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藤井晋流の 「天尓於波秘傳」 (上) 一地方文人とテニヲハ研究

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佐藤宣男:藤井晋流の「天示於波秘傳』(上)一地方文人とテニヲハ研究一 1

藤井晋流の『天亦於波穂傅』(上)

    一地方文人とテニヲハ研究一

佐 藤 宣 男

 江戸時代のテニヲハ研究書は,主として京都・

江戸で著述・出版されているが,中には地方での,

それも存在している。寺田泰政氏の紹介された,

遠江の人,鱈有飛の「助辞本義』 『言鵬』や越後 の国で,僧自謙により著述・出版された『和歌手 示於葉見聞私録』などは,その好例であろう。亨  の「和歌童翫抄」 『歌道秘蔵録注釈」は,江戸 で著述・出版されたものではあるが,それが南部 藩の手に渡り,今日八戸市立図書館の所蔵すると

ころとなったのも,テニヲハ研究の地方への伝播 と関連することといえよう。本稿では,地方文人 のテニヲハ研究という点に留意しつつ,藤井晋流 の『天示於波秘傳』について考察してみたい。

 藤井晋流は,延宝8年(1680)に,上野国小泉 村(群馬県邑楽郡大泉町)に,近藤外記の子とし て生れた。長じて岩代国須賀川の藤井総右衛門の 女婿(妻,総右衛門の長女久須)となり,宝暦11 年(1761)に江戸で没している。俳諧を宝井其角 に学んだ,蕉門の系統の俳人であり,築月和歌集,

築月文集,晶譫語集,天示於波秘傳などの著述が 知られている。これら,晋流関係の文献は,福 島県須賀川市在住の鈴木安信氏により,発掘・

紹介され,鈴木氏には『藤井晋流全集』 (大盛堂 印刷所一福島市北町1−21一,昭和60年7月刊)

の労作がある。本稿は,鈴木氏の御好意により,

『天示於波秘傳』を披見し得た結果に基づく調査・

研究の報告である。

 なお,紙幅の関係で,本稿では,次に述べる上 巻・中巻・下巻のうち,上巻・中巻の部分のみを 扱い,下巻は次稿にまわすことにする。

 「天示於波秘傳」は,その成立年を詳らかにし 得ない。その内容も必ずしも整理されたものとは

言いがたいものである。鈴木氏は,本書について r晋流の歌学を修めていた時のノートで,朱字の 書入れは妻久須に教へる時の書入れではないかと 思う」(『藤井晋流全集』201ページ)といわれる が,その内容から推して,首肯すべきものであろ う。晋流の個人的な心覚えという面が中心となっ ているといえよう。

 本書には,目録が付されている訳ではないが,

本文の見出しとなっている項目を中心に,見出し とはなっていないが,一つの項目となし得るもの

(〈〉で括ったもの)も加えて示してみよう。

 巻上

  やもじの事  うたがひのや(1オ) はか    るや(1ウ〉 よび出すや(1う) 詞の    たすけにをくや(2オ) とがむるや(2    ウ) ねがふや(3オ) 〈めやといへる    てには〉(3オ)〈結句の終にをくや〉(3    ウ) 〈蝕情あるやもじ〉(4オ)

  やはの事(4オ)

  かもじの事  かなを略するか(5ウ) ね    がひの哉にかよふか(5ウ〉 うたがひの    か(6オ) 〈中にあるか=やすめのか〉

   (6ウ) をにかよふか(7オ)

  かはの事(7ウ) かはといふに,はの字を    やすむる事(8オ)

 巻中

  てもじの事  にてといふてには(9オ)

   してといふてには(9オ)

  のもじの事  ぞにかよふの(10オ) 心を    のこしたるの(10ウ) の留り(11ウ)

  をもじの事  いひのこすを(12オ) かへ    るを(12オ) しをといふてには(12ウ)

   〈ものを〉(12ウ)

  にもじの事  をにかよふに・ににかよふを    (13オ)

  ぞ文字の事  〈ぞのおさへ〉(13ウ) おは    りにをくぞ(14オ) 〈下知のそ〉(14ウ)

   か・よにかよふぞ(14ウ)

(2)

  こそのてにはの事  〈こそのおさへ〉(15オ)

   物をいひのこすこそ(15ウ) おさへなく    て,こそといふ事(15ウ)

  もの字の事(16オ)

  ぬもじの事(16ウ)

  つる ぬるの事(17オ)

  だに さへの事(17ウ)

  なり めりの事(18オ〉

  (以上,本稿。以下は,次稿)

 巻下

  はねてにはの事 〈ねん みん せん てん    けん なん〉 (19オ) らんどめの事(19    ウ) かかへを略したるらん留の事(19ウ)

   〈らし>(20オ)

  哉どめの事  ふきながしの哉(21オ) か    へる哉(21ウ) 中の哉(22オ)

  つつ留りの事(22ウ)

  也けりと留る事(23オ)

  てにはをやすむる事(23ウ)

  てにはを入て聞事(24オ)

  〈てにをはの名義〉 (24オ)

  てにをはをおもしろくつかふ(24ウ)

  一首の内,おなじてにをは有(25オ)

  〈てにをはをのばし,いひつめたる>(25ウ)

   *    *    *    *    *

 以上の各項目につき,順次取りあげてみよう。

まず, rやもじの事」は, rうたがひのや」 rは かるや」rよび出すや」r詞のたすけにをくや」

rとがむるや」 rねがふや」の六項目に分けられ

る。

 「うたがひのや」は,「か」との対比において,

論じられる。rや」はr下に実字アルトキ」に用 い, rキレズ,下ヲヲコス」語で, r十分(ノ)

ウタガヒ」を表す。それに対し, rか」はr上に 実字アルトキ」,r事ノ切(ル)ルトキ」に用いる。

また,疑問の意を表す時, r一字のか」は用いが たく, r幾春か」などとする。これは, rか」を 重ねて, r花かあらぬか」 rそれかあらぬか」な どと用いることを原則とし, rか」を一字用いる 時には疑いを表すr幾」などと呼応させて,はじ めて釣り合いが保たれると考えるものである。

 rや」についても,

  春やとき花やをそきとききわかむ鶯だにもな   かずも有哉

  雲や立つ霞やまがふ山桜花より外も花とみゆ

  らん

を挙げ,rこれは春やときか,花やおそきか、雲 やたつか,霞やまがふといへるなり」と説明する のは, rや」もrか」同様,重ねて用いることを 主とすると理解しているからであろう。r花や咲

らん」 「雪やふるらん」も「みなうたがひなり」

と説明するが,これもrらん」が疑問の意を表し,

疑問のrや」と意味的に呼応して,表現上の整合 性を得ると見ていて, r幾」とrか」との呼応を 考えるのに通ずる面があるであろう。ただ,rや」

を「十分(ノ)ウタガヒ」というのは, 「か」が r一字のか,うたがひむつかし」と,単独では疑 問表現に成りがたいのに対して, rや」にはその ような制約がないことによる。

