*a 福島大学附属特別支援学校 *b 福島大学人間発達文化学類
特別支援学校の生徒が社会に出て働くようになったとき,体力がないために一日働き通すことが できず,力を発揮して仕事を継続できないということがある。中学部段階の生徒が成長期にあると いうことだけでなく,この点からも生徒たちの体力つくりは重要になる。そこで,毎朝生徒たちに 運動する場(朝の運動)を設けた。ところが,朝の運動を継続する中で徐々に,生徒が何かができ るようになったり,挑戦したりして喜ぶなど生徒の生き生きした姿が見られなくなっていった。ま た,一方で各運動のねらいを教員間で共有できず,戸惑いも生じてきた。これらを打破しようと大 学教員との連携による実践を試みた。本稿は,特別支援学校中学部における「朝の運動」に関する 実践報告である。
〔キーワード〕朝の運動 特別支援教育 大学との連携
特別支援学校における保健体育「朝の運動」の試み
―特別支援教育の枠を越えた大学との連携―
1.はじめに
福島大学附属特別支援学校中学部(以下本校)は,
毎年1~3学年全員でほぼ15名程度の集団で,知的障 害のある生徒たちが通学している。男子の割合が多く,
体格,運動面だけでなく,コミュニケーションや学び 方などにおいても生徒一人ひとりの実態が大きく異な る集団である。「朝の運動」の取り組みは平成18年度 半ばに始まり,現在もなお続いている。
「朝の運動」は,一定の成果を上げる一方で,私た ちに種々の課題(改善点)も投げかけてきた。それら の課題を教師間で共有しながら,課題解決に向けた「検 討→実践→検討・・・」を積み重ねた結果,当初のね らいの他に,大学教員と連携したことによる多くの成 果を残した。
「朝の運動」の発展過程は,当初の意図にはなかっ た教師の実践力,指導力を研く場としても機能したの である。その契機となった事例のいくつかを紹介して いきたい。
なお,「朝の運動」の発展過程を本校教員のみによ る実践段階(開始期)と大学教員との連携による実践 段階(発展期)の二期に分けて整理した。本稿では,
大学教員との連携の中で進めてきた実践(平成21年度 後半から平成22年度まで)を中心に,各本校教員の実 践,感想を集約し,その成果を主として半澤がまとめ た。なお,7-⑵については,菅家が執筆した。
2.「朝の運動」開始までの経緯
「朝の運動」を実施する以前,中学部では,週2回 の体育の他にも朝,マラソンを行っていた。しかし,
平成18年半ば頃から,以下の理由により,改めて運動 を重視した取り組みを行うことになった。
⑴ 発達段階
中学生の時期は体ができあがる重要な時期であり,
この時期に運動をすることは今後生きていく上での体 力を培うことでもある。また,思春期に入った生徒た ちにとってみんなで体を動かすことはエネルギーの発 散の場ともなると考えた。これらの点においては,本 校に通う生徒と普通学級に通う生徒の間に大きな違い はないととらえている。しかし,情緒の安定という点 では若干異なっている。本校生徒の場合,思春期特有 のあふれるエネルギーの行き場がなかなか見いだせな かったり,心や体の変化に戸惑ったりしているだけで なく,普段から自分の気持ちや考えを適切に言葉で表 現できないでいることが多い。そのため,いらいらが 不適切な表現として表れてしまったり,不安定な気持 ちになってしまったりすることがある。
朝のマラソンに取り組んでいる中,私たちは,一日 の学校生活の中で気持ちが不安定になりがちだった男 子生徒Aの変化に気づいた。Aが,一日を安定した気 持ちで過ごすことが多くなってきたのである。その理 由を探っているうちに,次第にそれは担任と共に一定 のペースで3㎞ほど走る毎朝のマラソンの成果ではな いかと考えるようになった。彼は,幼少の頃から家庭 で歩くことを重視していたため歩行経験が積み重ねら れており,走ることも嫌いではなかった。そこで担任 がペースメーカーを務めてマラソンをするようにした ところ,一定のペースで長距離を走りこなすように なっていた。マラソンをした日としない日との彼の気 持ちの安定に違いがあることへの気付きは,私たちに 改めて運動に目を向ける誘因となった。
⑵ 卒業後の姿
企業や作業所等の方々から学校教育に望むこととし て,あいさつができることと一日働き通せる体力をつ
冨田 篤*
a,津金 令子*
a,堀内 順子*
a,渡辺 祐子*
a,田代志津子*
a半澤 敦司*
a,菅家 礼子*
b,大平 健*
a,小野 絵里*
a,小野 周平*
