【重点・融合領域研究部門】
協定校や姉妹都市との交流を反映した国際理解教育プログラムの開発研究
研究代表者 飯田史也(学校教育講座)
研究分担者 吉武正樹(英語教育講座)
研究分担者 クィント・オオガ・ボールドウィン(英語教育講座)
Developing a program for international understanding at university :Influences from exchanges with sister schools and cities
Fumiya IIDA
1)Masaki YOSHITAKE
2)Quint OHGA BALDWIN
3)1) Department of School Clinical Education, Fukuoaka University of Education 2) Department of English Language Education, Fukuoaka University of Education 3) Department of English Language Education, Fukuoaka University of Education
The first chapter discusses teaching practice in affiliated universities for promoting international understanding. To respond to the lack of exposures to different cultures and critical examinations of cultural experiences, teachers capable of intervening with the reproduction process of students who lack such competence should be produced in teacher-training universities. Teaching practice abroad, accompanied with the solid foreign language curriculum, will help students develop “real” communication competence. The interview with a participant in the two-week teaching practice in Busan National University of Education suggests that this experimental program will be promising and, yet, that horizontal communication between students should be maximized for active learning.
F.U.E. have received the requests for the introduction of overseas students as the guest teacher to the international understanding classes of elementary schools and junior high schools for these 25 years.
This is to consider the effective methods of exchange program between F.U.E. overseas students and the Japanese students.
International understanding requires deep knowledge and experience with foreign cultures. To investigate how this understanding is developed without extensive time living abroad, researchers visited 4 bilingual schools in Japan; 2 English partial immersion schools, a Korean immersion school, and a Chinese immersion school. While schools all made linguistic and cultural acquisition a mission, differences were seen in the degree of autonomy and integrative orientation toward the target foreign culture. In order to increase international understanding in Japanese public and private schools, greater opportunities for autonomous integration and frequency of exposure to foreign language and cultures are needed.
