︵五一︶
中学校における和歌の読み方の獲得を目指した授業実践 │ ﹁景物 + 心情﹂の抒情様式の理解を通して │
上 野 友 寛・井 実 充 史
一 研究の目的と方法
本研究の目的は︑中学校和歌教育の現場においてしばしば見られる
名歌鑑賞中心の授業から︑和歌表現の本質に立ち帰って理解・鑑賞す
る授業へと転換することにある︒従来型の授業が横行する背景には︑
現行教科書の和歌教材が
︑和歌表現の基本構造
︵すなわち
︑﹁
景物+
心情﹂の抒情様式︶とそれに基づく表現技法︵修辞︶の系統的学習を
配慮したものとなっておらず︑たんなる秀歌選に留まっていることに
あると考える ︶1
︵︵詳細については︑井実﹁系統性を考慮した中学校・高
騰和歌教材の開発
│
鑑賞の土台となる抒情様式の理解をめざし
て
│
﹄︵﹃福島大学人間発達文化学類論集﹄二六︑二〇一七︶参照︶︒よって本研究では︑既存の和歌教材を利用しつつも︑﹁景物+心情﹂の
抒情様式とそれに基づく表現技法︵修辞︶の理解を促進する新たな教
材を取り入れることによって︑景物をふまえて心情を読み取るという
和歌の鑑賞方法を︑生徒自らが主体的・対話的に習得・活用していく
ような授業実践を提案する︒具体的には︑以下の三点において従来型
の授業からの脱却を図る︒
A和歌の本質を理解するための導入教材として︑古今集仮名序を積
極的かつ効果的に取り上げる︵授業者による講義︶︒
B前掲井実論文で提案した一三首の和歌教材のなかから︑中学校三
年生における和歌学習にふさわしいと思われる教材を精選して取り上 げ︑和歌鑑賞の基礎となる抒情様式とそれに基づく表現技法︵修辞︶
の理解を促す課題︵鑑賞を含む︶を与えるとともに︑ジグソー法を用
いた主体的・対話的な学習活動に取り組ませる︵学習者の理解が不十
分である場合は︑授業者がクラス全体︑もしくはグループ別に適宜助
言する︶︒
C現行の教科書教材を取り上げ︑授業者が要点を解説した後︑生徒
に自由鑑賞の課題を与えて︑学習した﹁景物+心情﹂の抒情様式と表
現技法︵修辞︶の主体的な活用を促進する︒
本実践の成果は︑
Bにおいて抒情様式及び表現技法の理解が図られ
ているかどうか︑
Cにおいて
Bで学んだ知識・技術が主体的に活用で
きているかどうかについて︑それぞれの課題に対する発表や鑑賞文を
点検することで評価する︒
なお︑本研究は上野・井実の共同作業であり︑井実が提供した新教
材に基づき︑上野が授業を計画し実践した︒また本稿は︑井実が一〜二︑
上野が三〜四の原稿を執筆し︑相互に協議したうえで成稿した︒
二 新教材及びその解説
本節では︑上野が授業で使用した新教材について解説する︒前掲の井
実拙稿は︑小学校から高校﹁古典﹂までの和歌学習の系統性を︑
I入門
︵小学校中学年︶︑
II読解基礎︵中三・高﹁国語総合﹂和歌単元︶︑
III機能・
︵五二︶
あり方理解︵高﹁国語総合﹂︑﹁古典﹂︶︑
IV読解深化︵高﹁古典﹂和歌
単元︶と整理したうえで︑
II読解基礎︵中三・高﹁国語総合﹂和歌単元︶
にふさわしい教材を新たに開発したものであった︒その際︑中三の和
歌教材と高﹁国語総合﹂和歌単元との間に段階を設けて区別すること
はしなかった︒現行の教科書通りに和歌を学習していくと︑中三で和
歌を学び︑高﹁国語総合﹂で﹃伊勢物語﹄九段︵通称﹁東下り﹂︶中の
﹁唐衣﹂歌︵枕詞・掛詞・縁語・折句を含む超絶技巧歌︶などを取り扱っ
た後に︑いわゆる三大集から名歌を集めた和歌単元で修辞技巧を学ぶ
という過程をたどることになる︒このような学習過程が非系統的であ
ることは論を俟たない︒しかし︑現実として
II読解基礎段階の学習が
中三と高﹁国語総合﹂和歌単元に分断されている以上︑授業実践を行
うにあたっては両者を区別する必要がある︒よって︑拙稿で提案した
一三首の教材の中から︑上野と協議しつつ比較的理解しやすいものを
精選して︑本研究授業用の教材とした︒以下は精選した教材とその解
説である︒なお︑前拙稿の︹解説︺は︑授業者向けの教材研究用とし
て書き︑学習者の到達目標は別途︹評価規準︺として略述するに留め
たため︑学習者の到達目標は具体的に示し得ていなかった︒そこで本
稿では︑学習者の解答例に近づけることを意識して大幅な修正を加え︑
︹課題︺①の解答例となる部分に︵①︶を付して対応関係を明示するな
どして︑到達すべき内容を明確にした︒ただし︑︹解説︺はあくまでも
授業者向けに書いているので︑生徒の解答例そのままではない︒
︻基礎理解用教材︼
本教材は︑
A古今集仮名序の﹁心に思ふこと︵心情︶を︑見るもの
聞くもの︵景物︶につけて言ひだせるなり﹂などから︑﹁景物+心情﹂
という和歌の抒情様式の原理的理解を試みる授業第一時を承け︑抒情
様式の理解を具体的な表現に即して深めるとともに︑和歌修辞の基礎
というべき﹁見立て﹂﹁掛詞﹂﹁序詞﹂﹁歌枕﹂の理解を図るために用意 した︒
Bの基礎理解に対応する教材であり︑授業第二時に取り上げら
れた︒1
白波に秋の木の葉の浮かべるを海人の流せる舟かとぞ見る︵﹃古今集﹄秋下・三〇一︶
︹訳︺ 白い波に秋の木の葉が浮かんでいる景色を︑漁師が海に漂わせ
ている舟かと思って見る︒
︹課題︺ ①作者は実際にどんな景色を見ているか︑また︑その景色を
別のどんな景色に見なしているか︒②そのように見なすことで︑どの
ような表現効果が生まれているか︒③この修辞の名称と定義を述べな
さい︒︹解説︺ 上三句で実際に見ている景物を取り上げ︑下二句でそれを類
似する別の景物に見なしている︒いわゆる見立ての技法である︵③︶︒
白波に漂う紅葉︵実際の景物︶を海の中に漂う小舟︵想像の景物︶に
見なす︵①︶という表現の工夫に気づいた上で︑その効果について考
える︒解答としては︑川波に揺れ浮かぶ紅葉という目の前の小さな景
色が︑想像のなかで大海を漂う小舟という大きな風景へと劇的に変化
すると同時に︑自分が小舟に乗って荒波に揉まれている漁師になった
かのような不安感や孤独感が醸し出される︑などが想定される︵②︶︒
ただしこれは一例であって︑実際の景物と見立ての景物を区別したう
えで︑両者を関連付けながら見立ての効果を説明していればよい︒
︵﹃古今集﹄秋上・二〇三︶ 2もみぢ葉の散りて積もれる我が宿に誰をまつ虫ここら鳴くらむ
︹訳︺ 紅葉が散って積もっている私の宿に︑誰を待つ
0
といって松 0
虫が 0
しきりに鳴いているのだろうか︒
︹課題︺ ①同じ音で意味の異なる言葉︵同音異義語︶が用いられてい
