音楽におけるパフォーマンス
嶋 津 武仁
序
音楽では PERFORMANCE とは伝統的に,
〈演奏〉と訳されているが,そうした規定は他の 領域で用いられている意味と必ずしも一致してい るとは言えない。それどころか,その「使用範囲」
は増々広がっているように思える。それはこの言 葉がもつ曖昧性も原因となってはいるが,それが 本来持っていた表現芸術の根源的意味を蔵してい ることにもよるだろう。とはいえ,その一つ一つ の異なる領域における各々の意味はお互い相隣接
している関係にあるとも言える。
ここではそうした関係に留意しながらパフォー マンスがもたらした,又もたらしうる可能性を論
じつつ,再び音楽の可能性そのものに置換し,音 楽のファンタジックな側面をより豊なものにした いと願うものである.
一)パフォーマンスの起源と領域
音楽について論じられる時,従来,第一義的に はその〈音〉の部分,すなわち聴覚に関わる側面 が取り扱われてきた。とりわけ20世紀初頭までの 創作の場面では,それ以外の側面はそれらの作品 の構成外,あるいは要素外に置かれていたと言っ ていいだろう。実際,〈音〉が構成する部分以外に ついての記述を音楽について書かれた文章のなか に見いだすことは今目に至っても困難である。そ
うした点からも,音楽は自らの領域のボーダー・
ラインをしっかり守って来ているように思える.
その点,もう一方の表現芸術である美術と大きな 違いを見せている。
美術はパフォーマンスに早くから積極的に関わ ってきた。パフォーマンスは「美術の枠から強引 に飛び出して」きたとまで言われる(注1もそれが単 に両者が視覚に関わっているという共通性だけの 理由ではないだろう.そうした指向は美術が〈時 間〉の概念を取り入れたときに起因する牲2)とも,
また繰り返しのきかない一回性が扱われ始めたこ とによるとも言われている〔注3)が,ともあれ美術 のサイドから見るパフォーマンスはその行為の四 次元化の中に見られるものということができる。
そしてオブジェ,ボディ・ペインティング,モビー レ,更にインスタレーションという様々なスタイ ルを生み出しながら自らの領域をはみ出してくる.
また別なオリジンの一つとして考えられている のは演劇である。最近でもアメリカの実験演劇の 中に見られる要素はほとんどパフォーマンス的な ものであり〔注4),またパフォーマンスは「だめに なった演劇からでてきたもの」(注5)という意見も ある。ここでは常にそのテクスチャーの扱いが問 題視される。またその演じられている空間も大き な問題提起の要素になっている。
舞台芸術から発したという面で演劇と共通する ダンスからの流れも認めることができる。それは,
初めはモダン・ダンスmodemdanceとして,そ こから創作舞踊creative danceというスタイルが 派生し,更に舞踏Butohという日本独自のスタイ ルが生まれてくる。ここではその身体性,肉体性 が中心となっているが,更にその周囲の環境をも 取り込んでいく。
しかしながら,そうした起源に関する論議はパ フォーマンス性そのものと両立しない。なぜなら そういった個々の性格に偏らない,あるいはそれ を超越しているもの,脱領域的な行為すべてにパ フォーマンスという〈規定〉が用いられうるから
である。
とは言え,今日流行語となっている「パフォー マンス」とも,あるいはその英語PERFORMANCE の一般的に用いられる様々な意味とも明確に論点 を分けて考えるべきであろう.もっとも,そうし た次元も根底には同一のものをもっているという ことを否定はしないのではあるが.
そしてこの小論ではその表現芸術のなかでの意 味と可能性のなかで論述を進めていくことにする。
よって,いわゆる コスト・パフォーマンス と
言う使い方に見られる「性能」1注6〕の意や先に挙 げた音楽における「演奏」という限定もここには ない.まして政治家の利用する ところとは無縁な 論点を持つものである.
二)音楽と接する或は共有する過去
こうしたパフォーマンスの一場面に音楽との接 点或は共有点を考えるとき,そこにどんな事象と 人が関わったのであろうか。
それは決して突然やってきたのではないし,ま た何か特別な意図をもって現れたのでもなく,い つしか消滅していく類のものでもないと考える.
例えば音楽がその領域を確立する以前の様式を 考えてみればいい.今日でも「儀式」や「祭り」
の様式の中で見られるような,世界の各地の文化 の中でそうした状態にある例を捜し出すことはそ う困難なことではないだろう1注7).そうしたいわ ば未分化,多領域的な状態も〈パフォーマンス〉
性の特徴のひとつにあげられる.
音楽のみならず,すべてのジャンルに言えるこ とであろうが,あるジャンルやスタイルは,その 発展の中で内なる世界の形式或は表現への精緻化 と外なる世界のそれへの拡大化が交互に起こりう るものと考えることができよう。よって元来,宗 教や呪術或は政治等広い領域に亙っていたものの 一部が音楽というジャンルに集約していったもの
とも考えられる。そしてその音楽自身が今度はそ の表現の幅を広げてきたと考えることができるの である。音楽がパフォーマンスの要素を取り入れ てくるのはそうした方向の延長線上にあるとも解 せられるのである.
多領域的であるということにだけ着目してみれ ば,音楽の歴史の中でそれを顕著に示したものと
してバレーやオペラといった他領域との共有作品 を挙げることができる.あるいは,それらはずっ ともとのスタイルを持ち続けて来たのに過ぎない のかも知れない。
「未来派」の中で
しかしまさしく今日的な意味でパフォーマンス に関わった初めの例は,すでに前世紀に現れてい る。アルフレッド・シャリの『ドタバタ不条理劇
〈ユビュ王〉』の上演(1896年)である 注8)。それ
は人形劇を模し, 「風刺性」をもち,伝統的な意 味での「劇場」の破壊が試みられた。しかしより 衝撃的に今日まで影響を与えているのは今世紀初 頭の「未来主義宣言」 (1909年)に始まる「未来
派」FUTURISMOの活動である.彼等の発表し た「音」に関わる部分を担当したのは,従来の意 味での音楽家ではなかった.その創始者と言われ ているフィリッポ・トマソ・マリネッティは詩人 として,またマリネッティに協力して「騒音音楽」
の「父」になったルイジ・ルッソロは,画家とい う既成の職に「配属」されていた。身体性・空間 性の表現への取り込み,といった側面を見せなが
ら,彼等の機械文明への肯定はスピード性も加えて,
武器更に戦争への礼賛に結びついていった(注9)。
そこで表出された彼等のエネルギーは,明らかに 次の時代の予備をもたらすのに十分なものであり ながら,その限界も内蔵していたように思う.
