早稲田大学審査学位論文(博士)
特許権侵害訴訟における均等論適用の制限理論
―中国法からみた米国法、日本法の比較法的考察―
平成
24
年度
李 潔(洁)瓊(琼)
早稲田大学大学院法学研究科
民事法学専攻 国際関係法(私法)専修 博士後期課程
3
年
指導教授 木棚 照一 江泉 芳信
1 目 次 序 章 ……… … … … …1 1 本 稿 の 研 究 課 題 … … … …2 2 本 研 究 の 意 義 … … … …11 3 本 稿 の 構 成 … … … …13 第 一 章 均 等 論 と そ の 制 限 理 論 … … … …17 第 一 節 は じ め に … … … …18 第 二 節 米 国 、 日 本 及 び 中 国 に お け る 均 等 論 の 適 用 状 況 … … … …19 1 米 国 に お け る 均 等 論 の 適 用 … … … …19 ( 1 ) 発 展 経 緯 … … … …19 ( 2 ) 判 断 基 準 … … … …22 2 日 本 に お け る 均 等 論 の 適 用 … … … …23 (1)発展経緯………23 (2)適用要件………25 3 中 国 に お け る 均 等 論 の 適 用 … … … …27 ( 1 ) 発 展 経 緯 … … … …27 ( 2 ) 判 断 基 準 … … … …29 4 ま と め … … … …29 第 三 節 均 等 論 適 用 の 制 限 理 論 … … … …31 1 均 等 論 適 用 の 制 限 理 論 の 重 要 性 … … … …31 2 均 等 論 適 用 の 制 限 理 論 の 内 容 … … … …32 (1)オール・エレメンツ・ルール………32 (2)審査経過禁反言………34 (3)権利放棄の原則………35 (4)公知技術………36 (5)まとめ………37 第 四 節 均 等 論 及 び そ の 制 限 理 論 の 適 用 に 関 す る 国 際 的 な 調 整 …38
第 五 節 小 括 … … … …39 第二章 オール・エレメンツ・ルール………41 第 一 節 は じ め に … … … …43 第二節 米国におけるオール・エレメンツ・ルール………44 1 オール・エレメンツ・ルールの定義………44 2 オール・エレメンツ・ルールの形成・発展経緯………46 3 オール・エレメンツ・ルールの適用………51 ( 1 )「 構 成 要 件 」 の 確 定 方 法 … … … …51 ( 2 )「 一 対 一 の 対 応 」 の 必 要 性 … … … …53 ( 3 ) 構 成 要 件 の 軽 重 の 差 … … … …5 5 (4)発明の重要性………57 ( 5 )「 全 体 と し て 」 の ア プ ロ ー チ が 完 全 に 排 除 さ れ た の か …57 (6)後発技術………60 第三節 日本における「本質的部分」要件………61 1 「本質的部分」要件の意義………61 2 「本質的部分」の判断方法………62 3 「本質的部分」要件の必要性………64 4 「本質的部分」要件の性質………65 5 「本質的部分」要件と他の均等論適用要件との関係…………67 6 検 討 評 価 … … … …69 第四節 中国におけるオール・エレメンツ・ルール………72 1 余 計 指 定 原 則 … … … …72 (1)意義………72 (2)発展経緯………74 (3)法的根拠………76 (4)性質………78 (5)適用条件………79 (6)検討評価………80
3 2 全 面 包 含 原 則 … … … …83 3 オール・エレメンツ・ルール………83 (1)余計指定原則とオール・エレメンツ・ルール………83 (2)オール・エレメンツ・ルールの確立………85 (3)検討評価………88 第 五 節 小 括 … … … …89 第 三 章 審 査 経 過 禁 反 言 … … … …93 第 一 節 は じ め に … … … …95 第 二 節 米 国 に お け る 審 査 経 過 禁 反 言 … … … …96 1 定 義 と 発 展 経 緯 … … … …96 2 論 理 的 根 拠 … … … …97 (1)伝統的な禁反言理論………97 (2)権利放棄………98 (3)行政上の救済を尽くすこと………99 ( 4 ) 口 頭 証 拠 排 除 原 則 … … … …100 (5)十分な審査を保障すること、及び審査経過の公示機能…100 ( 6 ) 検 討 … … … …101 3 適 用 要 件 … … … …102 4 適 用 範 囲 及 び 効 果 … … … …103 5 ま と め … … … …107 第 三 節 日 本 に お け る 審 査 経 過 禁 反 言 … … … …108 1 定 義 … … … …108 2 論 理 的 根 拠 … … … …109 ( 1 ) 信 義 則 説 … … … …109 ( 2 ) 審 査 潜 脱 防 止 説 … … … …111 ( 3 ) 判 断 機 関 分 化 の 調 整 原 理 … … … …111 3 適 用 要 件 … … … …111 ( 1 ) 補 正 の 理 由 … … … …112
(2)補正等と特許付与・維持との関係………112 ( 3 ) 自 発 補 正 … … … …113 ( 4 ) 主 観 的 要 素 の 適 否 … … … …114 4 適 用 範 囲 及 び 効 果 … … … …114 第 四 節 中 国 に お け る 禁 反 言 の 原 則 … … … …115 1 定 義 及 び 発 展 経 緯 … … … …115 2 論 理 的 根 拠 … … … …117 ( 1 ) 信 義 誠 実 の 原 則 … … … …117 (2)「二重利得」の防止………118 ( 3 ) 特 許 ク レ ー ム の 公 示 機 能 … … … …119 3 適 用 要 件 … … … …119 ( 1 ) 従 来 の 学 説 及 び 判 例 … … … …119 ( 2 ) 検 討 … … … …120 4 適 用 範 囲 及 び 効 果 … … … …123 第 五 節 小 括 … … … …124 1 米 、 日 、 中 に お け る 審 査 経 過 禁 反 言 の 比 較 … … … …124 ( 1 ) 論 理 的 根 拠 … … … …124 ( 2 ) 適 用 要 件 … … … …125 ( 3 ) 判 断 基 準 … … … …126 2 SPLT規則草案における「先行陳述」………127 3 考 察 … … … …128 第 四 章 権 利 放 棄 の 原 則 ………130 第 一 節 は じ め に … … … …131 第 二 節 米 国 に お け る 権 利 放 棄 の 原 則 … … … …132 1 発 展 経 緯 … … … …132 2 理 論 的 根 拠 … … … …134 3 適 用 … … … …134 4 審 査 経 過 禁 反 言 と の 関 係 … … … …136
5 5 評 価 … … … …137 第 三 節 中 国 に お け る 権 利 放 棄 の 原 則 … … … …138 1 定 義 及 び 発 展 経 緯 … … … …138 2 理 論 的 根 拠 … … … …139 3 適 用 … … … …140 第 四 節 小 括 … … … …141 第 五 章 公 知 技 術 ………144 第 一 節 は じ め に … … … …146 第 二 節 米 国 に お け る 先 行 技 術 に よ る 制 限 … … … …147 1 先 行 技 術 に よ る 制 限 の 根 拠 … … … …148 2 先 行 技 術 に よ る 制 限 の 適 用 … … … …149 ( 1 ) 先 行 技 術 の 範 囲 … … … …149 ( 2 ) 仮 想 的 ク レ ー ム の 判 断 手 法 … … … …150 ( 3 ) 仮 想 的 ク レ ー ム の 作 成 … … … …151 ( 4 ) 仮 想 的 ク レ ー ム の 特 許 性 の 判 断 基 準 … … … …152 ( 5 ) 全 体 と し て の 比 較 方 法 … … … …154 ( 6 ) 従 属 ク レ ー ム … … … …155 ( 7 ) 立 証 責 任 … … … …156 ( 8 ) 選 択 可 能 … … … …157 3 先 行 技 術 に よ る 制 限 と 特 許 無 効 の 抗 弁 … … … …158 4 仮 想 的 ク レ ー ム の 分 析 方 法 に 対 す る 評 価 … … … …159 第 三 節 日 本 に お け る 均 等 論 適 用 第 四 要 件 … … … …161 1 第 四 要 件 の 内 容 及 び 理 論 的 根 拠 … … … …161 ( 1 ) 内 容 … … … …161 ( 2 ) 理 論 的 根 拠 … … … …162 2 第 四 要 件 の 位 置 づ け … … … …162 3 第 四 要 件 の 適 用 … … … …165 ( 1 ) 公 知 技 術 の 範 囲 … … … …165
