安鎮祷雄1米沢市立翼1馨館本色鑑垂こ関する二・三の開題 i
米沢市立図書館本邑鑑に関する二・三の問題
安 田 初 雄*
は し が き
筆者はさきに米沢青立図書館躰裏文庫本曇鑑考 を公表したが.その後その譲考の落穂拾いを続け てきた。さきに公表したのは東北轟緩大学紀要誌 上lilであるが,その繭に橿鳥青史纒纂室からの依 頼に癒じて,その論霞の擾機を福鶏糞史懸に寄稿 した。しかし諮遠の紀要もこの擾擾も多くの人々 の§毒こふれ.る機会が少なく,また難論の説得力の 不定などもあって,充分には意のあるところを汲 みとっては雛ただけなかった。その後の鐡版靭で わかる嫁く,琶鑑が慶長擁薦の土地の様子を示す かの顛く解して,この地方の状溌を談明するもの が多数紅のぼると恥う実籍である。これらのこと に薄越するため,ここで落穂を整礫して,主とし て石高に就いて,醗に公表した譲考の趣琶を,驚 の観点からみて補達するのが本稿の護的である。
余白がないので家数人数その難に離する諾遜1ま,
震の機会に譲ることとした。
註
(i) 東珪と福糧1大学紀要, 6−2, P57〜7{}.
(2/籏島青史琴経巻翠,箆蔦〜綴7.
董 騒鑑およびそれと関連{ヌ〉ある諸繧
この論考を進めるにあたって穂懸した主な文献 は,躰寒文灘本の琶鑑の原奉とみられる4懸(以 下琶鑑と記す/,福島毒大森の黒沢家の先報元年写 長井都留達鱈夫部高勃成鰻重捜以下元愁高麹絞鞍と 記す/,内閣文鐘霧蔵の岩代羅古文書中,文禄三年 高羅録藪(以下高舞録緩と記す/,属文書中藤三郎倉 入蓬々商物戎緩(以下藤三郎緩と記す/等である。
以上の海龜鑑は米沢青史資料第2号{21の琶鑑を主 とし,元穂高物成緩は原典のコピーを,その惣ま
・元牽学離教官 面{購福島毒桜木簿簸一懲
漢薬を写裏編少したもののコピー13}を嚢請した。
その外立論に縫った史料がいくつかあるが,その 者霧窒史料名をあげることとする。
紛 邑鑑と文禄曇鑑 上杉家馨ぎ41に蒲生氏時代の 曇鑑と称するもの(鍬下文禄愚鑑と記す/がある 旨述べられている。これは饗在吾々が冤ることの 患来ない文書である。しかしその内容の一藻は§
鑑や元穂高勃成鰻に受け継がれているとみら蕊る。
優し村の醗 彗顯,高および免の記載の佳方など,
織部に就いては琶鑑などと薄成彗櫓達して雛たと 思われる。欝に蒲生氏嚢寺代のことであるカ}ら,現 在の薄鐙灘湯ノ原が屋代の内に,また醤具都筆欝 および瞭欠入が俘達簾菜根の内に含まれていた.
その上多分慶長3年以降僻遠都の内に擁わる玉野 縁は,文禄琶鑑には記載されてはいなかった筈で ある。また会津・懸道等の蒲生領全域を記載して いたとみるのが当然であろう。それ故文禄琶鑑は 現存する曇鑑とは全く驚麺の文献である。上杉藩 が鎗万石に減石され,文禄琶鑑の内会津地方など の分は,再蒲生氏の手に撰纒がれたことも考えら れる。こうして米沢藩の上杉氏の手元にはシ長搾
・欝達の分だけの文禄龜鑑が残された醒能性は充 分にある。
琶鑑慧村名・握高・免・特産物・家数人数など,
韓の擬混を示すその跨容にもとづいて,その名が 崖ている。韓名・高および免に就いては元藤高物 成魑と癒めてよく似た記載の仕方をしている。琶 鑑の集録上の特色の一つは,村の翫列纈範見られ る。漂1本とみられる曇鑑で隷,一樗毎むこ一TJ)紙 に鑓戴され,一郷毎に一揺してまとめられている。
例えば僻達鄭は小手迄霧一都内に集録されている がラ茜糧・東根および小手の三郷の懸に村が董べ
られている。鱈夫都は北郷を主とした地区と,そ の飽の地区とに二分されている。長芽は上長詳・
下長葬の工雛が各一躍になっているが,上長昇蔀 では米沢以外は,上長井・屋代および藩と条の雑嚢で 鑓載され,米沢がその末羅につけられている。下
福島大学教蒼学謬論集舗号
長拝診は下長詩・津鐵・中津雛および小馨の羅に なっている。撃達1難の小手,上長発部の麗代・北 条などの地区割は,解達頷鋳代からの区分である。
東亜鐙年2簿,政宗から浅野に宛てた偽書でも,
「襲磐塩松嬬夫小野小手鍵の通二繧/5㌧として,
これ隷進上するが父祖伝来の長巽と小手を食まな い啓達とは,政宗の湧題として残したいとの顯が 込められている。欝達部と小手事譲村都とノ∫、野な どの地区の区霧鐘,この蒔銭の以前から靄然とし ていた。このように醗鑑には吉軽伝統が内蔵され ている。各軽々の顯を更にこまかく覧ると,それ は地醒上で村の記載顧に線を雛雛てみるとよくわ かることであるが,茜穣・上長芽および載条では,
甚だしく鋸列が不燭購で,無作意に各丁の紙を一 膳して綴穆念わせた観を呈して募る。懸夫の麓郷,
僻遠の小手,長井の履代などは隣接地との繋が滲 を考えて瀬をつけた形になっている。
(21醗鑑編集上の不手際 琶鑑は文禄琶鑑をもと にして纏集されたとみられるが,その文禄琶鑑で は啓達謬と小手とを懸だてにして,舞々の誌述を していたとみられる。それを邑鑑纏集のときに小 手を欝達灘の轟として,そのまま包落してしまっ たから,一部で不手藻を生むことになった。こう ほきさざわして西譲の大窪および五十沢と,小手の大窪およ び五十沢と力婁,贈名瞬表…記で膏}達蔀の内に含まれ ることとなった。後でそれに気がついたのか,後 睾で西根・東根および小手の郷名を書いた小紙片
を該当する趨議に挟み込んでいる。信夫蔀では上 簸緩と飯塚とが,共に簸壌村と羅されている。村 の文字を書きそえな沁村がいくつかあるが,文字 の誤婆と共にそれ.縁余拳穽遵い誤謬ではない。誤 謬で大き騨のは藩浮鞭湯野村の高捻蝿石総を3§§
石§8とし,信夫謬生之(窪野/轡の高7薮石を7猛 石とした類き類である。外にも数擁鍔類の誤むが あるが,それは文禄邑鑑からの写し違鯵であろう。
それをそのままにして集計して.謬高辻を算鐡し て耽る(第i表/。後年この轟高辻が慶長総隼の平 ママ秣藍桓の長井部啓達鄭総高§録鰯の麺く,長井・
嬬達の本:高として幕鰐に報告されたのである.こ のような不手際と誤謬があるが,そのことさえ心 得て灘濡すれば,愚鑑は貴重な史料とみることが できる。そめ揺懸盤につも}ては後述する。
こ轟らの事構を麹棄してみると,琶鑑は米沢藩 成立の鑛初,その領蟹内の村の擬溌を簸るため編 集されたとみられる。その際後年飯倉藩などで実施
欝溺一§
した付差鐵鰻の提崖を緒方から求めることはせず,
文篠愚鑑をもとに,いわば糊と鍍で昆鑑を纏集した から,食毒を譲沢,米沢の高を聾淫6石余,土湯を 無高とするなど,その地多くの点で当時の軽々の 実縫£そぐわない緩が鐵来上ったのである。後還 するがその鋳はそうせざるを得ない事構も存在し たのである。