 「一字のか,うたがひむつかし」といって,「か」

は実ねて用いるものとするのは,宗祇の『手爾葉 大概抄之抄』の流れをくむものであるが,これが 直接的な影響かどうかは定かでない。 「手爾葉大 概抄之抄』の巻末に,為家に始まる伝授の次第を 記すことがあり,その中に,宗祇・貞徳・長好の 名が見える。晋流は貞徳・長好の名を上げること がよくあり,このことを考慮すると, 「手爾葉大 概抄之抄』との関わりは十分に予想できる。

 rや」 rか」と実字との上下関係の相違点に触 れる説明は,内容的には「和歌童翫抄」に同じで ある。 『和歌童翫抄』には,

  やの字をば疑ふ仮名の上に置け下に使ふはか   の字なるべし

とあって,疑問を表す語との関わりとして捉えて いる。疑問を表す語とは, rや」 rか」といった 係助詞のみならず, r何」 rいづれ」 rいづく」

「いづち」 「いつ」 「いかが」 「いかで」などの 一群の語である。晋流の上げる例には,これに相 当するものがなく,どのように理解していたかは 明らかでないが,大差のないものではなかったか。

ただ,実字というと,もっと幅広い概念をもつこ とになり,曖昧なものとならざるをえない。 「和 歌童翫抄』の板行は宝暦4年(1754)であり,「天 示於波秘傳」の成立年未詳であるため,明言はで きないが,童翫抄よりは早いものであるのかもし

れない。

 「はかるや」は, 「七八分はかるや」で, 「う たがひのや」に近いものとし,この説をr二条家 の傳」という。その例は,

  百しきの大宮人はいとまあれや桜かざしてけ

(3)

佐藤宣男:藤井晋流の「天示於波秘傳」(上)一地方文人とテニヲハ研究一 3

  ふも暮しつ

  花なれや外山の春の朝ぼらけ嵐にかかる峯の   白雲

における「あれや」 「なれや」の「や」で, 「こ れは,いとまあるや,花なるやといへるなり。を しはかるやもじなり」と説明される。疑問のrや」

に近似すると解することからrらんト留ル」,即 ちrや一らん」の呼応が成り立つものと捉えら れ, rすてやなどと名目になき事をツクル,あし

し」と批判されることになる。

 rはかるや」は, 「手爾葉大概抄』にr推量」

とあり,姉小路式にはrおしはかるや」とあって 伝統的な解釈である。前掲の和歌は, r暇がある のであろうか」 r花なのであろうか」と推測する 気合いが文脈から生ずるところがらくる解釈であ る。ただ,従来はrおしはかる」という点を強調 するのみで, 「うたがひのやにちかし」といい,

さらにrらんト留ル」と,このrや」のもつ疑問 の意に着目することはなかった。晋流はrはかる や」の解釈をr二条家の傳」に基づき行っている というが,それが具体的にはどのようなものであ るのか,まだ明らかにし得ない。旧派のテニヲハ 研究の中に,我々の容易には知りがたいことがい

ろいろと隠されていることを推測させる。

 rよび出すや」は,

  さらしなやをば捨山に旅ねしてこよひの月を   昔見し哉

  みしま江や霜もまだひぬ芦のはにつのぐむ程   の春風ぞふく

を例歌とする。rよび出す」といわれる所以は,

rさらしなやとをば捨ヲよび出す」という説明に 現れており,r松嶋や」も同例とする。このrや」

はrの」と置き換えることはできず,それはr松 嶋のと云て一向手づつ」であり,rみしま江の霜」

とは続かないことからも知られるところである。

rよび出すや」はrうたがひにあらず」,故にrさ らしなやと云ては」,rらん」とはr不留」と説明 されることになる。晋流のrよび出すや」の理解 は,姉小路式以来の伝統的な解釈に基づくもので あるが,その性格をより一層端的に示している。

  r詞のたすけにをくや」には,

  声たえずなけや鶯一とせにふたたびとだにく   べき春かは

  秋の夜の月やをしまの天の原あけがたちかき   沖の釣舟

を例示する。 rこれはうたがひにあらず。詞のや すめにをくなり」と説明し, rふるやあられ,た つやかすみ」も同例であるとする。また, 「なけ 鶯,月おしま二て濟メども,や,助ケ也」とあり,

「助け」と「休め」は同一のものと理解している。

rや」を用いずに,rなけ鶯」 r月おしま」でも 内容は同じことになるが,これを用いることによ って,r幽玄に,えん(艶)に,やさしき」表現 となる。このrや」は,姉小路式にrやすめたる や」(rふるやあられ」 rさすや夕日」を例示する)

と名付けているように, r休め」るものとするの が常であるが,従来, r休め」もr助け」も同様 の視点から捉えて,厳密に区別することはなかっ た。晋流もそのように考えているのであるから,

根本においては変わりがないものの, r休め」を 用いずにr助け」といっているところが特徴的で ある。ただ単にr助ける(休める)」とせずに,

r幽玄に,えん(艶)に,やさしき」ものとする のは,一般にr休め字」の捉え方とは異なるもの で, 『てには網引綱』(栂井道敏)のr休めのし」

(上巻rに」にし)の理解に通ずるところがあって 興味深い。朱注の中に, r鳴けや鶯」のrや」に について,r三字ノヤト云,此や二てハ,又らん留 ル」と述べて, rや一らん」の呼応と関連づけ る説がみえている。この考えがどのような事情か ら生まれたものなのかは明らかにしがたい。 「い かなれば,此義ヲ直二うたがひにとる」とも述べ ているところがら判断すると,晋流自身疑念を抱 いていたということであろうか。

 r口あひのや」についても触れ,r雪や氷やの 類なり。これも大躰たすけのやにかはらず。准へ て工夫すべし」と説明して, r詞のたすけのや」

の中に含めて理解しているのは,独自な点であり,

他に例を知らない。 r花や紅葉」などのrや」は 今日間投助詞とされるもので,r詞のたすけのや」

も間接助詞の一用法であるから,晋流の捉え方は 的確なものといい得るのである。ただ,朱注に  r口あひのやハ詞の拍子也」とあるのはr口あひ のや」とr詞のたすけや」との類似性を意識する あまり,両者の差異に目が行き届かなかったため であろうか。 r口合のや」は,「氏通乎波義慣紗」

にrよび出すや」と結びつけて理解することはあ っても, 「天示於波秘傳」の場合は特異な例であ

る。

  「とがむるや」とは,

(4)

  難波がたみじかきあしのふしの間もあはで此   よをすぐしてよとや

におけるrとや」である。 r此歌の心」はrあは で此よを過せとの,そなたの心かや」ということ であって, rとや」はr中二ても下二ても,とが むる」意を表す。r俗語」でrソウかや,カウか や」というようなものであり, r中ニヲケバ,覧