る部分はどこか︒この同音異義語によって情景描写とは別の事柄が割
︵五三︶ り込んでいるが︑それは何か︒②この修辞の名称及び定義を述べなさい︒
③情景描写とは別の事柄が割り込むことで︑どのような表現効果が生
まれているか︒
︹解説︺ 表向きは紅葉の散り積もる我が家で松虫の鳴き声を聞いて詠
んだ歌であるが︑﹁誰をまつ虫﹂のところに︑﹁待つ﹂と﹁松﹂という
同じ音ではあるが意味の異なる二語を重ね合わせて︑﹁誰をまつ﹂とい
う人間に関する事柄をこっそり割り込ませる︒つまり︑〝誰かを待つ〟
と〝松虫が鳴く〟という無関係なことがらを︑同音のつながりによっ
て強引に結びつけて同時に表現する︵①︶︒このように︑同音異義語を
利用して二つの事柄を重ね合わせる技法を掛詞という︵②︶︒﹁松﹂と﹁待
つ﹂を掛け︑〝松虫が鳴く〟という自然の景物に︑〝誰かを待って泣く〟
という人間の思いや出来事を重ねることで︑まるで松虫が︑愛しい人
を待って寂しく過ごしている作者の悲しみを代弁して鳴いているかの
ような気分を生み出している︵③︶︒これは一例であって︑掛詞によっ
て自然の景物と人間の思いや出来事を重ね︑景物を描写しているだけ
でなく︑そこに人の思いや気分が添えられていることが説明できれば
よい︒3
葦鴨の騒ぐ入江の白波の知らずや人をかく恋ひむとは︵﹃古今集﹄恋一・五三三︶
︹訳︺ 葦の生えたところに住む鴨が騒ぐ入江の白
波
︱
知ら 00
ないのだ 0
ろうか︑あの人をこのように恋い慕っているとは︒
︹課題︺ ①この歌は前半で自然の景物を歌い︑後半で人の思いを歌っ
ているが︑人の思いはどこから始まるか︒また︑自然の景物と人の思
いは︑言い表し方︵表現︶の上でどのようにつなげられているか︒②
この修辞の名称と定義を述べなさい︒③自然の景物と人の思いがつな
がることで︑どのような表現効果が生まれているか︒
︹解説︺ 上三句は︑葦の生えたところに住む鴨が騒いで入江に白波が 立っている景色を歌い︑下二句は﹁白
波﹂のシラの音を繰り返しつつ 0
も意味は換えて︑﹁あの人は知ら
0
ないのだろうか︑私があの人をこのよ 0
うに恋い慕っているとは﹂と自分の思いを歌う︵①︶︒この歌で最も伝
えたい内容は後半の恋の思いであり︑前半はその思いを述べるための
前置きのような役割を担っていて︑歌の主意である恋心とは一見する
と無関係な情景を歌っている︒このように主意を歌うための前置きの
ような役割をする部分を序詞︵じょし/じょことば︶という︒この歌
の序詞は︑シラの同音反復によって主意を導き出している︵②︶︒この
歌では︑鴨が騒いで白波が立っている景色が︑恋人への想いに揺れ動
く心情の象徴となっており︑作者の内なる感情が目に見えるかたちへ
とみごとに形象されている︵③︶︒このように︑序詞で描かれた景物が
人の内面を映し出す役割を果たしていることが説明できればよい︒
︵﹃古今集﹄秋下・二九四︶ 4ちはやぶる神代も聞かず竜田川唐紅に水くくるとは
︹訳︺ ︵ちはやぶる︶神々の時代にも聞いたことがない︒竜田川が舶来
の鮮やかな紅色に水を括り染め︵布のところどころを糸でくくり︑そ
こを白く染め残して模様を出す染め方︶にするとは︒
︹課題︺ ①﹁ちはやぶる﹂について辞書や資料集で調べなさい︒②﹁竜
田川﹂について辞書や資料集で調べなさい︒
︹解説︺ 初句の﹁ちはやぶる﹂は﹁神﹂を導く枕詞︒枕詞とは特定の
語句を言い起こすための前置きとなる修飾語で︑多くは五音からなる︒
ある語句を言い起こすための前置きという点では序詞と似ているが︑
序詞が作者によって自由に創作され︑また︑導く語句も決まっていな
いのに対し︑枕詞は固定的で導く語句も決まっている︒その修辞的機
能は︑導く言葉の印象を強めたり︑リズムを整えたりするとも言われ
るが︑はっきりしたことはわかっていない︒また︑一首の意味と関わ
りなく用いられることから︑通常は訳出しなくてもよい︵①︶︒この歌
︵五四︶
は︑三十一文字だけでは何について歌っているのかよくわからない︒
これが紅葉を詠んだ歌だとわかるのは︑竜田の地名が紅葉の名所とし
てよく知られているからである︒このように︑和歌に繰り返し詠まれ
て特定のイメージが固定した土地や景勝地のことを歌枕と呼ぶ︒そし
て︑和歌に土地や景勝地を詠み込むときは︑好き勝手に詠むのではなく︑
歌枕として培われてきたその地の伝統的イメージをふまえて詠むのが
作法であった︵②︶︒
︻理解定着用教材︼
本教材は︑既習の修辞知識と抒情様式に基づく鑑賞方法の定着を図
る目的で用意した︒
Bの理解定着に対応する教材であり︑授業第三時
に取り上げられた︒なお︑実際の授業では︑生徒に
5〜 8歌をまとめ
て提示して鑑賞活動に取り組ませたが︑本稿では便宜上それぞれの歌
と訳の直後に解説を示してある︒
︹課題︺ 次の諸歌に用いられている修辞の表現効果について︑それぞ
れの本文に即して説明しなさい︒なお︑説明の際は修辞の名称も示す
こと︒5
谷風に溶くる氷のひまごとにうち出づる波や春の初花︵﹃古今集﹄春上・一二︶
︹訳︺ 谷を吹く風で溶けた氷の隙間ごとにわき出てくる波が春の最初
の花であろうか︒
︹解説︺ 谷間を吹く春風によって︑冬の間に凍りついた山の雪が溶け
出し︑あちらこちらの氷の隙間からわき出して波しぶきをあげている︒
その波しぶきを春の最初の花に見立てた歌である︒凍てつく景色のあ
ちこちから波しぶきが上がる冬山の美しさを描くと同時に︑その波し
ぶきを春に初めて咲く花に見立てることで︑花が咲き乱れる春の訪れ を待ち望む作者の思いをも表している︒なお︑初春に咲く花はいろい
ろあるが︑和歌の世界では春の最初に咲く花を白梅とするのが決まり
事である︿この点は授業者による説明が必要﹀︒
︵﹃古今集﹄恋一・四九四︶ 6山高み下行く水の下にのみなかれて恋ひむ恋ひは死ぬとも
︹訳︺ 山が高いので山の下を行く水は木の下を人目に付かずに流れ
0
︱
人目に付かずに泣かれ る 0 0 0て︵ついつい泣いてしまっても︶あの人を 0
恋い慕おう︑たとえ恋い慕って死んでしまうとしても︒
︹解説︺ 山川の景物を描く﹁山高み下行く水の﹂までが序詞で︑死ぬ
ほどの恋しさを訴える﹁下にのみなかれて恋ひむ恋ひは死ぬとも﹂が
主意である︒また︑﹁なかれ﹂に﹁流れ﹂と﹁泣かれ﹂が掛けられてい
て︑序詞は掛詞によって主意を導き出している︒なお︑掛詞の﹁なかれ﹂
は︑序詞から続く文脈では﹁ながれ︵流れ︶﹂と濁ってよみ︑主意の文
脈では﹁泣かれ︵なかれ︶﹂と清んでよむが︑このように清濁が異なっ