aけること,という二点が上げられていた。体力のなさ から健康面がすぐれなかったり,自分の力を発揮し続 けることができなかったりすることは,生徒たちが卒 業後,可能性があるにもかかわらず,やりたい仕事を 自分が満足のいくようにできない状態を作り出してし まうことになりかねない。このことを別の見方をすれ ば,私たち教師が生徒に対して保障すべきことを保障 していない,ということになりかねない。学校体育に おいて体力というと,毎年文部科学省によって報告さ れる体力測定結果の数値を参考にしたコメント等が出 される。しかし,特別支援学校において体力とは,な いよりはあった方がいいという問題ではなく,卒業後 の生活,人生に直接的に関係してくるもっと根源的な 意義に目を向けていくことが必要である。
⑶ 生徒の生活環境
本校生徒の運動する機会は,学校での体育のみとい う場合がほとんどである。外出はそれほど多くはなく,
多くの生徒は車で移動しているため,歩く機会も少な い。地域のスポーツ団体等に参加している生徒は例年 1名程度である。
また,今日のように夫婦共働きの時代では,家庭に おいて運動の機会を設けることは,現実的に難しいと 考える。したがって,学校での体育が唯一の機会と言っ ても過言ではないのが実態である。
3.開始期の「朝の運動」 (平成18年4月~)
⑴ 教育課程の見直し
生徒の実態から運動を継続的に行うことが望ましい と考え,体育の時数を増やし,毎朝,体育として運動 の時間を設定することとした。これが「朝の運動」の 取り組みの最初である。毎朝行う運動では,生徒の体 力向上を目的として行い,週2回行っていた体育の授 業ではサッカーやフライングディスク,卓球等,様々 な種目を体験し,各種の運動の技能やルールを身に付 けていくことを主な目的として行うよう位置づけた。
⑵ 運動内容の検討
「朝の運動」で行う運動選択に際し,まず私たちが 願ったことは「長時間立って活動ができるようになっ てほしい」,「せめて本校と福島駅を往復する距離(3
㎞程度)は歩き続けることができるようになってほし い」ということである。それは,校外に出かける活動 や立って行う活動をしているときに,すぐに座り込ん でしまったり,疲れてきて気持ちが不安定になってし まう生徒が多かったからである。
このことより,まず足腰の強さや持久力を養うため の運動を取りいれることを真っ先に決めた。その他,
腕立て伏せの運動,腹筋運動,背筋運動,ミニハード ルを用いた走運動,エアロビック体操などを行うこと にした。また,生徒の運動力の差が大きいという実態 から,バランスボールを活用して負荷を加減したり,
運動の量に幅を持たせるなどの工夫をし,個に応じて 運動を行えるようにした。
4.開始期の成果と課題
⑴ 成果
① 気持ちの安定
体力や運動能力,運動や活動に対する興味関心だけ でなく,知的障害のある生徒たちは気持ちの安定や物 事へのこだわりにおいてもそれぞれ大きな差がみられ る。特に気持ちの安定という点では,生徒が「この運 動ならできそうだ」という見通しを持てているかどう かが重要であるが,それだけでなく,その日の体調や 気分によってもかなり違っている。気持ちが落ち着か なかったり,気分がのらなかったりすると,運動に取 り組もうとはしない。「朝の運動」を始めたばかりの 頃は,活動の時間中ずっと他の生徒の運動する様子に 目をやることもなく床に座ったまま過ごしたり,気持 ちが安定せず,活動場所を離れていってしまう姿がよ く見られた。
しかし,「朝の運動」に取り組み続けてきて,そういっ た姿は徐々に減ってきて,運動に取り組まない生徒は いなくなった。
② 活動に対する見通し
「朝の運動」に全員取り組めるようになってきたの は,教育課程上毎日設定されているため,内容や手順 に見通しが持てるようになり,そのため安心して取り 組めるようになったのだと思われる。また,他の生徒 が運動する様子を遠くから見ているだけの生徒も,
時々運動している生徒の側に近寄っていくようになっ ていった。そのようなタイミングをとらえて,教師が 用意していた運動を行うようにした。その際,個に応 じた運動の仕方や支援について事前に検討していたた めに,生徒の様子を観察しながら柔軟に活動を展開す ることができた。こういったことを根気よく繰り返す ことで,当初は一種類の運動だけに参加していた生徒 が二種類の運動に,三種類の運動に・・・と,積極的 に参加するようになってきたのである。
③ 時間の確保
教育課程に朝の体育として位置づけたことで,毎朝,
