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化学と生物 Vol. 54, No. 1, 2016
このたび,北里大学名誉教授 大村 智先生がノーベル賞をご受賞された.人類に役に立つ有用物質を微生物か ら発見されたご功績に対してである.微生物が生産する酵素を日々取り扱っている一研究者として,またそれを 生業とする企業に従事するものとして,誠に喜ばしく誇りに思う.またこの授賞が,自然を征服するのではなく 自然と共に生きるアジア,とりわけ日本から出たということは必然であったのであろうか.天野エンザイムでは,
日々新しい酵素の微生物からの探索を行っている.これまでに土壌や菌株ライブラリーから有用酵素生産菌が見 いだされたいくつかの例を,筆者の経験を盛り込みながら,その経緯に焦点を当てて紹介する.また目的の生産 菌をできるだけ早く見いだすための菌株ライブラリーの整備についても述べる.
はじめに
現在,天野エンザイムは,胃腸薬を中心とした医薬,
ダイエタリーサプリメント,医薬中間体のバイオコン バーション,診断用試薬,食品加工,工業・環境用など 広範な分野にさまざまな酵素剤を市場に提供している.
それらの酵素の由来はほとんどが微生物であり,扱って いる酵素生産菌は100を優に超える.これらの生産菌の 大部分は,ある時は土壌など自然界から,またある時は 社内外の菌株ライブラリーやタイプカルチャーからスク リーニングによりピックアップされてきたものである.
内訳を見てみると,土壌から直接分離された株が23%,
社内の菌株ライブラリー由来が43%,社外のタイプカ ルチャー由来が18%,残りの16%は外部から持ち込ま れているものである(図1).ちなみに,生産菌を菌種 から見ると,糸状菌と細菌がほぼ同数で全体の90%以 上を占め,残りは酵母,担子菌である.
本稿では,天野エンザイムで土壌からスクリーニング されたケースを2例,社内の菌株ライブラリーからピッ クアップされたケースを1例紹介する.このうち前者2 例の酵素の開発については,日本農芸化学会より「農芸 化学技術賞」をいただいたものである(一つ目は味の素
株式会社との共同受賞).また最後に,新規な酵素生産 菌のスクリーニング源として社内菌株ライブラリーを重 要視しその充実化の取り組みについて紹介したい.
トランスグルタミナーゼ生産菌の発見(1, 2)
ご存じの方も多いと思われるが,本酵素剤は現在では タンパク質架橋酵素として畜肉魚肉,乳製品,小麦製品 などの食品加工に広範に利用されており,たとえば「ア ミラーゼ」などの酵素群ではなく,単一の酵素としては おそらく世界で最も広く利用されている酵素の一つであ ると言えよう.
1980年代の後半,味の素株式会社との共同研究の中 で,天野エンザイム(当時,天野製薬)の研究所(現愛 知 県 北 名 古 屋 市) で,放 線 菌 の 一 種S-8112株(後 に のvariantと 同 定 さ れ,
現在では と再分類されてい
【特集】
2015
年ノーベル生理学・医学賞受賞記念特集:微生物探索研究産業酵素の微生物からの探索
山口庄太郎
Shotaro YAMAGUCHI, 天野エンザイム株式会社メディカル用酵
素開発部 図1■天野エンザイムにおける酵素生産菌の由来
日本農芸化学会
● 化学 と 生物
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る)がトランスグルタミナーゼを生産することが見いだ された.
筆者は当時同じ研究所の別のグループに在籍していた が,以下の経緯で発見に至ったと聞いている.当時,研 究所内で種々の研究目的で土壌より分離された多種多様 な菌株の培養液ストックが調製されていたが,これらを 含めて多くの培養上清サンプルの中から,動物のトラン スグルタミナーゼ活性の簡便測定法として開発されてい た -carboxy-L-glutaminyl-glycine(Cbz-Gln-Gly) と ヒ ドロキシルアミンから黄色のヒドロキサメートを生成す る活性を示す培養液が20ほど検出され,さらに,その 中から,豆乳をゲル化する能力を有する培養液がただ一 つ見いだされた.その後,工夫が重ねられ,培地に基質 タンパク質として血漿を有するプレートを用いて,タン パク質の凝集ハロ形成能を指標にしたスクリーニングも 試みられ,最終的にS-8112株が選抜された.
