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音楽科教育観究の課題 - fukushima-u.ac.jp - 福島大学

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菅  総:音楽科教鳶暴究の課題

   音楽科教育観究の課題

一音楽教麟のエスノセント移ズムからの解放一

菅 裕

はじめに

 新学力観のもと,今,教官は罫学習者の時代違 といわれている。音楽科教育醗究においても.子

.どもたちを中心とした新しい時代の授業づく穆を 模索して様々な論議が行われている.しかしな麟

ら現場の実践に結びつくような具体的な威集解い まだにあげられていないのぶ現状である。さらに 学校五馨麟に繹離ナた教科再編の動きの率で,音楽 科の置かれている釈混はかな撃厳しい。

 このような状溌の中で音楽科に闘われているこ とは,学校教育におけるその存在意義にかかわる 畜楽科霞身の新しいアイデンティティの確立と言 ってもよいだろう.そのためには,これまでの音 楽の授業ぷ教麟のどのような考え方に基づいて行 われ,そしてそのこと溺子どもたちと音楽との闘 にどのような幾係をもたらすことになったのかに ついてもう一度様々な椀点から穣討してみること から鐵発しなくてはならない。

 昨年の連月に福島大学教育学部に邊任するまで,

私は広島大学醗霧中・高等学校で6年鵜,中学校 第一学年から高等学校第三学年までの音楽の授業 を縫当していた。大学院を修了した後.はじめて の教壇であったから,簸籾の一年はほとんど授業 麟成立tノないような釈滉からの鐵発であった。

 醗羅の生徒は,馨頃たくさんの教糞実習生の授 業とベテラン教麟の授業をいつも姥鮫しな解ら受 けているために,授業が紡まい」かぜへた圭か ということに繁して非常に敏感である.授業の感 想などを書かせると,的確に,生経絃,その授業 の良かった点や翼題点について捲締すること嚇で きた.そのような購羅の生徒の羨で毎蓉の授業を

行うことは,ある意線では糖神的に苦しいことで もあった。と瞬時に,音楽の授業はいかに行われ るべきかということを常に考えさせられたという 点で嫁,魑では得難い修行の堤であったと思う.

 購羅で試行錯誤を繰警返しな瀞ら行ってきた実 践は,いくつかの論文に豪とめ発表している。こ れ,らの譲文を振参返ると,毎馨の授業の申で融解 掩えていた楼々な騒みや羅題,あるいはその背景 にある煽った考え方ぶ浮かび上がってくる。それ らは,経験の浅い一音楽教麟麟背負ってきた課題 であむ,これから進めて熱かなくてはならない硬 究の鐵発点であると疑時に,今後音楽科教育の醗 究考と瑳場の実践者麟ともに解決の遵を探ってい かなくてはならないよ滲大きな課題ともどこかで つな購っているはずである。

 これまで繋属で行ってきた授業実践を撹甥的に 振疹選ることで,これからの音楽教育覆究の課題 を私な穆に整理してみようと思う。

第葉章繋属での授業実践

第確簾 音楽様式の理解を中心に据えた教    育内容の構造化

 音楽科の教科書は,一般的紅,教材となる楽懸 俸贔をあげ.それを中心としながら麗達する探求 課題を掲げるという構造になっている。鍵ってこ れだけで授業を構成しようとするとどうしてもそ の楽懸をうまくこなしていくことが中心とな馨,

中学校3年題・高等学校2年間を見通した系統的 な捲導誹函を立てることが露難になるi}.広大な 音楽の盤舞を教育内容として構造化し,5年鷺の 授業に纏とかして一貫性を持たせること溺,醗羅

(2)

3懇 彊島大学教育学蕪論集第総量

で取箏経んできた中心課題であった。

 この課題を達成するためには,すべての授業の 単元主題を一死的に統合するための中心蒙標を欝 足する必要がある。そこで我々鱒選んだ羅標ぶ

罫様式理解まであった.

 音楽の醸式についてマイヤーは,罫ある一つの 集懸の中で共通に理解され,また使灘される,音 の穣互驚係の複合的なシステム塞潟であると定義 している。綾の理論によれば,ある音楽作轟轟の 塵律進行や秘声進行,形式,テクスチュアなどは,

その搾贔渉含ま翻る特定の嶽式に規定された確率 システムに従って生超する。このシステムは,後 続の音楽事象を予蟻し,ある場合にはそこからの 逸税することに気盤くための基礎として働いてい る。簾って榛式の理解は,騒々の狸晶に蝿する蟻 待と結果についての習縷的反慈の獲得ということ になる.このマイヤーの理譲に基づき,ある音楽 搾贔に難し,それ鱒おかれている音楽約文賑に鍵 って重しく反癒するためには,穣式の選解麟不再 欠であると考えたのである。

 特定の音楽の鐵式は,音盤・秘声進行・音楽形 式・テクスチュアなどの音楽隷式に内包される下 位概念の特鐵の総体として認達されることになる。

まずこれらの下位機念についての記達するための 語彙を獲得することなしに,蟻武運解を主鰻とす

る音楽の学習活動は展灘できない。そこで準学校 段階では,罫楽器の音色」薪音楽の形式達などの主 題に基づく授業の展雛を進めていくことにした。

第2籔  ギ音楽の形式まを主題とした中学    校での授業実践

 次に中学校第二学年で雲施した暗楽の形式ま を主題とする授業展翻倒を尽す。3)

揚導§標

玉 音楽作品の多く摂,繰蓼返しや暴死の理念に  よって構成されていることを建解させる。

2 焦品の串に現れる素材の繰滲返しや繋駕や変

i齢6−6

 形を聴き取るカを育てる。

3.二部形式・三編形式・腿ンド形式・変奏麟形 式・ソナタ形式の構成について理解させる。

4.作轟金棒の講成美を感じとろうとする聴取態 度を畜てる.

捲導通程

第茎次:音楽搾贔における構成美の重要縫   (i時鷺)

第2次:二部形式と三部形式の構成(3時懸〉

第3次:纂ンド形式め講成(ま時鷺〉

第嬢次1変奏懸形式の構成報時闘〉

第5次:ソナタ形式の構成(2時露)

第6孜:ベートーヴェン作麟 交響麟第5番華運   命≦の鑑賞(3時鷺》

 以下は第羅衣の変奏藏形式の構成に臠する授業 にお酵る捲導の実際である。

本時の指導震標

i.主題といくつかの変奏からなる変奏麟形式の 構滅について遷解させる。

2.シューベルト伜睡ピアノ五重奏謡紅ます」第  露楽章を鑑賞させ,主題摂様々に変{ヒしながら  うつろいゆくこの懸の美しさを感じとらせる。

本時の指導過程

i)校歌の簡単な変奏を詣導者がピアノで演奏し  醜名を考えさせる.

2)一つの縫律を織々な方法で変形することを変 奏と辱び,一つの主題といくつかの変奏から成  吟立つ形式のことを変奏醗形式と浮ぶことを確  認する。

3〉シューベルト作麟ピアノ五重奏麟紅ます≦第  響楽章が変奏麟形式で作懸されていること,そ  してこの藤の場合は,主題・玉つの変奏・主題  の再愛という講威であることを確認する。

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菅  裕1奮楽秘教膏麟究の課題 3i

4〉主題を鑑賞させ,それぞれの音楽のイメージ  にぴつた瞥くると患われるイラストを,あらか  じめ醗姦した紙片に描かせる。

5〉第i変奏を鑑賞させ,主題麟変化したイメー  ジを,懸の紙片紅イラストとして雛かせる。そ  の際,主題についてのイラストの特籔の何かが  変奏についてのイラストの串に残滲,縫の人が  見ても主題漆変形されていることがわかるよう  に掻くことを澄意として与える。

6〉第2・第3・第尋・第5変奏を鑑賞させ,瞬  様にイラストを携かせる。

7〉生後溝上でお互いのイラストを交換させ,俸  品を最後まで遇して鑑賞させる。

 ここでは,一つの主題越様々な技法で発展し,

主題の持つ音楽覆暴発展の屠龍牲嚇次々と聴き手 に謁して展鰻される変奏蕪形式のおもしろさ・美 しさを,ストー鋒一種を持つイラストを搭かせる ことを通して気づかせていこうと意麟して耽る。

 このような授業を通してそ蕊ぞれの音楽形式の 一般的構造について学臠した後,いわばその広縁 周題としてベートーヴェン作懸 交響懸第5番

肇運命達の学習を鍾置掃けている。ゼ運命墨の学 習においては.それぞれの楽章の形式講造を第S 次までの内容と縫{系づ垂ナな麟ら,さらにゼ運命の 動機謹の掃いや第三楽章から第麟楽章への麟的コ ントラストなど菱運命まを特徴1づける形式上のい くつかのポイントについて学習を進めている.

