4月23日 滋賀県蒲生郡蒲生町岡本 高木神社 ケトケト祭
本年は正月に鳥居にかけた勧請縄がまだ朽ちづに形を整えて残っていた。菜の花が美しい。伊藤さんとか言った 巫女神主に聞いた所によると昨夜 7 時頃、宵宮にはどうやら、みあれの神事のようなものがあるらしい。その憑代 は稚児といって、学校に行くまでの男の子である。
高木神社の宮座は幣の村、穂の村、今村、上麻生、下麻生の 5 つの宮座から成り、そのうち幣の村、穂の村、今 村は字岡本にあるが、上麻生、下麻生は神社を高木神社へ合祀した関係上、今日でも貰い祭りのような性格を持っ ている。例へば下麻生の一番尉に聞けば、下麻生の祭はもう今朝山部神社ですませて来たので、こちらの方は貰い 祭だという。それは別にして、この 5 つの宮座から年順に毎年高木神社の御神幸式を執行する座を決める。これを
「渡り」という。帯掛と稚児は何れも毎年渡りの座から出す。そのうち稚児は二番尉の家から出す。今年は穂の村 から渡りであるが穂の村の二番尉には適格の子供がいないので親戚の家の男の子を借りて来て、それを稚児に仕立 てゝ二番尉の家から出す。
扨宵宮の日であるが上麻生の旭野神社から神輿が高木神社へ渡御される。旭野神社は姫神様で、高木神社へお輿 入れされるのである。そこで高木神社の拝殿(兼舞台)では 5 座の神主(一番尉)が浄衣をつけて、旭野神社の渡 御をお迎えし(このお迎えは松明をつけ岡本神社の鳥居の所へ並んで迎える)、神輿を拝殿に入れると据えて神宮の 祭典の後、その神輿の下に筵を敷き、その上に稚児が天冠をつけたまゝ仰向けに寝かせる。これはどうも、みあれ の儀式らしい。
こゝでは魂入れの式という(この後で「七ツ酒」の儀がある。稚児の家からお肴と御神酒を出してなおらいがあ る)。而して今日の祭が行なわれるのである五座のしゅうしは正午頃から始まる。
それ以前に摂社の日吉神社の前に探湯の湯釜が 3 つかけられてあって、夫々の釜は鉾の村、穂の村、今村の湯で ある。その傍に大幣、小幣を立て、また掛帯を置く。幣は横長の距形の板に馬の絵を描いたもので、大幣は幣串の 青竹の長さ4m位、小幣の方は稍山型で青竹の長さ2m位。
帯はもと5座から全部出したらしい、現在は渡りの村からのみ出す。
しゅうしの席は定っている。正面鳥居から入って参道の左右に紺の幕を張りその幕の中の芝生でしゅうしがある。
右側の幕の中は神社の方に向って右側が幣の村、左側が穂の村で、両座とも、神社に近い方を上座として 1 列に両 座向い合って座る。最上座の1番神主の前方芝生の端に座幣という小さい白紙の幣をつき立てる。
左側の幕の中は3座。幕に近い方から今村、上麻生、下麻生で何れも幕の方に向って3列に座につく、座幣は芝 生の端に立てる。
各座とも座につくものは一番尉から二番尉という風に順番に着席するが、この順位は各村とも年令順で一番尉が 最年長者がなり、その年期は 5 年。一番尉及び二番尉のみは白衣、烏帽子、三番尉以下は平服であるが黒紋付袴が 多い。
しゅうしは各座に頭人があって、頭人が一切の世話をする。3献、まぜ飯(五目飯の椀盛)汁(味はぼうだら)魚
(じゃこ)の献立を本態とする。これは少し崩れている。又5座のうち、この座の制度を厳しく守っているのは幣、
穂、今の3村で上麻生、下麻生は厳しくは守っていないようである
ケンケト、7人子供は上麻生から出る。これがやって来ない間は神幸式は始められないという。
午後2時頃、1対の花笠(長さ2.5m位の花笠台、竹にて花を挿す。藁束を挟む)を先頭にその後に7人子供、ケ ンケトが 1 列に並び、次に囃太鼓が濃い色とりどりの造花を、菜畑の風に揺らせながらやって来るのである。鳥居 にさしかゝると 1 番後に居た太鼓役が太鼓役が花笠の前方に出て、鳥居を入った所で太鼓を囃す。これを合図にし ゅうしの席では紺の幕をはね上げて、入場を見守るのである。
このとき 7人子供はそのまゝ神社の神前に進むが薙刀振りは鳥居のところより楽に合せて1人づゝ間隔を置いて 薙刀振を見せる。