トランスグルタミナーゼは当時,食品加工分野への応 用において潜在能力のある酵素として一部では知られて いたが,その給源はモルモットの肝臓など動物臓器しか なかったために実用化は難しかった.本発見により,培 養することにより無限に製造できると言っても良い微生 物から見いだされたことが,その後の本酵素の実用化の キーファクターの一つであったことは言を待たない.本 発見をなされた筆者の会社の先輩である松浦 明,故安 藤裕康の両氏の業績は,トランスグルタミナーゼの有用 性にいち早く目を付けられていた味の素株式会社の関係 者の方々のご卓見とともに高く賞賛されるべきものと感 ずる.本酵素は世界の食品産業に大きなインパクトを与 えている.
プロテイングルタミナーゼ生産菌の発見(3, 4) トランスグルタミナーゼの発見から数年が経過したこ ろ,筆者らは社会に貢献できる新たな酵素の提供を目指 し,一連のタンパク質修飾酵素の探索に取り掛かった.
その中から,反応がシンプルであり(広く実用化される ものは常にシンプルである),安全性の面から生体内で の反応が知られているなどの観点から,タンパク質の酸 化による架橋酵素,SS結合の形成/開裂酵素,リン酸 化酵素,脱アミド酵素などいくつかのターゲット酵素を 選び,これらを並行してスクリーニングを行った.タン パク質を脱アミドする酵素の場合は,トランスグルタミ ナーゼ活性測定法に使われる基質であるCbz-Gln-Glyか らアンモニアを遊離する活性を指標にして,土壌分離菌 および天野エンザイムの菌株ライブラリーの培養液に対
してスクリーニングを行った.土壌に対してはCbz-Gln- Glyを唯一のN源とする集積培養を行った.一連の集積 培養により320種の土壌から計446株の細菌とカビ類を 単離した.これに350種の菌株ライブラリーを加えた計 794株の培養液に対して活性測定を行ったところ,2つ の陽性株を得た.両株由来の酵素はほぼ同じ性質を有 し,また生産菌も目視,培養挙動がほぼ同じものであっ たので,これらのうち培養液中の活性が2, 3割ほど高 かったNo. 9670株を選択し,酵素精製,酵素の性質決 定へと研究を進めた.その結果,カゼインやグルテンな どの馴染みのあるタンパク質に対し,ペプチド結合を切 断することなくタンパク質中のグルタミン残基を脱アミ ドしてグルタミン酸残基に変換する酵素を,本株は菌体 外に生産していることが判明した.まさしく求めていた タンパク質脱アミド酵素であった.このNo. 9670株は,
属細菌に属する新種と同定され と命名した.
余談ではあるが,後になって,上述の2つの陽性株の 図2■酵素生産菌と生産される酵素の高次構造
A.ト ラ ン ス グ ル タ ミ ナ ー ゼ 生 産 菌 S-8112株(左)とトランスグルタミナーゼの高次構造(右,緑:
成熟体,グレー:プロ領域).B. プロテイングルタミナーゼ生産
菌 9670株(左)とプロテイング
ルタミナーゼの高次構造(右,緑:成熟体,グレー:プロ領域). C. β-アミラーゼ生産菌 APC9451株(左)とβ-アミ ラーゼの高次構造(右).
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単離源を調べたところ,同じ日に同じ場所から採取した 土壌であった.筆者は当時,天野エンザイムの筑波研究 所に勤務していたが,スクリーニングのための土壌を近 郊の田畑,家畜舎,工場,森林などから収集していた.
両株が単離された土壌は,ある日,子どもたちとザリガ ニ取りに出かけた際,社宅近くの田園と近くの灌漑用の 小川の土手で採取したものであった.
本酵素は,極めてシンプルな反応を触媒し,基質のタ ンパク質の物性を大きく変換することができるため,
種々の応用が考えられ,さまざまな応用開発も行った.
