1書
言平 ﹇
重
日評
堀江英一著
﹁明治維新の肚會構造﹂
山田
舜
本書において著者は︑﹁純梓封建体制﹂乃至は明治維新に聞
する﹁あたらしい塩實や史料﹂・﹁あたらしい事實の連關﹂をし
めすのではなくて︑﹁明治維新を理解する統一的方法﹂をしめ
すことを意岡され︑最近急速に護麗しつつある畿内を中心とす
る﹁わかい.歴史家諸君﹂の實謹的諸成果の上に立たれてそれら
を綜括され︑かつ︑それらの具体的研究のための理論的指針を
提出されるのである︒
氏は︑明治維新を︑從來の﹁構造論的分析﹂によってではな
く︑﹁現實に成立してくる具体的歴史的過程の分析﹂によつ 一九四て︑ ﹁純粋封建体制﹂のユ全体的な自己運動の録結﹂として明かにされようとする︒ところで︑氏の﹁構造議的分析﹂とは何か︒いうまでもなく︑脛濟叢展段階を規定するための分析のことであり︑幕末維新期に關していえば︑その分析の結論はかの有名な﹁幕末維新小管業段階説﹂なのである︒本書の冒頭において︑氏はこの小管業段階説が﹁特定の︑階級闘争.政治闘争を規定する脛濟の規定﹂たることを強調され︑本書での分析を通じて︑ ﹁脛濟の攣化が階級闘雫とりわけ農民一揆を規定し︑そのなかから維新の主体的勢力がうまれる過程を追求﹂しょうとされる︒ ﹁明治維新を動く歴史として主体的にえがこうとつとめ﹂られるのである︒これが︑氏の﹁構造論的分析﹂から﹁現実に成立してくる具体的歴史的過程﹂の分析への移行の︑ ﹁わたし︵堀江氏︶なり﹂の努力の内容である︒しかし︑明治維新を﹁全体的な自己運動の瞬結﹂として明かにすることは︑かような︑﹁構造論的分析﹂に︑それによって規定される階級闘.争h裏革の主体をつ酢くわえることによっては果されがたいと私は考える︒それは︑﹁安橿な纏濟主義﹂であ喝脛濟酸度段階規定の分析視角を否定して︑全体的な自己運動の基礎をなす経済的基礎過程の自己運動を解明する視角にたつことにより果され
るであろう︒
本書は︑明治維新の経済的基礎をとりあつかう第四章・第五
章と︑それに規定される階級闘争をとりあつかう第二章・第三
章と︑明治維︑新の成果をとりあつかう第六章と︑全体の論理構
造のアウトラインを示す第一章とからなっている︒以下︑ま
ず︑これらの章別にこだわらず︑第四章・第五章を中心とし
て︑氏の論理構造をできるだけ追求してみよう︒
二
氏は︑ 一︐純梓封建体制﹂の基底である近世本百姓の形成過程
を︑主として故藤田五郎教授の﹁すばらしい業績﹂にもとずい
て︑つぎのように理解される︒すなわち︑﹁中世封建体制の基
礎﹂を﹁名主・作人關係1いわゆる親方・子方關係の本來的形
態﹂とされ︑この中世の基本的階層から近世の基本的階層への
移行過程ロ近世本百姓の形成過程を︑﹁生産力の発展と商品経
済の成立﹂とにもとずく︑﹁︐名主﹂からの隷闘農民の燭立の過
程と理解されるのである︒
氏は︑﹁村落支配者層﹂の成立をつぎのように理解される︒
﹁隷馬農民の名主からの濁立﹂により︑隷島農民の賦役その他
一堀江英一著﹁明治維新の社倉構造﹂一 の強制勢揃により佃を経管していた名主は分化をとげて︑強剛名主は武士となり︑一般名主は本百姓となる︒したがって︑本百姓化した一般名王は︑かつて隷馬農民であった近世本百姓によって構成される﹁同族集団の頭﹂として︑村落を支配する
﹁村役人層﹂となる︒すなわち︑この層は︑村落内部において
﹁血縁的支配關係とか共同体的な支配關係とかさらには経済的
支配關係とかいった階層關係﹂の頂点に位置し︑近世本百姓と
はやや社倉的性格を異にする階層と解されるのである︒
氏は︑﹁純粋封建体制﹂の基本矛盾を︑幕藩領主と農民階級
との劉立︑領主的土地所有と農民的土地所有との封立︑封建貢
租と胎芽的利潤との劉立であると規定されるとともに︑村落内
部における﹁村落支配者層﹂と農民階級との﹁階級封立﹂を︑
﹁純粋封建体制﹂の從馬矛盾と規定された︒
氏は︑ ﹁純埣封建体制﹂の基礎をなす近世本百姓が︑ ﹁名
主﹂11名子主の下に隷驕する作人u名子の﹁商品経済の成立﹂
にもとずく蜀立によって形成されたという前提に立たれて︑
﹁幕藩体制は機構的にその出発点で二つの異った商品経済を前
提している﹂とされる︒すなわち︑さきの基本的矛盾は︑領主
