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化学と生物 Vol. 52, No. 12, 2014
好アルカリ性細菌の K + /Rb + 駆動型べん毛モーター
第三のイオンで働くナノマシンの発見
好アルカリ性細菌は,pH 10付近の高アルカリ性環 境で良好に生育し,一般にナトリウムイオン(Na+)を 要求する .この説明は,今から25年前に筆者が東京工 業大学の掘越弘毅先生の研究室に入り,好アルカリ性細 菌の研究を始めたころから現在に至るまで教科書や専門 書などでよく見かける文章だ.その当時,好アルカリ性 細菌が生産する菌体外酵素は,すでに洗濯物の汚れ落と し効果を向上させるために洗剤に添加されていたり,安 価なデンプン原料からの付加価値のあるサイクロデキス トリンの大量生産に利用されていたりと工業的に有用で あると注目されていた.
筆者自身も好アルカリ性細菌,特に研究対象であった 好アルカリ性 属細菌の生育には,Na+が必要な のだと漠然と考えていた.高アルカリ性環境は,大腸菌 や枯草菌など好中性細菌がエネルギー産生に利用するプ ロトン(H+)駆動力が利用しづらい環境であり,この ような環境に生息する好アルカリ性細菌は,細胞内外の Na+の電気化学ポテンシャル差(Na+駆動力)を利用し て細胞内pHを外環境よりも低く維持している.
ここで話を多くの細菌がもっている運動器官であるべ ん毛モーターに移す.べん毛は,図1に示すようにモー ターに相当する基部体,フィラメント状に細胞外に伸び たべん毛繊維,そしてそれらをつなぐユニバーサルジョ イントとして働くフックから構成されている.モーター 部分は,さらに回転子と固定子に分けられる.モーター に組み込まれた固定子の中を通って共役イオンである H+やNa+が流入することにより固定子の細胞質側の ループ領域と回転子複合体のFliGタンパク質のC末端 側が相互作用してモーターが回転すると推定されてい る.つまり,固定子部分が,イオン駆動力を回転力に変 換するエネルギー変換ユニットとして機能する重要な部 品となっている.
大腸菌は,H+で駆動する周べん毛をもち,固定子複 合体であるMotA/MotBがMotA : MotB=4 : 2として複 合体を形成している.海洋性ビブリオ属細菌は,Na+で 駆動する極べん毛とH+で駆動する側べん毛をもち,固 定子は,それぞれ,PomA/PomB複合体とMotA/MotB 複合体と呼ばれる.好アルカリ性細菌のべん毛モーター
がNa+で駆動することは,すでに1980年代に報告がな されていた(1).しかし,そのべん毛モーター固定子遺伝 子は同定されていなかった.2004年に筆者の研究グ ル ー プ が,好 ア ル カ リ 性 細 菌 OF4株より固定子遺伝子を同定し, / (pH and Sodium) と 命 名 し た(2).MotP/MotSは,MotA/
MotB, PomA/PomB複合体とそれぞれ30%程度の相同 性がある.
さて,膜タンパク質である輸送酵素やイオンチャネル のイオン選択性の解明というのは,たいへん興味深い テーマである.F1Fo-ATPaseや電位駆動型のK+チャネ ルやNa+チャネルでは,分子レベルでイオン選択性の 研究が進んでいる.べん毛モーター固定子の場合,いま だにその複合体の結晶構造が解かれていないのでイオン 選択性について分子レベルでの議論ができていない.そ んななかで,果たしてべん毛モーターの共役イオンは,
H+とNa+だけなのか? 電位駆動型チャネルのように K+で駆動するべん毛もあってもいいのではないかと考 えた.中性付近で生育する微生物にとってH+はありふ れたカチオンであり,進化の過程でもH+を第1に生命 活動に利用することが優先されると推察される.しか し,好アルカリ性細菌が生息する高アルカリ性環境は,
中性環境に比べてH+が利用しにくい.前述のように好 アルカリ性細菌は,このような環境でNa+駆動力を利 用している.実は好アルカリ性細菌の中には,K+があ ればアルカリ性環境で生育できるものもいる.これは,
青野らによって報告されていた(3).また,昆虫の腸内か ら分離された好アルカリ性細菌は,K+要求性を示すも のが多いようである.ヒトの排せつ物から分離された好 ア ル カ リ 性 細 菌 Vedder1934は,
K+が存在すれば高アルカリ性環境で生育が可能であ る(4).逆に,Na+のみを含む培地での生育が非常に悪 い.このことは,この細菌が,高アルカリ性環境でK+ サイクルを利用して生育していることを示唆している.
