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藤永太一郎

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Academic year: 2024

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(1)

回 顧 と 展 望

藤永太一郎*

く過ぐる日>

研究所は創立よりほほ

40

年の間、経常費ゼロで運営され、京大理化分析研究 室での分析化学と海洋化学の研究のうち後者の全てが、同時に研究所の業績とさ れてきた。その主なものをふり返ってみることにしよう。

l)

海の分析とキャラクタリゼーション。創立の頃は戦争からの復学者で活気 にみちていた。片っぱしから微量元素が分析されてゆくうち、普通元素の例えば アルミニウムの定量値が数

ppb

(黒潮)から数百

ppb

(瀬戸内海、日本海)といっ たバラッキを示し、また鉄、ケイ酸なとは前処理とセンサーの相違によって分析 値が大きく異なる、というようなことが指摘され始めた。この問題は学会でも大 きな議論になった。海水とは何か、汲んだその侭の、極端に言えは魚も泳いでい るすべてが海水、という生物学寄りの考えから、採水直後にミリポアフィルター で濾過したもの、という事に決めようという化学独自の議論に発展する一方で、

単に元素総星を決めるのでなく、溶存状態を明らかにする、いわゆるキャラクタ リゼーションか肝要、という今日の海洋化学が誕生した。(文部省特定研究「ト レースキャラクタリゼーション」代表者藤永太 一郎

1979"‑1981

年、報告 書参照) 2) 琵琶湖の富栄養化。昭和 36年建設省は堅田地峡にダムを建設することに よって阪神工業地帯へ毎秒

40

トンの給水増が可能であるとして、その影響評価 のため琵琶湖生物資源調査団

(BST)

が組織され、その

2

年間行なわれた膨大な 研究成果を整理した結果は日本陸水学会(昭和37年甲南女大)で議せられた。水 質班の森井ふじによるのチッ素、布施慎一郎によるケイ酸のデータにもとづい て、班長である筆者がダム建設は急速な汚染を招く可能性があると指摘して近畿 地建と激しく渡り合うことになったか、結局これによ ってタム建設は中止とな り、堅田には琵琶湖大橋が架橋されたにとどま った。この富栄養化の指摘は直後 に「臭い京都上水」問題で実証された形になったが、その後の県民の努力によっ て

35

年経った今日なお湖水が清澄を保ち得ていることは欣はしい。

3)

瀬戸内海汚染と 総量規制 。イタイイ タイ病、水俣病の経験を通して筆者は 工業廃水の改善は濃度規制でなく、 総量規制 によるべきであ ると主張 してきた か、徳山ての瀬戸内海シンポジウムと松 山放送局から の

NHK

テレピ招待出演に際

* (財)涌洋 化 学 研 究 所 所 長

Transactions of T h e  R e s e a r c h  Institute of  (1)  Occanochemistry Vol.  10, No. 1, April. 1 9 9 7  

(2)

して、総量規制の主張とともに、企業が汚染漁区の買上げで糊塗するのでなく、

水銀電解法を改めるなど企業努力によって自然環境自体を保全するよう提言し た。このことはのちに京都府代表委員として参画した環境庁「瀬戸内海委員会」

での関係府県間調整の基本理念となったのみでなく、全国的に一つずつ改められ て、今日では先進国中最も優れた環境対策国、日本が実現している。

く近ごろ>

丁度筆者が研究所を継承した頃から法人研究所の活性化が望まれ るよう にな り、大学への依存体質を改める決心をした。幸いにも現理事長の木田英氏、理事 の紀本俊夫氏、所敦夫氏らの 御芳情による研究基金の御寄贈 を頂いた ので、以下 述べるような活発な研究が恒常的にできるようになった。ここに特記して謝意を あらわす次第である。

1)

定例の春秋講演会と毎月のクラブ活動。石橋雅義先生は昭和

10

年か ら

34

年 までの京大教授在任中、毎週「雑誌会」を催し、休まれることはなかった。その 後を継いで筆者も昭和

57

年 にやめるまで同様に経過したのみでなく、その後奈 良教育大学に移ってからも「玉曜会」と称して毎月第 一土 曜日に開催してきた。

更に学長退任後、昭和

65

5

月か らは会場を 楽友会館 に移し近畿化学協会と共催 の 「京都化学者クラブ」俗称KKK として、 足か け8年休み なく続け 、来る4月5 日の第

82

回例会は木原壮林教授の卓話、生命起源を考える、である。雑誌会と しては、順次話手変り聞き手変って、

62

年間続いていることになる 。

他方、藤永研究室は毎春講座の卒業論文発表会に石橋名誉教授をお招きし学生 の紹介とその 研究への御批判を頂く習わしになっていたが、また秋には同窓や近 隣の諸学会賞受賞者を招いての講演会を催した。先生が 亡 くなって後は、 この春 秋の講演会を研究所が引継ぎ主催、日本分析化 学会近畿支部 が共催す るよう に なったが、誰言うとなく石橋先生記念講演会と呼ばれて今日に及んでいる。この

4

28

日の講演 会は研究所が主催 し始めて 第

17

回になる。

その間、昭和

61

年には研究所報、

Transaction of  the  Research  Institute   of  Oceano‑Chemistry

「海洋化学研究」を創刊、上記定例講演会毎に 発行 (年

2

号 )するとともに 「海洋化学学術賞 」を設定し、斯学に貢献著じるしい学者1名 に授賞することにな った。今年その 第

12

回受 賞者 は平木敬三近畿大学教授に決 定したか、同教授は近畿大学における石橋先生の海洋化学講義の第1回受講学生 であった由で真に 、出会 い、の妙 を感じないではおれない。学術賞のメタルは先 生の若き 頃のスケ ッチ、遠洋帆船、を原画としてい ることもあって「石橋 賞」と も呼はれているが、その受賞者は、東は米 ・カリフォルニア大学から西は琉球大