的商品経濟と農民的商品経済との対立として幕藩体制の出発点
一九五
一書 評一
にすえおかれる︒そうして︑形成された近世本百姓は︑その
﹁消費余剰﹂の販売を根擦として︑ ﹁軍純商品生産者﹂と規定
される︒ 氏は︑ ﹁農民はこれまでのように消︐費余剰を﹃商品﹄化する
ばかりでなく︑はじめから販売を目的として生産するようにな
る﹂といわれて︑近世本百姓が﹁消費余剰﹂を販売する段階
と︑商品作物を販売する段階との二つの段階を︑不明確ながら
旺別されている︒この直別は︑盟に地帯的匠別としてのみでは
なく︑相継起する段階の匠別として把握されている︒すなわ
ち︑畿内下小坂村における﹁棉作確立期﹂以前の中農層の分化
を︑長瀞騒動にみられる分化と同様に︑ ﹁土地集中け名子螢
働・質券螢働経管と土地喪失且名子・質券放出との南極分解
−−1いわゆる農奴主的纏管に結果する分解﹂と考えられ︑棉作
確立期以後の中農層■の分化から匠別されている︒かような小作
関係の展開しえない︑﹁胎芽的利潤﹂の成立しえない︑﹁後進
地﹂では︑階級分化は進行しえないとされるにもかかわらず︑
實際には史料に導かれて階級分化の事實を示されるのである︒
そして︑かかる﹁消費余剰﹂販売の段階に止まる地帯では︑村
落支配者層の農民支配が強いために︑右の分化は︑村役人層の 一九六寄生地主化・小前百姓の小作人化の方向に深化してゆくといわれる︒ 氏は︑右の小作関係をいまだ展開しえない地幣または段階にある諸村での百姓一揆の形態が越訴であることを示されるとともに・そこではまた︑村役人層に対する凄惨な世直し一揆が存在するとざれる︒そして︑かかる世直し一揆が﹁先進地域﹂のそれとは異なり︑村役ぺ膚の共同体的支配をくつが︑えすことをえず︑したがって維新座一華の原動力たりえないとされる︒ 氏は︑消費余剰販売の段階から︑商品作物販売の段階への移行とともに︑﹁農民的土地所有一農民的商品纏濟﹂が前進するといわれる︒すなわち︑農民の﹁特有農産物﹂生産を基礎として︑﹁地域的分業﹂が展開し﹁国内市場﹂が形成されることを示される︒農家の脛鶯収支における貨幣経濟の比重が大きくなることを示される︒特有農産物を生産する農民のなかから︑在郷商人・在郷加工業者が成立することを示される︒在郷那工業の分裂・﹁社會的分業﹂の成立を示される︒ 氏は︑塩糸業における農民的商品脛濟をコ一つの時代﹂に匠別され︑ ﹁再生産過程そのものを根抵から商品輕濟化﹂しない場合︑ すなわち消費余剰販売の段階では︑ 自給肥料が使用さ
れ︑ ﹁商品経濟化﹂する場合には購入肥料が使用されるといわ
れる︒後者の場合︑﹁生産力が発■慶し︑農民はこれまでのよう
に消費余剰を販売するばかりでなく︑はじめから商品を生産す
る﹈といわれ︑この段階では︑ ﹁商品生産者的中農層﹂﹁小
管菜﹂︑﹁−民富﹂・﹁胎芽的利潤﹂が成立するとされるのであ
る︒ 氏は︑﹁農民階級の分化は農民的上地保有と農民的商品纒濟
との前進が胎芽的利潤をつくりだした場合にだけ前進する﹂と・
いわれる︒そして︑この﹁小商品生産者﹂の分化を相縫起する二
つの類型に分たれる︒すなわち﹁商品生席者的中長居﹂が廣汎
に下人を使用している事実を示されたのち︑分化の第一の類型一
として︑﹁富農的地主手作と貧農小作層の奉公べ放出という南
極分解﹂を設定される︒地主手作を﹁商品生産者的ブルジコ︑ア
的纏管﹂と規定されるのである︒かような中農層の分化によっ
て形成される地主手作は︑畿内にあっては︑蛋來の﹁村役人
層﹂と交代するといわれ︑村役人膚と一般農民層との匠別を曖
昧にされる︒けだし︑農民的商品纏濟の前進が︑村役へ層の共
同体的支配を弛めると考えられるからであろう︒
氏は︑かような商品作物販売の段階日小螢業段階にあって
1堀江英一著﹁明治維新の社倉構造﹂一 は︑前進する農民的商品輕濟が︑生産物地代を基礎とする領主的貨幣経濟と激しく劉立し︑かっこれを凌駕しようとするから・ ﹁封建的危機﹂U﹁領主的劉懸﹂が必然化されるといわれる︒すなわち︑貢租の増徴︑作付制限の強化︑消費余剰販売の段階に止まる商品作物の奨闘︑専売制度の實施︑株仲間の統制等の領主的劉懸が行われる︒かような封応に封抗して︑農民的・貨幣纏濟は村役人層指導の﹁惣百姓一揆﹂をもってこた︑える︒他國商人への販売︑直船積等の自由巳﹁商品︵販売︶の自由﹂を主張する畿内文政六年の棉作一揆︑専売制度及びそれにつながる村役人層を攻撃する長州天保の大一揆.土州置暦の津野山