彼等が一連のラディカルな行動の中で示した特 徴は,上記のように自動車や機械の騒音,あるい は同様に工業生産の現場に登場したばかりのエレ クトロニクスをも含めた「メカニカル性」,や「政 治性」を初め,「日常性」, 「低俗性」が挙げられ る。 「音」について見ても,そこで作り出された
「楽器」 (イントナルモーリ)は「市電,エンジ ンの爆発音,汽車,群衆の叫び」1注10}等をシミュ レートし,ブラック・ボックス化した「箱」の中 に閉じ込め,一それを作動させる「奏者」によって
「演奏」された。こうした「装置」は,この運動 で主張の中に取り入れられた「偶然性」をも内含
し,それまでの音楽家の感情表現を排除し,いわ ゆる「演奏」の場から従来の意味での「奏者」を 締め出して,他の行為に共通して見られる「非人 間性」にも通じるのである。外見の〈ものものし さ〉に比べ,現実的には〈貧弱な〉騒音の集まり であったのではなかったかと,近年,再現された
「音楽」から想像されるが,そうしたことは「見 せ物的」なもの, 「皮相的」なものに,そしてそ
こから更に「非芸術性」或は「反芸術性」を引 出し,結果として「脱領域的」外形を持ち得たこ とを十分うかがわせている。 . 元々,社会の不安や安定への撹乱を目的とした デモンストレーション(「宣言」を通じての示威行 為)の先は主張の多極化と無計画性による一種の 内部崩壊による分裂か,さもなければ,彼等自身 の自我をも埋没させ,自らの自由をも束縛し,個
個の主張もより大きな権力の中に飲み込まれてい くしかない姿があるだけだっただろう。しかし,
初期の「未来主義」自身のあまりに過激な活動は それ自身を超える,より強い刺激に展開が見られ なければその魅力を減じてしまうし,不安状態の 長期的持続もまたその反作用を生み出す。現実的 には,そうした理由で次の「主役」に移って行っ たと考えるのが妥当であろう。
「未来主義」は確かにその後もいくつかの「運 動」の直接的引金になった。やがてスイスから北 方ヘドイツを中心に,ヨーロッパをのみこみ,ア メリカにまで広がっていく「ダダ」DADAや,ま た革命前から革命後のロシアで多元的に発生,展 開をみた,いわゆる「ロシア・アヴァンギャルド」
恥ssian Avantgarde等を挙げることができる。
「ダダイズム」の中で
イタリア,フランスに起こっていた「喧騒」を 横目に,スイスのチューリヒに現れたフーゴー・
バルを中心に,〈キャバレー・ボルテール〉に集ま った芸術家や作家達が起こした新しい芸術への過 激な運動が「ダダ」あるいは「ダダイズム」と呼 ばれるものである。
「未来派」の活動がその「発想の原点」〔注mに なったとはいえ, 「ダダイズム」の温床となった スイスの当時の特殊な状況が大きく反映していた のである.第一次大戦前の混乱と戦争のさなかにあ って,中立国であったスイスは多くの外国からの 亡命者や避難者でひしめいていた。いわば,文化,
思想の「無国籍」状態にあった。そしてそれは又,
「全く種類のちがった個性」(注12)の発揮できるく場〉
でもあった. 「未来派」の中で行われていた意図 的,非日常的「無秩序」状態がここでは日常的な
レベルで存在したのである.
音楽との接点は,初期の段階にあっては, 「未 来派」の「騒音主義」が引き継がれ,或はその「騒 音音楽」をそのまま紹介する場ともなり,それら が新しい発想によって行われた芸術行為の「伴奏」
などを構成した.また,時に「印象派風」の音楽
(注13}が,そこで発表された新しいスタイルの「詩」
とく共演〉することもあった.
この新しい「詩」の先例もまた「未来派」の運 動の中に見られうるものではあるが,多くの言語 の坩堝と化していたチューリヒでは,まさしく新
しい意味を生じていたと言える。そこでは言葉は 相手に情報や意見,意志の交換に使われた「道具」
から, 「ダダ」の行為者によって,抽象的表現の
「道具」,〈芸術の具>にまで高められ,「音声詩」
等に見られる「声」の表現様式として発達したも のと思われる。勿論,ここでは芸術は過去のそれ と同じく顔〉ではなく,過去のものは排撃され,ま た現在をも批判し, 「固定化」よりはむしろ,「破 壊することをみずからの存在理由」〔注141としてい たのである。
こうしてほとんどの行為が「未来派」のそれと 外見を同じにしながら,極めて芸術性の強い方向 での新しい表現のあり方を問うたのが「ダダ」の
「運動」ではなかったのだろうか.また,〈由縁〉
のはっきりしない無国籍的「ダダ」という 「名称」
からも推察できるように,それはなんの限定され た意味も持たず,その「無意味性」はそのまま,
「未来派」のような「綱領」1注15)や「宣言」の拘 束からの自由をも意味していたのであろう.いわ ば,新しく多様な世界における新しく多様な「個 人」と「人格」の補償をも意味していたのではな かろうか。
しかし戦争の終結とともに,チューリヒもその
〈避難地〉としての意味を失い,舞台は戦後のベ ルリンに,更に新しく,豊かなアメリカに移って いく。そして再びパリにも波及していった.
サティの中で
総合化と領域のぐ越境〉は常に音楽の世界の外 から起こっていたように見えた中に,独自の生き 方とその特異な音楽によって「外へ」働きかけた 音楽家として,まずエリック・サティを挙げるこ とができる.この作曲家を「ダダイスト」と呼ぶ ことは必ずしも当を得ているとは思われない。彼 の「前衛的」創作姿勢は,十九世紀末に始まるそ の活動の節々に現れていたし,彼のその後の作品 すべてを「ダダ」に結び付けることには無理があ る.むしろそうした性格を持ったものは,その生 涯の作品の中でほんの一部を占めていたにすぎな いとさえ言える.しかしかれが「ダダイストに共 感し,その運動に参加していたことはよく知られ ている」1注16)ところであり,実際,その作品の中 にはよくその特徴を示しているものがあった。例 えば,その最たるものがバレーrバラード』(1917
年)であろう.実際に彼が関わったのはその「音 楽」においてであったが,様々な既成のジャンル から参加した芸術家達(ピカソ,コクトー,マシ ーン,ディアギレフ)との共同作品はまさしく「多 領域的」であり,そこに使われていたタイプライ
ター,サイレン等を用いた「騒音音楽」,そして何 よりも「見せ物」 (バラード)という題材自体が,
確かに「未来派」からの系譜を主張しているかの ようにさえ思える。また彼の「家具の音楽」やそ の他の作品の中に従来の音楽の領域にはない様々 な要素を見いだすこともできる。そこでは音楽の 中における「時間」の概念が広げられ,その「空 間」も過去の姿とは異なるあり方を示す。もはや
「反復」は「空虚さ」や「退屈さ」さらにそれを 通り越して,快い,空気の様な「環境」に異化す る。そしてその音楽への「偶然性」の導入。音の 場も同様に, 「環境」の中に位置していく。ほと んど「パフォーマンス」と呼んでよい姿をそこに
見ることができよう(注17)。
「ニューヨーク・ダダ」の中で
もう一人, 「騒音」を取り上げた作曲家エドガ ー・ 買@レーズの存在も無視することはできない.