また,本酵素については,タンパク質の一次構造および 高次構造において相同性のあるタンパク質はいまだに見 いだされていない.全く新奇なものであり,プロテイン グルタミナーゼと命名した.また一連のスクーニング研 究の過程で,ラッカーゼなどのマルチ銅オキシダーゼに よるタンパク質の酸化架橋反応も見いだすことができ た(5).
β
-アミラーゼ生産菌の発見(6)これまで紹介した2つの酵素は土壌から見いだされた 微生物由来のものであるが,次に土壌ではなく社内の菌 株ライブラリーからピックアップした例を紹介する.
β
-アミラーゼは,デンプンからのマルトースの製造に 広く利用されている.マルトースは,マルチトールの原 料として大量に製造されているほか,ショ糖よりまろや かな甘味を有するためマルトースシロップや結晶マル トースとして和菓子の甘味料にも利用されている.ま た,日本独自の応用として大福餅や団子のソフトネスの 維持にも長年利用されている.しかしながら,当時は大 豆,大麦などの植物由来のものしか市場に存在しなかっ た.微生物酵素の存在自体は1970年代から知られてい たが,工業化には至っていなかった.その理由は,大麦 由来の酵素が安価に供給されていたこと,また大豆由来 の酵素が一部の用途に必要とされる耐熱性に比較的優れ ていたことなどが考えられた.しかしながら,数年前に は米国でバイオエタノール関連政策が打ち出された際に 穀物の価格が急騰し,大豆酵素の供給がタイトになったことがあった.また中国,インドなど成長著しい国の穀 物消費は増加の一途をたどっており,植物を給源とする 酵素は安定供給の点で常に懸念が存在する.さらに,植 物由来タンパク質には潜在的にアレルギー誘発性の懸念 があり,これら植物由来の食品加工用酵素製剤にはアレ ルギー表示の義務がある.そこで数年前,筆者らは,安 定供給が可能でアレルギー表示義務のない微生物
β
-アミ ラーゼの開発に着手し,スクリーニングを開始した.その際,まず天野エンザイムの菌株ライブラリーを対 象にした.この中に,1980年代に社内で
β
-アミラーゼ様 活性を生産する可能性のある株として収集された数株が 収載されていたためである.最終的に,大豆酵素に近い 耐熱性を有するβ
-アミラーゼ生産菌が見いだされたが,本生産菌は前述の数株の一つ, sp. APC9451株 として保存されていたものであった.その後,
に属する一菌株と同定された.
天野菌株ライブラリーの充実
最後の例で見られるように,スクリーニングの対象と して過去の研究対象となった菌株を,過去の研究・分析 結果の情報が付随しているライブラリーが大きな威力を 発揮することがある.天野エンザイムでは,長年菌株ラ イブラリーの充実に努めており,現在では総数は13,000 株にも及んでいる.これらの株には,すべてではない が,会社の長い歴史の中で多くの先輩方がスクリーニン グや研究開発の対象とした際の結果が付随しているもの がある.酵素に限らず,ある有用物質が発見された時期 と社会に必要とされる時期には,往々にして乖離がある ことはよく見聞きすることである.特に企業の研究開発 においては,綿密なマーケティングにより開発された製 品であると思われても,時期尚早であったり,競争もあ るため時宜を逸することはしばしば経験するところであ る.社会の進展や変化によりニーズが生じたときに,速 やかにそのニーズにあったシーズを提供することが重要 である.過去の情報が付随した菌株ライブラリーは,目 的の酵素生産菌を迅速に見いだすために重要な資源と位 置づけられる.
図3■天野エンザイムの菌株ライブラリーと 酵素生産性スクリーニングの例
(A. 左:凍結乾燥アンプル,右:グリセロール ストック,B. 左:プレートアッセイ,右:酵 素アッセイ.←:陽性).
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スクリーニングの際には,その対象をあらかじめ特定 の菌種やグループに絞ることもある.また,分類学の進 展により古い保存菌株の多くが新しい菌種になってい る.そこで,天野エンザイムでは,これらの菌株ほぼす べてに対し,リボゾームRNA遺伝子の塩基配列解析を 実施し再同定・再分類している.