一揆等があげられる︒
氏は︑都市特権商人層を︑幕藩体制の常初から﹁現物貢租の
販売仲介者として﹂︑また﹁幕藩領主や武士階級に劉する一口同利
貸として﹂︑幕藩領主と﹁共生関係﹂にあったものとされる︒
したがって︑領主的対応によって株仲間に組織され︑幕藩体制
の﹁機関に韓化してゆく﹂都市特椹商人は︑ますます農民的商
品脛濟と封立し︑在郷商人・村役人層指導の惣百姓一揆から攻
撃をうけるといわれる︒
氏は︑ ﹁日本的な正常分解﹂とされる商品生産者的中.農層U
一九七
1書 評−
小管業の分解において︑﹁ブルジ.︑ア的発展をたどるか寄生地
主制にすすむかの﹂二つの﹁岐路﹂を設定され︑畿内では︑天
保期において︑中農屠の分化が﹁富農的地主手作と貧農.小作
農の奉公べ放出﹂に嚇結する段階から︑﹁マニュファクチュア
H寄生地主とプロレタリアロ小作人︵貧農︶﹂に魅結する段階へ
と移行するといわれる︒この後者が氏の中農層分化の第二の類
型・段階である︒ただここで注目すべきは︑氏が︑分解が地主
手作を形成する段階にあっても︑小作関係の展開を決して無視
されずに︑ ﹁地主手作を中核として小作関係が展開していた﹂
といわれる点である︒
氏は︑この分化の二つの類型・段階の移行過程を︑地主手作
の解体としてとらえられる︒・てして︑地主手作解体と寄生地主
成立との条件として以下の四つをあげられる︒岬ての一は︑農民
的貨幣纏濟の発展が社宙釣分業を形成し︑非農業的職業部門U
﹁管渠﹂がっくりだされ︑これが没落農民の放出する奉公人を
﹁小商人・職人・家内副業者としての家内螢働者・商工業勢働
者として吸収する﹂結果︑奉公人給銀が高騰すること︒その二
は︑領主的封応﹁株仲開による領主的統制に有力な原因をも
つ﹂ ﹁︑農民的商品の割安とかれらの必需品の割高﹂︒ その三は 一九八
﹁農業資本主義の方向に発展するのをゆるさなかった﹂﹁農業
のひくい生産水準﹂である︒その四は︑一般農民層の手もとに
﹁封建貢租をしのぐほど︑胎芽的利潤がうまれていた﹂ことで
ある︒かような諸候件の下では︑地主手作は﹁手作を放棄して
寄生地主としてだけいきること﹂にするし︑商品生産者的中農
層もまた決定的な打撃をうけて急速な分解をとげ︑地主目マニ
ュー小作日ブロの關係が急速に展開するとされる︒氏はかかる
二つの段階の過渡期を︑すなわち享保期に成立した小螢業段階
︵富農的地主手作茸﹁ブルジ﹁︑一ア的経管﹂も小笹業と解される
のであろう︶から﹁マニュファクチュアH寄生地主段階﹂への
過渡期を﹁小骨業段階末期﹂と規定されるのである︒
氏は︑封建的危機の激化にともない︑領主的対応が進行する
とされ︑一方において右の分解をくいとめるために︑土地均分
策︑地主手作の維持策が施行されるとともに︑他方において株
仲間の解散︑藩管マニュファクチ.一アの経管擾大が行われると
いわれる︒ そうして︑右の分解を利用して︑農民層を分裂さ
せ︑形成されつつある寄生地主冒在郷商人を︑それが村役人層
であれ︑中農周の分化によって形成されたものであれ︑在株組︑
織や名字帶刀御免の楽典で自己の側にひきつけるといわれる︒
かくて︑幕府目蒲1都市特椹商べ一在郷商人目村落支配者層の
系列が形成せられ︑この系列が分解しつつある小螢菜U中農層
に指導される貧農・小作層と封立することを示される︒
氏は︑右の農民層の分裂によって︑中農層の分解によって形
成された上昇中農・没落農民と︑村落支配者層︵中農層の分化
により上昇せるものも含む︶との間に︑世直し一揆がひきおこ
されるといわれる︒畿内古市村・京都近郊川島村.曾津藩等に
おける︑主として村役人層の貢租の不正を追求する村方騒動
や︑在郷の買占資本や高利貸資本に反封ずる︑信達地方や︑秩
父地方等のうちこわし等をあげられる︒そして︑かような一揆
が︑村落支配者の共同体支配を崩壊に導くものとされる︒
氏は︑成立しつつある地主Uマ一一ユが擾汰強化される藩管マ
