この世で最初の細胞が生まれたとき,そこには遺伝情報を司 る核酸と,それを包み込む膜が存在したという.そうであれ ば,膜の損傷を修復する細胞創傷治癒機構は生命誕生の瞬間 から必要とされただろう.細胞創傷治癒は進化的に保存され た機構だが,その全貌を俯瞰するには至っていない.出芽酵 母を用いて細胞創傷治癒機構に関与する遺伝子の網羅的同定 を試みた結果,驚いたことに,細胞創傷治癒と分裂老化に関 与する生物学的プロセスの多くは共通であり,細胞創傷治癒 が分裂老化を導くことが示唆された.既知の細胞老化の原因
であるSirtuin,テロメア,Tor,ミトコンドリア,プロテア
ソームなどの欠損に加え,細胞損傷治癒も細胞老化を促進す る新たなメカニズムであると考えられる.
細胞創傷治癒とは
創傷治癒(wound-healing)と聞くと,多くの研究者 は切り傷が治るといった組織の創傷治癒を思い浮かべる だろう.培養細胞のディッシュをスクラッチして細胞遊 走によってふさがる様子を観察する創傷治癒アッセイを 思い出す方もいるかもしれない.しかしここで解説する
「細胞」創傷治癒(“cellular” wound-healing)はそのい ずれでもない.一つの細胞の細胞膜・細胞壁が傷ついた ときに,それを速やかに修復するメカニズムである(図
1
).細胞はそのような機構が必要になるほど頻繁に傷つ
いているのだろうか? 答えはYesである.たとえば心 臓が1回拍動するたびに心筋の細胞は傷つき,それを修 復しながら動き続けている.細胞創傷治癒を紹介するとよく受ける指摘の一つに,
「一つや二つの細胞が傷ついたからといって,それを治 すことがどれだけ重要なのか,アポトーシスで取り除き 分裂で新しい細胞を作れば良いではないか」というもの がある.これは正しくもあり誤りでもある.確かに傷つ いた細胞を取り除いてしまえば良い場合もある.しかし 神経細胞,心筋細胞など,一つの細胞の寿命が長く容易
細胞創傷治癒
その分子機構と老化との関連
河野恵子
Cellular Wound Healing Limits Replicative Lifespan Keiko KONO, 名古屋市立大学大学院医学研究科
図1■細胞創傷治癒
細胞表層に与えられた物理的な傷は速やかに修復される.
【解説】
には分裂しないという文脈においては,細胞創傷治癒は 極めて重要なメカニズムとなる.実際,細胞創傷治癒に 欠損があると筋肉の収縮のたびに生じる微小な傷を修復 できず,デュシェンヌ型筋ジストロフィー症を発症 し(1)
,心筋の膜修復欠損に由来する心臓の機能低下によ
り多くは若年で亡くなる.これまでの細胞創傷治癒研究
この世で最初の細胞が生まれたとき,そこには遺伝情 報を司る核酸と,それを包み込み環境変化から守る膜が 存在したという.そうであれば,細胞創傷治癒機構は生 命の誕生の瞬間から必要とされただろう.細胞創傷治癒 はバクテリアから植物,ヒトまで広く保存された機構で あり,これまでの研究では主にウニやヒトデ,カエルな どの卵母細胞がモデルとして用いられてきた.これらの 細胞はサイズが大きく,ニードルで穴を開けて膜修復の 過程を顕微鏡観察するのに適している.これらを用いた 半世紀を超える研究の歴史のなかで,現象の発見当初想 像されていたように細胞膜の傷は自然に閉じるわけでは なく,エネルギー(ATP)を消費する修復機構が存在 すること,傷の周りにアクチンや微小管,Rho型GT- Paseなどが集まり,細胞質分裂における分裂リング
(アクトミオシンリング)の収縮とよく似た仕組みで修 復されること,カルシウムイオンやプロテインキナーゼ Cが制御の鍵を握ることなどが徐々に明らかにされてき た(2)
.近年では哺乳類培養細胞も実験材料としてよく用
いられるようになり,傷がエンドサイトーシスやエクソ サイトーシスによって修復されること(3),ESCRTとい
うエンドサイトーシスや細胞質分裂,HIVウイルスの出 芽に関与することで知られるタンパク質複合体が細胞創 傷治癒においても膜の融合を制御すること(4) などが明 らかになりつつあるが,分子メカニズムの全貌を俯瞰す るには至っていない.その一因は,細胞創傷治癒に関与 する遺伝子の網羅的同定がなされていないことである.そこでわれわれはこの分野に酵母の遺伝学を持ち込むこ とを考えた.酵母を真核生物のモデルとして用いること には利点と欠点とがあるが,特に「新しい現象に関与す る役者をそろえる」という局面においての酵母遺伝学ス クリーニングの成功は科学史上枚挙に暇がなく(たとえ ば細胞周期におけるHartwellやNurse,小胞輸送におけ るSheckman,そしてオートファジーにおけるOhsumi らの成果など)
