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海洋化学研究 Vol.7.tif

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Academic year: 2024

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序 に 代 え て

藤 永 太 一 郎 *

平成 6 年 3 月 3 0 日、 赤坂プ リンスホテルで催された日本化学会第 6 7 春季年会懇 親会の 冒頭において、 筆 者 は1993年度 Robert Boyle Gold Medal をRoyal Society  of  Chemistry の分析部会長N e w m a n博十から受賞し ました 。

顧みますとこのたびの受賞は、タランタ賞 (1983年)、 学士院賞 (1986年)、日本化 学会名誉会員 (1990年)、ソ連アカデミー分析化学会議名誉会賞とクルナ コフ・ メダル

(1991年)、環境庁長官賞 (1991年)、叙勲 (1991年)に引き続く栄誉 であり、まこと

に有難いことであります 。 しかし、一方では戸惑う ことの多い受賞でありました 。 先ず、この受賞は全く唐突な通知から始まりました 。昨年の夏も終に近づいた頃、

王立化学協会秘書 Miss Hutchinson から「 当協会は 5 月1 2  H の会議で貴下 に第8 回 ボイル賞を授与する決定 をした 。受諾されるならば9 月6 日のエジンバラにおける

Euroanalysis VIIIの開会式の席上で授与 したい 。旅費と滞在費は協会が負担する 。 また

上記国際会議への登 録 と行事 参加の手続きも当方で行なうから同封のサーキュラーを 参考にして申し込んでほしい 。 尚、 5月1 3 日付の 会長公式書簡 が貴下 に届いていな いことを恐れ、私が改めて本状をご 自宅宛に送る次第 ・・・」との 書簡 が届いたので す 。後でわかったことですが、 上記文中の公式 書 簡 は前任校 に紛れ込んでおりまし た。普通このような受賞は推薦者の周辺などから漏れてくる前兆があるものですが、

今回 はそれが皆無でありました 。後にこれもわかったことですが、随分以前から、英 国化 学会の長老某先生が御推薦に なっていた 由で 、しかもその先生 は先年亡くなって おられるのです。わかったときにはもう授賞式まで間がない上に、昨夏は肝炎の所為 か、すっかり弱っておりました 。飛行機の予約と会議の登録も急ぎ行ないましたが、

結局医者の勧めもあって出席を取り止めることになったのです 。エジンバラでの授与 式は箪者不在のまま行なわれ、賞状が送られてくるとともに「日本のしかるべき 学会 の席をかりてメダルの伝達を行ないたい」と N e w m a n会長から 言 ってきました 。それ には、 「貴 下の受賞 はA. Walsh, I. P. Alimarin, I.  M .  Kolthoff,  H. Malissa,  E. Pungor, F .  

W .  McLafferety, E. Stahl に続く

8

人 目になるわけだが、このなかにも 病で授賞式に来

れなかった前例があり、心配しなくてもよい」とのな ぐさめがありまし た。 そのあと

1   0

月に日本分析化学会年会が広島で あ り、最適と考えられ まし たが準備が間に合わ ず、今回の日本化学会春年会での授与ということになりました 。 これは西 島安則会長

と中 西敦夫事務局長の格別の御芳 配がありましたお 蔭であり ます 。

授与式では、司会者からボイル賞授与式を行なうに 至っ た経緯の説明があった後、

西島(先任)会長 が 「懐疑の化 学者 ロバート・ ボイル (1627 1691 )  』について解説 された後、本賞の由 来について紹介、次いでN e w m a n会長が筆者の分析化 学 、特にボ

*  (財)海洋化学研究所所長

(2)   海 洋 化 学 研 究 第7巻第1号 平 成64

(2)

ルタンメトリーにおける研究業績と授賞理由について述べました。そのあと 筆者が紹 介されて壇上に上りメダルを頂戴した次第です。メダル受領のあと筆者は、賞の性格 に鑑み英語で挨拶しましたが、来賓で出席されていた王立協会会員 West 教授夫妻、

N e w m a n会長など多くの参会者が喜んで下さいました。その概要は次のとおりです。

1993年度ボイル賞を王立化学協会から受賞したことは大変光栄であり、感謝にた えません。このような素晴らしい賞が戴けるとは予想もしていなかったが、これは多 分、日本の化学者が全体として近代分析化学、特にボルタンメトリーの領域に対して 大きな 貢献をしたことが 貴協会によって評価されたものであろうと息います。さて、

このメダルをこうして持っていると、メダルから誰かが『化学者よ、懐疑的であれ』

といっているのが聞こえてきます。 『懐疑的であることが今

H

はど大切なときはな い」といっているのです 。大切なことが最後になりましたが、 N e w m a n会長が親しく メダル伝逹のために御来日下さり、また、井口ならびに西島両日本化学会会長がこの 立派な式場をご用意下さいましたことに、厚く御礼申し上げ ます 。本当に有難うござ いました。」

さて、このボイル賞ですが、王立化学協会がこの賞を設定したのには、次のような 事情があってのことであると 言 われています 。今世紀半ばまではノーベル化学賞はむ しろ分析化学者に多く与えられてきたのですが、戦後次第に同 賞 は実用評価に傾き Martin (1952年)、 Heyrovsk

(1959年)以

l

麟包えて受賞者が出なくなりました。特に英国

では Walshが原子吸光分析法を創始したとき、何人もが彼の受賞 を信 じたのですが遂

に実現しませんでした 。 この事 が直接の動機となってボイル賞が創設され、先ず彼に この賞を与えることによって、この賞自体の性格と評価を期したというのです。英国 王室 も彼に Sir の称号 を贈り協力推進したのでした 。

このような事情はわが国でも似ておりまして、志方先生にノーベル 賞 を期待したの ですが実現しませんでした 。日 本 化学会賞 すら次第に分析化学者の受賞は難しくな

り、同様の意固で、 I::1本分析化学会賞 が設定されたといってよいと思います 。 科学表彰自 身もその評価が直ちに得られるとは限らないことは、最近わが国に設定 されたいくつかの 巨大国 際賞 をみても明らかです。それにしても、比較にならないほ ど小規模の 当研究所の 学術 賞 でありますが、この賞は『石橋賞』と呼ばれて、石橋雅 義先生の御業績を背景にして既に国際的に名の知られる評価が得られるようになって います 。御同炭にたえないところであります 。

Transact̲ions ̲  of T h e  Research Instih1te ̲o̲f  (3)  Oceanochemistry Vol. 7, No. 1, April 1 9 9 4  

Referensi

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