キーワード:福岡教育大学学生の釜山教育大学校での教育実習、地域小・中学校への福岡教育大学留学生派遣、
日本の4つのバイリンガル学校における国際理解教育
Key words:practical training of F.U.E. students at Busan National Univ. of Education, sending overseas students of F.U.E. to the elementary and junior high schools, international understanding in 4 bilingual schools
Ⅰ 国際理解教育のための協定校教育実習の 可能性と課題 :吉武正樹担当
国際理解教育を進めるべく、協定校である釜山 教育大学校での2週間にわたる教育実習が実験的 に行われた。本来「交流」というのは、「行き来の インフラが整う→交流を開始する」というもので はなく、「必要性から人が行き来するようになる→
次第にそこが踏み固められ道になる」というもの である。制度としては、手探りのものであり、未 だ踏み固められた道がないまま釜山に渡った学生 たちは国際交流のまさにフロンティアであり、そ こにこの取り組みの課題が見えてきた。
本章では、国際理解教育の一環とした協定校で の教育実習を進めるにあたり、国際理解教育にお ける問題の本質について考察し、特に外国語教育 とコミュニケーションの関係性を再考し、最後に 協定校教育実習へ参加した1名の聞き取りからプ ログラムが持つ可能性と今後の課題を明らかにす る。
1.文化再生産に介入する主体としての教師 教育とは、文化や社会が再生産される過程であ る(ブルデュー、パスロン、1991)。何を異文化 とみなし、異質性を前にどうふるまうかを構造的 に誘発するハビトゥスは、教師が児童・生徒に対 し施す教育的行為により再帰的に再生産されなが ら継承される。将来教師となっていく本学の学生 らが学校現場において出会うのは、まさにこうし たハビトゥスの不断の再生産過程であり、教員養 成における適切な国際理解教育なくしては、自ら が教育という再生産システムの歯車の部品という、
主体的で従順な(subjective)継承者に成り下が ってしまう。
その意味で、国際理解教育を担う教師の育成は 至上命令であり、その意義は、この不断のサイク ルに介入し、よいところは継承しつつ、改めるべ きは一度回路を断ち切り、新たな回路へと接続す ることと言えよう。
2.経験不足の再生産
それではメスを入れるべき不断のサイクルとは、
いったいどういうものであろうか。その大きな特 徴の一つは、異文化接触の「経験不足」の再生産 である。むろん、この点について日本が置かれた 自然環境に一部要因はあった。囲い込む国境と海 が一致する日本は文字通り「島国」であり、他文
化と自文化を隔てていた海を克服するまでは、現 在のように多様な文化が行き来することは未だ非 日常的であった。
その一方で、経験不足の「人為的」要因を見逃 してはならない。つまり、私たちが異文化との接 触を積極的に「拒んできた」という側面が大なり 小なり存在する。日本では「内-外」が分けられ るが、正高(2003)が「添い寝」の習慣に言及し 説明したように、日本では「外」の恐怖から子を 守るのが「内=家」という血を分けた運命共同体 であり、その「家」概念が拡大されると「国(と いう)家」対「海(の)外」という二項対立に行 き着く。文化の枠が国家の枠に重なるのは近代国 家の設立と維持における典型ではあるが、こうし た「国=内=家」という参照枠から文化を眺める と、文化は往々にして「内=純粋」つまりは「純 血」なものとして見られてしまう。
こうした「内=均質性」対「外=異質性」を強 調する二分法をして、「国内」にとどまる私たちの 目には、日本は「単一文化民族言語国家」として 表象されてしまう。言い換えれば、ここにおいて 国内、すなわち日本文化という内部において「異 質性」というのは、意識的であれ無意識であれ、
慣習としてシステマティックに排除されてしまう、
という面が存在する。
3.「真」のコミュニケーションのための 外国語教育
本来なら、日本語で事足りる日常性にくさびを 入れる役割を果たすのが外国語教育であろう。母 語とは異なる言語システムは、母語の価値観や世 界の分節の仕方を一時的に無効化する「他者」で ある。その意味で、他者とどう共存するのかとい う問題は本来、その言語話者と対面する前から言 語との出会いにおいて求められている。
一方、外国語が内外を結びつける「道具」だと 語られがちな今日、私たちは「外国語ができる」
を「コミュニケーションができる」と同等と捉え、
その裏の前提として「外国語ができない=コミュ ニケーションができない」と考えてしまう。しか し、言語はコミュニケーションにおける媒介の一 つであり、コミュニケーションの回路は非言語や 準言語でも開くことは可能である。私たちの「外」
にいる異文化、異言語、異民族と、「外国語ができ ない」が「コミュニケーションがとれる」といっ た、「斜めのジャンプ」(図1)ができる人材を育 てることは、本プロジェクトのテーマである教員
養成系大学における国際理解の重要な鍵となるだ ろう。
図1:外国語のコミュニケーションにおける「斜 めのジャンプ」
4.協定校での教育実習における課題 (1) 言語的境界線を越えて