,誰もがその有用性を認めるところであ
ろう.出芽酵母の細胞創傷治癒
出芽酵母を細胞創傷治癒研究に用いるにあたって,ま ず出芽酵母に細胞創傷治癒機構が存在するかどうかを検 討する必要があった.酵母は堅牢な細胞壁をもってお り,ウニやカエルの卵母細胞のようにニードルを刺して 簡単に穴を開けることはできない.そこでレーザー光を 用いることにし,顕微鏡下で細胞を培養し細胞表層の微 小な領域に損傷を与えるレーザーダメージ実験を確立し た(図
2
).この方法を用いた結果,進化的に保存され
た修復タンパク質(アクチン制御因子やプロテインキ ナーゼC,Rho型GTPaseの活性化因子など)はレー ザーでできた傷に集積することが明らかになった(図3
).つまり出芽酵母細胞にも高等真核細胞と同様の細胞
創傷治癒機構が存在することが示された(5) .細胞創傷治癒と細胞質分裂との類似性
細胞極性とは一般に細胞形態の非対称性のことであ り,出芽酵母において細胞極性が確立された状態とは,
成長点(娘細胞の先端)から伸びる繊維状アクチンを線 路のように使って,成長点への小胞輸送が行われている ことを指す.出芽酵母細胞は通常の培養条件の下では母 細胞から成長点への細胞極性が確立されており,娘細胞 でのみ成長(新たな細胞膜の挿入および細胞壁の合成)
が起こる.レーザーダメージ実験により,細胞表層が傷 つくと,成長点への細胞極性が一度失われてから傷への 極性が確立されることが明らかになった(5)
.成長点への
細胞極性と傷への細胞極性は競合しており,同時に確立 されることはない.そこで複数の傷の極性が競合するか を検討するために,レーザーダメージ実験により同時に図2■顕微鏡下で培養した出芽酵母細胞の細胞表層にレーザー 光で微細な損傷を与える
2点,3点の傷を与えたところ,競合は認められず,す べての傷は同時に修復された(6)
.このことは,細胞内で
は成長点への細胞極性と傷への細胞極性が厳密に区別さ れていることを意味している.興味深いことに,分裂面 への細胞極性を確立している細胞質分裂期の細胞に損傷 を与えた場合は,娘細胞への細胞極性を確立している時 期とは異なり,細胞質分裂と膜修復は同時に進行し た(6).これらのことを考え合わせると,分裂面はある種
の「傷」であると言えよう.これまで細胞表層の傷は細 胞質分裂の分裂リング収縮とよく似たメカニズムで修復 されるといわれてきたが,確かに細胞創傷治癒と細胞質 分裂との間にはただのアナロジーを超えた本質的な共通 点があることが示唆された.出芽酵母細胞創傷治癒開始の分子メカニズム さらなる解析で,細胞創傷治癒は①成長点への細胞極 性の抑制,②傷への細胞極性の確立,③傷の修復,そし て④通常の増殖への回帰というプロセスからなることが 明らかになった.つづいて,細胞創傷治癒を開始するメ カニズムを追求した.出芽酵母細胞の細胞極性は主とし てアクチン細胞骨格とそれに沿った極性輸送によって確 立される.成長点への極性と傷への極性が競合している のだから,細胞創傷治癒を開始するには娘細胞への極性 のダウンレギュレーションが必要になると予想された.
解析の結果,確かに細胞創傷治癒の開始時にBni1とい う繊維状アクチンを重合するフォーミンがプロテアソー ムにより分解されることが明らかになった(5)
.この分解
にはプロテインキナーゼCやRsp5というHECT型のE3 ユビキチンリガーゼが必要であった.さらに極性輸送を 制御するSec3タンパク質もプロテインキナーゼC依存 的に分解されることが見いだされ,これらの分解を抑制 すると娘細胞が成長し続け,修復が開始されず,ある時 点で細胞が破裂する.このように複数の極性制御タンパ ク質が分解という不可逆的なプロセスによりダウンレ ギュレーションされることが細胞創傷治癒の開始に必要 であることが示された.また出芽酵母においても高等真 核生物と同様にプロテインキナーゼCが修復の鍵となる タンパク質であることが明らかになった.
