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70 化学と生物 Vol. 51, No. 2, 2013
天然殺虫成分ピレスリンのエステル結合形成機構の解明
温故知新 : ピレスリン生合成から学ぶ GDSL リパーゼ/エステラーゼファミリー酵素の機能
除虫菊(シロバナムシヨケギク,旧学名:
, 現学名:
)(図1A)は天然殺虫剤ピレスリンを生合成し,
それを花(子房)に蓄える.そのため,ピレスリンを高 濃度で含む除虫菊の花は乾燥され,エキスをはじめとす るピレスリン製剤の原料として利用される.除虫菊が殺 虫成分を有することは14 〜15世紀にバルカン半島のダ ルマチア地方で発見されたと言われている.しかし,そ れ以前に中国で発見され,シルクロードを経てダルマチ ア地方に伝わったという説もあり,真の起源は定かでは ない.いずれにせよ,高価値な除虫菊は世界に広がり,
明治時代に日本に入ってきた.当初は試験栽培にとど まっていた除虫菊は,次のようなエピソードにより一挙 に日本で開花した.すなわち,1885年,大日本除虫菊 株式会社初代社長・上山英一郎は,恩師福沢諭吉により 紹介された H. E. Amoore に蜜柑をはじめとする植物の 苗を贈った.翌年,Amooreから上山に数々の植物の種 子が贈られ,そのなかに除虫菊の種子が含まれていた.
除虫菊粉の効力を認識した上山は各地で種子を無償で提 供し,除虫菊の栽培を奨励した.その結果,和歌山,広 島,香川,北海道を中心に広く栽培されるようになり,
第一次大戦から第二次大戦までの一時期,日本は世界最 大の除虫菊生産国となった.
除虫菊の有用性が認識されると,ピレスリンは著名な 天然物化学者から注目されるようになった.ピレスリン の化学構造の解明は1923年に理化学研究所(のちに台 北帝国大学,東京農業大学教授)・山本 亮によって先
鞭がつけられ,ピレスリンの酸部の1つ,第一菊酸を酸 化するとトランス-カロン酸が生じることが明らかにさ れた(1).その直後の1924年に H. Staudinger と L. Ruz- icka(いずれもノーベル化学賞受賞者)によって主成分 であるピレスリンI・IIの平面構造がほぼ正しく決定さ れた(2) (複数の関連論文は文献2参照).アルコール部 の構造は後に修正されたが,現代のように優れた分析機 器がない時代に達成されたこの成果は驚異的というほか はない.その後,ピレスリンのマイナー成分ジャスモリ ンI・II,シネリンI・IIの構造が明らかにされた.ピレ スリンの立体化学についても日本の貢献は大きく,L.
CrombieとS. H. Harperによる第一菊酸の絶対配置の解 明では(3),(−)-パイロシンをオゾン酸化することで
(+)-テレビン酸が生成するという松井正直・東京大学 名誉教授らの知見(4) が基盤となった.一方,第二菊酸 の側鎖の二重結合の幾何配置も含めた立体構造は,京都 大学化学研究所武居研究室(武居三吉教授)において,
井上雄三(現 京都大学名誉教授)らにより解明され た(5).さらにアルコール部の絶対配置も,同じく武居門 下の大日本除虫菊株式会社・勝田純郎らにより決定され た(6).これらの研究成果にNMRやX線結晶構造のデー タが加わり,ピレスリン全6種の構造が確定された.す なわち,ピレスリンはエステル化合物であり,シクロプ ロパン環を有する2種の酸(第一菊酸と第二菊酸)とシ クロペンテノロン環を有する3種のアルコール(ピレス ロロン,シネロロン,ジャスモロロン)からなる.その 酸部のシクロプロパン環を構成する2つの不斉炭素の絶
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対配置は 1 , 3 であり,アルコール部のヒドロキシ基 を有する1位の不斉炭素の絶対配置は である.そし て,第二菊酸の二重結合の幾何配置は である(図 1B).
