1
はじめに―試行錯誤は続く1980年代初め以来、日本に住み、働く外国人は、ますます増えつつあるし、今後も増え
続ける。だが、現在の外国人の在留者数(2007年末の登録者数)は215万 2973
人、総人口の1.69%である。この数値は、他の先進諸国のなかで最も少ないと言える。しかし、今後21世
紀を考えれば、日本にはより多くの外国人が住み、働くことになるであろうし、また、そ うでなくてはならないと考える。本稿の目的は、この方向で日本がどのような基本的立場をとるのか、かつまたそのため の政策をどうしていくべきか、につき検討する。国民各層、産業界、社会団体、地域、自 治体などが、外国人の受け入れに対してどう取り組むのかについても論ずる。
この点では、1990年の入管法(「出入国管理及び難民認定法」)改正前後論じられていたの と比較しても、新たな論点は比較的少なく、この当時から一貫して指摘されてきた点(1)が いまだに政策上実現できておらず、その結果、著しい問題が生じていることが多いのであ る。
しかも、この間の世界経済の流れは、東西ドイツ統一からソ連解体による旧社会主義圏 の解体によるグローバル化時代を迎え、モノ、カネ、ヒトの国境を越えた流れが強まって きた。とりわけ前二者は、世界貿易機関(WTO)体制の下に、自由な流れが強まっている(2)。 これに対して、ヒトの移動に関しては、一元的に、自由化が進んでいるとは言えず、移民 受け入れ国は規制を緩めたり強化したりしながら、今日を迎えている。
ちなみに、統一市場からさらなる国家的統合まで視野に置いている欧州連合(EU)にお いても、その統合は複雑な様相を呈している。このなかで、2005年ならびに
2007
年のEUの さらなる拡大後、統合された地域からの自由な移動に伴う就労の自由は、ドイツ、フラン ス、ベネルクス諸国などに関しては暫定的に見送られている(3)。日本においては、世界経済 のグローバル化、とりわけアジア経済の流れのなかで、日本の産業の競争上優位が崩れて、再編成を迫られていること、またこの間、日本の人口構造の少子高齢化・人口減少が急速 に進行し、製造業のみならず、サービス業をはじめとする第
3次産業、第 1
次産業などもこ れへの対応を迫られていること、が外国人の受け入れ問題をいっそう不透明なものにして いる。以下、これらの二つの変化を前提に、日本のとるべき対応について政策面を含め、明ら
かにする。
2
労働力不足解決策としての外国人労働者受け入れ外国人、とりわけ外国人労働者の日本への受け入れに関しては、1980年代後半から繰り 返し論じられてきた。その論点としては、次の3点を掲げていた。
第一は、1990年前後の日本のいわゆるバブル経済期に、極端な人手不足が今後も続くと いう前提の下に、「アジアの労働力過剰地域から、外国人労働者を受け入れ、一定期間の後 に帰国してもらう」という意見があった。この見解では、こうした受け入れは日本にとっ て労働力不足を補えるし、逆に働きに来た外国人にとっては、所得格差の大きい日本での 所得を国に持ち帰り、同時に日本で働き得た技術・技能を生かし産業発展が可能である、
との根拠を挙げていた。しかし、この立論には当初から無理があることは明らかであり、
採用されることはなかった。
(1) ドイツおよび欧州の経験
こうした期間を限った外国人労働者の受け入れがうまくいかなかった先例は、1960年代 から70年代初頭の旧西ドイツ(ドイツ連邦共和国、以下ドイツとする)をはじめとして、この 当時、西欧諸国においてすでにあり、政策の見直しがなされたのである。つまり、ドイツ は2―3年に区切って外国人労働者を受け入れた(いわゆる「ロ・ー・テ・ー・シ・ョ・ン・シ・ス・テ・ム・」(4))が、
経済好況期にはその期間は延長され、受け入れられた外国人は徐々に家族を呼び、定住す ることとなった。ドイツは、1973年のオイルショック後に新規受け入れを停止し、すでに 在住している外国人の帰国を促進しようとしたのであったが、結局、その帰国促進策には 効果がなかった。とりわけ
1970年代半ば以降、ドイツ人と外国人の失業率が逆転し、外国
人の失業率がドイツ人の2倍にもなったにもかかわらず、彼らの多くは失業給付により、あ
るいは家族の多くが就業し、家計を支えつつ、ドイツに永住した。仮に、彼らが、故国に 帰ったとしても、その故郷は、たとえば、トルコ東部の生産性の低い農業地帯などであり、そうした地域にドイツの、とりわけ製造業の技術・技能を持ち帰って「起業」することな どは不可能であった。しかも、在留が長引けば長引くほど厄介な問題が起きた。
それは、彼らの子どものほとんどが、ドイツ生まれ、ドイツ育ちで、かつドイツの学校 に行き、ドイツがむしろ祖国になってしまっていて、帰国しても、逆に子どもの教育も中 途半端に終わっていて、きちんとした職場への就職など困難となっていたし、他方ドイツ に残る外国人の家族も、イスラム社会の伝統のなかでものごとを考える親と、ドイツで教 育を受け、故国の伝統から無縁な子どもの世代の葛藤などが、時には家族内での殺人・傷 害などさまざまな問題を引き起こしたことである。
