化学と生物 Vol. 51, No. 1, 2013
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今日の話題
O- マンノース型糖鎖異常による筋ジストロフィー症
糖鎖分析技術の高感度化がもたらす糖鎖研究の新たな展開
糖タンパク質や糖脂質に修飾されている糖鎖は,細胞 間の認識や接着,情報伝達などのさまざまな生命現象に おいて重要な働きを担っている.疾患や老化で細胞や組 織の糖鎖構造が変化することや,糖転移酵素の異常で必 要な糖鎖を作れなくなることが疾患の原因となることな ど,糖鎖の重要性を示す知見はこれまでに数多く報告さ れてきた.
翻訳後修飾分子である糖鎖は,核酸やタンパク質と異 なり鋳型が存在せず,その構造は極めて多様性に富んで いる.当然,遺伝情報から生体内でどのような構造のも のが合成されるのかという予測はできない.長い糖鎖研 究の歴史から,教科書的には 型糖鎖, 型糖鎖,プロ テオグリカンといった基本構造とそれらの修飾経路の大 枠はほぼ明らかになってきたように思われる.しかし,
いまだに想定外の構造が発見され驚かされることがあ る.また,複雑な多様性をもつ糖鎖のなかから特定の構 造のみを検出する方法が極めて少ないため,個々の糖鎖 構造の機能の解析はより難しいものとなる.やっかいな ことに同じ細胞内の同じタンパク質でも1分子ごとに糖 鎖の構造や修飾部位は微妙に異なっており,問題を複雑 にしている.
糖鎖に限らず翻訳後修飾分子の研究にはこうした分析 の困難はつきものであるが,質量分析計などによる近年 の分析技術の進歩により,糖鎖研究は,特定の部位に修 飾された特定の構造の機能解明を目指す,という新たな ステップに挑み始めた.本稿では筆者らが注目している -マンノース (Man) 型糖鎖からみた最近の糖鎖研究に ついて紹介する.
-Man型糖鎖はタンパク質のセリン (Ser) あるいは スレオニン (Thr) にManを介して結合する糖鎖であ る.この糖鎖は最初にSia
α
2→3Galβ
1→4GlcNAcβ
1→2Manの4糖構造として発見された(1).この糖鎖の生合 成にかかわる糖転移酵素,protein -mannosyltransfra- se 1 (POMT1) お よ びPOMT2と,protein -linked mannose
β
1,2- -acetylglucosaminyltransferase 1(POMGnT1) をコードする遺伝子が先天性筋ジストロ フ ィ ー 症 の 原 因 遺 伝 子 で あ っ た こ と か ら(図1),
-Man型糖鎖の合成異常が筋ジストロフィー症の原因 となるという発症機構が明らかになった(1, 2).
筋ジストロフィー症は筋線維の壊死や変性により,進 行性の筋力低下や筋萎縮を呈する遺伝性疾患である.
-Man型 糖 鎖 不 全 が 認 め ら れ る 先 天 性 筋 ジ ス ト ロ
図1■ジストロフィン―糖タンパク質複合体 (A) と -Man型糖鎖 (B)
(A) 膜貫通タンパク質である β-DGを中心に細胞外側に α-DG, 細胞内側にDysが結合し,細胞外マトリックスから細胞骨格を連結する軸を 形成する.(B) □で囲んだ分子は α-ジストログリカノパチーの原因遺伝子産物であり, -Man型糖鎖の生合成との関与が示されている.
Thr/SerにManを転移する -Man転移酵素 (POMT) はPOMT1とPOMT2の2つのサブユニットによる複合体として機能する.Fukutin はGlcNAc転移酵素 (POMGnT1) に結合し酵素活性やゴルジへの移動に関与する可能性が示唆されているが,fukutin自体の酵素活性や本 来の機能はわかっていない.LRAGEはGlcUA-Xyl反復配列の伸長酵素である.FKRPは機能不明であるが,変異患者における -Man型糖 鎖の消失が確認されている.DG, ジストログリカン;Dys, ジストロフィン;Man, マンノース;GlcNAc, -アセチルグルコサミン;Gal, ガ ラクトース;Sia, シアル酸;GlcUA, グルクロン酸;Xyl, キシロース
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フィー症の原因遺伝子はこれまでに6種見つかってい
る(1, 2) (図1).これらの病型では程度に差はあるもの
の,筋ジストロフィーに加えて,滑脳症といった中枢神 経系の形成障害を伴う特徴がある.また,これらの病型 に共通する -Man型糖鎖不全は
α
-ジストログリカン(DG) という細胞膜のタンパク質の糖鎖不全として観察 されることから,
α
-ジストロカノパチーと総称され る(1, 2).α
-DGは骨格筋のジストロフィン‒糖タンパク質複合体 を構成する分子である(図1).この複合体は細胞外マ トリックスと細胞骨格を連結する軸となり,激しい運動 にさらされる筋形質膜の安定化に寄与していると想定さ れる. -Man型糖鎖は,α
-DGとラミニンなどの細胞外 マトリックス分子との相互作用に必要である(1, 2).こうした -Man型糖鎖の働きは,最近まで上述の4 糖構造に由来するものと考えられていた.しかし,非還 元末端のHNK-1およびLe 構造や,マンノースからの分 岐構造など, -Man型糖鎖には多様な構造があること が明らかになってきた(1, 3) (図2).特に,最近報告され たMan 6位のリン酸ジエステル結合と,グルクロン酸
(GlcUA) と キ シ ロ ー ス (Xyl) の 繰 り 返 し 構 造
[GlcUA
β
1→3Xyl] は,既知の構造とは全く異なる新 しい糖鎖であった.しかも,このGlcUA-Xyl反復構造 がラミニンとα
-DGの結合に必須な構造であった(4, 5). さらに,この構造が発見されたことで,GlcUA-Xyl反復 構造の合成酵素がα
-ジストログリカノパチー原因遺伝子のうちこれまで機能がわかっていなかったLARGEであ ることが明らかになった(5).LARGEは,N末側にXyl 転移酵素ドメイン,C末側にGlcUA転移酵素ドメイン の2つの触媒ドメインを有しており,LARGE一つでGl- cUA-Xyl反復構造を伸長させることがわかった(5).
