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9 月 15 日 中津屋 白山神社 大神楽、かけ踊

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9月15日 中津屋 白山神社 大神楽、かけ踊 岐阜献郡上郡白鳥町中津屋白山神社 八幡神社秋祭 カキ踊は鎌倉踊と場所踊とを組合せたもの。

行列の順序及び役割。

白玉 4人 青年 の紋の法服茶縞の袴、白玉のついた長襷 露拂 2人 黒紋付羽織一文字笠。白足袋

薙刀 2人 顔を女に粧う。カブト、桐の紋の胸当、女装、

大奴 5人 法被鱗の袖口、毛槍、運箱を持つ 剣持 1人

田楽(さゝら)1人 弥宜 1人

おかめ 1人 隊列を離れて遊び廻る。 青年、すりさゝら 天狗 1人 隊列を離れて遊び廻る。赤面、すりさゝら 拍子打ち(シナイオネとも)2人

歌おろし 5~8人

鉦 1人 老人、黒紋付羽織、一文字笠、白足袋 指揮役 1人。黒紋付羽織、白足袋、陣笠をきる。

花笠 10~30人。色模様の着物、袖なし、花笠に2種ある 笛 8-10人

踊子 不定。村人全員

素奴 (30人)。26人締襷、子供2年生-5年生。半てん縞えり、甲冑、脚絆、花わらじ 太刀奴 10人。素奴同じ。太刀をはく。腰当をする

道中囃を 「ゴンズメ」

境内に入って円陣をつくるとき 「テンテコ」

円陣ができ上ると 「小拍子」

小拍子の一番は 「カコデコ」

二番は 「ノダ」或いは「ヤマダ」

三番は 「カンノバチ」

踊は囃しのあと拍子木が入って「ハンヨ」の掛声で歌と共に初まる 八幡記では八幡本おどり、かやしの踊、引歌

白山社では十禅寺おどり、かやしの踊、引歌

引歌が終って囃子となる「ウチクズシ」次「コンヅメ」で終る。

大神楽。

露払 2人 カケ踊と同じ。

長刀 2人 カケ踊と同一人。

奴 5人 カケ踊と同一人。

剣持 1人 カケ踊と同一人。

田楽 1人 カケ踊と同一人。

東西 1人 神官の服装、幣を持つ。

おかめ 1人 カケ踊と同一人、すりさゝらを持つ 獅子鼻取 1人 カケ踊の天狗役がなる

獅子舞 10人 獅子頭1つ、3人入り。

笛 12人 1部はカケ踊の笛にも出る。

神楽堂 2人 神楽堂を舁ぐ役。白い着物、青竹を持つ 太鼓打 2人 子供、

小太鼓打 1人 青年、裃袴、

鼓打 6人 青年、金色の鳥兜を冠る、裃、袴、

護衛 5人 外に大世話 3人

道中囃を「コンズメ」カキ踊より先に行く。

「大道行(オオシチユキ)」「宮廻り」

舞庭に入って獅子が寢ると初まる。曲目「トオフヤ」「大神楽」「岡崎」。 次に再び「宮廻り」。こゝで囃子方の位置を代える。

それから「マザリ」(大神楽の曲と岡崎の曲と混じったもの)。

(2)

次「しばやぶり」「こしづめ」全部で3曲。

これをもう1度くり返す。最後のときの囃子は「返り岡崎」

返り岡崎の曲でカキ踊りの「テンテコ」と同時に奏曲されお互に場所を入れ替える。

昭和41年15日と16日とやる。

15日は朝のうちに白山神社で1踊。午後1時半頃から八幡神社でやる。16日も同前2日がきまり和田さんの家が 宿となる。朝、白山社へ行くとき宿の庭で一と踊りして出る。