「ベルリン・ダダ」の中心的役割を担った一人ハ ンス・リヒターはヴァレーズを「ニューヨーク・
ダダ」に加えている(注18)。その代表作『電離』
Ionisation(1929−31)では「騒音の楽器」とし て早くから音楽の中に用いられてきた打楽器に加え,
更にサイレンなどの「音楽の外」で用いられていた
「騒音楽器」だけでその音楽を構成した。これは 従来の音楽の概念からいって「革命的」であり,伝 統に対する「反逆」とさえ思われたに違いないもの であるが,何よりも意味があるとしたら,それが
r音楽界内部」から起こってきたことであろう.
彼はその表現手段の「限定」を通じ,逆にその「領 域」を広げたのである。 「未来派」からサティ,
そしてヴァレーズヘとつながる「騒音音楽」の く系譜〉は第二次大戦後のピエール・シェフエール の「具体音楽」と呼ばれることになる『騒音のエ チュード』等につながる。ここで初めてより明確 に「テクノロジーと音楽」の連携を見ることがで きるが,その初期の試みの中でのヴァレーズの役 割もまた意味あるものであった。そしてそれは単 純に「科学技術への芸術家側からの鋭い反応」(注19
と片付けられない,それはどこか「未来派」のあ の「機械礼賛」と通じるところがあるようにさえ 思えるものである。
「ニューヨーク・ダダ」の中でとりわけ重要な 存在は,ヴァレーズと同様フランスからアメリカ に渡ったマルセル・デュシャンの活動であろう。
彼の「レディー・メイド」は「日常性」の裏返し であり,既成の認識の利用とその「位置」の意味 を問うている点で,単純な「視覚」世界に留まら ず,それを超えた表現に至っている。彼が示した いくつかのアイディアは,彼自身が音楽の形をと って表現した作品と彼に影響を与え,又逆に彼の 影響を受けたジョン・ケージの作品群にオーバー ラップしてくる。しかし彼等のそうした活動は ほとんど「ネオ・ダダ」或は「ダダ・リバイバル」
と呼ばれるようになる第二次大戦後の時代に属す るものである。
しかし次の出番のものにとって,それに先行す るスタイルや主張は往々にして「排撃」すべきも のなのであろう。市民権を得つつあった「ダダ」
はやがて「シュルレアリスム」Surrealism,更 に「バウハウス」Bauhausの運動の展開の中で,
批判,否定されていく。1922年「ダダ」は,その 中心的メンバー,ツァラ,アルプ,リヒター,シ ュビッタースらによるヴァイマールの「バウハウ ス」の集会での「埋葬」(遡)でその運動の終わり を「宣言」する。
「ロシア・アヴァンギャルド」の中で
「未来派」よりむしろ時代的に先行していなが ら,今日もなおその十分な評価が出尽くしていな い魅力的な一連の新しい芸術活動,及びそれへの問 いかけが為されたのが,革命前のロシアに始まっ た「ロシア・アヴァンギャルド」Russian Avant−
gardeである.この時代すべてを通じて,一つの 芸術の時代,単一の主義,思想に閉じ込めてしま う事はできないだろう。事実,そのなかに「ロシア 未来派」と呼ばれるグループの活動があるが,イ タリアの「未来派」と同一のものとは考えられ ない点もいくつか認められる。「古い芸術の廃業」
注2Dという点で共通していたロシアの新芸術運動 が「ロシア未来派」を生み,そこでは「芸術は革 命の宣伝であり表現」1注22)であって, 「文盲の多 いロシアの民衆に対し」〔注22)より簡易で明確な「視
覚的,身体的な表現が求められ」(注22)た背後のロ シアの状況と時代を反映したものであった。しか し社会主義革命後の社会秩序の完成とその社会体 制の性格,更に,芸術活動そのものを規定する政 治的判断によって,今につながる〈流れ〉はその
「地」では途絶えてしまっている. 「機械のユー トピアを夢見た壮大な芸術運動」1注23)の小さな「断 片」の中にそこで行われた行為の一端を見ること ができる(譜例参照)。「総合演劇コと呼ばれた『太 陽の征服』 (1913年)のために書かれたマチユー シンの音楽の断片等も発見,再現されている.一 見,幼稚に見えるそうした「断片」の中で,言葉 が「意味」と「無意味」(デウバギー)或は「超意 味」(ザウムニー〉の間を行き来する.それに同期 するかのように和声は「機能」と 「非機能」の間 を,リズムでは音の重軽が転倒して「秩序」と「無 秩序」の間をさまよう。様々なジャンルが統合さ れて,一つの生命体を構築するように各々の「部 分」が意味づけられているかの様である.ともあ れそこで描かれた「未来都市」への構想は時代を 超えて,今日の我々にもなお「夢」を与えてくれ
ている。
この「運動」の終焉はその運動を進めた芸術家 が願っていたプロレタリア「革命」の完成によっ てもたらされた、あるものは新たな「自由」と活 動の場を求めて国外に脱出し,あるものは国内に 残り,「政治」のおもむくままに,その中に身を没 (譜例)
、鋼亀偲
していった.国外に出た人々の中にマルク,ザハ ロヴィチ,シャガール,カンディンスキーらがい た。 「ダダの精神的 父 ジ注24)カンディンスキ ーは,はやくからその技巧の中に「インプロヴィ ゼーション」(即興)を導入する(1909年)(注25)な
ど注目すべきものがある一方,理論面での芸術主 張を通じ,「ダダ」をはじめとする周囲の運動に大 きな影響力を与えた.しかし,彼がその著作などを 通じて示した方向性は「バウハウス」の運動の中で より確実なものとなった。そしてそれは芸術が「安 定」した世界に再び入ったことを示していた。
「超現実」の中で
「ダダ」の活動から現れ, 「言語の解放」〔注26)
がその発源にあたると言われているように,アン ドレ・ブルトンを中心に文学的環境の中で,第一 次大戦後, 「シュルレアリスム」Surreahsmの運 動は始まった.そして美術の運動に展開する中で,
更に新しい表現の媒介(メディア)として今世紀 に誕生したばかりの「映画」がこの運動の重要な
「言語」となった。 「映画」のもつ今までにない 表現のあり方は,まさしく 「シュルレアリスム的」
(注27)世界の構築に寄与することになった.文学 の「出身者」達によってその運動が展開された時,
「音」はその「詩」の範囲の中でのみ試みられる ものであったが,この新しいメディアはそうした
「ロシア未来派」時代の音楽の断片から
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過去の諸々の表現スタイルを総合することに成功
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その中で,サティとピカビアによるバレー『ル ラーシュ』 (休演)が発表された(1924年)。この 作品とサティに対するシュルレアリスムの「騎士」
達の評価は否定的なものであったが,その公演の 前と幕間に映画が用いられた.とりわけ,その「幕 間」は脚本がピカビア,音楽はサティ,そしてル ネ・クレールの映像によるもの〔注28)で,デュシ ャン,マン・レイ等が「参加」したセンセーショ ナルなものであった.ここにもまた新しいメディ アを取り込むパフォーマンス的なるものの一つの あり方を見ることができるのである。そしてそれ は今日の「ヴィデオ・アート」や「ヴィデオ・パ フォーマンス」への明らかな予告となっているの
である。
マルキ・ド・サドをその精神的「先祖」とする シュルレアリスムではまた「偶然性」が愛やエロ ティシズムの形をとって扱われ,それがまた「映 画」や文学,美術作品のテーマになっていく一方,
背後の社会が各々の作品にその影をおとしていく。
「自由」な表現のあり方, 「人間の解放」を求め ればそれだけ,現実の「強制」と避けがたく対立 していく。ある運動家はその社会に組み込まれ,
あるいは飲み込まれていく。
「バウハウス」の中で
ドイツにおける「バウハウス」Bauhausの運動 もまたそれに先行する様々な運動の「遺産」を受 け継いでいた.古典的「カテゴリーの境界」の否 定〔遡),総合的表現形式の追求,機械文明の肯定,
「偶然性」の導入等々。この運動の中心となった オスカー・シュレンマーはそのパフォーマンスの なかで,文学,演劇,絵画,音楽と既成の芸術の カテゴリーのみならず,数学,更に科学や建築,
テクノロジーといった芸術外の要素を,そしてそ こに独自の教育システムまでもその運動の〈枠組〉
の中に組み込んだのである。そこでは彼が主催し た「ステージ・ワークショップ」に於て,行為の
「記号化」,表現への様々な「装置」の利用が試み られた。しかし,シュレンマーをはじめ,他の「バ ウハウス」のメンバーの活動の中で最も特徴的な のはその「舞踊」との関わりであろう.「感覚」,
「身振り」から「舞踊」へ,さらに「空間性」か
ら新しい「舞台」が造られる。そして「空間の舞 踊」や「メカニカル・バレー」が生まれた。
「バウハウス」の運動はそこにエステティック な側面の追求やその完成,表現の〈場〉としての
「舞台」の重視等,明らかに「ダダイスト」や「シ ュルレアリスム」その他の運動とは異なるもの であった。このドイツでの運動も第二次大戦の
「前夜」にその終息を余儀なくされ,アメリカに
「亡命」していくことになる.