ていても掛詞が成立するのは︑昔の和歌が濁点を付けずすべて清音で
表記していたことによる
︒当時は
﹁流れ﹂も
﹁泣かれ﹂も
﹁なかれ﹂
と書いたので︑表記上は同音異義語と同様に扱うことができたのであ
る︿﹁なお﹂以降は授業者による説明が必要﹀︒掛詞は同音異義語︵た
だし︑この歌では同表記異義語︶を利用して無関係の二つの事柄を重
ね合わせる技法である︒この歌においても︑序詞の文脈﹁山高み下行
く水の下にのみ︵流れ
0
て︶﹂と主意の﹁下にのみ泣かれ 0
0 0
て恋ひむ恋ひは 0
死ぬとも﹂との間に直接的な関わりは見られず︑相異なる文脈が掛詞
によって強引に結びつけられている︒しかし︑序詞の景物と主意の思
いが重ね合わせられるとき︑形のない思いを景物というかたちによっ
て豊かにイメージすることが可能となる︒たとえば︑奥深い山を流れ
る谷川を思い描くことで︑恋心がどれほど深く秘めたものであるかが
具象的に理解できる︒また︑高山の川は激流であろうから︑﹁山高み下
︵五五︶ 行く水﹂は秘めた思いの激しさを象徴していると解釈してもよい︒さ
らには︑谷川が人目に付かず流れている時間は︑奥深い山ゆえにかな
りの長きにわたるはずで︑その長さは人目を忍んで泣きながら恋い慕っ
ていくであろう時間の長さに対応していると読むことも可能である︒
︵﹃古今集﹄恋二・六〇一︶ 7風吹けば峰に別かるる白雲の絶えてつれなき君が心か
︹訳︺ 風が吹くと峰にあたり二つに別れていく白い雲が途中で切れる
︱
その雲のように私との縁が切れて冷淡なあなたの心だなあ︒︹解説︺ 峰と雲の景物を描く﹁風吹けば峰に別るる白雲の﹂までが序詞︑
自分との縁を切ってきた相手への怨みを歌う﹁絶えてつれなき君が心
か﹂が主意である︒また︑白雲が途中で切れる景色は︑相手と自分と
の縁が切れることの喩えとなっていて︑ここの序詞は比喩によって主
意を導き出している︒そして︑﹁風吹けば峰にわかるる白雲の絶ゆ﹂と
いう目に見える風景で︑﹁絶えてつれなき君が心﹂を喩えることにより︑
目に見えない心を見えるかたちへとイメージ化することに成功してい
る︒さらに想像をめぐらせば︑峰と白雲を別れさせる風が︑相手に心
変わりをさせた別の人物を暗示するようにも読み取れる︒〝あなたは他
の人に心を寄せたから私と縁を切ろうとするのでしょうね︑まるで風
のせいで雲が別れていくように〟と︒このように︑主意と比喩の関係
にある序詞を前に置き︑人の思いというかたちなきものに自然の景物
という具体的なかたちを与えることで︑目に見えぬ心の内をイメージ
豊かに伝えることができる︒
︵﹃後撰集﹄離別・一三三一︶ 8君をのみしのぶの里へ行くものをあひづの山の遥けきやなぞ
︹訳︺ 私はあなただけをしのんでいて︑そのしのぶ
0 0
という名をもつ信 0
0
夫
の里へあなたはいらっしゃるのに︑会 0
津の山が遠いように︑あなた 0 と会う
0
機会も遠いのはなぜでしょうか︒ 0
︹解説︺ ﹁信夫の里﹂は福島盆地の信夫山を中心とした地域︑﹁会津の山﹂
は磐梯山を中心とした会津地方の山を指す︒﹁君をのみしのぶの里﹂の
﹁しのぶ﹂は思い慕う意の﹁偲ぶ﹂と地名﹁信夫﹂の掛詞で︑﹁あひづ
の山の遥けき﹂の﹁あひ﹂は﹁逢ひ﹂と地名﹁会津﹂の一部﹁会﹂の
掛詞である︒都の人にとって陸奥国は遥か遠くにある辺境の地であっ
た︒友はその陸奥国へと下向するのであるから︑再び都へ戻ってくる
までは絶対に会えない︒それゆえ︑友を﹁しのぶ︵思い慕う︶﹂気持ち
はいや増すばかりである︒﹁君をのみしのぶ︵あなただけを思い慕う︶﹂
は︑作者のそうした気持ちを表している︒一方︑友の赴く陸奥国には﹁信
夫の里﹂があった︒﹁しのぶの里へ行く﹂はそのことを歌っている︒つ
まり︑﹁君をのみしのぶの里へ行く﹂は︑掛詞を利用して﹁君をのみし
のぶ﹂と﹁信夫の里へ行く﹂という二つの文脈を重ね合わせているの
である︒このとき︑﹁信夫﹂という地名は友を偲ぶ作者の思いを代弁す
るような役割を果たしている︒あるいは︑地名﹁信夫﹂の中に友を偲
ぶ思いを見出したと考えてもよいだろう︒﹁あひづの山の遥けきやなぞ﹂
も同様に解釈できる
︒つまり
︑ 掛詞によって
﹁会う機会が遥か遠い﹂
と﹁会津の山が遥か遠い﹂という二つの文脈を重ね合わせることで︑
地名﹁会津﹂の中に〝遠くにいても会いたい〟という気持ちを込めて
いるのである︒この一首は︑友の下向先の歌枕をうまく取り込みながら︑
別れを惜しむ気持ちを巧みに表した歌である︒
三 中学校国語科授業実践
︵一︶ 単元設定の理由 中学生の古典に対する苦手意識はなかなか改善されない
︒平成
二十五年度全国学力・学習状況調査の古典が好きかという質問に︑﹁当
てはまる﹂︑﹁どちらかと言えば当てはまる﹂と答えた生徒が二九・三%︑
︵五六︶
﹁どちらかといえば当てはまらない﹂︑﹁当てはまらない﹂と答えた生徒
が六九・九%という結果である︒
本校生徒にもその傾向は当てはまる
︒年度当初のアンケートでは
一三二名中六七名と五〇%以上が苦手な分野として古典をあげた︒ま
た︑和歌に興味があるかを聞いた事前アンケートでは﹁ある﹂﹁どちら
かと言えばある﹂と答えた生徒が四〇%︑﹁どちらかと言えばない﹂﹁な
い﹂と答えた生徒は六〇%となっていた︒興味がないと答えた六〇%
の生徒のうち︑五五%の生徒の理由は﹁わからない﹂﹁難しい﹂という
ものだった︒また︑興味が﹁どちらかと言えばある﹂と答えた生徒の
中にも﹁興味はあるけど難しい﹂﹁苦手だから︑入試で困らないように
勉強したい﹂という回答も見られた︒
NR Tの結果を見ても︑古典的
な文章の読解は中領域では最も低い四一・二の通過率である︒できない
こと︑わからないことが嫌いな要因となっている可能性がある︒
﹁入試で困らないように勉強したい﹂というコメントが示す通り︑生
徒はテストで得点がとれないと︑できないことを強く実感する︒特に
国語科では授業で学んだことが何なのか分かりにくいと生徒に指摘さ
れることもあるのではなかろうか︒古典を扱った中学校の授業では苦
手意識をもたせないように配慮しながら︑古典に親しむことをねらい
として︑現代語訳をもとにしてみんなと協力しながら読解を進め︑楽
しみながら学んでいくことはよくあるだろう︒だが︑テストでは見た
こともない文章を自分だけの力で読み解かなければならないこともあ
る︒特に和歌に関しては︑言葉の数が限られているがゆえに︑文章よ
りも全体像をつかむのが困難な場合さえある︒﹁和歌はどのようにして
読解していけばよいのか﹂を明確にして授業を組み立てていくことで︑