素奴 奴はんてん、コン、後に桐の紋、青の兵子帯、赤前垂、赤鉢巻、白の手甲、格子縞のすね当、黒足袋、

花*のついた白緒のわらじ、後鉢1つを持つ。

太刀奴 素奴と同じ。赤前垂なし、黒のもゝひき、腰当は雲の模様、サヤに造花をつけた太刀をはく。太刀奴の 役は丸に桐、竪縞白黒の帯。

花笠 模様の着物、着流し、はんてん羽織。頬に紅をおく。小太刀をはく。白足袋、あとがけ草履。花笠は花 の鈴を捲いた白紙*の笠。頂に御幣を立てる。小さい子供のは御幣の代りに造花をつける。

八幡神社正面の舞台では今夜(15日夜)歌舞伎があるらしい。午後1時半、まづ大神楽が入場する。道中囃の「こ しづめ」は打つが、実際の道中は殆んどない。午前中の白山社へ行くときはあったらしい。八幡社の鳥居の前の道 の所までは三々五々にやって来る。それまで境内で遊んでいたカケ踊の花笠や、素奴達は全部外へ出てしまう。宮 廻りは右廻りに境内を3巡りする。

舞庭の位置が決まると奴、剣持等の持っている大道具は一度片付けてしまい、中央へ蓆を敷いて獅子の座とする。

おかめ、鼻取、田楽はその他のものがつくる円陣の中をめぐる。鼻取がやゝ道化の役をつとめるが、東西が帯を 振って神楽を納めることを言立てするとき鼻取が、東西に近くと向き合ってうなづく所作はよい。

寝獅子から始まり曲は「とうふや」「大神楽」「岡崎」と変るが、その度ごとに東西の言立てがあり、獅子舞の変 化よりも鼻取の所作の変化が多い。鼓打、笛の獅子が実に美しい。以上の 3 曲が終ると、途中で宮巡りがあって、

丁度 180 度だけ右へ廻って鼓が舞台に近い方になり笛が神倉の側へ廻り、神楽堂の位置、獅子の向く方も東西振替 りになって、もう1度3曲を打つ。

最後に「まぜり」曲となって宮巡りに返り岡崎になって、そのとき笛役の一部は例を離れて鳥居の外の石段の所 に並んで、「こしづめ」の曲を奏する。このときカキ踊の拍子打ちが鳥居の外に集り笛の「こしづめ、返り岡崎」の 曲をうけて、白玉を先頭に境内へ入る。

そこの演出は大へん難しいらしく、大世話が走り廻って、丁度神楽堂が境内から出た瞬間白玉が鳥居を潜るよう になっているという。續いてカキ踊の行列が入場し、拍子打3人を中央にして円陣を作る。この円陣は1重の輪で あるが、花笠と素奴、太刀奴のみは花笠を中にした2重の輪となる。

囃しの間は、おかめ、天狗は中央の拍子打と円の間を遊び廻る。踊りになれば輪の中へ入って自分も踊る。

中津屋のカキ踊は、太鼓踊であることは間違いない。カケ踊、嘉喜踊ともいう、が、特長は中心になる拍子打ち

(シナイオネ)そのものよりも、これを取巻いて円陣をつくるその他多勢の諸役にあるようでその諸役の拍子打ち を中心とした道中が非常に入念に行われる。この特長はカキ踊に先行する大神楽にも見られる。而してその大神楽 との関連性から見て、大神楽のもどき芸のようにも見られる。

白山神社と八幡神社で行われる所から、白山信仰と八幡信仰とに分けて考えて見ることは無理のようである。

一般の太鼓踊に見られる、戦捷祈願、等の伝承から考えて、中世末の武士団の土着と思わせるものがある。

そこで最初に掲げた嘉喜踊りの役柄を、大神楽の宮巡りの行列のもどきと見る点から改めて記入する。

1、 白玉。4人。25-8才の青年。菱釘抜紋を白に染抜いた赤茶の(白鉢巻)法被、襟は白、茶の縞、長さ役2 mの棒の先に白の紙垂を玉にしたものをつけて、これを槍のように棒尻を掌にうけて立てゝ進む。草履ば き、白粉をつけ、八ひげ、吊眉を描く。

