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金屋子神の諸相

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Academic year: 2025

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第一

たたら製鉄とは

日本では︑金銀銅鉄など金属の生産・加工に関わって︑古来︑さまざまな神が崇敬

島まつま︑'コ島めのまひとついしこりυ﹂めの対象とされてきた︒たとえば記紀神話に見られる天津麻羅(天目一箇神)︑石凝娼︑

金山彦︑金山姫といった神々︑さらにそのような古典神以外にも稲荷神や荒神︑山神

などが代表例である︒しかしながら山陰を中心とした中国地方においては︑とくに︑

たたら製鉄をめぐって金屋子神が崇敬の対象とされてきたことはよく知られている︒

金屋子神は︑出雲能義郡西比田(現安来市広瀬町)所在の金屋子神社を本社として︑

出雲︑伯耆備後︑石見にわたって二二の分社を数えたと言われ︑またこれらの地域

の舮場の守護神として祀られていたのはもちろん︑地域社会の小祠や神木にもその名

が数多く見えている︒もっとも大正期以降︑たたら製鉄が急速に衰退していくなかで︑

このような地域社会における金屋子神崇敬も衰微の一途を辿っている︒

金屋子神をめぐっては︑大正元(一九三)年から翌年にかけて︑浜田出身の冶金

学者俵国一が﹃鉄山秘書﹄を翻刻してから︑般の関心が向けられるようになってき

た︒同書は︑伯耆日野郡の舮経営者下原重仲が天明四(七八四)年に完成させた︑

たたら製鉄の指南書とでも呼ぶべき書物であったが︑そのなかには﹁金屋子神祭文﹂

を始めとして︑金屋子神に関わる生き生きとした伝承が豊富に含まれていたからであ

る︒よく知られているようにこの祭文は比田金屋子神社の由来譚であり︑白に乗っ

て比田の山林の桂の木に降り立った金屋子神を︑在地の安部正重なる者が見出し︑み

ずからこれを祀る神主となってたたら製鉄の技術を伝授されたという︒この祭文に加

えて︑金屋子神は血の桟れを厭いながらも逆に死の識れを好む︑あるいはまた金屋子

金屋子神の諸相

山崎 亭

神は女神であるが故に女性を嫌うといった伝承や︑村下の屍体が金屋子神の神体であるとか︑死亡した村下の觸憾の色の変化で鉄の出来を占ったといったいささか猟奇的な記述も見られる︒さらに神主の安部氏は金屋子神と同一視されるほどの絶大な﹁神

徳﹂をもって︑毎年各地の舮場を回り︑金屋子神崇敬の﹁勧化﹂に努めたとも述べら

れる︒﹃鉄山秘書﹄に描かれる金屋子神のこのように特異な性格が大方の注目を集め︑

これを契機として昭和期以降︑牛尾三千夫や石塚尊俊ら在地の民俗学者を中心に金屋

子信仰研究が進められたのであった︒

しかしその一方で︑﹃鉄山秘書﹄ほど知られてはいないが︑近世末の山陰地方には

金屋子神の由来を説くさまざまな縁起類が出まわっており︑そのなかで最も浩瀚なも

のが﹃金屋子縁記抄﹄全五巻であった︒この書は︑石田春律1近世石見の代表的な

地誌﹃石見八重葎﹄の著者であり︑石見那賀郡大田村桜谷錚の経営者でもあったー

が︑文政八(一八二五)年に完成させたたたら製鉄の解説書である︒そこでは︑儒仏

神混渚の独特の思想に基づいて︑石見地方のたたら製鉄の起源と展開とが︑金屋子神

の事跡に言寄せて説かれている︒その神話的記述の故に全体の脈絡が把握しにくく︑

これまで研究者にもあまり取り上げられてこなかったが︑近年はそこに含まれる舮技

術の解説を再評価する動きも現われている︒本展には現本が展示されているが︑金屋

子神に関わる粗筋を簡単に紹介しておくと︑次のようになる︒

いざなきいざな須弥山に籠っていた﹁金エノ神﹂たる金山姫神が︑伊弊諾・伊坤冉神に懇願され

て日本に到来し︑諾冉両神の子である金山彦神と夫婦になって︑夫に﹁金エノ道﹂1

金属加工の技術を伝授する(一巻)︒次いで金山姫は金山彦の在所である大和天香具

山の麓で﹁玉ノ様成ル男子﹂の金屋子神を産む全巻)︒両神はやがて巻属も引き連

れて備中加陽郡中山村細河谷に移り︑初めてたたら製鉄を営む︒ここに成立するのが

﹁備後流﹂の舮である︒約一0年後︑金山姫・金山彦・金屋子三神は金の産地である

奥州信夫郡福島村山家谷と小田郡金華山︑銀の産地である佐渡島等東国の鉱業地を

(2)