除虫菊の生産は天候により左右され,ピレスリンは光 や酸素によって容易に分解される.このような欠点を克 服するため,家庭のみならず,日照,降雨,気温変動な どの環境変化にさらされる農業条件下でも使用可能なピ レスリンのアナログ,合成ピレスロイドが開発され
た(7〜9).合成ピレスロイドはマラリア感染を予防する蚊
帳の製造にも利用され,今や世界の殺虫剤市場で主要な 一角を担うようになった.一方除虫菊は,ケニアをはじ めとする新興国での生産増加と合成ピレスロイドの勢い に押され,第二次大戦後日本から姿を消していった.
日本から除虫菊がほとんど姿を消し,ピレスリンから ピレスロイドに至る化学が完成されたなかで,なぜ古典 的化合物ピレスリンなのか.筆者はかつて藤田稔夫・京 都大学名誉教授から合成ピレスロイドの定量的構造活性 相関と作用機構に関するテーマをいただき研究した.当 初は化学的に決着がつけられた天然ピレスリンには全く 興味がなく,記述する機会を得てもわずか1段落にも満 たない記述で済ませていた.しかし,昆虫制御の起源と 機構に興味をもち合成ピレスロイドの研究を積み重ねて
いくにつれ,天然ピレスリンに対する見方は変わって いった.ピレスリンは化学的には決着がつけられていて も生物学的には不明な点が多い.ピレスリンはトレンド とは対極にあるので不必要な情報が入らない.この2つ を動機として,筆者は天然ピレスリンの研究に着手し た.
ピレスリンの酸部は一種のモノテルペンである.M.
P. Crowleyらはこの酸部の生合成の前駆物質がメバロ ン酸であると推定し,14Cで標識したメバロン酸を除虫 菊に与え,酸部に放射活性が取り込まれると報告し
た(10, 11).しかし,取り込み率が悪い.今の常識ではテ
ルペン類の生合成経路にはメバロン酸経路と非メバロン 酸経路 (MEP) 経路があり,モノテルペン類は後者に よってつくられるとされる.もしそうであるならば,
Crowleyらの説は疑しい.そこで筆者らは [1-13C] グル コースを前駆体として除虫菊幼苗に与え,ピレスリン中 で標識される炭素を調べたところ,MEP経路で生合成 される場合に対応する炭素が選択的に標識された.した がって,ピレスリンの酸部の生合成には主にMEP経路 がかかわっていることが明らかとなった(12).一方,ピ レスリンのアルコール部は植物ホルモンの一種ジャスモ ン酸と類似の構造をもつ.ジャスモン酸は脂質を起源と してオキシリピン経路によって生合成されるので,ピレ 図1■除虫菊(A;左,満開の花;
右,幼苗)とピレスリン全6種の構 造 (B).
A
B
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スリンのアルコール部も同様であろうと推測された.実 際,[1-13C] グルコースを前駆体とする標識実験によっ て,予想どおりの位置の炭素に 13C が取り込まれた(12).
除虫菊はヒトのためではなく昆虫から自分自身を守る ためにピレスリンをつくる.その生合成が,昆虫に対す る抵抗性の調節に寄与する植物ホルモン,ジャスモン酸 によって調節を受けることは容易に察しがつくが,それ を示しても意味がない.植物は揮発性物質によって未被 害の仲間に身の危険を知らせ,その知らせを受けた植物 は防衛機構を強化すると言われている(13).揮発性シグ ナル分子としてのジャスモン酸メチルやサリチル酸メチ ルの研究も含めて,これまでの揮発性物質を介した植物 の会話に関する研究では,食害や病害等のストレスに よって植物から生じる揮発性物質を同定し,それぞれの 物質を一定の濃度で処理したときに生じる植物の変化を 調べるのが常であった(14).しかしそれでは,自然界で の状況を反映しておらず,濃度依存性の問題や,本当に 揮発性物質が単独で機能するのかどうかわからない.除 虫菊にとってピレスリンは対昆虫防御物質であることは 自明であり,幼苗(図1A)も花と同様にピレスリンを 生合成できる.そのことを念頭に置いて,除虫菊の幼苗 を用いて揮発性物質を介した植物の会話現象における未 解明の問題を解くことにした.除虫菊幼苗に物理的傷害 を与えると, みどりの香り (武居三吉による宇治の茶 生葉からの青葉アルコールの発見(1933年)を源泉と し,学際的な研究の対象へと発展を遂げた,植物脂質か ら生成するアルコール・アルデヒド類)(15) に属する
( )-3-ヘキセナール,( )-2-ヘキセナール,( )-3-ヘキ セノールおよびその酢酸エステルに加えてセスキテルペ ンに属する ( )-β-ファルネセンが主要な揮発性物質と して生成した.これら5種の揮発性物質を,傷害を与え た幼苗に隣接する位置で検知される濃度でブレンドし,
無傷の幼苗に処理したところ,ピレスリン生合成の活性 化が認められた.このような現象は,当該ブレンドの濃 度を傷害葉の近辺で計測される濃度よりも1桁上下させ たり,ブレンドから1つでも成分を除いたりすると見ら れなくなった(16).みどりの香りや ( )-β-ファルネセン はほかの植物でも見られる普遍的な化合物である.すな わち,除虫菊は特有の濃度でこれらの化合物をブレンド することで特異性のある言語をつくっているらしい.ほ かの植物も同様な原理で会話を行っている可能性があ る(14).