③ 元瀦高麹域穰 この緩の上紙に「先方緩嚢元 秘元年江戸江上絵纒之写ゴと明記さ蕊ているから 明かな嫁く,これは慶長緩絵襲難羅の郷舞鞍の写 しである。鈴本長吉がまづそれを写して秘蔵して いたのを,次々に三露も写し継がれたから,{罪達 郡金原霞,信夫郡永井繕・鷲谷など写し落ちの村 もある。伊達灘の玉野と鑛夫郡の土湯とは,長井 の米沢と共に無轟であるた誇,除外されたとみら れる。これは上長弾の高〆が米沢を無轟として計 算していることを確認しているから縄違魏ないと 思われる。元報高密成藪の先方鰻難にも村高の誤 写もあって,それをそのままにして物成の算鐵を
したとみられる村もある。この緩の鳧鐘厘毛の位 迄表示したものがあ蓉,愚鑑の免は分位迄で,そ れ未満は燐捨となっている。大部分の轡は龜鑑と 靉靆溝免である。その村数の内で長井で92%強,
懸達で蟹夢%強毒叢琶鑑と簿高である。若し誤写とみ られるものを訂正すると,全体で§§%が縄高とな る。この鞍は元来鑑頼しうる資料をもと淀ぞ乍製さ れたから,後達する難く琶鑑と董ぶ信憑牲の大き い史料とみられる。
この緩と琶鑑との薩窪違力雪目立つのは, &〉韓の 翫爽顯.厨米沢城下およびその隣接の外ノ内,
谷地の誕載,c/亀鑑では一村として撮った岩倉 絹内戸麗そろを,この鰻では絹内戸・高楚鋒・岩 禽の三村と分けて募る点などである。のまた湯 野・庄野の高はう上飯毅・飯塚の緯名と共に正し く翫載されている。e/{勇達都落根の撃佐沢と小 手の五十沢は表記で区熨したが,大窪材はそのま
ま講村が欝名護表記のまま残されている。一部で 当選1颪に緩みかえた点もみられるが,立講を蟹沢
とし,しかも際高の家ま示すなど,簸態がそのま ま濾存されているところも多騒。こうして元秘当 蒔の実鷲から輩離した内容をもむ込むことになっ た。そうせざるを得なかった事構に就籍ては後達
する。
この鰻は愚鑑と多少の穣違を示すが,全体とし てはそ為と醗鬱している。然し現実に椿違摂ある
安瞬霧雄1米沢毒立籔叢館本琶鑑に絶する蕊・三鍔難題 3
ので,講緩では第i衰耄こ示す麟き差潮ある。誤写
第i表 饒鑑と元藤高勃域籔との藻纒高辻箆較
愚 鑑 _漣鵜醸
籔郷iむ里織藝 チ灘雛 麟麟無縫遷擬蕾む娯麟石芽罎獲郷
里 w駕津躍綱子 7雪礫暖
簾靉靆!簿繍i鱗・讐廃盤輝盗伐
競舞騒騒蟹纂漁糠欝灘
轟2難8.騰
とみられる高を簾減すると差は増大する。この差 の内豪渓城下の分が大きい割合を占めるが,そ れ・を差群いても,差が淺えてしまうわけではな
い磁
鵜 元麹高麹域鰻の麟書 この緩の麟書蘇その先 方緩薦にはなかった筈の記事である.写本の上紙 の裏に,多分編忘濡紅記入した文字麟,蕪書の形 で写し継ぶれたものとみられ,る。したぶって前書 の各項は籔詩的な記事になって》、る.しかしそれ ぞれ独立して真実を伝えて熱る。
繕}蔑馨録鞍 この緩は文巌3年の検矯の石高を 郷村懸に集録したもので,升未満は罎捨五入で示
されている。属年7月古裂迄には長井の郷村高の 訂蕊をやって,窺の高進を算饑したとみられる。
それを基にして秀吉への鞍告書を提饑した。その 後で長芽以外で数ケ郷蕎の高に, 野葬灘違い3が あることぶわか滲,その郷村高も訂死され,,訂歪 瑳密も緯記された。そして当該部の瓢高辻も訂墜 された。しかし安積藻の嚢鐵出では,多分給地高 と維人とをこの緩に書き込むときに,その計が郷 替高と麟擁するのに気がついて,鰹村高の霧死を 行った藻,安積の舞1高辻は未訂蕊のままに残され ている。これは誹算してみると容易にわかる.北 条の熱く郷村の高の集誹鱒.北条の高辻と一致し な》・など,一部では肇1の誤謬もある.
織 舞倉入と給地高 高嚢録緩には細字で御倉入 と給地高・給人名麟醗記されている。行聡にまで この醗謡が書き込まれているから,後筆であるこ とは確かである.しかし給地高熱騰暮石とか講§
石という場合,椿編者の高との合誹を鐵すと,郷 村高よむ多くなる療もある.上長井の藤泉では給 地高撰後述する麺く,藤泉の訂亙高よ警欝石余も 多くなっている。また多数の鰹村で御倉入または 給地の購謡をつけていない郷村もある。この年迄 篠島城にいた木村攣勢守の給地である福島村その
難の外,下長芹でも多数御倉入・給地の区甥を購 記していない離村があるのは,その携である。3 年後の慶長2年執・藤三鄭緩で御倉入とされてい る嫁村でも,長井の郷村の内で高嚢録緩に簿倉入 の購記がないものが含まれている。これでみると 本村勝勢守の元給地も高§録鰻に侮の購諾もない が,簿倉入になっていた可能性は充分にある。こ うしてみると訟藩徴古のi矯7蒙購ヂ本暦轡勢父 子上洛の湊1㍉云々と,京都の屋敷から氏郷蕃玉 井数馬宛妻こ濃した揺 書は,文禄3年の墾月で,こ の年の検地終了後,講年賛辞迄の霧に,水替父子 が一1二溶したことを示す麟くに見える.その後この 緩に絵入等を書き込むとき,木村父子が福島城を 去っていることがわかって,水替の元給地を無濫 記としたのであろう、それ故この緩は簿倉入や維 入寺を記録する台緩の綾羅は持ってはいないと思 われる。この高鷲録緩の原典は上杉文書ではない 事とともに,艀製遜程を語る黎く冤えるのは留意 に値する。
轡 邑鑑と蕎§録懸の姥鮫 この函緩の高解よく 簸ていることは,多くの人々が知っていた。しか
し琶鑑と元灘高勃域鰻との近{鉄柱ほどではな》㌔
むしろ高馨録緩は藤三郎鰻と近蝦していて.曇鑑 とは鱗かに本質的な権違がある、患鑑と比べて高
霧録緩の郷村高が講高のものは,愚鑑の樗数でみ て長井で簿%強・緩達で62%強で・琶鑑と元秘高 鵜威鰻との融々の講高の麟合よ蓼低い。著し長井 での簿村高の訂正繭の属島の割合をみると,薦%
に低下する。琶鑑と姦嚢録鰻との本質的な旛違に 就いては驚の籔で逮べる。ここでは各郷輝でみら れる高の穏違の数溺を,第2褒で示す、この議な 構違は第欝表でも鵯る蘂く,多くの類擁がある。
第2表 愚鑑と嘉舞鐡緩との雛材姦の鐘較 曼 鑑 高 騒 鍛緩 鎌 考
ニ
欝麟 一 石駿i長発艦舞源 §3.繕鑓1 鯉 1鑓纏禿隷
須郷茎欝・臨i 互越藻獅籔
中ノ農 3§3・38繕i 3磁誰8嚢t解甦鑑と
谷地欝薦棒井獅騰籔轡陣駁あ 毒平灘欝欝軸 ・i欝3降さを
遷影 δ6L塩5 1
{叢東灘925.8鑓1(軸麟懲暴騰霧 銘倉2騒3鰯1 2鰯7β鍛緩と
籍 露 劔2.§髭瑞 §7墾}鰯1購高であ
寿姻縦断卜筋纏 暖6顧るこ撞
難場野 2腿.繊弱1 2塑蓋2 i添す。
燵下灘艦.§8翻 晒.鋳1
縷
橿鳥大学教鳶単離譲葉3ε号 懲84−9
第3表 愚鑑と海暮鐘緩との舞高辻の比較
蕎尊奔1 石キ牙1一 饗
麓饗1膿1話談膨1湯傷ll轡
l l筆毒・錬欠入6総.総礎
i i残高 磁3難
儀夫53欝.78 、き3i毅、52 1 53ig4.き2
羅齋碁オ葡2.88一露2懸.艶
ヨ
轟羅録鰻 塗 鑑
薦 考
謎1長井各織繋の誕壷醗轟諺爵はi簿8蟹1饗§3である.