歴訪するが︑その帰途︑美濃国不破郡南宮村において金山姫・金山彦が﹁神去リ給﹂

)︑その墓所として南宮大社(現岐阜県不破郡垂井町)が造立される︒金屋子神はさ

らに諸国を回り︑諾冉両神の勧めもあって石見那賀郡浅利村',ノ鳥家崎に到り︑石見

地方で初の銅場を構える(三巻)︒次いで大田村の金屋子鋲(後の桜谷舮)を創設し︑

ここから邑智郡に舮の技術が伝わって﹁出羽流﹂が起こる(四巻)︒金屋子神は齢を

重ねた後︑出雲能義郡黒田郷比田村に天降るが︑その子孫が安部氏であり︑﹁筋張鑪

床﹂という新しい銅の構造を編み出した(五巻)︒

一見したところ荒唐無稽な神話風の物語だが︑当時知られていた全国の鉱業地の工

ピソードを折り込みながら︑石見の舮︑なかでも春律が経営する桜谷舮の先進性を︑

金屋子神との関連で巧みに説明する構成となっている︒もとよりこのような﹃金屋子

縁記抄﹄の内容は︑当時流布していた多様な伝承に依拠しつっも︑春律の創意による

部分が多いだろうが︑﹃鉄山秘書﹄のストイックな記述とは趣を異にし︑神々による

舮場での作業を描き出す純朴な挿画ともども︑九世紀初頭の石見地方における銅製

鉄の一端を示す︑貴重な資料といえる︒

第一章たたら契鉄とは ところで﹃金屋子縁記抄﹄には比田金屋子神社への直接の言及は見当たらず︑金屋子神もまず最初に石見地方でみずからたたら製鉄を営んだことになっている︒しかし現実問題として金屋子神崇敬が︑石見でも比田金屋子神社からの﹁勧化﹂に基づいていたことは想像に難くない︒たとえば明治初年︑小祠や森神(神木)に祀られる金屋子神は︑津和野藩を除く石見地方で二二0柱を数えたが︑そのうち︑郡別の分布では邑智郡が九一柱で七割弱︑那賀郡が二八柱で二割強であった(﹃神社書上帳﹄[明治四年︑島根県立図書館蔵]による集計)︒この数字は︑比田金屋子神社に残された﹁勧進帳﹂ 1寛政三(一七九)年︑文化四(一八0七)年︑文政二(一八一九)年に︑社殿再建のための奉加金を収めた鉄師たちの名簿1に見られる銅・鍛冶の郡別分布パターンとほぽ同じである︒すなわち石見全域で延べ一四九ケ所を数えるこれらの舮 鍛冶のうち︑邑智郡が九一ケ所で約六割︑那賀郡が三一ケ所で約二割を占めていた(鉄の文化圏推進協議会編﹃金屋子神信仰の基礎的研究﹄[岩田書院︑二00四年]所収の一覧表による集計)︒もっとも︑双方の資料に見出される地名は必ずしも相互に対応するものばかりではないが︑しかしながら金屋子神社の﹁勧化﹂の範囲が︑地域社会における金屋子神崇敬の範囲と重なりあっていたことは明らかであろう︒

近世後半以降︑貨幣経済の浸透と共に在地産業化したたたら製鉄が永代舮の施設を

大型化させるなかで︑金屋子神の崇敬は︑比田金屋子神社の﹁勧化﹂を通じ急速に拡

がっていったと考えられる︒その成否が人為だけではどぅにもならず︑常に危険とも

隣り合わせのたたら製鉄を維持していくために︑いっそう強力な神格への崇敬が要請

されたのであろう︒その方で︑金屋子神には多様な諸相を見て取ることができる︒

すでに触れてきたようなさまざまな伝承が残されているばかりではなく︑その姿にし

ても︑一方では三宝荒神の系譜につながる急怒相︑他方ではたおやかな女神像という︑

両極端の容貌を呈している︒あるいは小祠や森神に祀られる金屋子神のなかには︑当

初銅場や鉄穴に祀られていたものが︑その移転後に地域社会の守護神として受け継が

れてぃく場合もあった︒また︑邑智郡に隣接する備後双三郡に伝わる﹁ばんこ節﹂に

は︑﹁た︾ら打ちたや︑此ふろやぷへ/塩と御幣で︑浄めておいて/いはいこめたや︑

かないごじんを﹂という唱句が残されており(﹃偲諺集﹄)︑﹁ふろ﹂とは森のことを指

すが故に︑これは森神として金屋子神を祀る心意を示している︒そこには永代舮以前

の野舮のかすかな記憶を読み取ることさえできるかもしれない︒たたら製鉄という前

近代の基幹産業をめぐって中国地方の人々が抱いてきたさまざまな思いが︑金屋子神

崇敬の多様な形にはおそらく反映されているのである︒

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