ところで, -Man型糖鎖の多様な構造について前述 したが,これらの糖鎖は
α
-DGのどこに修飾されている のか? -Man型糖鎖に限らず,近年の糖鎖研究では,タンパク質の特定の部位に特定の糖鎖構造が修飾される ことの意義やそのメカニズムに対する関心が高まってお り,質量分析計の高分解能化も伴って,タンパク質のど の部位にどんな糖鎖が修飾されるか,というタンパク質 の糖鎖マップの解析が行われるようになってきた.
α
-DGにおいても質量分析計による糖鎖マッピングがい くつか報告されている(6, 7).残念ながら,Man-6P構造 とGlcUA-Xyl構造は培養細胞に発現させた組換型α
-DG での報告のみで(4),天然のα
-DGからはいまだ検出され ていない.しかし,組換型α
-DGの実験から,GlcUA- Xyl構造はα
-DGの317番目と319番目のThrのみに修飾 されることが示された(8).GlcUA-Xylの修飾にはまだ重要な問題が残されてい る.現時点では,GlcUA-Xylが
α
-DGにどのように結合 しているのかが全くわかっていない.リン酸ジエステル を介する可能性が想定されているが,リン酸とGlcUA かXylが直接結合するのか? 間に別の糖があるのか? そもそもリン酸ジエステルを介しているのか? など,さらなる解析が必要である.
糖鎖の分析技術の向上により, -Man型糖鎖の構造 の多様性や生合成にかかわる分子が新たに見つかってき たことで, -Man型糖鎖の機能が複雑なシステムに よって厳密に制御されていることが明らかとなってき た.一方で,新たな疑問も続々と生じてくる.研究は尽 きない.
1) H. Manya : , 23, 272 (2011),
(http://www.gak.co.jp/TIGG/).
2) T. Endo : , 26, 165 (2007).
3) S. H. Stalnaker : , 21, 603
(2011).
4) T. Yoshida-Moriguchi : , 327, 88 (2010).
5) K. Inamori : , 335, 93 (2012).
6) S. H. Stalnaker : , 285, 24882 (2010).
7) R. Harrison : , 22, 662 (2012).
8) Y. Hara : , 108, 17426
(2011).
(萬谷 博,遠藤玉夫,東京都健康長寿医療センター)
図2■哺乳類における -Man型糖鎖の構造
Man, マンノース;GlcNAc, -アセチルグルコサミン;Gal, ガラク トース;Sia, シアル酸;GlcUA, グルクロン酸;Fuc, フコース;
Xyl, キシロース
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プロフィル
萬 谷 博(Hiroshi MANYA)
<略歴>1995年帝京大学大学院薬学研究 科修士課程修了/ 1995 〜 1998年東京大学 大学院薬学研究科(薬学博士)/1998年財 団法人東京都老人総合研究所研究員/
2009年組織改編,東京都健康長寿医療セ ンター主任研究員<研究テーマと抱負>老 化にかかわる糖鎖の重要な働きを明らかに したい<趣味>家族旅行
遠藤 玉夫(Tamao ENDO)
<略歴>1982年東京大学大学院薬学系研 究科修了/同年米国Baylor医科大学博士 研究員/ 1984年東京大学医科学研究所生 物有機化学研究部助手/ 1994年財団法人 東京都老人総合研究所室長を経て研究部 長/ 2009年地方独立法人化に伴い老化機 構研究チームリーダー/ 2012年副所長
<研究テーマと抱負>老化,認知症,発生 などにおける糖鎖の生物学的意義を明らか にしたい<趣味>ウォーキングを兼ねた軽 い街中散歩