と留ル」。

 ところで, rとや」は姉小路式以来, r問かけ てにをは」といわれてきた。後の『てには網引綱』

に, 「とや,とかは,とがめていふてにはなり」

とあって,名称の上では,それに先行する形にな るのである。 rとがめ」もr問ひかけ」も,内容 的にはほぼ同一であるから,結果は大差がないと もいえるが,命名の差異によく注意しておく必要 があろう。

 rねがふや」はrばや」のことであり,証歌は 二首ともに第五句の終わりに用いられているもの

を上げるが, r中にをきても,おはりに置ても願 ふ心有」と述べていて,第五句に用いるかどうか

ということには拘泥していない。このことは,姉 小路式, 「春樹顯秘抄』 『春樹顯秘増抄』にr願 ひ捨つるや」とr願ひのや」とを区別して取り上 げていることを意識した上での発言であろうか。

 rめや」は, r名目なき故袋に書付ル」といっ

て,

  思ひ川たへずながるる水の淡のうたかた人に   あはで消めや

  世をてらす日よしと跡をたれてけり心のやみ   をはるけざらめや

を例示する。それぞれ,「あはで消やせん」「は るけべし」の意であることを述べていて,反語表 現であることを理解している。朱注にはrやはに かよふ」と,rやは」との関連に触れ,r跡へう ちかへす手称葉也」と説明している。 r跡へうち かへす」は表現の上に現れたこととは逆のことを 表すのが真意であることを述べようとしているの であろう。

 晋流のrめや」の理解は『手爾葉大概抄』,「手 爾葉大概抄之抄」,姉小路式以来の伝統的なもの で,特に「手爾葉大概抄之抄』にr其心うちかへ すなり」とあるのに近い。

 これらの外に,r結句の終にをくや」にはrさ まざまありとして,

  難波がた芦まの氷けぬがうへにゆきふりかさ

  ぬ面白の身や

  ほのぼのみゆる薄ばかりや

を上げ,そのrさまざま」ある姿について,朱注 では, r云切タルモ有。カヘルモ有。余情も有。

うたがひも有べし」と説明する。 rカヘル」とい うのは, r云切タル」との対比で捉えると,倒置 法の例をいうことになるが,「や」にはそのよう な用法は考えにくい。ここでは,反語表現をさす のであろうか。文末のrや」には,疑問系の,係 助詞のrや」と詠嘆系の,間接助詞のrや」とが あるが,ここでは,それを区別していない。

  秋の露や挟にいたく結らんながき夜あかずや   どる月かな

については,旧説により, r是は鯨情あるやもじ 也。甚感ある事也」といい,さらに長好の伝える ところとして, r我袖の露ハうたがはず候ても可 有事ながら,や二て餓情限なし。我袖の二てもき こゆるヲ,うたがふ,おもしろし」と述べる。続 けて, r月かな,かへるかな,余情両方也。むつ かし。ソウハ有まじき事なるに。籾は,快にいた く露の結ぶらん也。らんは,中二置バ,うたがひ なくても済也」とあるところがら推測すると,晋 流は,長好の余情とrうたがひ」とを表すとする 説に疑問を感じたらしく, r蝕情あるや」として のみ解しているようである。r貞徳・季吟・長好 傳也」とあることから考えて,以上の長好の説は 貞徳以来の相伝であり,晋流のテニヲハ説の系譜 を知る上で興味深い。

 「おもひきやハ,思ひけりや也。初五文字にを く時,とはと留る。ももよも同じまろねせんとは おもひけりや,さはおもはずなり」も旧説に基づ

くものであるが, r〜きや一とは」の呼応(本 来は,倒置法)に触れ, rや」の表す反語の意に 着目している。

 rやはの事」については,

  春のよのやみ(は 脱力)あやなし梅花色こ   そみえね香やはかくるる

  もろともになきてとどめよきりぎりすあきの   わかれハおしくやハあらぬ

を上げ,rこれは,かやはかくるる,香はかくれ ず,おしくやはあらぬ,おしきものぞといへるな り」と述べて,その反語の意を明らかにする。さ らに, r光公云」として, rかは,やは,大躰相 似たり」ともいうが,朱注の中で晋流は,rかは,

強ク来ルヲウケル,やは,ヨハク来ヲ,ヤハトウ

(5)

佐藤宣男:藤井晋流の「天示於波穂傳」(上)一地方文人とテニヲハ研究一 5

ケル」と,強弱の差はあるものと考え,さらに,

rかは,下に物のなき時也。やは,下にものあり。

かはの歌に下にもの有もあれど,下にて切ル」と,

その用法の上でも差異のあるものとする。そこで,

rかハ,やハ,かへ物につかひ難し」ということ になるのである。 rかは」とrやは」を強弱とい う観点から捉える例は管見に入っていないが,『て には網引綱』に, rかははやはよりは急なるかた なり」と,緩急という観点から述べたものがあっ て,これに通ずるものがある。下に物があるかな いかという点に触れる説明も,他に例を見ないが

rやは」が係結の係りとなる場合が多いのに対し rかは」は反語表現として,文末にくることが多 いことを指摘するものである。

 また,

  たへてやハおもひありともいかがせん葎の宿   の秋の夕ぐれ

は,rたへておもひ有ともの心なり」と解し,r花 やハちらんよはの嵐に」も, rこれも花やちらん まで也」と説明する。これは, rやは」とありな がら疑問の意を表すことをいうものであって,「や は」は反語, rや」は疑問と解することを原則と し,他は例外と見る考えである。

  秋の田のほの上てらす稲妻の光のまにも我や   わするる

について,rこれは,やハをやと略したる也。我 やハわするる,我はわすれずとなり」というのは このことの裏返しで,rや」とありながらも,rや は」同様に反語となる場合である。

 晋流のrやは」の理解は,おおむね伝統的なも のであるが, 「やは」と「かは」との差異につい ての解釈には,当時にあって特異なものが見えて

いる。

 rかもじの事」は, rかなを略するか」 rねが ひの哉にかよふか」rうたがひのか」に分ける。

 rかなを略するか」は,詠嘆のrか」である。

詠嘆表現をになうものとして, rかな」を考え,

詠嘆のrか」はrかな」のrな」を省略したもの とするのである。その例,

  夕折(ママ)月夜さすや庵の柴の戸に淋しく   も有か日ぐらしの声

  浅みどり糸よりかけて白露を玉にもぬける春   の柳か

については, rこれは淋しくも有哉,春の柳哉の 心也」と説明する。これは「手爾葉大概抄』,姉小

路式以来の捉え方である。

 rねがひの哉にかよふか」も同様の視点から理 解する。すなわち,r心がへする物にもがかた懸 はくるしきものと人にしらせむ」の「もが」につ いて, rにも哉の心なり」と説明するのがそれで ある。文字表記において,清音・濁音の区別をす ることが一般にはなかったことに基づいて,この ような説明が成り立っていることはいうまでもな い。これも,従来からの,伝統的な立場に立って の発言である。

