総合研究所・都市減災研究センター(UDM)研究報告書(平成22年度)
テーマ1 小課題番号1.4
秋田県横手市増田町の町家と土蔵について
伝統的建造物群保存地区、土壁、覆屋、耐震補強、地区防災
後藤 治 *1
概要
後藤研究室では、横手市増 田町の中心市街地地区 を伝統的建造物群保存地区 に指定するための調査事 業を同市から委託された。 調査事業は、本年度と次 年度の2ヵ年事業の予定である。伝統的建造物群保 存地区では、地区の歴史的 風致を保持していくため、
地区内の伝統的建造物の耐 震補強や、地区防災の強 化を図っていく必要がある。
このため、調査事業では、 地区内の伝統的建造物 の耐震性能の現状とその改 善案や、地区防災の現状 と課題やその改善案をまとめていく必要がある。
それらは、UDMの研究テ ーマに沿った課題であ るため、ここに現段階まで の調査結果の概要を報告 する。
調査の概要
後藤研究室は、本年5月30日~6月3日、8月27
~31日、11月21日~25日 、2月12日~14日に、
共同して調査にあたるマヌ 都市建築研究所とともに 現地に入り、主要な伝統的 建造物の実測調査( 平面 図、断面図、立面図、配置図等の作成)、街並 の景観 資源の調査、周辺の街並と の比較調査 、冬季の積雪 対策等の調査を行った。
また、8月29~31日には、UDMの共同研究者で
ある河合直人氏(国土交通 省建築研究所)に現地に 入っていただき、主要な伝 統的建造物の 耐震性能に ついて、目視による簡易診断を実施した。
調査地区の概要
増田町は、横手市内の南 方、湯沢市に近い場所に 位置する。平成17年に平鹿郡の他の町村とともに旧 横手市と合併した。調査地 区は増田町の中心市街地 にあたる。地区の範囲は、 明治期の地図上で街並が 形成されていたことが確認 できる一帯 で、中・七日 町商店街を中心とするとこ ろである。古絵図から江 戸期には、街並が形成され ていたことが知られ、 主 要な伝統的建造物がある各 家屋の敷地は、通りに面 して、間口約10m、奥行約100mの短冊形になる。
主要な伝統的建造物として は、 通りに面して町家形 式の母屋、並びに、母屋の 背面に 接続する土蔵など がある。
主要な伝統的建造物の概要と特徴
主要な伝統的建造物の建設 年代は、江戸時代後期か ら昭和30年頃までである。
1)町家
切妻造、妻入、2 階建ての 場合が多い。 建設年代 が新しいものほど、棟高が 高い傾向がある。その棟 高は、周辺の他の市街地の 伝統的な町家と比較して も高い。これは、この地区 の敷地の間口が他の市街 地と比較して狭く、高さ方 向にしか部屋のゆとりを 求められなかったためと考 えられる。耐震性能上の 課題は、一般的な町家と変 わらないが 、地区が豪雪 地にあること、並びに棟高 が高いことから、特に補 強が必要な可能性がある。2010年度は積雪による被 害として、軒の破損や家屋の倒壊が見られた。
2)土蔵(内蔵)
この地区の土蔵の特徴は 、土蔵がサヤ・ウワヤ等 と呼ばれる建物(以下「覆 屋」と呼ぶ)の内部にあ り、覆屋の屋根の下にあた る蔵前を解して、母屋と 接続していることである。 こうした土蔵は「内蔵」
と呼ばれている。内蔵が設 けられている背景に は、
他の地区と異なり間口に制 約があり、主屋と蔵を前 後に配置する必要があった ことが関係するものと推 測される。
内蔵の内部は、単なる倉庫 ではなく、1階後方に 畳を敷き、座敷として利用 されていたことがわかる。
他地域の蔵と比較すると、外装の仕上げ、扉の囲い、
隅部の細部意匠等が装飾として発達している。また、
覆屋の架構が本格的で、蔵 前の空間での蔵の立 面の 見せ方に工夫がみられるな ど、意匠上の工夫が多く 見られる点にも特徴がある 。基礎を石積みで立ち上 げていることが多いため、 湿気防止の効果があり、
維持の状況が良好な点は、 耐震性能上は評価できる が、土蔵と覆屋の揺れ方の 違いが、 耐震性能上どの ように影響するのか、今後 解析していく必要がある。
3)事例(松浦千代松家)
松浦家は中町・七日町商店 街の東側、七日町の商 店街を横断する水路脇に位 置する。商人が多く住む 増田町のなかでも松浦千代 松は代表的な商人として 知られる。増田の煙草産業 を支え、増田水力電気株
*1 :工学院大学工学部 建築都市デザイン学科教授
総合研究所・都市減災研究センター(UDM)研究報告書(平成22年度)
テーマ1 小課題番号1.4
式会社設立の発起人であり 、初代社長を務めた人物 である。
敷地内の建物配置は、道路 側から主屋、座敷蔵、
米蔵、資材蔵となっており 、通り土間が裏口まで一 直線に延びる増田町の商家 建築の基本形態といえる 特徴を残す家屋である。
主屋は木造 2 階建、桁行 36.4m、梁間 10.5m。建築 年代は不明だが、内蔵の建 造以降とみられ、小屋組 の構造等から明治中~後期と推測される。
内蔵は土蔵造 2 階建、桁行 11.83m、梁間 6.37m。
棟札から明治 36 年(1903)、棟梁山中萬吉によって建 てられたことが判明する。 外部は黒漆喰の磨き仕上 げで、内部は奥座敷を備え、材を漆塗りで仕上げた、
増田町の内蔵の典型的な造 り である。奥座敷は家長 の寝室や客間、冠婚葬祭の 場として使用され 、家屋 内で最も格式高い空間として扱われたという。
増田町の典型的な内蔵とし ては初期の事例で、地 区内の土蔵建築の変遷を知 る上で 重要な建築である。
松浦千代松家外観