二
〇 一 七 年
一 月
「 今 月 の 言 葉
」 と
「 今 月 の 聖 語
」 に つ い て の 紹 介
今 月 の 言 葉
願 は く は 深 く 無 常 を 念 じ て 、 い た づ ら に 後 悔 を 貽
(の こ)
す こ と な か れ
。
『 教 行 信 証
』
いよいよ 二
〇 一 七年
がス ター トし まし た。 新 しい 年 をみ なさ んは どの よう な 心境 で迎 えた でし ょう か。
「一 年 の計 は元 旦 にあ り」 とい う言 葉 があ るよ う に、 勉 強 のこ と、 クラ ブ 活 動の こと 等、 昨年 の反 省 を踏 まえ
、新 たな 目標 に向 けて 気 持 ちを 引き 締 めて いる こと だと 思 いま す
。 今 月 の言 葉 に述 べら れて いる よう に、 仏 教 では
「無 常
」を 説 きま
す。
「無 常
」と は仏 教 の 中 心と なる 教え の一 つで
、す べて は移 り変 わっ てい くこ とを 意 味し ます
。私 たち は後 戻り がで きな い、 最 初で 最 後の 貴 重な 時 間を 日 々過
ごし てい ます
。も っと 勉強
して おけ ば・
・・
、 もっ と部 活 の練 習 を真 面目
にし てお けば
・・
・等 の後 悔 を残
すこ とな く、 今 年も 自 分 の目 標 に向 けて 精 一杯 精進
して いき まし ょう
。
今 月 の 聖 語
後 に な っ て 悔 い も な く
よ ろ こ び が み ち て く る よ う な
そ ん な 行 為 が よ い 行 為 と い わ れ よ う
『 法 句 経 』
私たちの 日常 を振 り返 ると
、つ い楽 な方 へ流 され たり
、「 これ くら いで いい か・
・」 と限 界 を決
め、 自分 自 身 を誤 魔化
して しま うこ とも ある ので はな いで しょ うか
。日 々 の学 校 生 活 や勉 強、 クラ ブ活 動 等に 置き 換 えて 考 えて みて 下 さい
。
「今 月 の聖 語
」で 釈尊 が述 べる よう に、
「後 にな って 悔 いも なく
、よ ろこ びが みち てく るよ うな 行 為」 は、 強い 意 志が 必要 です
。な ぜな ら、 目 標 に対 して
、厳 しく 自 分を 振 り返 り、 コツ コツ と努 力を 重 ねて いく こと を継 続し なけ れば なら ない から です
。「 三 日 坊主
」で は、 何 も残 りま せん よね
。 おそ らく
、み なさ んも 今年 の目 標 を立 てた こと だと 思 いま す。 その 目標 に対 して
、今 で きる
こと に全 力 を注
ぐこ との 継 続 が、 当 然 のこ とな がら 大 切 なこ とで す。 目 標 に向 かう 過 程 で本 気 で努 力 した こと は、 後 にな って 充 実感 や喜 びと して 表 れて くる はず です
。新 年 とい うこ とで
、気 持ち も新 たに
、そ れぞ れの 目標
にむ けて 精 進し てい きま しょ う。 合掌 宗 教教 育係