日本が政府開発援助(ODA)を開始して以来すでに58年、その間、世界システム は大きく変化するとともに、そのなかでの日本の位置やあり方も大きく変化した。
第
2
次世界大戦後の国際政治を大きく規定した冷戦は1990年代初頭には終焉し、世
界システムは冷戦後の時代に入った。経済的には、アメリカが圧倒的に優越した時 代(アメリカの覇権)は、1970年代には揺らぎをみせ始め、日欧の復興とともに経済 の多極化の流れが生まれた。冷戦終結前後において、グローバル化の流れはさらに 加速化し、21世紀の最初の10
年が終わった現在、世界システムは、数世紀単位の歴 史的転換点に立っているのではないか。この超長期の世界システムの大転換のなかで、「先進国」(北)から「開発途上国」
(南)への開発協力もまた、大きな転換点を迎えている。近年の欧州危機にみられる ような「先進国」の危機の解決が困難を極めるなか、「新興国」の存在感はますます 大きくなりつつある。ミレニアム開発目標(MDGs)の多くを達成しつつある途上国 もある一方、困難を抱えたままの「脆弱国」も存在する。新興国など援助する側に 回る国々が増え「南南協力」の可能性が増える一方、国際協力に関する考え方にも 多様性が生じている。開発協力は、大きな転換点にあるのである。
世界システムの変化、さらには開発協力を取り囲む環境の変化を前に、日本の
ODA
もまた、そのあり方を再検討する時期にきている。そもそも、世界システムの 変化のなかで、日本人自身の自国認識にも変化が生じてきている。世界第2
の経済 大国というアイデンティティーが維持しがたくなった今日、日本人の自国イメージ には不確定性が漂っている。世界のなかでの日本の強みと弱みは何か、どのような 戦略をとることが大転換をとげる世界システムのなかで日本に最も適しているか。このような問いに対して、日本人のなかにいまだコンセンサスはみられない。そし て、このような自己認識の揺らぎは、ODA政策に対する見方にも反映している。内 閣府が毎年行なっている「外交に関する世論調査」によれば、経済協力への支持は、
2002
年から2004
年あたりにかけて低迷し、その後若干回復しているものの、1980年 代や1990年代初頭のレベルには達していない(2)。日本のODA
政策は、世界システム の変化に対応しなければならないとともに、世界システムの変化のなかでの日本国Tanaka Akihiko
内の認識の変化にも対応しなければならない。
現在の世界システムの変化をひと言で総括することはなかなか難しい。かつて筆 者は、グローバル化と経済相互依存の進展とともに、主権国家とならびその他の非国 家主体(企業、非政府組織〔NGO〕、政府間国際組織〔IGO〕、非政府間国際組織〔INGO〕、 テロ集団など)が複雑に相互作用する、かつての中世にも似た「新しい中世」という 時代が始まりつつあるのではないかと述べたことがある(3)。このようなメタファー が適切か否かはともかく、いまや主権国家体系という観念のみで現代の世界システ ムを理解するのは困難になりつつある。しかも、この主権国家体系を世界大に推し 進めた欧米の経済的な圧倒的優越は終わりつつある。いくつものプロジェクション によれば、経済規模は人口規模におおまかに比例するような方向に動いていくとみ られている(4)。
言うまでもなく、このような世界システムの大変化は、システムすべての部分で 均質に進行しているわけではない。ある部分は、急速な経済成長をとげる一方、あ る部分は、停滞する。いまや世界システムの状態を俯瞰するのに、先進国と開発途 上国という二分法は不適切になった。開発途上国と言っても、「新興国」と言われダ イナミックに成長する国々と「脆弱国」と言われ内戦や貧困に苦しむ国々を同じカ テゴリーに入れて考えるには無理がある(5)。
このような世界システムの大転換は、開発協力の観念についても、根本的な見直 しを迫りつつあるように思う(6)。かつて開発協力は、進んだ「先進国」のハードウ ェアやソフトウェアを遅れた開発途上国に移転することであるとみなされる場合が 多かった。現在、急速に成長している新興国は、かつての先進国の経験をベースに 成長している面もあるが、19世紀や20世紀と異なる21世紀の科学技術や知識水準を 有効活用して成長している面も大きい。新興国とまで言えない途上国にとって、お そらく重視すべき経験は、19世紀や
20