麟 藤三郎鑛 この緩は文撮換地の3年後の蒲生 氏の倉入の状濁を示す史料で,鎖主秀行が新籟の 宇都宮に移ったあと,蒲生の仕置奉行からその瞬 領を受取瞬こ若舩に来ていた石欝三成の難八ナ島 に渡さ轟た文書である。鍵って饗継橋の公文書で ある.この緩には高舞録緩に郷倉入の鞭講がある ものの外,その購記がないものの一部と,絵雛で あったが倉入に変った擁餐も含まれている。立畿 の麹く城秣と町渥敷分とを陰地にした場合は,高
§録緩との差は大きいが,その鰹は差があっても 徽差で,多くは霧高である.こうして藤三藻1媛は 磁継橋の公式緩藩であるので.轟轟録緩の郷村と その高ともども,公式の記録で鳳つ表高であるこ とは疑を人為ない。また高饗録緩の郷村および高 は一部で藤三鋸緩のそれと繋が鞍,嫁耕は長井で 大方歪保郷村緩の郷季重に,億達で儒達羅鄭村々御 綾地古高新高緩の材々に繋癖っている。
/麟 各拳長磯灘量賃二め:曹欝姓 愚鑑と轟霧鐘多緩との鑑 較は・渋谷敏己の労伜18寮あって,筆者もその、懸 第星表 愚鑑など三緩の魏較(Clま雀蹴
__
@ 1琶糞蝿塑塾鶴、論難
i 石薯芳 贋尊舞 巻斗秀 塵}上長誓立 養1 玉2惹墾 i23.§8 玉23.磐
ギ憂欝一転 慧2弱 麗.蝿 麗.讐
躍 萩生灘1 銘5.癒 碧き.轟6 銘5.磁 醗 浮揚 讐i こ3総.銘 玉3襲1.窮8 圭3弱.68藤1 却 餌達麟i 2§縫.羅 2継、至i 2鰹、ii、
盤 夫奪 野1 71鎌滲 7毅毒 7灘、盤 拶 一二子塚1 235艇i。 235、罐 235.醗籐
蟻鎧装F辮i離塁τ礪ll
崖憲懸玉麟篤い無熱鎌井灘慕
逸嚢塾難ヒ劉 饗鰻
註還鯉ま誤写の再議牲が大きい数字.藤綜第2褒の註に瞬じ.
恵に浴している・それを一翻手直しをして,元撫 高勅絞躾・藤三癬緩とを超えて穀比してみた.こ れ・らの緩は羅高が多く.櫨違していても数値が遍 いので,少なくとも前三者の姥鮫で異状が見つか れば,誤写の疑が欝た細る。この箆較では,a/
邑鑑の高の誤謬,講元霧島勅成緩の高の誤謬,
c/そのいづれとも区幾をつけかねるものなどが 浮びあがった。絶しこの方法では高霧鐘緩の誤謬 は発見できなかった.これ,は高§録緩解琶鑑など とは穏違する鱗の系譜であるためである(第4表〉。
註
鱒 長井都響達欝夫部高勅威緩,黒沢家文書
⑦ 畿鑑,米沢毒隻編集資料2,外,盤達分は餐島毒 史逝盤資料聾,長井分は鶴械叢叢下等
131福島案文牝センター,誉灘宏民の厚意による.
轡 上杉家記.米沢旛立籔書館勝藏
鱗欝達治家記録,倉3弱,鶴械叢書上.麟8i.
織 率秣欝録,福島霧史資料叢書簸,瞬3.
/71ひだ書績,鶴械叢書上.群鶴§,福讒構史2.
籍32−33.
麟 渋谷敏己:戦饗駕欝達頷下の雛繋燐め変鑑と税 の成立について,資料纒
登 縷高の邑鑑と新高の高§録鞍
繊 膳夫蔀八丁霞繕とその三郷醤 愚鑑の八丁器 材は高察緑綬等で三郷村に分けられ,その後各々 替となって絹絵9年余倍して松鱗材となる迄,そ のまま存続する。これ、は現在の纏島青松隣町の内 で,透撰:には八丁暮宿が置かれた勝である。この 三擁材の高〆は馨84石92であるが,その擁村のど れかで舞未満を麗捨五入して疑るとみられる.そ の斉未満の高を第5表の醜くに飯定してみた。麟 捨五人前の高の識ま.毒素満の分ぶ9斗i升7合 で,こ為は愚鑑の八丁饗材の高の藩毅石鶴7に建 べ,i奔だ謬多い。麟者の聾捨五入で9芽2秀に なるが,愚鑑の残捨玉入は9芽i斉である.これは 第5表 露夫擦八丁§繋の諸繧の髭較
邑
鑑
←
免 …囲捨蓋入後悔醤塗笠入麺高i
誌 轟 録 麟 藤 三 躯 緩 購
養新羅パ
563.講 1 563.驚 嘆ツ7分76i嶺1醗護3 鋤紛
、灘!謡1、講 3驚
岡
発 秘戯
膳夫諜i 蒼キ号倉 八τ聾i i銚淫・蟹}7
牌響 灘3蕊
2ツ§分 鋒八丁譲i 7斑護3
継手畷i 3給麟
1毛 計 i684.聾2
饗等舞2繕.§2 2聡.59 欝了.毅 63警.3§
安蟹襖雄1来濠市立経書館本釜鑑に隣する二・三の薦題 ﹇3
第6衰 儀央羅大森麺と土湯替の諸鰻の艶較
鼎巴 鑑
轟 曇 録 緩 藤 螺 鰻
岡
免 免
物或
蕎菩棄
大 森 22雛.艇
ミ
涯大森1.大森詩縢敷
ツ
坥
4鶏.74 63.馨 9§7.§2 8至7.6§
22縫.償
壌§.79 35.難む (織地1
8i7.各5 i269.44
2ツ〔}
3ツ5 2ツ3
石尊葺合 83.358 玉2.2欝
i88.麗 2ツ234{3 283.{瀧
ま 混 融.導 3.28 3.28 (6ツ鱒8) 2.韓
第7表 上長…駿難藤譲欝の爾鰻の箆較
邑 鑑 高 欝 録 繧
醐 灸 欝蕉後蕎
一,、3、
箒毘藤高 饗i董7春.22織 簸 姦 と 給 人
蕎 石一 羅
7澱イ∫饗与八銚,i3{}.ii毒醤六獺,露4.33牧動産上勝 ・蒼 蕎 履
違7.42八島為透,玉嚇戸鶴瀬憲工羅,講ii磁、蕊
発穂高勃成緩の八丁霞の高である(第5表〉.龜鑑 と高§録鰻との轟の差は僅少ではあるぶ,その愚 昧は重大である。そ蕊は亀鑑の高をこの三郷に優 宣醍分しても割離せる数纏ではなく,また逆にこ の三郷の高から盤鑑の高を鶴鐡すことも不可籠で あるからである。時に1ま験弛緩の高を緩癒分けす ることも行なわれた舞殿彗震達垂こある。しかしこの 八丁馨三郷の高は緩灘分けで算鐡できる高ではな
》、。この高馨録緩の高は.飽の倒からみて文禄三 年検地の高で,愚鑑の高は懸の検地の高である.