( 2 ) 判 断 基 準 … … … …166 ( 3 ) 判 断 方 法 … … … …167 ( 4 ) 立 証 責 任 … … … …168 ( 5 ) 他 の 均 等 論 適 用 要 件 と の 関 係 … … … …170 4 第 四 要 件 と 特 許 無 効 の 抗 弁 と の 関 係 … … … …171 第 四 節 中 国 に お け る 従 来 技 術 の 抗 弁 … … … …172 1 従 来 技 術 の 抗 弁 の 定 義 及 び 発 展 … … … …172 ( 1 ) 定 義 … … … …172 ( 2 ) 発 展 … … … …173 2 従 来 技 術 の 抗 弁 の 理 論 的 根 拠 及 び 性 質 … … … …175 ( 1 ) 理 論 的 根 拠 … … … …175 ( 2 ) 性 質 … … … …176 3 従 来 技 術 の 抗 弁 の 適 用 … … … …178 ( 1 ) 従 来 技 術 の 範 囲 … … … …178 ( 2 ) 抵 触 出 願 … … … …178 ( 3 ) 単 一 の 完 全 な 従 来 技 術 … … … …181 ( 4 ) 従 来 技 術 と の 比 較 対 象 … … … …183 ( 5 ) 従 来 技 術 と の 比 較 基 準 … … … …185 ( 6 ) 従 来 技 術 と の 比 較 方 法 … … … …190 ( 7 ) 従 来 技 術 の 抗 弁 の 適 用 手 順 … … … …192 4 従 来 技 術 の 抗 弁 の 効 力 … … … …194 5 従 来 技 術 の 抗 弁 と 特 許 無 効 手 続 と の 適 用 関 係 … … … …194 第 五 節 小 括 … … … …197 1 米 、 日 、 中 に お け る 公 知 技 術 に よ る 制 限 の 比 較 考 察 … … …197 ( 1 ) 位 置 づ け … … … …197 ( 2 ) 公 知 技 術 の 範 囲 … … … …197 ( 3 ) 判 断 基 準 … … … …198 ( 4 ) 比 較 対 象 … … … …199
7 ( 5 ) 比 較 方 法 … … … …199 ( 6 ) 立 証 責 任 … … … …200 2 公 知 技 術 に よ る 制 限 と 他 の 制 限 と の 関 係 … … … …201 終 章 ………203 判 例 索 引 … … … …i
論文初出一覧(収録論文については、部分的、全体的な補充、書き換えをし た。) 第一章 均等論とその制限理論(書き下ろし) 第二章 「均等論適用制限理論の中のオール・エレメンツ・ルールにつ いての一考察―中日米の比較を中心に―」早稲田大学大学院法 研論集第 140号(2011)321-348頁 第三章 「中国、日本、米国における審査経過禁反言についての比較法 的考察」早稲田大学大学院法研論集第 142 号(2012)251-278 頁 第四章 権利放棄の原則(書き下ろし) 第五章 「均等論の適用に対する公知技術による制限―中国、日本、米 国 の 比 較 を 中 心 に ― 」 早 稲 田 大 学 大 学 院 法 研 論 集 第 143 号 (2012)415-441 頁
序 章
1 本稿の研究課題 2 本研究の意義 3 本稿の構成
1 本稿の研究課題 特許権は一種の無体財産として、世界中で同時に利用することが可能 である。したがって、特許権侵害の国際性について十分に認識しなけれ ばならない。現在において、経済の急激な発展、経済・社会のグローバ ル化及び企業形態の複雑化に伴い、国際的な特許権紛争が実務上頻繁に 生ずるようになっている。特に、ソフトウエアまたはビジネス方法関連 の 特 許 の 出 現 、 及 び イ ン タ ー ネ ッ ト が か ら む 特 許 権 侵 害 な ど に よ っ て 、 特許権をめぐる国際保護の問題がさらに複雑化している。今後、国境を 越 え る 特 許 権 の 保 護 が 要 求 さ れ る 場 面 が ま す ま す 増 え る こ と が 予 測 で きる。したがって、特許法に関する国際的調整・調和、それにかかわる 国際的協力が重要な論点となっているといえよう。 し か し な が ら 、 特 許 権 は 、 そ れ ぞ れ の 国 の 産 業 政 策 を 反 映 し て お り 、 その国の利益と深くかかわるものである。それ故、特許権に関する実質 法上の国際調整に限度があることは認めなければならない。実際に、現 代的な知的財産権条約として、1995 年 1 月 1日から発効した「知的所有 権の貿易関連の側面に関する協定」(以下、「TRIPs 協定」と略す。)は、 特 許 権 保 護 の 最 小 限 基 準 の 調 整 に 止 ま り 、 特 に 、 特 許 ク レ ー ム の 解 釈 、 均等論の適用要件等についての調整がさほど進まなかった1。その後、世 界 知 的 所 有 権 機 関 (WIPO) の 枠 組 み で の 特 許 権 に 関 す る 実 体 法 の 国 際 的 統 一 化 作 業 と し て 、2001 年 5 月 か ら 始 ま っ た 「 実 体 特 許 法 条 約
(Substantive Patent Law Treaty)」(SPLT)に関する交渉は、先行技術、
グ レ ー ス ピ リ オ ド 及 び 有 用 性 の 判 断 基 準 な ど 様 々 な 問 題 に つ い て 調 整 できないまま、2006 年に中止となった。 現在では、各国における特許権侵害に関する実質法の調整・調和が進 まない中、特許権侵害をめぐる国際紛争に関して、国際私法による解決 方法の重要性が高まっている。特許権は、知的財産権の一種として、伝 1 木 棚 照 一 『 国 際 知 的 財 産 法 』( 日 本 評 論 社 、2009)227頁 。
統的に、属地主義が妥当する分野とされてきた2。実質法的にみれば、特 許権の属地性のもとで、特許権の効力の及ぶ領域は原則として権利付与 国に限られる3。しかしながら、現在のグローバル化された世界において、 特に通信技術の発展に伴い、特許権に関する伝統的な属地主義の原則は、 各国における渉外特許権侵害事件解決の統一性を損ない、特許権に対す る適切な国際的保護に問題をもたらしているように思われる。したがっ て、特許権侵害をめぐる国際紛争解決の統一性及び予測可能性を向上さ せ る た め に 、 一 定 の 程 度 に お い て 、 特 許 権 の 属 地 主 義 を 柔 軟 に 把 握 し 、 国 際 私 法 の レ ベ ル で そ の 解 決 方 法 を 統 一 す る こ と が 重 要 で あ る 。 近 年 、 知的財産権に関する国際私法原則の調整・統一作業として、アメリカ法
律協会(America Law Institute)の「国境を越えた知的財産紛争に関する
裁 判 管 轄 、 法 選 択 及 び 判 決 に 適 用 さ れ る 原 則 (Intellectual Property:
Principles Governing Jurisdiction, Choice of Law, and Judgments in
Transnational Disputes)4」(以下、「ALI 原則」と略す。)、ヨーロッパ・
マックス・プランク・グループ(European Max Planck Group)の「知的
財産における抵触法原則(Principles on Conflict of Laws in Intellectual
Property)」(2011 年 12 月 1 日最終版) (以下、「CLIP 原則」と略す。)、 早稲田大学グローバル COE プロジェクト「知的財産権に関する国際私 2 木 棚 照 一「Q66 知 的 財 産 権 侵 害 」『 演 習 ノ ー ト 国 際 関 係 法(私 法 系)』( 法 学 書 院 、2010) 147 頁 、ロ ッ シ ェ ル ・ C ・ ド レ フ ィ ス( 紋 章 崇 俊 訳 )「 知 的 財 産 権 の 直 面 す る 課 題 グ ロ ー バ ル 経 済 に お け る 保 護 水 準 の 設 定 」高 林 龍 編『 知 的 財 産 法 制 の 再 構 築 』( 日 本 評 論 社 、2008)( 以 下 、 『 高 林 編 』 と 略 す 。)10頁 。 3 木 棚 ・ 前 掲 注 (1)362頁 、 高 部 真 規 子 『 実 務 詳 説 特 許 関 係 訴 訟 』( 金 融 財 政 事 情 研 究 会 、 2011)224頁 。 特 許 権 に つ い て の 属 地 主 義 の 原 則 と は 、「 各 国 の 特 許 権 が 、 そ の 成 立 、 移 転 、 効 力 等 に つ き 当 該 国 の 法 律 に よ っ て 定 め ら れ 、 特 許 権 の 効 力 が 当 該 国 の 領 域 内 に お い て の み 認 め ら れ る こ と を 意 味 す る も の で あ る 」( 最 三 小 判 平 9・7・1民 集51・6・2299(BBS並 行 輸 入 事 件 ))。「 各 国 は そ の 産 業 政 策 に 基 づ き 発 明 に つ き い か な る 手 続 で い か な る 効 力 を 付 与 す る か を 各 国 の 法 律 に よ っ て 規 律 し て お り 、 我 が 国 に お い て は 、 我 が 国 の 特 許 権 の 効 力 は 我 が 国 の 領 域 内 に お い て の み 認 め ら れ る に す ぎ な い 」( 最 一 判 平14・9・26民 集56・7・1551(FM信 号 復 調 装 置 事 件 ))。 特 許 権 の 属 地 性 の 実 質 的 根 拠 及 び 法 的 根 拠 に つ い て 、 様 々 な 理 論 が あ る ( 詳 細 は 、 木 棚 ・ 前 掲 注 (1)360-368頁 を 参 照 )。