確実に取り組むことができるようになった。朝は,寝 不足な生徒など,体調が万全でない生徒もいる。する と,登校後,しばらくは,気分が不安定となる。気分 が落ち着いて運動に向かったころには,友達は運動を 終える頃になっていて,自分はできなかったという思 いからまた不安定になるという具合である。しかし,
毎朝,一定の時間を運動として確保したことで,時間 的に余裕が生まれ,あせらずに生徒が活動できるよう になった。
④ 行事等で見られた変容
毎年冬に行っている,スキー教室でのことである。
例年,あちこちで座り込む生徒の姿が見られ,休憩が 多くなってしまう傾向があった。しかし,朝の運動を 始めた年のスキー教室では,前年より長い時間活動を 続けることができた。これは毎日の運動の成果ではな いかと思う反面,たった1日のスキー教室の様子から
言い切れるものではない。
しかし,同時期の校外学習で出かけるときの様子か らも同様に変容が見られた。片道1.5㎞の道のりを往 復する際,以前は,学級集団から大きく離れてしまう 生徒が数名いたが,最後まで大きく離れることなく,
一つの集団として歩き切ることができるようになって きたのである。
⑵ 課題
前述のような成果がみられた反面,私たちは次のこ とに気づいた。運動しているときに何かができるよう になったり,挑戦したりすることで喜ぶという生徒の 生き生きした姿が見られなくなっていたのである。
また,腕立て伏せの運動では,見た目には腕立て伏 せの姿勢になっているが,よく観察すると,腕に体重 が全くかかっておらず効果的な運動になっていなかっ た。このように形だけとなってしまい,その動きが目 的としている体の部位に効いているかどうか,という 運動の質(内容)が伴っていない様子が他の運動でも 見られた。
以上のような実態に気づき,生徒が生き生きと運動 に取り組むようになってほしい,内容の伴った運動に なるように教材や指導を工夫したいと考え,発展期の
「朝の運動」への取り組みが始まった。
5.発展期の「朝の運動」 (平成22年1月~)
上述のような経緯を経て,中学部では,初めて保健 体育科を年間を通しての教科として設定した。平成21 年度末のことである。
⑴ 教師の戸惑い
研究として朝の運動に取り組み出した当初,教師が 戸惑っていたことがいくつかあった。その戸惑いをな くそうと話し合いを重ねていくうちに,各運動のねら いが教師間で共有できずにいることが明らかになっ た。各運動に見い出す価値が教師によってまちまちで,
何のためにその運動を行っているかがよく分からなく なってしまっていたのである。また,運動が表面的な 動きの形だけになり,その運動本来のねらいに迫れて いない状態であることに対して,何がどう悪くて,ど こをどう改善すればよいかが分からずにいた。教師が 迷いながら試行錯誤するため,それぞれがばらばらに 指導している状況となってしまった。「これでいいの だろうか」と不安を抱えて取り組んでいるのが実際で あった。
このような状況を打破するために,運動の質の観点 から運動内容,運動の仕方を再検討する必要性があり,
大学教員との連携を試みることにしたのである。
⑵ 連携に先立つ確認
連携に先立ち,本校教員は特別支援学校教員として の専門性を,そして大学教員は動きの質に関する専門 性を,互いに提供しあいながら一緒に「朝の運動」の 内容について検討し,具体的教材や手だてを探ってい くというスタンスを確認した。
その背景には,以下のような出来事がある。最初の 打ち合わせの時に「立場上,運動例やその発展形のア イディアはいっぱいもっているが,だからと言って特 別支援学校の生徒のための教材を提供できるわけでは ないので,あまり指導だとか助言だとかと言われる と,,,。」と大学教員が不安を口にした際に,本校教員 の一人が「それは私たちが専門ですからお任せくださ い。」とにこやかに応えたのである。
こうしてなごやかな雰囲気で連携はスタートした。
6.事例(発展期)
⑴ 生徒B
中3生徒Bは,運動のみならず,集団活動に参加す ることが苦手な生徒であった。中1,中2のときは全 く参加できなかったBだが,中3になる頃は,少しず つみんなと同じ時間,活動場所にいることができるよ うになってきていた。そこで,好きな芸能人の写真チッ プをマラソン1周ごとに一つずつボードに貼っていく ようにし,興味関心を生かした教材を作成し,改善を 重ねた。その結果,マラソンを5周ほど行うことが定 着してきた。他の運動も同様にして行ったところ,少 しずつ他の種目にも取り組み始めた。例えば,ストレッ チの体操である。
