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792 化学と生物 Vol. 51, No. 12, 2013
メタボローム –QTL 解析を用いた玄米代謝物組成にかかわる自然変異の探索
コメ品質の遺伝的な差をメタボローム分析で探索する
コメはわが国の主食であり,美食家,北大路魯山人を して「うまいものの極致は米なのである.うまいからこ そ毎日食べていられるわけなのである.」(1) と述懐せし めるほど,われわれは米をよく食べ,日々の栄養源とし ている.栄養価が高く食味が良いイネの新品種を作り出 すには,イネゲノムの多様な自然変異のなかから,有用 代謝成分の高生産にかかわる変異を同定し,交配育種に より良食味品種へと導入することが近道となる.
イネの形質には,もち/うるち性のように単一遺伝子
( ) の遺伝型でおおよそ決定される質的形質もある が,おいしさや機能性成分含量などは,複数の量的形質 遺伝子座 (Quantitative trait loci ; QTL) の影響を受け る量的形質である.そこで,QTL解析による量的形質 遺伝子座の同定が近年活発化している.有用形質にかか わる遺伝子がイネゲノム上のどこにコードされているの かを特定できれば,DNAマーカーを用いた効率的な有 望個体の選抜が可能となり,育種期間の短縮につなが る.QTL解析を行うには,実験系統群,遺伝型データ,
量的形質データが必要である(2).たとえば組換え自殖系
統群は2種類の異なる系統を交配して得た雑種個体を,
数世代にわたって自殖して作成した系統群である.染色 体上のさまざまな領域に組換えが生じることにより,各 系統では交配に用いた二つの系統の染色体が複雑に混じ り合っている.その様子をゲノムワイドに設定した DNAマーカーを用いて解析し,量的形質値と合わせて 解析すると,QTLの染色体上での位置が決定できる.
たとえば,竹内らは日本のイネ品種である日本晴とコシ ヒカリから作成した実験系統群総計168系統の飯米の官 能試験データからコシヒカリの良食味に主要な役割を果 たすQTLを第3染色体短腕に見いだしている(3).
コメに含まれるさまざまな種類の代謝産物を一斉に定 量するにはメタボローム分析が有効である.メタボロー ムとは,ある組織中に含まれる代謝物の総体を意味する 概念であり,メタボローム分析を行うことで,イネ玄米 中に含まれる代謝産物を網羅的に定量できる.そこでメ タボローム‒QTL解析を行うことで,機能性成分の向上 に有用な代謝関連QTLの同定につながることが期待さ れる(4).筆者らのグループでは,イネ品種のササニシキ
図1■メタボローム分析パイプラインで検出されたイネ玄米代謝成分
赤がGC-TOF-MS, 青がCE-TOF-MS, 黄がLC-IT-TOF-MS, 緑がLC-Q-TOF-MSで分析した代謝物を示している.
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とハバタキから作出した戻し交雑自殖系統群85系統を 2005年と2007年に栽培して収穫した玄米から代謝産物 を抽出した.これには,糖など親水性のものから,糖リ ン酸,アミノ酸など極性をもつもの,脂質や二次代謝物 など比較的疎水性の高いものなど,多岐にわたる物性の 代謝産物が含まれる.これらを網羅的に測定するため4 種の質量分析装置を組み合わせたメタボローム分析パイ プラインを用いて分析を行い,759代謝物シグナルを含 むメタボロームデータを取得した.そのうち131個の構 造を推定し,玄米にはアミノ酸や糖,脂質,有機酸,フ ラボノイドなどの多様な成分が含まることを明らかにし た(5) (図1).
代謝物の含量は遺伝要因だけではなく環境要因にも影 響を受ける.そこで,異なる年度に収穫した玄米のメタ ボロームデータを比較し,遺伝要因で説明可能な変動の 割合(遺伝率)を調べた.その結果,スクロースなどの 糖の遺伝率は0.3以下と低く,GABAなどのアミノ酸関 連物質は0.4 〜0.6程度の遺伝率を示し,脂質や抗酸化機 能をもつフラボノイドは0.8以上の高い遺伝率を示した.
つまり,糖やアミノ酸などの含有量には栽培条件や気候 などの環境的要因が強く影響しており,反対に脂質やフ ラボノイドは,遺伝的要因が強く影響すると考えられた(5).
さらに,759個の代謝成分含有量のデータを用いて QTL解析を行い,代謝成分含有量に影響を与える801 個のQTLを同定した.さらにイネ染色体上には,代謝 関連QTLの密度が高いホットスポットが存在すること,
特定の成分含量に強く影響を及ぼすQTLが存在するこ とを明らかにした.たとえば,今回用いた実験系統群の 親であるハバタキの玄米には,日本の栽培イネにはほと んど含まれない特有の 配糖化フラボノイド (apige- nin-6,8-di- -α-L-arabinoside) が蓄積している. 配糖化 フラボノイドは抗酸化作用をもつ成分として注目されて いる.解析の結果,直積に関与するQTLを第6染色体 上に同定することに成功し,イネゲノム情報との比較か ら,その原因遺伝子を絞り込むことができた.さらに,
ササニシキの第6染色体の該当領域をハバタキのものと 置換した自然変異の系統から収穫した玄米には,このフ ラボノイドが含まれていることを確認した.この結果か ら,イネゲノムの自然変異を利用した交配によって,有 用代謝成分を強化した品種が育成可能であることを実証 した(5) (図2).