 「うたがひのか」については,「うたがひのや」

のところでも述べたように,重ねて用いることを 原則としている。取り上げる用例も,

  秋風の吹上にたてる白菊は花かあらぬかなみ   のよするか

  霞ぬるたかまの山の白雲は花かあらぬかかへ   る旅人

であり,いずれもrか」を重ね用いている。そし

て,

  白玉か何ぞと人のとひし時露とこたへて消な   まし物を

がrか」一字で疑問に用いていることにつき,r光 公云」として, r自たまかなにぞと,うたがひの 詞にてうけたる故子細なし」と述べている。rか」

とr何」とが呼応して,疑問表現としての整合性 が保たれると考えるのである。前にも触れたように,

r幾春か」 r誰里か」もr幾」 r誰」とrか」と が釣り合って,完全なものとなる。疑問詞とrや」

rか」との結びつきについては,光公のことばと して, rうへにつくハ,やなり。詞の下に有は,

かなり。たとへば,春や幾春といひ,いく春かな どの類なり」とも記している。例外も考慮し,rこ れが十に一つもちがふ事有也」といってはいるが,

原則は飽くまでも上記のようになるのである。

  きりぎりす夜寒に秋のなる儘によはるか声の   遠ざかり行

  明ぼのや河せの浪の高瀬舟くだすか人の袖の   秋ぎり

は, 「達人のしわざ」ともいうべき用法で,朱注 には, rやすめのか也。少疑の心も有。かな二て ハなし」と説明している。 「さすや岡べ,月やお

しま」とr大躰似よるなり」とあることからも分 かるように, 「よはる」 「くだす」は,それぞれ,

r声」 r人」を修飾する語と捉え,その間に休め 字としての「や」が挿入されたと解するのである。

(6)

これらのrか」が終止の機能をもつものであるこ とはいうまでもなく,この解釈が不適当であるこ とは否めない。 rか」がrや」とおなじような用 法をもつとすることから,それに拘泥した誤解と いえよう。証歌の扱いは異なるが,姉小路式に

r休め手爾お葉に用るか」 (第六巻)という項目 があり,そのような前例も暗示的に作用している のかもしれない。この,晋流のrやすめのか」の 理解は,『てには網引綱」にr句の中間にあるは,

休たるかにて,至て軽し。但疑の意をふくめり」

とあるのと同じで,近世のテニヲハ研究書の中で は特別な位置にあるものである。

  きのふこそさなへとりしかいつのまに稲ばそ   よぎて秋の(風 脱力)ふく

  有明の月もあかしの浦風になみばかりこそよ   ると見えしか

のr(し)か」はrしをといふてに(はに 脱力)

きこゆ」といわれ, rいひのこす(余情表現)」テ ニヲハとしてのrしを」に通ずるものと理解され る。また, 「しか」には, 「過去のしの字にかを 休めたると見ゆる」ものや,rしてしか,見しか とねがふ心に用る」ものもあると説明する。 rね がふ心に用る」といわれるrしか」の例は,

  甲斐がねはさやにも見しかけけれなくよこを   りふせるざやの中山

であり,これらのrしか」の扱いは,姉小路式以 来のものである。

 rかはの事」については,

  けふのみと春を思はぬ時だにも立ことやすき   花のかげかは

  まつ宵に更行かねの声きけばあかぬわかれの   鳥はものかは

の二首の歌を上げ,r此かはは,やはと大躰同じ」

と述べるのみであるが,反語の意を表すこと,rや は」の項で述べたrやは」とrかは」の差異につ いての理解は,ここにも該当するものであろう。

 rかはといふに,はの字をやすむる事」は,

  いかならん岩ほの中に住まばかは世のうきこ   とのきこゑこざらん

を例示し, rこれは,はの字に心なし」という。

rかは」とありながら,反語とならずに,疑問の 意を表す,すなわち, rか」同様の用法をもつも のという捉え方である。 「又,かといびて,かは に用る事有」という一は, rか」とありながら,疑 問とならずに,反語を表し, rかは」同様の用い

方をするものと理解するのである。これらも,姉 小路式以来の説である。

 rてもじの事」は, rにてといふてには」 rし てといふてには」として取り上げられる。まず,

「にてといふてには」は,

  わくらばにとはれし人もむかしにてそれより   庭の跡もたえにき

を例とし,rにてと詞をいひきる也」と説明する。

rいひきる也」と,句を切るはたらきをもつもの と解していることが特徴的である。朱注にも,rに て,して,なにもことを切手示於波也」とある。

『手爾葉大概抄』,姉小路式以来の,伝統的なrに て」の捉え方は,rは」rも」rを」などやr五音第 三の音」 (ウ段音・動詞型活用語)のrおさへ

(係)」の語との呼応を説くことであった。後に,

「てには網引綱』はr是等の事,自然にさもある べきことながら,必ずしも詠格を以一定すぺから ず」 (上巻rて」にて)と批判的な言辞を弄して おり, 『氏通乎波義憤紗』には用いられなくなる ものの,この時期においては一般的なことであっ たから, 『天示於波秘傳』の,このよう有捉え方 は特別な存在といえよう。ただ, 「春樹顯秘増抄』

の著者でもある有賀長伯の『和歌八重垣』に,r切 字の事」が論じられており,そこにrにて」 rし て」も含まれている。これらを「切字」と見る考 えは,晋流のようにrことを切手ホ於波」と述べ ることに通ずるものであって,その理解の是非は 別として,発想の上で共通点をもっている。そし て,このことと連歌論書でrにて」留めのことが よく論じられていたことには,ある脈絡が感得さ

れる。

 「してといふてには」には,

  年月はさそ(ママ)ふばかりの心地して見な   れし友のなきぞおし(ママ)かる

  悌のひかふるかたにかへり見るみやこのやま   は月ほそくして

が例示され, r是らは,にてと同じ」と説明され る。 rにて」の項において, rにてと詞をいひき る也」と述べた後に, rしてといふも大躰おなじ かるべし」といっていたから, rして」にも「い ひきる」はたらきがあるものと解しているのであ ろう。前述した『和歌八重垣」に,rして」をr切

(7)

佐藤宣男:藤井晋流の「天亦於波秘傳」(上)一地方文人とテニヲハ研究一 7

字」としていたことを考え合わせると,このよう に推測することも可能なのではあるまいか。一

方,

  よしさらバ散までハみじ桜花花のさかけ(マ   マ)をおもかげにして

については,rみちのくのまののかやハら遠け れど佛にしてミゆといふものを」を本歌にすると

し,r(花のさかりを)面影にしてミゆといふもの を,と心を詞の外にふくめり。言外の意味なり」

と説明している。すなわち,本歌の第五句の心が この歌の中にr言外の意味」として込められてい るというのである。

 ところで,朱注に見える説明は,上と趣を異に するところがある。rにてと云に,あっかひ様同

じ事也」という点では変わるところがないが,続 けて,r心おなじと云に非ず。にて二かよふして ハ,皆かへる」といい,rよしさらば」の歌はrか へらず」,r日(ママ)ぐれハあふ人もなし正木ち るみねのあらしの音ばかりして」は,rかへる」

