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2 月 11 日 東京都板橋区徳丸本町 北野神社 田遊

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2月11日 東京都板橋区徳丸本町 北野神社 田遊

北野神社の田遊は午後 7 時から始まった。本年は岩波が映画に撮映するらしく、数ヶの大型ライトを用意してい るので、写真を撮るのにはフラッシュが不要で非常に都合がよかった。が大稲本は、こんな明るい所で、とこぼし ているようであった。

祭神、菅原道真。「武蔵国豊島郡徳丸郷天神宮紀」によればもと此処に古い梅の木があった。正暦年間に悪疫流行 の際この霊梅に悪疫退散の祈願をした所早速効験があったので長徳元年(995)北野神社を創建。田夫の俳優を奉納 したとある。御霊信仰に始まるものらしい。

11日午前中準備。田遊は永らく中絶していたのを大正13年に復興され、現在伝承者14名。

社務所の庭で餅搗をする。御鏡餅1重ね、お供餅(15cm位の丸餅)51ヶをつくる。鍬にする餅15、牛の鞍にす る餅2ヶ、このとき餅米をわかす薪は氏子が出した古いお札などを燃す。

矢2本。馬になる役が手に持つ

鎌2本、鍬2本。いづれも先の金具のところは小絵馬を切って木製のをつくる。(すき2本も同様)

鍬15本。ニワトコの木を枝とし、先に餅をつける。

開笠。半紙2枚を継ぎ、朱、墨、緑(青麦の葉を揉み出す)で松竹梅の絵を描く。

田遊の前に社務所で簡単な酒宴がある。油揚入りのまぜ飯、「もがり」、枝を敷き菰をその上に敷きつめる。中央 に太太鼓を置く。

開笠の五月女。4人。子供海老茶の着物、帯、たすき掛、額に三角形の紙で宝冠を書いて、その上から鉢巻をする。

もがりの周囲には見物人が入らぬように竹の柵をする。

位置は前方に大稲本(左)小稲本(右)が並び、その後に3人更に大太鼓の後に3人、大太鼓の左右に2人。大 太鼓の右側のものが太鼓を打つ。梅鉢の紋ちらしの白麻の直垂、袴、大稲本小稲本は烏帽子をつけ、白扇を持つ。

田遊は終始、唱え言葉が中心で進行し、要所々々に所作や太鼓を打つ。

(1)町歩調べ 大稲本、小稲本の2人、鍬の餅を左手の掌にのせ、右手でニワトコの柄を持って、立つ。鍬

入れ。

(2)田うない 全員、鍬を持って田(大太鼓)の周囲を廻る。

(3)代掻き 1人牛の面をつけ1人は鼻取り、1人は鼓をうって田を右廻りに3回廻る。

(4)田ならし 大稲本、小稲本の2人、いぶりを持つ

(5)種子まき 2人、笊の籾をまく。このとき太鼓を打つが太鼓は少し斜めにして打つ。

(6)鳥追い 始め唱え言のとき扇子を開いて田を1まわり、後歌のとき、さゝらを使う。

(7)春田うらない 鍬をかつぐ

(8)田代掻き 牛に鞍を置く。(苗代掻のときは鞍なし)いぶりでならす。

(9)田植 五月女の頭に開笠をのせる (10)穂孕み 五月女を田の上で胴あげをする

(11)よねぼ 2人の松明を先導に、よねぼ、飯櫃を出す

(12)やすめ 太郎次の松明を先導に、もがりで大稲本のかざす開笠の下で抱き合う (13)獅子

(14)駒 (15)はま矢

(16)田草とり 大稲本小稲本、開いた扇子を前に両手で持ち額を叩く。

(17)田見廻り 鍬をかついで廻る (18)稲刈 2人鎌を持つ

(19)倉入 田の上に鼓、倉、飯櫃、上ねぼう、種笊を積み重ねる。

本田安次氏の説によると、やすめ、太郎次の出現は「神武紀」にある椎根津彦(シヒネツヒコ)と弟猾(オトウカ シ)との説話から出ているらしい。2人が香具山の填(ハニツチ)を大和の代表物(モノザネ)として呪する為に取 りに行った話から出たもので、椎根津彦は簑笠を着て翁に扮し、弟猾は箕を被って媼に化けて敵の中を抜けて使命 を果した。弟猾は字が弟という字を宛てゝいるので男の様にいはれているが、実際は女で巫女であった。椎根津彦

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は君主で弟猾はその妹で最高の神巫である場合が多かった。この 2 人が村々を訪問して歩いたので、所々より慰媼 となり、大黒、夷を生み、猿田彦、鈿女と変って来た。これは日本古来の名神信仰が翁と媼に併合されているので ある。

Referensi

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