今回インタビューした釜山教育大学校の附属小 学校への教育実習へ参加した学生には、韓国語の 学習経験がなかった。それでいてこの学生は、異 国での教育実習という体験がこの学生における言 語的境界線を曖昧にさせている。一方で彼女は言 語が通じないという壁を感じ、以下のように述べ ている。
・韓国語での授業にフォローが全くなかった時、
40分間ずっとたっているだけできつかった。先 生と教育実習生と実習終わりにご飯を食べに行 った際、韓国語で先生がずっと話していたため、
話に入れず2,3時間いたこと(がつらかった)。
・とにかく教育実習の本質を学ぶことができない。
ただ2週間学校に行って、わけもわからず過ご すだけになってしまう。授業が韓国語で何をし ているのかわからない。韓国語でもらえる指導 案やその他に関する資料がすべて韓国語なので、
自分が学びたい教育の内容を学ぶことができな い。
しかし、他方ではこの学生が、言葉が通じない があり合わせの知識でつながろうとしている様子 も同時にうかがうことができる。
・言語を欠いた非言語文化の重要性(を体験でき てよかった)。コミュニケーションが上手く取れ ない中で、相手からみた自分の立場や存在を考 えることができるようになった。
・(子どもたちは)私に興味を持ってくれた。英語 や、日本語の単語、ジェスチャーを用いて一生 懸命伝えようとしてくれた。他の教育実習生の ように先生と呼んでくれたことや、一緒に遊ぼ
うとしてくれたこと(がうれしかった)。(子ど もたちは)外国人だから(といって)、(私に対 し)違う態度をとるということがなかった。授 業においても一生懸命学ぼうとしてくれた。英 語で答えたり、質問したりしてくれて、本当に うれしかった。残念だったことは、言語がつた わらないことだけです。
・教育実習に参加する前は、素直な子供達の反応 が反日的ではないかとおもっていたのですが、
日本人だからという偏見を持って子供達はせっ していません。
・(一緒だった韓国人の実習生がときどき)授業中 に隣に立って先生が韓国語で言ってくれている ことを通訳してくれる。休み時間に話してくれ る。常に次、何をするか伝えてくれる。自分の 授業が終わった後に授業を褒めてくれる。一緒 に行動してくれようとする。夜ご飯などを一緒 に食べようとしてくれる。
この学生が、言語が伝わらないなかで、コミュ ニケーションを成立させた実感を得ている様子が 伺えるだろう。
(2) 協定校における水平的関係の必要性
もう一点、この学生の体験から言えることは、
教員-学生という垂直の関係性も重要だが、水 平・対等の関係においてこそ真に文化的他者と対 峙できるということである。これまでの国際理解 教育の多くは一過的で、「上」から降ってくるもの として体験され、そこでの学生の異文化との出会 いは、文化的異質性を展示したショーケースを受 動的に見せられている修学旅行のようである。そ の点、協定大学との交流は、こうした水平・対等 の関係を実現する可能性を秘めているといえよう。
また、本学には多くの留学生が学んでおり、個 別の点と点の交流を結んで線にし、そして面へと 広がりを持たせた、内実のある交流事業へと発展 させることは多いに可能であろう。特に本学の留 学生の多くは他のアジアの国々の出身であり、政 治状況や世論に左右されず、人対人の交流を積み 重ねることは重要な意味を持つ。現在平成27年 度概算要求にあたり、彼ら彼女らが本学の日本人 学生とともに学び、協議する場を設定するプロジ ェクトを提言しており、今後こうした体験・プロ ジェクトベースの協同学習的な取り組みを誘発す る事業がさらに求められるだろう。
5.普遍的な国際理解教育へ
本章を結ぶにあたり、国際理解教育の罠を指摘
しておきたい。先に述べた「内-外」を明確に区 別し、内の均質性と外の異質性を強調する趨勢が あるなか、「国」の「際」を強調するあまり、とか く私たちの視線は国籍の違いにもとづいた文化的 差異を必要以上に誇張してしまう傾向がある。こ のことにより、「内の均質性」は維持され、さらに は強化されてしまうことさえある。しかし実際に は、「内」をよく見てみると、「他者」とはすでに 内にも取り込まれているものである。私たちが身 の回りにいる他者と向かう姿勢は、見方によって は、「異国の人」と向き合う姿勢と特段異なるもの ではなく、互いを尊重し、異質なものを認め合い ながらいかに繋がり、互いに高めていけるか、と いうことにおいて同質のものとも言えよう。
その意味で久保田(2014)の「必要なのは、英 語に限らず日本語でも他言語でも偏見なく多様な 人々と積極的かつ相手の立場を理解しながら意思 疎通することであろう」(p. 63)という指摘は、
国際理解教育という枠を突き抜けて、教育の根幹 として普遍的に涵養していかねばならない教師と しての資質ではないだろうか。
⒍ 引用文献
ブルデュー,P.,パスロン,J-C.:宮島喬訳
(1991)再生産―教育・社会・文化―.藤原書店:
東京.
久保田竜子(2014)オリンピックと英語教育―反 グローバル的改革.週刊金曜日,975:63.
正高信男(2003)ケータイを持ったサル―「人間 らしさ」の崩壊―.中央公論新社:東京.
Ⅱ 福岡教育大学留学生地域小・中学校 派遣の課題と展望 :飯田史也担当
⒈ 地域小・中学校への本学留学生派遣
