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化学と生物 Vol. 51, No. 11, 2013
原核生物における small RNA による転写後発現制御研究の展開
その作用機構と制御ネットワーク全体での役割
原核生物はあらゆる環境で生息しているが,そこで生 きるためには真核生物よりも少ない遺伝情報を巧みに制 御して細胞内のタンパク質を必要なときに必要な量だけ 合成する.これまで転写レベルの調節を担う転写制御因 子に関する研究が盛んに行われ,環境中のシグナル物質 に応答するタンパク質による転写効率の変化という観点 から遺伝子発現制御機構の理解が深められてきた.近年 RNAを中心とした転写後レベルでの調節の重要性が認 識されてきており,その中でも特に non-coding small RNA (sRNA) による制御が注目を集めている.sRNA はRNA結合性タンパク質の活性を制御するものと,あ るRNAに対してアンチセンスRNAとして機能するも の(もしくはその両方の機能を有するもの)に大別され るが,本稿では後者のみについて触れる.
異なる遺伝子座にコードされるmRNAに で作 用する最初のsRNA MicFは1984年に大腸菌で発見され た(1)
.
に作用するsRNAはターゲットmRNAと短 く不完全な塩基対を形成して,複数の遺伝子を制御する 能力をもっている.たとえばMicFの場合,唯一既知の ターゲットであった外膜タンパク質OmpF以外にも,大腸菌の全遺伝子の10%を制御する重要な転写制御因 子Lrpをはじめとする複数のターゲットを制御すること が最初の発見から約30年後に明らかになった(2, 3)
.
多くの場合sRNAとターゲットmRNAとの塩基対形 成にはRNAシャペロンHfqを必要とし(4)
,主に2通り
の作用機序によって遺伝子の発現を負に制御する.sRNAの結合位置がmRNA上のSD配列周辺から開始コ ドン下流数塩基にある場合には,sRNAはリボソームと 競合して翻訳開始を阻害するのが主要な機構である(5)
(図
1
A).これに伴いmRNAは不安定化してRNaseによ
る分解を受ける.一方,sRNAが開始コドンよりもはる か 下 流 に 結 合 す る 場 合 に は,sRNAはHfqを 介 し て RNase EによるmRNAの分解を誘起することで遺伝子 発現を負に制御する(6, 7) (図1B).
sRNAによる正の制御の代表的な例として,それぞれ 異 な る 条 件 で 誘 導 さ れ る3種 の sRNA, DsrA, RprA, ArcZ によるシグマ因子RpoSの転写後制御が挙げられ る(8)
.この場合,
mRNAの5′ 非翻訳領域はSD配列周辺が二次構造を形成して翻訳が抑制されている状態 にあるが,sRNAはmRNAとの結合によってその二次 構造を開くことで翻訳を促進する(図1C)
.また,多く
の場合に翻訳の活性化はmRNAの安定化を伴うことが 知られている.一方,負の制御の作用機序から類推し て,sRNAがmRNAを直接安定化して遺伝子発現を活 性化する可能性も予想されるが(図1D),最近明らかに
なったその一例を以下に紹介する(9).
細菌においてグルコースはPTS系による取り込みに 伴ってグルコース-6-リン酸 (G6P) に変換される.G6P の過剰な蓄積は糖リン酸ストレスを引き起こし,大腸菌 などの腸内細菌ではそれに応答して SgrS sRNA が誘導 される.SgrSはグルコーストランスポーター IICBGlc を コードする など糖取り込みに関与する複数の mRNAを負に制御する一方で(5)
,機能未知脱リン酸化
酵素をコードする mRNA を正に制御する.は上流のリゾホスホリパーゼL2をコードする とオ ペロンを形成し - mRNA として転写されるが,
SgrSは mRNA のみを選択的に安定化する. - mRNA は のコード領域において RNase E に よるプロセシングを受けてさらに5′ から3′ 方向に分解 されるが,SgrSは 開始コドン上流のRNase E解裂 位置に結合することでRNase Eによる分解を阻害する ことが明らかになった(図1D)
.