捲導馨標

 バッハの音楽様式の理解を通してバッハの音楽 に鰐する興殊・麗心を高める。

捲導通程

第一時:導入 音楽家一族バッハ家とその時代背    景

第二時:バッハの修業時代 オルガン音楽を中心    に

第三舞寺ニバツハの煮肇フオニー技巧 第獲時:協奏麟楼式と管弦楽棒品

第…猛時:宗教{乍贔の中書こみる象華敷数字 第六〜

 十鋳1カンタータ「主よ人の望みの喜びよ」

   の合唱

 第三時の罫バッハのポジフォニー技巧墨につい ての授業における詣導の糞焼である。

本時の目標

i.稲声音楽と多声音楽のテクスチュア購造の違  いを理解させる。

2.銀られた素馨をもとに緻密につく吟あげられ  ているバッハのポ夢フォニー棒品の美しさを感

 じとらせ る.

第3簸  ギ」.S.バッハの音楽様式3を主    題とする高等学校での授業実践

本時の捲導通程

《導入》

 中学校での鐵式の下位概念についての授業に薄 し,俸麟家の蟹人様式や雛域撮式など,よ琴総合 的な意味での様式についての授業縁高等学校で扱 っている。次に高等学校第一学年で実施した「」.

S.ノ度ッノ、の音楽様式墨を主題とする授業展欝華膏彗を 示す。婚

基本鋳は,バッハの作態技法についての分析し

 て》、くことを確認させる。

2) 罫音楽の捧げもの墨から2声の逆行カノンを 鑑賞させる.

  (ギこの懸は短いけれどすごい麟なんです。ど  こがすごいか聴いただけで覇つた人はすばらし

い.でもたぶん誰も覇らないでしょう葺

(4)

32 橿島大学教畜学鶴論集第§(}簿

《展麗》

3〉モーツァノシトみピアノソナタ ハ長調とノミッ  ハの2声のインヴェンションの楽譜を銘較し,

 秘声音楽(ホモフォニー)と多声音楽(ぷリフ  ォニー〉のテクスチュア構造の違いを説窮する.

婆)声部が多くなる縁ど,多声音楽の搾麟は難し  くなることを確誌した圭1で,ダ音楽の捧げもの達  から6声の夢チェル芳心レの最後の部分を鑑賞  させる。

5〉多声音楽では聴く翻も複数の声部に溢意を向  けなけれ、ばならないので.ある程度努力麟必要  になってくることを確認する。

6)バッハの2声のインヴェンション全体をモテ  ィーフ分析させ,俸晶全体が,欝頭に提示され  たモティーフによって無熱なく縛み立てられて  いることを確認する、

7〉2声のインヴェンシ翼ン全体を鑑賞させる、

《まとめ》

8)授業蟹頭に示した逆行カノンが.搾品の真ん  中を境にして鏡に写したように穀称型になって  いることを説窮する。

9)眼られ,た主題をもとに金棒を馨轡上げること  によって生まれる音響によるデザインの中に,

 バッハの音楽の美しさの一つの1秘密麟あること  をまとめとして確認する。

鋤平均律クラヴィーア麟集からハ長調慧WV.8総  フーガを鑑賞させる。

第4節 授業の問題点

 この二つの授業の流れを整理すると,音楽隷式 に内包される下位機念である音色・稲声進行・音 楽形式・テクスチュアなどの学習を逓む,それ,ら に録する認識・漢応の力を獲得することによって,

最終鎌票である音楽嶽式の理解,あるいは美的体 験へと到達するという仕縛みになっている。この ように考えると,確かに一つひとつの授業の率で

玉§蝿一6

掻うべき内容もそれを理解させるための手だても葬 常に鱗確になるし,授業と授業の関係もわか吟や すくなる。このことは毎馨の授業を誕悔していく 上で教麟にとって葬常に簾台麟よい。しかし織時 に,音楽の,あるいは:音楽科教官の本質にかかわ るいくつかの問題点を指擁することぶできる.

 まず第一に,この授業謙舞の準で取静掻うこと のできる音楽は,必然的紅ある蒋定の時代のさら に特定の地域の様式   ここでは雷うまでもな くi7轡:紀頃からig盤紀までのヨーロッパを幸心と した芸備音楽の樺式   に簸定されてしまう.

なぜなら異なる文化的体系に羅する音楽において は,当然ながら音色・夢ズム・縫律・テクスチュ アなどの下位凝念は異なる音楽約文賑のもとで様 式化されていくのであ善,それらを西洋音楽と講 じ視点から一元的に続合して教育内容化すること はできないからである。携えば嚢本の伝統音楽の 様式理解を馨標とするのならば,警本音楽の下位 概念について麟に一つの主題系列を設定しなくて はならない。そのようなことは現実綴題として無 蓬である.実燦,馨本の伝統音楽や盤舞の甕族蓄 楽などについてはほとんど授業の中で取鯵搬うこ と恭できなかった。もちろん後にも逮べるように,

それらの音楽につ籍て徽える懸麺がない圭と思 っていたわけでは決してない.むしろ音楽的な簸 嬉を感じていたからこそ手解鐵せなかったのであ

る。

 第二に音楽様式の概念的理解が音楽そのものの 理解を直接導くものという短絡的な考えに基づい てお鯵,そのために授業摂音楽のいわば学鷺的な 内容の一方的な伝達を中心に進められている.確 かにある音楽葬轟の様式は下位機念の記述を積み 上げていくことによってゼ警語的まには説弱でき る。しかし言語によって音楽について読覇できる こととその音楽全体に反慈するあるいは美的紅鑑 賞することとは,本質的に懸の開題である。言語 によって獲得された音楽に絶する知識は,それだ けでは音楽的に侮の意駿も持たない。飼えばギモ ティーフ」という言葉は,演奏や鑑賞を通して味 わう音楽馨品の文賑の中で.美的な褻音の響きま

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菅  総:膏楽舞教育覇究の課題 33

の体験と結びつけられ,たときにはじめて意練を持 つのである。前達の授業の申では,このような俸 験については一人ひと吟の生綻に完全に委ねられ てお静,しかも実燦に生徒がそのような体験をし たかどうかということについて客観的に評慰する 方法を教嚢駿ま全く持っていない。つま吟「教えっ ぱなしまになってしまうみである.

 第三に本来多様であるべき音楽の聴き方や藩晶 の懸纏覇鎌縁,教麟があらかじめ罵意している

ギ一つの答えまに鞍敷されるべきものとなる。授 業の中で生徒が行う様々な活動も,生徒の懸盤的 な反応や表聡を弓iき思すものと雛うよ雛も,その F一つの答え≦に熱果的に近づけていくための単 なる手段として種置付けられているのである。鍵 って生徒は,常に教麟を蝶介にして,畜楽と晦き 合うことになる.一人ひとりの生徒と音楽の縫孫,

あるいは音楽を通じた生綻疑士の饗孫は生まれな い。誓いい音楽とはなにか茎について嚢らの生活 経験に基づいて考える場面もないし一  先生が

ギいいまと害うからい恥音楽なのだろう   , また鰹牲的な極値饒の穂違による生徒詞士の葛藤 や共感は.このような授業の中では起こ鯵得ない のである.

