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カクマ難民キャンプでの大学教育 下川雅嗣 - pweb

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Academic year: 2024

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カクマ難民キャンプでの大学教育 

下川雅嗣

下川ゼミでは、卒業式の直前に、毎年卒論・ゼミ論要旨集や全文を載せたCD-ROMの 作成を学生主体でやっている。しかしながら、このために毎年なんらかの巻頭言を書けと 言われ、文書を書くのが苦手な私はこれが一苦労である。今年も卒業式の直前に海外逃亡 を行っていた。今までの私の専門とは違うのだが、アフリカ・ケニアのカクマ難民キャン プに行ってきた。例年のようにそこでの話を少し紹介したいと思う。

ケニアまた東アフリカ全体の難民の状況、カクマキャンプの報告等は別な機会に譲ると して、ここではカクマキャンプでの大学教育についてのみ紹介する。なんと遠距離学習 (Distance Learning)と言って、南アフリカ大学の学位がカクマキャンプの中で手に入るの である。そしてこの学生とディスカッションをしながら、私のゼミ生・上智の学生のこと に思いを馳せ、思い浮かんだことを分かち合ってみたいのである。

難民キャンプと言ってもイメー ジのわかない人もいるだろうから、簡 単に紹介しておく。カクマ難民キャン プは、1992年に設立された。ケニア の首都ナイロビから北西約 900Km、

スーダン国境にあるロキチョキオよ

り南に約 80Km、スーダンとの国境

からは約135Kmに位置する。同キャ

ンプの広さは南北約 13Km, 東西約 1Kmである。現在、同キャンプに滞 在している難民は約9万人で、スーダン難民が最も多く約75000人、その他ブルンジ、コ ンゴ民主共和国、エチオピア、ソマリア、ウガンダ及びルワンダ出身の難民が滞在してい る。

私は、ナイロビからロキチョキオまで飛行機で飛び、ロキチョキオからは車で約2時間 でカクマだった。ロキチョキオからカクマまでは、私たちの車とUN(国連)の車の 2 台 で移動したのだが、それには警察のエスコートつきだった。警察のエスコートがないと、

襲撃されると言う。ナイロビは20度前後で過ごしやすいのだが、カクマは異様に暑くて大 変な場所だった。日中は40度まで気温があがり、木陰に吹き込む風が熱く感じた。夜も36 度くらいで寝苦しい。なお、私たちの泊まったところはカクマキャンプ内ではなく、隣接 するNGOやUNの宿営地である(カクマキャンプ内は危険ということで、UNやNGO スタッフは夜6時以降は立ち入り禁止)。そこには簡易宿舎が建てられており、そこでさえ 生活環境はかなり厳しいので、キャンプ内のテントや掘っ立て小屋での生活はどれほど厳 しいのだろうか。私は行った翌日の日中に日射病のようになり夕方から嘔吐を繰り返し、

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夜通しうなっていた(なお、私はスラムの水等を飲んでもお腹はいつも大丈夫なのだが、

体温調節はあまり得意でなくよく日射病のようになる。ただこれはいつものことで夜寝れ ば基本的に大丈夫)。また、カクマキャンプに来ている人々は、ほとんどが壮絶な歴史を有 しており、その中ではトラウマからのリハビリテーションなどが非常に重要な仕事となっ ている。そして、上述したような多様な文化背景を有した人々、さらには同じ村で殺しあ った人々の両方がキャンプに居ることもあり、そこでの生活の厳しさは行って見なければ わからない。と同時に、キャンプ内では、

われており、トラウマからのリハビリテ ーションと同時に行われる平和教育は、

将来のアフリカ、そしてアフリカのみな らず、全世界の平和構築のための先駆的 な場であり、新たな光を放っている場と も言えよう。

さて、本題のカクマキ

平和教育(Peace Education)の試みも様々に行

ャンプ内の大 学教

の 育・遠距離学習(Distance Learning)