生徒は何をどのように学び︑何ができるようになるのかを理解するこ
とができるだろう︒和歌の読み方を獲得することによって︑生徒はで
きたことを実感し︑学びの有用性を感じることもできるはずだ︒それが︑
苦手意識の払拭にもつながっていくと考えられる︒ ︵二︶ 授業の方法
和歌の読み方を獲得させるためには︑和歌の基本的な抒情様式であ
る﹁景物+心情﹂を理解することが有効だと考えられる︒新たな和歌
に出会った際にも︑まず景物と心情を区別し︑次に景物に心情がどの
ように関わっているか考えるという手順を踏むことで︑和歌を鑑賞し
やすくなる︒しかし︑教科書教材は︑この基本の抒情様式を離れた秀
歌が多い︒そこで系統性を考慮し︑和歌の抒情様式の理解につながる
新たな教材を活用し
︑抒情様式の理解を図った
︒ そしてそのことは
︑
教科書教材に戻った際にも活用できると考えられる︒詠み込まれてい
る景物には心情が関わっていることが念頭にあれば︑単なる景物とし
てその景色を想像するだけでなく︑その景物を読み込んだ作者の心情
を想像することにつながっていくであろう︒これまでの和歌の学習で
は︑現代語訳を参考にしながら︑和歌に詠まれている内容や状況につ
いて理解することで︑古人の心情を想像することが多かったのではな
いだろうか︒たとえば︑﹁君待つと我が恋ひ居れば我が屋戸のすだれ動
かし秋の風吹く︵﹃万葉集﹄巻四・四八八︶﹂では︑生徒は君がすだれを
動かして訪れてくれたと思ったら風がすだれを動かしていたのだとい
う状況を理解して︑落胆した作者の心情を想像する︒期待していたの
に裏切られた経験は生徒にもあるため︑作者の状況と自分の過去の状
況を重ねて想像しているのだ︒しかし︑それは和歌の表現そのものか
ら鑑賞しているわけではない︒もし︑景物に心情が込められているこ
とが念頭にあれば︑秋の風という景物から想像できる夏の終わりを告
げるという寂しさと︑通ってきてくれないという寂しさが重ね合わせ
られていることに気付き︑和歌の言葉そのものを意識しながら鑑賞す
ることにつながっていくであろう︒
さらに
︑ 同教材によって基本的な修辞
︵ 掛詞
・序詞
・ 枕詞
・歌枕︶
についてもできるだけ押さえることによって︑読みが深く確かなもの
になっていくはずだ︒
︵五七︶ また︑和歌への興味・関心を高めるためにジグソー法を取り入れることとした︒和歌に対して関心がないという生徒に対して︑講義形式による説明ではなく︑主体的に発見し︑獲得し︑活用しようとする授業展開を目指した︒そこで︑抒情様式と修辞の習得の場面ではジグソー法を取り入れた学習を行った︒エキスパートグループで協働的に学び︑自分の責任でホームグループに説明しなければならないという状況が︑正確に理解しようとする意欲を高めることにつながる︒また︑自分一人で説明することで自分自身の理解をより確かなものとすることができる︒さ らに
︑活用する機会を設定することで
︑獲得したものが明確になり
︑
生きて働く技能として定着しやすくなるだろう︒具体的には新たな教
材で身につけた技能を︑教科書教材での読みに活用する場面を設定し
た︒そして︑学びを振り返ることで自分の学びをメタ認知し︑充実感
をもたせることで︑和歌への興味・関心をさらに高めたいと考えた︒
︵三︶ 授業の実際
単元名﹁いにしえの心と語らう﹂
古今和歌集 仮名序 君待つと︱万葉・古今・新古今 実践時期 二〇一七年十一月 全四時間実施
実践対象生徒
A大学附属中学校三年
学習計画︵全四時間︶
第一時 ﹃古今和歌集﹄の﹁仮名序﹂を用いて︑和歌とはどんなものか
を読み取る︒
単元全体の学習課題を﹁和歌とはなんだろう﹂とし︑﹁仮名序﹂の中
でどのように説明されているのかを読み取った︒
﹁人の心を種としてよろづのことのはとぞなれりける﹂から︑人の心
がもとであることを確認した︒また︑﹁心に思ふことを︑見るもの聞く
ものにつけて言ひいだせるなり﹂から
︑ 心に思ったこと
︵心情︶と
︑
見るもの聞くもの︵景物︶の関係性に気づかせた︒
そしてそこのことを実感させるため︑五月に﹁季節のしおり春﹂で
学習した志貴皇子の﹁石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春にな
りにけるかも︵﹃万葉集﹄巻八・一四一八︶﹂を例に挙げて考えさせた︒
表現したい心は春になった喜び︑それを表現するために﹁石走る垂水
の上の早蕨﹂を見たものとして挙げていることを確認し︑歌は心︵心情︶
と見たもの聞いたもの︵景物︶に分けることができることを理解させた︒
そして見たものや聞いたもの︵景物︶の部分には歌の右側に線を引き︐
心情︵または人事︶の部分には歌の左側に線を引いて区別すると解釈
しやすいことも確認した︒
石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
景物の効果を実感させるため︑授業者が作った﹁うれしいな 私の 好きな 春が来た 楽しみたくさん 待ちきれないね﹂という作品と
比較させ︑見たもの聞いたもの︵景物︶が心情を表現するのに大きな
役割を果たしていることに気付かせた︒生徒は︑﹁心情だけではストレー
トすぎて趣がない﹂﹁景物があることでより具体的に場面を想像できる﹂
など︑景物の重要性を理解することができていた︒
第二時 新たに開発した教材を用いて︑和歌の抒情様式や表現技法を
見つける︒
第一時で確認した﹁景物+心情﹂という和歌の抒情様式への理解を
確かなものにするために︑景物と心情を区別して線を引いた上で︵右
側が景物︑左側が心情︶︑その景物が心情とどのように関わっているの
かを考えさせた︒
また︑ジグソー法で﹁見立て﹂﹁掛詞﹂﹁序詞﹂﹁歌枕﹂についての理
︵五八︶
解を図った︒意欲喚起のため︑講義形式による解説ではなく︑表現技
法の定義が載っているヒントカードを与えて自分達で見つけさせた︒
四人班で︑一首ずつ自分の担当する和歌を決め︑エキスパートグルー
プに分かれて表現技法や意味の確認をした上で︑ホームグループに持
ち帰ってそれぞれ説明をさせた︒以下はジグソー法で用いた教材とヒ
ントカードの例である︒
1白波に秋の木の葉の浮かべるを海人の流せる舟かとぞ見る 2もみぢ葉の散りて積もれる我が宿に誰をまつ虫ここら鳴くらむ 3葦鴨の騒ぐ入江の白波の知らずや人をかく恋ひむとは 4ちはやぶる神代も聞かず竜田川唐紅に水くくるとは ヒントカードの例 ヒント
1景物には右側に︑人事には左側に線を引きましょう︒