(3)

2、 露払。2人。黒紋付羽織に黒の着物、角帯、白足袋、ぞうりばき白緒の一文字笠をきる。青竹杖を持つ。35

~40才位の男子

3、 薙刀。2 人。13~15 才の男子。女装、赤のちりめん模様の着物。色兵子帯を後でだらりに結ぶ。顔は女に 化粧し、両頬に紅をおく。黒の足くびまである股引、色紙の総玉をつけたわらじ穿き。赤の手甲、頭に鉢 火形兜をきる。長刀を持つ。この役は大神楽に出たものが再び出る。

4、 大奴。5 人。20~22 才位の男子。大神楽に出たものが出る。袖口鱗模様の紺の法被、紺の手甲、脚絆、茶 色の縞の帯、毛槍、はさみ箱を持つ。

5、 剣持。1人。大神楽に出たもの。

6、 田楽。1 人。大神楽に出たもの。11~12 才位の少年。緋の唐子服、同じ布のかるさん、白足袋、赤草履ば き、手甲、造花をつけた平の笠、紅緒、さゝらを持つ。

7、 弥宜。1人。大神楽の東西に出たもの。烏帽子、水干、御幣を持つ。かけ踊では歌出しの役をつとめる。大 人。

8、 おかめ。1人。25才位の青年。女装、おかめの面をつける。摺さゝらを持つ。これも大神楽と同一人 9、 天狗。1 人。26 才位の青年。鼻高の赤面。赤い模様のある着物に、同色のかるさん、草履ばき、鳥兜をつ

け、手甲の手にさゝらを摺る。

おかめと天狗は囃しのときは輪列を離れて、踊庭を遊び廻る。天狗は時々とんぼ返りをやる。

10、拍子打。(しないをね、とも)3人。白鉢巻、紺の着物、茶色のたっつけ、黒足袋、わらじばき、胸に三ツ 巴の太鼓を吊り背にしないと背負う。

しない、は長さ約5m位の割竹3本を束ねたもので背に負う所は1本の筒状に黒い布で巻き、その上を更に 金色に縛ってあるが、そこから上は金銀5色の紙で造った花で飾り、更に五ヶ所を水引に赤、青、黄、白、

緑等色紙の花をつけたもので束に結び、1番先の方は3本が少しばかり開くようにしてある。縛ったしない は背より丁度その拍子打の頭の上前方へ撓むように脊負う。両手に夫々撥、撥は弓のように反った細い竹

(?)で黒塗、先に色総玉をつける。

道中は列中に居るが踊庭に入ると踊庭中央に 3人鼎に向い合う。向き合うとき3人のシナイは頭上で交叉 する。

11、歌おろし。5~8人。服装は露払に同じ。大人。大てい歌の上手なものがなる 12、鉦1人。老人。服装は同上。鉦を撞木で打つ。服装は露払に同じ

13、笛 8~10人。男子。年令を問わぬ。服装は同上。

14、指揮役1人。大人男子。青杖を持ち、黒紋付羽織、白足袋禅笠をきている。

15、花笠10~30人。8才位までの男童。村のうちから希望者は全部参加する。ちりめん模様の着物、上から袖 なりのぢんべいを着る。化粧し、頬に紅をおき、白足袋、あとがけ草履、紐に花玉をつける。玩具の小太 刀をはき花笠をかむる。花笠に二種あって幼い子供は、椀笠に造花をつけ、7~8才になれば椀笠紙貼りで、

その紙に絵具で花模様を描い、まん中、頂に3cm位の御幣をたてる。幣紙の色は、人によって緑、黄、赤、

白などある。

17、素奴 25~30 人。9~12 才位の男の子。桐の紋をつけた紺の法被。青い兵子帯、下に赤前垂をする。赤鉢 巻、白の手甲、格子縞のすね当、黒足袋、花総をつけた白緒のわらじ、手に綾棒を持つ。