 これらの翼題について全く認識していなかった わけではない.しかし鞍られた轟分の畜楽経験,

あるいは教蒼経験の中では,どうしてもその先に 叢け畿すこと越できず,ただ舞舞の授業をこなし 続けることになってしまった。なぜこのような狭 い偏った視点の授業になってしまったのであろう か。もちろんそれは第一に鰹人的な教麟としての 力量のなさや勉強不足に帰せられるべき問題であ る、しかしそれ老は題に,学生時代以麟からの長 い講練擬闘に身につけた護洋音楽の音楽家として のいわぱ 文化的} な反応麟影響を与えているよ

うに、想うのである。

第2章音楽教緬のエスノセントリズム

 私も含め,現住,音楽科教畜に携わる教縣の大 部分は,学生時代まで西洋音楽の演奏家としての

譲練を受けてきたはずである。申には幼い頃から ピアノやバイオ婆ンを習ってきたという人もいる だろうから,どんなに短くても逢〜5年,長い人 は臆年透くもの闘.演奏家としての厳しい修業を 積んできたことになる。しかも修行の段購では 麟匠歩}の教えは縫薄であ瞥,馨分の作品や演奏の 中にその教えを忠実に反狭させていくことが求め られる。こうした長く厳しい謬練を通じて,我々 は護洋音楽の演奏妓籍だ鯵でなく,籍律や翻声な どの音楽約文賑への裟慈,專醒的言語,音楽的麺 穣観,あるいは音楽家としての行動規籔やモラル といった性質のものをも身につけてきたに違いな い.これはいわば特殊な一つの童舞にお謬る文批 の獲得である。

 調練の靉靆ぶ長ければ長壷・ほど,また厳しい捲 導を受けてい蕊ばいるほど,薩洋音楽の音楽家と

して獲得された文化は,その後の音楽教締の音楽 や授業に蝿する考え方に強く影響を没ぼす倭念と

して機能する.以下にその典型的なものをいくつ か挙げてみる.

第薄簾 普遍的極値に難ずる信奉

「音楽の量器垂こは,神聖にして健大なる領践に属 するものから低給で軽薄なものまでを淡足する普 選i的な懸値基準が存姦している達

 鍵って,学校の音楽の授業の中で掻う教材とし ての音楽馨品は,誰もがその儀嬉を認めるような 優れたものでなくてはならない。そしてそのよう な普遍的儀値基準に基づき,生後をよ鞍高い重葬 へとつれていくこと藩教縣の役割だと儀じること になる。また合曝や合奏の捲導においても,表現 のための解萩や具体的表堤方法を決定するのは.

最終的1こは 緬匠渉である教麟でなくてはならな い.頃分たちが活動している」と思わせるため にそれらのことについて子どもたちに考えさせる 場藤斜あったとしても,最後の縫上げの時にまで そのような 未熟な簿意見に葺を煩雑ていては,

いつまでも よいン 演奏はできない、

(6)

癌轟大学教官学鶴論集第鋳弩

 それだけではない。この考え方をつきつめてい くと,教輝が音楽の授業で嚢洋音楽以外の音楽を 搬うこと麟できないという事態を招くことになる.

しかし,もちろんそれは西洋音楽以外の音楽に懸 値を認めないと言う意殊ではない。

 鱗えば,ベネット・ライマーは,芸衛作贔やそ の表堤の優秀さを決定する講定の基準として,技 巧牲(cra實搬3総嬢轡・感受性(se簸s癒v{ty/・想像 牲i(童餓鰭搬3t海鏡・欝頼牲(欝療ε撹重。量轡)の獲つを

挙げている。そして罫芸術教官において我々がせ ねばならないことは,そのような基準を生徒に教 え,芸術の判定のために篤いることができるよう にしていくということなのである戸)と逮べてい る。確かにこれらの基準は,我々音楽の教舗辮畜 ってきた西洋音楽の量饗に遮穏すること解できる

し,また場合によっては鐸奉音楽やその飽の疑族 音楽の多く豪こも適矯できるだろう。しかし,なに

をもって技巧的であるとするか,あるいは鶴をも って感受性登かであるとするかといったことは,

それぞれの芸徳のおかれた文化の問で異なってく るはずである。「運命≦と講じ雛点から匿ガムラ ン音楽達越技巧的であるとはいえないだろう.そ れぞれの音楽は,その音楽がおかれている文姥的 な文賑の中で,それぞれに麗史的・文牝的・縫会 的懸纏基準を持っているのである.

 鍵って露分ぶ育てられてきた音楽文化の無縫基 準を尊重すればするほど,そしてその飽の音楽に

も西洋音楽と講じように蓬蓬の懸纏基準勝あると いうことを鱈じ為ば鑑ずる縁ど,音楽教編は,西 洋音楽以外の音楽を授業で敵勢上げる欝億を失っ てしまうという矛懸に臨るのである。つまり西洋 音楽以外の音楽について譲練されていない自分に,

纏の音楽を教える資格などないということである.

第2簾 解釈主義約音楽観

[音楽藩晶の意殊と懸盤は響きそのものの申にあ るのではなく,その背後に隠れている,音楽ぶ表 現する感椿やイ乍品の構造の中尋こある音楽的論選1牲 にある蛋

i§96−6

 これも欝盤紀までの西洋音楽の髭葬では蜜然と されてきた考え方である.このような伝統的な芸 辮観について,盛聾進は次のように遠べている。

 「(芸備{乍晶を〉視ること,聴くことは,ある場 合には穀象の愚昧(S量露簸C3老梅登〉の了解として,

またある場合には鰐象の講造の認識として,殆ど 常に,蝿象とその背後にある意陳や表幾や講造と 結ぴっけられ,提られたもの,聴かれたもの縁そ れをもたらす原獲である蓼作品蚕へと差し戻され てきたのであるま嚇7)

 このような考え方に基づくならば,音楽の授業    特に鑑賞の授業において教麟嚇せねばなら ないことは,嬉象となっている葬贔を 芸徳男た らしめているものについて,子ども鱒それに気づ き,さらにそれを修品全棒の中に旋置づけながら 聴くことができるように教えてやることだという

ことになるのである。ある場合にはそれ,は鐸品の 表現するr春の捲景」や俸懸者のゼ愛蟹心輩であ るかもしれないしナr小さなモティーフをもとに 俘品全体溝壑密に檎成されて駆る達というような イ乍品の論理的構造量こ臠することかもしれ、ない。

 いずれにしてもこのように考えると,教麟にと って授業のために教紡硬究すべき内容は一晃わか

りやすくなる。

 舞えぱ,歌艦の授業において,難しい音程と夢 ズムで戦えるようになったあとで簿を教えればよ いのか,あるいは鑑賞の授業において,修懸家に ついての知識や時代背景以外に簿を教え,また侮 を聴き取らせ為ぱよいのかということは,教軽羅 究の段繕で常に頭を慰ませられる靉靆である.そ もそも窪分の感じている「美」や罫感動達そのも のは教えること潜できないのだから,結騒授業で 振うことのできるのは,「i歌と伴奏の関{系はどう

なっているか茎旺なぜその楽器溺稽いられている のかj fこの縫律は主題のどの蔀分から海生して きたのか墜といった {客観的ン}   一本当にそ為 が客観的と瞬べるかどうかという開題はこの豫雛 にして   な事極だけになる。

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菅  総:音楽科教育醗究の課題 35

 このような音楽に臠する学隠約・擁象的な知識 の理解勝,常にではないにせよ,ときとして音楽 俸贔に対する縫心を高めることは確かにある。だ からできるだけ多くのことを教え,それらの事極 を蛋しく理解することぶ普選的な音楽美につなが っていくと懲じ,その先の感動体験は子どもに預 けることにしてしまった方が教輝の立場としては 気が楽である。あとは数学の公式や科学の原理を 教えるときのように,禁率的で子ども蕃多少でも 喜ぶような教授方法を考えればよいだけなのだ。

第3籐 議練主義・精神主義

あるセ罐ま次のようなものもある。

「ごく一部の天才を験き,苦しく嬉遊な講練や努 力の.ヒにはじめて優轟た搾轟や演奏が生ま為る.

