テクノロジーイノベーション
はじめに
エピジェネティックスとは,DNAの塩基配列に依存 せず,細胞分裂を通じて継承されるシステムである.そ の実態はDNAのメチル化やヒストン修飾であり,エピ ゲノムと呼ばれる.DNAメチル化は,DNAのシトシン 塩基5位の炭素にメチル基が付与されるもので,一般的 にDNAメチル化が起こると遺伝子は転写抑制に働く.
またヒストンH3の9番目リジン(H3K9)のメチル化や H3K27のメチル化は転写抑制に働き,H3K4のメチル化 やH3K27のアセチル化は転写活性化に働く.
エピジェネティック修飾は,生命の発生や分化におけ る遺伝子発現制御に重要な役割をもち,さらにその異常 はがんや生活習慣病といったさまざまな疾患の基盤とな ることが明らかになってきた.それはエピゲノムの異常 を修正することで,疾患が治癒可能になることを意味す る.実際,化合物などによる治療やその開発が進められ ており,たとえばアザシチジンやデシタビンといった DNAメチル基転移酵素阻害剤が骨髄異型性症候群など の治療に,4種類のヒストン脱アセチル化酵素阻害剤が 皮膚T細胞リンパ腫や多発性骨髄腫の治療に使用され ている.これらは非常に効果のある治療薬であるが,広 範囲にDNA脱メチル化やヒストンアセチル化が起こる ため副作用のリスクが指摘されている.したがって特定 の領域のDNAメチル化,あるいはヒストン修飾を操作
する技術の必要性に迫られている.
近年,ゲノム編集法が注目を集めている.ゲノム編集 とはゲノムの特定部位の配列を削除したり,あるいは特 定部位に任意のゲノム配列を挿入,置換したりする新し い遺伝子改変技術である(図1).1996年にZFN(1)が,
2011年にTALEN(2)が開発されたが,これらはDNA配 列を認識する結合ドメインと制限酵素である を結 合させた人工制限酵素であり,ターゲット配列ごとにこ れらを合成する必要があるため,作成に労力と時間がか かった.2012年にCRISPR/Cas9システム(3〜5)が登場す ると,簡便性ゆえに急速にその利用が広まった.CRIS- PR/Cas9システムはターゲット配列を含む短いRNA
(sgRNA)とCas9というバクテリア由来のDNA2本鎖 切断酵素よりなる.この酵素はsgRNAに含まれるター ゲット配列依存的にDNAを切断する.つまり,DNA 配列ごとに異なるタンパク質を作製する必要がなく,ま た標的配列のデザインが簡便であるため,従来のゲノム 編集法と比較して迅速にゲノム編集ができるという特徴 がある.
これらのゲノム編集技術を応用すれば,エピジェネ ティック修飾を改変する「エピゲノム編集」も可能とな る(6).それはゲノム編集技術で使われる特定のDNA配 列に結合できる「特異的DNA配列結合モジュール」を 少し改変し,切断活性はないが特定のDNA配列に結合 できるものにする.これにエピゲノムを修飾する酵素で
特定のゲノム領域をDNA脱メチル化する手法の開発
CRISPR/Cas9ゲノム編集を応用したエピゲノム操作法
森田純代,堀居拓郎,畑田出穂
群馬大学生体調節研究所附属生体情報ゲノムリソースセンター
日本農芸化学会
● 化学 と 生物
ある「エフェクターモジュール」を連結する(図2). このようなシステムで,エピゲノムを操作することが可 能となり,特定遺伝子の発現を活性化したり抑制したり することができる.
今回,私たちはCRISPR/Cas9の技術を応用し,エピ トープタグの一つであるSunTagシステムと組み合わせ ることで,特定のDNAメチル化領域を効率的に脱メチ ル化する系を開発した(7).
1. DNAメチル化・脱メチル化のしくみ
先ほども述べたように,DNAのメチル化は生命の発 生や分化における遺伝子発現制御に重要な役割をもち,
さらにある特定の遺伝子群が父親由来か母親由来かに よって発現パターンに影響を与える現象(ゲノムインプ リンティング)や,女性がもっている2つのX染色体の うち一つが不活性化されるという現象(X染色体不活性 化)にも深くかかわっている.DNAメチル化はDNA メチル基転移酵素(DNA methyltransferase; DNMT)
により確立される.DNAの脱メチル化はTen-eleven translocation 1(TET1)により酸化され5mCが5hmC に変化し,さらには5fC, 5caCに変換されたのちDNAグ リコシラーゼのTDGなどにより塩基除去修復されるこ
とによって起こる(図3).
2. 効率的なDNA脱メチル化へのステップ1: dCas9と DNA脱メチル化酵素TET1の融合タンパク質
現在までに報告されているエピゲノム編集はほとんど がDNA特異的配列結合タンパク質とエピゲノム修飾す るタンパク質の結合によるものであった.そこで私たち 図1■現在までに開発されたゲノム編集法のモデル図
(a)ZFN DNA結合部位は3個のジンクフィンガータンパク質か らなる.1個のジンクフィンガーはDNA3塩基を認識し,DNA結 合部位全体で9塩基を認識する.(b)TALEN DNA結合部位は15 個程度のテールリピートよりなる.1個のテールリピートは DNA1塩基を認識する.(c)CRISPR/Cas9 DNA結合部位はRNA であるsgRNAで20塩基を認識する.sgRNAのDNA認識により Cas9がDNAを切断する.