ニュを基軸とする領主的貨幣脛濟との封立を激化し︑專売制度
や︑それにつながる特構商人・﹁不義に富みし庄屋.年寄﹂に
封して︑ ﹁商品の自由﹂をスローガンとして攻撃をかけるとい
われる︒ かように︑幕藩領主に封立する地主1ーマニュの﹁胎
児﹂・村落支配者ば︑世直し一揆に攻撃され︑それにつきあげ
られて︑惣百姓一揆の先頭に立つ︒かかる世直し一揆を含む惣
百姓一揆を﹁惣百姓一揆の最後の段階﹂と規定される︒
i堀江英一著﹁明治維新の社倉構造﹂1 氏は︑﹁小管業段階来期﹂における︑右のコ一重構造﹂の惣百姓一揆こそ︑明治維新の社倉的基盤だといわれる︒サてして︑この一揆を指導し︑下士層と結合する村落支配者曙こそ︑明治維新の主体だといわれる︒かかる段階は︑畿内では天保期に︑長・土州では幕末に︑會津・秩父では明治十年代に︑それぞれ︑時期を異にして現われるとされる︒それ故︑明治維新は畿内の大塩の謝にはじまり︑西南諸藩の討幕運動に移行してゆくとされる︒ 氏は︑右の討幕運動によって成立した維新政府が︑﹁ブルジ
三ア的発展﹂たる農民的土地所有の確認一土地売買の自由.
作付制限の撤駿・土地私有樺の確認.契約の自由.職業の自
由・地租金納等1をするが︑下士及び村落支配者が政椹の外
にとりのこされたことを明かにされ︑自由民縫運動の必然性を
ここにおかれる︒ この運動が︑ はじめ士族民灌としてはじま
り︑ついで世直し一揆におびやかされる﹁豪家の農商﹂H村落
支配者層の民樺に移行し︑最後に中農に指導される貧農.−小作
の民灌に終る過程をえがかれる︒そして︑自由民灌運動を︑村
落支配者層の政治的進出の過程とさホ︑秩父塞件に典型的にみ
られる︑ ﹁ブルジ..ア革命﹂の方向の出現とともに︑明治維新
一九九
一書 評一
の過程は終り︑村落支配者層は完全に明治絶封主義の基礎とな
り︑明治絶封主義は確立するとされる︒
氏は︑小管業の分解によって成立してくる地主葺ガニ﹇ユファ
クチュアを︑第一に︑﹁ブルジョア的発展の所産﹂として︑寄
生地主制も﹁−資本主義の一定の発展段階 ︵マニュファクチュ
ア︶に適応﹂する土地所有形態として把握され︑第二に寄生地
主的土地所有を半封建的土地所有として把握される︒そして︑
小螢莱の分解が農業資本主義の方向をたどらなかった理由を︑
出︑農層の未熟さ︑ブルジ︑ア革命としての世直し一揆の惣百姓
一揆への從驕に求められる︒かくして明治絶劉主義の基本矛盾
は︑特漣政商とともに︑胎芽的利潤ロブルジ.︑ア的発展を吸収
する村落支配者層ロ地主・マニュと小作・プ・レタリアとの矛
盾だとされる︒最後に注意さるべきは︑氏が一方において︑地
主の纏管するマニュファクチュァを ﹁資本主義の一定発展段
階﹂とされつつも︑他方においてこのマニュファクチュアが特
樺政商の工場と基本的に封立していないとされる点である︒
以上が︑私に理解しえた限りでの︑堀江氏の︑明治維新の
﹁社會構造﹂に關する論理構造である︒以下︑これに劉する︑
私の視角からの疑問点を指摘してみたい︒
三
二〇〇
1 中世における基本的階層は︑中世を通じて︑複合家族と
譜代下人とにより構成される中世名主である︒中世名主は次第
に分化をとげるが︑上昇する中世名主は︑中世的な纏管規模鑛
大の限界に規定されて︑一定点以上にその纏螢規模を擾大する
ことができない︒そこで︑限界纒誉規模以上に土地を集積する
名主は譜代下人に耕地を貸与し︑定着せしめて︑その賦役によ
って自己の脛管を行う︒かかる耕地に定着せる隷屠農民名子
が中世名主にまで成長した場合に︑隷農主は中世的領主に成長
する︒中世名主の中世的分化は︑かように中世の階級關係を再
生産する分化である︒名子制度は︑堀江氏のいわれるような中
世の基本的階層ではなく︑中世名主の分化によって形成される
﹁典型的脛螢﹂なのである︒
近世本百姓形成の基本的過程は︑中世名主の石高の均等性を
基準とする血縁分家による分裂過程である︒この過程は︑中世
名主の生産力の発展が︑中世的耕地保有形態に規定される中世
的農法の漸次的進化︑したがって反當収量の漸次的増大の形態
で発展し︑軍婚家族による家族螢作脛管が自立し︑自らを再生
産しうる段階に達した時︑はじめて進行する︒名子制度は︑生
