げたい。
◎巻頭エッセイ◎東南アジア諸国の政治と経済の課題
国際問題 No. 625(2013年10月)●
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かたやま・ゆたか 神戸大学教授 [email protected]