早稲田大学大学院日本語教育研究科
修 士 論 文 概 要 書
論 文 題 目
生の中でくり返し位置づけられる「ことばの学び」
―「移動する子ども」である私の自己エスノグラフィーから―
李 玲 芝
2012年9月
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生の中でくり返し位置づけられる「ことばの学び」
―「移動する子ども」である私の自己エスノグラフィーから―
2012 年 9 月 李 玲 芝
早稲田大学大学院日本語教育研究科
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第 1 章 問題の所在
本章では、本研究の背景となる二つのことばを話すようになった私が、離日後から持 ち始めたことばへの意識について述べる。そして複数言語環境で成長した個人の「こと ばの学び」について筆者であり複数言語環境で成長した「移動する子ども」である「私」
の経験を通して考えていく。
複数言語環境で生きる個人の「ことば」と「アイデンティティ」に関する研究におい ては、これまで様々なアプローチがなされてきた。その中でも複数言語環境に育つ子ど も(そして複数言語環境で成長した成人も含む)については第二言語習得、継承語、母 語保持、アイデンティティ形成といった様々な切り口から論が展開されているが、それ らの多くは「成長・発達」の観点が必要であるという共通した見解で締めくくられ、長 期的な視野から考察する必要があることが今後の課題とされてきた。複数言語環境で成 長する個人の子ども期から成人期以後を網羅した縦断的な研究は管見の限りではなか った。その理由として時間的、空間的、経済的な様々な制約が考えられるだろう。
以上を踏まえ本研究では、これまで研究・実践の対象として論じられてきた「移動す る子ども」が自からについて探り語ることで、時間的・空間的制約を乗り越えた「こと ばの学び」を明らかにし、学びに対する当事者性を見出すことを試みる。
第 2 章 研究の視点
第2章では5章にて記述する筆者の自己エスノグラフィーに先立ち、その理解に有用 な視点を与えてくれる先行研究をレビューする。また自己エスノグラフィーにて登場す る「私の居場所」という実感について「居場所」という言葉が使われてきた文脈ならび に、その内実を問う研究動向を概観する。居場所であるという実感は本研究において注 意深く考察する必要がある箇所である。なぜなら、そのことを切掛けに自己への意識や 二つのことばとの向き合い方に変容が生まれたからである。
私の「居場所」であるという感覚は、空間的で具体的な意味であるよりは友人たちと の関係性の上に成り立つ抽象的なものとして自分の中で認識されてきた。本研究では、
この「居場所」であるという実感を「アイデンティティ的居場所」として捉え、「居場
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所」を関係性的に捉えた先行研究をレビューし「私の居場所」という実感をより明確に していく。
第 3 章 研究方法
第1章で触れたように「ことば」と「アイデンティティ」についての様々な知見が出 される中、一人の子どもの成長から成人までの過程を通して連続的な「学び」の形成や 変容を捉えた研究は管見の限りではなかった。そして、同様のテーマに関する諸研究に おいて研究者が「他者」である「対象」を研究するという構図が成り立っていた。それ は研究者と研究対象が同一でない限り乗り越えられない線―乗り越える必要性のない 線―であり、批判に値するものではない。しかし「他者ならではの視点」という構図の 中で、研究対象者の当事者性が見落されてきた可能性があるのかもしれない。それは他 者である研究者に研究対象者の思いが理解できないということではなく、当事者が「自 ら」語らないことには見えない部分があるかもしれないということへの問題意識である。
私が試みたいのは語り部の声がそのまま書き手の声となることで、テーマの捉え方その ものに当事者性を帯びさせることである。「本研究の研究者」と「自分」を明確に切り 離すことはできないが、その二面性を曖昧にすることで新しい何かが見えてくるかもし れないというのが、私の必要としている当事者性の意義である。その具体的な方法とし て「自己エスノグラフィー」を用いる。
「自己エスノグラフィー」とは「ジャンル的には自叙伝的な記述とそれを通した研究 に属し、個人と文化を結びつける重層的な意識のあり様を開示するもの」であるという。