世紀の先進国よりも、現在の新興国のそれで あろう。さらなる新興国は、現在の新興国とは異なるアプローチをとって成長する かもしれない。もちろん、今の新興国や今後新興国に成長するであろう国々にとっての課題もま たきわめて大きい。しかし、これらの諸国にとって隘路ないし陥穽となりうる要因 は、先進国においても十分克服できたかどうかわからない社会・経済・政治問題で あったりする。これらの国々において今後問題となりうる医療制度や年金制度の改 善は、先進国の制度を輸入すれば達成されるとは必ずしも言えない。先進国自身の これらの制度の欠陥がさまざまに明らかになるなか、このような制度改善を含む協 力は、相互学習・共同発見ということにならざるをえないのではないか(7)。
開発協力において「脆弱国」という概念が徐々に浸透してきたことは、開発協力 における現実主義の進展として望ましい。その結果、一方で「人間の安全保障」を
確保するためのさまざまな措置が必要であることの認識が強まるとともに、国内平 和と最低限の秩序を維持するための制度(機能する国家)の重要性が認識されてきた。
直接的な貧困削減や保健状況改善の措置とともに、これらの措置が長期に継続され ていくための制度の安定性が必要である。脆弱国のなかでも紛争後の社会において は、平和構築のさまざまな試み、とりわけ和解に寄与する試みが必要である。いず れにしても、このような措置を永続させる制度の安定性のためには、適切な人材が 存在しなければならず、制度が機能しつづける適切な社会インフラが存在しなけれ ばならない。つまりは、システムから作り上げていく国家建設が必要なのである。
そして、この試みもまた、かつて先進国が行なってきたことをそのまま移転すれば いいというようなものではない。21世紀の現代的状況において、さまざまな非国家 主体が相互作用するなかで、それぞれの場所に適切な国家建設を行なわなければな らないのである。脆弱性を克服するさまざまな試みは、新興国や他の途上国にとっ ても役立つ面があるし、先進国にとっても人ごとではない側面も存在する。この作 業もまた、相互学習・共同発見の道とならざるをえない。
日本の
ODAはどのように変わっていかなければならないのか
(8)。ひと言で言えば、上述のような世界システムの変化に適応したかたちで変わっていかなければならな いということである。新興国がより調和あるかたちで成長をとげ、政治的・社会的 緊張を生むことなく先進国化することを支援し(9)、その他途上国が新興国の経験を も受け継ぎつつ新たな新興国となり、脆弱国がその脆弱性を克服して経済成長の基 盤を確立していくことに役立つ
ODAを工夫していかなければならない。
具体的にはどうか。第
1
は、新興国の先進国化と新興国の勢いを面的に拡大し、他の途上国も巻き込んで成長に向かわせる試み、国を超えた地域の視点からの開発 協力である。典型的に言えば、インドネシア、マレーシア、タイ、そしてベトナム などのダイナミズムを東南アジア全体に拡大し、長期的には南アジアにまでつなげ ていくような展望である。他地域で言えば、南部アフリカや東アフリカなどでも同 様の発想が展開されるべきだろう。インフラ開発と言っても、国を超えたボトルネ ック解消に役立つものが必要になる。
第
2
に、新興国の経験を他の途上国に共有してもらい、さらに発展させる「南南 協力」、さらにここに日本や他の援助国も関与していく「三角協力」の推進である。ブラジルのセラード(熱帯サバンナ地帯)を大穀倉地帯に転換させた日本・ブラジル 協力の経験をもとに、モザンビークで「プロサバンナ」プロジェクトが展開されて いるが、これなど「三角協力」の典型である(10)。
第
3
に、相互学習・共同発見の道をさらに拡充することである。日本の援助は、技術協力に典型的にみられるように、人と人との交流を重視した人材開発にその特 徴のひとつがある。この点は、今後も継続していかなければならない。援助関係者
が直接現地に出向き、あるいは途上国の関係者に日本に「研修」にきてもらう。現 地におもむく専門家は、専門的知識を供与して、これが開発に役立つということが 基本である。しかし、さらに効果的なのは、日本の専門家と現地の人材の相互交流 の結果、技術や制度において共同発見が生まれ新しいイノベーションがおこること である。新しい大豆の品種が生まれたり、水産物の新しい養殖法が生まれたり、火 山防災や地震防災の新しい試みが誕生していくなどによって、人類に対する「知」
の貢献ができるであろう。気候変動問題解決のためのさまざまな試みや都市インフ ラの改善や社会制度の導入においても、今後、新興国やその他の途上国で行なう試 みは、かならずや日本やその他の先進国にも役立つものになっていく可能性が高い。
第
4
に、平和構築支援を継続・拡大していくことである。今後の深刻な開発問題 のかなりの部分は、脆弱国における開発をどのように達成するかということになる。日本は、2003年の
ODA大綱以来、明示的に平和構築を援助のひとつの柱としてきた