姿勢が崩れがちな生徒Bは,長座の姿勢から上体を 前傾させるストレッチをする際,教師が背中を押して も上体はあまり前に伸びず,手が足先にはとうてい伸 びていかない状態だった。また,教師に背中を押され るとそれに抵抗するように体に力が入ってしまうよう だった。
もともとBが自分から体を動かそうとしない傾向で あったことから,我々は,体が硬いのだろうと漠然と 思っていた。また,Bはこれまで運動に取り組まなかっ たことから,一定時間運動をし続けていることそのも のが教員にとって評価の対象となっていた。そのため,
Bの運動の質を追求していくという発想が本校教員に は欠けてしまっていた。
しかし,深くしゃがみ込んだBの様子を観察した大 学教員の「あのような姿勢は,足首,膝のみならず腰 関節が柔らかくなければとれない」という一言で,柔 軟性に欠けているわけではなく,支援の仕方を変えれ ばストレッチができるのではないかという見解が生ま れた。
そこでまず,前屈を阻害する要因になっているBの 長座姿勢を修正するように働きかけた。長座している Bの両腕に補助者の両腕を絡めるようにしてBの上体 を垂直方向にゆっくりと引き揚げ,骨盤と上体がまっ すぐに伸びた(立った)ことを確認した後,そ~っと 長座の姿勢に戻すことで,下腹部が緩み,骨盤が後ろ に倒れてしまっていたBの長座姿勢は改善された。な お,その際にBが感覚の違いを感じ取っていることを 重視した。
これまでの長座姿勢のまずさに加え,長座の姿勢で
上体を前傾させるストレッチにおいて,これまでの支 援では背中の上の方を手で押すだけだった。そのた め,腰が曲がったままで頭と背中がやや前に傾く程度 であった。長座の姿勢が維持できず,あぐらの姿勢と なっても上体はあまり前傾できなかった。そこで,担 当する教師のすねをBの背中に押し当てるようにした ところ,腰を伸ばすことができた(改善後の様子①)。
しかし,まだ上体を前傾することはできなかった。
大学教員に相談したところ,背中の押し方がポイン トであることが分かった。背中中央から両手を上下に 広げるように押すことにより,Bの上体は前傾したの である。〈改善後の様子②〉。Bの支援を担当していた 教員は,いくら押しても前傾しなかった上体が背中 の押し方を変えたことで,スーっと自然に前傾してい くことに驚いていた。以前は,無理にやろうとしてB の背中を力で押してしまっていたが,改善後は力がい らないので,自然な感じがするとのことだった。Bは 体が硬いわけではなく,むしろ柔軟性があることが分 かった。これは,本校教員にとって新しい発見であった。
運動学の観点から,運動場面にとどまらない動きの 観察,現象としての動きのとらえといった大学教員の
専門的な見方によって,本校教員の「Bの体の問題」
という捉え方を「支援の仕方の問題」という捉え方に 転換することができた。その結果,せっかく活動に参 加できるようになってきたにもかかわらず,内容が伴 わなかった生徒Bの運動の質を高めることができたの である。
この他にも,ストレッチの支援方法の改善が図られ た(改善後の様子③)。また,他の生徒にも支援方法 の改善が図られ,ストレッチの際,生徒たちは体の部 位が伸びていることを感じながら取り組めるように なった。
⑵ 言葉掛けの内容・仕方
準備体操では,生徒の前に示範として立つT1の教 師が,「イチ,ニ・・・」という言葉を掛けながら体 操をしていた。生徒たちの動きの一つ一つは,今ひと つはっきりしておらず,手や足をどんな風に動かすか などについては意識している様子は見られなかった。
何となく手や足が動いている様子で,動きのタイミン グもばらばらだった。他の教師も生徒が体の動かし方 をつかめるようにと側で言葉を掛けていたが,その言 葉は生徒に伝わらず動きがなかなか変わらなかった。
ここでも運動の質が高まらないことにもどかしさを感 写真1〈改善前の支援の様子〉
యࡣ๓ഴࡋ࡚࠸࡞࠸ࠋᩍᖌࡣ⫼୰యࢆᢲࡋ࡚࠸ࡿࠋ
写真2〈改善後の様子①〉
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⫼୰ࡀࡲࡗࡍࡄ࡞ࡗࡓࠋ 生徒Bのストレッチ支援
写真3〈改善後の様子②〉
⫼୰୰ኸࡽ୧ᡭࢆୖୗᗈࡆࡿࡼ࠺ᢲࡍࡼ࠺ࡋ ࡓࡇࢁ㸪ୖయࡀ↓⌮࡞ࡃ๓ഴࡍࡿࡼ࠺࡞ࡗࡓࠋ
写真4〈改善後の様子③〉
⭜ࢆఙࡤࡍ࠸࠺᫂☜࡞ࡡࡽ࠸ࢆᣢࡕ㸪ࡑࡢࡓࡵ㐺 ษ࡞ᨭࢆ⾜࠺ࡇࡀ࡛ࡁࡿࡼ࠺࡞ࡗࡓࠋ
じていたのである。