例であると述べる。このrかへる」は,倒置法に ついていうものであり, 「日(ママ)ぐれハ」の 歌は, r正木ちるみねのあらしの音ばかりして,

日(ママ)ぐれハあふ人もなし」と,第三句以下 を句頭にもっていくと分かりやすくなるという。

  rして」も,姉小路式以後 rにて」同様にrは」

 rを」などのテニヲハと呼応して結ぶものと解さ れていた。ただ, 『春樹顯秘増抄』には,呼応の 問題の外に, r上へかへりて,上にていひきる所 あるべし」 (第二十八)と倒置法に触れ,この中 に, r心の残る」ものとrいひながして,蝕情を ふくむ」ものとがあるとする。結局, 「して」に ついて,晋流は姉小路式から直接学んだというよ

りも, 「春樹顯秘増抄』のような,江戸初期のテ ニヲハ研究書との関わりの中にあったと考えられ るのである。

  rのもじの事」は, rぞにかよふの」,r心をの こしたるの」,rの留り」の三点について述べてい る。 「ぞにかよふの」は,

  折りつれば袖こそ匂へむめの花ありとやここ   に鶯のなく

  きのふこそさなへとヒ)しかいつのまにいなば   そよぎて秋風のふく

におけるrの」である。晋流は詳しくは説明して いないが, rぞ」同様に結びを五音第三の音(ウ 段音),すなわち連体形とすることの謂である。た

だし, 「ぞにかよふ」といっても,そこには差異 もあり, 「ぞをのといふ時ハ,句の上に疑のてに は有べし。うたがひのてにはなくば,ぞとをくべ

し」と,「や」「いつ」のような「疑ひのてには」

を伴うことを条件とするのである。これは姉小路 式以来の,伝統的な捉え方で,格別のことはな

い。

といつ,

応が認められるものである。ただ,

の」との相違点は,

をのとのべたり」という点にある。これは,姉小 路式には,rおもひ残し,云のこし甲たるのの手似 於葉」とあって,rこれらは,ぞをのべたる故に,

ぞのとまりなり」と説明される。「春樹顯秘増抄』

は,rぞとのとかよふ事」(第十四)の中で, rて には口傳」にいわれていることとして, 「ぞをの といふ時は,一首の内にうたがひのかかへあるべ し」と記し, 「まれになきもあれど,うたがひあ りてよし」と,疑いのことばを用いることを原則 とはするが,用いない例も許容していて,両者の 区別に拘泥することはない。 『氏通乎波義慣紗』

は,r曾にかよふ乃あり。上にかかへなる(イ な き)時は,乃とおかず。ぞとおくよし物に見えた り」 (乃)とデ従来の説を引きながら, rさも聞 えぬもあれば,おぼつかなし」と疑問を呈し,r花 の中めにあくやとて,の歌は,下句ぞ文字なり」

と疑問の「や」を用いながら,「ぞ」が現れる例 を指摘する。春樹顯秘増抄・氏通乎波義慣鉛が姉 小路式のいう,rぞとのと手似於葉通侍る」とrお

もひ残し,云のこしたるのの手似於葉」とを同一 枠内で論ずるのに対し,晋流は姉小路式同様,異 なる視点から,それぞれ別なものとして捉えるの である。

  rの留り」は,次の三首を証歌とする。

  明(ママ)まよふ野風を寒み秋はぎのうつりも   ゆくか人のこころの

  むかしおもふ旅覚(ママ)の空にすぎき (マ   マ)けん行衛もしらぬ月の光の

  あらはれていとど浅くもみゆるかなあやめも   しらずなかれける身の

これも, 「ものをいひのこしたる」ものといい,

r心をのこしたるの」も,その用例は,

しめ置ていまハとおもふ秋山のよもぎがもと に松むしの鳴

東路のさのの舟はしかけてのミおもひわたる をしる人のなき

γ rの」と五音第三の音(連体形)との呼       「ぞにかよふ        r句の上に疑の字なくて,ぞ

(8)

朱注には,r意残したる」とある。いい尽すこと がなく,その結果,余情としての,言外の意味が 生ずるものと解するのである。ただ,人により解 釈を異にするところがあって,『氏通乎波義慣鉛』

は,第一首目を例とし(第一旬をr吹まよふ」と する),このrの」は, rかへる氏爾葉」であり,

r人の心のうつりも行かな也」と説明する。つま り,倒置法を用いた例と解するのである。その解 釈は, 「春樹顯秘抄』を承け継ぐものと考えられ る。 『春樹顯秘抄』は, 「天ホ於波秘傳』と証歌 は全く同じであるが,説明はない。ただ, rうつ りもゆくか」 r過ぎ(に)けん」r見ゆる哉」の rか」rけん」r哉」に傍点を付けていることか ら推察して,そのように判断されるのである。

 「の」については,ほかに, 「てにはのさしあ ひたる時は,もの字,にの字を,のといふ事,讃 歌におよバず」と, rの」が他のテニヲハに代わ り得るものであるとし,また, 「のもじも,もし も(三字衍字力),一首に四つあるハくるしから ず。五つあるハよろしからず」と,一首にいくつ も詠みこむことについての言及が見られる。他の テニヲハに代わるというのは,姉小路式に, rも とのとかよふ事」rにとと(イ の)とかよふ事」

(第十一巻)とあることが,その萌芽であろう。

「春樹顯秘増抄』のr心得べきてにはの事」中の,

「忘れじのゆくすゑ」 rうつつのかひ」の 「の」

の捉え方にも同様の視点があり, 「氏遭乎波義慣 紗』のrながらといふことばにかよふ乃」 r曾に かよふ乃」 rやにかよふ乃」も,その発想には共 通するものがあろう。 「てには網引綱』にも,「の は,種々のてにはに通ぜり」 (上巻 の)とあっ て,「の」を,このような観点から捉えることは,

旧派のテニヲハ研究書では,後々まで引き継がれ ていくのである。

 rをもじの事」は, rいひのこすを」 rかへる を」 rしをといふてには」の三類を出す。 rいひ のこすを」は,

  物思はでただ大かたの露にだにぬるればぬる   る秋の訣を

を例示するのみである。この歌は,姉小路式にr只 をと云て,いひ残す事も有」 (第七巻)とあった もので, 「春樹顯秘増抄」も,r心をこめて上へ かへる」 rを」に,、この歌を含めており, rまし て物思ふ袖は,いかばかりぬるると也。是は,い ひまはして,心の上へかへる也」と説明する。秋

には物思いのない人の挟も露のために濡れるのに と述べて,それと対比するかたちで,物思う人の,

露に濡れるだけではなく,涙によって一層袖を濡 らす様を言外に暗示するのである。この歌につい て, 『てには網引綱』は, 「これは,あきのたも とをといひすてて,籐情あり」と述べていて,い ずれも同様の視点から見ている。 rかへるを」は,

倒置法に関わるもので,

  行かへる八十うぢ人の玉かづらかけてぞたの   むあふひてふ名を

を証歌とする。 rこれは,あふひといふ名をかけ てぞたのむといへる」もので,朱注では,r四句 かへり」と説明している。晋流は,さらに, r四 の句へかへる二て,せはし(ママ)」と述べて,