そしてそれが本当の音楽的な毒びである塞

与するのだまと害い麗かせることは音楽教壽韓こと って大きな慰めとなるのである.講義形式のつま らない授業や厳しい講練講の授業になってしまう ことがあっても,ζ優れた音楽を生経垂こ体験させ るためならば仕方撰ないまと自分に思恥こませる のである。

 これらの儀念は,我々の行動を縛吟付ける纒轄 であると瞬時に,我々の音楽家としての権威を守 る砦でもある。遍去の長く苦しい譲1練と努力の結 果,音楽家としてのあるいは音楽教畜者としての 現;窪の察分解あるのだ.だから音楽という轡:雰は,

一般の人々や子どもたち麟大した畜労もなしに気 軽に経験できるような場辮であってはならないの である。ここに音楽教舗は李一種のエスノセント 夢ズム8)に臨ることになる。いってみればかつて 大航海時代のキ夢スト教の宣教輝たちと績むよう に,西洋音楽文化の権威の伝道者として音楽教麟 は学校で働くことになるのである.

 この揺念は.蓑楽しくない授業」についての子 どもたちに薄する  一そして露分懲身に講ずる   一強力な 善い談ン になる。

 罫学校の音楽は楽しくな恥まといわれ続けて久 しいが,恐らく纏のどの教科の教轟よ磐も,音楽 教1擁は,自分の授業が楽しいか楽しくないかとい

う事について実はとても神経質純なっているとい うことをここで捲摘しておかなくてはならない.

「音楽の授業は楽しくなければならない淫という ことに歪面から異を唱える音楽の先生は一人もい ないはずである.

 子どもたちもそのことはよく難っている。教麟 に鰐する最大の竣撃はボ先生の授業は楽しくない」

ということで,また最大のi観しみの表琴護まf先生 の授業は楽しいよ茎ということであることを む得 ている。鞍懸にとって.目の麟にいる子どもたち から罫授業が楽しくないまといわれることほど恐 ろしいことはないのだ.それはほとんど強迫観念 のようにのしかかってくる。

 だからこそ「楽しいだけではだめだゴ今は苦 しくても,今の苦労が将来の真の音楽的喜びに寄

第3章 自立した極値観を育てる教畜 第嘩節 情操教育をめざした戦後疑本の音    楽科教育

 薦遠した私の醗属での実践は,まさに今遠べた

支藩巽の麺蔓:上碁こある.瞬舞寺垂こギ翼事洋音楽を申述♪と

した名懸主義まぜ要素的学習を中心とした知議の 伝達のための授業ま確楽しさ遺を擁霧彗した繕神主 義」といった教灘の麟を幸心にした考え方は,戦 後の田本の音楽秘教鳶をある意殊ではこれまで支 えてきたのではなかったか。

 軍国主義のもとで皇璽疑としての聴姓の瀬養ま を屡捲してきた戦議の音楽秘教畜の反省から,「芸 備教育としての音楽教畜まを標構して戦後馨本の 音楽科教育1まスタートした。欝蓬7/昭秘2鱗年の 学習捲導要領音楽編(試案)には次のように記逮

されている.

 縦束の考え方のうちには音楽教畜を嬉操教袴 の手駿として取修撰う傾き瀞はなはだ強かった、

即ち,欝操を教育するために音楽教畜を行うとい

(8)

癌島大学教篤学翻論集第鑓号

う考え方である。しかし,音楽は本来芸衛である から,馨的であって手段とな参得るものではない.

芸衛を手段とする考え方は,芸徳の本質を解しな いものである。そこで音楽教育蓬構繰i教育である という意蕨は,音楽教畜簾構操教育ということで,

音楽美の理解・感得が直ちに美的構繰の養成とな

る達鱗

 ところでこの記述の中で,離業において年構操 教育のたあの手段としての音楽教青墨を否定して おきな潜ら,後半ではぎ音楽教育蹄椿操教青墨な のだという奇妙な覆い替えが行われている。結局 ゼ構操教官まという書葉は戦後も音楽科教育の究 極暴繧として綾置付けられたまま残された。学習 捲導要鑛に承されている知識・披講・龍力の習 霧を通して情操へと至る蓄楽科教育の農標の構造 は,その表竈の仕方は様々に変転しな撰らも.基 本的には堤在まで変わっていないと霞ってよい。

構操教育は戦後の音楽科教鳶の基本瑳念として遜 緩してきたのである。

 八木亙一は,罫構操の奮威曇という誰も麟認め るような大義名分をたてること摂,戦後の音楽科 教育において,教麟が子どもたちに嬉し一方的に 教え込むことを容認することにつな摂っていった のではないかということを捲擁している。欝つま 滲,子どもたちの購擬まのために,大人赫学習 するにふさわしい名藤を選んでや静,その 証し

い}} ョき方や演奏方法を,表癒的な楽しさは犠牲 にしてでも確実に教え込むことを罫よし達として きたのが,典璽的な戦後の音楽科教糞の姿ではな かったかということである。聾85(昭:鞍33〉年改 欝の学習捲導要領から登場した共通教材の設定は まさにこの考え方を象織している。

 馨本がまだ経済的に貧しく.教麟にも子どもに も音楽的な緬髄観の選採の余地潜なかった時代,

それは一つの見識だったのかもしれない。ある一 定以、kの年代の人々は,学校の高緬なプレーヤ から流れてきたクラシックの名麹の響きを大切な 患い灘として持っているであろう。また小さなハ ーモニカであっても,生涯のなかでそれは貴重な

玉囎6−6

演奏体験だったに違いない、そして今でも残る護 洋芸術音楽に録する高級なイメージは,豊:かな生 漬に繋する纏れと深く結びつき,人々に受け入れ

られてきたのである。

 しかしそれ、は縞馬,大人の儲が夢あるべき姿達 を一方的に決めて,思い遜警の人弱をでっち上げ ようとしているに遷ぎないのではないか。そのよ うな教育の中で畜っ子どもは,せいぜい教緬と講 じ西洋音楽の鑑奉者か,あるいはそれ起ついてい けない 学校音楽齢嫌いのどちらかであろう.

 学校の音楽についていけなくても,今,子ども の周諺には懸の音楽藩あふれ、ているのである。ど アノを習うことも,高懸な電子楽器を手に入れる こともそれほど難しいことではなくなった。学校 が終わってから友達とカラオケに行くということ も》、まや当た穆繭の光景である。もはや学校の音 楽の授業で,教轟の趣味に自分を無藻にす警合わ せる必要はない.実燦に子どもたちは,匿学校の 音楽は嚢窪くないまと鱗び始めているのだ.

第2籔音楽的極値鏡の霞立をめざして

 では子どもたちはもはや音楽科教畜の必要がな いほど露分の音楽的懸植観に察爆を持ち,主体的 に音楽を選釈し,生活の中で楽しんでいると言え るのだろうか。

 小鱗薄霧は.蓼音楽する縫会雲の中で,マスメ ディアに支えられた音楽が生活の中に浸透してい

くにつれて.音楽を含む人々の歓会的コミュニケ ーシ聲ンの感覚が次第に変容していく現代被会の 様輯について舞編な分析を展離している。その上 で最後に次のように述べている。

 「音楽聾き潜培えているし.音楽の流通量も増 大している・だからといって,音楽に薄して鋭敏 な人々が培えているという保証はない。むしろ.