筆者は、平成元年より 25 年間にわたり、留学 生専門教育教員(教官)として福岡教育大学の留 学生教育に関わってきた。この間、地域の初・中 等教育現場からの国際理解教育や英語・外国語活 動への留学生派遣の要請を受け、引率・送り出し の業務をおこなってきた。
留学生の初等中等教育への派遣をめぐっては、
2002 年の学習指導要領改定期に、総合的な学習を 活用した留学生との交流についていくつかの論考 がなされている1)。しかしこれらの先行研究は、
留学生の種類(学部・大学院正規生、教員研修留 学生、日本語・日本文化研修留学生などの国費留 学生、協定学生)、社会経験の有無、専攻分野等の 特性や資質などをふまえて考察したものではなく、
また考察の対象は、留学生を送り出す大学の側に あり、地域の諸学校がこうした交流行事をどのよ うに実施すれば効果を上げることができるかにつ いて、学校・大学双方の複眼的視点から考察した ものではない。
福岡教育大学は、教員養成大学であるという特 性から、人文・社会・自然・芸術・スポーツ等様々 な専攻分野の、また様々な種別の留学生が在籍す る。在籍 80 名前後という留学生数は、留学生セン ターをもつ総合大学の留学生数と比較すると少な いが、留学生担当教職員にとっては、全体の留学 生の能力特性を把握でき、どの派遣要請に、どの 留学生をマッチングさせるかについても対応しや すいものとなっている。
本稿では福岡教育大学の留学生を、地域の諸学 校、とくに小・中学校へ派遣するにあたり、より 効果的な成果を得るための方法について考察した い。
地域の修学前、初等、中等各学校からの派遣要 請の態様は様々であるが、大きく4つの観点から、
以下のように区分することができる。
a 事前打ち合わせの状況
a–1 事前に当該学校の担当の教員が来学し、本学 教職員(留学生担当教員・担当事務員)と 直接に事前打ち合わせが行われるもの a–2 派遣要請時に、当該学校教員から本学教職員 に対し、書類・電話・電子メールなで招聘の 目的や実施形態について比較的詳細に説明 が行われるもの
a–3 派遣要請時に、当該学校教員から本学教職員 に対し、書類・電話・メールなどで招聘の目 的や実施形態について比較的簡略に説明が 行われるもの
a–4 派遣要請時に、当該学校教員から本学教職 員に対し、電話による簡単な招聘依頼だけが 行われるもの
b 招聘回数、プログラム実施期間の態様 b−1 数年次にわたる国際理解プログラム等が策 定されており、年間複数回の招聘のあるもの b−2 年次にわたるプログラムではないが、ひと
つの教科・領域単元に対して、毎年同じ時 期に招聘のあるもの
b−3 一度だけの単発的なもの c 大学教職員の引率の態様
c−1 本学留学生担当教員や連携推進課事務職員 の引率同行が要請されるもの
c−2 留学生だけが招聘されるもの
なお c−2 の場合も、本学教職員が、当該学校に隣 接する鉄道駅、バス停等まで引率、あるいは JR 教育大前駅や本学留学生が多く居住する福岡市東 区の JR 香椎駅等にて集合確認送り出しをするこ とが多い。
d 交流活動の規模
d−1 全校または複数学年にまたがる行事 d−2 複数学級による学年行事
d−3 ひとつの学級による行事
したがって招聘形態には、[a–1・2・3]×[b—1・2・
3]×[c—1・2]×[d—1・2・3]の組み合わせ、すな わち 4×3×2×3 の 72 の招聘形態がありうるが、
[a—3、b—3、c—2、d—3]の組み合わせによるものが 多い。
これらの差異は各学校の、福岡教育大学からの 地理的距離、支出可能な経費額、年間学校行事、
留学生との交流を積極的に実施することのできる 教員の有無など、各学校の状況によって発現する。
⒉ 留学生との交流の実態
これまで福岡教育大学留学生が招聘された活動 は大きく、
A 異文化理解を目的とするもの
B 英語による語学活動を目的とするもの の2種類に分類されるが、さらに A の目的を B で 実行しようとするもの、B の英語コミュニケーシ ョンの題材として A を行うもの、また二つを同じ レベルで目的とするものもある。うち A について は以下の二つに区分される。
ⅰ留学生から児童生徒に、各国の文化(食文化、
衣装文化、祭礼文化など)を紹介するもの ⅱ児童生徒から留学生に、自文化(日本文化、
地域文化、自校文化等)を紹介するもの
ⅰは、児童・生徒の他文化に対する理解と知見を 深めようとするものであり、ⅱは文化的「他者」
である留学生に、子ども自身の文化を説明しなが ら自文化を客観視し、自他の文化を相対化するこ とを目的として行われることが多い。なおその際 に児童・生徒が日本語で説明する場合と、簡易な 英語で説明する場合とがある。またこれらの交流 活動が実施されるのは、総合的な学習、外国語活 動、特別活動、社会科等の時間である。同じ内容
の活動であっても、どの教科、領域でその交流が おこなわれるのかによって、その目的は異なるも のとなる。
⒊ 留学生派遣の課題
近隣の諸学校への留学生派遣については、以下 のような課題も見られる。これら課題はアンケー ト等による調査データではなく、これまで筆者自 身が実践の場で実見したこと、派遣された留学生 自身の報告、実際に交流事業を担当した教員や校 長から筆者に伝えられた内容である。
課題の第一は、小・中学校学校において、日本 との相違点を浮き彫りにしようとするあまり、伝 統文化の表層的紹介に偏した異文化学習に終わっ てしまうことがあるということである。これまで 福岡教育大学の留学生が,子ども達に紹介するよ う求められてきた内容は、民族衣装、伝統的芸術、