このようにしてピレスリン生合成の外堀を埋め,いよ いよ本丸へというところで,筆者はどの生合成反応を攻 めるか思案した.さまざまな構造に思いをめぐらすなか で,ピレスリンやピレスロイドに関する講義を受けたこ とのある人が最後まで記憶のなかにとどめている構造は 何かということを考えた.それは酸部とアルコール部と いう言葉の起源,エステル結合であろう.エステル結合 は,酸部をつくるMEP経路とアルコール部をつくるオ キシリピン経路を束ねる かなめ に位置しているの で,それが生成する仕組みを解明することで大切なこと がわかるに違いない.そう考えて,ピレスリンのエステ ル結合の形成にかかわる遺伝子の解明に挑むことにし た.しかし,除虫菊のゲノムは未解読で,スマートな方 法をとることができない.エステル結合の形成はアシル トランスフェラーゼによって触媒されると推定し,花の cDNAライブラリを探索してみたものの徒労に終わっ た.残る手段は酵素の精製である.第一菊酸CoAを合 成し,別途調製したピレスロロンとともに除虫菊の蕾か ら調製した粗タンパク質溶液に加えたところ,ピレスリ ンIが生成した.このことに勇気づけられて活性本体の 精製を試みた.徹夜続きの泥沼のような試行錯誤を繰り 返し,ようやく除虫菊の蕾からSDS-PAGEで単一のバ ンドを示すわずかなタンパク質を得ることに成功した.
その部分アミノ酸配列を読んだところ,部分配列はアシ ルトランスフェラーゼではなくGDSLリパーゼ/エステ ラーゼ類と相同性を示した.筆者は,その酵素はアシル トランスフェラーゼではないがアシル基転移反応を触媒 する可能性をもっていると考えた.人工的にエステルを 不斉合成するときにしばしばリパーゼが使われるからで ある.そこで除虫菊から標的酵素をコードする全長 cDNAをクローニングし,大腸菌で発現させたところ,
果たして遺伝子産物は第一菊酸CoAとピレスロロンか らピレスリンIを合成する能力を示した.
本酵素がピレスリン合成活性を示すことだけではピレ スリン生合成に寄与するとは言えない.ピレスリンは酸 部に2つ,アルコール部に1つの不斉炭素をもつ.この ことに着目して,第一菊酸CoAの4種の立体異性体およ びピレスロロンの2種の立体異性体を自前でそろえ基質 特異性を調べたところ,酵素は天然の絶対配置をもつ基 質を最も好むことが明らかとなった(17).
さらに筆者らは,本酵素の加水分解活性,細胞内での 局在,遺伝子発現とピレスリン含量との高い相関,遺伝
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子 発 現 の 傷 害 誘 導 性 な ど に つ い て も 確 認 し,こ の
「GDSLリパーゼ(エステラーゼ)・アシルトランスフェ ラーゼ」が実際にピレスリン生合成にかかわっているこ とを初めて明らかにしたのである(17).