音楽に殺して蓼麻癒した感覚婁の持ち主が堪えて いることもあ叶うるのである。音楽を単に唇ファ

ッション遜の一項馨としかとらえられ,ない人,音 楽を単にぎ逃避i蓋匿発皺壁の手段としかとらえら

(9)

菅  裕:音楽科教育醗究の課題 3下

れな》、人のみが増えるのであれば,音楽化桂会の 未来は暗い轡)

 実際,毎馨マスメディアを通じて瀧れてくる膨 大な音楽の情報量の率で,窪ら主棒的に音楽を選 撰し,懇分の醸縫的な懸難感覚の実堤として生活 の串に音楽を種遷替睦ていくことは容易なことで はない。むしろあらゆるジャンルの音楽斜懸i纏櫓 講化されてしまっている中で.自分にとっての

臨、い音楽ま盲美しい音楽ま蒼見えにくくなってし まっている状浅にあるのではないだろうか。

 また,最近テレビでは,締にでも籏段をつけて しまうダ値踏み番纏が人気を集めている。この 理象について松原隆一麟は孜のように逮べている。

 軒こうした番縄は,8§年代から続く緬鎮の差異 化の極蟹だと思う.誰も藻,騒々人の趣殊や患い 潜細分化,オタク乾していることは理解している が,場代の罫書葉遷には,その内容を語鯵得る力 がない。・ ・極螺に差異化が進んだなかでは 蓼私とは選という不安ぶあるが,一方で『書葉へ の不振凄も強恥.鮭局,曜i一の共遜尺度として1甕 段が登場したのだと思う≦鋤

 つま参麗代の若者は,もはや菱値段葺を還して しか懲らの懸纏観を確かめた穆.飽人の極値観を 瑳解できない,そんな不安の串にいるというので

ある。

 このようないわば鱗人のアイデンティティーの 喪失と飽者とのコミュニケーションの希薄髭は学 校の中にも暗い影を落としている。

 子どもたち,特に中学生は,教室の申で,慶ら の存姦に不安を麹き,びくびくとしている。醤立 つこと,全俸の文賑から浮かび、ヒぶってしまうこ

とを極蝿に恐れている.海食隼雄が織本では ぜ皆と講じでない遷ことは葬常に穂険なのであ るま獅と述べているように,ほんの少しでも纒牲 的に生きようとする者がいじめに遵う場合ぷ多い。

そのような匿スケープゴートまをつくることで,

全体の中での嚢らの存在を安定させようとしてい

る献溌ぶ,学校の中に存在しているのである。

 いじめは,教育に携わる者全てが,今,侮をお いてもまずその解淡の遂を探らねばならない重大 な鷺題である。もちろんそれは一教科の翼題では ない。しかし特に音楽の授業では,経験からいっ て,そのようないじめの懸濁毒豊鑛在化してくる場 欝解葬常に多糖。そして音楽科ではこれまで懸盤 的な表饗を強調するよ警もむしろ「講じピッチ,

講じ嘩ズム,瞬じテン潔」で演奏することや全体 の文賑に添って行嚢することを子どもたちに要求

してきたのである.堤在のいじめの簡題に薄し.

音楽科に全く責任がないとは奮えまい。

 このように考えてくると,いま教育を通じて子 どもたちの中に青んでいかなくてはならないこと は,露分の纒性的な継i纏観を確立し,そしてそれ に誇警を持ち,さらに露分とは違う,そしてそれ・

故にこそかけがえのない飽人の極値観を尊重する 態度だと害えるのではないだろうか.

 そしてその串で音楽科教欝の援うべき責紐は.

ある特定の極値イ本系に基づいて遍去の音楽の文責二 選産を伝達していくことではなく,遍去と未来,

露己と地者をつなぐ文化的生産に立ち会うことを 通して,霞立した音楽的纒値観を一人ひと吟の子

どものなかに確立していくことである。

第4章

第董節

 文化的生産の場としての音楽の 授業の構懇

音楽科教育全体の抜本的改革

 繰警返すと,これまでの音楽科教畜は,藤洋音 楽文化の率にどつぶ蓼と浸かった音楽の教蔀たち のエスノセント夢ズムに支えられた教官であった。

そこでは演奏や音楽づく雛などの本来子どもにと って主体的・翻造的であるべき活動も,西洋音楽 の {普遍的懸殖}}を学鬱するために教麟によって 計懸・実施され,そしてそれらは罫構操教官まの 名の下に董当化さ翻てきた。子どもたちに求めら れることは,露洋音楽の支彗藻における「焦しい理 解ま「正しい演奏ま薩しい鑑賞」であった。

 露らの感じ方や表現に記して嚢馨を持ち,飽人

(10)

橿鳥大学教官学都論集第縫号

の様々な感じ方を認め,表現に葺を顛ける子ども を育てていくためには,教麟の音楽観・授業観・

学習観を含む,音楽科教畜全体の枠総みの抜本的 な見直しぷ必要である。

 まず音楽の普遼的懸魑蕃教室み外に存在し,音 楽の授業はその蓬蓬的極値に透づいていくための 特幾の練習の場齎であるという考え方を改めなく てはならない。佐藤学は,窪表甕者として共に膏 づ邊というテーマに基づく麟談の申で,次のよう に述べている。

 罫教室だって多様惟の世界じゃないかと思うん です.教室の外の音楽にだけ多様牲の糞雰癬ある んじゃなくて,教室で子どもが表現している音楽 の縫饗も疑じぐらいに多織で広い重葬だと思うん です。だから,外の広い童舞を教室に持ち込むと いう発想から,教室の串そのものも音楽の童舞な んだから,外の童舞と教室の中の糧:,界とを交流さ せるスタンスに教麟が立つことか鐵来るかどうか が大饗ではないでしょうか輩紛

 薩洋音楽だけが普遜的に美しいわけではもちろ んない、盤罫中の様々な音楽は,それぞれの文賑 においてそれぞれに懸纏を持っている.そして同 じように,教室の率の子どもたちの音楽の盤雰も それぞれに懸薙のある多蟻な繊罫であるというこ

とを教締は認識しなくてはならない。

 第二に,音楽に臠する撫象的な知識・技能の習 得が音楽に薄するより深い運解につな1がるという 学習観を接てねばならない。

 鶴懸騨は,r学蟹者鰻人が,頭の中に.特定の まとま彗を持った知識や技龍を獲得することまと いう従来の学習観から噛分探し拝アイデンテ ィティ形成崖としての学習観への転換の必要性を 訴えている.つま吟,子どもたち潜露分のおかれ ている文化的・桂会的文脈の牢で童舞を意瞭づけ 棲分らしさまを認識していくその遜程を学習と 縫える必要解あるということである.簸

 完に挙げた購属の実践では,様式の理解を鞭 々の礁暴に対する難待と結果についての習嶺的皮

i螂一6

応の獲得墨あるいは壕色・夢ズム・縫律などの 下縫概念の特籔の統合まという,ある特定の修鑛 の一瞬性の体験を越えた一般的・矯象的状態とし て捉えていた。しかし実灘に私難身の獲得してき たモーツァルトの様式感の中には,子どもの頃に ゼ神童」の逸話から受けた馨象やぎ今からでもピ アノソナタを弾けるようにな戦たい墨という気持 ち,あるいは学生時代にオーケストラで演奏した 思い鐵などの一つひとつの体験の誼憶が渾然一体

として漉ざつているのであ善,それはまさにξ私 にとってのモーツァルト蚕であって.一般化する ことによって子どもたちに分かち伝えられるよう な性質のものではない.ζモーツァルトなんか露 分とは飼の縫係もない」と思っている子どもにモ ーツァノレトの音楽の特籔を教えようとしても,そ れは様式の理解には直接結びつかない。

 薪できるよう垂こな吟たセ樽罫表現したい」とい う子どもたち一人ひと静の思いを錘び趨こし,そ れに導かれ て動いていく授業を講懇する必要潜あ

る、

 第三に,教麟は一方的に知識や披籠を与える権 威麟存在から,子どもと難語的に縫わ鞍ともに学 ぶ存在へと変わらなければならない.佐藤は,

疑簸彗的飽者まとしての教麟の役割を次のような 三つの観点から述べている。欝まず紅教締は,い まだ瞬確にはかたどられ・ていな恥子どもの霞己の 代役をつとめて,子どもの露己内対話を誘発し促 進することができる」。子どもは白目の代役とし ての教麟との講話を通じて嚢分§身を嬉象化し,

慰しい瞭分らしさまを発見していく.つま頓  噛分探し」を行うのである.