産力のかかる発展段階︑したがって本百姓形成の基本的過程の
進行に規定されて︑はじめて分裂し︑名子の近世本百姓化が行
われる︒これは中世的分化が︑近世本百姓を基本的階層とする
近世的分化に翰化したことを意味する︒近世的分化とは︑上昇
する近世本百姓がまず地主手作となり︑さらに土地を集積する
地主手作がその限界脛骨規模に規定されて近世的隷馬農民を所
有し︑この隷馬農民は箪婚家族一家族笏作纏螢の形態で︑近世
本百姓として搦立しでゆき︑地主手作はこの近世本百姓に饗し
て︑近世的領主の資格をもつといった︑近世領王と近世本百姓
との関係を再生産する分化である︒かような中世的分化の近世
的分化への轄化ば︑名子制度を分裂せしめ︑名子を中世名.王と
してでなく︑近世本百姓として自立せしめ︑名子主を︑近世的
領主または地主手作たらしめる︒二の輔化は中世名主の自己分
裂の過程に規定されるのであるから︑名子の本百姓化は︑堀江︒
氏のいわれる本百姓形成の基本的過程ではなく︑派生的過程に ヤ やすぎないのである︒また︑近世本百姓の形成は生産力一般の発
展によってもたらされたのではなく︑中世名主の生熊内発展の
中世的形態によってもたらされたのである︒
一堀江英一著﹁明治維新の社曾構造﹂i 地主手作村役人層は︑名子主または中世名主の︑中世名主のままの残存としてまず現われ︑ついで近世的攣形をとげる︒変形された地主手作は︑その農法・耕地保有形態が近世的であり・家族勢作輕誉であって︑ただ村役人諸特樫によって下人を使用するにすぎない︒彼等は︑近世的領主が近世本百姓の構成する近世的共同体を支配する必要から︑村役人諸特椹を与えられて残存せしめられたのである︒近世的村落は︑堀江氏のいわれるように︑かかる村役人層のかつての練馬農民のみによって構成されるのではない︒近世本百姓形成の基本的過程は︑中世名主の自己分裂の過程であり︑近世本百姓の主流はそれぞれの中世名主の家系に属するのである︒そして︑均等分家であるから︑同一家系内の本家・分家關係を支配・被支配關係と考えることはできない︒それ故︑村役人層をもつて﹁同族集團の頭﹂と考え︑奮名子主と奮名子との支配隷驕関係を︑村役人層H地主手作と近世本百姓との間に設定することはできない︒ 2 近世本百姓は︑近世的共同体規制の下で︑軍婚家族によ
る自給糎濟を菅む︒共同体規制の基軸は︑近世本百姓相互の耕
作規制・耕地規制であり︑それは近世的農法と近世的耕地保有
形態11零細錯圃との相互規定として現われる︒かかる相互規定
二C一.
1書 評1
の下では︑生産力の発展は︑耕地保有形態に直接規定せられざ
る派生的螢働過程の農法の発展及び基本的勢働過稚における耕
地保有形態をかえざる限りでの農法の改良としてのみ現われ︑
反常収量の漸次的増大という停滞的形態をうけとる︒そして︑
耕地保有者であると同時に耕作者である近世本百姓は︑自給経
済の基礎の上に︑それを前提として︑ ﹁消費余剰﹂の販売・金
納貢租納入のための農産物販売を行う︒堀江氏はかような本百
姓を小鶯業の前提としての﹁箪純商品生産者﹂と規定され︑
﹁農民的貨幣輕濟﹂を設定されるのであるが︑﹁消費余剰﹂の
販一︑一死は︑近世本百姓が共同体規制の下に自給経済を醤むことを
示すにすぎない︒
近世本百姓は︑かかる商品流通未発展の段階に規定されて︑
また︑生産力発展の近世的形態に規定されて︑直接に螢働力の
量・質の攣動にもとずく︑停滞的な分化をとげる︒上昇する本
百姓は︑経管規模を擾大するが容易に下人を使用することがで
きない︒この段階では︑近世的下人は︑一定の貢租を前提すれ
ば下人給銀を相殺する程の剰余生産物を生産しえないのであ
る︒すなわち︑近世本百姓は︑家族螢作纏密としてしか存在し