4 2007年5月14日 に 採 択 さ れ 、2008年6月 に 確 定 版(AMERICAN LAW INSTITUTE, INTELLECTUAL
PROPERTY: PRINCIPLES GOVERNING JURISDICTION, CHOICE OF LAW, AND JUDGMENTS IN TRANSNATIONAL DISPUTES (2008)) が 出 版 さ れ た 。
法原則(日韓共同提案)5」(2010 年 10月 14日最終版)、及び、「知的財 産権の国際裁判管轄、準拠法、及び外国判決の承認執行に関する立法提 案(透明化プロジェクト立法提案)6」などの成果がある。これらの統一 化作業においては、特許権侵害をめぐる国際紛争の解決に関して、保護 国法主義の原則7、及び当事者自治の原則8を通じて外国特許法の適用も 認めることで、特許権の国際的保護を一定の程度において調整・調和さ せている。 中国においては、近年知的財産権をめぐる国際紛争の問題が取り上げ られ、実質法の側面のみならず、抵触法のレベルにおいても重要視され つつある。2010 年 10 月 28 日に可決され、2011 年 4 月 1 日より施行さ れた「中華人民共和国渉外民事関係法律適用法9」(以下、「中国法適用法」 5 早 稲 田 大 学 グ ロ ー バ ルCOE季 刊「 企 業 と 法 創 造 」8巻2号( 通 巻30号 )(2012)107頁 以 下 掲 載 。 6 河 野 俊 行 編『 知 的 財 産 権 と 渉 外 民 事 訴 訟 』( 弘 文 堂 、2010)( 以 下 、『 河 野 編 』と 略 す 。)2頁 以 下 掲 載 。 7 ALI原 則 第301条 、CLIP原 則 第3:601条 、 日 韓 共 同 提 案 第304条 。 ほ か に 、2007年 「 ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 の 契 約 外 債 務 の 準 拠 法 に 関 す る 規 則( ロ ー マ Ⅱ 規 則 )」(REGULATION (EC) No 864/2007 OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL of 11 July 2007 on the law applicable to non-contractual obligations (Rome II), Official Journal of the European Union, L 199/40 (July 31, 2007)) 第8条1項 。 保 護 国 法 主 義 に つ い て 、 詳 細 は 、 木 棚 ・ 前 掲 注 (1)248頁 以 下 、 木 棚 照 一 「 知 的 財 産 紛 争 の 準 拠 法 決 定 原 則 ― 日 本 法 の 視 点 か ら ― 」早 稲 田 大 学 グ ロ ー バ ルCOE季 刊 企 業 と 法 創 造 4巻 1号( 通 巻 11号 )(2007)165頁 、駒 田 泰 土 「 国 境 を ま た い だ 侵 害 ? 」小 泉 直 樹 = 駒 田 泰 土 編 『 知 的 財 産 法 演 習 ノ ー ト[第2版] ― 知 的 財 産 法 を 楽 し む21問 』( 弘 文 堂 、2009)( 以 下 、『 小 泉 = 駒 田 編 』 と 略 す 。)299頁 、 郭 玉 軍 「 中 国 国 際 私 法 立 法 の 新 た な 発 展 ― 日 韓 共 同 提 案 に お け る 知 的 財 産 権 準 拠 法 規 定 を 兼 ね て ― 」 早 稲 田 大 学 グ ロ ー バ ルCOE季 刊 企 業 と 法 創 造 8巻2 号 ( 通 巻30号 )(2012)51頁 な ど を 参 照 。 8 特 許 権 侵 害 の 領 域 に お い て 、当 事 者 に よ る 準 拠 法 選 択 を 広 範 に 認 め る も の と し て 、日 韓 共 同 提 案 第302、304条 、及 びALI原 則 第302条 が あ る 。ま た 、日 本 透 明 化 プ ロ ジ ェ ク ト 立 法 提 案 第304条 ( 特 許 権 侵 害 に よ っ て 生 じ る 債 権 の 成 立 及 び 効 力 に つ い て 、 事 後 的 な 準 拠 法 変 更 を 認 め る 。)、CLIP原 則 第3:606条 ( 知 的 財 産 権 侵 害 の 救 済 方 法 に つ い て の み の 準 拠 法 選 択 は 許 容 さ れ て い る 。)、 ス イ ス 国 際 私 法 第 110条2項 ( 知 的 財 産 権 の 侵 害 か ら 生 じ る 請 求 権 に つ い て 、 当 事 者 が 事 件 の 発 生 後 に い つ で も 法 廷 地 法 の 適 用 に 合 意 で き る 。)。 日 本 に お い て は 、 知 的 財 産 権 侵 害 に 関 し て 、当 事 者 に よ る 準 拠 法 選 択 を 議 論 し た 裁 判 例 が 存 在 し な い 。し か し 、 当 事 者 の 準 拠 法 選 択 に よ る 準 拠 法 変 更 を 排 除 し て い な い と す る 見 解 が あ る( 木 棚・前 掲 注(2) 149頁 、 小 島 立 「 準 拠 法 ― (1) 知 的 財 産 権 侵 害 の 準 拠 法 」 前 掲 注 (6)『 河 野 編 』307頁 )。 し か し 、 ロ ー マ Ⅱ 規 則 ( 前 掲 注 (7)) 第 8条3項 に よ る と 、 知 的 財 産 権 侵 害 に 関 し て 、 当 事 者 に よ る 法 選 択 は 認 め ら れ な い 。 9 中 华 人 民 共 和 国 涉 外 民 事 关 系 法 律 适 用 法。2010年10月 28日 に 可 決 さ れ 、2011年4月1日
と略す。)には、知的財産権に関する抵触法規定が設けられている10。中 国法適用法第 50 条によると、知的財産権侵害の責任は、保護が求めら れる地の法を適用する。また、当事者が侵害行為発生後において、協議 により法廷地法の適用を選択することができる。中国法適用法第 50 条 でいう「保護が求められる地の法」に関する解釈規定は存在しない。し か し 、 条 文 か ら み る と 、「 保 護 が 求 め ら れ る 地 の 法 」 が 法 廷 地 法 以 外 の 法を指すのは、疑問のないところであろう11。また、保護国法とは、 そ の領域について(for which)保護が要求される国の法と定義される12。 特許権侵害の場合には、保護国法は、具体的には特許発明の利用地・侵 害地などのような特許保護を要する行為が行われた地の法であり、多く の場合に特許権を付与した国の法と一致する13。したがって、保護国法 は、法廷地法とは区別される14。たしかに、特許侵害訴訟を保護国で 提 起する場合には、保護国法は法廷地法と一致する。しかし、特許権侵害 よ り 施 行 さ れ た 。 10 第 七 章 ( 第48-50条 )。 11 こ の 点 に お い て 、 呉 文 霊 = 朱 理 「 渉 外 知 的 財 産 権 関 係 の 法 律 適 用 ― 渉 外 民 事 関 係 法 律 適 用 法 第 七 章 を 中 心 に 」(涉 外 知 识 产 权 关 系 的 法 律 适 用 — 以 涉 外 民 事 关 系 法 律 适 用 法 第 七 章 为 中 心) 人 民 司 法2012年9月56頁 に 賛 成 す る 。 12 木 棚 ・ 前 掲 注(1)244頁 、 木 棚 照 一 「 知 的 財 産 侵 害 訴 訟 に お け る 準 拠 法 ― 知 的 財 産 の 種 類 に よ る 準 拠 法 の 異 同 な ど に 関 す る 立 法 問 題 を 中 心 に ― 」早 稲 田 大 学 グ ロ ー バ ル COE季 刊 企 業 と 法 創 造3巻1号 ( 通 巻7号 )(2006) 97頁 、 駒 田 ・ 前 掲 注 (7)、 ユ ル ゲ ン ・ バ セ ド ウ ( 河 野 俊 行 = 八 並 廉 訳 )「 知 的 財 産 権 分 野 に お け る 国 際 私 法 の 確 立 」前 掲 注(6)『 河 野 編 』65-66頁 、 日 本 文 化 審 議 会 著 作 権 分 科 会 国 際 小 委 員 会「 国 際 裁 判 管 轄・準 拠 法 ワ ー キ ン グ チ ー ム 報 告 書 」 ( 平 成22年1月 )19頁 http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/kokusai/h21_03/gijishidai_100118.html(2012年10月 3日 閲 覧 )( 保 護 国 法 と は 、「 当 該 利 用 行 為 に 対 し て 実 体 法 上 の 権 利 保 護 を 与 え て い る 国 の 法 令 」 と さ れ る 。)