図2■エピゲノム編集のストラテジー
DNA切断活性のない特異的DNA配列結合モジュールとエピゲノ ム修飾を入れたり消去したりする酵素であるエフェクターモ ジュールを連結したシステムにより,エピゲノムを操作すること が可能となる.
図3■DNAメチル化・脱メチル化
DNAのメチル化はDNAメチルトランスフェラーゼ(DNA meth- yltransferase; DNMT)によりCpGジヌクレオチド内のシトシン の5位の炭素にメチル基を付加することによって起こる.DNAの 脱メチル化はTen-eleven translocation 1(TET1)により酸化さ れ5mCが5hmCに変化し,さらには5fC, 5caCに変換されたのち DNAグリコシラーゼのTDGにより塩基除去修復されることに よって起こる.
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はdCas9(標的配列を含むガイドRNAと複合体を形成 し,標的配列に結合するが,DNA切断活性はないCas9 の変異体である),およびTET1を結合させることで 狙った領域のDNA脱メチル化がどの程度可能かを検討 した.DNA脱メチル化を試みた領域はGlial Fibrillary Acidic Protein( )の転写調節領域であり,マウス ES細胞においては高度にDNAメチル化されている.こ の という遺伝子はアストロサイトの分化に重要な 遺伝子であり,胎生中期では神経前駆細胞において転写 調節領域は高度にDNAメチル化されている.しかし胎 生後期ではこの領域のDNA脱メチル化が起こり,神経 前駆細胞はアストロサイトに分化できるようになる(8). dCas9とDNA脱メチル化酵素TET1の融合タンパク質 ではDNA脱メチル化される効率が10%程度にとどま り,さらなる改善の余地があると考えられた.
3. 効率的なDNA脱メチル化へのステップ2: dCas9と SunTag法*1の組み合わせ
dCas9とDNA脱メチル化酵素TET1の融合タンパク 質では,一つのdCas9に対して一つのTET1しか機能で きない(図4a).そこで,一つのdCas9に対し複数の TET1をリクルートすることができればDNA脱メチル 化効率も上昇するのではないかと予想し,SunTagのシ ステムを取り入れることにした(9)(図4b).SunTagは5 アミノ酸のリンカーで分割された10コピーのGCN4ペ プチドから構成されており,GCN4をミニ抗体が認識す る シ ス テ ム で あ る.つ ま り,(1) dCas9の う し ろ に
GCN4をつなげたものと(2) GCN4を認識して結合する ミニ抗体にTET1を融合したものを同時に細胞に導入し てDNA脱メチル化の効率を調べた.ところが,予想に 反してdCas9とDNA脱メチル化酵素TET1の融合タン パク質と比較してDNA脱メチル化効率はほとんど上が らなかった.複数のTET1がdCas9のDNA結合領域に 集まっていてDNA脱メチル化活性は高いはずなのに,
なぜ効率が上がらないのか?
4. 効率的なDNA脱メチル化へのステップ3: TET1が 十分に機能できる空間をつくる
この原因として,TET1が結合できるGCN4の間(リ ンカー)が狭すぎるため,互いのTET1が邪魔しあって 立体障害を引き起こし,結果としてうまく機能しないの ではないかと考えた(図4b, c).そこで,もともと5ア ミノ酸であったリンカーの長さを22アミノ酸(図4c), 43アミノ酸と広げてみた.すると,今度はマウスES細 胞における 転写調節領域の脱メチル化の割合はそ れぞれ40%,30%まで上昇した.
リンカー長が22アミノ酸のものを遺伝子導入した細 胞を,ミニ抗体に組み込まれているGFPを指標にして FACSによりsortingしたところ,脱メチル化効率は 90%を超えていた.このシステムによりDNA脱メチル 化される領域は,少なくともgRNA target siteを含む 約200 bpに及んでいた.また複数のgRNAを導入する ことでより広い領域においてDNA脱メチル化すること が可能であることも明らかとなった.
このようなエピゲノム編集の技術においては,標的配 列以外の類似配列に影響を与える場合があり(オフター
*1生きた細胞内で機能するミニ抗体(single-chain antibody: scFv)
とその抗体が認識するエピトープ(GCN4)からなる.
図4■dCas9とSunTag法の組み合わせ のモデル図
(a) dCas9とDNA脱 メ チ ル 化 酵 素TET1 の融合タンパク質,(b) dCas9とSunTag 法の組み合わせもの,リンカーの長さが5 アミノ酸,(c) dCas9とSunTag法の組み 合わせもの,リンカーの長さが22アミノ 酸.リンカーの長さが短いとおそらく立体 障害によりうまくTETが機能しない.リ ンカーの長さを大きくすることでTETは 機能できるようだ.
