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動 物 た ち の 追 悼 祭 - PLUS i Vol.10

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Academic year: 2024

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(1)

一.きつね

夏が終わって︑まだ秋が始まらない頃︒

土手にひがんばなが咲いている︒その赤い群は野

に放たれた炎を思わせる︒めらめら︑めらめらと

燃えている︒まるで荼毘に伏すかのように︒

葬られるのはきつねだ︒若いきつね︒土手に倒れ︑

胸から真っ赤な血を流して死んでいる︒また︑赤

だ︒

赤い花の炎は︑胸を紅に染めた哀れなけものを

悼む間もなく焼きつくすかの如く︑めらめらと︑

めらめらと︑盛んに咲き誇っている︒それは手向

けの花と呼ぶにはあまりに猛々しかった︒

風に揺らめけば火の粉が上がる︒くすぶる煙の

まぼろしさえ見えてもおかしくはない︒

流れた血がまたたく間に花へと変化を遂げてい

るのか︑炎はますます広がってゆく︒土手が火事

になる︒秋を運ぶ晩夏の風にそよぎ︑噴煙が上

がる︒ 死んだきつねは悶えているようである︒鮮やかな

色に囲まれて︑死の際の苦しみはやわらいだ様子

もない︒目を見開き︑口をかっと開けて︑その奥

から︱︱︱︱赤︒赤い舌が突き出ている︒いずれ

それも花になるのだろうか︒溢れる血が花と化し

たせいできつねの胸と腹はいよいよ赤い︒手足も

覆い隠されそうだ︒

華々しくひがんばなが咲き乱れ︑土手の上の弔い

は静かに嵐のように進んでゆく︒

二.ふくろう

墓を掘るのはふくろうの仕事だ︒つるはしとシャ

ベルで墓を掘る︒だれの墓を掘っているのか︑ふ

くろうは知らない︒ただ掘る︒掘り続ける︒それ

が仕事なのだから︒

つるはしで地面をうがち︑シャベルで土をすくう︒ 濡れた匂いが満ちて︑ふくろうはそれが嫌いでは

ない︒

ふくろうの仕事は墓を掘るだけなので︑墓守りも

墓参りもしないのだ︒自分が掘った墓に眠るだれ

かに︑手向けの花をおくったりはしないのだ︒自

分が掘った墓に眠ることになるだれかの葬列に︑

並ぶことはしないのだ︒ふくろうの仕事は墓を掘

ること︒それだけだ︒

今日も掘る︒昨日も掘った︒明日もきっと掘るだ

ろう︒

黒くつめたい土を掘って︑手ごろな大きさの穴を

こしらえる︒棺がきちんと収まるように︑底と壁

を丁寧にならす︒ふくろうは大きな目で自分の仕

事の出来を見る︒満足のいく出来栄えならば︑仕

事はおしまい︒つるはしとシャベルを持ってねぐ

らへ帰る︒納得がいかなければ︑仕事を続ける︒

つるはしとシャベルをふるって墓を掘る︒

ふくろうの仕事は大切である︒毎日だれかが死ぬ

のだから︒

人間科学部人間科学科4年

 

動物たちの追悼祭 ● エッセイ

(2)

