化学と生物 Vol. 50, No. 10, 2012
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今日の話題
イントロンへの挿入配列が遺伝子発現量を調整する
ブドウ果皮の着色を決定する MybA1 の新たな発現制御機構の発見
ブドウはさまざまな国で広く栽培されており,生産量 が多い果物の一つである.ブドウ果実の果皮色はさまざ まであるが,大きく黄緑色品種(いわゆる 白ブド ウ ),赤色および黒色品種(いわゆる 赤ブドウ )に 分類される.日本では,主に生食用としてブドウが栽培 されているため,果実の外観は非常に重要視される.新 品種の育種では,果皮色に着目した選抜を行うことも多 い.世界では主にワインの原料としてブドウが栽培され ている.赤色および黒色品種からは赤ワインが,黄緑色 品種からは白ワインが醸造されている.赤ワインを醸造 するときに,果皮色はそのままワインの色に直結するた め,ブドウの着色不良はワイン醸造において大きな問題 となる.これらの背景から,ブドウ果実の色,すなわち 果皮色 に関する研究は,新品種の育成・選抜,栽培 方法の改善,ワイン醸造などさまざまな方面から注目を 集めている.
ブドウ果実の果皮色は,アントシアニンの含有量とそ の種類の違いに依存している.アントシアニンは,基本 骨格のアントシアニジンに糖が修飾した物質の総称で,
フェニルアラニンから,カルコンを経由し,フラボノイ ド合成系によってアントシアニジンが合成され,最終的 に UDP-glucose : flavonoid 3- -glucosyltransferase
(UFGT) がアントシアニジンに糖を付加する.ブドウ の赤色および黒色品種では,ブドウ栽培学分野で ヴェ レゾーン と呼ばれる果実成熟開始期にアントシアニン の合成が開始され,果皮にアントシアニンが蓄積する.
ところが,黄緑色品種では, ヴェレゾーン になって も 遺 伝 子 の 発 現 誘 導 が 起 こ ら な い.こ れ は,
遺伝子の発現を誘導するMyb様転写因子 の遺伝子発現が完全に抑制されていることが原 因である(1).黄緑色品種では,2本の対立遺伝子ともに レトロトランスポゾン が 遺伝子のプロ モーター領域に挿入されており, の発現は完 全に抑制される.そのため,下流に位置する 遺 伝子の発現も起こらず,アントシアニンの合成が阻害さ れ る(図1A).つ ま り,果 皮 が 着 色 す る か 否 か は,
遺伝子発現の有無に左右されるのである.実 のところ,赤色および黒色品種でも,プロモーター領域
にレトロトランスポゾンが挿入された 対立遺 伝子をもつのだが,野生型対立遺伝子(ここではレトロ トランスポゾンがプロモーターに挿入されていない 対立遺伝子を指す)をヘテロにもつため,
遺伝子発現が起こり,最終的にアントシアニ ンが合成される(1) (図1B).
遺伝子の発現がアントシアニン合成に必須 であることは疑いようがない事実であるが,品種の違い によってアントシアニン含有量や種類の違いがなぜ生じ るのか,なお不明な点が多い.筆者らは,ピンク色(ブ ドウ栽培学的には グリ(フランス語で灰色の意味)
と言う)の果皮をもつ甲州ブドウ(以下,甲州と明記.
甲州は,はるか1000年ものその昔,シルクロードを渡 り日本の地に根づいたとされる日本固有の醸造用品種で ある)の果皮色着色機構の解明を試み,アントシアニン 合成に関与する新たな制御機構を発見した.以下に,そ の発見過程を述べたい.