 次に曙繋話的纏考選としての教麟は,さらに,

その教麟麹身が文化的諸領域の優れた学び手であ ることによって,学習者に蝿してモデ夢ングの役 割を果たすま。教麟自身が,全ての音楽の鹸に謙 虚にな警.新しい響きや癒性的な表理について探 求していく実践的音楽家の姿を示さねばならない。

これまでの教麟に要求されていた音楽家としての 能力慧,藪洋の音楽作品をその文賑の中で {重し

ぐ歩解親し.遷窮な表愛妓饒によって再表現した

(11)

菅  裕:音楽秘教畜藩甕の課題 3警

吟旛導を行うことのできる演奏家   特に捲揮 者としての力量であった.これからは,音楽隻の

中で演奏家と鐸麟家が専鴨分化してしまう以繭の 俸麟家兼演奏家のように,新しい無縫を実践的に 探究し麟造し続ける姿へと近づいていくべきなの

かもしれ、ない.

 そして最後に,曙講謡的地者婁としての教舗は,

教室における子どもの学びを教室の外に広がる文 化的莫講鉢としての知的ないとなみと蝶介し連続 させる役割を握う。教麟は,教室で生成される文 化と縫会の文化の蝶介者であ穆,教室で接われる 知識の現実的な意味を歓会的文脹に鄭して提示し,

教室の学びを歓会と人々の学びと連続させる蝶介 者である達。子どもたちの音楽を教室の中に溺じ こめてはならない。教室の中で子どもたちが音楽 づく参をした吟演奏した参することは,プロの音 楽家や伝統音楽を受け継ぐ人たちぶ行って》、る活 動と興じでなくてはならないし,また瞬じである

ということを子どもたちに気付かせなくてはなら ない。そのときに秘めて,文化遺産としての退去 の作麟家たちの俸品や堂雰の様々な地域の音楽搾 品.あるいは一流の演奏家たちの名演の懸纏潜,

子どもたちの麟に浮かび上麟ってくるはずである.

 そ為では異韓的紅どのような授業が想定される であろうか。次に述べるような作贔化を中心に据 えた授業を考えてみた。

第2鄭 俸晶化を中心に据えた音楽の授業

 美術の教室に行くと,どこの学校でもたいてい 属雛の壁には先輩たちが難いた絵ぶ簸ってあ穆,

搬1こは彫灘葬晶潜謹んでいる。そのi教室で授業を 受ける生健にとって,それらの修贔は,嚢分が今 から作ろうとしている作品のお手本であると限時 に,線分も遽じような俸晶を俘ってみた》、葺 あ るいは郵先輩を超える作品を伜ってここに残して いきたい」という動機づけを知らず知らずのうち に育てていくものになるだろう.

 作品として残すということは,自分が現在行っ ている活動が,単なる学響のための活動に終わら

ず,時閥を越え空聞を越えて,自分以外の不特定 の纏者に薄して麗かれていくということである.

そのこと溺実感できるとき,授業における活動は,

縫人的な学轡ではなく.ひとつの縫会的な活動と しての意殊を持つことになる。つま警逝去の文化 的遺産を受け継ぎ,必要に癒じてそれを科篤し,

また麟の時にはそこから全く新しい極値を麟造し て,それを嚢分以外の櫨者に薄して,あるいは来 来に請して発鬱していくという文化的実践として の営みになっていくということである。

 躰義樹は,大学の授業華こおける学生嚢身の学び の作品イと鶏の教育効果として,次の5点を挙げ

ている。

① 緯得的理解麟果…  人は.伝達を意蟹して  表愛するプ資セスで.はじめてよく理解する。

 知識は実践で捜ってみてはじめて運解される。

③ 表現力獲得勤果…  表瑳は縷れである。伝  達姓みある文章力も,糧手を納得させる表現力  も書》、たいことを圧縮するカもすべて講練で上  達する。

③ 窪鱈獲得熱果・・づ乍贔を以て表現すると縫  者が,淺露してくれ,納得してくれる.その手  ごたえは.表現することを楽しみにさせ,露盤  へとつな解っていく。露繕の核心部分は,露分  が感じること,思うことの内容,すなわち,衰  分の素朴な認識内容に自信溺持てることである.

@ 自己拡大効果一づ乍贔を完成した者は,不  思議と心がオープンになる。さらに,その交流  は,時間的・空間錦鱗約を打ち破って,まだ見  轟純音へと広麟っていく.

⑤意欲づけ効果・一律藷づく鱗ま,結轟,多

 くの麟約の中で,矛盾・葛藤を克服して達成さ  れる。だから,達成感という喜び麟感じられ,

 露分が少し成長したのを感じる。麟

 音楽は,音の響きという空弱的実体のな恥存在 であるために,これまで授業の中で搾品として残 していくということを積極的に行うことができな かった。もちろん楽譜として残す,あるいは録音

(12)

橿鳥大学教育単離講集第懸号 玉99§一6

テープとして残すという方法溺なかったわけでは ないし,仲間の前での演奏発表も雑品化のひとつ の形慧と見ることもできよう。しかし,時購的・

空聞的超越牲という点ではきわめて貧弱であった といわざるを得ない.そのために音楽の授業紅お ける子どもの活動の威集は きえもの シとしてそ の場張鱗こ終わってしまっていたのである。

 さら紅音楽の授業にお謬る音楽づく滲や演奏に おいて教麟麟意聾して雛たことは,それらの俸藻 化の体験そのものというよ警も,むしろそれらを 通した鷲の霞的の学習   飼えば罫藩洋音楽の 要素的学習まや罫全貫で美しいハーモニーを搾ろ

うとする態幾など  の手段としての載量づ けではなかっただろうか、つま参赫のいう教畜効 果のうち①と⑫ばか箏が期待され.あとの③④⑤ はどちらかといえば{守髄的効果と見なされていた のである、結縁,子どもは.表癒的には馨分たち の嚢主的な活動に見せ趨ナられな揚,教麟の隠 された意緩の上で麟かされていたに遍ぎないので はないだろうか.