、王 承 志「 渉 外 知 的 財 産 権 審 理 に お け る 法 律 適 用 の 問 題 に つ い て 」(论 涉 外 知 识 产 权 审 判 中 的 法 律 适 用 问 题)法 学 評 論 2012年 第1期( 総 第 171期 )139頁 、呉 = 朱・前 掲 注(11) 57、61頁 。 13 木 棚・前 掲 注(1)244頁 、駒 田・前 掲 注(7)、王・前 掲 注(12)(「 保 護 が 求 め ら れ る 地 は 、 知 的 財 産 権 に つ い て 保 護 が 要 求 さ れ る 地 ま た は 権 利 の 主 張 地 で あ り 、 知 的 財 産 の 申 請 国 、 権 利 付 与 国 、利 用 行 為 地 ま た は 侵 害 行 為 地 の い ず れ で あ る 可 能 性 が あ る 。」)、呉 = 朱・前 掲 注(11) 57、61頁 な ど を 参 照 。 14 木 棚・前 掲 注(1)244頁 、木 棚 照 一『 国 際 工 業 所 有 権 法 の 研 究 』( 日 本 評 論 社 、1989)144-45 頁 、 ユ ル ゲ ン ・ 前 掲 注 (12)、 郭 ・ 前 掲 注 (7)66頁 、 斎 愛 民 = 何 培 育 「 渉 外 知 的 財 産 権 紛 争 の 法 律 適 用 ―『 渉 外 民 事 関 係 法 律 適 用 法 』の 関 連 規 定 を 兼 ね て ― 」(涉 外 知 识 产 权 纠 纷 的 法 律 适 用 — 兼 评 《 涉 外 民 事 关 系 法 律 适 用 法 》 相 关 规 定) 知 的 財 産2011年 第2期122、124頁 、 鄭 成 思 『 知 的 財 産 論 』(知 识 产 权 论)( 法 律 出 版 社 、 第3版 、2007)427頁 。
訴訟を保護国以外の国で提起する場合には、保護国法は法廷地法とは異 なることになる。したがって、実務上、渉外的な特許権侵害事件につき、 中国の裁判所において訴訟を行う場合に15、当事者にとって、保護国 法 で あ る 外 国 特 許 法 と 法 廷 地 法 で あ る 中 国 法 の い ず れ か を 適 用 す れ ば 適 正且つ迅速な解決を可能とするのか、という問題を考えなければならな い場合が生じ得る16。 諸国の実質法上、特許権に対する侵害が文言侵害と均等侵害の二つに 分けられることはおおむね一致している。その中で最も困難を伴うのは、 均等侵害の判断である。均等論とは、イ号物件が特許クレームに記載さ れた構成要件と一部異なりながら、特許発明の構成と実質的に同一のも のである場合、特許権に対する侵害を認めるものである17。均等論は、 特許権の排他的効力を特許発明の均等物にまで及ばせることにより、特 許権に対する十分な保護を与える。米国では、均等論は特許権侵害の解 決に不可欠なものであり、特許「侵害を判断する際必ず考慮しなければ ならない18」理論である。日本においては、無限摺動用ボールスプラ イ 15 中 国 に お い て 、 特 許 権 の 侵 害 事 件 に 関 し て は 、 特 許 権 の 登 録 国 の 専 属 管 轄 が 認 め ら れ な い ( 李 旺「 中 国 国 際 民 事 訴 訟 法 か ら み た 日 韓 共 同 提 案 」早 稲 田 大 学 グ ロ ー バ ルCOE季 刊 企 業 と 法 創 造8巻2号( 通 巻30号 )(2012)61頁 )。中 国 で は 、知 的 財 産 権 の 国 際 裁 判 管 轄 権 に 関 す る 特 別 な 規 定 が 存 在 し て お ら ず 、 主 に 民 事 訴 訟 法 ( 第241-243条 ) 及 び そ の 司 法 解 釈 (1992 年7月14日 に 中 国 最 高 人 民 法 院 に よ り 公 布 さ れ た「 民 事 訴 訟 法 の 適 用 に 関 す る 若 干 の 問 題 に つ い て の 意 見 」(最 高 人 民 法 院 关 于 适 用 《 中 华 人 民 共 和 国 民 事 诉 讼 法 》 若 干 问 题 的 意 见)( 法 発 (1992)22号 )) が 適 用 さ れ る ( 前 掲58頁 )。 ま た 、 保 護 国 法 は 、 そ も そ も 外 国 に お け る 外 国 の 知 的 財 産 権 に 対 す る 侵 害 を 内 国 の 裁 判 所 で 保 護 を 求 め る こ と が で き る こ と を 前 提 と し た 概 念 で あ る ( 木 棚 ・ 前 掲 注 (1)228頁 )。 16 中 国 に お い て は 、 今 ま で 公 開 さ れ た 裁 判 例 を 調 べ た 限 り 、 外 国 特 許 権 に 対 す る 侵 害 に 関 す る 裁 判 例 は ま だ 存 在 し て い な い 。 し か し な が ら 、 中 国 香 港 に お け る 香 港 の 登 録 商 標 に 対 す る 侵 害 行 為 に つ い て 、 香 港 法 を 準 拠 法 と し て 原 告 の 請 求 を 認 め た 事 件 ( 山 東 省 医 薬 保 健 品 輸 出 入 公 司v. 中 国 包 装 輸 出 入 山 東 公 司 商 標 権 侵 害 事 件 ( 青 島 市 南 区 人 民 法 院 )) は 存 在 し て い る ( 当 該 事 件 の 詳 細 は 、 王 雷 「 個 案 に お け る 域 外 登 録 商 標 権 に 対 す る 保 護 の 可 否 に 関 す る 法 理 研 究 」(个 案 中 对 域 外 注 册 商 标 能 否 保 护 的 法 理 研 究)政 法 論 壇( 中 国 政 法 大 学 学 報 )2000年 第 6期62頁 以 下 を 参 照 )。現 在 の 中 国 で は 、外 国 特 許 権 に 関 す る 紛 争 を 処 理 す る た め の 法 的 整 備 が な さ れ つ つ あ る こ と か ら 、 経 済 の 発 展 と 共 に 、 将 来 的 に は 外 国 特 許 権 侵 害 に 関 す る 裁 判 例 は 現 れ る で あ ろ う 。 17 高 林 龍 『 標 準 特 許 法 』( 有 斐 閣 、 第4版 、2011)150頁 。 18 今 泉 俊 克 「 米 国 の 均 等 論 に 関 す る 判 例 研 究(1)― 米 国 に お け る 初 期 の 均 等 論 ― 」Lexis企 業 法 務22号 (2007)32頁 。
ン軸受事件に関する最高裁平成 10 年 2 月 24 日判決(第三小法廷)(民 集 52 巻 1 号 113 頁)を通じて均等論が肯定され、また、その適用のた めの五つの要件が明らかにされている。中国においても、特許権侵害事 件の判断に際し、均等論は非常に重要な判断原則の一つである。 同 時 に 、 特 許 権 に 対 す る 過 度 の 保 護 は 、 第 三 者 や 社 会 の 利 益 を 害 し 、 周辺技術の開発に支障をきたす。それ故、特許権者の利益と第三者・社 会利益との衡平なバランスをとり、産業の発達という特許法の趣旨を実 現するために、均等論の制限理論が提唱されるに至った。それは、制限 手法により、オール・エレメンツ・ルール、審査経過禁反言、権利放棄 の原則、及び公知技術による制限の四つに分けることができる。米国で は、1980 年代後半から均等論の適用を制限する様々な法理の存在が注目 を集めるようになった。近年、米国の裁判所は、均等論の制限手段を発 展させることによって均等論の適用範囲を大幅に狭めており、現在、米 国における均等論は、その成立が困難になっているとの指摘がある19。 これは、特許クレームの公示機能及び法的安定性を重視し、周辺技術の 開 発 を 促 進 す る と い う 米 国 の 近 年 の 法 政 策 と 深 く か か わ る も の と 思 わ れる。日本において、均等論に対する制限手段は、1998 年のボールスプ ラ イ ン 軸 受 事 件 最 高 裁 判 決 の 第 四 及 び 第 五 要 件 に 均 等 論 の 消 極 的 適 用 要 件 と し て 定 め ら れ て い る 。 ま た 、 均 等 論 の 適 用 手 法 に つ い て 、「 本 質 的部分」に関する第一要件が特徴的である。中国では、2008 年 12月 27 日に可決され、2009 年 10月 1 日より施行された特許法第三次改正20(以 下、「2009年改正特許法」とする。)及び 2010 年 1 月 1 日より施行され 19 竹 中 俊 子「Q66均 等 論(2)設 計 変 更 の 留 意 点 」ワ シ ン ト ン 大 学 ロ ー ス ク ー ル 先 端 知 的 財 産 研 究 セ ン タ ー(CASRIP) 編 、 竹 中 俊 子 = 山 上 和 則 監 『 国 際 知 的 財 産 紛 争 処 理 の 法 律 相 談 』( 青 林 書 院 、2006)( 以 下 、『CASRIP編 』 と 略 す 。)378頁 。 20 中 国 の 「 特 許 法 」( 中 国 語 で 「 専 利 法 」 と い う 。) の 中 に は 、 発 明 、 実 用 新 案 及 び 意 匠 の こ と が 規 定 さ れ て い る 。 本 稿 で は 、 中 国 の 「 特 許 」 に つ い て 論 ず る と き 、 特 別 な 説 明 が な い 限 り 、 日 本 法 の 特 許 及 び 実 用 新 案 を 含 め た も の を 指 す 。 中 国 特 許 法 は 、1984年3月12日 に 中 国 人 民 代 表 大 会 常 務 委 員 会 で 可 決 さ れ 、1985年1月1 日 よ り 施 行 さ れ て き た 。 そ の 後 、 米 中 知 的 財 産 権 交 渉 を 背 景 に 、1993年 に 特 許 法 第 一 次 改 正 が 行 わ れ た 。WTO加 盟 の た め に 、2001年 に 特 許 法 第 二 次 改 正 が 行 わ れ た 。