アイヴスの中に
「ニューヨーク・ダダ」とは無縁に位置しなが ら,それと非常に近いことを行った作曲家として,
チャールズ・アイヴスがいる.かれはほとんど最 初のアメリカの作曲家であり,最も「アメリカ的」
な作曲家といえる。 「ロシア・アヴァンギャルド」
の中にあった民衆のレベルの作品への反映とは異 なり,決してあのように「高所」からではなく,
もっと彼の音楽性の根本にある,あるポピュラリ ティから出ていたのではないだろうか。それはま さしく,その後の「ポップ・アート」と同じ様な あり方を彼はその音楽の中で示していたのではな いだろうか。彼にとって, 「日常性と芸術の間に あった裂け目」1注30)は難なく超えうる「バー」に 過ぎなかったように思える。しかしその影響力は アメリカだけに留まらず,音楽の表現を超えて,そ の「空間性」 「環境性」の提示は,次の時代のた めの確実な予備をも提供していたのである。
「鳥かご」の中で
第二次大戦中から戦後の新しい芸術活動の中で,
パフォーマンスと音楽との接点を最も追求した r作曲家」はジョン・ケージであろう.「作曲家」
であった彼の「造形作品」の中に,その「音楽作 品」との共通語法を見る時,彼を単に「作曲家」
というレッテルと,音楽というジャンルヘの封じ 込めがいかに無駄であるかが分かるであろう。ケ ージの語法の発端は,確かに「未来派」や「ダダ」
に認められるし,直接的には, 『打楽器四重奏』
(1935)に見られる様に,ヴァレーズの音楽の後 輩であることも示しているが,その一方,マルセ ル・デュシャンとの交友と,その〈共同作業〉な どに「ダダ」との多くの関連を見いだすこともで
きる。ケージは「ダダ」から出発したと言われて いる由縁はそんな所にもあろう。
デュシャンの「レディ・メード」の影響は既成 のピアノの「音」を大きく変えた『バッカナーレ』
(1938)にはじまる「プリペアード・ピアノ」の 作品群の中や,玩具を用いたrSuite for Toy pi−
ano』(1948),星図を楽譜として用いた『Atlas Eclipticalis』(1961−62)(注31},あるいは既にレコ ードに「記録」された音素材を使い,初めてエレ クトロニクス・メディアが音楽に用いられた作品 rImaginary Landscape Nα1』(1939)やラジオ受 信機を用いた『Credo in Us』(1942),『Imagi−
nary Landscape Nα4』(1951),5台のラジオと
「新聞を読む奏者」による『Speech』(1955)あ るいは『Radio Music』(1956),同じく「レコード」
を利用した『Cartridge Music』(1960)等に見ら れると言っていいだろう。また「プリペアード」
作品であるrmusic for M.Duchamp』(1947)は よくその思想的に親密な関係を示している例であ
ろう。
その他,ケージが作品や行為を通じて提示した 様々な主張のなかでその後の音楽の世界に大きな 影響を残したものとして,『易の音楽』(1951),
『Aria』(サイコロ)(1958)等における「偶然性」
の利用が挙げられるが,表現の総合化を指向する
「シアター・ピース」,視覚性をはじめ,多様な 表現手段を用い,「ミクスト・メディア」と呼ばれ
るようになる独自のスタイル,そして環境及び 意識と無意識といった心理的テーマを取り込む rPrelude for Meditation』(瞑想)があり,更に サティの「家具の音楽」を想起させるr居間の音 楽』 (1940)に見られる素材の非限定,行為(ア
クション)の重視は「実験的教育機関」ブラック
・マウンテン・カレッジにおいて、その後「ハプ ニング」と呼ばれることになる「イヴェント」
(1952)へ発展していく。
ケージで「環境」を取り込んだものとしてよく 知られている作品の中に「4分33秒」がある。こ
の作品は,ケージがシェーンベルクの意のように,
「音楽にささげられた行為」の中でのみ判断され るのであるなら,すなわち,そのサイレントな「演 奏」が周囲の「音」の世界」へ「耳」を導く 「手 法」として,その周囲の「音」が「音響」とし ての意味のみを持つものであるなら, 「音楽」の
世界にとって自らの「領域」にあるものであり,
そこから多少「足」が出ても,自らの内の中で処 理判断されうるものであろうが,彼のこの提示は,
その後のイヴェントやハプニングの先行をなすパ フォーマンスとして見るなら,音楽の領域でのみ
「解説」されるべきものではないともいえる。
彼のこの「無音」のパフォーマンスは,その観 客の参加(観客自身の積極的思考と反応が前提に なる等に見られる),非演劇的行為性(テクスト を持たない点等)、反芸術的(伝統的な意味におけ る作品のあり方に反する点等)或は非領域的(そ れまでのいかなるジャンルにも当てはまらない)
更に,超領域的(様々なジャンルから関連ずけら れる)でもある様な側面が考えられる.そうした ことからある特定の「領域内」で論じられるべき ものではないと思えるのである。
ケージ達の「イヴェント」のあるものは,アラ ン・カプローの『六つの部分から成る十八のハプ ニング』(1959)の後,「ハプニング」という規定が されていく. 「イヴェント」がどちらかというと
「行為」の総称,何かの「催し」を指すのに対し,
「ハプニング」もそこに「予定」されない「偶然 性」とその非領域的,「無目的的」行為(注321が前提 になっている点では,共通しているが,「ハプニン グ」が「自発的な何か,起こるべくして起こる何 か」,再現やくり返しを前提としない「ただ一度 だけ行われる出来事」姓33)といったカプロの「定 義」において多少のずれが認められる.