細胞創傷治癒スクリーニング
これらの知見を踏まえ,出芽酵母の強力な遺伝学を背 景に,細胞創傷治癒に関与する遺伝子の網羅的同定を試 みた.出芽酵母の必須遺伝子のmRNA量を低下させた DAmPライブラリー,非必須遺伝子を破壊した破壊株 コレクションを用いて,細胞表層に損傷を与える条件で 計6,032株(全ORF 6,275の96%)をスクリーニングし た結果,細胞創傷治癒に関与する因子として109の遺伝 子が同定され,それらは37の生物学的機能グループに 分類された.
細胞創傷治癒と分裂寿命とのつながり
驚いたことに,このスクリーニングによりこれまでは 細胞創傷治癒と無関係だと考えられていた現象との間に 図3■出芽酵母の細胞創傷治癒に関与する タンパク質群
直鎖状アクチン重合因子Bnr1,V型ミオシ ンMyo2,極性輸送を制御するExo70,細胞 壁(キチン)を合成するChs3,そして細胞 極性の鍵となるRho型GTPaseやプロテイン キナーゼCPkc1などが損傷部位に集積する.
つながりがあることが示唆された.その現象とは「Rep- licative lifespan(分裂寿命)」である.分裂寿命とは細 胞が分裂した回数によって規定される寿命であり,出芽 酵母では一つの細胞はおよそ25回分裂した後に停止す ることが知られている(7) .これまでに分裂老化の原因 としてSirtuin,テロメア,Tor,ミトコンドリア,プロ テアソームなどの異常が報告されている.
細胞創傷治癒スクリーニングの109のヒット遺伝子が 分類された37の機能グループは,SGDデータベース(8) 上に登録されている分裂寿命の維持に必要な遺伝子群
(119遺伝子,43の機能グループ)と,半数以上に当た る24の機能グループが重複していた(図
4
).このこと
は細胞創傷治癒と細胞老化との間に未知の深いかかわり があることを示唆している.細胞創傷治癒の欠損は老化を促進する
このつながりを説明するにはいくつかの仮説が考えら れるが,その一つは「細胞創傷治癒の欠損は老化を促進 する」というものである.出芽酵母は母細胞から娘細胞 が出芽するという分裂様式をとるため,新たな細胞膜の 合成は主として娘細胞で行われる.したがって,細胞創 傷治癒機構に欠損があると,通常の増殖の過程で母細胞 が受ける損傷(物理的障害や多様な環境ストレスによる 障害)を修復できず,母細胞の分裂停止は早まり,結果 として一つの母細胞から生じる娘細胞の数も少なくなる と予想される(図
5
).
この可能性を検討するために,損傷を受けた直後に応 急処置的に傷をふさぐのに必要なESCRTタンパク質を コードする遺伝子の破壊株で分裂寿命を測定したとこ ろ,確かに短縮していた(6)
.このことは細胞創傷治癒の
欠損が老化を促進するというわれわれの仮説を支持して いる.細胞創傷治癒後の細胞表層は老化する
興味深いことに,細胞創傷治癒機構に欠損のない野生 株においても,細胞表層に損傷を与えると細胞老化が促 進された(6)
.このことは「細胞創傷治癒の欠損」だけで
なく,「細胞創傷治癒」そのものも細胞老化を促進する ことを意味している.細胞創傷治癒を完了した細胞と老化細胞には少なくと も2つの共通点がある.老化細胞の細胞壁には分裂の跡 である出芽痕が多数存在するが(9)
,出芽痕は主としてキ
チンという成分からなっている.一方,修復後の傷にもキチンが蓄積している(5)
.また,老化細胞の細胞膜では
膜の構成が変化して流動性が低下することが知られてい るが,修復後の傷でも同様の変化が認められる(6).つま
り細胞壁および細胞膜の構成は細胞創傷治癒によって老 化しているといえる.そこで次に,細胞に与えられる損傷が老化を導くの か,あるいは損傷修復による細胞表層の老化が細胞の老 化を導くのかを検討するために,細胞創傷治癒の開始が 早まる変異株を用いて検討を行った.細胞に与えられる 損傷そのものが老化を導くならば,修復が早まれば細胞 へのダメージは小さくなり,老化は遅れるはずである.