に話を移そう。カクマキャンプ内で、将

来母国に戻ったときに、新しい国家、社会建設を担う若者のための大学教育が行われてい る。これは、カクマキャンプ内でプライマリ・スクール、セカンダリー・スクールまでは あるのだが大学はなく、難民たちが「国連には国連大学があるのだから、私たちも大学教 育を受けたい」と国連(UNHCR)に要望を出した結果、国連はそれに応えようとしな かったが、代わりに JRS(Jesuit Refugee Service)が仲介し、南ア フリカ大学(Public University of South Africa)の協力により、1998 年に実現した。その結果、カクマキ ャンプにいながら、単位と学位がと れるのである。社会科学系の学科は、

学生の希望によってほぼすべて履 修できる。当然のことながら、入学 試験(だいたい受験生が 300 名く は、毎学期、履修科目の教材が送 られてきて、それを基本的には自習し、学期末試験に、実際に南アフリカ大学で行われて いる同じ試験を受けて、それをパスすれば単位がもらえるという仕組みである。私たちは、

そのほぼ全員とディスカッションの時間を持ったが、学生は約30名、エチオピアからの難 民が一番多く(エチオピアでは、大学生が政権の批判を強くやったので、現政府にとって は彼らが、最初の殺戮の対象にされていたため、元々大学生であった人が多数逃げ、カク らいで毎年の合格者は10名程度)もある。合格したも

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マキャンプにいる)、次に多いのがスーダン、そしてルワンダ、ソマリア、ブルンジの難民 もいた(なお30 名のうち女性は 3人)。私が訪問したときはもう昼の暑い時間で、それに もかかわらず、熱風のふく木陰(教室ではない)で、上半身裸で、各自が自習をしていた。

とにかく、この嘔吐しそうな厳しい状況の中で、しかも教員もいないのに、皆真剣に自習 をしている状況は感服に値するもので、上智の学生諸君にもその光景を見て、今自分たち の置かれている状況と比べて欲しいと思う次第である。

彼らとのディスカッションの中で、彼らがなぜ、そして何をこの大学で勉強しているの か等を聞いた。彼らの所属している学科としては、コミュニティー開発学科、社会学科、

公共政策科等が多かった。そして、彼らがここで勉強している動機は、ほとんどが、「将来 国に戻ったときに、新しい社会をつくる必要がある。そのためには、専門的な知識や国際 関係、経済構造等を理解していないと自分たちの国を発展させていくことができない」と 言ったものであった。彼らの中には、自分だけが知識や知恵を吸収することによって、豊 かな生活をするとか、成功するといった動機というよりも、将来の自分たちの社会の発展 というものを夢みて、そのために貢献したいと真剣に望んでいる様子が伝わってきた。こ のディスカッションをしながら、私は自分の大学の学生たちは、何のために勉強している のだろうか、その真の動機はなんだろうかと思い巡らしていた。ディスカッションの中で、

日本の過去の教育の話、そして今の現状、また難民キャンプ内での教育の目的等を話し合 ったのだが、だんだんと明らかになってきたのは、教育・知識を取得することは重要であ るが、もっと重要なのは、その教育・知識を何のために使うのかが、さらにもっと重要で あるということである。彼らは、受けた教育を将来の社会づくりのため、また他者のため に使うとまっすぐに考えていた。また日本においても、明治時代において大学教育を受け ていた人の多くは、新たな社会づくりのために、受けた教育を使っていたような人が多か ったように思う。しかしながら、今の大学生はどうであろうか。日本の社会は、多くの人々 が、教育の分野に限らず社会全体において個人主義的になり、自分が社会で生き延びるこ と、社会の中でのステータスを獲得することが中心的な価値観になりつつあるように思う。

また、大学自体も、その大学が生き延びること、社会の中でのステータスを獲得すること が中心的な課題となり、文部科学省の大学教育への考え方も、日本社会の国際競争力を向 上させること、すなわち、日本が生き延びること、国際社会の中でのステータスを獲得す ることが中心的な課題になっているのではないだろうか。このような大きな流れの中で、

カクマキャンプ内の大学生との話は、教育の原点に私たちを再び戻してくれるような気が する。なお、皆は意識していないかもしれないが、上智大学の教育理念の中には、上智の 教育は「他者のための教育」であると記されている。カクマの大学生はこれを実践してい る。私たちはどうであろうか。今年卒業する人々が上智大学で学んだことを社会をよりよ くするために使ってくれること、そしてまだ大学生活の残っているゼミ生は、残りの教育 を、そのような動機で学んでいくことを願うばかりである。

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