これらは,農業生物資源研究所が整備したイネ実験系 統群,遺伝型データ (http://www.rgrc.dna.affrc.go.jp/
jp/stock.html) と理化学研究所環境資源科学研究セン 図2■イネ品種ハバタキ,ササニシ キ,およびSL419における apige- nin-6,8-di- -α-L-arabinosideの 蓄 積 量とゲノム遺伝型
ササニシキのゲノムの6番染色体の 一部をハバタキ型へと置換された系 統 (SL419) では,このフラボノイド を高含量で蓄積していた.
フラボノイド (apigenin-6, 8-di-C-α-L-arabinoside) の相対蓄積量
apigenin-6, 8-di-C- α-L-arabinoside
相対定量値(%)
ハバタキ ササニシキ SL419 100
90 80 70 60 50 40 30 20 10 0
ゲノムの遺伝子 (赤:ハバタキ型,青:ササニシキ型)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 1112
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794 化学と生物 Vol. 51, No. 12, 2013
ターで構築したメタボロームパイプライン (http://
www.psr-net.riken.jp/enterprise/riken.html) を組み合 わせた成果である.実験系統群およびメタボローム分析 技術はいずれも研究基盤として外部利用できる.近年,
日本栽培イネ大規模集団の高密度マーカー遺伝型データ が利用可能になるなどジェノタイピング技術の進展が著 しい(6).今後はメタボローム分析をはじめとするフェノ タイピング技術を革新させていくことで,さまざまな有 用形質にかかわるQTLの同定が可能となるだろう.こ れらをわが国が主導して解読したイネゲノム情報と併せ て解析することで,イネの未知の遺伝子資源が開拓され るとともに,新品種の育種へとつながることが期待され る.
1) 北大路魯山人: 日常美食の秘訣 ,火土火土美房,1947.
2) 鵜飼保雄: ゲノムレベルの遺伝解析̶MAPとQTL,
東京大学出版会,2000.
3) Y. Takeuchi : , 58, 437 (2008).
4) K. Saito & F. Matsuda : , 61, 463
(2010).
5) F. Matsuda, Y. Okazaki, A. Oikawa, M. Kusano, R. Naka- bayashi, J. Kikuchi, J. Yonemaru, K. Ebana, M. Yano &
K. Saito : , 70, 624 (2012).
6) J. Yonemaru, T. Yamamoto, K. Ebana,E. Yamamoto, H.
Nagasaki, T. Shibaya & M. Yano : , 7, e32982
(2012).
(松田史生*1, 2,岡咲洋三*1,斉藤和季*1, 3,*1理化学 研究所環境資源科学研究センター,*2大阪大学情報 科学研究科,*3千葉大学薬学研究院)
プロフィル
松田 史生(Fumio MATSUDA)
<略歴>1997年京都大学農学部農芸化学 科卒業/1999年同大学大学院農学研究科 修士課程修了/2002年同大学大学院農学 研究科博士課程修了/CREST研究員,理 化学研究所植物科学研究センター研究員を 経て,2009年神戸大学大学院自然科学系 先端融合研究環准教授/2012年より大阪 大学大学院情報科学研究科准教授,理化学 研究所環境資源科学研究センター客員研究 員兼務<研究テーマと抱負>植物,微生物 のメタボロミクスと代謝工学への応用,酵 母を用いた有用物質生産
岡咲 洋三(Yozo OKAZAKI)
<略歴>2000年京都大学農学部応用生命 科学科卒業/2002年同大学大学院農学研 究科修士課程修了/2005年同大学大学院 農学研究科博士課程修了/同年島津製作所 研究員/2007年理化学研究所植物科学研 究センター入所/現在,同環境資源科学研 究センター研究員<研究テーマと抱負>植 物メタボロミクス,植物脂質代謝研究 斉藤 和季(Kazuki SAITO)
<略歴>1979年東京大学大学院薬学系研 究科修士課程修了/慶應義塾大学助手,ゲ ント大学研究員,千葉大学助手,講師,
助教授を経て,1995年千葉大学薬学部教 授/2005年より理化学研究所植物科学研 究センターグループディレクター兼務/現 在,同環境資源科学研究センター副セン ター長<研究テーマと抱負>植物メタボロ ミクスとファイトケミカルゲノミクス,植 物の化学的多様性の分子起源の解明とその 応用