三.からす

三本足のからすがいた︒ふつうのからすは三本足

ではない︒三本足のからすは木の上ではなく太陽

に棲んでいた︒

生まれたときから太陽にいるので︑自分が他のか

らすと違うことをあまりよくわかっていなかった︒

足の数はもちろんのこと︑ごみをあさったり︑土

をつついたりということもなかった︒しかしそれ

は︑三本足のからすにとってどうでもいいことで

あった︒

三本足のからすの目下の悩みは︑毎日毎日︑おの

れのすみかを食わねばならぬことだ︒三本足のか

らすのすみかは太陽であるから︑食えば暗く︑寒

くなる︒これはあまり気分のよくないことである︒

どうにか食わずにいられぬものかと︑いくどもい

くども考えたのだけれど︑妙案は浮かんだためし

がない︒三本足のからすは毎日太陽を食うはめに

なるのだった︒そうしないと夜が訪れないことが

わかっていたので︒

ある日︑太陽を食いながら三本足のからすは考え

事をしていた︒自分が死んだらだれが太陽を食う

のだろう︒いつか自分の命も尽きて︑太陽に燃や

されて骨だけになってしまうのだから︑だれか代

わりを探さねばならぬのではないか︒困った︒悩 みがまた増えてしまった︒

しかし三本足のからすは知らない︒代わりなんて

いないことを︒

四.うさぎ

よくできている︒実に精巧だ︒今にも動き出しそ

うじゃないか︒

そうした賛辞の言葉を浴びるのは︑玉でつくられ

たうさぎである︒

光が当たると薄く虹色にかがやく白い玉︒淡く

光っているようですらあるそれを︑慎重に︑丁寧

に彫りすすめていって︑できあがったのがこのう

さぎだ︒

丸くつるんとしたからだに︑寝かせた長い耳︒小

さな目と鼻とひげは︑細い刃先で刻んだのであろ

う︒繊細な線で描かれていてかわいらしい︒

ふしぎなのは︑玉の正体が何であるか︑そしてだ

れがつくったのかわからないということである︒

うつくしい色をした玉はいったい何なのか︒宝石

の一つであるようにも見える︒実際にそう唱える

ひともいた︒象牙であるようにも見える︒実際に

そう唱えるひともいた︒木だ︑硝子だ︑骨だ︑こ の世のものではないものだ︒

だれがこれをつくったのか︒有名な彫り師だ︒無

名の若者だ︒神だ︒

たくさんの憶測が飛び交って︑結局のところわか

らずじまいだった︒

玉のうさぎの真実をだれもたしかめられないま

ま︑それは今日もどこかで賛辞の言葉を浴びる︒

五.しか

ざざっ︑ざざっ︑ざざっ︑ざざっ︒

雪の上をはしってくるものがある︒大きくて︑す

べらかで︑はやい︒

ざざっ︑ざざっ︑ざざっ︑ざざっ︒

青い硝子板のように空は澄みきって︑いかにもか

たそうな光を投げてよこしている︒

ざざっ︑ざざっ︑ざざっ︑ざざっ︒

見えた︒はしってくるのは︑しかだ︒

立派な角を振りたてて︑たくましい脚とひづめで

軽やかに駆けてくる︒その足音はしかの重さをよ

く表している︒

ざざっ︑ざざっ︑ざざっ︑ざざっ︒

雪の上の大きなけものは立ち止まることをしな

● エッセイ

(3)