しかしそれは文禄3年以降慶長簸迄の接地高では あ吟露ないから,文禄3年以麟の馨轟と認めざる を得ない.した摂って高羅録緩のこの三郷誘の高 は新高である。邑鑑と藤三郎緩との免に差ぶある のも留意を要する
鯵 攘夷雛大森耕および土湯材 大森季麟ま琶鑑で は第6表の左禰の難くである.この露郷村の高〆 は22艇贋壌で,琶鑑の大森替の高よ警5石§3少な い。高羅録媛獲郷轡の高と藤三蔑緩の高とを跳べ ると,大森は5升の差,前欝は羅轟である。小鳩
馨は全高が6人の給地高。大森侍渥敷は大森城と その侍屋敷で,当時侍の城下集住の奨めで発達し てきた集落轟ち在郷の絵地にある量敷に薄しての 城下の町屋敷である。この械下の町人簿は薦露分 の本瞬・中町・董購などで,大森侍渥敷とは隣接 している摂雛である、大森侍遠敷は大森壕幽とそ の東麓にあた参,後年の内町耕解それである。こ うして高§録緩の大森羅郷替の高〆22艇属虚は,
それからどのような経合わせを考えても.曇鑑の 22{}9層余は割鐵し得ない。羨項の場合と瞬様,高
嚢録緩の高は新高で,琶鑑の高は瀬高であること を認めざるを得ない.
土湯繍ま曇鑑で熱海,舞舞録緩では3属28で,
文禄検地で始めて高を請けた。欝夫郡高揚韓の場 合は更に後年迄無高である麟,土湯は高揚よ参大 きい温泉集落でもあ参,また海技高度が低く耕地 も広いので,早く高を請けた。その甦鑑の無高は いわば鰻高で,高§録緩の高縁新高である。
131上長井都藤泉醤 鬼面絹の棄薦にまたがるこ の村には.墨醗38枚の文禄3年縷弛緩鱒が,写し 第8表 薄髭残郵兵籍辮轄の倉入の内の諸鰻の箆較
邑 鑑
乾隆ーミ
高 素 譜 膿 町野夫 轟 録︑ 玉 ii分 分分分分 4 355逢 灸 ツ ツツツツ 畦 222ウ轟
緩 一一些一 藤 三 良鐸 嬢
岡 隅
角 勃綾
盆代高岳
崖代新宿
、虹長井密葬
一膝 小瀬
石涛聾i85警.捻
欝ii.93 認7.融 62i,2i 弱3.き2
蠕諏
i85暮.25
i 麟L§3 r
88?.5g i
き§2L2圭 i 993.82 …
き
石}葺i
亙怒暮.欝 5ツ
巻∫茎骨
§25.窃8
茎5ii.警3 4ツ 香嚢4、772 887.5警 2ツ5分 22至.9{》
§2藁.2墨 2ツ2分 i3§.鰯
鱒3.82 2ツ2分 2i8.6護
6 遜島大学教畜学藻論集36号
ではあるが残されている。この文禄検地の実高は,
簸簿君223。表高は猛襲石質で,愚鑑の轟と疑高 である(第7表〉。鬱しこの村高の訂正前高は,磐 石溌の差があった。この村高の訂藍は穣地鰻で知 れる如く,算絹違》縛こよるものではなく,{乍意垂こ よる訂正と思われる。こうして訂正はされたが,
諺距離高,訂歪後高そのいづ論も文禄接地の新高 である。5人の給地高は合計簸磁石余で,表轟よ 鯵欝石余疹多いが,実葛よ鱗ま8護余む少ない.
給地高と齪麟があっても実高よ鞍は少ないから,
掃蕩の欝欝1艶は行なわ蕊なかったとみられる。表 海は勿論鞍憲灘の蕩であ鯵,まだ藩解蟹役をはた す高でもある。
韓 下暴発紛大三豫雛と小玉鱗 高嚢録緩には大玉 灘の夕峯小玉鱗88養鱒がある。この小玉ノ麟ま琶鑑の 玉燐には含まれていない.琶鑑の玉鱗はi総石3§
で,高鷲録緩の大墨1繕と購高である.後者の大玉 輝と小玉鱗との高は新高である。ノ1・玉緯建玉燐上 漉蔀の新醗で.交譲検地で務めて高を請けた。琶 鑑の玉鱗の高は灘高である.
鱗 羅代の遜畠と新宿等 曇鑑の高畠嫁欝5§蚕鴛
(免は4ツ嘆分〉,これ斜高鑓録鰻では三郷韓とな 鯵,新町欝97碁57,大警5蔦蕎58,新太夫237雁 欝の誕鰺59石25で.藤三鄭鰻では欝齢石欝(免は
Sツ〉とつながる.この三郷村の高峯ま新高である.
新宿は愚鑑・高霧録緩および藤三郎鰻の三緩とも 蔦簸石 余で購高,復し免は若干権違している(第
8表〉。外にも上長井の宮井・一漆・小瀬など,三 緩とも疑高である。羅し丈量の年代に違いぶあって,
簸高・新高の薩懸が馨ら存在するのである.それ は欝才の鋳の身長と23才の時の身長と騨繕じ高さ でも,その灘定の鋳点には差があるのと織機であ る.高が懸高でもそ為は慰む縷地の高であると鵯 臨する支謳にはなし得ない.この爾緩で長井と信 連では享数以上の赫が属高でも,一方は曝高,地 方は藩籬と区溺が厳として存姦する。
註
紛 鱈夫蕩蕩,福島市史麟巻v,舞5鮪 麟 藤泉村検簸藪,米沢市森騰総蔵癖藏
羅 藩鑑鑛等における天延検地と曇鑑 轡 蒲生領等の天獲検地 太閤綾地の一環である 天鉦穣地が蒲生頷等でも実施された.黒揖謬の黒 撰氏簸領では天蓋i8年9君の検麹鰻縫1ぶ数ケ鰹材
ig84−9 分が残されて諮る。当時の律達氏領では天蚕欝年
9月の綾地緩馨が残っている。会津では瞬盤年に 検地翼始。中潮後簿年後地が再調され,この時は 秀次が差陶診た綾地役給人が皆殺になる露出下郷 の赤岡材の事件難も発生した。{巽達郡でも一差癸が 発生したとする史家瞬もある.元秘蔑勅威緩の前 書にある麟く,天蓋ig年の穣麹では.嚢本馨串で 幾つか露が新生した趣く見える蕎の増趨であると さ轟ている。終戦後の農地解散で痛めつけられた 地主の方々が懐いたであろう感懐とよく診て,秀 吉公の三悪とまでいわれて疑る.欝時の鑑達でも 梅当の動揺があったことは否めない。災董i8年の 縷地条々簸と秀次の綾地鬱鬱簸の石盛では.後者 が再域滲の増石になっているのも,その一遷撫で
あろう、
天蓋懲年8薄の奥州篠綾地の岩瀬・安積・蚕翅 三灘の内の欝録{7!をみると,奥州会津綾地条々の 当代で貫文で示されている越,各擁軽侮に来に換 算した高が醗記されている。それによるとi蒼蜜 瞬ま董綴文余である。この時の斗代は上覆騰碁文で あるが,これをその麟合で換算すると,護盛撚i、i 石余になる。秀次の検地選§では石盛が上蟹隻.5養。
文禄3年検地の会津華商発貢納之式纈では,上欝 がi.4石で,奥州会津綾地条々の斗代を,i石に つき聾2文総余の離合で換算した形になっている。
こうして会津などの蒲生の本領では芽代の差だけ でも軽々の鷺に大きな較差が生じて,聞もなくそ の是藍を求める声も鑽るのである・
鱒 壌繕都率沢耕 箪澱縫には天蓋欝年9ナ灘3籍
(薪欝月鎗欝の縷弛緩/§1がある。その斗代は秀 次の検蟻羅麹こよる蕎盛で,村高は337養573であ る.9月欝繋にはまだ政宗解岩鐵出に移ってはい ないのに,この穣地緩には罫下愚六段 懸石玉薯 是ハ律達秦か馨あと 無主講と記された一筆の 土雛があ善,欝達衆ぶこの畠で傭か蕪付していた 事を示す。この臼購以蒙に政宗分領の灘餐の圭1知 が卒し渡され,領主より先にここの轡達衆ぶ懸の 安住の地に移ったのか,灘材などが蒲生頷になる ことを察知して,先に移駐したかは不瞬である.