ドイツでは、こうした定住外国人の統合策として、2005年外国人法改正とそれに伴う諸 方策、たとえばドイツ社会で、言葉の問題を含みいつまでも統合されない女性(妻・母)に ついての教育(日本円にして約
300
億円〔当時のレート〕の公的助成)や、ドイツ生まれの子 どもに二重国籍となってもドイツ国籍を与えるなど、をとっている。これに対し、同じ歩調をとり、外国人の受け入れに積極的だとされたオランダなどでは、
近年、その受け入れ能力に限界があるとされ、外国人の受け入れに消極的ないしは制限的 になっている。これに拍車をかけたのが、画家ファン・ゴッホの甥で反イスラム過激派の 映画を撮った映画監督テオ・ファン・ゴッホのイスラム過激派による暗殺事件である。こ のような状況をリタ・フェルドリンク移民担当大臣は、「長い間、私たちの国には多文化社 会が存在し、たやすく相互理解ができると言ってきたが、あまりにも単純に人々が共存で きると思い込んでいた」と言明している。また、ポーランドなど新規
EU加盟国からの労働
者受け入れの制限の少なかった英国、アイルランドも従来の積極策を転換し、制限を課そ うとしている。最近では、EU27ヵ国の内相会議(2008年7月
7
日開催の非公式会議)で、増え続ける不法移 民に対して各加盟国が独自の判断で「救済措置」を講じ、滞在許可・就労許可を出すこと を原則廃止する協定案が議長国フランスから出され、議論されている。これは、1980年代 以降域内で数百万人のEUへの不法入国者が救済され(フランス、スペイン、イタリア、ポル トガル、ギリシャで約370万人、特にスペインでは2005
年には約70万人に滞在許可と就労許可が
出された)、さらに、不法移民が北アフリカ諸国やアルバニアなどから50万人から 80万人も
押し寄せ、その数が実際にはその倍にもなるとされるイタリアなどの状況に対して、EUは 対処せざるをえなかったからである(5)。EUの協定・指針に各国が従う義務はないものの、今後は一定の制限が課されることになろう。その制限により、受け入れ国の言葉ができる ことや高い能力のある技術者や学生の移住に重点が置かれることになりそうである。
こうしたなかで、2001年
9月のニューヨークの同時多発テロ以降、また 2005年 7
月のロン ドンの2回の同時多発テロ事件などの結果、EU全体に外国人に対する排斥(xenophobia)の 機運が強まっているとの報告がなされている。かつて、外国人の排斥とは無縁だとされた スウェーデンにおいてすら、レイシズムによる犯罪が、1990年の44
件から2000年には 865
件と20倍近くなっているという
(6)。経済好況期に外国人労働者を不熟練・半熟練労働市場に受け入れても、やがて彼らは家 族を呼び、家族で滞在するようになり、不安定雇用のなかで職を失っても、ほとんど帰国 しない。これは、必ずしも西欧諸国だけの特別な例ではなく、外国人労働者を一旦受け入 れたときに、同様の結果になることは、今日までの移民・外国人研究の結果からみて、例 外がないと言える。
(2) 日本の外国人労働者の現状
事実、その後の日本でもこれと同じような結果が、1990年の入管法改正以降受け入れら れた日系ブラジル人やペルー人の労働者の場合に、はっきり出ている。
1990年の入管法改正後、日系人、とりわけ、ブラジル、ペルーなどからの出稼ぎの外国
人が多数来日した。これらの人々は、当時、ブラジルなど南米に起きたハイパーインフレ や経済不況の結果、職を失い、あるいは従来の生業では生活が成り立たなくなり、現地と の所得格差のゆえに、数年の出稼ぎで得た資金で、家を建て、事業を起こす、などの夢を 持ち、日本に出稼ぎに来た人々であった。その意味では、日・系・人・労・働・者・は・、日・本・が・第・2
次・大・ 戦・後・、合・法・的・に・認・め・て・受・け・入・れ・た・「最・初・の・外・国・人・労・働・者・」で・あ・っ・た・と・言・え・る・。今日、彼ら・
は、ドイツに受け入れられた外国人労働者のたどったのと同じような道筋をたどっている と言えよう。
前述のごとく、彼らのほとんどは日本で一定の所得を得たら帰国し、家を建てたり、新 しい商売を始めたりしたいと考えていた。しかし、いざ帰国してみても、適当な仕事はな く、事業に失敗し、あるいは蓄えを使い切り、結局日本に舞い戻る結果となることが多く、
さらには何回も行き来した結果、日本に定住、永住の途を選ばざるをえなくなる例が多い。
私たちの十数年継続的に行なってきた調査でみると、将来の展望を持ち、帰国してからそ れを実現できた人の比率は、1990年代当初はかなり高かったが、最近では
10
人に1
人いる か、いないかである。しかも、当初は単身で出稼ぎに来た人々でも、後には家族、しかも 兄弟、親まで含む大家族での日本への移住となっている。いまや、多くの日系人は、数年の期間を限った出稼ぎから、むしろ日本への永住の途を 探るようになっているし、入管行政でも永住権を認める方向にある(平成
16年現在、ブラジ
ル人の永住者は7