えないのである︒上昇する本百姓が下人を使崩しうるのは︑村 二〇二役人として︑村役人得分によって下べ給銀による損失を相殺しうる場合のみである︒したがって︑村役人U地主手作に纒管規摸の限界が存在し︑それ以上への経管癬︑模の揚大は零落する本百姓から供給される隷馬農民を所有することによってのみ果され︑その離島農民は急速に近世本百姓として自立し︑近世的領主と近世本百姓との関係が再生産される︒零落する本百姓はこの段階では︑貢租の外に小作料を支梯うことができず︑村落外に歓落するか︑地主手作の下に隷属するかの方向をたどる︒したがって︑これこそ近世幕藩体制の基礎たる近世的共同体を維持し︑かっこれを再生産し︑これに照応するところの近世的体制を再生産する分化なのであって︑決して﹁農奴主的纏誉に結果する分解﹂ではないのである︒ かような近世的分化の設定は︑地主手作目村役ぺ層が近世本百姓の分化によって形成されたこと︑中世名主の残存として成立した地主手作U村役人も本百姓の分化によって形成されたと規定しうることを明かにするとともに︑その本質が近世本百姓と同様に家族螢作纏螢であることを示している︒また︑地主手作が︑近世領主に志向するが故に近世領主の共同体支配の尖端
に位置するとともに︑上層近世本百姓として他の本百姓を代表
することを理解できる︒中世名王の幾存とし〜︑.の村役人n地主
手作の諸特灌は︑その世襲性の故に強化されるが︑これは右の
近世的分化の停滞性にもとずく︒この強化された諸特禮は︑本
百姓頼互の共同体規綱を維持する方向に作用するのであり︑決
して近世本百姓を支配しこれを隷馬させる方向に作閉するので
はない︒また︑近世本百姓はその所持石高に応じて採草地を占
有しており︑また水利に関しても︑村役人ロ地主手作が水口を
押えている嘉賓は存在しない︒ したがって︑ 水田は水と草と ヤ ヤ ヤ ヤ やを合体しなければ全力能を発揮しえないとはいえ︑この段階で
ゆ︑少くとも本百姓内部においては︑水と草との麦酎を基軸と
するヒエラルキッシュな関係はないと考える︒だからして︑村
役ぺ層の﹁共同体的支配﹂は存在せず︑﹁擁濟學的範疇﹂とし
ては︑近世本百姓と﹁村落支配者﹂とを区別することはできな
い︒かくして︑この段階における本︑百姓と﹁村落支配者﹂層と
の間の︑貢租の不正を中心とする村方騒動をもつて︑幕藩体制
の一︐從驕矛盾の表現﹂とすることはできないのである︒
3 本百姓の消費余剰の販売は︑貢租の商口叩化の場合とは異
ヤ ヤ やなり︑都市の特権的な商工業者に直接に從馬している︒この段
階では︑村落には自給纏濟が支配的であり︑消費余剰は遠隔地
一堀江英一著﹁明治維新の社倉構造﹂一 たる都市のみに販売されざるをえないからである︒反當収量の停滞的な増大という形態での生産力の発展は︑消費余剰の販売を漸次的に増大せしめ︑やがて狭隘な都市市場の購買力と矛盾するに至る︒ 各村落の間に競孚がおこり︑良質の一︑特有農産物﹂を生産し︑販売する特産地が形成される︒特産物は︑消費余剰の場合と同様に︑都市特権商人の手を通じて都市に販売されるが︑同時にまた︑その手を通じて他の村落の自給経済を部分的にほりくずしてゆく︒かような︑特厳物を中心とする市場圏は・依然として遠隔地市場圏であり︑特産物の販売は都市特纏商人の支配下におかれているの募る.したがって堀琵のいわれる﹁國内市場﹂は﹁地域的分業﹂を含むとはいえ︑ブルジη一ア的意味でのそれではない︒ 特産物の販売は︑本百姓を恒常的商品流通にまきこむ︒生産力は発展するが︑しかしそれは︑存続する零細錯圃に規定せられて︑主として購入肥料の使用にもとずく反當収量の増大として現われる.したがって︑この段階での基本的階層たる蜜庸は︑前段階のそれとは異なり︑商品作物を販売するけれども︑共同体規制・零細錯圃に規定されている故︑ ﹁小管業﹂目﹁民富﹂口﹁胎芽的利潤﹂箏.を適用されえない︒ 二∩コー一一■﹂一
一書 評i
かような中農層は︑自己の生産を特産物の生産に特化せしめ
る傾向を有し︑したがって村落内部に社倉的分業並びに商品流
通を展開せしめる︒しかし︑かような自給纏濟の分裂は特産物
によってもたらされたのであり︑自給経済の各契機が樹等な資
格で分裂し︑相互に劉等な商品生産者を形成するブルジ・ア的
﹁社倉的分業﹂ではない︒けだし︑ブルジ﹁.ア的社會的分業成
立のためには︑螢働の生産性の著しい上昇が前提されるのであ
るが︑この段階では︑それが零細錯圃に規定されて不可能だか
らである︒
特産物を中心とする恒常的な商品販売は︑村落内部に在郷商
人を形成し︑またその特産物を加工する在郷加工業が形成され
る︒しかし︑これらは︑特産物を中心とする市場が遠.隔地市場