伝統料理等の伝統文化を中心とするものであった。
地域小・中学校教員の中には往々にして「知的レ ベルの高い留学生なので、自国の伝統文化へも造 詣が深いに違いない」という思い込みが存在する。
しかし留学生のすべてが自国の伝統文化に精通し ているわけではない2)。多くの留学生にとって、
自国の伝統文化自体がそれほどなじみのない「他 文化」であることも多い。その多くが 20 歳代であ る協定留学生や学部留学生の場合、自国の伝統文 化を体系的に学習しておらず、日本の子ども達に 対して中途半端な説明に陥ってしまうことがある。
さらには誤った情報を伝えてしまったり、自身の 出身地域だけに限定的に存在する文化を出身国の 一般的なものと誤認して紹介してしまうこともあ る。また留学生の説明が伝統文化に偏すると、た んに異なる文化事象の学習や、日本との相違の確 認に終始し、子ども達が自文化との相違点や類似 点を比較的に考察することなく、その活動が終わ ってしまうことにもつながる。
いっぽうで、留学生が日々の市民生活に根ざし た日常文化の紹介を求められることは少ない。こ れについては、留学生自身の口からも批判的に語 られることがある。しかし実際には、留学生自身 も、自国の日常的な生活文化は、他国の人(日本 の子どもたち)に対して体系的に説明することは 難しく、また日本との差異を説明することが困難 なものなのである。
課題の第二は、授業や交流行事の中で、「留学生 の国の文化を理解したい。自身の文化を留学生に 伝えたい」という児童・生徒の「切実な思い」が
欠如する場合があることである。
児童・生徒自身が、留学生を招いて日本の文化 を紹介する場合、児童・生徒自身がその文化に慣 れ親しんでいないと、このような問題が起こりや すい。とくに留学生の来校に合わせて短期間にそ の説明内容を準備したような場合は顕著である。
この場合、一般的な「日本文化」を紹介するよ りは、地域文化や学校行事で児童・生徒が熱中し て取り組み、また誇りに感じているようなものを 取り上げると「切実な思い」が喚起されやすく、
子どもたちの積極的な活動を誘発できるようであ る3)。
⒋ 福岡教育大学の留学生の特色
冒頭に述べたように、福岡教育大学は様々な学 術分野を専攻する留学生が在籍し、またその種別 も、学部・大学院正規生、教員研修留学生、国費 研究生、日本語・日本文化研修留学生、協定学生、
私費研究生など多岐にわたり、それぞれが様々な 専門に所属する。
福岡教育大学の教員研修留学生は、本国におい ておおむね 10 年以上の実務経験を持つ、初等・
中等教育の現職教員が中心となっている。福岡教 育大学ではここ数年、平均して韓国から2〜3名、
東南アジア・中南米諸国から1〜2名の在籍があ る。
協定校大学からの協定留学生には教員志望学生 が多く、来日前に原籍校にて教職関係の授業を履 修しており、さらには本国での教育実習を終えて 来日している者もある。
学部正規生・大学院正規生留学生は、教育に関 わる多くの授業を履修している。とくに教員養成 課程の学生は、その学年に応じて、体験実習、基 礎実習、本実習を経験している。
したがって福岡教育大学の留学生には、以下の ような資質や知見を、「・」に示すような具体で実 践することができる者が多い。
⑴指導者の立場で子どもに接することができる ・時期を逸せずに子どもを賞賛し、また叱るこ とができる
⑵子どもの発達段階に応じた対応ができる ・子どもの発達段階に応じて、表情、しぐさ等 の非言語コミュニケーションをとることがで きる
・低学年児に対して、姿勢を下げ、目線を合わ せてコミュニケーションをとることができる
⑶GT としての自身に求められる役割を、適正に 認識し、効果的にこなすことができる。
・子どもの説明に対し、わざと知らない振り をして、その意欲や関心を誘発することがで きる
⑷その授業の目的と、担当教諭の意図を的確に把 握し、それにあわせた指導力を発揮することがで きる。
・子どもの思考を活性化・深化させるために、
「ゆさぶり」の質問を投げかけたり、意図的 な反応を起こすことができる
教育者としてのこのような資質は、どの国にもほ ぼ共通するものであり、したがって現職教員であ る教員研修留学生がもっともその力を発揮するこ とができる。
⒌ 留学生地域小・中学校派遣の今後
上記のような留学生の資質を、地域諸学校から の派遣要請にどのように役立ててゆくのが効果的 か、以下に考察したい。
まず配慮しなければならない点として、本学留 学生の持つ上記のような資質が、地域の教育現場 にあまり知られていないことがあげられる。一般 的に学外者の大学の「留学生」のイメージには、
「日本学生と同じ世代」の「学部留学生」だけが 想起される傾向がある。現職の教員研修留学生に ついては、その存在は教育現場でもあまり知られ ておらず、また学部時代に日本の教員免許状を取 得した大学院留学生の存在についても気づかれに くい傾向がある。このため、地域教育現場は、招 聘する留学生の資質を活かしきれていない場合が ある。学校では、留学生に負担をかけまいとする 配慮と、まだ日本語がうまくない留学生への配慮 とで、その授業や活動での留学生の活動をあらか じめ限定的に簡略化してしまうことがある。しか し留学生には、先述のようにその授業単元の目的 とその日の授業の流れの大枠を説明すれば、それ に則った対応を効果的に発揮できる者も多い。東 南アジア・中南米諸国からの教員研修留学生には、