 もちろん学校教官警棒が羅的と意麟を持った計 薩的な営みであることには違いない.しかし一懸 一露の授業における活動の愚昧づけの主{本を子ど

もの手に題してやらなくては,懸の外的な要鑓一 噸蓄えぱξ試験にでるまとかぜ評定に影響する」

など   がなければ学習が成立しなくなってし まう恐れ溺ある。実燦,醗羅のような受験学力の 箆較的高い学校ではそのような繧胸が趣きやすい。

 音楽の授業を棒贔化を中心とした文化的実践の 場に変えていくためには.子どもたち撚必要に慈

じて先輩やその飽の俸贔を雲霞に参黙することの できる環境をまず整備し,霞らの罫表愛したい圭  罫雑瞬上げたい墨という思いに導かれて主体的・

麟造的に探求し,よ吟よいもの葎む上げていくた めに鰹者と積極的に醐わる雰i灘気を畜て,さらに1 できあ撚った作品を残し広めるための技構を獲得 させなくてはならない。

第3籔 作品化を中心に据えた授業の具体    的方策

 音楽科における俸品化の具捧的方策については まだこれから考えていかなくてはならない。しか し最遠,急速に発達しつつあるデジタルAV機器 の秘驚は大いに難待できる。例えぱカセットテー プに代わるDATや麓Dは.頭から探していかな

くても,一つのテープやディスクに殺められた内 容のどこからでも遠やかに再生できる ランダム

・アクセス難癖可能であ彗,またその音質も優れ ている。今後は硬鍛嫁体についてもこのようなデ ジタル化が進むことになるから,畜と験嫁1を総み 合わせたいわ癖るマルチメディアによる作離化も 教室の率で可能になるだろう。重要なことは,そ れらをいかにしてデータベース化し,子どもたち 糾いつでも窪密にそのライブラ夢一を麟環できる 磯境を整えるかである。

 必ずしも新作の罐艀だけを繹品化と擬える必要 はない。醸成の彬贔の新たな解萩による演奏も立 諏な葎品化である.合曝や合奏の授業をそのよう な考え方で携成することはできないだろうか。つ ま馨教麟が一方的に解毅を挿しつけ演奏法を幾足 していくのではなく,グループ活動を通した様々 な解報や演奏方法の探求の中から露分たちだけの 表現を選探していく授業である.

 離縁において生徒たち麟掛け簸なしに罫楽しいま と評無してくれ、,そして露ら積極的に活動した授 業があった。それは高等学校での二時間続きの授 業時懸のうちの片方の時閥を縫った,二年間を通 じての器楽の授業である。生徒は・オーケストラ で装う弦楽羅や管楽器,あるいはギターや夢コー ダーの中から希望の楽器をひとつ選び,二年闘か けてそれを練習するのである。おる程度の基罐離 技髭を習得した靉靆で嚢虫にグループを緩ませ,

嚢分たちの選択した懸紐ついてアンサンブルに取 む緩ませた。教麟は,生徒の求めに応じて騙懸を した鯵,ある程度の基礎的な捲導を行うが,基本 的には練習は生徒の手によって行われていた。学 難末には試験を兼ねた発表会を全員の前で行った。

(13)

菅  総:膏薬秘教育雛究の課題

妓籍的にはとても薪よい演奏遷とは需えないのだ が,韓とか嚢分たちの纒牲を発揮しようと様々な 工夫を凝らしたユニークな演奏が展雛されていた。

普段は教麟に欝して反読的な態度をとる生綻のグ ループが彎入でピアノの前に座雛,全員右手だけ の鱗手の連弾を鼓露して全員の喝采を浴びたこと もあった。この発表の場をさらに学校全体へ,あ るいは録音を通して次の後輩たちへと広げていれ ば,さらに実警ある取蓼総みぶできていたのでは ないかと思うのである。

 音楽の授業の中で簸も評覇解悪いものの中に音 楽を聴いたあとの感慈文騨ある.生徒を楽座の活 動に集中させるための一種の脅遷の手段,あるい は評懸の手段として縫われるからである.音楽を 聴いた漆象について文章化するということは,大 人でも難しいことである.葎}をどのよう1こ記達す れぱいいのかということをf分に教えないまま,

ただr思ったままを書け」と要求しても,一鶴の 文章力の高い子どもを験いて,新おもしろかった葺

夢つまらなかった達としか書きよう拠ないだろう。

 しかしここでも発想を転換して,懇懇文という よ珍もむしろ評譲文を子どもの作品として捉えて みることができるのではないだろうか.例えぱ仲 闘の音楽俸贔や演奏についての評譲文をグループ で鐸威し,クラスの串やあるいは外に晦かって発 行すれば,それは一つの面白い取瞬縛みになって いくのではないだろうか。もちろんそのためには,

音楽の認逮のために必要な音楽溺語を教える必要 も虚てくるし.評論文としての文章の継立方につ いての捲導も必要だろう。当然国語科との連携も 要求されることになる.

 これ・らの活動を逓Oて,音楽の授業における巌 々な音楽的活動を,教室の串から学校全体さらに は縫合へと聡かおた其講捧としての文化的活動へ

と発緩させていき.一人ひと蓼の子どもが文乾的 生産の主体として麗わることができるようになれ ば,音楽の授業は子どもたちにとって生き生きと

した学びの霧になっていくと思うのである。

おわ鯵に 今後の課題

 本譲は,私の現場教緬の蒔の綴人的な実践捧験 に基づいて展醗されている。縫ってこの譲文の率 で挙げた様々な縫題点解,音楽耕の全ての教麟撚 抱える聡題として一般牝できるわけではないとい うことは震うまでもない。しかしなぶら一般的な 公麗授業や醗究授業.あるいは授業鞍告からは,

授業を行っている教懸が音楽をどのように縫え.

そしてそのことが授業の構造にどのような影響を 与えているかという F教麟の本音まにかかわると ころはなかなか浮かび上ぶってこなかったのでは ないだろうか。

 罫音楽とは舞か墨という聡いはあま鱗こも紬象 的で,屡常的な教輝の生活の車ではそのことにつ いてあらためて考えてみる時購などな恥のだが.

しかしそれ斜なくては授業はできない,教翻は,

音楽に繋する韓らかの薦念に雛って授業を行って いる.本譲で擾示した西洋音楽エスノセント婆ズ ム縁そのひとつの典璽であろう。しかしなぶらそ の総意は,必ずしも安定・…賛したものとは言え ない。戦後の音楽科教育の申では,罫コンクール 至上主義蓬に代表されるような技籠率 むの授業と 麟造的音楽学習に代表されるような子どもの欝撫 な表現璽醗の授業,ある》畷ま飽の飼勅からも独立 した芸徳教畜としての音楽教畜の立場と鋳操教育 という落葉麟持つ人格教畜として音楽教畜の立場 とが交錯し,現在でもその漉説は解決していない のである。現場のほとんどの教藻は,縛に藤じて 上に挙げた考え方め聞を揺れ動きながら養い分雑 ているというのぶ本音であろう。その闘に子ども たちと教麟との文化的な溝は大きく開いてしまっ た。ζ教科教書としての音楽科教畜の果たす役響 はなにか」ヂ音楽を学ぶとはどういうことか」と いう基本的な闘いにここで立ち返らなくてはなら

ない.

 そのためにはまず戦後灘年の購に展麗されてき た様々な音楽教官実践の中で音楽そのものがどの ように縫えられてきたかについて歓会学的な擁点 から検証する必要ぶある。つま箏教麟の音楽観が,

(14)

塁2 福島大学教育学難論集第鑓号

音楽と子ども,あるセ博ま教麟と子ども,子どもと 子どもの麗係に,どのような影響を与えてきたか についての撹角ぶ必要になるということである。

その上で,これからの音楽科教育のための新しい 音楽観を構築していかなければならない。それは,

これまでのように獲洋音楽の文賑の中で露己充足 してしまうものであってはならないし,だからと いって護透織の奮う罫軽やかな聴取ま麟のように 完全に鋭文賑化することでもない。いわば問主観 性の轡:雰として縫会の中に浸潤している匿文化と

しての音楽まの姿に§を癖けることである。

 さらに当然このことは大学における教員養成の あ多方との縫係の中でも考えていかなければなら ない,もちろん教員養成において専穆音楽家とし ての技籠習得の重要性はこれからも変わらない.

しかしその結果としてある程度必然的に趣きてく るエスノセント夢ックな顛梅を解清し,もっと纒 広い梶野の串で音楽を縫えることかできるような 場面を設定する必要撚あろう.