の形態をとることによって示されるように︑都市の特樺的商工
業に從驕せざるをえないのである︒特産物を中心とする農民の
商品経済の展開は︑都市の特権的商工業の基盤を構成し︑かれ
らをして生産物的代を基盤とする近世的領主に封抗せしめるの
である︒非自立的な在郷加工業は︑その各部門に分裂するが︑
この加工業の成立及び分裂は︑決してブルジョア的社倉的分業
の成立を意味するものではない︒これは︑特産物を中心とする 二〇四
市場圏に照応する社倉的分業なのである︒
恒常的商品流通の展開は︑特産物を販売する本百姓の分化を
激化する︒近世的分化の停滞性は否定される︒したがって村役
人の世襲性も否定される︒中農層から上昇する本百姓は︑いま
や容易にド人を使用しうることになる︒反蟷収量の増大という
近世的形態の下であれ︑生産力が発展して︑一定の貢租の下で
は︑下人が下人給銀をこえる余剰農産物︵主として畑作による︶
を生産しうるからである︒しかし︑かような新たな地主手作纏
膏においても︑纏鶯規模の限界は存在する︒それほ以下の三点
による︒第一に︑使用する下人籔に比例して︑下人の生産する
剰余はふえてゆくが︑農家纏管の絡支出に比較しては︑剰余の
増大率が減少してゆく︒ 第二に︑決定的には︑耕地の分散性
!耕地規制の下にある一に規定されて︑纏畳規模を擾大す
ればする程︑軍位面積あたりの所要劣働力数が増大してゆく︒
第三に︑耕地の一筆面積の零細性!耕地規制の下にある一
に規定されて︑基本的螢働過程における新しい勢働手段の採用
H螢働生産性の著しい上昇が不可能であり︑脛管規模の摘大に
よって反當所要螢働力籔を減少させることができない︒地主手
作が︑家族勢作纒管としての性格を否定しえないのはこのため ︑
である・聖手作がか考藷讐の下翼常に饗規模姦
夫しえた特殊事例は︑それが異常な好況に恵まれたことを示す
にすぎない︒在郷商人であり︑加工業者でもあるかような地主
手作は︑その商業・高利貸機能によって土地を集積するのであ
るが︑右の限界経管規模に規定されて︑経管規模を旛大するこ
とができない︒他方において︑.零落する本百姓は︑近世的形態
における生産力発展による反當収量の増大で︑貢租以外に小作
料をも負澹しうるに至っている︒ かくして︑﹁地主手作を中
核﹂として︑地主・小作関係が必然的に展開してゆく・すなわ
ち︑地主口﹁マニュファクチュア﹂と小作U﹁プロレタリア﹂
との関係が形成されてくる︒なお︑零細錯圃に規定される限界
経管規模は︑村落内における﹁分業﹂の展開による笏賃の高
騰︑遠隔地市場の形態H特椹商人への從馬に規定される﹁農民
必需品の割高﹂によって次第に縮少してゆくし︑また︑好.不
況によって動揺するであろう︒
右の如き分化は︑近世的共同体規制n零細錯圃を前提とする
点で︑さきの近世的分化と同様なのであるが︑これは︑近世幕
藩体制を再生産する分化ではなく︑近世幕藩体制にとって異質
的な・地主・小作関係を再生産する分化である︒この分化によ
1堀江英一著﹁明治維新の社倉構造﹂1 つて︑近世的分化の基礎の上にたつ近世幕藩体制は危機にたつのであり︑新たに再生産される地主・小作関係は︑新たな権力形態を要求するのである︒また︑この分化は︑近世的領主と近世本百姓とを再生産するのではなく︑村落内部にはじめて異質的な階駈を形成するのである︒すなわち︑共同体曲譜機利を持たざる小作人層とそれを有する寄生地主とが形成される︒近世本百姓の耕地保有者としての性格と耕作者としての性格が寄生地主と小作人とへ分裂するのである︒共同体規制は︑耕地保有者であり共同体的諸禮利を有する地主相互を規定すると共に︑耕作者にして諸樫利を有せざる小作人に強制される︒かような地主的強制は︑水と草との地主支配によって補完される︒けだし︑寄生地主的分化は山林の集中をおしすすめ︑用水管理を地主の手に集中するからである︒ブルジ・︑ア的分解は︑共同体的諸権利を有せざる耕作者としての小作人のうちからはじめて展開しうるのであるが︑この段階では︑小作人の上昇は自作農.寄生地主へ結果するのであり︑小作人が掲自なブルジ・ア的分解をとげる條件は存在していない︒ 右の私の見解よりして︑堀江氏の論理構造に封ずる以下のような疑問点が生ずる︒第一に︑限界脛営規模を有する地主手作 二〇五■