万8523人で中国人の11万 7329
人に次ぎ、対前年末比増加率は23.4%
と全体の平 均12.8%の倍近い増加率を示している)。前述の一時的に受け入れた外国人が永住に至ったこ とは、ドイツなど外国人労働者を日本に先駆けて受け入れた国々の諸問題であったが、日 本でも同様な問題が、起きつつある。しかも、日本の受け入れ人数としてはドイツが受け 入れた外国人労働者数の1割にも満たないのにすでに起きている。このように、永住外国人
は年々増加の一途であり、当初出稼ぎのつもりで来た人々も、永住、つまり移民として日 本に住む結果となっている。したがって、現在進められている国の政策も、短期でなく移 民としての政策を目的とせざるをえない。(3) 技能実習制度とその課題
これとならんで、1990年代以降、制度上の諸問題を抱えながらも、製造業から農林水産 業、建設業に至るまで技能実習制度による労働者の受け入れが着実に増加している。この 制度は、技能移転をアジアの途上国に行なうことを名目として作られたが、いまや、実質 的に、これらの業種の人手不足を補うものとして、繊維・衣服、機械・金属、農業、漁業、
建設などの
63職種116作業に 6
万8000人余りが従事している。この制度をきちんとして、外 国人の受け入れを進めるという考え(現在受け入れが始まったインドネシアからの看護師・介 護師も広義ではこれにあたると言えよう)もありうるが、この制度によって受け入れた外国人 労働者についても、将来的には、一時的な労働力不足を補うということではなく、移住ま で視野に入れて考えるべきではなかろうか(経済界からの要請も強い。日本経団連「外国人研 修・技能実習の見直しに関する提言」2007年9
月)。こうした流れの背景には次のような事情が存在する。
自動車・電機など日本の輸出基幹産業である製造業の現場では、日本人の若者の就労が 期待できず、日系人の就労により人手を補っている。その原因は、時間給がフードサービ ス業や流通業に比較し安いことと、オートメーション化された機械の前で間断なく仕事を することを嫌って、日本人の若者が就労しようとしないことにあるのと、製造業の各社が、
派遣やパートなどの不安定雇用の機会しか提供しようとしないことにあると言えよう。こ
うした背景から、1970年代以降、急速に外国人労働力に依拠しなくてはならなくなったが、
一応自国の労働者との平等な取り扱いをしている西欧工業国の外国人労働力導入以上に問 題の多い導入の契機となりかねない。この点を経済界は検討の余地がある。
究極のところ、この問題を日本政府はどうするのか。今・後・の・政・策・に・関・し・て・、日・本・は・「移・ 民
・
受
・
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・
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・
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・
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・
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・
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・
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・
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・
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・
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だ
・
。
3
人口構造の変化に伴う外国人労働者受け入れ―その問題点(1) 予測される外国人人口の増加
第二には、いわゆるバブル経済崩壊後、人手不足の問題よりも、少子高齢化による今後 の若年労働者の不足や人口減少社会に対し、外国人によりこれを補えるのではないかとい う意見が強まってきている。
とりわけ、15―
64歳の生産年齢人口が、1995
年をピークに減少に転じていることと、他 方65歳以上の高齢人口が第2次大戦後一貫して増え続け、長寿社会の到来とともに、最近は 75歳以上の後期高齢人口が急激に増加している。こうした、人口構造とヒトの移動の関係
については藤正厳氏が詳しく論じている(7)。詳細はそちらに譲るとして、藤正氏はそのなか で、2005年の国勢調査の結果に基づき、近い将来の日本における外国人人口を予測してい る。2000年から
05
年の間、外国人人口は72万人増加しており、それをもとに推計を行なう
と、2030年には外国人人口は500
万人を超え、人口の4.4%を占めるという。最近出された、経済財政諮問会議の「構造変化と日本経済」専門部会の2008年