実験音楽の中で
第二次大戦後始まった活動の中でとりわけ音楽 の「領域」の拡大をケージとは少し異なる意味で 積極的にもたらしたのはピエール・シェフエール とヒ。エール・アンリによる「実験音楽」musique exp6rimentaleであった。これは音楽家と技術 者による「共同作業」であり,その「演奏」の 媒介はフランスの放送機関であった。ここにはそ の後の芸術のあり方へのサジェッションを見るこ とができる。その一面は『鉄道のエチュード』(1948)
に見られる「未来派」の「騒音音楽」から, 「ダ ダ」,更にヴァレーズやケージの延長にありなが ら,そこに掲げられた「実験性」は,テクノロジ ーの要素を音楽のそれと同列にまで高めた表現へ の強い姿勢が示されていたように思える。確かに テクノロジーは「現代音楽の通過すべき重要なゲ
一トの一つ」であっても「最終的なゴールにはな らない」1注34)等,芸術性と比べられうるものでは ないが,その持つ意味は従来の関係にはないもの を表現の前面にだしてきたのである。
エレクトロニクスの技術の助けを得て,生み出 された響きは作曲家の「耳」と意図とによって構 成され,秩序付けられている。『一人の男のシンフ
ォニー』 (1949−50)の中では, 「男」が戸を叩 いたり,歩いたり,口笛を吹いたりといった「日 常的」な行為の音のサンプルとその背後の政治的 な意味,そして打楽器的ともいえる,加工された
「具体音」といった様々な「舞台」を行き来する。
「音」の世界の「実験」が「行為性」,「社会性」
までも引き出しているのである。
この動きはドイツ,ケルンの放送局では別な形 となって現れた。ヘルベット・アイメルトに始ま る「電子音楽」Elektronishe Musikである。G.
M.ケ一二ッヒの技術と若き作曲家シュトックハ ウゼンとの「共同作業」がシェフエールのスタジ オに範を得て,その最初の歴史的作品『習作1,H』
(1953,54)を生みだした。
イヴ・クラインの中で
クラインもまた,ハプニングを創作過程に取り 入れた画家であった.ジャクソン・ポロックのア クション・ペインティングにクラインの先行を見 るものの,その「実演」は制作者のありのまま,
ほとんどその日常行為的要素を作品に加えること で.それまでの絵画のあり方をその内部から「告発」
している.制作のプロセスをその「作品」自体に 取り込んでいく,物質的な「作品」のみならず,そ こに至る過程まで,いわば「行為の時間」という抽 象性をも「作品」の一部としていくところに,パフ ォーマンス的性格を認めることができる。それは また音楽が古来持ち続けてきた「音」の世界によ る表現のあり方,即ち「物質的」には何も残さな い「聴覚の世界」からのヒントを得ているように も見える。そして彼は行為の後に,現実の世界に 何も残さないのである。 「キャンバス」,「絵画」
「アトリエ」.「表現」,作品の「あり方」等、すべ ての側面に疑問を投げかけている,
クラインのこうした姿勢の影響はディック・ヒ ギンズの「シャボン玉」の中に見ることもできる だろうし、 「梱包」を通じて「芸術が生成される
プロセスに社会的制度の関わりを問う」「注39ヤヴ ァシェフ・クリストの活動の中にも見いだせるも のである。
「フルクサス」の中で
「ダダ」から「ネオ・ダダ」,ケージとパフォー マンスの「系譜」を辿ってくるとその道は「フル クサス」Fluxusの活動に行き当たる。そのメンバ ーは「音楽家」が多く(瀬),元々は「脱コンサー
ト」を目指して展開した彼等の様々な「イヴェン ト」と「ハプニング」の中で,自ら「演奏」する 点において既成の「領域」との共通性を持ちなが ら,それを超えてきたのである。
そうした出生の性格は「イヴェント」という彼 等の「形式」の中に「スコア」とか「テキスト」
の存在に示される「非偶然性」的な側面に見い だしうる。しかしその反面,最もパフォーマン ス的なるものの典型をも認められる.それまでの
「遠慮気味」の「消化不良気味」でさえもあった パフォーマンスの一つの徹底的な形態を見ること ができる。「娯楽的」でも「教育的」でもない(注37)
「無目的」の行為の中で,自らの存在の意味をそ の「イヴェント」に求めたのである.
マチューナスの周囲に集まった,ヒギンズ,パ ターソン,バイク,ラモンテ・ヤング,そして,
ヨーコ・オノ,一柳,小杉とそこに不思議と日本 人の参加を多くみる。その活動の「共通分母」1注脚 であるニューヨークでの60年代の数年間の試みの 後に、更に「個人の主張」の別のスタイルを求め,
またあるものは再びもとの「古巣」の中に自らの 表現の発露を見いだしていく.
三)パフォーマンスの周囲で
今日,我々の周囲の表現の世界は様々なレベル と様々なあり方でつながっている。時にはかなり の重なりを認めながら・あるいは総合しながら.
パフォーマンスはそうした既存ジャンルと共通の 土壌から多くの栄養を得ている.実際,どんな伝 統的「領域」からも説明されうるし,どこからも 見えるところにある,それは,不安定で,流動的 な「行為」に結び付けられる.しかし,言語によ って「文化」や「文明」を築きhげてきたという 人間の自負は依然,言語によって規定をされると
か,説明される以前や以後の状態に非常に用心深 く思える.そればかりか,こうして新しい姿を持 った一連の行為は,その形を整え,その表現に於 ける存在意義も高まる中にあっても,既成のジャ ンルの「完結性」はより多くの知識人の盲目的支 持と,より怠惰で無責任な美学者達の補足的美学 観に支えられて,不動のものになっているように
も見える。そんな世界での新しい試みも又,過去 のジャンルのどれかに無理やり押し込んで論じら れ,いつまでもそれを超えることは認められない.
そして大抵は「音楽の側」からは「音楽性」とい う(盾)の陰に隠れて,すべてを判断しようとす る.しかしそれでいて「新しき」は「美徳」とい うポーズをする.そして相変わらず新しい世界の 構築に参加することを拒み続ける。
そうした環境の中で創造的で有り続けるために,
周囲の魅力ある世界の中を覗いてみるのも一つの 方法であろう.先日亡くなったパフォーマー,ヨ ーゼフ・ボイスの言葉の中にこんなものがある.