第一に,フランスの赤ワイン醸造用品種カベルネ・
ソーヴィニヨンと甲州の 発現量を比較した結 果,甲州の 発現量はカベルネ・ソーヴィニヨ ンの半分程度, 発現量は5分の1程度であるた め,結果として,甲州ではアントシアニン合成量が少な く,ピンク色の果皮になることが明らかとなった.次 に,両品種の 遺伝子型を比較し,両品種とも アントシアニン合成可能なヘテロ接合体であることを確 認した.筆者らは醸造用ブドウ品種,生食用ブドウ品 種,台木品種,野生ブドウ品種の の遺伝子配 列を解読し,甲州の 遺伝子にはカベルネ・
ソ ー ヴ ィ ニ ヨ ン に は 存 在 し な い3つ の 遺 伝 子 断 片
( プロモーター領域に44 bpと111 bp,第2イ ントロンに33 bp)が挿入されていることを見いだし た.ただし,黒色の果皮をもつ生食用品種や台木品種の プロモーター領域にも44 bpおよび111 bpの 遺伝子断片が挿入されているため,この2つの遺伝子断 片挿入は 遺伝子発現量に影響しないと結論づ けた.最後に,筆者らはイントロンに挿入された33 bp 遺伝子断片が 遺伝子発現量に影響すると仮定 し,さらなる実験を行った.詳細は省略するが,タバコ
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培養細胞にレポーター遺伝子を発現させるモデル系を用 いた結果,甲州の イントロンに存在する33 bp遺伝子断片はレポーター遺伝子の発現量を3分の1程 度に抑制した.以上の結果から,筆者らは,甲州がピン ク色の果皮になるメカニズムとして, の第2 イントロンに挿入された遺伝子断片が の発現 を抑制する分子機構を提案した(2) (図1C).この機構は アントシアニン合成に関与する全く新しい制御機構で あった.
上述の結果は,イントロンへの挿入配列が遺伝子発現 量を調整することを示したものである.では,第2イン トロンへの遺伝子断片の挿入によってなぜ 遺 伝子発現が抑制されるのであろうか.実は,その明確な 答えはまだ得られていない.真核生物のmRNAは,エ キソンもイントロンも含めたプレカーサー mRNAとし て転写され,その後,5′末端のキャッピング,イントロ ンの切り出し(スプライシング),3′末端のポリアデニ ル化を受け成熟mRNAとなる.トウモロコシの 遺伝子では,イントロンに存在する非イントロン配列の
挿入によってプレカーサー mRNAのスプライシングが 阻害され,成熟mRNA量に影響することが報告されて いる(3).甲州 の場合,成熟 mRNA 量はカベルネ・ソーヴィニヨンのそれよりも少ないが,
プ レ カ ー サ ー mRNA量 は カ ベ ル ネ・ソ ー ヴィニヨンのそれよりも多い(2).このことから,第2イ ントロンに挿入された33 bp遺伝子断片が プ レカーサー mRNAのスプライシングを阻害し,未解明 の分子機構により, mRNAの成熟を阻害し ている可能性が考えられる.現在,筆者らはこの分子機 構の解明に取り組んでいる次第である.
1) S. Kobayashi, N. Goto-Yamamoto & H. Hirochika : , 304, 982 (2004).
2) M. Shimazaki, K. Fujita, H. Kobayashi & S. Suzuki : , 6, e21308 (2011).
3) K. R. Luehrsen & V. Walbot : , 20, 5181
(1992).
(鈴木俊二*1,藤田景子*2,*1山梨大学大学院医学工 学総合研究部,*2県立広島大学生命環境学部)
図1■ によるブドウ果皮 の着色メカニズム
A. 黄緑色品種.両対立遺伝子ともプ ロモーター領域にレトロトランスポ ゾン が挿入されているため,
が 転 写 さ れ ず, も 誘導されない.そのため,アントシ アニンは合成されない.B. 赤色およ び黒色品種.対立遺伝子をヘテロに もつため, が挿入されていな い野生型 は発現し,
を誘導する.その結果,アントシア ニンが合成される.C. 甲州(ピンク 果皮).赤色および黒色品種と同じよ うにヘテロ型であるが, 第 2イントロンに33 bp遺伝子断片が挿 入されている.これにより,
の発現量が抑制され,結果として,
アントシアニンの蓄積量も少なくな る.