343
化学と生物 Vol. 53, No. 6, 2015
アブシジン酸受容体アンタゴニストの創出
タンパク質間相互作用の誘導剤を阻害剤に変換
植物ホルモンの一つであるアブシジン酸(ABA)は,
種子の休眠を誘導・維持するとともに,低温や乾燥など 種々の環境ストレスから植物を守る分子である.ABA は植物の生命維持に必須であるが,高温時の種子発芽阻 害,乾燥や低温による花粉の形成阻害,高温や強光下時 の気孔閉鎖による光合成阻害,病傷害抵抗性の低下など を誘導するため,農作物の生産という観点から見ると,
その作用は必ずしも良いことばかりではない.遺伝子組 換え技術によってABAの生合成を抑えたり,ABA応答 の効率を下げたりすることは可能だが,こうした植物は ストレスに弱くて生育不良を起こしてしまう.遺伝子組 換えではなく化合物を使って,必要なときに必要な強度 でABAの機能を止めることができれば,ABAの良い作 用を維持しつつ負の側面だけを低減できる.ABA活性 を下げるには,ABA内生量を下げるか,ABAシグナル 伝達の効率を下げれば良い.筆者らは後者に焦点を当 て,ABAの受容体の機能を阻害する化合物(ABA受容 体アンタゴニスト)を最近創出した(1)
.
今日までにABA受容体としてコンセンサスが得られ ているのは,2009年に見いだされたPYR/PYL/RCAR
(PYL)タンパク質だけである(2)
.PYLはABAと結合す
るとその配座が変化し,タンパク質脱リン酸化酵素タイ プ2C(PP2C)と結合してその機能を阻害する.これに よってABA応答につながるリン酸化カスケードが活性 化する.ABAはPYLの配座を不活性型から活性型に変 えるアロステリックモジュレーターとして機能するとと もに,PP2Cとの結合にも関与して,PYL‒ABA‒PP2C 三者複合体の安定化に寄与している.筆者らはこの機構 に着目して,ABAと同様にPYLに結合するが,ABA とは違って安定な三者複合体の形成を誘導しない分子 を,ケミカルスクリーニングによって見いだすのではな く,受容体の構造に基づいた合理的な分子設計によって 得ることができないか検討した.ある受容体の活性化剤(アゴニスト)や阻害剤(アン タゴニスト)を見いだす方法はいくつかある.ケミカル ライブラリーからスクリーニングする,天然もしくは合 成の既知リガンドを改変する,受容体の構造を基に全く 新規に設計するなど,それぞれ一長一短があり,どれが
ベストかはケースバイケースであろう.Okamotoらは,
PYLアゴニストとして機能するquinabactinをケミカル スクリーニングによって見いだしている(3)
.一方,筆者
らはABAの構造を改変する方法によってPYLアンタゴ ニストの創出を目指した.PYLアンタゴニストをABA の構造アナログとしてデザインすることの利点は,PYL の内生リガンドをコアとしているためにPYLに対する 高い親和性を得やすく,副作用が出にくいことである.さまざまなPYL-ABA複合体結晶構造(4)について溶媒 接触表面を描いてみると,表面に小さな穴が開いていて 中のABAが見えることがわかった.この穴はゲート閉 鎖に伴ってできたものであり,その出口はPP2Cとの接 触面に存在する.この穴からうまく障害物を突き出せる 化合物であれば,PYLのゲート閉鎖を誘導して強く結 合しつつも,障害物が邪魔になってPYL‒PP2C相互作 用を誘導しないのではないか? 幸い,ABAに直接置 換基を導入できる部位(3′位)が穴から見えていたた め,穴を通り抜けられそうな細長い,種々の長さ(C2〜 C12)の直鎖アルキルを3
′
位に導入したABAアナログ(AS2‒AS12)を合成し,シロイヌナズナ種子発芽試験 に供して,ABAアンタゴニスト活性を示すかどうか調 べた.事前に作成したPYL‒AS6複合体モデルによっ て,アルキル鎖が穴を抜けて外に突き出すかどうかの境 目はブチル基(C4)をもつAS4あたりであろうと推定 していたところ,結果はまさにそのとおりになった.