「ある固定した状況について,何かいうことがで きるかね。自分がそのなかに入っていると,そう は容易にいえないはずなんだな。だから,いちば んいいのは,その枠の外に出てみること。別の領 域に身を置いて,そこに生きているものたちと同 化をはかることなんだ。」(注39)
も「担当」する.そうした「ライブ性」は,展開 に流動性を与え, 「演技」は「演じ」られるので はなく,役者本来のもつパーソナリティをあらわ にする。ここでもまた本来「非日常的」空間に「日 常性」が導入される。結果として非常に根源的な
「演劇」の姿が提示される。
更に先鋭なスタイルをもつ演劇を「ヒノエマタ
・パフォーマンス・フェスティバル」 (1987.8)
で見た。演劇集団「解体社」の「演技」である。
河原という「日常的」空間に「非日常的」演技を 持ち込む。演じるもののいるところが「舞台」に なるという点において「ストリート・パフォーマ ンス」と類似している。しかし,設定されたテク ストによって演じられる内容は,遥かに「演技」の 範囲を超える。水に濡れた重い布を肉体を酷使し て運ぶ。ここにもはや「演技」はない.予期せぬ
「行為」の停止とそれに続く沈黙によって観客の
「参加」は終る。そして観客の「退場」の後,更 に「テクスト」は進行していく。ここには見るも のの姿はない.既成の「舞台」を否定するだけに 留まらず,その「観客」の存在をも否定していく。
演じられたこと,演じられる空間,環境すべてに アイロニカルに疑問が投げかけられていく。
美術の中で
演劇の中で
今日の演劇もまた自らの伝統的「領域」に疑問 をもっているかのように見える。そして様々な「実 験」を繰り返している。時にそれは傍目には「失 敗作」と映ることさえあろう.しかし,そうした
「失敗」は「試み」の中の一つのプロセスに過ぎ ないとも言える。
先日「音楽」を担当した劇図DA・Mの『サン クチュアリ』(1986.12)の場合を考えてみよう。
この演劇は日本人とアメリカ人各々二人ずっと無 国籍の出身者の計五人で「演じ」られる。つまり 英語と日本語そして無意味語の「言葉の混乱」或い は意志伝達手段の欠落が前提となっている.また 本来前もって用意される台詞はおおよそに設定さ れた筋書きの中で役者が考えていく。ここには「テ
クスチャー」があって「テクスト」がない。それ と同期するように,予め設定されている「環境」
のなかで,役者は「音」,照明,舞台の展開等を
最も多彩に「個性」を展開して,もはや一般的
「領域」のモデルを失っているとも,また一人の 芸術家が一つの「領域」を持っているとも思われ るのが美術の世界である.それはほとんど「視覚 的」であるすべてを覆っているとも言える。いや 他の「領域」から「進入」し,その「境」が混沌
としているのにすぎないのかもしれない。
そうした例の一つ,「書」から入ったとされる斎 藤文春の場合について考えてみよう.彼の作品は その行為のプロセスの中で「存在」する。一枚の 模造紙に書き込まれた模様にその展開の先を見て いると,いつの間にかその「破壊」のプロセスに 導かれていく。そこから全く異なる次元と形態に 展開した「素材」が再びその生成の過程に入る。
こうして「生成」と「破壊」が繰り返され,結果 として何もあとに残さない行為だけが記憶に残る。
そして見るものに「期待」と「不安」,「肯定」と
「否定」といった心理的参加を起こさせる.そし てそうしたプロセスの中で,見るものを積極的に
「参加」させ,行為の主体がその「参加者」であ ることを感じさせる。
山崎博の「写真」は時間を取り込み,それを見 るものを「抽象」と「具象」の間に「ゆらが」せ る。 「波」と「水平線」による具体的視覚世界を
「具化」して,見ているものの前に展開しながら カメラをもってそこに「行為」するものの姿まで も「写し」だしている。
美術の「インスタレーション」への展開は,そ れ自身が「パフォーマンス的」行為を直接意味す
るものではないが,その背後に共通項を見いだす 事は困難なことではあるまい. 「おかれたもの」
という言い表し方は一方に「かざられたもの」と しての従来の美術品に対するアイロニカルな意味 をもたらす。それは空間と環境とがその「作品」
の存在に強く関連づけられている点,また伝統的 な「特権的」美術館とそれが置かれる「日常的」
提示空間(オープン・スペース或はオルターナ ティヴ・スペース)との差異に於て等,パフォー マンス的である.
「自画像」をオーバーラップさせる。 「人間」の ありのままの表現を否定しない。 「本質を見えが たくするテクニックや仮構成を排除」/湘2)して,
まさしく表現の源にあるものを引き出してくる.
そして,伝統的, 「様式的な動作への期待を完全 に裏切る」(注43)。それでいて,見るものを無理な く,自然に「いっさいの構えを捨て去った,対象 への開かれた接近」(触)へ誘う。大野の「踊りは,
われわれが究極的に関わっている状態である」(注45)
という言葉は,彼の「行為」が身体から肉体そし て精神へと連続していく,不可分な表現の総合性 を持つものであることをよく語っているように思
う。
こうした考え方は大野と土方から「暗黒舞踏」,
「大駱駝館」,「山海塾」,「白狐舎」等に続く系譜 1注46)のどの次元にも当てはまるばかりか,およ そ今日の他の様々なパフォーマンス的「行為」全 てにも共通したもののように思える。
四)音楽の中でのパフォーマンスのありかた
舞踏の中で
パフォーマンスの「行為性」はその身体の動き という点からみれば,殆ど「演技」か「踊り」に 近くなる。ここでは特に後者との関係で考えてみ
たい。
「舞踏」Butohはまだ過去のものではないが,
そこに至る過程の中でもまた音楽との接点とその 共通の過去を見ることができる。
土方巽,大野一雄によって代表される舞踏は,
ドイツ,ベルリンを中心に起こった新しいダンス
「ノイェタンッ」Neue Tanzを源としている。そ れをいち早く日本に伝えたのが山田耕搾であった
1湘〔 。その後,石井漠との「舞踊詩」運動〔湘1を 開始して, 「舞踊」がはじまった. 「舞踏」はこ の「舞踊」の中からでてきた。
しかし反面−「舞踏」にはプリミティヴな「踊り」
の姿も見られる.原初的とも呼べる姿がそこにあ る. 「回帰」と言ってもいいだろう。それは又,
踊りと「日常的」仕草の間にあるような次元の表 現と考えてもいいものだろう.