Ellis & Bochner (2000=2006)は、個人が語る物語を「想起による語り」と呼び、その ナラティブ性について「物語は、人の生の事実をそのまま映し出すという中立的な試み ではない」として、自己エスノグラフィーの実践において事実を正確に描くことが重視 されないことを暗示している。なぜなら「語りは常に過去についての物語」であり、自 己エスノグラフィーは「自分が書く物語によって読者だけではなく自分自身とも対話で きる」ための媒体になるからである。研究者が自らの経験について意味づけを行う本研 究において「自分自身の個人的な生を重視」し「自分の生きられた経験を理解するため に自分の身体感覚や思考や感情に注意を払う」(Ellis & Bochner,2000=2006)ための方 法である自己エスノグラフィーの実践は意義があるということができるだろう。
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第 4 章 私の物語 ― 二つのことばと「居場所」―
本章では、私が初めて日本にきた1992年以降、の移動の軌跡を4つの時代に分け、
た自己エスノグラフィーを記述する。
ストーリー1は1992年に来日し1997年に韓国へ戻るまでの、8歳から13歳まで(小 学校3年生から中学1年)の間の出来事について書かれている。全く日本語が分からな かった8歳から日本語が伸びたと感じるようになった11歳のこと、そして日本での日 常がとても落ち着いたと思えた13歳までの学校生活と家庭内での出来事についてみて いく。
ストーリー2は、再び韓国に戻った1997年から2004年までの7年間、13歳から 20歳まで(中学2年生から大学3年生)の間の出来事について書かれている。この7 年間の間、私の家は韓国内で計6回の引っ越しをした。韓国へ戻ってから感じ始めた「日 本語を忘れたくない」という意識に着目した。
ストーリー3は2004年から2005年(20歳~21歳)までの1年間の日本留学生活 について書いている。このとき私は日本のK大学に約1年間、留学することになった。
この留学は13歳の離日後から初めての日本長期滞在であった。日本語で築いた友人た ちとの関係を通して「私の居場所」という実感をした時期である。この時に出会った友 人たちとのやり取りや、二つのことばに対する意識の変容を辿りながらエスノグラフィ ーを記述した。
ストーリー4は2005年8月に1年間の留学を終え韓国へ戻ってから2012年現在に 至るまでの7年間にあった出来事である。2005年21歳だった私は28歳になった。大 学を卒業し(2006年2月)、間をおいて7ヶ月間、語学留学をした。(2006年~2007 年)。その後、韓国に戻り日本の大学院入学の準備をしながら渡日までの数ヶ月間、会 社で働いた。翌年2008年、大学院入学に際して東京に来た現在までの出来事について みていく。
第 5 章 結論
第5章では本研究の最終的な主張と結論を述べる。今の私から眺める二つのことばは、
自分の成長において絶えず未来を開いてくれた。私の人生は「バイリンガル」である自
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分を理解してもらいたくて躍起になっていた時代から「複数言語的アイデンティティの 持ち主ということだけで自分を説明しなくてもいい」と思える時代へと移り変わってき たということができる。「日本語を話す自分」と「そうじゃない自分」、「韓国語を話す 自分」と「そうじゃない自分」、「どちらでもないけど通じ合える相手といるときの自分」
このような区別は私にとって必要のないことになった。
自己エスノグラフィーを通して明らかになったのは、それぞれの時代において向き合 った現実の中で、二つのことばを話し、思い、意識することで自分が何者であるかを認 識してきたということである。2004年の学部留学時代、友人たちとの関係の中で感じ た「居場所」という実感は、それまで私の中で別々に成り立っていた二つのことばの世 界をつなぐ足場かけとなった。私の「居場所」とは「日本語と韓国語、二つのことばを 話す私の居場所」であったと結論付けることができるだろう。
「移動する子ども」であった私の生において、複数のことばへの意識は「関係性」と 共に幾度もくり返し姿を変えながら自分の中に位置づけられ、それは同時に自分を自分 の中に位置付ける機会を生んだ。この、くり返される自己への問いかけこそが「移動す る子ども」の生における「ことばの学び」であるということができるのではないか。
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