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ゲット効果),このような非特異的な反応は安全性の観 点からできるだけ低くしておかなければいけない.私た ちの開発したシステムにおいて非特異的なDNA脱メチ ル化が起こっていないか調べるために,whole genome bisulfite sequencingを行った.その結果, のgRNA target siteと同程度脱メチル化されている領域は見られ なかった.つまり,非特異的なDNA脱メチル化はほと んど起こっていないことが明らかとなった.またRNA- seqによる発現解析を行い,発現の変化はほとんど見ら れなかった.
5. においてこのシステムは適用できる
においてこのシステムが機能するかどうかは,
将来的にエピゲノム治療などを目指した場合において非 常に重要なことである.それを検討するためマウス胎仔 脳にこの技術を適用した.上述のように胎生中期では神 経前駆細胞において の転写調節領域は高度にDNA メチル化されているが,胎生後期ではDNA脱メチル化 され,STAT3が結合できるようになることで の発 現が上昇し,アストロサイトに分化できるようになる.
この領域がDNA脱メチル化されない神経前駆細胞は ニューロンへと分化可能になる.胎生14日目でマウス の胎児を母体から取り出し, の転写調節領域を DNA脱メチル化するためのコンストラクトを脳室帯
(ventricular zone)にエレクトロポレーションした.そ の後,母体に戻して1日後に の転写調節領域は脱 メチル化され,また4日後には,実際にGFAPタンパク 質が上昇していることが明らかとなった.したがって
においても,このシステムはDNA脱メチル化を誘 導できることが明らかにした.
おわりに
以上述べてきたように,私たちはゲノム編集の技術を 応用し,dCas9とSunTagシステムを組み合わせること で,特定のDNAメチル化領域を極めて効率的に脱メチ ル化する系を開発した.さらにこのシステムは においても適用できることを示した.
ZFNやTALENなどのゲノム編集法の技術を応用し たDNA脱メチル化編集の論文がいくつかすでに報告さ
れている(10, 11).しかしながら私たちの開発した系と比
較してそのDNA脱メチル化効率はあまりよくない.ま たDNA脱メチル化できる範囲も30 bp程度と極めて狭 い.その理由として2つのことが考えられる.一つは,
Cas9はZFNやTALENと比較してDNAメチル化領域
をターゲットとした場合,その領域に結合しやすいとい うことが考えられる(12〜14).つまりDNAの修飾に影響さ れることなく,Cas9はターゲット領域に結合できると いうことである.2つめに,私たちのシステムは複数の TET1をターゲット領域に呼びこむことができるため,
ターゲットを含んだ少なくとも200 bp以上の範囲で効 率的にDNA脱メチル化が可能になると考えられる.
エピゲノム編集の応用はこれから発展していくであろ う.まず基礎的研究において,今まで不可能であった特 定領域のエピジェネティック修飾の機能解析が可能とな る.今まではDNAメチル基転移酵素阻害剤やヒストン 脱アセチル化酵素阻害剤などの薬剤により,非特異的に エピジェネティック修飾を変えることしかできなかっ た.エピゲノム編集により特定の遺伝子のみの発現制御 が可能となるため,細胞分化やリプログラミングの研究 において新たな遺伝子解析の手法となりうる.さらに,
エピゲノム疾患モデル動物の作製が可能となる.また臨 床応用においては,疾患の原因となる遺伝子の発現を安 定して上昇させたり,あるいは抑制したりすることで,
さまざまな疾患の遺伝子治療が可能となるであろう.ま たエピゲノム編集による治療はゲノムの変化が起きない ため,より安全な治療であると考えられる.
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プロフィール
森田 純代(Sumiyo MORITA)
<略歴>1995年東京大学医学部保健学科 卒業/2000年同大学大学院医学系研究科 国際保健学専攻修了/同年より群馬大学生 体調節研究所研究員<研究テーマと抱負>
エピジェネティックス<趣味>街歩き,デ パ地下めぐり
堀居 拓郎(Takuro HORII)
<略歴>1998年京都大学農学部畜産学科 卒業/2003年同大学大学院農学研究科博 士課程修了/同年群馬大学遺伝子実験施設 助手/2007年同大学生体調節研究所生体 情報ゲノムリソースセンター助教<研究 テーマと抱負>ゲノム編集やエピゲノム編 集を用いてモデル動物を開発したい<趣 味>生き物の飼育,ガンプラ作り 畑田 出穂(Izuho HATADA)
<略歴>1990年大阪大学大学院理学研究 科博士課程修了,国立循環器病センター研 究所,英国Hammersmith Hospital, MRC Clinical Sciences Centre, 群馬大学准教授 などを経て2011年より群馬大学生体調節 研究所附属生体情報ゲノムリソースセン ターゲノム科学リソース分野教授<研究 テーマと抱負>エピジェネティックス,エ ピゲノム編集<趣味>作曲すること.歌を 歌うこと
Copyright © 2017 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.55.359
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