18、太刀奴10人。12~13位の男の子。素奴役の卒業生がなる。服装は素奴と同じ。但し紋は丸に桐。赤前垂は しない。黒の股引をはく。雲の模様のある胸当をする。白と黒の縞の帯。反の強い太刀をはく。太刀の鞘 は五色の紙片で飾る。顔の化粧にもう鬚をつけているものもある。太刀奴は 5 人づゝに分れて素奴を中に その前後につく。

19、踊子。不定とあるのは村人なれば、以上の役のものに限らず誰れも輪に入ってよいことを意味する。

八幡神社境内で大神楽の「返り岡崎」「こしづめ」の囃曲により、大神楽が退場するとき、同時にこの大神楽の囃 曲に合せて拍子打が太鼓で嘉喜踊の「テンテコ」の調子を囃し、大神楽の退場と入れ違いにカキ踊の入場となるの であるが、大神楽について退場した大神楽へ役のもののうち引続きカキ踊に参加する役のものは直ちに八幡社の表

(4)

の鳥居の所へやって来て今度はカキ踊の一員として入場するのである。カキ踊は鳥居から入場すると直ちに拍子打3 人は中央の座に進み、太鼓を打ち続けているがおかめと、天狗はその周囲を、可なり道化風に練廻り、その他のも のは境内一ぱいに右廻りに輪をつくる。

このとき、花笠が入場すると花笠のみは輪なりに少し内側に並び、その外側は太刀奴と素奴が輪列につく。

この他に 1 人「鬼」と称える役のもの(大人?)が居る。これも大神楽のときも同じであるが舌を出している鬼 面をつけ、鬼に似せただぶだぶの着物を着、腰蓑をつけ、手に大きな団扇を持つ。着物も団扇も五彩の絵具や紙片 で、色どったもので、団扇は少し幅を持たせてあって、中に大豆でも入っているのか団扇を動かす毎にカサカサと 音がする。専ら場内整理係で中へ入り過ぎる子供を後へ退かせたり、邪魔となるものを注意したりする。

円陣ができるとまづ囃し「小拍子」となる。

小拍子は 3 曲からなり「カコデコ」「ノダ」「カンノバチ」の順である。第二番目の「ノダ」の代りに「ヤマダ」

曲をやることがあるが、その区別は聞き忘れた。

「小拍子」の間は拍子打ちの所作には、あまり激しい動きはない。拍子打は太鼓を打ちつゝ、3人で交叉したシナ イを解き少し離れて外に向き直り、片足を屈折してシナイの揺れる調子をとる等の所作をする。円陣のものは前員 中側を向き、楽器を奏するもの以外のものは手拍子を打ちつゝ全員 1 歩前次に後しつゝ、僅かづゝ輪を右廻りする のであるが小拍子が終って「ハンヨ」という掛声が入ると、歌になる。このとき、天狗、おかめも輪に入る。

八幡神社、本おどりの歌が歌われる、と踊りとなる。まづ歌おろしが一節を唱う。(1人で)ついで全員がその節 を繰返し歌うのであるが歌おろしのときと全員唱和のときと歌詞は同じであるが調子は少し違うようである。最初 の歌おろしは弥宜がやる、弥宜は仲々声のよい人で、この人の歌は一段冴えていた。

次が、歌おろしの 1 人という風に次々歌詞が運ばれ、第七節の歌詞は再び弥宜がおろす。円陣の手拍子も一段と はげしくなり輪の人々の前後の動きもリズミカルになる。中の拍子打ちの 3 人は大きくシナイを揺り動かし、その 撓みを利用して中心から外の方へ飛跳ぬるような激しい踊振りとなる。仲々重労働で、歌おろしの歌う間に世話役 が走りよって、汗を拭うている。踊りは約1時間かゝる。本をどりが終ると隊列を整えて1度鳥居を出て休憩とな る。