図4■細胞創傷治癒と分裂寿命に必要な生物学的機能は半数以 上が共通している
細胞創傷治癒スクリーニングの109のヒット遺伝子は37の機能グ ループに分類され,SGDデータベース上に登録されている分裂寿 命の維持に必要な119遺伝子は43の機能グループに分類された.
これらは半数以上に当たる24の機能グループが重複していた.
図5■細胞創傷治癒の欠損は分裂寿命を短縮する
出芽酵母は母細胞から娘細胞が出芽するという分裂様式をとるた め,新たな細胞膜の合成は主として娘細胞で行われる.細胞創傷 治癒機構に欠損があると,通常の増殖の過程で母細胞が受ける損 傷を修復できず,母細胞の分裂停止は早まり,一つの母細胞から 生じる娘細胞の数も少なくなる(分裂寿命が短縮する).
しかしこの株では野生株と同様の老化が認められた(6)
.
さらに,細胞膜の膜構成が老化細胞とよく似た変異株で 分裂寿命を測定したところ,老化が促進されていた(6).
したがって,細胞創傷治癒の完了による細胞表層の老化 が細胞老化を導くと考えられる.前述のように,細胞創傷治癒と細胞質分裂は細胞に とって本質的な共通点があるらしい.このことを考え合 わせると,細胞質分裂によって細胞が老化していくよう に,細胞創傷治癒によっても老化していき,その鍵とな るのが細胞表層の老化,つまり細胞壁および細胞膜の構 成の変化による強度や流動性の変化であると考えられ る.既知の細胞老化の原因であるSirtuin,テロメア,
Tor,ミトコンドリア,プロテアソームなどの欠損や機 能低下に加え,細胞損傷による細胞表層の老化も細胞老 化を促進する新たなメカニズムであることが示唆され た.
まとめと今後の展望
細胞表層の損傷は細胞老化を導く.それではSirtuin,
テロメア,Tor,ミトコンドリア,プロテアソームなど は細胞損傷によりどのような影響を受けるか? またそ れらの影響は細胞損傷による老化に寄与するか? また 細胞損傷に強い細胞は長寿なのか? 細胞損傷による細 胞老化はヒトまで保存されているか? これらは未解明 の問いとして残されているが,酵母の強力な遺伝学的解 析や新たな顕微鏡技術によって,数年のうちに答えが見 いだされるだろう.やがてはデュシェンヌ型筋ジストロ フィー症,早老症などの治療や,がん細胞を老化させる 治療へとつながる方向へ分野が発展していくことが期待 される.
文献
1) R. Bashir, S. Britton, T. Strachan, S. Keers, E. Vafiadaki, M. Lako, I. Richard, S. Marchand, N. Bourg, Z. Argov
: , 20, 37 (1998).
2) K. J. Sonnemann & W. M. Bement:
, 27, 237 (2011).
3) N. W. Andrews, P. E. Almeida & M. Corrotte:
, 24, 734 (2014).
4) A. J. Jimenez, P. Maiuri, J. Lafaurie-Janvore, S. Divoux, M. Piel & F. Perez: , 343, 1247136 (2014).
5) K. Kono, Y. Saeki, S. Yoshida, K. Tanaka & D. Pellman:
, 150, 151 (2012).
6) K. Kono: unpublished results.
7) V. D. Longo, G. S. Shadel, M. Kaeberlein & B. Kennedy:
, 16, 18 (2012).
8) Saccharomyces GENOME DATABASE: http://www.
yeastgenome.org/
9) D. A. Sinclair: , 1048, 49 (2013).
プロフィル
河野 恵子(Keiko KONO)
<略歴>2000年東京大学理学部生物学科
(植物)卒業/2005年同大学大学院新領域 創成科学研究科博士課程修了/同年ハー バード大学医学部・ダナファーバーガン研 究所研究員/2012年名古屋市立大学大学 院医学研究科講師,現在に至る<研究テー マと抱負>細胞創傷治癒機構の全貌解明 と,若い人に酵母の魅力を紹介することに 興味があります<趣味>読書,マラソン,
観劇
Copyright © 2015 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.53.751