麟 喪葬の天疋検地 長井事飯沢家の天i潅g年9 擁麓蒙の飯沢三九難宛,松下播摩守墨付戦こは,
「今度天下嶽簿験地之上,瑟々襲畠やまはやし野 溝漂ま云々とあ滲,この時長井題方の綾地嚇案施 されたことは絹かである。ここの綾地綻は松下石 見守と鐵内麟、霧守である。9擁下旬をこは秀欧摂岩
安講霧雄1米潔車立灘警館本謹鑑に羅する』 三の問題 懲出から最上を経窮して,欝莞1には長井にまわむ,
r長井に舞鍾1謬手々御{士羅騒」 した.ここでも検地 の捲揮をしたのであろう。驚舞6羅には長郷が白 石から米沢に講って麟.秀次を逢えている。苦難 義鱈氏綴もこの時の長井の検楚につき,多くの資 料をあげ説絹しているが,一蕊を讃豊すれば大方 その通蓼であろう。こうして鴛舞.ヒ舞迄には米沢 誤城下も含めて,長井の検地は完了したとみられ
る。
騰 攣達氏の麦配から離れた来沢縷域下 學達巽 時代の米沢城下に就いては小赫1教授の譲考繭があ る。慶長欝.鍵年の三ノ丸ぴ)紋張で,その東北部 の外ノ内.醗蕊の谷地の講村嫁誹鰺7石醤余に楕嶺 する地霧摂,米沢城下に霧入された.管艶羨によ
疑,こ瞬迄莞書繍隔旋辮f(糖〉1ま,臼
手縫の霧蕪簿であったが.これを域下の麓東都に,
立町とともに移された、その移転先はそれまでの 外ノ内縫縮である.そ蕊は競絵捜陣地穣駿豆の鋳 の外ノ内の字の分葎でも推灘が可籠である.この 瞬近の三ノ尭の外癖をなす城濠とその内灘も,外 ノ内村分であったとみられる。南部では発馬嚢労 野離逝が谷地材鋤の内であった。慶長褥期には講 衆寺の北方で,嘱立辮にそう地籔や,後年の馬喰 瞬・南町あた辱も谷地材の内と推灘される.享繰 の械下絵緩では躰泉寺の詫方に谷地窮神がある.
これは谷地村の鎮穿で寛文難年の移設総であると いう。購透に字瞬神後難などの字名が瞬治以降も 残る。この醗神は躰泉寺の北から発馬羅労馨ぎに移 され,一富神歓と称されている.
醤東購購近には三ノ丸拡張以薦の大郷等があっ た.本丸の東方にあたるニノ曳の一藻は,伊達氏 の近親または重翫の渥敷があったという.これを かこむように詑の元籠町,東の闘東跨・講の元馬 韓労驚の此方迄.購入町の六籍難ち編瞬・立購・
大町・轡籍・東舞および南警(大学瞬〉が謹んで いた.購入町の東方は最上鱗(松揖〉の流露にそ う滋濫漂で,海原表と辱ばれていた.金邊三丁舞 の愛米沢講授誘は,外ノ内と花沢海村の境紅また がる.この爾暦の境は最上辮(松鱗〉の霞海鎌で あろう。醗近の霞字名は鍛冶矯鵡である.邑鑑の 米沢の免解玉ツ2分と低いのも,氾濫原でよくみ られ,ることである。緩夫の申螺など類鰹は多い.
南部は谷地濟原で,ここも氾濫原である。城芋 の西は掘立辮の濠域であるが,この鱗は堀鱗の称 もあり,人工的な辮であることを暗示している.
絶しもとは最.と辮(松燐/の籔流露に残された無 籠才薄絹(名残鵬である.無縫海難は上流部で海 撰の争奪が行なわれるか,渓水による流露の変更 芙鑑家筋を主とした来沢縷下の麟
疑γ驚蝿・』・i議
でも影藤1さ翻る。縫来のような流量がなくなるの ひス
で,よく整/11と舞手ばれる麟蓼くねった流露を持つ のである.この懸麟を人工的紅改修して,外堀の 役暴も持たせたのが掘立緯であろう,天亙i5年に はこの藩に堀郷鹿家・西米沢などがあった.この 規と「米沢やかた魑との闘に侍屋敷が淺在したと みられる。米沢やかたは奉丸紅あったのであろう.
本丸とニノ鬼の大蒜分は古くからの城館8)地で,
そ脇をかこむように持渥敷が鉱摂っていた・米沢 鹿子のゼ本兎鑓方繍〜鱒弱.ニノ丸裁方i騰瞬,
醇方i8§闘」等の記事の一離縁意瞭不明のところ もあるが,攣達授爵代の城館の地の広さを推翻す るのに役立つと思われる.その魂方の元編舞(充 籠町/,晦秀の元南町(大学町または大覚簿/の 閥が誠および特産敷の外,公絹趣(以下奨頻福島 付差畿緩にならって城購と記す)で.南詫凡55§
闘.門東町の醤から塞丸をへて掘立鱗購近迄,東 西飛4総幾に及ぶ.こ蕊は73町余の広さがあるが,
その2、5割ほどを濠堀敷および遂敷として差撰い ても55町余.石盛を欝とすると高55§石余の地藪に なる。この球購は嚢子社の蓉方にも鉱がっていた かも知れない(緩参照〉.
/51邑鑑の来沢㊥姦の内談 当鋳の米沢壊下の纒 騰には花沢・懸欝・笹野・吉志舞・遠海・瞬沢・
成島・塩i野などの諸村があった。これあに闘まれ た米沢の高は琶鑑で慧蕊石余で,これは城鮒の高 を含んでいる.醜の頃信夫謬大森村も大森域の城
8 轟轟大学教育学蕊論集36号
購まで高を請け,22鱒石余となっていた(第6表/。
癌島材は759層余で藤三銘緩で瞬らかな妬く,こ れには蕩島城の械購は含まれていない。藤三躯緩 では「福農絨鋳」が8i蕎余で,それよ穆広い米沢 の骸購は,その数倍の広さをもっていた.
米沢城下の縷地縁,致宗麟岩鐵縫1に移ったあと 難ち天蕉欝年9丹23欝以降.蒲生獲舞兵衛が米沢 に入る迄の闘に行なわれ、たとみられる.これに就 いてはさきの論考で述べた遜りである.政宗転鐵 後は米沢械は空誠である.その城醗が高を請ける のは当然である。こうして豪渓の越46層余となつ 第9表 愚鑑の豪毅の轟の講談 たがこれ藩ま
1鰯騰考鷺醗
糞微騰劉驚緩 編禄3勧検
谷 繊3i3.劇 睡
薬沢薦城鶏潔1檸鏡 よ濃警搬ま
優 欝 …i4遵{}.38 1米沢の羅蕩である
除地とな滲 第9表でみる醜くになる。盤し威高分と械購の 高纏,新高ではこの表と多少の穏違麟あるかも知 れない。米沢驚の新高はi盤石余で,これは町人 簿の分である。
織 鱈央部福島麟 振達に絶しては天鉦検地の実 施が韓時であるかを薩接示す史料はない。しかし それを知る手掛瞬ま琶鑑の橿島の高759蕎§3で,
城講を除地にしている点である。天歪鰺年8月に は,政宗の禮母裁松院ぷ杉馨の館にいたことは.