次いで、「かやしの踊」となるのであるが、このときはやはり隊例を組み、「テンテコ」の囃しで入場し、円陣を 組んでから「小拍子」3曲となる。

所がこの「かやしの踊」は更に「本おどり」のもどき芸の容相を呈する。入場する白玉や大奴は編笠をつけたり、

ちょんまげの鬘をかぶっているものがある。輪の中に飛込む参詣人がある。「小拍子」になったとき、大神楽の獅子 が輪の中に踊込んで来る。所がこの獅子は大神楽のときは頭振と後振りとの2人獅子であるがその間に5、6人の足 が見えていて、胴幌が異様に膨んでいる。

天狗が踊りながら、不思議そうにその幌を少し巻くり上げると足で蹴られるので、びっくりして飛退き、又別の 方をまくろうとする。トド、引出たれると、それは6 人程の青年の仮装フラダンスで輪の中を踊り廻り、おかめを 追かけたり、拍子打に抱きついたり大暴れとなる。大笑いとなるが、更に愉快なことにはフラダンス連中を生み出 したあとの獅子は幌を絞って前脚と後脚丈けが細々と出ていて、フラフラと囃しに合せて踊りつづける。

早速、天狗や鬼がフラダンスの逃げるのを追廻し、「小拍子」の終る頃には、フラダンスの全部をつかまえて、嫌 がるのを無理に又腹の中に詰め込み、獅子は太って踊りつゝ退場する。

そこで歌おろしとなって「かやしの踊」が始まるのである。仲々気のきいた演出である。

かやしの踊は本踊に比して、拍子打の踊りは更に激しい踊の後段になって、拍子打は輪の縁一ぱいに 3 方に分れ て前かがみになって、しないの穂先を中央で揃えると、次の節でははずみをつけて、しないで踊の庭をサッと一掃 する所作を繰返す。庭清めのようである。而して、これが終ると八幡様の引歌となって境内を出て、宿まで道中し て帰る。宿は和田さんの家でこれはいつも決っている。引歌のあと道中囃で和田さんの家即ち宿まで帰るのである がこの囃は「うちくづし」という。

午後八幡神社へ向うときも和田家から出るが、そのときは門出の囃しや、踊はない。和田家では朝白山神社へ出 発するとき「庄家の門のおどり」を1踊する。これには引歌はない。「かやしの踊」の後段、拍子打が庭を掃くとき は歌の合に調子が入る。「ヤッコリヤ、コリヤ、ドーコイサ、ドーッサ」と掛声をする。

中津屋では嘉喜踊について 2 つの伝説が残っている。万全和尚は中津屋の出生であったが、美濃、京都を経て後 蝦夷の地へ渡ったが、郷里中津屋へ15両の金を送り届けて、郷土の踊を絶させぬようにとの言伝があった。そのと きは中津屋ではカキ踊が中絶していたが1人の婆尼が憶えていたのを復活した。

遠藤慶隆は関ヶ原の合戦で東軍に従い戦巧があったので郡上郡の領主となった。この戦勝祝の踊を農民に鎌倉踊 と場所踊とを組合せた嘉喜踊として教え踊らせた。慶長5年のことという。

和田家はもとの庄屋の家筋でこゝからカキ踊は出る。

小拍子のうちの「ノダ」「ヤマダ」の曲の由来は、もと遠藤家の家老職の野田、山田が中津屋の代官であった。そ の頃カキ踊は代官所の前で一踊したらしい。その名残の曲であるらしい。野田、山田は後、帰農して土地の庄屋を つとめたこともある。

カキ踊は現在全て青年が中心となってやる。即15~25才のものは全員参加することになっているが、歌の方は調 子が難しいので、歌方に廻ったものは大人になっても頼まれてやらされる。

とにかく、全村のものが踊の輪に入ってもよいことになっているし、参詣人も輪の人に合せて、歌を口づさんで いるものがある。

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