この頃の教師の言葉と生徒の動きとの関係は,呼応 している様子ではなく,T1の言葉だけが流れていき,
生徒の動きもまた言葉とは関係なしに流れているよう だった。
大学教員と準備体操の話し合いをしたところ,指導 者の言葉掛けの問題ではないかということに気付い た。大学教員から言葉の役割,生徒への影響について 詳しい話を聞くと同時に体験的に生徒への影響を感じ てみようと,竹内2)の基本的なレッスンの一つとい う「話しかけ」を以下のように試みた。
「数人あるいは一人に向こうむきになってもらって,
その後ろ4,5メートルからの位置から,かれらに話し かける。その際,聞き手は,自分に話しかけられたと感 じたら手を上げる。自分ではないと聞いたら,そのこえ の向かった対象の方向を指す」
我々が上記の「話しかけ」を行うことを提案された 時,興味関心が向く一方で不安も感じた。果たして自 分の声は届くのだろうかと。実際に行ってみると,届 いているようないないような何となく中途半端な話し かけ方であることがわかった。
早速,T1の言葉が検討され,体の部位を言ったり,
動かし方をイメージするような言葉掛けをしたりする 言葉がけに改善をした。
そこでの変容は,まず教師の号令のかけ方や動きに 現れた。教師が「ぐーる。ぐーる。」という言葉を発 しながら動くことで,「イチ,ニ,サン,シ。」の号令 ではなかった抑揚が言葉についた。また,教師自らも 足首を回すときのイメージを明確にして声を出すよう になった。そして,その声に合わせて生徒がゆっくり,
大きく足首を回すように変わった。足首の足の動かし 方に表情とも言える要素が加わり,どんな風に動かす かということが生徒に伝わるようになったのである。
生徒は,その運動のポイントを具体的にイメージで きるような教師の言葉掛けを手掛かりに,体の部位や
動かし方を意識した運動ができるようになっていっ た。言葉の重要性を強く感じさせる出来事であった。
このような言葉掛けは,他の単元でも応用すること ができた。キックベースボールを簡略化した独自の種 目に新たに取り組んだときのことである。
ボールを取って投げる,というこれまでじっくり取 り組んだことのない運動への挑戦がその単元には含ま れていた。転がってくるボールをうまく取ることがで きない理由として腰が高いということがあった。そこ で,守備の構えの姿勢の獲得に取り組んだ。このとき に使った言葉が「腰,ストン。」という言葉だった。
この言葉を添えて教師が何度もやって見せたり,準備 体操の一部に腰を落とす動きを組み入れたりした。
取って投げる練習のときは,腰を下げた姿勢になって いるところにボールを転がすことで,腰を下げてボー ルを取ることの利点を実感できるようにした。次第に
「腰ストン。」という言葉が定着し,腰が高くなってき たときにそう言葉掛けをすると腰を下げて安定して ボールを取ることができる様子が見られるようになっ た。この動きの獲得に果たした言葉の役割は大きいと 考える。
⑶ 支援の質を高めるための「ねらい」の焦点化 ミニハードルを運動に取り入れていたが,走ること につながれば,と漠然とした理由で設定していた運動 であった。そこで,どのように走ることをねらってい るのかという大学教員の問いかけに明確に答えられな かった。教師間で相談した結果,生徒の実態からリズ ミカルに走ることをねらった運動にしたいと考えた。
ねらいが明確になると支援の仕方が変わった。
まず,教師の手拍子である。それまでは,一律に同 じ調子で手拍子を打ち続けていた。その単調な手拍子 は,生徒にとって重要ではなく,あってもなくても動 きに影響のあるものではなかった。それが,生徒が跳 ぶ瞬間にタイミングを合わせたリズム感のある,勢い のある手拍子となった。その手拍子は生徒のリズミカ ルな動きを引き出した。手拍子ひとつで,生徒の動き が劇的に変化した。その後,生徒はその手拍子を手が かりにリズミカルな動きを確実にとらえていったので ある。
具体的なねらいを明確に持つことでこんなにも教師 写真5〈教師のかけ声に合わせて運動をする生徒〉
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写真6〈「腰ストン」で身についてきた守備の構え〉
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の支援が変わり,生徒が変わるものなのだということ を目の当たりにした。それ以降,教員間で何をねらっ ての運動であるのかを具体的に意識するようになり,