た最高人民法院の「特許権侵害紛争事件の審理における法律適用に関す る若干問題の解釈21」(以下、「2010 年最高法院解釈」とする。)によっ て、均等論に関するいくつかの新しい規定が設けられ、均等判断の基準 及びその制限手段がより明確、詳細になっている。その中でも、特に注 目 す べ き は 、 均 等 論 の 制 限 手 法 に 関 す る 規 定 で あ る 。 す な わ ち 、 ま ず 、 「余計指定原則22」を廃止し、その代わりにオール・エレメンツ・ル ー ルを明文で定めている。次に、禁反言の原則及び権利放棄の原則を初め て導入した。また、従来技術の抗弁を新設している。これらの制限手段 に 関 す る 規 定 に よ っ て 、 均 等 論 適 用 の 限 界 が よ り 明 確 に さ れ て い る が 、 いくつか不明な点もあり、更なる検討が必要であるように思われる。 米国、日本及び中国においては、均等論に関する議論が長年にわたっ て続けられている。特許権侵害訴訟における均等論は、そもそも各国の 特 許 実 定 法 に よ り 直 接 規 定 さ れ た も の で は な く 、「 特 許 権 の 法 的 保 護 を 特 許 発 明 の 実 質 に 合 致 さ せ る た め に 」、 権 利 侵 害 訴 訟 の 裁 判 実 務 に お い て発展され、「事件ごとに適用され」てきた法理である23。そのため、均 等論及びその調節弁である制限理論は、それぞれの国によって異なる部 分がある。また、歴史的にみても、それは、時代及び各国の経済技術の 発展段階や法政策により、役割に応じて変化してきているものであって、 国際特許権紛争の解決に重要な影響を及ぼしている。特に、均等論の制 限理論は、均等論適用の範囲と効果を調整し、それによって、特許権者 の利益と第三者・社会利益とのバランスを達成させるという意味で、非 21 最 高 人 民 法 院 关 于 审 理 侵 犯 专 利 权 纠 纷 案 件 应 用 法 律 若 干 问 题 的 解 释。法 釈[2009]21号 。2010 年1月1日 よ り 施 行 さ れ た 。 22 「 余 計 指 定 原 則 と は 、 特 許 権 侵 害 判 定 に お い て 、 独 立 ク レ ー ム を 解 釈 し 、 特 許 権 の 保 護 範 囲 を 確 定 す る と き に 、 独 立 ク レ ー ム に 記 載 さ れ た 明 ら か に 付 加 的 な 構 成 要 件 を 省 略 し 、 独 立 ク レ ー ム に 記 載 さ れ た 必 須 な 構 成 要 件 の み に 基 づ い て 特 許 権 の 保 護 範 囲 を 確 定 し 、 イ 号 物 件 が 特 許 権 の 保 護 範 囲 に 属 す る か 否 か を 判 断 す る 原 則 を 指 す 」(2001年9月 に 公 布 さ れ 、10月 11日 よ り 施 行 さ れ た 北 京 市 高 級 人 民 法 院 に よ る 「 特 許 権 侵 害 判 定 の 若 干 の 問 題 に 関 す る 意 見 (試 行)」(专 利 侵 权 判 定 若 干 问 题 的 意 见 ( 试 行 ))( 京 高 法 発 〔2011〕229号 ) 第47条 )。 23 松 本 重 敏「 特 許 法70条 の 技 術 的 範 囲 と 特 許 侵 害 訴 訟 に お け る 均 等 論 」知 的 財 産 研 究 所 5周 年 記 念 『 知 的 財 産 の 潮 流 』( 知 的 財 産 研 究 所 編 )( 信 山 社 、1995)343頁 。
常に大きな役割を果たしている。実際に、米、日、中三国における均等 侵害を認めるための要件は、理論構成に相違がある一方、結果からみる と 、「 実 質 的 な 同 一 性 」 の 判 断 に そ れ ほ ど 大 き な 差 が あ る と は 思 わ れ な い。しかしながら、均等論に対する各種の法的制限の適用によって、均 等論適用の可否及び範囲が異なってくる。各国は自国の産業政策に応じ て均等論の制限手段を調整することにより、均等論の適用範囲の広狭を 調整する。したがって、同一の国際特許侵害紛争であっても、均等侵害 の成立及び適用範囲については、その制限理論の働き方によって、異な る結論が出てくる可能性がある。 たとえば、以下のような典型的な例を検討してみよう。 設例 中 国 に住所を有する Xは、その発明 αにつき、中国法上の特許権、B 国法上の特許権、及び C 国上の特許権を有する。同じく中国に住所を有す る Y は、中国において、発明 α に類似する製品 α’を製造・販売し、また、 製品 α’を B国及び C国に輸出し、しかも B 国及びC 国において販売してい る。X は、イ号製品 α’がその中国、B 国及び C 国法上の特許権を侵害する として、中国の裁判所に訴えを提起し、損害賠償請求及び差止請求を求めた。 ① Xが、Yの中国でのイ号製品 α’の製造・販売行為がその中国の特許権に 対する侵害であるとして訴訟を提起した場合、裁判所は、単純な国内事件とし て中国法に基づいて、イ号製品 α’による特許発明 α に対する均等侵害が成立 するか否かを判断する。 ② X が、Yの B国でのイ号製品 α’の輸入・販売行為がその B国の特許権に 対する侵害であるとして訴訟を提起した場合、中国の国際裁判管轄権が認めら れる場合には、裁判所は、保護国法である B 国法に基づいて、イ号製品 α’に よる特許発明 α に対する均等侵害が成立するか否かを判断する。あるいは、 侵害行為発生後において Xと Y が法廷地法の適用を選択した場合には、裁判 所は、法廷地法である中国法に基づいて、イ号製品 α’による特許発明 α に対
する均等侵害が成立するか否かを判断する。 ③X が、Yの C国でのイ号製品 α’の輸入・販売行為がその C 国の特許権に 対する侵害であるとして訴訟を提起した場合には、中国の国際裁判管轄権が認 められるならば、裁判所は、保護国法である C 国法に基づいて、イ号製品 α’ による特許発明 αに対する均等侵害が成立するか否かを判断する。あるいは、 侵害行為発生後において Xと Y が法廷地法の適用を選択した場合には、裁判 所は、法廷地法である中国法に基づいて、イ号製品 α’による特許発明 α に対 する均等侵害が成立するか否かを判断する。 上述したように、保護国法の原則の下では、複数の国の特許権に対す る侵害が問題となる場合、それぞれの保護国法の適用によって解決する。 しかし、中国における均等論の制限理論が B国または C国のそれと相違 する場合、実際に同一内容の特許発明に対する同一の均等侵害態様であ っても、三国における均等論に対する法的制限が相違するために、均等 侵害の成否及び均等の範囲については、全く異なる判決を受ける可能性 がある。このような状況は、特許権に対する国際的保護という面からみ ると、特に国境を越える事業を行う企業に深刻な予測不可能性をもたら す。したがって、特許権侵害における保護国法の原則の下では、均等論 に 対 す る 各 種 の 制 限 理 論 に 関 す る 比 較 法 的 な 検 討 が 必 要 と な っ て く る 。 また、中国の場合、渉外的な特許権侵害事件の当事者は、保護国法のほ かに、法廷地法である中国法の適用を選択することが可能である。当事 者が法廷地法の適用を選択するか否かを決める際には、中国、及び問題 と な る 外 国 特 許 法 に お け る 均 等 論 に 対 す る 各 種 の 法 的 制 限 の 相 違 に つ いて、特に注意しなければならないであろう。 本稿は、特許権侵害をめぐる国際紛争解決の現状に鑑み、渉外的な特 許権侵害事件解決の予測可能性を向上させるために、米国、日本及び中 国における均等論適用の制限理論について、比較検討を行う24。具体 的 24 し か し な が ら 、 均 等 侵 害 の 判 断 に お い て 、 均 等 論 適 用 の 制 限 理 論 は 均 等 論 を 認 め る 要 件 と
