2月5~6日 北九州市門司区文字ヶ関和 布刈神社 和布刈神事
和布刈神社は明治維新までは早鞆大明神といった。早鞆はもとは速戸であり、古くは隼人又は隼部に造ったらし い。
文化 6 年に是迄に用い来りし隼人の字は賎官の呼方なれば神に対して恐れ多きにより神鬮により速戸に改めたと いゝ京都吉田本所表兼雄卿の軍になる速戸大明神の神号がある。
祭神についても古くは軍に比売大神とあったらしい。
正殿第一、比売大神。
坐2駒形1、三女神也。
宇佐宮正殿ノ大神ト同体ニ而天照大神之御荒魂三女神也。賊敵降伏五神ニシテ玉依姫ト尊奉称車於2神代巻剣玉 誓之章1有2口伝1。
明治12年2月の神社明細帳には
豊玉昆売命、日子穏々平見命、多紀理昆売命、市寸島比売命、多岐都比売命、日子波限建鵜草葺不合命、阿津 美磯良神。
と3女神の外に4神が相殿となっている。
要は九州の北端つくる所の海崖にあったミサキ信仰のより所であり、目の先に本州がせまって、その間に本通舟 行の海路の外に、よりつく詣の伝承がこの岬を中心に九州へ拡がったもののようである。
干珠満珠の伝説が土地柄、明かに活きている。
熊襲征伐に関する占卜の神として、それに神功皇后の三韓征伐の伝話がからみ、胸形伝話と磯良伝説が伴ってい る。
和布刈の神事は海部の行事として、このような由来伝説とは別に伝承されたものらしい。
旧12月1日。境内に仮棚を設け、注連縄を引き、雌雄の新しき竹を取りて割竹とし2束の松明を作り、棚の上に 置いて乾燥させる。
同23日。今年の神事に奉仕する予定の神官を以テ社籠を行い潔済を始める。
同晦日。朝五ツ即ち午前 8 時頃より、神殿に餝を成し、夜に入りて社務所前の広庭に於て予て用意し置きたる大 なる枯木を沢山積みて之に火を移し、大に夜景の威勢を添え又続々と集る参拝の衆に腰をとらしむ。而して社厨に て神饌の調理をなす。
夜四更(丑刻二時)に至ると神事に奉仕する祠官が衣冠帯剣、鎌を携え炬を照らして社前の石殿を下りて干潮の 海に入り和布を刈りて帰り、広前に納め終夜神事を行ふ。
御神酒一升正殿へ献供、熨斗或は鰹節の類を副へる。
左右の殿には御酒を地磐の御酒錫之盛り足す。
和布1本或は2本、小なれば3本、御供皿或は土器に盛り五柱の前に奉る。余は和布桶のまゝ献備する。
神饌。
1、和布、則神事の和布にて此分は神事終りて調へる。
1、歯堅、大豆、干鰯、大根、
1、福会、小豆味噌、大根を以って作る 1、力の餅
1、鏡の餅。
1、桝鏡(小豆餅)
1、海鼠餅(小豆餅)
1、蕎餅。(蓬、ふつ、白)
1、神酒。
1、海魚
現在もだいたい、この通りに行われた。但、和布刈は 2回行う。第1回は神事用。この間は昔のように境内の燈 を消す。松明が唯一の灯りである。磪へ下る石段は神職の外は下さない。第 2 回目はカメラ用であって、新聞報道 社が辷る足下を物ともせず周囲からとり囲む中で和布を刈り取る作業をゆっくりやる。但し、5分間ばかり、和布刈 をする神職の足が感覚がなくなって耐えられないという。
門司の和布刈社で神事を行う同時刻に対岸の下関にも暗闇の中に松明の火が見える。これは長門一の宮、住吉神 社の和布刈神事が対岸でも行われる。
もとは和布刈神事は忌籠の神事で見てはいけないとされていた。海中に道が出来て海底に行くので、人が見ると 道が出来ないという。里人は全部、燈火を消して居籠をしたという。
晦日の夜即ち5日には午後9時頃から境内で、横代神楽が奉納された。築上郡赤旗八幡の赤旗神楽系。(※印は当 日やらなかったもの)。
御祓い、米撒き、折敷、御福、手草、※地割、※五行 剣舞 御先駆(みさき) 岩戸開き、湯立、木登り。
岩戸開は手力男命、鈿女命の舞であるが外に五鬼(四人の鬼面)が出る。この鬼を若者が背負って捨てに行く所 があるが、和布刈神社では場所の関係でやらなかった。
湯立は横代神楽の専門芸であるらしく、鼎の上に置いた大鉄釜(平釜)の下に12束の薪を燃やし、その置灰の上 を舞人が素足で歩き廻り、平釜の熱湯に手を入れてその湯を見物人に撒き散らしたりする。
木登りは高さ20m位の杉丸太3本を境内に立てこれにロープを張り、舞人がその丸太柱にかけ上ったりロープを 伝って別の柱に移ったりする。可なりアクロバット式の散楽系の芸である。