それに見合う支援の仕方を考えるようになった。
⑷ 称賛,生徒へのかかわり
毎日続けていると新鮮さが薄れ,大事なことが見え なくなってしまうことがある。その象徴的な出来事が あった。
始めの整列にはいつも時間がかかってしまうのが常 であった。生徒が定位置を正しく認識してそこに立つ のに時間がかかる生徒が多いためである。生徒Cは,
始めの整列のとき,誰よりも先に集合,整列をして待っ ていた。始めのうちは,教師から称賛の言葉掛けがあっ た。しかし,毎日のことであったため,いつしかCを 称賛する教師はいなくなっていた。目に入っていない わけではない。分かっていても称賛しない状態だった。
そこに大学教員が気付き,称賛のしどころを逃してい るのではないかという指摘を受けた。
Cは他の場面でも真っ先に整列しているわけではな く,運動の場面でこそ見せる姿だった。早く整列して いることで当初,称賛され,その価値がCの中で高ま り,毎日続けて実行するようになったのだろう。教員 が見向きもしなくなったにもかかわらず,まだ周囲の 友達が並ばずに遊んでいる中でも自分だけが早い整列 を貫くことは容易ではない。称賛しなくなってしまっ たことで,Cにとって,この行動の価値感が下がって しまうとしたら,毎日やっているのが当たり前になっ ているからと言って見逃すわけにはいかない重要な視 点である。
それ以降,生徒Cに対して教師の称賛の姿勢が伝わ るかかわりを心がけた。言葉による称賛だったり,目 を合わせてうなずいたりすることを続けた。Cはその 後も誇らしげな表情で先頭に立ち続けている。あのま ま目を向けなかったらCは一番に整列することをやめ てしまっていたかもしれない。
また,称賛については,結果よりもそこに向かって 生徒の取った行動,動きを称賛することが大切で,そ
れが生徒の意欲を高めるのではないか,ということを 大学教員と共に話し合った。生徒の動きをよく見てい ると,まさに生徒ががんばろうとプラスに動き出して いる瞬間があることに気付いた。生徒のプラスに向 かっている動き,行動は見逃さずに認めていこうとい う意識が我々の中に芽生えた。
この出来事をきっかけに,称賛のタイミングを逃し てはいないかと生徒の行動をよく見るようになった。
そして,生徒が当たり前にできていることに対しても 動きに合わせて「そうそう。」「そうだね。」「いいね。」
「今日も上手だね。」など,教師の言葉が重なるように なっていった。このような教師の言葉に囲まれながら 運動する生徒達の顔もまた,生き生きしてきたように 見えた。そして,その生き生きした姿を見る教師の顔 もまた晴れやかな表情に見えた。以前よりも活気が感 じられる雰囲気に変わっていったのである。
7.まとめ
体育という領域で大学教員と連携したが,我々はそ の枠に収まらない多くの成果を得ることができた。以 下,教員の感想を交えて振り返ってみる。
⑴ 本校教員の振り返り ① 専門的知識
「一つ一つの体の動きについての認識が深まった。」
写真7〈ミニハードルで手拍子を打つ教師〉
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写真8〈いつも一番に整列していたC(画面中央)
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写真9〈称賛の言葉を重ねる教師〉
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「今回の連携がなければBの支援に行き詰まっていた と思う。」
専門的知識の獲得は,今回,本校教員が連携の目的 として一番に考えていたことである。当初,本校教員 が戸惑っていたこととして,生徒にどう支援してよい か分からないという点があった。しかし,事例として 挙げた生徒Bのストレッチにおける支援に見られるよ うに,大学教員との話し合いから専門的な動きの見方 を知ることによって,教員が納得して適切な支援がで きるようになった。活動に取り組むようになった段階 で教師が満足してしまうと,生徒の本当の「できた」
「やった」という運動の本質に迫る喜びを感じること ができず,いずれ生徒は運動に飽きてしまう。生徒の 喜びに導くためにも専門性は欠かせないものであると 実感した。
また,何をねらっているかを明確にして,生徒の筋 感覚をたどって支援を考えるという基本を全員が改め て学ぶ機会があったことによって,教員が「どうして よいか分からない」という状態から抜け出すためのヒ ントを得ることができた。そして,教員が同じ基本を 共有することで,支援の方向性を自分たちで模索して いくことができるようになった。