 最後に提示した搾品化を中心とした授業の講想 については,今後,大学の初等教蕎法の授業の中 で,よ静実践的に真棒化していきたいと考えてい る。      ⇔g蟹3年4月欝嚢受運〉

注,及び引欝・参考文意

葺高等学校第3学年の授業は.学績全捧の力婆キ  ュラム縮織上,鰹砂選毅教科のとの縫纏で,韓人

以下の少人数クラスを鰐象に行われてお瞬,その 内容も,高等学較第二学年までの授業とは癒接つ  ながらない,揮懸などのやや専縫的なものであっ

 た.

2)Leo鰹感3.M響α,醜擁纏9寵麹號惚

顔M麗繭.(懸e翫重veτs圭tyo蚕C短£篭。駐ress,

 i馬韓,群落.

3〉塔井千量子,菅総坤・轟等学校畜楽科におけ  る生経の鑑賞力獲得に離する購究(2擁 絋島大  学耐震中学校醗究紀要塞第3§藥(欝93年〉,欝遷§

 i§一3馨頁.

4〉塔井手量子,菅襯職式遷解をめざした鑑賞の  授業に臠する実践離醗究(難)」 置傘照蟹教畜学会

i螂一6

醗究紀要遜第韓巻第二蔀(欝鱗年),3§3曝駁頁。

5)Be難簸et電食e重瓢ef,護P編めεoか海y硬糞4総髭鋸・

凝舞磁2撮e6.(夢re蕪ce蟻差a董董,i§鋤,夢.i3塩 6)豊野進程聴取の詩学薩(麟葦書霧,露髄年〉,

 9頁。

7〉これに薄し.騰盤紀の搾蕗家.ケージの音楽の  墨現によって新たに獲定される罫畜響の表藤に現  れてくる様々な部分醜音事象を.その薄象の全体 牲とも俸醗家や演奏家とも背後の凝念や蓬念とも  独立させ,それ腐体摂かけぶえのないものとして  尊重するま聴き方を庄野慧旺聴取の詩学まと騨ん  でいる.(翼繭,22−23頁〉

8〉エスノゼント華ズム(嚢疑旗幸心主義〉は,文  化人類学においては瞭分の療羅する集鐵文化に  基礎を持つ懸絶な継し鰹嬉観を縫封糧し,それを  基準にして文化的背景の異なる人々の行為や存窪  様式について懸魑覇擬を下そうとする態護ないし  見方まのことである潜(蓼文化人類学事典豊強文堂,

 欝87年〉・ここでは露分漢讃練を受けてきた藝洋音  楽の懸盤観の基準を普選化し,全ての音楽をその  基準に基づいて鵯擬しようとする音楽教麟砂繧癖  という意味で驚いている。

9〉文鶴欝謬学習旛導要領音楽縷(試案甥(東京書  籍,i鱗7年),i頁。

i§〉八木匠一軍本音の新たな復権塗蓼音楽教育学露  第25−3号囎9客年〉,23−3巷頁.

貸〉小辮薄薄置音楽する後会蓋(勘草書携,鯵縄年),

 i87頁.

鴛〉響薩踏み蓋輩緯,人気を鑑定   『雛段盤は最

 後の共遜語無籍譲新灘ig弱年2鍔3難

生3〉溝合隼雄毬臨床教育学入野樋(岩波書疲,露瓢箪),

 i7§頁。

纏〉夢特集 表場者として共に鳶つ遷謬教育音楽率学  ・高校繊雲第39巻第稔号(欝95年〉,騒頁。

i3〉姓麟騨軒文髭的実践への参撫としての学習墨  ζ学びへの誘い塞 (東斎大学畠蔽会.欝§§年)翫  鞍覆,ト憩翼….

癖雛藤学瞳びの鰐話的実践ヘゴ学びへの誘い盛  (東蕉大学鐵犠会,鯵§5年}穫毅1,87途9頁…。

i7)本参の誓うぞ乍贔嚢餐ま, 主曇こKJ法を零1至昇窪した知の

 譲運的・露語的表現を撰している.しかしここに  挙げた五つの妙果は,美についての芸徳的表現の  場合にもよく当てはまる。

i8〉躰義樹ぎ学生参藪授業論著(学文雅,聾94年〉,

(15)

菅  鶴二音楽科教育羅究お課題 護3

 9を9ε賛.

謄)鍍透は,簸透の音楽聴取の揚藏においては罫感  覚表屡に現おるそれらの多彩な音響繭激を統一的  に捉え.俸贔をひとつの金棒として理解し,各部  分をその全体の中に位置づけるような構造的なま  藤洋音楽における嚢統的な音楽の聴き方から,

 罫総藻め欝立つところだけに耳を顛捗るような聴  き方,万華鏡のごとくに靉靆に展雛される音の絵  巻にひたすら身をまかせるような聴き方,無畷の  厳親を続けるかのような嵯聴き方に変わ鯵つつあ  るとしているゆこのような聴き方を渡辺は£軽や  かな聴取まと呼んでいる、 (鍍透裾1蓼聴衆の誕生薩  春軟縫テ 箋989年〉

(16)

蓬島大学教畜学部譲葉第爵号 玉9鶴一6

丁盤et3sko{o蟹驚se寂油es{orac幡搬9灘s至ced護cat量。簸:

       tOW3羅臨α3勧9實G搬3鍛e伽倉ce撫醜0{灘S量cte紬総

SUGA,翅ms擁

丁魏夢聯・Se・ず極重SSt綴ダ照StOdeart盤et3Sk・董・建ぎ騰搬rC鼓eSず・raC。臨9㈱slCe藤 C3t纏,byt盤ereex3餓at瞳G紬¥re夢・rtS・董董eSSG蕪Sめ磯 撫S重C3歪玄・翻S シ麟 &灘S醸 sty峯e・重」.S.β紬腎,曲童。馳認娩欝。縫ce6睡a簸誰ac観麺重鍍3雌振9鼓sc盤・・擁糠・甑

灘U麟e感y.丁瞭ew3S3C・鷺S量Ste魏O鱒魏蝕濾t難eSe亜eS漁St醸灘S重CleSS・難S瞬tO 鹿δe蜘e逓t鵬盆est琶蝕tS膿6eτSta蕪灘S董C継Sty産eS撫戯e麟a陥醜et豊Cex夢er賦e

醸・麟t盤eS麗童eSO盤搬雛eS,臨搬・漉S,{・礁Sa蕪tex鰹eSetC.w雄蕊購S量C段豊Sty蓋eSC・簸S垂S童

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S憾e卿も茎e盤s畷。舞響ereesse簸t櫨yc・簸。鐡e6幅出段鵬sic磁。3t懸。。総説夢磁te6

{}雛t. i.丁数ε r縫殺S量。 w薮重C盤 CO銭壷{至 bε 雛se《董 1糞 縫墨{}se 亜eSSO難S 盤鞍S之 董}e restr豊C毛e{墨 to 3 sty窒ε 三蓋 3

睡te6麟・盤貧盤re段.2、丁簸eseless・鼓swαe瞬ct董ce雇段sa葺膿醸e麟亜ect蟹e。簸a簸癬 te欺t醸灘ttαめ憾鵬翼s董。.3.A照¥oずa職s墨。3董至重s童e継糞93磁錘昼欝e厳。ね醗s董。3董

雛a重量ty,w娩盤S薮。綴縫師鑓r産董yva離簸S,騰s騰e艫綱3S.t難e訟贈S・茎雛融曲嫡繊S

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教育出版 音楽Ⅲ (音Ⅲ301) 年間指導計画・評価規準例 A 1 音楽Ⅲの目標 (1)音楽I及びⅡの学習を基盤として,生徒一人一人の能力・適性,興味・関心等に応じた 活動に より,個性豊かな音楽の能力を高める。 (2)音楽の諸活動を通して,生涯にわたって音楽を愛好していこうとする心情を育てる。

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