(2)  海 洋 化 学 研 究 第 10巻第 1号 平 成94

(3)

学に及んでおり、選考の普遍性と相まって今では国際的に高い評価を享けてい る。

2)

海洋水の自動分析法の開拓。海洋環境の地球化学的評価には四次元的に密 な、できれば連続した、分析情報が必要である。このような研究開発は研究員す べての協力、特に上記の講演会、クラブ活動での討論にもとづいて推進され今日 に到っているが、特に紀本岳志らの開発した現地自動観測システムの完成は画期 的なものであった。塩分、

DO

COD

、栄養塩を含む溶存元素が深度別に採水分析 され、データは無線と有線によって刻々都市のセンターに送られる。このシステ ムによって以下項目のような多くの成果が得られている。

3)

生命起源物質の無機生成。中海(島根県)に設置された上記観測システム から得られたデータから、紀本岳志はマグネシウム塩存在下で硫化水素が作用す ると、アンモニア、アルデヒドや有機酸が縮合重合して、生命起源物質と考えら れるポリペプチドが合成されることを見出し、現在もその成果は英独を含む内外 で検討され、海洋での生命発生説に有利な波紋をなげかけている。

4) 化学的方法による地震予知。海水中の通常元素の正確な定量はそれ自体困 難を伴なう仕事であるが、中山英一郎は独自に開発した鉄とマンカンの新しい抽 出分光法を確立すると共に、紀本岳志の協力を得て海水中自動観測システムを完

成し、

in situ

分析を行なった。その間にたまたま釧路沖地震が起こり、海底

海水中にこれら元素の急増する事を見出した。この事は従来主として物理的観測 に頼っている地震予知に新しい有力な武器を提供したものと注目されている。

5)

海洋砂漠の緑化構想の提案と基礎研究。大陸や島嶼からはなれた大洋では 栄養成分が表層海水に希薄であるためプランクトンが成育せす、従って多くは不 毛である。しかし光がとどかなくなる

100"‑'500

メートル以深では、多くは富栄 養であることが知られている。筆者らはこの中深層海水を海流の力をかりて自湧 昇させることによって海洋の緑化をおこない、二酸化炭素を吸収させて地球温暖 化を防ぐとともに魚獣を養って食糧問題の解決に役立てようと提案し、その基礎 検討を行なっている。地球規模の大研究であるが小規模実施の集積可能な一石三 鳥の課題と考えている。

6) その他。既に完了し、論文として評価の得られている諸研究に下記のよう なものがあるが、原報を参照頂くことにしたい。

(i)

海水中のクロムの分布と 溶存状態の研究(桑本融、中山英一郎)、(

ii)

ウランの溶存状態とその採取に関 する研究(中山英一郎)、(

iii)

水圏における各種リン酸の溶存状態とその分離 定量法の研究(堀智孝)である。

Transactions of T h e  R e s e a r c h  Institute of  (3)  Oceanochemistry Vol.  10, No. 1,  April.  1 9 9 7  

(4)

くこれから>

以上概観したように、最近の十数年間に、当研究所が内外に注目される大研究 課題を提起したばかりでなく、実際に大きな研究成果を挙げてきたことは、将来 の研究態勢の在り方について、大きな示唆となろう。時あたかも京都大学では、

文学部から哲学科の名が消え、理学部で分析化学 ・海洋化学分科がなくなった。

同様の改革は他大学でも行なわれている。事の良否はさておき、このような機構 改革はまことに象徴的である 。大学 という研究教育機構は

800

年ともいわれ る歴

いった主知主義をかな ぐり捨てて、効用主義への転換に苦しんでいる姿をかい間 見る思いである。ともあれ、大学改革の「これから」はいすれ評価の決まるとき にゆづり、翻って海洋化学研究所を見ると、これは長年にわたってひたすら海の 真実にあこがれ、それのみを求めてきた優れた海洋化学者集団を擁して、夫々が 観自在に、学び、交わり、知られようとせず、精進しているのであり、それがま

た将来へ引続く主知の説(ヨロコビ)となっている。

具体的には、教授も学生もいないが、独創性あふれ る理念や研究方法論が 賢人 の清談の 中で生まれ、その結論は 研究、 実験、製造といっ た夫々の施設において 協力進行 し、 実体化し 、大課題研究 が順次成就してい るの である。この間格別 の 改革も休止もないのは、真理は変わることがないからである。

(1997.04.02) 

年 表

1946

年 (財)海 洋化学研究所創立

(4

4

日) 、兼松商店の 基本財産と基金の 寄付による。

初代理事長 (研究所長 )石橋雅 義氏

1977

年 第 二 代 理 事 長 近 藤 金 助 氏 (石橋先生逝去に伴う )

1984

年 第 三 代 理 事 長 藤 永 太 一 郎氏 (近藤先生逝去 に伴 う)

1986

年 所報「海洋化学研究」創刊(年

2

回)、海洋化学学術賞(石橋 賞 )創 設(毎年 1名 )

1993

年〜 第四代理事長 木田英氏、藤永太 一郎氏は研究所長に専任、副所長:

左右田健次氏、堀 智孝氏、研究担当主事:紀本岳志氏

(4)  海 洋 化 学 研 究 第 10 巻第1号 平 成94

Referensi

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