7月 2
日発 表された報告書でも、少子高齢化対策に手を打たなければ今後10年間で労働力人口は400万 人減少し、潜在成長率は1%下がるとし、これを克服するために女性や高齢者の労働参加率 を高めて生産性を向上すること、人材が業種、分野、国境を越えて動ける社会を目指すと している。この文書だけでは、外国人の受け入れについての基本的スタンスは明らかでは ないが、少なくともEUと同様に、一定水準以上の外国人の受け入れ、移民としての地位の 付与までも視野に入れたものであろう。(2) 移民の経済・社会への長期的な影響―欧州の教訓
西欧の人口減少・高齢社会においては、とりわけ「福祉国家」の維持のために外国人を 移民(難民)として受け入れる政策が、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドなどの北 欧諸国から始まり、ベネルクス
3国、ドイツなどでとられた。しかし、現在ではこれらの受
け入れ外国人の統・
合
・
をどのように行なうかに多大の予算を割き、諸政策がとられている。
外国人労働者の受け入れは、結論から言えば、現状で生産人口が増加するとしても、そ の人々が永住することにより、30年後にはそれらの人々が高齢人口に加わり、財政負担に なる。そのことまで読み込んだ議論が、日本では行なわれていない。ドイツでは、2000年 に当時のシュレーダー首相の外国人問題特別顧問であったリタ・ジュスムート女史のもと でなされた「外国人法改正のための専門家委員会」(いわゆる「移民委員会」)の詳細な分析 によれば、生産年齢の外国人が移住し、定年年齢まで働き、税と社会保険料を支払ったと しても、その貢献は本人と配偶者の老後の年金や医療費などをカバーするだけだという(8)。
しかも、重要なことはドイツの外国人労働者も第1世代の出生率は高いが、第
2世代になる
と、ほとんどドイツ人と変わりなくなっていることである(1999年では、ドイツ人の合計特殊出生率
1.356
に対し、外国人は1.368で、外国人のそれは急速に減っている)。この点で、日・本・で・、生・産・年・齢・の・労・働・力・の・減・少・対・策・と・し・て・外・国・人・を・受・け・入・れ・さ・え・す・れ・ば・人・口・減・少・・少・子・高・齢・ 社
・
会
・
に
・
長
・
期
・
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・
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・
つ
・
良
・
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・
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・
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・
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・
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・
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・
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・
え
・
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・
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間
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・
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・
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・
あ・る・。
この点に関しては、今後の人口減少社会をカバーするには、毎年20万人ないし50万人も の外国人を受け入れるべきだとの国際連合や経済協力開発機構(OECD)などのレポートが ある。しかし、その経済的・社会的効果に関してはなんら触れられることがなく、「従来の 日本経済の水準を維持するために」という限定条件がついての受け入れを示唆しているだ けである。事実、日本は最近では、若年者の失業が増大し、いまや、若年失業率はヨーロ ッパ諸国並みの水準を示すに至っている。つまり、製造業をはじめとする産業の雇用吸収 力は減少し、とりわけ、若い新規学卒者を受け入れた場合に、これまでのようなそこでの
OJT
