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ベトナムでの2年間

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Academic year: 2024

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ベトナムでの2年間

清水 大格

(15-1,ベトナム,小学校教諭,二宮町立二宮小学校)

1,最初に

協力隊に運良く合格した私は、2003年度から2年間ベトナムへ派遣された。派遣先 は首都ハノイから南に50km、ハーナム省にあるニャッティウ村のニャッティウ小学校で ある。図画と体育を中心におよそ2年間教えていたことになる。ちなみに、ホン川デルタに 位置するハノイは漢字で書くと「河内」、私のいたハーナム省が「河南」となる。まさに読ん で字のごとくの立地である。

2,ベトナムでの生活

私のベトナムでの住まいは、村の人民委員会

Thanh(タイン)さん宅、その2階を間借り

したものだった。窓は当然、日本のようなアル ミサッシではなく、木を重ね合わせた作りだっ た。壁はれんが造りで、石壁風とでも言おうか。

そのため、屋外と屋内の境があいまいで、部屋 では夏は数々のみたことのない虫に出会い、冬 は外気と変わらぬ寒さを体験することになった。

特に夏のダニと冬の寒さは深刻だった。

ベトナムは南国のイメージから常夏を想像されがちだが、それは南部の話で北部は四季が ある。冬はほとんど曇天で気温は10度~12度といったところである。もっとも寒い日は

7,8

度まで下がる。そんな気候でも、屋内のホットシャワーなどふつうの家にはない。昔の 日本のように風呂とトイレは屋外にある。しかも茶緑がかった井戸水がチョロチョロ出てく るのをシャワーとしているのである。そのため、多くの村人は冬にあまり体を洗わない。け れども、私はふろ好きなので1週間に1回は桶に水を張り、熱湯を混ぜて沐浴していた。非 常に寒く、こたえたのを覚えている。

飲み水は雨水だった。雨水は井戸水と違って無色透明で飲みやすい。この村の井戸水は 深度が浅すぎて、村人は飲食用にはしていなかった。そのため、たいていの家には雨水を貯 める貯水槽があった。そして、その中に魚を放していた。魚がボウフラなどの虫を食べてく れるという合理的理由からである。

食事はタインさんのお宅で朝昼晩とお世話になった。銀色の大きなお盆に大きなお皿と どんぶりがあり、それが全員分の一汁一菜である。それを家族みんなで食べた。長男、次男

写真1 村の風景

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に小学校5年生のトゥン君と幼稚園年長のトァン君がいた。2人とも肉類は嫌いで、ゆで野 菜を好んで食べていた。好ききらいが日本の子と逆なのが印象的だった。一般にベトナムの 子は家の手伝いをするのが当たり前で、毎日食事の下ごしらえもする。ある日、トゥン君が 空芯菜を切る仕事をやらずに、遊びに行ったことがある。その夜、父親のタインさんが怒り、

私に「日本の子どもだって料理の手伝いぐらいするだろう!?」と聞いてきたので困った。

片付けはするが、調理の手伝いをする家庭は少ないのではないだろうか。ちなみに、ベトナ ムは地上波でサッカープレミアリーグが見られる。それが村の大きな娯楽になっており、放 映される土日の夜は近所に集まって、みんなで見たものである。

3,ニャッティウ小学校での活動 3−(1)ニャッティウ小学校の環境

私の派遣されていたニャッティウ小学校は日本の援助によって建てられた学校である。ニ ャッティウ村で最も立派な建物の一つと言っていい。ただし、紙などの消耗品は皆無、体育 や図画工作に使用する備品も皆無、という状況だった。先述のように私は体育と図画を教え た。図工ではなく図画なのは、工作に必要なものが手に入らなかったからである。日本では 廃品になるペットボトルがそのまま酒屋さんでの小売容器として使われていたり、カップラ ーメンの空き容器がそのまま植木鉢になっていたり、そんな状況だった。とにかく不要とさ れるものが少ない環境だった。

この

2

教科ですが、なるべくベトナムの先生と私の

2

人で授業をやるようにした。ニャッ ティウ小では私が来る前は体育と図画は殆ど行われていなかった。時々行われても、体育は 気をつけや休め、回れ右などの教練のような内容、図画は教科書の模写のみ、という状況で した。そんな中で、現地の先生に私の授業を見てもらうことは肯定にしても否定にしろ、何 らかのヒントになるのではないかと思ったからである。

3−(2)体育の授業

体育は環境に慣れるのに少し時間がかかった。

教具がないのは良いとしても、グラウンドには 木がたくさん植えられており、児童が動きづら いのである。私自身、慣れない最初のころは授 業のやりづらさを感じた。しかし、今まで系統 立てて体育の授業が行われていなかった学校な ので、その分つくっていく楽しさはあった。現 地の状況を踏まえた教材を考えた。なにも物を 必要とせず、グラウンドの制約も受けない、身 ひとつで楽しめる運動が体育の基本になった。

ベトナム語でルール説明するのがまた一苦労だ

ったが、子どもたちはよく行間を読み取って行動してくれたように思う。

夕方

5

時からは村の中高生とサッカーをした。暗くなるまで一緒にボールを蹴っていた。

写真2  体育授業風景

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みんなコンクリートの地面で素足である。たくましさを感じた。

3−(3)図画の授業

図画は最初のうち現地のやり方にならって、

模写の授業ばかりだった。しかし、だんだんと 現地の先生と関係ができてきて、外から葉っぱ を取ってきて描いたり、友達の顔を描いたり、

授業の幅が広がったように思う。実際に私が村 の風景などをサラサラと下手なりにスケッチし たり、研究授業で使う挿絵を描いたりしている うちに、徐々に耳を傾けてくれるようになった。