このような用い方には批判的であるようである。

この一文は意味のとりにくいところがあり,十分 に理解することはできないが,r上の句初二の内 へかへる,よし」ということばとは逆の,否定的

な言辞であることは確かであろう。この歌を倒置 法の例として例示するのは,すでに姉小路式にも みえるところである。倒置法という観点からテニ ヲハを論ずることは,テニヲハ研究書における,

一つの関心事であって, 「和歌八重垣』には,r終 の句より上へかへる格」という項目があり,本居 宣長・富士谷成章にも言及するところがある。

 rしをといふてには」は,r物をといふも是に 同じ」と, rものを」に通ずる語と解される。そ して, 「多くハいひのこすてには」であり, r此 外に,おさへてことハる心に用る」ものもあると 述べる。 r露とこたへて消なましものを」はrい ひのこすてには」であり, 「ちると見て有べきも のをは,ことわる心」を表すと説明するところが

ら判断すると,rいひのこす」rしを」とは句末(第 五句目の末)に用いられるものであり, rおさへ てことわる」 rしを」とは句中に用いられるもの と理解しているのである。朱注では,この点を

rしを、大かた云残す也。中二てハ断二もなる」

と明言している。

 「しを」をrいひのこす」ものとrことはる」

ものとの二つに分けて捉えるのは,姉小路式にも 見られるところであるが,後には「ことわる」も のを除外し, rいひのこす」ものに限定されてい

く。「春樹顯秘増抄』は,rをもじの事」 (第六)

において, rしをといふ事 是は,しをと押へて,

心をのこしたる也」といい, 『氏通乎波義慣紗』

(9)

佐藤宣男:藤井晋流のr天ホ於波秘傳」(上)一地方文人とテニヲハ研究一 9

は,r遠」を扱う中でこのことをさらに明確にし,

r中におく遠も,下にかけぬ辞あるは,皆いひ残 す也」と述べて,句中のrを」(rしを」を含む)

もrいひ残す」ものであることを指摘している。

「下にかけぬ辞ある」というのは,格助詞rを」

の用法(述語との関わり)との対比が意識された 上での発言なのであろう。 「てには網引綱』も,

rいひ残すてには」 (上巻 を)としてのrしを」

に言及するのみであるから,『天称於波秘傳」の,

この取り上げ方は,江戸期のテニヲハ研究書の趨 勢に逆行する姿を示している。

 rにもじの事」は,rを」との通用について述 べるrをにかよふに ににかよふを」のことであ

る。

  ちはやぶる神代もきかずたった川からくれな   みに水くくるとは

を上げて, rからくれなみにハ,をなり」とある のは,姉小路式以来のことであるが,

  住よしの松を秋風吹からにこゑうちそふる沖   つしら波

を上げて, rまつを秋風ハ,松に秋風の心なり」

と説明することは,以前には例を見ぬ独自な点で ある。ただ,朱注には,r紅ゐを,松に秋風とあ りてハ,手づつ也」とあって,これらの歌の語法 が適切であることを主張しているから,晋流とし ては,これまでのように単純にrを」やrに」に置

き換えて,それでよしとする考えには同じがたい ものを感じていたのであろう。 「春樹顯秘増抄』

は,姉小路式の伝統を受け継いで, rをにかよふ に」について触れているが, 「氏通乎波義憤紗』

は, r仁にかよふ遠」があるとはいうものの,そ の内容は全く異なっている。それは,rまだ宵な がら明ぬるを 雪とのみふるだにあるを」などと いう,接続助詞のrを」に関わるものであって,

姉小路式以来の,伝統的な見方とは違っている。

接続助詞のrを」とrに」とを同一視するのは,

厳密さに欠けるものではあっても,姉小路式など の捉え方よりは受け入れやすいものである。 「て には網引綱」は, rをに通ふに にに通ふを」に おいて,或る説を引く形で通用説を取り上げる。

証歌も 「天示於波秘傳』と同じであるが,栂井道 敏もrを」とrに」とが全く通用するものである

とは考えておらず, rをの字は至りて重く,にの 字はをの字よりは軽し。しかれども,詞の趣によ りてかはる事の有べし。又,にをの二字,をのを

の別なるもの有」と述べて,軽重という面から,

その差異を見ている。

 rぞ文字の事」は, rぞのおさへ」 rおはりに をくぞ」 rか・よにかよふぞ」を中心に述べてい る。 rぞのおさへ」については, rすべて,ぞの 字は, 〔?〕にておさへたり」とあり, 〔?〕の 中にはr五音第三の音」といった語句が脱落して いるであろう。その実例として上げるのが,

  我ぞとふ 花ぞさく 涙ぞ袖に玉はなす 波   ぞたつ とひぞこぬ物をぞおもふ 人をぞ   たのむ 花をぞみる

というものであって,r五音第三の音」(連体形)

で「おさへ」ているからである。そして,このよ うな事象はr自然二叶ふ事」であるとする。また,

rおさへ」となるものは, r此外に,花ぞ見し 人ぞ恋しき 畏ぞとまりといはましものを 月を ぞ見しに神ぞしるらんはなをぞ友と思ひしか」

のようなものもあると指摘する。 rぞ」の用法を このような観点から説明するのは, 『手爾葉大概 抄』,姉小路式以来のことで,r此外に」以下の例 も含めて, 『春樹顯秘抄』の上げるものにもつと も近い。勿論,活用ということに十分な理解のな い当時としては,係結のことがよく分かるはずも なく,「ぞ一を」「ぞ一しに」 rぞ一しか」

といった例まで含めることになる。朱注で,rユ は,何ぞおもほゆなど也。此名目のうちになし」を 例示するのも同様である。しかし, 「春樹顯秘増 抄」のうがちすぎた解釈よりは,無難なものとい

えよう。

 朱注には,rヲサヘルは,約束の眼目,下に有 ヲ云也。カカヘは,約束の手に葉,上にアルヲ云 也」と, 「おさへ」 rかかへ」ということについ て言及している。rかかへ」(係),rおさへ」(結)

という用語は姉小路式にも見えるものであるが,

このように両語を対照して説明することは, 「春 樹顯秘増抄」のr凡例」に, rかかへのかな,お さへのかなと,いふことあり。かかへは上にあり。

をさへは下にあり」とあるのが目立つ程度で,「天 示於波秘傳jのこの例は,これに先立つものかも

しれない。

 また, rぞをやとのぶる」ものがあるとして,

rまだ若草の妻やこもれる」を例示し,rこれは,

妻ぞといふべきを,やとのび(ママ)たり」と説 明するのは,姉小路式に, rぞとやとのべつづめ かよひ侍り」といって,同じ例を上げている場合

(10)