い︒はねとばした雪を煙のように巻き上げて︑悠

然とはしってゆく︒彼の目的を知る者はいないだ

ろう︒その雄大な姿はただ見とれることしかでき

ない︒

ざざっ︑ざざっ︑ざざっ︑ざざっ︒

ざざっ︑ざざっ︑ざざっ︑ざざっ︒

六.ちょう

かみさまのみえざるてが つきのいろをした お

おきなはさみをふって よるをきってゆきます︒

よるはながれるものです︒みずのようでなく そう ちょうど けむりのように︒つかむことがで

きない というところは どちらもよくにており

ますが よるにはおんどがありませんので やは

りみずというよりは けむりににているのです︒

かみさまのみえざるてが けむりのようなよるを

つきいろのはさみで︒ながれるよるをとらえ 

きると よるはふいに おもみをもちます︒けむ

りがおもみをもったので うすいぬののようだと

かんがえると ちょうどいいかもしれません︒

けむりではなく ぬのとなったので ﹁よるのとば

り﹂ といういいかたをするようになったのです︒ かみさまは よるのとばりを さらにおきりに

なって ちょうをつくりました︒ずいぶんおおき

くよるをきったので たくさん たくさん ちょ

うができあがりました︒

ちょうがうすく ひらひらしているのは よるの

とばりをきって つくられたからなのです︒

七.へび

︵帳が上がる︶

︵台詞︶

隙間から這い出てくる︒

へびは︒

ありとあらゆる隙間から這い出てくる︒

壁と壁の隙間︒

草むらと草むらの隙間︒

扉と床の隙間︒

吊るした服の隙間︒

雨ざらしの髑髏の穴の隙間︒

まるでそこにしか存在できぬというかのように︑

へびは隙間から這い出てくる︒ぬらぬらとしたう ろこと︑まぶたのない目と︑ひっきりなしに蠢く

舌をきちんとたずさえて︒

今も潜んでいるに違いないのだ︒

光と影の︑隙間に︒

灯りを消せばそれはなくなる︒隙間を失ったへび

はどうなるのだろう︒

︵蝋燭を消す動作︶

︵暗転︶

八.ひつじ

暖炉があかあかと燃え︑家の中はあたたかだ︒手

元がよく見えるように︑テーブルには蝋燭が立て

てある︒糸に紡がれたひつじの毛が︑坊やの新し

いお洋服になってゆく︒

この毛のひつじはすばらしいひつじだ︒やさしく

て善良で︑とても穏やかなひつじ︒白い毛はちぢ

れて︑角もおぎょうぎよく丸まっていた︒坊やも

おぎょうぎよくするんだよ︒

ひつじはほかの仲間と一緒に丘の上で草を食べ

るのが大好きだった︒坊やもよく知っているあの

丘のことだ︒羊番の男の子に連れられて丘にの

動物たちの追悼祭

(4)

ぼると︑そこら一面に生えているあおあおとした

草を食べる︒風はきもちよくそよそよ吹いて︑お

ひさまもあたたかく照らしている︒そうしてたく

さん食べて︑ひつじはどんどん大きくなった︒毛

もよくちぢれ︑長くのびてきた︒

ひつじの毛がじゅうぶんのびたら刈り取るんだ

よ︒刈り取った毛は洗って︑すいて︑ほら︑こう

して糸につむいである︒

毛を刈ったひつじはまだいるよ︒お外の柵の中で

眠ってるのさ︒坊やのお洋服ができたら︑お礼を

言いにいこうね︒

九.おおかみ

日が沈んだ︒ここからはおれの時間だ︒

のっそり姿を現したのは大きな毛むくじゃらのお

おかみだ︒くらやみで目を光らせて︑今日のごは

んをさがしている︒何しろおおかみは腹ぺこだ︒

小さな獲物ではとうてい足りない︒木の実なんか

じゃ代わりにもならない︒腹がふくれるような大

物をしとめたいと︑闇夜に目玉をぎらぎらさせて︑

足音も立てずに歩いてゆく︒

向かう先は村だ︒あそこにはいい獲物がそろって いる︒柵も垣根も囲いも︑大きなおおかみには関

係ない︒

まるまるふとった獲物に牙を突き立て︑肉を噛

みちぎってむしゃむしゃたいらげ︑おしまいに口

のまわりを長い舌でぺろりとひとなめ︒そんな一

連の動作を思い描きながら︑おおかみはまだ見ぬ

獲物を求めて舌なめずりをした︒

自分以外の生き物がみな寝てしまっているのかと

思うほどに︑草や葉のかすかな音しか聞こえない︒

耳はぴくぴく︑鼻はひくひく︑かたい毛並みはざ

わざわ波打つ︒腹ぺこおおかみは獲物の音を︑に

おいを︑決して逃さぬように注意深く歩いてゆく︒

ああ︑早く︑早く︑食いたい︒食って食って食い

まくりたい︒

よだれが一滴︑ぽたりと落ちた︒

十.はりねずみ

こんなにも︑こんなにも︑かなしいのです︒ああ︑

ああ︑これが泣かずにいられましょうか︒

わたくしははりねずみ︒とがった針を身にまとう︑

小さな生き物でございます︒

何がそんなにかなしいのかって︑ああ︑それはよ くわかっておいででしょう︒好いた相手と結ばれ

ぬことほどかなしいことがありましょうか︒

今夜はよく冷えます︒まるであの人の心のように︒

わたくしはかなしい︒ひどくかなしい︒

今夜の夜露は︑きっと一滴のこらずわたくしの涙

でしょう︒あたりの草の葉を濡らして︑湿らせて

しまえるほど︑わたくしの涙はかれることなく流

れるにちがいありませんわ︒

それにしても︑なんてかなしい︒一つになりたい

だけなのに︒添い遂げたいだけなのに︒わたくし

のこの忌むべき針のせいで︒

この想いが叶わぬのなら︑いっそわたくしの針で

あの人の胸を紅に染めて差し上げたい︒

● エッセイ

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