浅野の禁令鵬でわかる. しかし杉昌械には城主が いないから,この時検地が実施されれば,この鑓 城醗も高を請けたのであろう.氏揮講の示す熱く,
本村轡勢守は天重婚年鎗月,杉嚢城5万石を給さ れて,多分すぐこの械の修築にかか蓼,瞬年中あ るいは翌文禄先年には杉霞城鮮賂完成したのでは あるまいか.福島械と改名したこの械を含む械醗 が,天豆三検地で嫁除地とされ,たのである。この城 陽の高縁藤三朗緩の福島城跡綴署833である.奥 州の天正検地は隅欝年に完了したとみられている。
木樗は瞬雄牛欝欝28舞(新鷺肩総鱒,秀次から政 宗に渡される永楽銭三薮貫文を,ヂ大森仁捲置候 髄成御後者再霰差峯候軌云々と,政宗に信書を 送った.この時大森は杉羅械修築率の木材の飯住 居であろう。この永楽銭は奥州の綾地を実施する 為に,敢宗の公領である二本松鑛等に駐屯してい た秀次の手勢の兵糧米を.政宗解毅納していた年 貢米の内から売益したので,その代撹として政宗
里984−9 に渡すのであろう。
23尋5
註
東詫大学鷺本文化磯究翫鞭告驚巻懲,欝欝 小縁溝治:纏台籟における太翼縷地,獲隻欝 赤緯一撮1会津若松姦吏2,群磁
鱗 渡辺慰夫1天蓋i8年の饗州仕置令について,
百姓一摸史料集絞i.窮i5
奥州会津縷地条々,宮繰満,太閤検鍵譲羅,
縫蒼馨書.撃達治家誕録,膨覗5
吉穣義援1米沢青立麟書館辮藏の琶鑑,経済醗 究 6 群鰺了
小鉢溝治:攣達氏時の米沢織下,地方癖究騒 はし解き註癬と疑書,群警,文禄と髭秘の差 吉襲葉髄:大鐸本地名辞書7,蘇68?
驚鱗舞ホ地名辞典,裟形藻,騨i麺 来沢購字寄籔青耳糞,串形銀経名録(藩翰 堀鱗荘家・蓉米澱等,鶴絨叢書上,き雌28 浅野禁令,鶴械叢書上,麩蕊9
本材・蒲生儒書.撰達治家記録,昼姐蓬 秀次鱈書,瞬上,騨薮8
麟 織
1纏
縫 経 緯 饑 餓 撚 群324
麟 秀次験地覆暴.繭織書,群225
鯵 輿擁簿綾地の醤録,ねねと木下家文書,登鴛君 麟 会津華麗発貢納之式,会津若舩藩吏2,欝総 麟 蟹榔平沢載綾地緩原典コピー、三春町隻逓僅 資料董,昼34
鱒 飯沢家文書,由影祭史古代中獲史料エ,群葺5 1欝 政宗一摸逮絵事,鶴械叢書上,群磐3−4艇 麟
1麟
膵 藩生鑛の文禄検地
繊 検地縄撰直し 策疋綾地から三年後の文禄3 年.氏郷は秀吉の下知を受けて,媛月5疑(新5 月24祭〉から嚢領内の接地を聡嬉し,大方は7湾 上旬迄に終了した。異本塔寺長緩嚇こよると,会 津羅穰の外亨懸道の嚢鱗から安積迄の;本領ともい うべき天蓬露年8月勝籟となった諸轟で,穰毎に i緩の榛地役が錘命され,各継i人の主役に下役 32人,下部8蓬人で誹i欝人づっの人数麟醍羅され,
検地を始めた。このとき長井・欝達・醗材・安達
・薙霞などの蒲生の新領でも,瞬縛に検地を驕始 した筈であるが,この長鰻にはそ為に関する記事
はない。
駆麻糠は戸懇美搾,溝沼郡は佐治主膳,会津馨 は購佐内,大沼瓢は内郷宮内,無ノ舞轟は詑瞬主訴,
安齢;赫雄!米沢青立1悪書館本邑鑑に獲1する二 王』の鶴題 9
蒲原瓢は蒲生十右籍需,岩瀬郡は大融帯刀,白燐 蔀は石絹伯耆,安積部は繊野遊外記,塩渥部は谷 内民翻が主役となった。塩渥は下野の鬼怒燐上流 である。検地緩によると,新穎の霞村灘は蒲生左 兵衛,上長井は海井二郎左籍懇.屋代は速水勝左 衛門らが験蟻を握当している。
会津狸藻その絶で一懇畠改めに不購があ靭㍉百 姓に畢乙の差がついて不公平であると,蓑姓から 訴額があって,氏輝は秀吉に上申し検地の下知を 受けたという.i天歪i8年と欝年の検地では,斗代 に差があることは前籔で若干ふれた。それも「不 翻の一つに違いない。覆し新領では天延盛年の 検地は実施されていなかったので,この意練での 不公平感はもたれていなかったのではあるまいか・
この新領では文禄検地でもさきの秀次の極地置蔭畿 の石盛を縫っているが,本領では籔赫郡平淡替の 石盛覚にある新石盛韓ぽ吟やや低い石盛を捜って 高を算饑している・会津若松青史には罫会津草高 発質li納之式麟」による石盛ぶ示され、.これによっ て高を麟鐵したという。この本額・新鎖縫での較 差は,地の事でも晃られるという(小鉢教授談L 大難麟麟重では文禄3年6月毅の検鏡緩各1
がある藩,天亙鴛年8舞の奥州会津検地条々にし たがった貫文麟書き込まれている.これ、は後筆で あるという講。縫1藻中津鱗喰1荒村の検地緩麟も貫 文で示されている。隅霧毒騰麓(若松城下の臨分 である赤瞬分)や旛苗代の建1谷地などの縷地緩で は,各筆の醸積のみを示し,高を記載していない。
懸樋部の事訳耕,上長井の藤泉替,屋代の柏木 霞などの文禄の穣弛緩も反懸のみ示している。上 長芽の露藤村と中津燐の小藪の文禄綾地緩では,
秀次の験地置§の層盛で各筆毎講掛示さ託て耽る。
これ,は後筆であろうか。島津頷での文禄綾地麟で は上率下の外,下々の赫編迄石盛を溺に聡慧して いる潜,蒲生領では村擁の震を,その材の遜畠の 品等をつけるのに舞駕した丈であるのか,その村 極によって毒盛を麟にすることはしなかった。
縄引直しの検地であるから,茉托験地の灘の検 地緩を持ち鐵して,その手直しをしたと患われる・
しかし平沢材では鐵欝が多く,村高は欝高の2.25 纏とな静,薄懇郡大卒塔婆では3繕強.瞬謬全域 ではi.53焙となった。天正2導年8月5嚢の藪二懸 古律謬弓の知行輯録蝿によると,薙懇轟の新遜蔦5
石3導,犬卒塔婆267蚕7斗,小杉麟577石の群 i㈱石である。こ蕊は…変死験地の高である。また
講年の蒲生源左嚢需の知行目録韓では,燕欝瓢の 高辻が2鍵鱒石となっている。それが文撮検地で は新羅2駐蒼余(i.6倍),犬卒塔婆827石余(3藩〉,
小紫焉馨石余(2.7倍〉で,薙遜部全壊では38縫6 石余とな辱,i.53賠となった。この穰内で高熱2
〜3焙となった擁融解あるの紅,全域ではi.53藩 であるから,購郡内でも幾らも堆石をみな》・郷村 麟あったことを示す。
長芽・繕達でも患嚢が幾らもなく.蒲生頷全域 では露万贋余の鐡嚢にとどまった.叉亙縷地の73 万石に鷲してO、25の増高である。然し長芽では合 計で欝62石ほどの轟を検地高から差引いたから,
新高の表高は鍛高よ鞍少なくなった(第3表備考〉。