を承け継ぐものである。これは,「春樹顯秘増抄』

にも見え, 『氏通乎波義慣銑がrやをつめたる ぞあり」といって, 「いはふこころは神ぞしるら ん」の例をあげるのも,このことと関連している。

rぞ一五音第三の音」 rや一らん」と用いる ことを基本と考え, rぞ一らん」 rや一五音 第三の音」の例があることに着目して, rぞ」と

rや」が通用すると考えるのである。

 rおはりにをくぞ」は,

  恨みわびおもひたへてもやミなましなにおも   かげのわすれがたみぞ

  みこもりの浪の岩かきつつめどもいかなるひ   まにぬるるたもとぞ

を上げ,rこれは,ものをとがめたるなり」と説 明する。このrぞ」はrとがめたる」意を表すと 解するのであって,朱注に,rとがめては,治定 して不留」とあるのは,このことと表裏の関係に ある。 「とがめ」の「ぞ」であるから, rなに」

「いかなる」という語と呼応することができるの であって, r治定」 (断定など,疑問表現にはな

らないもの)とrなに」などとは表現上釣り合い がとれないと考えるのである。

 姉小路式に, rいひすつるぞ」とあるのは,こ れと同じものであろう。特に説明がある訳ではな いが, 「幾世すむべき水のながれぞ」と,その例 はrいく一ぞ」の呼応が見られるものであって,

「春樹顯秘増抄』は, rうたがひたるぞ」として 同じ例を引き,r上にうたがひの詞ををきて,ぞ

と留る也」と, rうたがひの詞」との関わりを明 示している。ただ, 『春樹顯秘増抄』は, rうた がひたるぞ」のほかに,rとがめたるぞ」も掲げ,

r神がきはしるしの杉もなき物をいかにまがへて 折れる榊ぞ」を例とする。両者の差異をどのよう に理解しているのかは明らかでない。 『氏通乎波 義慣鉛』のrことわりすてたる曾」は,句末に用 いる点においては同様であるが,その視点は異な るものである。すなわち,疑問のことばとの関連 には全く触れず,むしろ,或る説としての,r上 に下知の言葉をおきて,ぞとことわる」ことに言 及して,古今集にrさもあらぬ」ものもあるといっ て,否定的な立場をとっている。

 また, 「な一そ」の「そ」も,文字表記にお いて清濁の差を明示しない当時の慣習に従うなら ば, 「おはりにをくぞ」との関連で扱うこ・とにな る。すなわち, rそを清ていふ時は,下知なり。

人なとがめそ,かくなせその類なり」と説明され るものがそれである。これも,姉小路式以来のこ とであって,格別なことはない。下知の意を表す と説明すること,下知の意を表すのはrそ」であ るとし,「な」にはまだ目が向いていないことも,

当時の一般的な姿である。

 「か・よにかよふぞ」については,「君が心か,

君が心よ,といふは,君が心ぞなるべし。此三つ は,てととまらず」と説明される。姉小路式には,

rぞかよの三ツの仮名かよひ侍り」とあり, rこ の三文字は,てととまらず」という説明も見えて いる。この捉え方は,連歌において特徴的なもの であって, rて留り」に関することとして論じら れる。 『連歌手爾葉口伝」のrぞかよの三字事」

とあるのが,それである。

 rこそのてにはの事」では, rこそのおさへ」

r物をいひのこすこそ」 rおさへなくて,こそと いふ事」が論じられる。まず, rこそのおさへ」

については, 「こそといふには,エ ケ セ テ

子ヘメエレにておさへたり」といって,

  物をこそ思へ 人をこそまて 有とこそきけ   玉をこそなせ えこそねられね それをこそ   見め 月をこそ見れ

を例示し,rこれらは,ミな自然の事也」として,

さらに,「此外に,らし,しに しか べきに に

きかをよ,如此も留る也。月こそ月よ恨

みんとこそ思ひしに 我こそ恨みはつべきに,の 類也」と述べている。 rこそ」とrかかへ」た時

には,五音第四の音でrおさへ」ることを原則と し, r此外」以下の例外的な語にも言及する訳で ある。これは,全くといってよい程,姉小路式の 叙述に一致するものであって,その伝統を承け継

いでいる。 rぞ」の場合と同様に, r此外」の中 に上げる「しに」「べきに」「にき」「か」「を」

rよ」が, rこそ」の係結の現象と直接結びつく ものではないことはいうまでもあるまい。

 rものをいひのこすこそ」は,r春も過秋のく るるもかぎり有に又ハあひミん野をのミにこそ」

(以上,原文ノママ)を上げるのみで,説明はな い。これも,証歌も含めて,姉小路式に一致して

いる。

 rおさへなくて,こそといふ事」は,朱注には

「ククリなきの(ママ)こそ」とある。その例は,

  あし曳の山さくら戸をまれに明て花こそある   じたれをまつらん

(11)

佐藤宣男:藤井晋流の「天称於波秘傳」(上)一地方文人とテニヲハ研究一 11

であり,また,r秋こそ月の白川の関」をも上げ ている。この両例は体言で止めているものであり,

所謂,活用語による結びのない用法である。本居 宣長の言を借りれば, r動かぬ言にて結ぶこそ」

であるが,活用語についての知識が不十分な,当 時の状況からすれば,rおさへなくて」留めると か, rククリなき」用法と説明せざるを得なかっ たのもやむをえないことであった。

 ところで,このようなrこそ」の扱いが姉小路 式の系統に見られないのは興味深いことである。

「手爾葉大概抄」に, r錐不受持心則留也」とあ ることについて, 「手爾葉大概抄之抄」は, rこ そと置て,受て留る字はなけれ共,詞を残し,或 は,に を といひ捨て,いひ顯さず,心に持て る詞の内に,えけせてねの通音等にてとまる様に いひ残せば,こその文字とまれるなり」と述べて いる。これは, r雪ふりて年のくれぬる時にこそ つみにもみぢぬ松もみえたり」(古今)について,

rみえたりけれと残れり」といい, rけれ」が省 かれていると見る考え方などをさす。そして,こ れに並べて, r世にもれてこそつらき中垣,など いはんな(イ は),中垣とはなれと,心にもて るなり」とも説明している。捉え方は違うが,体 言止めに関する例を取り上げている点では,通ず るものがあるのである。「てには網引綱』は,r五 音第四の音」でrおさゆ」るのは, r自然に相慮 する辞」であり,これをr秘説」などというのは

r僻事」であると批判した上で,rこそといひて,

おさへの字なき歌,又あげてかぞふべからず」と 述べて,前掲のrあしびきの」の歌などを例示し ている。晋流よりは,さらに一般化して述べてい るものである。

 rもの字の事」は,rこれもかれもなどいふ時,

もとつかふ」ものとして,重ね用いることをいい,

  もののふの八十うぢ川の網代木にいさよふな   ミの行衛しらずも

のような,rおはりにもと一字をく」ものは, r歌 がらものびてきこえ」るものであり,故に「たや すく置べからず」と述べる。

  rも」を重ね用いるものとすることは, 『手爾 葉大概抄』に,r二兼也」とあり,姉小路式にも,

 rおなじ心の手爾おは」であって, r一首にあま た置事有べし」と説かれる。句末に用いるrも」

は,r休字」として扱われるのが常であり, 『春 樹顯秘増抄』,第三十六,rもの字の事」に, rや

どの梅ぞも」r紅葉すらしも」が, 「氏通乎波義 慣紗』のr毛」には, rぞも」 rけらしも」のほ かに,rわが身かなしも」などの例を上げている。

「てには網引綱』は,rさくら花咲にけらしも」

を上げ,r超嶽院殿の御説」として,r此けらし ものもの字,めづらしき也」という言辞を引き,

それに基づき,r尤味深し。可考」と述べている。

晋流がrたやすく置べからず」といい,栂井道敏 がr超嶽院殿の御説」としてではあるが, rめづ らしき」ものとするのは,この,句末のrも」が 上代を中心とする,古語的性格の強い語法であり,