ヒント
2次の問いに答えましょう︒
︹問︺①作者は実際にどんな景色を見ていますか︒その景色から別のどんな景色を想像していますか︒
②この技法を補助資料の中から選びましょう︒
③この技法によってどのような表現効果が生まれていると思いますか︒相談してみましょう︒
ヒント
3次の現代語訳を参考にしましょう︒
白い波に秋の木の葉が浮かんでいる景色を︑漁師が海に漂わせている舟かと思って見る︒
また︑一方的な知識の伝達で終わることのないように︑ホームグルー
プに新たな和歌を四首与え︑学んだ知識を活用する機会を設定した︒
5は 1の和歌をもとにして﹁見立て﹂に気付かせること︑
6は 2と 3の和歌をもとにして﹁掛詞﹂と﹁序詞﹂︑
7は
3の和歌をもとにして ﹁序詞﹂︑
8は 2と 6の和歌をもとにして﹁掛詞﹂と﹁歌枕﹂に気づか
せることをねらった︒現代語訳を付さなかったため︑意味を捉えるこ
とにも表現技法を見つけることにも苦労したが︑班員で協力しながら︑
なんとか景物と心情を分け︑表現技法を見つけることができた︒以下
は活用のために使用した和歌である︒
5谷風に溶くる氷のひまごとにうち出づる波や春の初花 6山高み下行く水の下にのみなかれて恋ひむ恋ひは死ぬとも 7風吹けば峰に別かるる白雲の絶えてつれなき君が心か 8君をのみしのぶの里へ行くものをあひづの山の遥けきやなぞ 第三時 新たに開発した教材を用いて︑和歌の抒情様式や表現技法に
着目し︑景物が心情にどのように関わっているか踏まえて鑑賞する︒
第二時では︑﹁景物﹂と﹁心情﹂に分けること︑そして初めて知った
表現技法を見つけること︑歌の大意をつかむことで精一杯になってし
まい︑﹁景物﹂や表現技法が﹁心情﹂にどれだけ影響しているかという
ところまでは話し合えなかった︒
改めて︑教師が
1︑ 2︑ 3︑ 4の和歌について生徒との対話を交え
ながら鑑賞例を示した後︑
5︑ 6︑ 7︑ 8の和歌について個別で鑑賞し︑
グループでその鑑賞を交流し︑発表させた︒以下は生徒の鑑賞とそれ
に対する授業者の分析である︒
○
5の和歌について 生徒の鑑賞 初花には春というイメージがある︒︵氷が溶けた程度では
春のというイメージはあまりない︒︶谷風が吹くような場所にはあまり
︵五九︶ 花はないから︑︵波のしぶきを︶初花に見立てることで春の訪れを強調
したり︑穏やかさを表現したりしている︒︵
A︶
初花は︑冬の間雪の下に埋まっていたものが春になり出てきたよう
に︑氷の間から出た波も時間をかけて出てきたところがつながってい
る︒時間をかけることでできるということを表していると思う︒︵
B︶ 授業者の分析 ﹁春の初花﹂は実際の景物ではなく︑心の中で思ったこ
とと言ってもよいだろう︒つまり作者の心情が表現されている景物と
言える︒生徒
Aは初花に見立てたことで︑花が咲くころのより温かで︑
より色鮮やかな春を想像させていることに気づいている︒生徒
Bは波
しぶきと花の視覚的な類似性を見とるだけでなく︑花や波が地上に出
てくる時間の類似性をみてとっている︒こうした見方が︑厳しい冬を
乗り越えて︑春がやってくることへの喜びや︑もっと温かな春を待ち
望むという作者の心情を想像する読みにつながっていくことだろう︒
○
6の和歌について 生徒の鑑賞 一見関わりがないようで︑掛詞でつながっている︒山か
ら流れる水は勢いが強いので︑人も水にのまれてしまう︒それと同じ
ように恋い慕って死んでしまうという様子が︑荒れ狂う心と風景でつ
ながっている︒︵
C︶
高い山の下を流れる水は人目につかず目立たない︒そこに重ねて作
者の相手に対しての恋心のはかなさを表現していると思う︒また︑﹁泣
かれて﹂につながっているので︑川のように流れる涙という意味もあ
ると思う︒︵
D︶ 授業者の分析 生徒
Cは 2の和歌の学習を生かして︑序詞が前置きの
ような語句であることを認識し︑さらに掛詞が序詞と主意を結び付け
ていることを理解している︒その上で序詞の景物が主意とどのように
関わっているかを読もうとしていることがわかる︒生徒
Dは人目につ
かない水がひっそりと流れ続けるように自分もひっそりと相手を思い 続けているというように序詞の効果を捉えている︒また︑掛詞の二つ
の意味を意識しながら主意を読み取ろうとしている︒二人とも序詞は
前置きであり︑まずは主意を捉えた上で︑主意と序詞の景物がどのよ
うに関わっているかを鑑賞することができている︒
○
7の和歌について 生徒の鑑賞 相手と自分の縁が切れていく様子を峰というけわしい山
や白雲のやわらかいもので前置きすることで︑悲しさがより伝わって
くる︒風が吹くというのは時の流れを表し︑二人の関係を示している
白い雲はやわらかいけどつかめないものなので︑補強したり修復した
りできない︒︵
E︶
白雲が別れていく様子を自分と好きな人︵が別れていく様子に︶に
例えている︒風が原因なので何かトラブルを象徴しているので︑風さ
えなかったらうまく行っていたのかも知れない︒風は相手が好きになっ
てしまった別の人のことかも知れないと思った︒︵
F︶ 授業者の分析 生徒
Eは序詞が前置きだと理解しつつも︑白雲に例え
た効果を考え︑別れた白雲はつかむことはできないので︑修復もでき
ずに悲しいという心情理解につなげている︒また︑生徒
Fも比喩によっ
て別れた二人を表現していることを理解しつつ︑その原因を作った風
をトラブルの象徴としてとらえ︑相手が思いを寄せた人ではないかと
より具体的にイメージしている︒現代語訳をする上で単純に﹁ように﹂
とつけて結びつけただけでなく︑序詞による景物を用いた比喩が具体
的な心情とどのようにつながっているのかを考えることができた︒
○
8の和歌について 生徒の鑑賞 自分はあなたのことを﹁偲ぶ﹂ということと﹁信夫の里﹂
をリンクさせ︑﹁会津の山﹂が遠いことと﹁会う﹂機会も遠いことを︑
地名を使って表している︒︵
G︶
︵六〇︶
信夫の里は︑花というイメージ︑会津の山は雪というイメージがあっ
て︑二つの︵物理的な︶距離以外に︑相手が花で自分︵=雪︶と違っ
ていて︑違う部分の︵精神的な︶距離を表している︒︵
H︶ 授業者の分析 生徒
Gは掛詞に注意が向いているが︑地名ということ
で歌枕の要素も意識している︒一方で生徒
Hは︑信夫という地名のあ
る福島盆地が生まれ故郷であり︑現在も住んでいること︑また授業の
中で地元教材として﹁陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわ
れならなくに︵﹃古今集﹄恋四・七二四︶﹂を学んでいるがゆえに︑恋の
歌との勘違いが起きてしまった︒﹁作者が信夫の里へ偲んで会いに行く
のだが︑そこから会津は山を隔てて遠くにあり︑会うことができない
のだ﹂と捉えてしまった生徒が多くいた︒また︑そもそも︑信夫と会
津の歌枕としてのイメージである﹁都から遠い﹂ということが︑古人
と共有できていなければ︑﹁物理的には遠いところへ行ってしまうが︑
偲ぶ気持ちと︑会いたいという気持ちがあるのだ﹂という心情を歌枕
の地名に託しているという鑑賞につなげることができない︒この誤読
は授業者の説明不足である︒ただし︑生徒は﹁信夫の里﹂の地名から
花︵校歌に﹁信夫の里の花の道﹂という歌詞がある︶︑会津の山は雪国
の会津︑さらに山なので高い標高に積もる雪を連想し︑その情景と心
情を重ねあわそうとする姿勢が見られる︒地名から連想されることが
心情に関わっているという観点で鑑賞することができたとは言えるだ
ろう︒
このようにいずれの和歌においても景物と心情に区別し︑景物に託
された心情を読み取ったり︑人事における心情を読み取ったりするこ
とができた︒第三時の授業の振り返りにおいても︑自由記述であるも
のの︑景物が心情とどのように関わっているかという視点を獲得する
ことができたことがわかる︒以下は授業を終えての生徒のまとめとそ
れに対する授業者の分析である︒ 生徒のまとめ 和歌には様々な技法があることがわかった︒作者の思
いが景物で表されている︒表現の仕方も様々で読み取るのが難しかっ
たが︑おもしろかった︒︵
I︶
それぞれの歌で︑情景が大事にされていると思った︒情景と心情が
様々な技法を使って表現されていておもしろいと思った︒︵
J︶ 授業者の分析 生徒
Iのように︑景物と心情の関係を端的に捉えるこ
とができている生徒や︑生徒
Jのようにこれまでの文学的な文章の読
解で使用してきた﹁情景﹂という言葉と重ねて景物と心情の関係を自
分なりに捉え直している生徒もいたが︑総じて景物が心情とどう関わ
るかを読むことの大切さを理解していた︒
第四時 教科書教材を鑑賞し︑学びを振り返る︒
﹁景物+心情﹂の抒情様式を振り返り︑教科書の名作を鑑賞させた︒
全ての作品に景物が描かれているわけではないし︑学んだ表現技法も
ほとんど使われていないが︑景物と心情を重ね合わせて読もうとする
生徒が多く見られた︒例えば﹁春過ぎて夏来るらし白たへの衣干した
り天の香具山︵﹃万葉集﹄巻一・二八︶﹂では︑﹁白い衣が︑新緑の緑や
夏の青空に映えて︑作者は夏のさわやかを感じている﹂という鑑賞が
見られ︑また︑﹁春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ︵﹃万
葉集﹄巻一九・四一三九︶では︑﹁桃の花を使って乙女の美しさを詠ん
でいる﹂という鑑賞が見られた︒その中で以下の三つ和歌の鑑賞を取
り上げ分析する︒
多摩川にさらす手作りさらさらになにそこの児のここだ愛しき
︵﹃万葉集﹄巻一四・三三七三︶
A組四班の鑑賞多摩川が歌枕で︑布で有名なところなので︑その布
︵六一︶ をさらす川はきれいだから︑そのきれいな川のイメージとかが︑娘に
かかっていると思います︒また︑布は白だと思うので︑その白さが女
性の肌をあらわしていて︑手作りというころからも娘に寄り添いたい
という気持ちがあるのではないかと思いました︒また︑さらさらには︑
川のさらさらと︑髪に良く使われるのでこの娘の髪がきっとさらさら
だったのだと思います︒
授業者の分析 これまでの和歌の指導による鑑賞では︑﹁多摩川にさら
す手織りの布のように︑さらにさらに︑なんでこの娘がこんなにもい
としいのか﹂という現代語訳をもとにして想像しようとするのだが︑
何をどう例えているのか理解できずに︑授業者が説明を加えることに
なってしまっていた︒ところが︑今回は︑﹁景物+心情﹂の形式を学ん
でいたことで︑前半を景物︑後半を心情と分解することができた︒そ
こから︑﹁序詞﹂の学習により前半の景物は前置きのような言葉であり︑
後半部分が主意であることを指摘することができた︒﹁さらす﹂が﹁さ
らさらに﹂を同音反復で導き出しているのは︑
3の和歌で﹁白波﹂が﹁知
らず﹂を導き出しているのと同じ型である︒また︑その上で序詞の景
物が心情にどのように関わっているかということまで探ろうとした結
果︑歌枕のイメージなどを電子辞書や便覧などで調べ︑川︑布︑手作
りという言葉と愛しい娘とのイメージを重ね合わせて鑑賞することが
できている︒
東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
︵﹃万葉集﹄巻一・四八︶
D組二班の鑑賞炎が立つ︵日が昇る︶と月が傾いているは対比です
けど︑﹁かへり見﹂をするという行動をしているのは月が気になってい
るからだと思います︒振り返るのは︑日が昇っているのだから︑月は 沈んでしまったのかもしれないと不安になっている︒だから︑月が傾
いたという方が本当に言いたいことではないかという話になりました︒
そして︑傾くという表現は寂しいという気持ちの表れではないかと思
いました︒
授業者の分析 これまでの和歌の指導による鑑賞では︑太陽と月が両
方あって雄大だとか︑﹁菜の花や月は東に日は西に﹂と同じできれいだ
と思うというような景物だけを捉えた叙景詩のように読んでいること
が多かった︒今回は︑﹁景物+心情﹂の形式を学んでいたことで︑景物
と人事に分けた結果︑﹁かえり見する﹂という行動に着目し︑その行動
を起こした心情を探ろうとする姿が見られる︒題詞︵軽皇子の供をし
て〜︶と草壁皇子をしのんで詠んだ長歌一編に続く短歌四首のうちの
三首目であることから︑炎を軽皇子に︑月を草壁皇子に例えていると
読むこともできるのだが︑軽皇子の成長を喜んで読んだ歌だ︑とか草
壁皇子の死を寂しく思っているのだというような心情を伴う鑑賞は︑
これまでは教師が補足説明をした後でしか出てこなかった︒ところが︑
今回は︑歌そのものの言葉﹁かへり見する﹂から寂しさという心情を
導き出すことができている︒
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
︵﹃古今集﹄春歌上 四二︶
B組五班の鑑賞説明をすると︑久しぶりに行ったら︑﹁久しぶりです
ね︒宿は昔のままなのに︒﹂と皮肉を言われたので︑﹁あなたの気持ち
はわからないけど︑梅の花は昔の香りのままで迎えているよ﹂という