が、この方針は、世界の開発協力の現在の必要性にも合致し、しかも日本の安全保 障にも寄与する。必要な場合、自衛隊の行なう平和維持活動(PKO)とも協働して、紛争後国、紛争隣接国の平和構築支援を積極的に行なっていくべきであろう。
第
5
に、開発協力におけるさまざまなステークホールダーとの協力を重視するこ とである。冒頭述べたように、現代世界システムの一大特徴は、国家に加えてさま ざまな非国家主体の登場ということである。開発協力における国際機関やNGO
(市 民社会組織)との協調は言うまでもなく、企業との協力も積極化させる必要がある。有望なインフラ建設に
PPP
(Public Private Partnership、官民協働)を活用することができ れば、援助依存をおこすことなく経済成長を促進することができる。また、日本各 地の中小企業の保持するさまざまな技術やノウハウを開発に活かすことができれば、人と人の交流になるとともに、究極的には日本の中小企業の海外市場を増やすこと にもつながる。企業はじめさまざまなステークホールダーが国際的経験を積むこと は、日本社会全体の解決課題にも寄与するであろう。
21
世紀の世界システムは、開発協力の分野においても、多くの発想の転換を迫っ ている。開発協力は、言葉の真の意味でのco-operation、
「一緒に作業をすること」に ならなければならない。日本のこれまでのODA
には、この「一緒に作業をする」と いう側面はきわめて強かった。これを今後も伸ばすことが、現代の世界システムに 適合することになる。そして、「一緒に作業すること」は、日本人にとっても役立つ ことだし、やりがいのあることではないか。(1) 以下の本稿で述べることは、筆者の個人的見解であって、独立行政法人国際協力機構と しての見解ではない。
(2) 安藤直樹「開発援助の展望―国民の支持と日本の貢献」、GRIPS Discussion Paper, No.
11–30(National Graduate Institute for Policy Studies, 2012)参照。
(3) 田中明彦『新しい「中世」―21世紀の世界システム』、日本経済新聞社、1996年。
(4) 田中明彦『ポストクライシスの世界―新多極時代を動かすパワー原理』、日本経済新 聞出版社、2009年、82―106ページ。経済規模が人口規模に比例するようになるという観 測は、佐藤百合『経済大国インドネシア―21世紀の成長条件』、中公新書、2011年、4―
6ページ。
(5) 田中、前掲『新しい「中世」』では、現在「脆弱国」と言われているような国々をなん とか分析の視野に入れようとして、世界システムも「新中世圏」「近代圏」「混沌圏」の3 つの部分に分けた。「混沌圏」の国々が、現在では「脆弱国」と言われるようになった。
(6) 経済協力開発機構(OECD)開発援助委員会(DAC)の2005年のパリ宣言においては、
援助(aid)と援助国(donors)という用語が使われていたのに対し、2011年の釜山宣言で は、開発協力(development co-operation)と供与国(providers)という用語になっているが、
ある程度、筆者の言う変化を反映しているようにみえる。
(7) アジアの今後の成長について包括的に議論したアジア開発銀行のプロジェクトでは、
「中進国のワナ」が議論されているが、この「ワナ」は必ずしも中進国だけが陥るわけで はなく、先進国にとっても共通の課題という側面があると思う。Harinder S. kohli, Ashock Sharma, and Anil Sood(eds.), ASIA 2050: Realizing the Asian Century, New Delhi: SAGE, 2011.
(8) この点に関する最近の政府の検討としては、ODAのあり方に関する検討最終とりまと め「開かれた国益の増進― 世界の人々とともに生き、平和と繁栄をつくる」、外務省、
2010年6月(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/kaikaku/arikata/pdfs/saisyu_honbun.pdf)を参 照せよ。
(9) 新興国の成長が、政治的・社会的緊張を生むかどうかは、どちらかと言えば国際政治学 の研究課題であり、その対策としてODAのみがあるわけではない。ただ、開発協力の観 点で言えば、民主化支援、法整備支援などが重要な試みとなる。
(10) セラードプロジェクトについては、本郷豊・細野昭雄『ブラジルの不毛の大地「セラー ド」開発の奇跡―日伯国際協力で実現した農業革命の記録』、ダイヤモンド社、2012年、
参照。
たなか・あきひこ 国際協力機構(JICA)理事長 http://www.jica.go.jp/