当時においては,あまりにも古属なものと受けと められたからである。ただ,道敏がこれを一概に 否定せず, r味深し」と評したのは,彼の尚古趣 味からくる発言といえよう。

 rぬもじの事4は, r不のぬ」 r畢ぬ」がある とし, rあハぬ,おもハぬ」は前者の例, rあひ ぬ,おもひぬ」は後者の例であるとする。また,

  月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひと   つはもとの身にして

を例とし,r句を隔て,同じぬを置事よろしから ず」と, r句を隔てて」という条件を付した上で はあるが,rぬ」を重ね用いることは忌避すべき であるということを原則とする。しかし, rわざ とをく」こともあり,右の歌は,その好例とする のである。

 rぬ」に打消のrぬ」(不のぬ)と完了のrぬ」

 (畢ぬ)の相違があることは,以前から理解され ていたことであった。 r不のぬ」に関しては,rあ

りはてぬのぬも不文字也」 (和歌色葉)のような 例があり,宗祇の「長六文』には, r畢ぬ」が見

えている。ただ,両語を対照して述べることは,

中世には例を見ず,近世に入って, 「一歩」に,

 rふのぬは,あのひびきの仮名に付,……をはん ぬの付仮名は,いのひびきなり」とあるのが早い 例である。 rふのぬ」については, 「こぬ,せぬ,

ぞんぜぬ,かんぜぬ」などの例外があり, rふの ぬ,をはんぬ両通のぬは,いのひびきの仮名か,

ゑのひびきのかなかに付也」と,一段活用・二段 活用との接続に関する発言も行っていて,活用に ついての完全な理解がまだ得られていないために,

もどかしいところがあるが, 一歩』の接続につ いての観察には,なかなか見るべき点がある。

 『和歌八重垣」にも, rをはんぬ」 rふのぬ」に ついて触れるところがある。

(12)

 rつる ぬるの事」については, r光公云」と して, r是ハ大躰同じといへども,一首趣による なり。翫味すべし」と述べ,

  道のべの清水ながるるやなぎかげしばしとて   こそ立とまりつれ

のrつれ」はrぬれ」では表し得ず, rしばしこ そ立とまりしに,清水ながるる柳陰のあかず,ほ どへたる心なるべし」と説明する。「立とまりつ れ」をr立とまりしに」と解したことには,それ なりの意図があり,それは,朱注にrつるは過去,

ぬるは當前」と説明する場合のrつるは過去」に 照合するものである。また,両語の差異に触れ,

r名目強キハつる,弱キハぬる」とも述べている。

 過去の意のrつる」に対して, rぬる」をr當 前」とするのであり,この捉え方は, 「てには網 引綱」に,rつる」はr既往の心」があり,rぬ」

(rぬといふも,ぬるの略也」とある)は, r至て 軽し。見在の意也」とあるのと同じである。 「一 歩」は, rつる」 rぬる」ともにr過去のてにを は」としながら, 「ぬる」は「句によりて現在に もなる也」といっており,晋流や道敏の考え方へ と移行する契機となるものを含んでいる。 『てに は網引綱」には,rぬ(ぬる)」もr既往の詞をう けていへば,既往にも成べし」と, 一歩』とは 逆の行き方を示している。rつる」をr名目強キ」

もの, rぬる」はr弱キ」ものとするのは, 「て には網引綱』の,rつ(つる)」をrぬよりは,強 きかたなり」という発言と同じである。

 rだに さへの事」についても, r光公」の言 として,r是も大躰同じ。一首の趣によるべし。

翫味すべし」を引き,さらに,

  橘はみさへ花さへその葉さへえだに霜をけと   まとま(ママ)常葉木

を上げ, r或説云,もの字にかよふ。実も,花も

その葉もなり」と述べて, rも」に通ずる用法の あることにも触れる。rも」との関連については,

「長六文』に, rさへといふ言葉」について,同 じ歌(第五句は, rましてときは木」とある)を 例示し, r此さへは,実も,花も,その葉もとい ふなり」と述べていて,晋流の発言は,これを踏 襲した形になっている。

 rなり めりの事」は,これまたr光公云」と して,両語がr大躰同じといへども,少し違ひ」

があり,それは, 「めりハなりに,かといふほど の心を入て聞べし。少治定をさる心有」という点 にあるとする。

 rめり」は,一般には取り上げられることがな く,取り上げられても, 「春樹顯秘増抄』のよう に「めは休字也。ただ,るといふ迄也」と, 「休 字」という観点から見るのみであった。すなわち,

「吹あはすめる」 「よくめる」は「吹あはする」

rよくる」と同じであると考える訳である。これ をrなり」と関連づけて論ずることは,亨辮の「歌 道秘蔵録』の注釈に, rなり,なるにいたくかは らず」とあり,まだ,類似性に目を向けるのみで あったが,「てには網引綱」に至って,rめりは,

なりに少し疑の心をかねたるやうの事なりと,不 昧眞院殿御説也」と,不昧眞院殿の説として,取

り上げることになる。

〔以上,中巻までの内容について述べてみた。

下巻については,次稿にまわすことにする。

なお,末筆ながら, 『天示於波秘傳』の原本 の閲覧・調査をお許しくださった鈴木安信氏,

 『藤井晋流全集』について,いろいろと御教 示くださった,福島大学名誉教授,菅野宏氏 に心から感謝申し上げる。〕

(13)

佐藤宣男:藤井晋流の「天示於波秘傳バ上)一地方文人とテニヲハ研究一 13

      AStudyofTEMOW14HIDEIV

      by ShinryU Fuiii

      Nobuo Satoh

  In this paper, I will try to make clear the historical meaning of

teniowa s study on TE/VIO%4 HI1)E/V by Shinryu Fujii.Shinry豆 Fujii (1680〜1761) stu出ed haikai poem from Kikaku Takarai,and worked activity as a poet wrote many great poems in Sukagawa,

Iwashiro country.

  TE/VIOW14 HII)EIV consists of three volumes。 In this paper,I treat the f irst and second volume, and I will argue about the third volume in next paper.

  Itemes which this paper deals with are as follows.

      (From the first volume)ya;yawa;ka;kawa。 (From the       second volume)te;no;o;ni;zo;koso;mo;nu;tsuru;

      nuru;dani;sae;nari;meri.

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