AS2とAS3はABAと同等かそれ以上の発芽阻害活性を 示し,AS5からAS12までは全く発芽阻害活性を示さ ず,ABAと共処理したときにABAの阻害活性をほぼ完 全にキャンセルした.次にAS6を用いて,PYLとの複 合体結晶構造と結合親和性,PYL‒ABAによるPP2C阻 害の抑制,ABA処理あるいは浸透圧ストレスで誘導さ れるABA応答性遺伝子の発現抑制,および蒸散促進に よる葉面温度の低下などについて検討し,原子・分子の レベルから遺伝子,個体レベルにわたってAS6がABA アンタゴニストとして機能することを証明した(図
1
).
植物ホルモン受容体の結晶構造を解明した論文に,「これで受容体の機能を制御するリガンドの開発が一挙 に進むだろう」などと書かれていたりするが,そう簡単
今日の話題
344
化学と生物 Vol. 53, No. 6, 2015な話ではないようだ.1990年代以降,植物科学分野に おいて有機化学的なアプローチを採用する研究者がどん どん少なくなり,特にモデル植物のゲノム解読以降,そ の傾向が顕著である.そのためか,せっかく受容体の構 造がわかっても,それを利用して制御剤を開発してやろ うという人材が不足しているように感じる.植物ホルモ ンの多くは,タンパク質間相互作用の接着剤や誘導剤と して機能しており,分子設計という観点から見てもたい へん面白い題材である.また,生合成や代謝を制御して 内生量を調節するのではなく,受容体の機能を直接マニ ピュレートできる分子は,ホルモン間のクロストーク,
そして複雑に交差するシグナル伝達ネットワークを解明 するための化学ツールとしても有用である.筆者らの研 究を契機に,植物の生物有機化学あるいはケミカルバイ オロジー研究が活性化することを切に望む.
1) J. Takeuchi, M. Okamoto, T. Akiyama, T. Muto, S. Ya- jima, M. Sue, M. Seo, Y. Kanno, T. Kamo, A. Endo
: , 10, 477 (2014).
2) S. R. Cutler, P. L. Rodriguez, R. R. Finkelstein & S. R.
Abrams: , 61, 651 (2010).
3) M. Okamoto, F. C. Peterson, A. Defries, S.-Y. Park, A.
Endo, E. Nambara, B. F. Volkman & S. R. Cutler:
, 110, 12132 (2013).
4) K. Melcher, X. E. Zhou & H. E. Xu:
, 20, 722 (2010).
(轟 泰司,竹内 純,静岡大学大学院農学研究科)
プロフィル
轟 泰 司(Yasushi TODOROKI)
<略歴>1991年京都大学農学部食品工学 科卒業/1993年同大学大学院農学研究科 食品工学専攻修士課程修了/1996年同博 士後期課程修了/2000年静岡大学農学部 応用生物化学科助教授/2011年同教授,
現在に至る<研究テーマと抱負>植物ホル モン制御剤の創出と応用<趣味>飲酒,競 馬,散 歩<所 属 研 究 室 ホ ー ム ペ ー ジ>
http://www.agr.shizuoka.ac.jp/c/npchem/
竹 内 純(Jun TAKEUCHI)
<略歴>2007年静岡大学農学部応用生物 化学科卒業/2009年同大学院農学研究科 修了/2009〜2011年三洋化成工業/2014 年静岡大学創造科学技術大学院博士課程修 了/同年同大学農学部学術研究員,現在に 至る<研究テーマと抱負>アブシジン酸受 容体アンタゴニストの創出.低分子化合物 によるタンパク質の機能制御<趣味>ドラ イブ,飲酒
Copyright © 2015 公益社団法人日本農芸化学会 図1■PYLアンタゴニストAS6の作用メカニズム
PYL表面の小さな穴を通ってPYLの外側に突出したヘキシル鎖が 立体障害となってPYL‒PP2C相互作用を阻害するため,AS6はア ンタゴニストとして機能する.