には、裁判例の分析および学説の検討を通じて、米、日、中における特 許侵害訴訟におけるオール・エレメンツ・ルール、審査経過禁反言、権 利放棄の原則、及び公知技術による制限という四つの種類の均等論の制 限理論を比較検討する。また、実務の現状や問題点にも目を配り、最新 の法改正・裁判例を踏まえ、三国における均等論制限理論の適用の異同、 及 び 均 等 侵 害 判 断 に そ れ ぞ れ ど の よ う な 影 響 を 及 ぼ す の か を 明 ら か に する。そして、その中にどのような利益衡量が反映されているのか、ど のような特許政策がみられるのかを検討する。このような比較法的な研 究は、特許権に対する均等侵害をめぐる国際紛争解決の実務に役立つと 考えられる。以上の研究を踏まえて、将来的には、特許権侵害に関する 国際紛争の解決の調整及び予測可能性の向上のために、国際私法的な解 決方法についても検討していきたい。 2 本研究の意義 本研究は、以下のように四つの意義がある。 第一に、本研究は、特許権侵害をめぐる国際紛争解決の予測可能性及 び統一性を向上させるために、その理論上及び実務上の方策を探求する ものである。現在のグローバル化された世界において、技術及び経済の 急 激 な 発 展 に よ り 、 特 許 権 侵 害 を め ぐ る 国 際 紛 争 事 件 が 急 増 し て い る 。 特に中国は、その経済成長に伴い、その重要な貿易相手国である米国及 び日本との間の経済的な結びつきをかつてないほど深めている。それ故、 各国にとっては、国際的な特許権侵害事件に関する対策を備えなければ ならない。米国、日本及び中国では、均等論が特許権侵害判断において 重 要 な 役 割 を 果 た し て い る 。 本 研 究 は 、 比 較 法 的 な 視 点 か ら 、 米 、 日 、 と も に 機 能 す る 。 し た が っ て 、 本 稿 は 、 均 等 論 に 対 す る 制 限 理 論 に 力 点 を 置 く と は い え 、 均 等 論 を 認 め る た め の 要 件 を 十 分 に 意 識 し て お り 、 そ れ と の つ な が り を 重 視 し な が ら 論 じ る つ も り で あ る 。
中における均等論制限理論の異同、均等侵害判断に与える影響、及びそ の背景にある特許政策を明らかすることにより、特許権侵害をめぐる国 際紛争の解決の理論及び実務に役立てようとするものである。 第 二 に 、 本 研 究 は 、 米 国 及 び 中 国 に お け る 最 新 の 特 許 法 改 正 及 び 米 、 日、中における最近の裁判例の動きに対応するものであり、均等論及び その制限理論に関する学説・裁判例についての最新内容を紹介する。米 国においては、2011 年 9 月 16 日にオバマ米国大統領の署名により、米
国特許法改正「リーヒ・スミス米国発明法案(Leahy-Smith America Invents
Act)」(以下、「リーヒ・スミス法」と略す。)が成立した。リーヒ・ スミス法により、米国の特許制度は先発明主義から先願主義へ転換され、 それに伴い、先行技術の範囲に重大な変化があると思われる。日本にお いては、近時、知的財産高等裁判所によって均等侵害を認めた判決が下 され、均等論の適用が再び重要視されてきているように思われる。中国 においては、2009 年改正特許法及び 2010 年最高法院解釈により、均等 論及びその制限理論に関して、重要な変化がみられる。すなわち、オー ル・エレメンツ・ルール、禁反言の原則、権利放棄の原則、及び従来技 術 の 抗 弁 と い う 均 等 論 の 適 用 に 対 す る 制 限 が 明 文 で 規 定 さ れ る よ う に な っ た 。 本 研 究 で は 、 こ れ ら 最 新 の 法 的 発 展 及 び 裁 判 例 を も 踏 ま え て 、 均等論に関する新しい動きを検討する。 第三に、本研究は、均等論の適用に対する各種の制限理論の比較法的 検討に重点を置くことに特徴がある。均等論は特許法の分野で早くから 議論されてきたテーマである。特に、米国及び日本においては、均等論 の適用に関する国内法上の議論はもちろん、日米両国の均等論適用に関 する比較法的な研究も多数発表されている。中国でも、均等論について は近年大いに論じられている。しかしながら、これらの先行研究は、均 等論について全般的に論じたものがほとんどである。現在、各国におい ては、「均等」、つまり「実質的な同一性」を認めるための基準を工夫す るよりも、むしろ、均等論に対する各種の制限理論の調整を重視してい
るように思われる。したがって本研究では、均等論全体を十分に意識し た上で、均等論適用の制限理論の比較検討に集中したい。このような視 点は、とりわけ先行研究において明示的に論じられてこなかった部分で もあり、米、日、中における均等論の制限理論に関する議論に一定の示 唆を与えると思われる。 最後に、本研究は、米、日、中における均等論適用の制限理論の比較 検討により、中国における均等論適用の在り方についても一定の示唆を 与えることができると考えている。先行研究には、中国における均等論 の適用を日米のそれと比較して研究するものがそれほど多くない。また、 中 国 の 最 新 の 法 改 正 に よ り 導 入 さ れ た 均 等 論 に 対 す る 各 種 の 制 限 手 段 に つ い て 、 そ の 具 体 的 な 適 用 は ま だ 不 明 確 な 部 分 が あ る 。 本 研 究 で は 、 米、日、中における均等論適用の制限理論を対比考察した上で、その背 景にある特許政策を探り出し、各国における均等論の適用にどのような 利益衡量が反映されているのかについても考察する。米国及び日本にお ける均等論適用に対する制限手段の働き方を参考にしながら、中国の現 段階の技術・経済発展の水準に照らして、均等論についてどのような政 策をとるべきかを検討する。その上で、中国における均等論に対する制 限理論の問題点を探り出し、その在り方についての議論を試みる。この ような比較研究を通じて、中国における均等論及びその制限理論の解釈 論及び実務適用に若干の示唆を与えることができると考える。 3 本稿の構成 本稿は、序章、終章を別として、5 章から構成される。 第一章は、米国、日本及び中国における均等論及びその制限理論の適 用状況を述べる。米、日、中における均等論適用の枠組みを紹介した上 で、均等論の制限理論の形成背景、重要な役割、内容及びその適用に関 する国際的な作業を明らかにする。
第二章は、まず、米、日、中における均等論に対する一つ目の制限理 論である、「オール・エレメンツ・ルール」についての比較検討を行う。 オール・エレメンツ・ルールは、均等論適用の手法であると同時に、そ の適用効果からみると、均等論の適用に対する制限でもある。米国判例 法において、オール・エレメンツ・ルールは均等論に対する一つ目の制 限理論とみなされている。日本における均等論の適用は、ボールスプラ イン軸受事件最高裁判決により確立された「本質的部分」に関する第一 要件が特徴的なものである。中国では、2010 年最高法院解釈第 7条25は、 従来の余計指定原則を正式に廃止し、オール・エレメンツ・ルールによ ることを明らかにした。本章では、米、日、中における均等論の適用手 法について比較考察することによって、それらの異同及びオール・エレ メンツ・ルールの問題点を明らかにする。その上で、オール・エレメン ツ・ルールの適用の在り方の提示を試み、中国の新たに導入されたオー ル・エレメンツ・ルールの今後の適用について提言を行う。 第三章では、米、日、中三国における均等論に対する二つ目の制限理 論 で あ る 、「 審 査 経 過 禁 反 言 」 に つ い て の 比 較 検 討 を 行 う 。 審 査 経 過 禁 反言は、特許権者と第三者との間の利益調整にかかわる問題であるから、 特許法において最も重要な問題の一つである。米国においては、審査経 過禁反言が「最も頻繁に適用される制限理論26」とされている。日本 で は、審査経過禁反言がボールスプライン軸受事件最高裁判決において均 等論適用の第五要件とされている。中国においては、2010 年最高法院解 25 2010年 最 高 法 院 解 釈 第7条「 裁 判 所 は 、提 訴 さ れ た イ 号 物 件 が 特 許 権 の 保 護 範 囲 に 入 る か ど う か を 判 定 す る と き 、 特 許 権 者 が 主 張 す る ク レ ー ム に 記 載 さ れ た す べ て の 構 成 要 件 を 審 理 し な け れ ば な ら な い 。 ク レ ー ム に 記 載 さ れ た す べ て の 構 成 要 件 と 同 一 ま た は 均 等 な 構 成 が イ 号 物 件 に 含 ま れ る 場 合 に 、裁 判 所 は 、イ 号 物 件 が 特 許 権 の 保 護 範 囲 に 入 る と 認 定 し な け れ ば な ら な い 。裁 判 所 は 、 イ 号 物 件 の 構 成 を ク レ ー ム に 記 載 さ れ た す べ て の 構 成 要 件 と 比 較 し た 結 果 、 ク レ ー ム に 記 載 さ れ た 一 つ 以 上 の 構 成 要 件 が 欠 け て い る 場 合 、 ま た は 一 つ 以 上 の 構 成 要 件 と 同 一 で も な く 均 等 で も な い 場 合 に 、 イ 号 物 件 が 特 許 権 の 保 護 範 囲 に 入 ら な い と 認 定 し な け れ ば な ら な い 。」 26 竹 中 ・ 前 掲 注 (19)。