第二次大戦後日本から姿を消していった除虫菊は今,
オーストラリア,ケニア,タンザニア,ルワンダ,中国 などの国々で栽培されている.近年の除虫菊の世界総生 産量は,戦前の総生産量とほとんど変わらないと聞く.
筆者らはピレスリンという古典的化合物をひも解くこと でこのような除虫菊の現状を学び,ピレスリンのエステ ル結合形成の謎を探ることで典型的なアシルトランス フェラーゼではなくGDSLリパーゼ/エステラーゼファ ミリーに属する酵素に遭遇した.本酵素の仲間は植物の みならずほかの生物でも見られる.このような普遍性に 通じる知見が得られるとは全く予想外であった. 温故 知新 とはまさにこのことである.
謝辞:本研究は科学研究費補助金,私立大学学術研究高度化推進事業お よび私立大学戦略的研究基盤形成支援事業の支援を受けました.また,
本研究を推進するにあたり,山口大学名誉教授・畑中顯和先生,大日本 除虫菊株式会社特別顧問・勝田純郎先生,同社中央研究所所長・中山幸 治博士からご指導ご鞭撻を賜りました.この場を借りて厚く御礼申し上 げます. 1) 山本 亮:理研彙報,2, 57 (1923).
2) K. Matsuda :“Pyrethroids from Chrysanthemum to Mod- ern Industrial Insecticide,”eds. by N. Matsuo & T. Mori, Springer, 2012, p. 73.
3) L. Crombie & S. H. Harper : , 1954, 470
(1954).
4) M. Matsui, T. Ohno, S. Kitamura & M. Toyao : , 25, 210 (1952).
5) Y. Inouye, Y. Takeshita & M. Ohno : , 19, 193 (1955).
6) Y. Katsuda, T. Chikamoto & Y. Inouye : , 22, 427 (1958).
7) Y. Katsuda : , 55, 775 (1999).
8) Y. Katsuda :“Pyrethroids from Chrysanthemum to Mod- ern Industrial Insecticide,”eds. by N. Matsuo & T. Mori, Springer, 2012, p. 1.
9) K. Ujihara, T. Mori & N. Matsuo (eds.):“Pyrethroids from Chrysanthemum to Modern Industrial Insecticide,”
Springer, 2012, p. 31.
10) M. P. Crowley, H. S. Inglis, M. Snarey & E. M.
Thain : , 191, 281 (1961).
11) M. P. Crowley, P. J. Godin, H. S. Inglis, M. Snarey & E.
M. Thain : , 60, 312 (1962).
12) K. Matsuda, Y. Kikuta, A. Haba, K. Nakayama, Y. Katsu- da, A. Hatanaka & K. Komai : , 66, 1529
(2005).
13) G. Arimura, K. Matsui & J. Takabayashi : , 50, 911 (2009).
14) H. Ueda, Y. Kikuta & K. Matsuda : , 7, 222 (2012).
15) A. Hatanaka :“Comprehensive Natural Products Chemis- try,” eds. by O. Meth-Cohn, D. Barton & K. Nakanishi, Elsevier, 1999, p. 83.
16) Y. Kikuta, H. Ueda, K. Nakayama, Y. Katsuda, R. Ozawa, J. Takabayashi, A. Hatanaka & K. Matsuda :
, 52, 588 (2011).
17) Y. Kikuta, H. Ueda, M. Takahashi, T. Mitsumori, G.
Yama da, K. Sakamori, K. Takeda, S. Furutani, K. Naka- yama, Y. Katsuda, A. Hatanaka & K. Matsuda : , 71, 183 (2012).
(松田一彦,近畿大学農学部)
プロフィル
松田 一彦(Kazuhiko MATSUDA)
<略歴>1985年京都大学農学部農芸化学 科卒業/1987年同大学大学院農学研究科 修士課程修了/1987年近畿大学農学部助 手/1993年 同 講 師/1998年 同 助 教 授/
2005年同教授<研究テーマと抱負>広い 視野に立って昆虫制御の普遍原理を解き明 かしたい<趣味>蝶の収集と写真撮影