ま た 最 近 で は,独 立 行 政 法 人 製 品 評 価 基 盤 機 構
(NITE)の取り組みに参画し,ベトナム,モンゴル,
ミャンマーで単離された菌株をライブラリーに加えてい る.NITEでは,2003年頃からインドネシアで微生物資 源合同探索プロジェクトを開始していたが,遺伝子資源 提供国と利用国との間での利益配分の問題が残ってい た.し か し な が ら,2010年 の 第10回 締 約 国 会 議
(COP10)で採択された「名古屋議定書」によってこの 問題に決着がつき,現在では日本の企業に広く参加を呼 びかけて,アジア諸国での微生物探索事業を展開し,参 加各社の目的に沿った微生物の探索,分離ができる仕組 みが構築されている.天野エンザイムでは,本プロジェ クトに2012年から参画し,現在ではモンゴルから438 株,ベトナムから628株,ミャンマーから578株の微生 物をライブラリーに追加している.モンゴルでは,気候 や植生の差に着目した土壌や発酵乳製品から微生物を単 離した.ベトナムやミャンマーで北部の森林地帯,赤道 に近い南部のジャングル地帯の土壌,あるいは魚醤など の発酵食品からも単離している.
おわりに
大村先生は,このたびのノーベル賞ご受賞にあたり,
「私の仕事は微生物の力を借りているだけ」とご謙遜の コメントをされたとのこと.ただ今回のように社会に大 きく役立つ有用物質や微生物を発見された裏には,たゆ まぬ努力と強固な意志,現象を見落とさない注意力と集 中力,またユニークな発想と広い視野,さらには周りを 巻き込む人柄などなど,類まれなる総合力が隠されてい るであろうことは,衆目の一致するところであろう.抗 生物質と酵素,対象が異なっても,同じ微生物を扱う者 として,あるいは日本の誇る醗酵産業に携わる者とし て,大いに勇気づけられたご受賞であった.
本稿では,酵素メーカーとしての天野エンザイムでの 酵素生産菌の探索の例と取り組みについて紹介した.新
しい機能を有する酵素を求める場合,近年ではタンパク 質工学的手法も盛んである.冒頭で述べた自然を征服す るのではなく,自然と共に生きるのは,自然界からのス クリーニングかもしれない.読者諸氏の参考になれば幸 いである.
文献
1) H. Ando, M. Adachi, K. Umeda, A. Matsuura, N. Nonaka, R. Uchio, H. Tanaka & M. Motoki: , 53, 2613 (1989).
2) K. Washizu, K. Ando, S. Koikeda, S. Hirose, A. Matsuura, H. Takagi, M. Motoki & K. Takeuchi:
, 58, 82 (1994).
3) S. Yamaguchi & M. Yokoe: , 66, 3337 (2000).
4) S. Yamaguchi, D. Jeenes & D. Archer: , 268, 1410 (2001).
5) 山口庄太郎:特許公報第4137224号1998.
6) 杉田亜希子,岡田正通,谷 明代,箕田正史,山口庄太 郎:応用糖質科学,1, 194 (2011).
プロフィール
山口 庄太郎(Shotaro YAMAGUCHI)
<略歴>1982年岐阜大学農学部農芸化学 科卒業/1984年京都大学大学院農学研究 科修士課程修了/同年天野製薬(現 天野 エンザイム)(株)入社/1988年同筑波研究 所/1991年 京 都 大 学 よ り 博 士(農 学) 取 得/1998年 英 国Institute of Food Re- search客員研究員/2001年天野エンザイ ム(株)岐阜研究所/2006年同産業用酵素 開 発 部 長/2011年 同 産 業 用 酵 素 営 業 部 長/2014年同メディカル用酵素開発部長・
理事,現在に至る<研究テーマと抱負>社 会に役立つ医療・産業用酵素の探索と開 発,それを世に送り出すこと<趣味>野鳥 観察
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.61 図4■ミャンマーの森林からの土壌採取の風景(A)と単離さ れた菌株(B)
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