!書 評一
纏営を︑氏のように﹁ブルシコーア的脛宮﹂と規定することはで
きない︒第二に︑この寄生地主的分化を︑地主手作11﹁ブルジ
・ア的経営﹂を形成する近代的分化と︑寄生地主を形成する分
化との︑ いわゆる二つの途に区別することはできない︒ 第三
に︑地主手作の解体は︑地主手作の限界経営規模の縮少を意味
するのであるから︑地主手作の解体でもつて寄生地主制の成立
を示すことはできない︒ 第四に︑ この段階を﹁小営業段階末
期﹂と規定することはできない︒第五に︑村役人層の寄生地
主化を︑中農層の分化によって形成される寄生地主と区別する
ことはできない︒宮津藩の如き︑米の商品化によって︑停滞的
な寄生地主的分化が進行する所では︑奮來の一地主手作U村役人
が寄生地主化するのであるが︑この場合でも︑村役人を猫自な
階層として措定することはできない︒第六に︑﹁封建的危機﹂
はブルジ.ア的発展によってもたらされるのではない︒領主的
剰応は︑貢租の商品化という点で領主と共生しつつも︑特産物
市場圏・地主商人けマニュを支配する点で領主と封立する都
市特権商人によって代表される農民の特産物販売・寄生地主的
分解への領主の対応である︒地主手作の維持︑地主H在郷商人
のだきこみ︑都市特椹商人の株仲間への編制・専売制度・藩嘗 二〇六
マニュの経営は︑みなこれを示している︒第七に︑明治維新に
よって承認された﹁農民的土地所有﹂は︑寄生地主的分化の自
由を意味するにすぎない︒第八に︑地主巨マニュにおける寄生
地主的土地所有はブルジ.ア的発展の所産ではなく︑この﹁マ
ニュ﹂は﹁資本主義の発展段階﹂ではない︒明治維新によって
成立した椹力は︑都市特椹商人の基盤としての地主Hマニュを
自己の権力の基礎にしたのである︒
右の私の観点から︑惣百姓一投をみれば︑それが︑都市特椎
商人を攻撃するのは︑彼筆が領主の専売制度にくみこまれてい
るか︑その市場構造によって暴利をえている場合に限られ︑そ
の市場構造自体の攣革を要求しないのである︒ ﹁商品の自由﹂
の要求も︑他地方の都市特灌商人との取引の自由を要求するの
であって︑市場構造にふれないのである︒むしろ︑この一揆の
先頭に立つ地主hマニュは︑ この市場構造を領主権力から守
り︑寄生地主的分化の自由を要求して︑近世的領主に劉立する
のである︒ 彼等が下士と結んで明治維新の主体となるのは︑
﹁下から押しあげられた﹂ことにあるのではなく︑彼等の階級
的性格からする濁自の要求にもとずくのである︒ 世直し一揆
は︑在郷の買占商人・高利貸攻撃としては︑零落する中農層の
地主ロマニュに劉する反目と︑小作人の地主に劉する反抗なの
であって︑この段階では﹁ブルジョア革命﹂としての性格をも
つことはできない︒けだし︑寄生地主的分化のみが存在しうる
からである︒世直し一揆が惣百姓一揆に從属するのはこのため
であり︑ ﹁中農層の未熟﹂とはこれを意味するのである︒しか
し︑かような地主巳マニュの攻撃は︑地主ロマニュをして︑彼
等の村落共同体支配のためにますます自己の灌力の確立を要求
せしめることは確かである︒
以上が︑ 私なりの︑ 堀江氏の論理構造に封ずる疑問点であ
る︒ することができなかった︒したがって︑それぞれの基本視点に
ついて︑それぞれ疑問を提出することに止めざるをえなかっ
た︒なお.氏のすぐれた政治過程の分析から實に多くの御教示
をえたのであるが︑それについてはここではふれることができ
なかった︒私の浅學のために︑氏の見解を著しく歪めてしか理
解できない箇所があったかもしれないが︑それについても︑御
寛容をこうほかはない︒
四
以上の疑問点を要約すれば︑以下の二つにつきる︒第一は︑
氏が明治絶封主義を﹁ブルジョア的発展の所産﹂として把握さ
れる基本視点への疑問であり︑第二は︑氏が村落共同体規制を
村落支配者層と一般本百姓との支配・被支配関係として把握さ
れる基本視点への疑問である︒氏にあってはこの二つの基本視
・点がはなれがたく結びついている︒しかし︑私には︑この二つ
め視点が︑氏においてどのように統一されているかを遂に理解
一堀江英一著﹁明治維新の社倉構造﹂− 二〇七