釈第 6 条27によって禁反言の法理が初めて司法解釈のレベルで肯定され、 中 国 の 特 許 法 に と っ て 非 常 に 重 要 な 意 義 を も っ て い る 。 本 章 で は 、 米 、 日、中における審査経過禁反言の性質・理論的根拠、適用要件、適用範 囲及び効果を明らかにすることによって、それらの相違点を見出す。そ の上で、審査経過禁反言の適用に関する実務的な示唆を提示する。また、 中国における現在の経済の発展状況に照らし、その新たに定められた審 査経過禁反言の適用上の注意点についても検討する。 第 四 章 で は 、 米 、 日 、 中 に お け る 均 等 論 に 対 す る 三 つ 目 の 制 限 理 論 、 つまり「権利放棄の原則」について考察する。米国において、権利放棄 の原則は均等論に対する重要な制限手段として位置づけられており、そ れに関する議論が数多く存在している。しかし、日本では、明細書の発 明の詳細な説明に実施例として開示しているにもかかわらず、特許請求 の範囲には記載がなかったような場合は、ボールスプライン軸受事件最 高裁判決で示された均等論適用第五要件の適用の一場面にすぎない28。 中国においては、2010 年最高法院解釈第 5 条29により、権利放棄の原則 を正式に導入した。しかしながら、中国では、権利放棄の原則に関する 裁判例がまだ存在しておらず、当該原則に関する議論も少ない。本章で は、米国における権利放棄の原則の発展経緯、理論的根拠、適用基準及 び適用効果を明らかにする。その上で、中国に新たに導入された権利放 棄の原則の適用について一定の解釈を試みる。また、権利放棄の原則と 審査経過禁反言との関係についても考察する。 第 五 章 で は 、 米 、 日 、 中 に お け る 均 等 論 に 対 す る 四 つ 目 の 制 限 理 論 、 27 2010年 最 高 法 院 解 釈 第6条「 特 許 出 願 人・特 許 権 者 が 特 許 付 与 ま た は 無 効 審 判 手 続 に お い て 、ク レ ー ム 及 び 明 細 書 に 対 す る 補 正 あ る い は 意 見 陳 述 に よ っ て 放 棄 さ れ た 技 術( 中 国 語 で 、 「 技 術 方 案 」で あ る 。)に つ い て 、権 利 者 は 特 許 侵 害 訴 訟 に お い て そ れ を 特 許 権 の 保 護 範 囲 に 含 む こ と を 主 張 す る と し て も 、 人 民 法 院 は こ れ を 認 め な い 。」 28 高 林 ・ 前 掲 注 (17)155頁 、 高 林 龍 「 特 許 侵 害 訴 訟 に お け る 信 義 則 ・ 権 利 の 濫 用 」 法 曹 時 報53巻3号 (2001)560頁 。 29 2010年 最 高 法 院 解 釈 第5条「 明 細 書 ま た は 添 付 図 面 に お い て 開 示 さ れ た が 、特 許 ク レ ー ム に 記 載 さ れ て い な い 技 術 ( 中 国 語 で 、「 技 術 方 案 」 で あ る 。) に か か る 特 許 権 侵 害 事 件 に お い て 、 特 許 権 者 が 当 該 技 術 を 特 許 の 保 護 範 囲 に 含 め た 場 合 、 裁 判 所 は そ れ を 認 め な い 。」
す な わ ち 、「 公 知 技 術 に よ る 制 限 」 に つ い て 、 比 較 法 的 な 検 討 を 行 う 。 公知技術による制限は、特許権の保護と公衆による公知技術利用の自由 とのバランスを達成するために、非常に重要な役割を果たしている。米 国においては、先行技術による制限の分析手法として、仮想的クレーム の判断手法を利用している。また、2011 年 9 月 16 日に成立した米国特 許法改正に関するリーヒ・スミス法により、米国特許法第 102条に重要 な改正があり、先行技術の範囲に重大な変化がもたらされることになる。 日本では、公知技術と同一または公知技術から容易に推考できたもので はないことが、ボールスプライン軸受事件最高裁判決で示された均等論 適用の第四要件として認められている。中国においては、2009 年改正特 許法第 62 条30により、従来技術の抗弁が初めて法律のレベルで肯定され るようになった。また、2009 年改正特許法によって「従来技術」の範囲 にも変化があり、均等侵害の成立に大きな影響を与えている。本章では、 米 、 日 、 中 に お け る 公 知 技 術 に よ る 制 限 の 性 質 、 認 定 範 囲 、 判 断 基 準 、 認定手法、及び立証責任について詳細に考察することによって、それら の 異 同 、 均 等 侵 害 判 断 に 与 え る 影 響 及 び 実 務 上 の 示 唆 を 明 か ら に す る 。 また、公知技術による制限と均等論に対する他の制限手段との関係につ いても考察する。 30 2009年 改 正 特 許 法 第62条 「 特 許 権 侵 害 紛 争 に お い て 、 侵 害 被 疑 者 が 、 そ の 実 施 し た 技 術 ま た は デ ザ イ ン が 従 来 技 術 ま た は 従 来 の デ ザ イ ン に 属 す る こ と を 証 明 す る 証 拠 が あ る 場 合 、 特 許 権 侵 害 に 該 当 し な い 。」
第一章 均等論とその制限理論 第一節 はじめに 第二節 米国、日本及び中国における均等論の適用状況 1 米国における均等論の適用 (1)発展経緯 (2)判断基準 2 日本における均等論の適用 (1)発展経緯 (2)適用要件 3 中国における均等論の適用 (1)発展経緯 (2)判断基準 4 まとめ 第三節 均等論適用の制限理論 1 均等論適用の制限理論の重要性 2 均等論適用の制限理論の内容 (1)オール・エレメンツ・ルール (2)審査経過禁反言 (3)権利放棄の原則 (4)公知技術 (5)まとめ 第四節 均等論及びその制限理論の適用に関する国際的な調整 第五節 小括
第一節 はじめに 特許権侵害における中心的な問題は、イ号物件が特許発明の保護範囲 に属するかどうかである。特許権侵害の判断に特に困難な部分は、均等 侵 害 で あ る 。 均 等 論 と は 、「 特 許 請 求 の 範 囲 に 記 載 さ れ た 特 許 発 明 の 構 成 と 一 部 異 な る 部 分 が あ る た め 特 許 権 を 文 言 侵 害 し な い 場 合 で あ っ て も、対象製品は特許発明の構成と実質的同一と評価されるとして、特許 権の効力を及ばせる論理31」である。均等論は、比較法的な視点から み て、「既に百余年の歴史をもって今日に至っている理論であ32」り、それ に関する議論が米国、日本及び中国において長年にわたり続けられてい るものである。米国では、実務上、均等論が特許「侵害を判断する際必 ず考慮しなければならない33」理論である。日本において、無限摺動 用 ボールスプライン軸受事件に関する最高裁平成 10年 2月 24日判決(第 三小法廷)(民集 52巻 1 号 113 頁)を通じて、実務上、均等論を肯定し て、均等論適用の五つの要件を明確にした。中国においても、特許権侵 害 事 件 の 中 に は 、 均 等 侵 害34が 文 言 侵 害35と 並 び 、 重 要 な 判 断 原 則 の 一 つである。 均等論は、特許権の排他的効力をクレームされた特許発明の均等物に まで拡張するものである36。イ号物件が特許クレームの記載と一定の 差 31 高 林 ・ 前 掲 注 (17)。 32 松 本 ・ 前 掲 注 (23)361頁 。 33 今 泉 ・ 前 掲 注 (18)。 34 中 国 語 で い う と 、「等 同 侵 权」 で あ る 。 35 中 国 語 で い う と 、「相 同 侵 权」 で あ る 。 36 均 等 論 は 、 特 許 ク レ ー ム 、 ま た は 、 特 許 の 保 護 範 囲 を 拡 張 す る (extend or enlarge) も の で
は な く 、「 特 許 の 排 他 的 権 利 を ク レ ー ム さ れ た も の の 均 等 物 に ま で 拡 張 す る(expand the right to exclude to “equivalents” of what is claimed)」 も の で あ る (Wilson Sporting Goods Co. v. David Geoffrey & Associates., 904 F.2d 677, 684 (Fed. Cir. 1990); see also Festo Corp. v. Shoketsu Kinzoku Kogyo Kabushiki Co., 234 F.3d 558, 641 (Fed. Cir. 2000) (en banc)(Newman, J., dissenting) )。 こ の 問 題 に 関 す る 詳 細 的 な 論 述 に つ い て 、5B DONALD S. CHISUM, CHISUM ON PATENTS § 18.04[1][a][i] (Matthew Bender)を 参 照 。
し か し な が ら 、 均 等 論 が 特 許 の 保 護 範 囲 を 拡 張 す る も の で あ る と す る 見 解 も あ る ( 河 野 英 仁 「Festo事 件 に お け る 予 見 可 能 性 」 知 財 ぷ り ず む6巻61号( 2007) 112頁 )。