意味の歌です︒でもこの梅の香りが昔のままというのは︑自分の思い
を託していて︑梅の花と同様に︑私自身の心も昔のままですよ︑とい
う思いが込められていると思います︒
︵六二︶ 授業者の分析 これまでの和歌の指導による鑑賞では︑﹁あなたの心は
変わってしまったんですね︑梅の花は昔のままに香って歓迎してくれ
ているのに﹂というような︑人事は人事︑景物は景物で︑そのまま意
味を捉えるだけでの表面的な読みで終わっていた︒あるいは︑人は心
変わりをするけれども
︑ 植物
︵自然︶はしないという対比を見つけ
︑
人の心は移ろいやすいものだといった感情を読み取るぐらいだった︒
しかし今回は︑﹁景物+心情﹂の抒情様式の理解のもと︑後半の景物は
実は作者の思いだというところまでたどりつくことができた︒その結
果︑あなたと自然の対比ではなく︑相手と自分の対比であり︑自分の
思いを梅の花に託していることがよく理解できている︒
このように︑教科書の教材においても﹁景物+心情﹂を意識するこ
とで︑景物や人事から心情を推し量ったりするなど︑和歌が心を種と
していること︑それらを見るもの聞くものに託して表現していること
を理解し︑初めて出会った和歌にもその考え方を活用しようとする姿
が見られた︒
その一方で︑心情のみが詠み込まれた和歌については︑今回の学習
を生かすことができないのは当然だが︑景物と心情があるにもかかわ
らず︑鑑賞が十分に深まらなかった次のような和歌もあった︒
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる︵﹃古今集﹄秋歌上 一六九︶
授業者としては︑﹁風の音﹂という景物にどんな心情を詠みこもうと
したのかに気づかせたかった︒ところが授業の中では﹁風の音﹂が心
情にどのように関わっているのかという視点よりも︑﹁風の音で秋の訪
れに気づくってどういうことなのだろう﹂という疑問を解決すること
に多くの時間が割かれてしまった︒夏と秋ではどんな違いがあるかと
全体に投げかけて相談させてみたが︑﹁湿気がなくなってからっとした 風﹂﹁ひんやりとした風﹂という風の質の違いには気づいたが︑音の違
いに言及できた生徒はいなかった︒そこで︑感動の中心はどこかとい
う発問︑表現技法はどれかという発問から係り結びの﹁風の音にぞ﹂
に着目させ︑夏と秋の風の音の違いについて考えさせようとしたが︑
生徒から違いを引き出すことができなかった︒秋の風といえば︑台風
などに代表される突風があることを説明して︑ようやく生徒は理解が
進み︑﹁昔の人は細やかな感覚をもっている﹂と感心しているようだっ
た︒
また︑﹁目にはさやかに見えねども﹂とわざわざ書いた理由について
も考えてほしいところであった︒この歌は︑視覚的にはまだ秋の訪れ
が感じられないが︑聴覚的には秋らしさが感じられ︑驚いたという意
である︒しかし︑目にははっきりと見えないと表現することで︑読み
手には鮮やかに色づいた紅葉を連想することはできる︒本来の歌の意
味とは異なるが︑
5の和歌の﹁波を本当は見えていない春の初花に見
立て︑春の訪れへ期待を表現している﹂という鑑賞と結びつけて︑﹁見
えていないけれど紅葉が連想されて︑秋の訪れへの期待を表現してい
る﹂というような鑑賞する生徒がいれば︑今回の学習の成果が表れた
と言えるだろうが︑そのような読みをする生徒はいなかった︒
深められなかった要因としては︑生徒の経験が不足していることが
挙げられる
︒季節の変化を肌で感じる経験がない生徒達
︑あるいは
︑
そういうもので季節の変化を感じるものなのだという共通認識ができ
あがっていない生徒達にとっては︑風の音で秋の訪れを感じると言わ
れても共感できないのだろう︒ない経験を引き出すことは不可能であ
り︑生徒が自分達だけで気づき︑深めることは困難である︒その景物
からどのような心情が想像できるか︑またどのような心情を想像する
ことが一般的なのか︑そこを十分考慮した上で授業者による適度な補
足説明や介入がなされなければ︑目指すところまでは到達しない︒また︑
過去の学びをいつでも取り出して関連付けて考えるというような︑本
︵六三︶ 物の生きる力として定着させるのは簡単ではないこともはっきりした︒
最後に単元を終えての生徒のまとめと分析を記す︒
単元を終えての生徒のまとめ
和歌でも現代の俳句と同じように決
まった字数の中で︑景物も使って自分の心や思いを表していることが
わかりました︒短い字数で表しているからこそ奥深く思われました︒
また︑今も昔も考え方は変わっていないのだなと感じました︒︵
I︶
和歌は︑短い文の中に書いた人の心情や風景が詰まっていて︑日本
に誇る文学だと感じた︒はじめは正直何を言いたいのかわからないと
思っていたが︑表現技法を通して考えや読みを深められた︒︵
J︶
昔の人の心情について和歌を通して感じることができた︒自分の中
で共感できるものもあり︑今ではわからないような心情もあったが︑
その全てに︑昔の人の心情がこもっていると思うと︑和歌の﹁力﹂の
すばらしさを感じた︒今回の授業で自分も和歌について興味をもった
ので︑また機会があれば親しんでいきたいと思う︒︵
K︶
最初は全然読み取ることができなかったが︑学習するにつれて少し
ではあるが︑作者の思いを読み取ることができた︒テストで満点取れ
るようにしたい︒︵
L︶ 授業者の分析 生徒
Iや生徒
Jのように︑﹁景物+心情﹂の抒情様式や
表現技法に着目することで和歌の読み方を獲得できたことを実感して
いる生徒もいる︒また︑生徒
Kや生徒
Lのように和歌への興味関心が
高まった生徒や︑学習の成果を実感することができた生徒もいたこと
がわかる︒
四 成果と課題
和歌の読み方の獲得という点では︑生徒は﹁景物+心情﹂の抒情様
式を意識して読むようになった︒景物を単なる風景や背景として流し てしまうのではなく︑その情景の中に作者の思いを読みとろうとする
ようになった︒また︑人事からも心情を読み取ろうとする意識も高まっ
た︒﹁和歌は様々に表現されている作者の思いを考えることが重要だと
わかり︑とてもおもしろかった︒今後は自分一人でも楽しめるように
想像力を鍛えてきたい﹂﹁和歌は自分の気持ちや感じたことを何かに表
すことによって︑さらに多くの意味を生み出したりすることができ︑
おもしろいなと思った︒また︑全く関係ないと思っていてもどこかで
つながっていたり︑重なって別の意味を表していたりするものもある
と知って驚いた︒これらのことに気をつけて︑今後和歌を読んでいき