来日して初めて日本語を学習し始めた者もあるが、
日本語能力の不足をものともせず、日本の子ども たちに対して教育的に働きかける力をもっている。
ノンバーバル等のことばによらないコミュニケー ションの力を知り、それを教育活動に活かす術を 体得しているからである。今後は、教員研修留学 生を派遣する際には、上記 a–1 の方法で、大学か ら事前にその教育力等を紹介し、当該校授業担当
教員と当該留学生とが事前に綿密な授業のやり方 を打ち合わせておくことが有効である4)。
これまで地域教育現場には、英語・外国語活動 のほか、とくに総合の時間の国際理解教育の中で 留学生を招聘しようとする傾向があった。しかし
「総合の時間を活用した国際理解教育」という位 置づけが先に立ち、具体的な活動内容が後づけに なったため、招聘した留学生に具体的にどのよう な活動をさせるのかが明確でない事例も多かった。
総合の時間以外の教科領域において、通常の単 元を、留学生を交えて学習することも、子どもた ちの国際理解に資する。英語や外国語活動を含む 他の教科・領域に留学生が参加することで、「国際 理解教育授業の特別なお客さん」ではなく、日常 の教科・領域学習にも参加する留学生の存在が、
子どもたちの国際理解を助けるからである。また 初等・前期中等教育レベルでは、学習内容の国ご との差異は大きくない。現職の教員研修留学生等 は、自身もあまり慣れていない「国際理解教育」
のGTを務めるよりは、教職経験での知見や技術 をそのまま使いこなすことができる通常の教科・
領域の授業に参画するほうが、本来の資質を発揮 できるのである。教員志望の協定学生や、教員養 成課程の学部生・大学院正規学生についても、ほ ぼ同様のことがいえよう。
これまでの福岡教育大学からの留学生派遣にお いてほとんど実施されていなかったものに、当該 授業の反省協議会、またお互いの指導技術や実践 に関わる情報交換会があげられる。留学生が派遣 された授業の後、その日のうちに日本の教師、留 学生がともに参加する授業の反省協議会を持つこ とができれば、教員レベルでの国際教育交流の実 をあげることができよう。もちろん、姉妹都市交 流での、学校同士の相互訪問などでは、こうした 協議会も行われることもある。しかし、公的な交 流行事としてあらかじめ綿密に準備されたもので はない日常レベルでの協議会をもつことができれ ば、授業以外の国際的な教育情報の交換や、イン フォーマルな教員交流の実をあげることができる。
今後、地域の学校からの留学生派遣要請を受ける 際は、福岡教育大学からも当該学校に対して、こ うした協議会実施の働きかけをすることが望まし い。
つぎに、福岡教育大学の、学部正規生、協定留 学生の視点から考えてみたい。地域の学校からの
留学生派遣依頼は、留学生一人ということは少な い。これまでも、教員研修留学生だけでなく、学 部正規生や、協定留学生、日本語・日本文化研修 留学生、私費研究生等もともに出向くことが多か った。彼ら自身も相応の教育的指導力を持ってい るが、日本の学校に共に出かけることで、普段見 る機会のない現職教員研修留学生の、教授・指導 技術や子どもへの関わりの仕方を目の当たりにで きる。このように地域の学校への派遣は、留学生 達自身にとっても国際的教育交流の実践を学ぶ場 となるのである。これまではこうした実践的な学 びは、インフォーマルな機会に任されていた。今 後は、地域諸学校への留学生派遣を、留学生自身 の修学にどのように体系づけるか、その具体的な 考察が必要である。
⒍ 註及び参考文献
1)たとえば、上田美紀 (2003) 留学生の小学校へ
の訪問の意義と相互学習活動.異文化間教育』17.、
久保田賢一(2003)「総合的な学習」における異 文化間教育.異文化間教育17.など
2)ただし教員研修留学生の場合、本国での教育 活動の中で自国の伝統文化を教授する経験を持っ ている。また渡日前の教員研修留学生に対して、
自国の舞踊や歌唱等を集中的に研修させるシステ ムをとっている国もある。
3)これについては、たとえば北九州市内のK小
学校におけるO教諭の、平成21~23年度の外国 語活動がある。K小学校では、毎年5年生が小倉 祇園太鼓競演会に参加し例年優勝しているが、児 童にとってはもっとも印象に残る行事のひとつと なっている。またK小学校の運動会は、年間行事 の中でも、児童がもっとも情熱を注ぐ健康安全・
体育的行事である。K小学校では、22年度の研究 仮説の着眼を「探求性」、「価値性」、「解決可能性」
においていたが、O 教諭は「探求性」のなかに、
「子どもたちの「ぜひ知りたい」「伝えたい」とい う思いを喚起する」内容を据え、6年生の外国語 活動の授業において、本学留学生数人を学校に招 き、児童が小倉祇園太鼓について、また運動会に ついて実演も交えながら説明するという実践を行 った。自分たちの誇りを留学生に伝えたいという 切実な思いを、外国語活動の中に位置づけた実践 である。
4)福岡県B市のH小学校では、平成24年度か
らとくに5、6年生の人権教育に本学留学生を恒 常的に招聘しているが、招聘する留学生の資質を
効果的に活用した効果的な実践をなしている。
・文部科学省(2001)小学校英語活動実践の手引.