大野の「舞踏」は自らを「異化」(女装)しな がら,それ以前の姿を同居させる。「演じ」なが ら最もヒューマニスティックな彼の姿を,彼の
音楽の中で「行為」するという側面が明確に示 されている「演奏」を考えてみよう。奏者にとっ て彼が位置する空間,環境はすべてその演奏に何 かしら関わっていると言ってもいい。確かに,ケ ージが「ライブな状態での演奏行為」を前提に彼 の作品を「演奏の場」に提供した1湘7)のは,そう でない現実があったからかもしれない.しかし,
そこにはまた楽器と奏者の「純粋に音楽的な関わ り」以外に邪魔するものはないとでも考えるよう な「演奏家」への,アイロニカルな批判が込めら れてもいたのではないか。
奏者の「音楽的表現」は又,その肉体或いは身体 を無視しては考えられない.どんな様式の作品の 演奏でも,そこにそれを奏する人間がいれば必ず 肉体的,身体的表現が伴う.演奏は単にその視覚 的,音響的行為のみが対象となっているのではな く,彼が示す精神や肉体との葛藤,心理的状態等
「楽譜」にない「表現」に奏者のリアルな存在と その表現の魅力が潜んでいるのだ. 「楽譜の陰」
に作曲者の「解釈」を〈よりどころ〉として求め る「表現力」のない奏者にその存在の価値はない といえる.こうした要素はパフォーマンスと共通 したものである.そうして,そうした要素の見直 しは今日的な課題でもあるだろう.
作曲家の場合は一層問題が深刻になる。彼の「耳」
の確かさは, 「目」にも「心」にも,そして「肌」
や「皮膚」といったいわゆる「五感」すべてにも 求められ,その総合的判断がその作品の「結末」
まで左右しかねないのである。そうしたものへの 無頓着はその結果の責任を放棄する口実にはなら ない.とりわけ,奏者を介して為される表現には その奏者の解釈以上に説得力をもつものがなくて はならない.音楽における, 「制作者一一→演奏 者一一→聴衆」といった表現の図式の中で,そこ に介在する記号的,心理的間接性が各々の段階に おける表現の主張を和らげてしまう危険性をいつ
もはらんでいる。ある「無責任」は別の「無責任」
を累加させて,益々有機的作品の存在を危うくす る。それに反して, 「奏者」をも含んだ作品が成 立する周囲の環境と条件がもつ「ノイズ」をコン
トロールして,自らの主張を通すことの何と困難 なことか.音楽作品のその制作者と観察者の距離 は常にまさしくフレキシブルであり,そうした環 境や条件のコントロールというプロセスをも加え て作品は成立していると言える.
こうしたパフォーマンス的とも呼べる「超領域 的」思考からなおも音楽の伝統的「純血」を守っ ていくことが可能であろうか。音楽がその表現を 格段階で分断して考えれるならば可能であろうし,
家庭のオーディオの良質化が音楽の最大の享受の 方法を家庭に閉じ込めることに成功し, 「聴覚」
が人間の最大唯一の感覚にまで高められうるなら それも不可能ではないだろう.しかしそうした無 益で偏狭なこだわりにこれ以上時間を割く必要は ないだろう。ならば,パフォーマンス的なるもの を音楽の中でどう捉らえ,今後の音楽の表現に結 び付けてけるかを考え,更にまた「音楽」という 境界へのくこだわり〉をも超えて,豊かな表現芸 術の滋養を受けるにはどうすべきか考えた方が建 設的であろう.
芸術の「多元的,重層的な曖昧性」{湘8)は一方 においてその豊穣な豪現のあり方を補償してきた。
しかしそれらは根本において連関し,領域を超え て,お互いの魅力を交錯させ,自らの「滋養」と
してきたのであるともいえよう。
「身体」へと展開を試みた一つの連続する「作品」
について述べる.以下は,1985年から1987年の三 回から成る福島県桧枝岐村における「パフォーマ
ンス・フェスティバル」で行ったパフォーマンス の「楽譜」である。
【その一】
この「作品」はいわゆる「言葉」による「楽譜」
によって集団の「行為」を規定しその範囲で発生 する「音」を聞き,更にそれが次の「行為」の要 素を作り出すことをめざす.そして最後にそのプ
ロセスを「録音した」ものを聞く。
一人の「先導者」がいる。
その周囲に数人(不特定数)の「奏者」がいる 自然のなか
「先導者」は録音機をまわす.
①自らの場所を選べ
②そこに自らの「音」の表現に役立つものを集め
よ。
③その中から自らの「個性」を持ち得るものを選 び,その外を自然に戻せ。
④「先導者」の発する「音」に呼応せよ。
⑤更に,最も興味ある「奏者」と「音」の「対話」
を試みよ.
⑥徐々に「秩序」を確立せよ.規則性と不規則性 の部分を明確化せよ。
⑦選び,奏したいくつかの「楽器」の中から,特 徴ある一つを選び, 「先導者」の回りに円を作 るように集まれ.
⑧「先導者」の「身振り」に合わせて「合奏」を 試みよ。
⑨再び用いた「楽器」をもとの自然の中に還せ。
⑩この「行為」の後に「録音した」音を室内の 「舞台」のうえにのせる。
以上のプロセスを経て,自然の「表面」を少 し持ち上げる程度の自然への働きかけとその「行 為」の連続,そしてその自然の状態から人工的状 態への連続を「予定」したが,現実には「予期せ ぬ」自然の雨の参加と激しく流れる川の「自然音」
に人工的表現は翻弄された。
五)破… 試みの中で
ここで「環境」から「音」そして「音楽」,更に
【その二】
自然の森の中のスペース(鎮守の森).正装した 奏者(5−8人)が指揮者を中心に座っている。
各々がラジカセ2台(1,2)と同じ内容の書か れた14枚のカード(楽譜)を持っている。カセッ
ト・テープを2本用意し,その一本は無音の「空 テープ」,他の一本はサイドAに,ある作品(特定 の電子音楽作品)を録音した「音テープ」を用意
する。
①ラジオの受信状態のよい場所では,カセットを サイドAのままにし,「ラジオ」に設定して,様 々なAM放送局を選局しておく.
②受信状態の悪いところでは,サイドBに予め様 々な種類のサウンド(オーケストラの演奏,ポッ プス,野球中継,落語,単なるおしゃべり,歌謡 曲,等)録音したカセットを装着し, 「テープ」
に設定する。
(0)
奏者は指揮者を中心に円を描いて座ったまま,
指揮者が左手を挙げたら,ラジカセ1を「テー プ」にし, 「空テープ」をいれる。そして「内 蔵マイク」で各自勝手に録音を始める.以後指 示があるまでラジカセ1は,録音を続ける.
(1)
①の場合:ラジカセ2を「ラジオ」にセットし,
任意のAM局に同調する(同調しないノイズの
状態も可).音量(Vo1.)は最小(Min.)にし,
音が出ないようにする。
②の場合1ラジカセ2を「テープ」にセットし,
「音テープ」のサイドBを入れる.音量(Vol.)
は最小(Min.)にし,音が出ないようにする。
そして再生(Play)する。静かに周囲の音を聞 く。10秒後次のカードへ進む。
(2)
ラジカセ2を膝に乗せ,時計回りに順にひとり ずつ,極めてゆっくり,指揮に従って,規則的 に,かつ内容が聞こえないように極めて短く,
音量つまみを操作して小さい音(ppp)を出す。
繰り返す.そして徐々に大きくしていく(一→f)
約3分。
(3)
指揮の合図で「行為」を止め,周囲の音を聞く。
約10秒。次の指揮の合図で再びラジカセ2を操 作して,時計と逆回りに,ゆっくり,不規則な リズムで,かつ,任意の強さ(p←→f)で,短 い「音」を出す.繰り返す.約2分。
(4)
指揮の合図で「行為」を止め,周囲の音を聞く.