もともと私は絵を描く習慣はなかったが、村で はみんながほめてくれるので嬉しくなってたく

さん描いた。村の大人も子どもも絵を描く体験が日本人に比べて少ない印象である。落書き 帳が自由に手に入る環境は恵まれている環境だということを知った。紙を用意できずに算数 のノートの裏などに書いてしまう子どもが多かった。そのため全員分ではないが、紙や鉛筆 など必要なものを用意して授業をしていた。

2

年目である

2004

年度からは私と友人が共著で作った越日語版の指導案集をベースにして 授業を行った。口頭でねらいや展開を説明してやっていたころに比べて、ずいぶんとスムー ズに授業が進むようになった。この指導案集、全

100

ページで

100

部ほど作った。近隣の小 学校や研究会で配ったりしているうちに、手元には

3

部しか残らなかった。国語算数以外の こうした本は珍しいらしく、喜んでくれたのがうれしかった。作成にあたり協力してくれた ベトナム人の友人とは今もメールで連絡を取り合っている。

4、最後に 

ベトナムではいい思い出ばかりではなく、信用していた人に裏切られたり、お金の面で嫌 な思いをしたりすることもあった。赴任当初は慣れない生活から体調を崩すこともあった。

しかし振り返ってみるとそれらの嫌な思い出も含めてすべてが財産となっている。ベトナム 人社会にどっぷりつかった

2

年間だった。ニャッティウ村に外国人が住んだのは初めてだと 聞いた。その間、嫌な体験もしたし、逆に生活者ならではの濃く良い体験もした。仕事上だ けでなく、寝食まで共に現地の人とすごせたことは稀有な体験だと改めて思う。

  日本にいると、日本人の常識や考えが世界のスタンダードであるかの様な錯覚に陥りが ちである。しかし、世界は広く日本のような島国の考え方のほうがむしろマイノリティであ ることを肌身に感じた。ベトナム人は大陸育ちであるがゆえなのか、非常にたくましく、非 常にシンプルな考え方をする。そして何より人生の楽しみ方が上手だと思う。

たった

2

年間、されど

2

年間。かけがえの無い経験をした。このような機会を与え、活動 を支えてくださった多くの方々に深謝したい。

写真3  図画授業風景

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ベトナム教育事情と協力隊活動

15−1 小学校教員 ベトナム派遣 神奈川県二宮町立二宮小学校

清水 大格

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※発表はDV(デジタルビデオ)を用いて行われ ました。この資料は,DV画面をもとにスライド 風に編集しなおしたものです。

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ベトナム教育事情と協力隊活動

15−1  小学校教員  ベトナム派遣   神奈川県二宮町立二宮小学校  清水大格 最初に「ベトナム小学校事情」

・  1年生から5年生まで

日本は6年生まで。ベトナムは中学が4年ある。

・  時間は7時〜10時、14時〜17時

昼休みが長いのは、昼御飯を家に食べに帰るため。半日しかな い日もある。けれど、殆どの日は午後もあり、日本のような放 課後という考えはあまり無い。

・  名目上の教科と実質的な教科

名目上は、技術、自然と社会、体育、図画などの時間があるが、

実際は殆ど算数と国語にあてられている。

・  固定された人事

村で採用されたら多くは定年まで村で教員をする。他村との人 事交流は無いに等しい。また、3年生の担任は翌年も3年、の ように学年が固定されている。

・  習熟選抜クラス

3年生から試験結果によって選抜クラスと通常クラスに分けら れる。学校行事は殆ど選抜クラスの児童によって執り行われる のが普通。

・  県、省レベルでの学力調査、大会

前後期にある期末テストは重要。成績優秀者は県でのテスト大 会によばれる。さらに、学校ごとの点数も出している。

2, 任地へ赴く〜こちらとあちらの行き違い〜

・  自分を振り返ると、意気込みすぎていた せっかくの2年間、何か残して帰りたい!

・  向こうは積極的に技術を欲していると思っていた。

↓しかしベトナムサイドは・・・

みんな隊員をどうやって扱うべきか、迷っていた。

3,見えてきた村の学校の現状

・        やたら酒を飲む。行事は子どもの時間と大人の時間がクッキリ。

子どもの行事の後には大人の打ち上げが学校内で行われ、いっ きのみ大会。そのため子どもの行事は長くても2時間以内に終 わる。

・  図画は教科書の模写のみ。

教科書の例を正確に写すことが求められる。

・  体育は坐学か教練のような内容。

道具が全くない中で行うので、行進や体操、が多かった。

・  学校対抗とも言えるテスト、余裕の無さ。

学校内、郡内での順位を競っている。

情操教育は学校内でも進級に関わらない科目。

・  中央、省レベルは情操教育に力を入れ始めているが・・・

実際にはテスト競争があるので現場に浸透していかない。 

・  多くの先生は農業との兼業。

そのため、特に農繁期は空き時間が欲しい。 

買い物に行ったり、畑の様子を見に行ったりする。

3,染まってみよう、リラックスしよう

・  酒を飲む、休憩を一緒に取るなど、地道な人間関係から   

・  受け持ちのクラスも増え、こちらの提案をやってくれる人もで てきた。しかし、「技術協力」にはこだわりたかった

→教案集など、ベトナム人の力も借りつつ 

4,見えてきた良さ

・  怒らない

・  絶妙なリスクヘッジ

AがだめでもBがあるよ、という思考を常にしている。

・  人生を楽しんでいる。良いと思ったことをスッとやってくれる。

指導案集を活用して貰えた。

      ・プラス思考、娯楽に寛大

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Referensi

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