開隆堂出版株式会社.
・田渕五十生(2007)日本の教師教育と異文化間 教育.異文化間教育』25.
・福岡教育大学附属小倉小学校(2011)誘導の教 育実践 創造的に思考する子どもを育てる授業(1 年次).
Ⅲ 日本の4つのバイリンガル学校における 国際理解教育
:クィント・オオガ・ボールドウィン担当 日本にある4つのバイリンガル学校にて、授業 観察や教員とのインタービューを行った。フィー ルドノートで様子や主観的な印象を記録した。
⒈ バイリンガル教育から学べる国際理解教育
「文化」ということは国の食事や日常の慣例 よりも、その国や文明の潜在的な意識や考え方の 所産である。他の文化を理解すると、対象の意識 についての記述などは不十分になる(Matsumoto, 2006)。本節の前提として、本質的国際理解のため に、体験的に言語や文化と統合する必要がある。
国際理解教育の結果を計るため、外国語を利用 し 他 者 と 対 話 を す る 意 志 (Willingness to communicate;WTC),(MacIntyre, Clément, Dörnyei,
& Noels, 1998)を扱うこととする。外国の人や文 化への興味がある学習者は道具的な目標の為に使 いたい学習者より効率的に言語を習得出来る (Gardner & Lambert, 1959)。海外の文化と交流す る経験は国際的な視野を広げて、WTC を養うこと にも発揮されている(Yashima, Zenuk-Nishide, &
Shimizu, 2004)。言語習得、国際理解、コミュニ ケーション行動・取り組みの統合的モデルを図1 で表示している。その3つの要因は同時に進行す ることでもないが、1つが上がると残りの要因も あとでついて行く。ただ、鎖と同様1つが劣ると 錨のように進んでいる要因の前進に支障となる。
図1 異文化理解、コミュニケーション行動、
言語習得の統合性
バイリンガル学校では、言語習得のみが目的で はなく、文化的なリテラシーを発達させることも 重要である(Cummins, 2000)。2カ国語を言語的に も文化的にも正しく使うことが出来ないと生徒が 対象言語のコミュニティーに入れない。そのため、
バイリンガル学校のカリキュラムが言語と文化を 取り扱い、教員が生徒に両方の社会ともうまく溶 け込めるように指導する(Bostwick, 2001)。
日本の学校の外国語教育を充実させるために、
将来の教員の異文化理解、コミュニケーション行 動の支援をする必要がある。本節では、日本の公 立、私立学校の児童・生徒が効率的に言語を身に 付けるため、バイリンガル学校の現状と取り組み を明記し、教員養成課程で実践出来る対策を提案 する。
⒉ バイリンガル学校の異なる点・共通点 大きく分けて、バイリンガル学校には2つの種 類がある:1)日本人の児童生徒を主に対象にする 学校(以下 J 組、2校);2)来日または在日して いる外国人の児童生徒を主に対象にする学校(N 組、2校)。J 組では2つとも英語を対象にした学 校、N 組では1つの学校の対象言語は韓国語、1 つは中国語であった。全ての学校では国籍構わず 児童生徒を受け入れるが、学校の方針と設立理由 が異なる。文部科学省に定められているバイリン ガル学校は日本の教育制度、日本の学習指導要領 に従うが、J 組では児童生徒はほぼ全員日本人で あった。
その理由で、J 組では、児童が小学校入学時点 では、他の公立小学校と異ならない場合が多い。
インターナショナル幼稚園に行く児童は少なく、
家庭の言語が日本語のみの児童が普通である。N 組では、過半数の児童は様々な家庭言語を持って いるが、多数の子どもは入学時点で一カ国語(主 に日本語)しか話せない、ということを教員から
伝えられた。
その文脈の中、J 組でも N 組でも、教員や校長 が言語環境の整備を重要に扱った。1つの J 組の 学校では、理想として音声がなくても授業の目的 と目当が明確であるので、授業研究会では音声無 しの授業の動画を見ながら分析をする。各学校で は言語利用規制があって、日本語と外国語を使う 場所と時間が規定されていた。学内に基本的に対 象言語を使う規則もあり、そのために低学年の児 童生徒に通常使う表現(質問の答え方、感情を表 現する言葉、教員との対応の仕方等)を教え、教 室や廊下に掲げる。児童生徒が日本の学校の習慣 を学びながら、同じように海外の学校で期待され る表現や行動を身に付ける。日本と海外の習慣を 体験し、比較し、海外の学校にも支障なく入れる ように指導されている。