② 第三者による気付き
「生徒の動きの瞬間をとらえた称賛を行っていくこ とを学んだ。」
「結果ではなく,やった行動に対しての称賛をする よう心がけるようになった。」
事例に紹介したとおり,できないことには目が向く が,いざできるようになるととたんに目が離れてしま う。称賛は教師として基本的なことで大切に考えて実 践しているつもりだった。しかし,称賛の瞬間を意外 にも見逃していたということに,大学教員の指摘から 気付くことができた。生徒のまさにプラスに向かって 行動している,行動に踏み出そうとしている瞬間を見 逃していたのである。例えばマラソンのとき,走らな い生徒がいる。私もがんばってみようと自ら走り出し
た瞬間などである。自分たちの授業を客観的に見る視 点がなければ気づくことはできなかったことである。
「朝の運動」において,生徒たちの活動に対する意 欲が低下してしまっていた要因の一つには,このよう な称賛の見逃しがあったからではないかとも考えられ る。また,単に称賛が少ないというだけでなく,タイ ミングをとらえていない称賛は,言葉だけは行き交う が,生徒はうれしそうではないという状況を生み出し ていたのだ。称賛が称賛として効果的に機能しなかっ たのである。それは,教師は生徒を見ているつもりで も実はよく見ていなかったということでもある。生徒 たちは見てもらっていないことに敏感に反応していた のかもしれない。
③ 専門的知識がもたらすもの
今回の連携では,専門的知識を得ることはそれのみ で終わるものではないということを学んだ。特に,動 きを質から見ることと称賛とが連動することで専門的 知識が最大限に生かされ,多くの成果をもたらすこと を実感した。
専門的な視点から体の動きについて知ると,生徒の 動きを細かく見るようになり,生徒がある動きをでき るようになるまでの段階も細かく捉えるようになる。
すると,これまでは気にしていなかったちょっとした 変化を「できた」「できそう」という目で見ることが できるようになり,称賛の機会が驚くほど増えたので ある。
専門性というのは,知識として多くを知っているこ とによさがあるのではなく,知識を生かしてより多く の価値を見い出し,その営みを豊かにしていくことに よさがあるのだというこれまでにない発想をすること ができた。これは,本校教員が特別支援教育の専門性 をどう生かしていくかということにつながるすばらし い学びであったと考える。
④ 異分野の連携
今回の取り組みは,特別支援教育教員と体育科教員 という異分野の連携であることから,教員が指導を請 うことが前面に出る形ではなかった。指導を請う形に なると,指導する側,受ける側という上下関係が生ま れ,そこには,最終的には指導に従うことや自分の考 えを躊躇してしまう場面も出てくる可能性がある。し かし,今回のようなお互いの専門性を持ち寄っての連 携という形では,互いに尊重し合う,補い合う,学び 合うなどの姿勢が生まれる。互いのよさや専門性を損 なうことなく成果を生み出すことができた理由はここ にあると考える。
⑵ 大学教員の振り返り ① 姿勢
初めて「朝の運動」の様子を見せていただく日,と ても緊張して来校した。生徒の活動の様子を見て,真っ 先に感じたことは姿勢が悪いということ。背中をすっ と伸ばした立位姿勢や座位姿勢を保つことができるよ うになれば生徒たちに何らかの変化が起きるのではな 写真10〈自分たちで動きながら支援を考えるように
なった〉
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いだろうかとぼんやりと思った。体の縦軸形成の重要 性を説く成瀬による記述を思い出しながら。
「脳性まひの子どもが自分の力で上体を支えて座位の 姿勢,つまり縦軸ができたとき,ぱっと輝く表情になる」3)
「・・・,おそらく自分の体軸辺りを自己存在の基軸 にした自分自身の世界が形成されて,それまでとは全く 異なった新しい環境の中にある自分とその活動を認知す るに違いない。」4)
② 走るときの表情
次には,走っているときの表情。にこにこして走っ ている姿が不思議な感じがした。「私たち,動くこと が好きだよ」というメッセージを受け取ったような気 がした。そのメッセージは,少しだけ私の緊張をほぐ してくれた。また,生徒のにこにこした表情は「持久 走には辛い表情,苦しい表情が当たり前」という運動 に対する私の凝り固まった見方に気づかせてくれた。