たいと思う﹂といったまとめもあり︑生徒は和歌をどのようにして読
み進めていけばよいのかという指針をもつことができたはずである︒
和歌への興味・関心という点では︑一定の成果があった︒﹁和歌に興
味がありますか﹂という事前アンケートでは﹁ある﹂﹁どちらかと言え
ばある﹂と答えた生徒が四〇%︑﹁どちらかと言えばない﹂﹁ない﹂と
答えた生徒は六〇%となっていたが︑事後のアンケートでは﹁ある﹂﹁ど
ちらかと言えばある﹂が八一%を超えるほどに高まっており︑二段階
高まった生徒も二割ほどいた︒それらの生徒の理由としては︑﹁景物と
人事の関係が上手に表されている﹂﹁様々な表現が繊細でおもしろい﹂
﹁隠れている気持ちを考えるのが楽しい﹂などがあげられていた︒和歌
の抒情様式を理解し︑読み方がわかったため︑興味・関心が高まった
と言えるのではないだろうか︒また︑単元のまとめの自由記述でも︑﹁事
前アンケートでは興味はあまりないと書いたが︑授業を通してとても
おもしろいものだと感じた︒詠んだ方々は亡くなっているが︑その和
歌の意味を知らない私たちが読み取っていくことがとても楽しく︑お
もしろかった﹂と︑古人の思いを想像し︑古人と対話しながら古典の
世界に親しんでいこうとする生徒も見られた︒
一定の成果を収めたとはいえ︑全ての生徒が抒情形式と全ての表現
技法を正確に理解し︑獲得したわけではない︒ジグソー法で個々の生
︵六四︶
徒の技能の定着を図ろうとしたが︑現実には話し合って鑑賞を深めて
いく授業スタイルのため︑理解や獲得には差が生まれてしまっている︒
また︑その差を補うための活用の機会がまだまだ不足している︒たと
えば︑数学では方程式の計算は習得のための練習も︑他の分野での活
用も大変多い︒ところが︑国語科においては身に付けたスキルをくり
返し練習する機会が決して多くはない︒結果︑その授業では使うこと
ができたスキルも︑他の教材や社会生活の中で生かされることが少な
くなってしまう︒今回の﹁景物+心情﹂の抒情様式から鑑賞することは︑
和歌以外の韻文の鑑賞にもつなげられるものだし︑広い意味では文学
的な文章の読解における﹁情景描写﹂を鑑賞することにもつながるだ
ろう︒さらに日常生活でのドラマや映画の鑑賞における背景や
BG M
のあり方にまで言及できる可能性をもっている︒自分の思いを相手に
伝えようと思ったときに︑﹁景物﹂を生かして表現しようと考える生徒
もいるかもしれない︒古人の﹁景物﹂に込めた心情を理解することで︑
日本人としての季節感や感性を大切にしようとする意識も高まるかも
しれない︒しかし︑今回の実践ではそこまでの意識をもたせることは
できなかった︒そのためには︑﹁秋来ぬと〜﹂の和歌の鑑賞が深まらな
かった要因として挙げたように︑過去の学習で身に付けたスキルを︑
汎用性のあるものとして他の場面でも積極的に活用していくこと︑ま
た活用されるように教師が仕組んでいかなければならない︒その意味
では系統性を考慮して指導に当たっていくことは極めて重要である︒
第四時で教科書教材の全てを扱ったが︑身に付けたスキルが活用でき
る和歌に限定したり︑教科書とは別の和歌を用いたりするなどの改善
が必要である︒
また︑授業者による事前事後のアンケートの実施方法や実施時間な
どに課題があり︑教材そのものには明確な評価規準が存在するものの︑
それを活用して統計的処理に基づく量的分析を行うことができなかっ
た︒協働的︑対話的に学ぶことは重要だが︑個で活用する機会を設け︑ 個に学びが定着したかどうかを見なければならない︒そのためには単
元の総時数も増やす必要がある︒
和歌の読み方を身に付け︑伝統的な言語文化への関心が高まるよう
にするには︑高校進学後も︑単なる知識としての習得だけでなく︑実
際の歌に当たりながら︑表現効果を吟味したり︑議論したりする経験
を積んでいくことが求められる︒
︵平成三十年四月三日受理︶
︹注︺
︵
︱
﹃万葉集﹄・﹃古今和歌集﹄・﹃新古今和歌集﹄の場合︱
﹂︵﹃中国四国教育 1︶戦後の和歌教育実践については︑渡辺春美﹁戦後古典教育実践史の研究︵二五︶学会 教育学研究紀要﹄四九︑二〇〇三︶が︑一九四七〜一九九八の教育実践
について簡潔にまとめている︒また︑和歌表現の基本構造とそれに基づく表現
技法︵修辞︶の学習を中学校において試みたものに︑武久康高の実践研究があ
る︒武久の実践は︑鈴木日出男﹃古代和歌史論﹄︵東京大学出版会︑一九九〇︶
が和歌表現の基本構造として提示する︿心物対応構造﹀論に基づき︑序詞を伴
う和歌を教材の中心に据えて修辞的理解の確認と和歌の批評会を行ったもの
で︑︿心物対応構造﹀を理解した生徒が︑心情を表すための表現︵喩︶やその
効果への理解を深めた︑という成果をあげている︒
︻附記︼本稿は︑科研費基盤研究
C﹁東日本大震災後の福島における国語科教育モ
デルの構築﹂︵課題番号一五
K〇四四〇三︶に基づく研究成果の一部である︒
︵六五︶
Classes aimed at acquiring how to read Waka in junior high school UENO Tomohiro and IJITSU Michifumi
Many junior high school students are not good at classical literature. One reason is that students do not know how to read the classics. This paper is a class record that a student aimed at acquiring how to read Waka. The students were able to understand the style of lyrics of Waka “landscape + heart” by using Waka material which considered systematicity. The students also applied the lyric style to the Waka read for the first time and were able to appreciate the feelings of Waka more deeply. As a result, students increased their interest in Waka.