の開始コドンに 変異を導入してもmRNAが安定化することから,この 活性化機構は翻訳とは独立の事象であると考えられる.また, のSD配列周辺をほかの遺伝子のものに置換 しても同様の活性化が見られることから,上述のような 特定の二次構造を必要とする従来の活性化機構には当て はまらない.ただし,RNase E温度感受性変異株にお いて非許容温度ではmRNAのプロセシングだけでなく rRNAやtRNAの成熟化も不活性化されるため,mRNA の安定化に伴うタンパク質レベルの活性化は検出できな いことに注意しなければならない.本研究はYigLが細 菌では未同定であったグルコースを基質とする脱リン酸 化酵素であることも明らかにし,sRNAによる発現制御 研究を通して新規の遺伝子機能が解明された一例であ る.以上の活性化機構の生理学的意義は,SgrSが糖取
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り込みの抑制によるフィードバック制御だけでなく,
G6Pの無毒化によるより迅速な糖リン酸ストレスの解除 を実現していることにある.
当初sRNAは偶発的に発見されてきたが,2000年代 における飛躍的な塩基配列解析技術の発展を経て現在で は数百種類ものsRNAが原核生物で同定されている.現 在のところその多くは機能未知であるが,最早その数は 転写制御因子の数に匹敵する.興味深いことに,調節の 段階は異なるが,ある遺伝子がタンパク質による転写制 御とsRNAによる転写後制御を両方受ける例が複数報告 されている.また,sRNAの発現は主に転写レベルで制 御されることが知られている一方で,転写制御因子の発 現がsRNAによって転写後レベルで制御される例も多く 報告されている.さらにはsRNAがほかのRNA種によ り転写後レベルでも制御されることが明らかにされつつ ある.このように複雑な遺伝子発現制御ネットワークの 中でsRNAが果たす役割には,翻訳を介さない迅速な制 御,代謝コストの低減などが挙げられるが,それを転写 制御因子で置き換えることができないのは明白である.
細胞内の全転写産物を一塩基レベルの解像度で解読する ことが可能となった現在,より多くの微生物種の多様な
生理学的条件でのトランスクリプトームが解読されるこ とが期待される.その中でsRNAが遺伝子発現制御ネッ トワークに予想外のつながりをもたらし,何らかの新規 な制御を可能とすることは想像に難くない.そして生物 の代謝能力を効率よく利用することを目指す農芸化学分 野の中でもsRNA研究から得られる知見が貢献できると ころは大きいと考えている.
1) 水野 猛:化学と生物,49, 426 (2011).
2) E. Holmqvist, C. Unoson, J. Reimegård & E. G. H. Wagner : , 84, 414 (2012).
3) C. P. Corcoran, D. Podkaminski, K. Papenfort, J. H. Ur- ban, J. C. Hinton & J. Vogel : , 84, 428
(2012).
4) J. Vogel & B. F. Luisi : , 9, 578
(2011).
5) 森田鉄平,饗場弘二:化学と生物,45, 298 (2007).
6) V. Pfeiffer, K. Papenfort, S. Lucchini, J. C. Hinton & J.
Vogel : , 16, 840 (2009).
7) K. J. Bandyra, N. Said, V. Pfeiffer, M. W. Górna, J. Vogel
& B. F. Luisi : , 47, 943 (2012).
8) K. Fröhlich & J. Vogel : , 12, 674
(2009).
9) K. Papenfort, Y. Sun, M. Miyakoshi, C. K. Vanderpool &
J. Vogel : , 153, 426 (2013).
(宮腰昌利,ヴュルツブルク大学)
図1■ に作用するHfq依存性 sRNAによる遺伝子発現制御とその 機構
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宮腰 昌利(Masatoshi MIYAKOSHI)
<略歴>2002年東京大学農学部生命化 学専攻卒業/2005年日本学術振興会特別 研究員DC2(東京大学生物生産工学研究 センター)/2007年東京大学大学院農学 生命科学研究科応用生命工学専攻博士課 程修了/同年日本学術振興会特別研究員 PD(東北大学大学院生命科学研究科)/
2010年ヴュルツブルク大学Institute for Molecular Infection Biology, Postdoctoral fellow/2013年日本学術振興会海外特別 研究員(ヴュルツブルク大学Institute for Molecular Infection Biology)<研究テーマ と抱負>腸内細菌におけるアミノ酸代謝の 転写後調節機構に関する研究<趣味>フラ ンケンワイン,トランペット演奏