これ以外にも,運動の見方・考え方を広げたり深めた りせざるを得ない場面が多々あったこと。生徒の行っ ている運動を解釈することにずいぶん悩んだが,結果 としてそのことが深い内容となって跳ね返ってきた。
③ 声かけ
体育館や校庭などの広い空間で行われることがほと んどの体育授業等では教師の声の大きさが求められ る。体育の授業を参観させていただく機会が多いのだ が,ときに体育館から外に教師の声が飛び出している と感じることがある。子どもたちの頭の上を先生の声 が通り過ぎていると感じるだけでなく,耳をふさぎた くなる。
スラスラと流暢にことばを発しているが上滑りして いると感じるような場面に出くわすことも多い。ある チェーン店での「いらっしゃいませ。何になさいます か。・・・・」といった類のマニュアルに沿っただけ の何とも味気ないことばのやりとりである。しかし,
そんな場面でもマニュアルに沿っているだけではない と感じることもあるから不思議である。
「話しかける,声をかける,という行為は単なる音 の伝播ではなくこちらの体がまるごと相手にぶつかっ ていくような全くジカなナマな重さと熱さをもったふ れあい」2)なのである。生後数か月で中耳炎を患い,
16歳まで自らが唖者であった竹内の深く重いことばに 対する理解の一端を示すものである。
以上のことを運動の場面に援用してみると,一本調 子で「イーチ,ニィ,サン,シィ・・・」と声を発す るよりも,生徒が動いているときに感じているまさに その感じに共感するだけでなく,これまでに教師が学 び取ってきた動きの感じが響くような声かけが求めら れよう。今回の実践での「ぐーる,ぐーる」という足 首の回旋を行う際のことばかけの工夫にはこのような 背景があった。
ここで注意したいことは「イチ,ニィ,サン,シィ は悪い」といった間違った理解をしてはならないとい
うことである。生徒の動きの感じに共感し,生徒のか らだに入っていくイチ,ニ,サン・・・の声かけがで きればよいのである。さらに言えば,グルグルにすれ ばよいということでもないということである。長年授 業検討会等に参加してくる中で,往々にしてこういっ た肝心要なことに目が向かずに,結果として表に表れ たことに目を向けてしまいがちな傾向があると感じて いるがゆえに,あえて記述した次第である。
④ 動きを見る目
今回取り上げられた運動は基礎的基本的なものであ る。それらの運動は高度な技術をともなう場合に比べ,
違いはわかっても説明するのに苦労した。先生方と実 習しながら研修したり,何回か参観させていただく中 で,自分が知っている動きの見方以上に細かく質のカ テゴリーを考え,なおかつ生徒の気持ちを推し量り意 味づけしながら考えていかなければならないことに気 づいた。とても大きな収穫である。
運動をいっぱい知っている,その運動の目的も行う 上でのポイントもよく知っているだけではよりよい支 援は難しいことが実体験として理解できた。私の立場 から一方的に意見することに終始していたら今回の深 まりはなかったと強く思っている。附属校教員と大学 教員が互いの専門性だから見えること,疑問に思うこ と等を率直に出し合い話し合える関係が築かれたから こその成果だと思う。
8.おわりに
生徒の体力向上を目指して始まった「朝の運動」で あるが,開始期においては生徒の意欲低下,運動の質 の低下という,極めて憂慮すべき状況に陥った。運動 の専門的な知識を深めることでそれを打開できると考 えていた我々は,特別支援教育の枠を超えて,運動の 専門家である大学教員と連携したのである。はたして そこから得られたものは,動きの支援の仕方,動きの 見方等の専門的知識と同時に,「称賛」や「かけ声」
等の,教師が生徒に向き合う時の<基本の大切さ>で あった。開始期において顕著だった意欲低下は,上記 の二点を踏まえた発展期の指導を経て大きく改善され た。「できた。」と大喜びしたり,友達に負けじと張り 切ったり,生徒達の生き生きとした姿にあふれた「朝 の運動」は今でも毎日続いている。
改めて,「基本を踏まえ,大切にしてこそ,専門的 な知識が生きるのだ」ということに気付かされた今回 の実践であった。
【参考文献】
1)福島大学特別支援学校研究紀要第33号, 2011 2)竹内敏晴:からだが語ることば α+教師のための身
ぶりとことば学,p.152,評論社,1984 3)成瀬悟策:臨床動作学基礎,学苑社,1995 4)成瀬悟策:姿勢の不思議,講談社,1998