この菌のもつべん毛モーター固定子は,MotPS型で あった.しかし,Na+駆動型のMotPSに特徴的なイオ ン選択性に重要であるMotSの膜貫通領域に存在するロ イシン残基は,この菌のものではメチオニン残基であっ
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た.そこで,この菌の固定子(Balc-MotPS)を解析す ることとした.Vedder1934株は,遺伝子操作が確立さ れていなかったので,Balc- 遺伝子を大腸菌の固 定子欠損株に発現させた.すると,その運動性を相補で きた.そこで,このモーターを遺伝子工学が容易な大腸 菌の系で解析した.その結果,このモーターは,MotPS 型固定子なのでNa+を利用できたが,それ以外にK+や Rb+が存在すればべん毛が回転することがわかった.先 ほどのイオン選択性に重要な部位をメチオニン残基から ロイシン残基に置換するとK+やRb+が利用できなくな り,Na+駆動型のモーターに戻ることもわかった(図 2).
これまでの研究からさまざまなタイプのべん毛モー ターが発見された.自然界での微生物進化の過程で新し いモーターが創成されたと考えると興味深い.たとえ ば,好 ア ル カ リ 性 細 菌 KSM-K16は,
Na+を共役イオンとして利用するように進化したH+型 のMotABをもっている.この菌にとって,H+に特異的 なH+型固定子はアルカリ性環境での遊泳に不利であ る.そこで,この菌は,高アルカリ性環境に適応するた めにH+型固定子を進化適応させ,高アルカリ性環境で は,H+の代わりにNa+を共役イオンとして利用するよ うにしたと考えられる.また,先ほど紹介した
は,Na+型のMotPSをもっているが,K+が 豊富に存在する高アルカリ性の腸内環境で生育する過程
で,K+を利用できるように適応進化したと考えられる.
このようにそれぞれの微生物の生息環境に適応して,そ の運動器官であるべん毛モーターが新しいものへと進化
(深化)したことはたいへんに興味深いことである.こ れまで,微生物のべん毛モーターは,H+かNa+で駆動 すると考えられてきたが,今回,第3のイオンで駆動す るものが発見されたことは,今後のべん毛モーター研究 に多様性をもたらしてくれると考えている.地球上には さまざまな過酷な環境(極限環境)が存在し,そのよう な場所から多くの極限環境微生物が発見されている.今 後,これまで調べられていない環境から未知の微生物が 分離され,それらがもつ第4, 第5のイオンを利用するべ ん毛モーターが発見されても不思議ではないのではない か.また,それらの遺伝情報を利用して新たな生体ナノ マシンの創成ができる時代も近いのではないかと期待し ている.
1) N. Hirota & Y. Imae: , 258, 10577 (1983).
2) M. Ito, D. B. Hicks, T. M. Henkin, A. A. Guffanti, B. D.
Powers, L. Zvi, K. Uematsu & T. A. Krulwich:
, 53, 1035 (2004).
3) R. Aono & K. Horikoshi: , 129, 1083 (1983).
4) N. Terahara, M. Sano & M. Ito: , 7, e46248 (2012).
(伊藤政博,東洋大学生命科学部生命科学科)
図1■グラム陽性細菌のべん毛モーターの概略図
固定子であるMot複合体は,イオンチャネルとして機能し,チャ ネル中をイオンが通過するときにべん毛の回転子を回転させる駆 動力を発生させると考えられている.Mot複合体は,4つのMotA 型サブユニットと2つのMotB型サブユニットからなり,回転子の 周りに11個程度埋め込まれている.
図2■環境に応じてNa+とK+とRb+が利用できるハイブリッ ド型モーターとNa+しか利用できなくなった退化型モーターの 概略図
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伊藤 政博(Masahiro ITO)
<略歴>1994年東京工業大学大学院理工 学研究科化学工学専攻博士後期課程修了
(博士(工学))/同年マウントサイナイ医 科大学研究員/1997年より東洋大学生命 科学部教員,現在に至る<研究テーマと抱 負>未知なる極限環境微生物の機能を明ら かにすること,他人のやらない研究をする こと<趣味>観劇,海外旅行,美味しい料 理を食べること
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