121文禄3隼6〉太郎水と高霞録鞍 文禄3年の大 洪水に臠しては,会津知行霧鐘鞍でもふれら蕊て いる。異本塔寺畏緩によると曝年6月i7馨(新8 擁3譲戸天下大雨大洪水ニシテ,先年の白髪太離 水聾婆モ七闘余増シ上ル!とある.高嚢録緩には
「燐ヲシ蓋」の醗謡があり,現在の会津藪下野離 近で大きな鍍害が鐵た.塔寺・気多宮醗近の髭綾 地購透で集中豪雨麟発生したように見える。この 須擁原・春岡などは後難摂終了している煎いづ 為にも鱗押の総記はない。郷原は醗賀鱗(大鰐〉
の氾濫原にある癬,被害ぶ書きあげられていない などもあ撃,集率豪雨とみたのである。この時の 趨押荒絃高鷲録緩で鋸46葵余で,会津知行翼録の
6万石に達する鱗域などは,擁鎚で還ったのか知 る縷もない.購蜜ll震鱗鰯の水害常習地帯でもメli戒 の記事はない。儒達の羅試縷鱗ぞえにある水害常 習雛の薩鰻重十沢(第鴛表)以外,伏黒等でもき嚢 高,新高に殆んど差がない故,ここでも鱒成にな
った湊はなかったとみてよい。筆頭仕置奉行の蒲 第欝表 交線3年新磨8難3馨大洪水による緩害 1 蕎 1 水災轟
難妻,き翻身護競瓢24驚費…
蟹屋敷い25・22i36・圭7
壼暴ほ1幾1器鴛
薦軸4蓬3.7鮒2i5.総 瑳寺1雛麗 l i§7・§i 露i i5411劉護蓼ll器
鞭騰熱2蕪髪
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杉蟹i蕊瀦1§2騒
人難事寒熱 3i鱒2 1i総2§董麗.至7
磐麟十蒲一
割合 儀 考 %126、鱗矯押売
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蕊・輩睡 譲劃喬圭当荒 モ総・71鱗拝塵2.5 1興上
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を25・2暖室
1鰍欝圭
32.馨 1縄墨
ビ22.昏 1荒
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緯 蕩島実学教官学部譲葉36号 欝8逢一9 第鴛表 秀憲への鞍憲の灘幾姦辻の鑑定
蕩醤録鰻 笙瞬轟轟欝蕉麟
1懸一罐縞齪1磯購1灘騰琶鋼 講
者撰鱗 沼濯藤購代瞬斐撰購瀬積雛種違達手馨夷井我条秀 爺 群 蔭 本 長 長薯 晦 長穏津 湾大醒職獲灘撃巻看護安二態安撃小薙樗上崖義下︹ x ※ ×× 纂茅葺
誌4露。総 鍵3ま.齢
i弱2§.87 57蹴.§8 董7i簿.22
7鰹2.穏 2鍵2畦.82 i了787.6§
蟹薄7.37 3鱒2馨.認 3鞍27、警7 5麺錘.32 36襲誉.7達 334磁.蟹 講8§2.警7 3§2雛.盤 き総総.8き i2{繍.72 38§4暮.35 53i襲.52 鶉4鱗.彗 董97鱒.§
玉鰯聾.難
§3盤7.26 玉77欝3.763 セ一
合 謙 麗嘆7唾3.総
餅網
i 35283.28 ・
i 9玉26.磁 1 …/ノ1、詩嚢欝.蟻i
i ㈱.認1
モ き き
巽 〔小計7講2i.鰯 i
ノ ミ ヨ
1左 舞 …
驚 疑 麓 購 左 瞬 左 凝
3{){翼i.餐7
潅 霧 8 再誕 韓
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を ま 騰 鰯講懸8翼6.薄舞瞬 欝一左座 左舞左旋産
蕊 瞬轟 瞬
欝?3逢.2§
i欝欝.菊 購
石一蔓帯
磁戯§.懲 2磁弱.87
7緯2至.騰 788垂2.蕊 2{肇填2遵.82 主77暮7.§§
鰍}7.37 3鱒2倉.銘 袈}董27.蟹 5基壇畦.32 騰麟轟.マ4 33嬉5.鱗 8?懸2,87 352亀2.総 6§ε蘂.§§
3簸6.3§
53藝纏.52
玉77§33.7暮
一一重一
§25垂曾.85 1 §玉脅§3警.(}3
養葦牙 響斗弄
x蒼規轟と疑井の渥殺・
麓条縁.7鍔音難迄
△護騒欝.88、 一
に高を窮垂して,訂
驚餐懲.8? 一
豊海を馨{ぎした。
器暮2董.2春
了88遼2護5 一 一※安積麗の韓捻駐の寿重 2§認4。き2 一
姦磁玉;召余の糟糠を 薫『87、弱 一
蟻字.37 一 認覆三した蛮まで・舞1 3鱒2暮.銘 一 の蕩達意豪欝簸三,こ 3繰27・97 } れ鶴 鑑すれば3鰹2 5茎鱗3婁 一 纂余となる.
3§94{垂.77 − 33壌6…}.94 33463、登4
8騰2.8了 8了弱2.暮7 紅糞は写し熱・とみら
3灘総 3識欝轡る欝
6鶴鮭鑓 青郷違§憩 i
3縄.3i 騰毒.3εiξ}離筆者縁る
…
53鰭4.s2 53i蟹.§2 i 越是である
i
i△訟触で離魏 i鰹である
i?7933.76 i7簿33.霧
一一+紫
92護}2y{5.茎碁 唾§む822.警3
土左兵籍の膝許で濃馨撰幾らもないのに,轟を欝 正して減養した材が多く,瞬高に箆べて少なくな ったことなどから,この年寄共ぶ6万石云々と水 害紅かこつけたようにも見える(第欝表〉.
麟秀吉への穀告蒲生領の文禄綾簸ぎ〉結集は秀 吉に鞍告された麟.その精羅は不瞬である。しか
し会津知行舞録はその片鱗を示している.鄭ち譲 高73万石余と鐵雛8万蒼余の謙鑛万93鎗肩である。
この総高の内郷驚の分は二本縫外六部知行霧鐘磯
(以下七認知行嚢録と記す〉で一部わかる。この 暴録は家康から政宗に宛てた文書の一つで,家康 は当時大賑で文禄綾地の報告書を箆うる地{堂にあ ったから,この馨録の七藤の高は,蒲生から秀吉 への鞍告に基づくものとみてよい・この外に三公 外史鶴の上杉馨録がある.景勝の移封漸領霧録灘
(以下移講舞録と記す)はこの三公外史の欝録をも とに,瞬治縛代にその嚢銀字穰擁(津瞬共〉の高を 訂正して俘られた、三公外史は元禄頃に単称羅広 が編纂した文献で.雛麺確実な蓼と評されてはい るが,多少の誤むを含んでいる。移封霧鐘では三 公外史の一部訂正をやるのに際し,轟轟録鰻の穏 燐および津溺の高と財難し,その訂豆煎高垂艇鏡 石を三公外史の蓬雑鎗纂と入れかえたとみられる。
それ以外の各郡は三公躰隻と全く霧高である.
秀吉への艱苦の醐幅の推定には,第盤表に示 す高鐸録緩・七獺知行霞録および移欝懇録の整合 性を利稽した。秀吉への報告串七難知行馨録の七 部分の高は,そのまま鞍篶轟と見込んである.そ の飽の穰は高饗録緩と移舞羅録とを競べ,秀吉へ の鞍告高を推定した。遜材・大沼(鍔襲業〉・湾 沼・穰燐(津辮迄〉は高曇録の轟高の薄髭離高麟.