5秒。指揮に従って,再び規則的に,短い音を 出す。強さはランダムに(P←→f).少し早めに。
繰り返す.約20秒。次のカードヘ。
(5)
指揮の合図で「行為」を止め(2秒)奏者の順,
速さ,強さはすべてランダムに,しかし音は短 く。繰り返す。約1分。
(6)
指揮の合図で「行為」を止め,指揮に合わせて 全奏者同時に,かつ規則的に,音量を最大にし て(ほとんど「音」を壊して)奏す。繰り返す (約1分続ける)そして(4)にもどり,(4)
と(5)を3回りピートする(ループ),そして (5)から(7)へ飛ぶ。
(7)
指揮の合図で「行為」を止め,音量を最大にし
(fff),規則的音の連続と不規則的音の連続を各
■自で行う。発音は「ポーズ・スイッチ」を用い る。繰り返ず。 (1分30秒).指揮の指示で次第 に小さくしていく。ほとんど聞こえなくなるま で。約1分.
(8)
指揮の合図で「行為」を止め, (7)を小さな 音(pp)で行い,音と音の間にSss一(無声音,
息の音)のロング・トーンをいれる。この「行 為」を繰り返しながら徐々に音量を(息の音も)
増していく。約1分.
(9)
指揮の合図で「行為」を止め,少し長めの音を 「ポーズ」を用いて,不規則に,音量を最大に
し,Sss一,Sch一を加えて奏す。約30秒.
(10)
指揮の合図で「行為」を止め,息の音(無声音)
のみだす。Sss一,Sch一,Zzz一,Tss一,Fff一,
Hhh一,等様々な響きを試みる.各々の奏者が 各自の長さで,規則的に繰り返す.約30秒。
(11)
(10)の行為を続けながら,ラジカセ1(録音 中)を止め,巻戻し,すぐに再生させる.音量 は十分にする。このまま終わりまで回し続ける.
1分たったら,次のカード(12)へ.
(12)
①の場合:ラジカセ2を「テープ」に切り替え,
予め録音してある「作品」を再生(Play)する。
他の奏者と同期させる必要はない。約3分.
②の場合1ラジカセ2のカセットを取り出し,
サイドAにし,素早く巻戻す.そして再生する。
他の奏者と同期させる必要はない。約3分.
(13)
2台のラジカセを再生させながら,ラジカセ2 を持ち,指揮棒の指示に従って,静かに,ゆっ くり,ほとんど動きを感じさせないように動く.
ラジカセを様々なスタイルで運ぶ.その後,ま るで獣のように,奏者は指揮者から遠のき,徐 々に闇の中へ消えていく.約15分.
指揮者のカセットの停止によって,この一連の 「行為」は終る。
ここにその「フローチャート」を示す。 (図1参
照)
【その三】
この「音楽」はまず,先に挙げた劇団DA・M 公演,サンクチュアリの「宴」の為に作曲したも のである。その7分程のものをもとに「再演」の 度に,再構成し,その過程で関わる,あるいはそ れが「演奏」される「場」,「環境」を作品の「要 素」として加えていく。 「音」は人の「声」,とり わけ「笑い声」をその「素材」の中心に置いてい る。それをサンプラーにいれ,パソコンでシーク エンスする。初期の段階での「発音」にすでに与 えられた制限によって,それを,現代のテクノロ ジーを生かした音響機器で「演奏」する方法を取 らずに,ジャンク的存在になりっつある,古いタ イプの5−8台のラジオ・カセット・レコーダで 行う方法を考えた.数を揃えることで,音量を補 償し,その貧弱な音質は,その「ジャンク」性を 強調するという作品の一つの主張に組み込むこと でより有功な手段となるばかりか,電源が不必要 であり,軽く自由な場所にセットできる等,それ が響く 「空間」に即応するフレキシブルさを持っ ている。更にその「弱点」を利用する。例えば,
その回転数の不安定さは全く同…の「音源」を異 なる高さと速さで「再提示」する.この「性格」
に人間のスイッチング行為という非同期性を加え ることで更に極端な「表現能力」を出し得る.そ うした純粋に音だけを扱う「音楽」行為から,「空 間操作」やそれを引き出す「肉体・身体」運動等 へ,連続した「多領域的」作品の形成を試みるも のであった。 「場」が「音」更に「行為」を引出
図1.
11)6witch)
o n
「2)
13)
(4)
(6}
17)
18〕
l g、
〔1m
q21
1ff)
〔13)
〔o) 指揮者が立ち 手で合図
ラジカセ1の
露礁で
Y ラジオの N
1) ① 受信状螂tよい・ ②
h)
ラジカセ2を
塔s∫礁のAM局に同講、THpeはA音量は最小 ラジカセ2を「テープ」
ン定し。Tape ヘB■プレイ ケ量は最小
に
周囲の音を
キく〔10秒) VO1一=min)
︶
指揮者の合図
時計回りに順 に,規則的に
ノめて短く, (Volu贈 Contro ) 極めてゆっく
闕ナ初小さく, (PPP一>f)
徐々に大きく
〔約3分間)
︶
〔Vo1.=min︶ 指揮者の合図
周囲の音を 聞く
(10秒)
指揮者の合図
時計と逆回り に,不規則に ゆっくり,任 ケの強さで.
〔Pぐ一>f)
短く
(約2分間}
︶
指揮者の合図
釦broutine
︸
指揮者の合図
全輔司時に 音量は最大. (fff)
規則的二
(約1分)
X = 3
指揮者の合図
翫b下。ロtine X−1
N
︶
Y X=0 指揮者の合図
灘実,灘腿讐二 (fff)
〔約1分30秒⇒
指揮に従い,
︺ 徐々に小さく
@〔約1分) P叩)
指揮者の合図
盟躯掃額翼的二 (PP)
鱈暫犠婁窯鳶厳 繭1≧})
︑ 〔ff)
鮨揮者Lr)合図
下蜆貝1」;二.
キめに.S器一とSc卜一音量最大で
(fffl o秒)
︑
指樫茸の合図
S夙計.Sch一,
eff一.Hh卜,
Zz2一,
フみで
TSs一. (p/一)fD
任繍評庸鵠亨 (11)
ラジカセ1の ラジカセ1を止め
「音」 を聞く それを巻戻し, 再
(約1分) 生■ 音量は太きく
1 ②
ラジカセ2を 「テープ、 ラジカセ2のカセソト に切囑│ヂレイ をAに替え.プレイ (約3分〕巻戻して lff
指揮者の合図
孫雛疑ぢ下灘糠喜擁蒔
霧 いように動く.獣のように. は徐々に糊の中へ消える〔約1.5分)
指揮者がラジカセ1,止めたら, 2を 行為は終了する
(4) Suhr。utine〕
〔5}指揮者の合図 指擢者の合図
指揮者の合図
指揮者の合図
φぐ一)f)
P(一〉ff)
雪一 雪一