2つの学校(J 組1つ、N 組1つ)では、教員が 日本語と外国語の利用率について非常に心配があ った。つまり、外国語が通用言語の授業でも、日 本語しか使わない児童生徒もいた。その学校では、
校内の規則により日本語の授業以外での日本語を 禁止されていたのに、小学校の高学年や中学校で 子どもの日本語の利用が多くなった。N 組の学校 では高等学校がないので、中学校を卒業後には日 本や海外の高校へ進学することが一つの理由とし て考えられるが、もう一つの J 組の学校でも同じ 行動が見られた。授業の間に廊下を通る時も、グ ラウンドで遊んでいる時も外国語で話すことを期 待されていたが、教員がいない時、又は学校から 出てすぐ日本語に切り替えるケースも多いと言わ れた。勿論、発達段階ではその時期にそう言う態 度も予期されるが、他のバイリンガル学校ではそ の態度は多くないと言われた。
違いとしては、心配していない学校では固定し た場所のみで言語の規則があった。日本語を使い たい、または母語でしか表現できない場合も日常 におこるから、その気持ちをいやすために、後者 の学校教員が言語的に規制されていない共通場所 を作った。その場所では、自由に対話も出来るし、
授業等で学んでいる日本と海外の対応の方法を両 方とも主体的に試すことも出来るからその理解を 深めることも出来る。その学校では、子どもがグ ラウンドで遊ぶ時または帰る際でも恥ずかしがら ず外国語で会話していた姿が見られた。
また、言語だけではなく、表現を自律的にさせ る学校環境では WTC が発揮していた。見学した1 年の授業では、子どもが英語の語彙やその綴りを
練習した。一人の男の子が対象の単語を書く前に 恐竜の絵を描いて、恐竜の身体の中に練習してい る単語を書いていた。他の子どもより少し遅れて いたが、その後に絵を見せながら全ての語彙を友 達に音読し、教員や研究者にも見せようとした。
図2で表示されている。その後、他の子どもも書 いていた新しい単語を音読し始めた。担任の教員 がうなずきながら子どもに発音や正しい書き方に ついて指導していた。この授業では外国語しか使 っていないが、自己表現出来る環境にもなった。
図2 語彙・綴り学習のなかで、
自己表現をしている子
結論として、言語、文化、行動の習得のため、
自律的に学べる環境の整備が非常に大切である。
特に上の学校の例を見ると、高学年や中学校では、
青少年の自分の身元(identity)が発達している。
言語や文化に対する自律の心理的欲求が実現出来 ていないなら、その言語や文化に対する身元が薄 くなる(Soenens & Vansteenkiste, 2011)。そのた め、国際的な深い言語、文化、習慣の理解のため、
学校現場にてその3つのことの規制は大事である が、その規則の中で児童生徒が主体的に表現出来 る、適合出来る環境を作る必要がある。図3では その環境、行動、心理的志向性のモデルを表して いる。
図3 環境、行動、学び、志向性のモデル
バイリンガル学校の中では、本質的な国際理解 が言語とコミュニケーション行動と合わせて発達 した。児童生徒が習慣的に外国語でコミュニケー ションし、海外の学び方、対話方法等を体験出来 た。ただ、その要因を教員養成、または一般的な 公立、私立学校の新しい文脈に応用出来るために 工夫が必要である。言語の利用や目的の頻度を高 めれば、児童生徒は行動的に適合する。外国語使 いが「当たり前」になると、海外の人やメディア により取り組めるし、価値観も感じられる。バイ リンガル学校程高い頻度でなくても、子どもが毎 日外国語と出会うならより確実な習得も出来る
(Nation, 2001)。小・中・高等学校でも言語を使 いながら、国際的な体験の機会に自律的に取り組 むなら、その言語、文化、習慣をより本質的に理 解出来る。
⒊ 引用文献
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