石鰭は講蛋後高がそれぞれ移封§録と一致する。
また高響録緩の攣達および小手の讃は移封属録と 僅少の差がある』そ為らとともにその鰹の繍の高
§録鰻の高をそのまま秀吉への輯告高と見込んで ある.この禰の総計は盤万99誘石で,会津知行鐸 録の蟹万93鴻纂よ雛6欝石ほど多い.この内誤写 とみられる揺達の講鍍石を引き,移封目録の安積 の36暮壌)石を鞍苦海とすると.差華ま2欝石ほどに縮 まる。現代の公文書にも時には誤警もある。秀吉 への報善もどの段階かで誤写が畿ないという保証 はない.大方の諸穰での整合姓からみて,一翻の 手違いぶあって綴万欝欝石乏一致しなくなったと 見る外はないのである。
註
麟・鱒 異本塔寺長較,会津籔下町史雛,歴史編 麟 秀次縷地置§,宮燐満 寒閤験難議盤 襲、325
黄経獅雄i米沢霧立麟婁館本色鑑に臠する二・三の瞬懸 賞 鱒 新着盛,三春町史近量資料i,欝鎗
麟 会津葦高発貢納之式,会津著松露史2,骸総 麟 郷原糧検縫緩,会津若雛青史透盤史料,欝欝2 鱗 宮購満1太難綾地藁雛,騨325
麟 喰丸材換地緩,福酷県史臆下,騨857 麟 島津藩換地,構と隔叢,登326 麟・鱒 米沢聯立饗書館嚢蔵
麟 悪利家・麟律家文書.鶴械叢書上,蝉騒5 磯 撃達案文婁,二庫松斎史3.欝欝5
鱒 三公外史む上杉舞録,藤影察蜜透鍵史料i,倉.3 瞬 藩講成立史の総合藩究,米沢藩,欝欝3
v 邑鑑など諸鞍の系譜
琶鑑その抱の諸緩をみると,露系譜と新系譜と の二つの系譜があることがわかる(第鴛表〉.
韓 瞬系譜 これは天元綾地の結果の高を受け継 く系譜で.文禄龜鑑から琶鑑に継がれ,慶長騰年 ママの平暴死麺の長井部葎達部総高暴録起つなぶる。
後者の本高29万器銘石8iは.蕎以上では邑鑑の高 〆と全く一一致している.鰹1しここで一致する昆鑑 の高は,疑遠の麺く湯野その麹の高の誤写をその ままにして集計された高辻である、これ は計算を してみればすぐわかることである。したがって元 藤高勃威緩の先方緩面が,この総高§録の先方緩 癒である筈はない(第i表).地方天童検地の結果 を甕接継ぐか.文禄邑鑑から継ぐかは購でないが,
講じ系譜に元勲蕩物成緩およびその先方緩癒があ る。この先方緩嚢は慶長馨絵纒の離縁郷繕緩であ ろう.この郷層緩にも免・物成迄ついていたかど うかは定かでない.こうして元秘高勤戚緩も鰻系 譜で,邑鑑の村名・高・免と酷骸している.領内 の各村々をこは文禄検地後の新高があるのに,この 霞系譜を上杉藩では長い闘利飛し,次の新系譜に よらなかったのは渡獣こ絶する。
鱗 癒系譜 これは文撮綾地の結果を受け継ぐ系 譜である砕露藤・柏木嚢などで験弛緩から算鐵で きる高と高馨録緩の高とが一致し,藤泉では高舞 録緩の訂正蕩蕩と一致している。この高§録緩の 高は新高で秀吉へも鞍告され,それ,は家た七郡知 行馨録,三公外史の上杉馨録.景勝の移封舞録へ とつながっている.一方高曇録緩の濠系として藤 三郎鰻がある.これは倉入のみを示すが,群纏灘 の公式文書としての公的性格から.高馨録緩の離 村も公的のもの,その高は表高である事は疑う余地 がない。この新系譜も襲系譜と饗威誇骸ているが,
それ、は天童綾地の縄引聾しとして文禄検難癖行な われ,長薯・儒達では大して籔改め(天蚕綾地)
に不公平感を鋳たなかったためか,多くの雛材で 天豊穣地のままに這い高を患した麺く見える。
131藤警鐘鞍の欝欝 蒲生の高馨録緩および藤三 郎鰻は,石懇三成ら大駈からの綾巻の手証渡され たとみられる麟,上杉家には爾方薬護らなかった とみら鈍る.若し高馨録緩が上杉家に渡されて》・
たら,慶長終年の平稼の総高羅録の麺き本高を.
江戸幕癖に轄告する筈がないし,また三公外史の
■熱杉雑録も懸4〉数縫になっていたと思われるから である。上杉家懸どの古文書の多い嬢家でも,静 達氏の岩鐵出移転の時と講じ。く,越後から会津へ の移封に課しては霧頬嚢録がなかったという。米 沢藩になってから邑鑑を編集するのに,文禄愚鑑 を売方緩嚢とせざるを得なかったのは,新高によ る瞬領§録ぶなく,また高鐸録緩の類も存在しな かった為と見られる.平躰麺広でさえ三公外史の 上杉§録を記録するのに,高霧録緩の高を蓋しく は集録できなかった事からみると、元禄頃もまだ
第鴛表 二つの系譜の郷赫高等の箆較 愚 鑑 陵繍轍…1 轟舞鐡躾
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読1藁蕎の{轟融轟雑録鰻蹄Tl}篇.仏}慧講むく無妻葺轟.( )瞳ま艶
i2 慈島大学教暦学認譲葉3ε号 欝84−9
米沢藩の縫孫者には高馨録醸を見る機会がなかっ たと薮ぜざるを得ない。これ麟慶長簸あるいはそ れ以降も,当盤の実椿から甚だしく輩離した疑系 譜の村名および高を綾濡することとなった根本的 な背景であると思われる。平抹橿広の三公外史は 鰹外であるが,それとて高羅録緩の高を亙確に受 1ナ継いでいるわ酵ではない。侮故村々から差鐡緩 の提鐵を求めなかったか嫁,後考を挨つ外ない。
結 び
/ilこの論考では主として琶鑑の史料緬盤を験謝 したが,外に高羅録鰻・元勲高鞠成緩の欝懸盤も 縷説した。各多少の誤謬があるぶ,それさえ確認 しておけば,いずれも高セ・儀懸盤をもち,しかも 有壌な史料であること解わかった。
麟 愚鑑は蒲生氏の文禄愚鑑をもとにして,慶長 奮年に編集された.その時誤写その絶誤謬を生じ たが,郷驚その鰹で勝連氏時代の書籍伝統を内蔵 している。誤写そのものも幾の慧陳で史料として 憲殊をもつことも醤窮した.
麟 愚鑑と高馨緑綬との高は,可成琴の数の郷村 で瞬高ではあるが,麟者畢ま騒蕩,後者は新高の縫
{系をもち,本質的縮違がある.
総 天査雄羊の長昇趣方の縷地は松下・山内らが
購年8舞から欝月上旬にかけて実施した。米沢は 譲蟻購も5蕊石余の高を請け雄蘂石1余となった.
鰯文禄検地の秀吉への鞍告は,高馨録鰻の樹衛 載条・屋代では穰難の高辻を講窪した後,穏燐
(津鱗共〉・湾沼・大沼(羅醸業野瞬材では.都高 辻の訂豊前になされた。
織 邑鑑は文禄琶鑑とと麟こ蔭系譜で,天蓋検地 の高を集録し,発藤高物成緩,単称歪櫃1の総高醤 録等,疑心系譜紅属する。
縫 高嚢録緩は文撮綾地の高を集録する新系譜で,
藤三鶴緩,三公外史の上杉馨録・七鄭知行羅録・
移封輯録など新系譜に羅する。高§録緩は蒲生氏 から上杉氏には撰継がれなかったと見られ,その 為に上杉藩では長く擬系譜の諸鰻を稀濡すること
となったとみられる。
購記 この講考を進めるにあたって,福島大学 の小躰清治教授からは資料の貸与,提僕箏,多大 の御醗意をうけた。また福島祭文化センターの誉 懸宏氏,来濃霧の小野栄氏,三春瞬の原宏氏,緩 見難の菊選科雄氏などの方々から御覇力をいただ いた。特に大東文鑑大学の畜懇義薦氏にも多大の 御手数を爆わし,資料や意見の提供もうけた.こ
こに厚く感謝の意を表するものである。
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