異を有しながら、特許発明と実質的に同一と認められた場合、特許権に 対する均等侵害となる。したがって、均等論は特許権者に十分な保護を 与えることができる。しかしながら、特許権に対する過度の保護は、第 三者や社会の利益を害し、周辺技術の開発に支障をきたすのである。そ れ故、特許権者の利益と第三者・社会利益との衡平を図り、産業の発達 という特許法の趣旨を実現するために、均等論の制限理論が提唱される に至った。それは、制限手法によって、大きく分けてオール・エレメン ツ・ルール、審査経過禁反言、権利放棄の原則、及び公知技術による制 限の四つを挙げることができる。これらの制限理論は、均等論適用の可 否及びその適用範囲を調整する、という点において非常に重要な役割を 果たしている。 本章においては、まず、米国、日本及び中国における均等論適用の現 状を紹介する。米、日、中における均等論の発展経緯及びその適用要件 等 の 説 明 を 通 じ て 、 各 国 に お け る 均 等 論 適 用 の 枠 組 み を 明 ら か に す る 。 次に、均等論の制限理論の形成背景、その重要な役割、及びそれと均等 論を認めるための要件との関係を指摘し、均等論の制限理論を検討する ための背景理論を論述する。さらに、均等論に対する各種の制限理論に ついて簡単に紹介する。その上で、均等論及びその制限理論の適用の調 整に関する国際的な作業の現状を述べる。 第二節 米国、日本及び中国における均等論の適用状況 1 米国における均等論の適用 (1)発展経緯 米国において、均等論は、「特許に対する詐欺(fraud)」を防ぎ、特許 権者に公平な保護範囲を与えるためのものとされている37。それは、文
言解釈とともに、特許クレーム解釈の方法である。 1854 年に、合衆国最高裁判所は、ウィナンス事件判決38において均等 論 を 初 め て 認 め た 。 当 時 の 米 国 特 許 制 度 が 中 心 限 定 主 義 (central definition theory)39を採っていたため、均等論の適用について、「大きな 理論的な障害は存在しなかったのである40」。しかし、1870 年特許法41の 制 定 に よ っ て 、 米 国 の 特 許 ク レ ー ム 制 度 が 周 辺 限 定 主 義 (peripheral definition theory)42に変更されており、特許権の効力を拡張するための 均等論の存否は大いに議論されていた。そして、1950 年に、合衆国最高 裁判所は、グレーバー・タンク事件判決43において、周辺限定主義の 下 での均等論の存在を認めており、均等判断の基準を明確にした。グレー バー・タンク事件最高裁判決は、米国における現代均等論の基礎となり、 その後、先例として繰り返し引用されることになってくる。 グレーバー・タンク事件最高裁判決以降、特許クレーム解釈の問題に ついて、下級審で判例の蓄積が進んでいたが、合衆国最高裁判所は長い
38 Winans v. Adam, 56 U.S. 330, 14 L. Ed. 717 (1854). 本 件 特 許 発 明 は 石 炭 を 運 搬 す る 貨 車 の 形
状 に 関 す る も の で あ っ た 。 積 載 す る 石 炭 に よ り 貨 車 の 床 に か か る 圧 力 を 調 整 す る こ と に よ っ て 、 大 量 の 石 炭 の 積 載 を 可 能 と す る た め に 、 車 体 の 形 状 が 「 本 体 を 円 柱 状 と し 下 部 を 円 錐 状 と す る 」 も の で あ る と こ ろ に 特 徴 が あ る と ク レ ー ム に 記 載 さ れ て い た 。 イ 号 の 車 体 の 形 状 は 「 本 体 を 八 角 形 と し 、 下 部 を ピ ラ ミ ッ ド 状 」 と し た も の で あ っ た 。 合 衆 国 最 高 裁 判 所 の 多 数 意 見 は 、 特 許 発 明 の 形 状 を 若 干 変 更 す る の み で 特 許 侵 害 を 免 れ る と す れ ば 、 特 許 権 は 空 虚 な も の に な る お そ れ が あ る と 述 べ 、 イ 号 が 特 許 発 明 の 原 理 を 実 質 的 に 利 用 し て い る と し て 、 侵 害 の 成 立 を 肯 定 し た 。し か し 、同 時 に 、4名 の 判 事 は 反 対 意 見 を 述 べ た( 以 上 の 判 決 の 翻 訳 は 、 知 的 財 産 研 究 所 編『 特 許 ク レ ー ム 解 釈 の 研 究 』(IIP研 究 論 集4)( 井 上 由 里 子 )( 信 山 社 、1999) 91頁 注 (4) を 参 考 に し た 。)。 39 中 心 限 定 主 義 の 下 で 、特 許 ク レ ー ム は 、「 単 に 発 明 の 特 徴 点 を 具 体 的 に 摘 示 し た も の に す ぎ ず 、 独 占 権 の 外 延 を 画 す る も の で は な い 」( 知 的 財 産 研 究 所 ・ 前 掲 注 (38)58頁 )。 中 心 限 定 主 義 に よ る と 、「 保 護 さ れ る べ き は 一 般 的 発 明 思 想 で あ る 」( 中 山 信 弘 『 工 業 所 有 権 法 上 特 許 法 』( 弘 文 堂 、 第 2版 増 補 版 、2000)390頁 ) か ら 、 特 許 ク レ ー ム 解 釈 の 際 、 ク レ ー ム の 記 載 に 必 ず し も 拘 泥 す る こ と な く 、 そ れ を 中 心 と し て そ の 外 に 一 定 の 広 が り の 保 護 範 囲 を 認 め て い く こ と が で き る 。 40 知 的 財 産 研 究 所 ・ 前 掲 注 (38)。 41 1870年 米 国 特 許 法 は 、 出 願 人 が 自 分 の 発 明 ま た は 発 見 (discovery) の 範 囲 を 明 示 す る こ と を 初 め て 要 求 し て お り 、 特 許 ク レ ー ム の 明 確 性 を 高 め る 方 向 へ の 動 き を 始 め た 。 42 周 辺 限 定 主 義 と は 、 中 心 限 定 主 義 と 対 照 的 に 、 特 許 ク レ ー ム の 解 釈 に あ た り 、 特 許 ク レ ー ム の 記 載 に よ り 定 め ら れ た 限 界 を 原 則 と し て 技 術 的 範 囲 の 最 大 限 と す る 原 則 で あ る 。 す な わ ち 、 特 許 ク レ ー ム に 記 載 さ れ た も の は 、 特 許 発 明 の 保 護 範 囲 の 外 延 で あ る 。
間にわたりそれに触れることがなかった44。そして、1980 年代のプロ・
パ テ ン ト へ の 政 策 転 換 を 背 景 に 設 立 さ れ た 連 邦 巡 回 控 訴 裁 判 所 (Court
of Appeals for the Federal Circuit)(以下、「CAFC」と略する。)において、
均等論の適用は、全般的に広すぎる傾向となっていた45。それにより 法 的 安 定 性 と 特 許 ク レ ー ム の 公 示 機 能 が 損 な わ れ る お そ れ が 生 じ て お り 、 グレーバー・タンク事件最高裁判決で「必ずしも明確とはされなかった 問題」が浮き彫りになるようになった46。それを背景に、「均等論の適用 を制限する様々な法理の存在が注目を集めるようになった47」。1997 年 に、合衆国最高裁判所は、ワーナー・ジェンキンソン事件判決48におい て、グレーバー・タンク事件最高裁判決により確立された均等論が 1952 年 特 許 法 に よ り 廃 止 さ れ て い な い と 判 示 し 、 均 等 論 の 存 在 を 是 認 し た 。 しかしながら、同時に、合衆国最高裁判所は、均等論の適用を合理的に 制限する姿勢を打ち出していた。すなわち、合衆国最高裁判所は、CAFC のペンワルト事件大法廷判決49で示されたオール・エレメンツ・ルー ル を承認しつつも、審査経過禁反言に関する推定を新たに設けており、よ り高い程度の「確実性(certainty)、一貫性(consistency)、及び再審査可能 性(reviewability)50」の実現及び特許「成文法に求められるクレームの権
利範囲定義機能及び公示機能(definitional and public-notice functions)51」
の重要性を強調した。その後、合衆国最高裁判所及び CAFC は、特許の 公示機能及び第三者の利益を重視し、均等論の適用を制限する姿勢を一 貫して維持している。 44 知 的 財 産 研 究 所 ・ 前 掲 注 (38)66頁 。 45 知 的 財 産 研 究 所 ・ 前 掲 注 (38)66-67頁 。 46 知 的 財 産 研 究 所 ・ 前 掲 注 (38)67頁 。 47 同 上 。
48 Warner-Jenkinson Co., Inc. v. Hilton Davis Chemical Co., 520 U.S.17, 41USPQ2d 1865 (1997). 49 Pennwalt Corp. v. Durand-Wayland, Inc., 833 F.2d 931 (Fed.Cir. 1987) (en banc).
50
Warner-Jenkinson, 520 U.S. at 39 n.8.