(on-the-job training)を中心とする職業訓練や経験を積んでの終身雇用という形、フルタ イム労働者としての雇用が減少している。しかも、いわゆる「単純労働者」(特に、さしたる 熟練を要さず、簡単に就ける不熟練労働であるが)の労働市場に関しては、現在では、仕事に 就けない膨大な中高年層、一旦退職し家庭に入った後再就職しようとする女性、そして、暫定的に仕事に就こうとする若年者の存在があり、日本人についても過剰となっており、
労働法上も不安定雇用労働者層としてさまざまな問題が続出している。
したがって、こうした不熟練労働市場に外国人を受け入れることができないのは、他の 先進国と同様である。この点は、ポイント制(言葉や技能、技術、特技、才能などをポイント 化し、ポイントの高い者を受け入れる制度)で、少しでも優秀かつ能力の高い外国人を受け入 れようとしている移民国家の米国、オーストラリア、カナダなどは言うに及ばず、西欧諸 国でも不熟練労働者の受け入れへの壁は高いと言える。特に注目すべきことは、域内の移 住・営業の自由を認めているはずの
EU
内においても、新規EU
加盟の東欧諸国からの就労 のための移住をドイツ、フランスをはじめとしてほとんどの国で暫定的に最長7年間制限し ていることである(注3
も参照)。その理由は、各国とも10%前後の失業率を抱え、新規加盟
国からの移住に関しては労働市場をさらに悪化させることになるということにある。だが、実際には不法就労はなくならない。賃金を安く抑えられ、社会保障のコストを免 れることができる短期間の労働者が周辺諸国から来て、それを雇ってしまい、不法就労対 策法により処罰される雇い主は、ドイツでも毎年40―
50
万人に及んでいる。日本とても、中国をはじめとする近隣諸国との所得と人口の格差は、西欧とその周辺国との格差の比で はない。そこに外国人労働者の受け入れの制約・歯止めがある。
しかし、日本は、かつて移民の送り出し国であったのだが、今後数十年の期間でみると、
逆に日本に来て働く人材を受け入れていかなければ、日本の社会・経済の活性化はないこ とも明らかである。そのためには、国籍や出身国による差別のない、公平・公正なヒトの 受け入れ態勢が作られなくてはならない。実際に海外交流審議会での審議の過程では、こ
の点での日本の政策的な遅れが指摘されている。
4
日本における統合政策の必要性第三には、WTOの条約の下に、モノ、資本、ヒトの流れの自由化を二国間、あるいは地 域間で進められることになった。自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)の流れである。
日本も、シンガポールを皮切りに、フィリピン、タイ、メキシコなどとの協定への動きが 具体化してきた。協定を結びモノや資本が国境を越えて移動する際に、ヒトの流れをスム ーズにすることは、必然的な要請であり、従来から各国とも認めてきたことである。しか し、今回の
EPA
などの流れは、一定職種(看護師、介護福祉士)に限ってヒトの移動を認め て、積極的に受け入れていこうというのである。その最初のケースとして、インドネシア、フィリピン(後者についてはフィリピン議会の協定への批准が得られず停止中)からの看護師、
介護士の受け入れが議論され、始まろうとしている。この人々は、日本での就労を継続す ることも、故国に帰って就労することも自由であり、こうした流れが国際的な医療水準を 引き上げ、また、日本の医療ネットワークの広がりを作ることになる。
2004年に起きたスマトラ沖の大津波の援助に際して、日本で学び、日本の医療チームと
現地で協力できるスタッフがいたら、その援助はさらに効果が上がったと思われるのであ る。加えて、海外、特にアジア諸国に在留している多数の日本人にとっても、日本での看 護・介護経験のある人々が現地におり、医療・介護を受けられるならば、さらなる安心を 得られると言える。しかし、実際には優良な労働者の受け入れは困難な点が多い。とりわ け、英語を国語とするフィリピンの場合、米国など英語圏諸国との人材の取り合いになっ ている。さらに、日本の場合には、優
・
秀
・
な
・
人
・
材
・
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・
海
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外
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ら
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け
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・
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・
究
・
開
・
発
・
や
・
技
・
術
・
革
・
新
・
を
・
日
・
本
・
で・進・め・る・こ・と・が・緊・急・の・課・題・と・し・て・必・要・で・あ・る・と言われる。かつて、森喜朗政権時代に
IT関
係の優秀な労働者をインドや中国から求めようとしたが、制度上の不備や相手国への働き かけが十分でなく、うまくいかなかった。最近でも、経済財政諮問会議(前述)でも、その ような方向が確認されている。しかし、そのためには労働契約はもとより、労・働・条・件・や・社・ 会・
保
・
障
・
に
・
お
・
け
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・
公
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正
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・
。
最近、政策スローガンとして「多文化共生社会」という用語が氾濫している。日本以外 では使われない曖昧模糊としたこの用語は、平和的共存(peaceful coexistence)といった意味 で、異なる体制や考え方が同時に存在し、共存できることを示すという意味である。多民 族の共存を掲げ、それを国是としたのが英国であり、それは英国の長年の外国人、移民の 受け入れ思想であった。この英国の異文化、異言語社会の存在を、水平的(horizontal)な共 存関係であるとして長年その上に安閑としていたが、前述の暴動やテロによりその理念が 揺らいでいるのである。その結果、西欧先進国(特にEU)はここにきて諸民族、外国人・
移民の併存・共存から統
・
合
・
政
・
策
・
をとる方向が決まってきたと言える。
日本も、外国人の定住から永住への途をたどりつつある。この人々が日本の社会のなか で、教育や雇用、社会保障などにおいて対等・公正・公平な扱いを受けることを国や地方
自治体のみならず、地域、企業、社会的グループ内で確立し、日本に異なる文化を受け入 れつつ果たすのは人の統
・
合
・
である。
(
1
) 外務省海外交流審議会答申「変化する世界における領事改革と外国人問題への新たな取組み」(2004年10月)など参照。なお経済界のものとしては、日本経済団体連合会「外国人受け入れ問題 に関する提言」(2004年4月)などがある。
(
2
) 自由化の進展とともに、新たな問題も顕在化している。モノに関しては、自由化と政府補助金、とりわけ農業補助金の廃止をめぐり先進国と農業を基盤とする途上国間の
WTOの場での対立があ
る。これに対して、カネ(資本)の流れ、投資をめぐっては、国益上の問題があり、必ずしも一 元的な自由化が達成されているわけではない。EU、とりわけドイツにおけるこの点に関して、手 塚和彰「日独に見る格差社会とネオリベラリズム」、手塚和彰・中窪裕也編『変貌する労働と社会 システム』、信山社、2008年、15ページ以下、参照。最近、日本でも同様な問題が電源開発(Jパ ワー)の英資本による買収問題などに関して起きている。(
3
) 移住、就業の自由はローマ条約以降、EU市民には保障されているのだから、EU加盟交渉の際に、
旧東欧諸国の加盟により、新規加盟国国民の移住、就業の急増が予測され、当面
2年、さらに 3
年プラス
2年の最長 7年間、人口の少ないキプロス、マルタを除き移住の自由と就労の自由を停止す
る移行期間を設けることが決められた。
(
4
) ドイツの外国人のローテーションシステムについては、手塚「西ドイツの『外国人労働者受け入 れ』と二国間協定」、手塚『外国人労働者研究』、信山社、2004年、188ページ以下、参照。(
5
) イタリアの最近の状況に関しては、手塚「イタリアにおける外国人政策に関する調査報告書」(2007年1月外務省領事局外国人課)を参照されたい。
(
6
)Ulf Hedetoft, Multiculturalism in Denmark and Sweden, Copenhagen: Danish Institute for International Studies, 2006.
若い世代のこうした行為の背景にはほとんど雇用問題があり、外国人の失業率は
2倍に及び、民
族的理由での雇用拒否がある。その理由としては、教育の不足や年齢によるものとされる。外国 人家計の45%
は福祉により生活している。こうした事態を打開するための移民の統合策が政府の 重点施策となっている。そのために、自営業への資金援助、職業紹介の充実、期間を区切った空 席雇用、労働体験プログラムの実施、職業再訓練、コンピューター訓練などの予算が増加された。スウェーデンの年金制度は周知のように、税による基礎年金部分と生涯所得による所得比例部分 に分かれるが、前者に関しては、資格を満たさない外国人への補助がなされている。なお、現在 のスウェーデンの移民政策は外国人の統合策に集約されている。
(
7
) 藤正巌「高齢社会の雇用変化」、手塚・中窪編、前掲書、23ページ以下、参照。(
8
) 手塚『欧州および北米各国における外国人の在留管理の実情に関する調査報告書』(外務省領事 局外国人課、平成18
年2月)参照。なお、「人はどうして移動するのか」『外交フォーラム』2003 年6月号、手塚、前掲『外国人労働者研究』、118ページ以下所収、参照。てづか・かずあき 青山学院大学教授