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6 研究成果報告書(詳細)【社会科教育ユニット 谷本純一】

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プロジェクト 名

「伝統」をいかに教育するか-政治学的視点から プロジェクト

期間 平成井31年度 申請代表者

(所属等)

谷本 純一

(社会科教育ユニット)

共同研究者

(所属等)

本研究の目的は、学習指導要領特に社会科及び道徳において、「伝統」が重視されていることに鑑み、公教育 において学術的見地を導入するにあたって、政治学的視点に基づく「伝統」」概念を展開することにある。

ジグムント・バウマンは、いわば最も敬虔な都市であったとも言うべきリスボンが、「三重の破壊(大地震の 後、大火と津波に襲われた)」ことが「物事の秩序に対する神の思し召しについて再考し、再評価し、その位置 づけを見直すきっかけになった」(伊藤茂訳『退行の時代を生きる』青土社、2018年、186頁)と述べた。つま り、このリスボンの事例は、「敬虔さ」というものが災厄を逃れるための条件ではないということを否応なく示 した。伝統はその存在意義を問われることとなったのである。

通常伝統に対置される近代化とは、「宗教と迷信、家族と教会、重商主義と専制政治に攻撃を加える」

(David .Apter, The politics of modernization, University of Chicago Press, 1965, p. 43. 内山秀夫訳『近代 化の政治学 上』未來社、1968年、82頁)という営為であるが、注意すべきは、伝統を認識するためには 特定の条件が必要だということだ。つまり、「伝統を、行為や経験と体系づける他の様式とは明らかに異なるも

のとして理解するためには、書くことの発明によって初めて可能になったかたちで時空間のなかに切り込んで いく必要がある」(Anhony Giddens, The consequences of modernity, Polity, 1990, p. 37. 松尾精文・小幡正 敏訳『近代とはいかなる時代か?』而立書房、1993年、54頁))ということである。

このことから注意すべき点が発生する。伝統は近代以前・以降両方に存在したが、同じ形で存在したわけでは ない。デヴィッド・ローウェンタールは「前史の人々は、利益と目的を残」し、「遺産legaciesは良くも悪くも ホメロス物語、旧約聖書、儒教の教訓を満たす」もの、すなわち現実生活において実質的意味をもつものだった が、「我々の時代においてのみ、伝統heritageは自己意識的信条となり、その聖地やイコンは日々増殖し、その 賛美は公的言説となった」(David Lowenthal, The heritage crusade and the spoils of history, Cambridge

University Press, 1998, p. 1)と指摘する。現代の伝統は実質的意味をもたないために、その首尾一貫性のなさは、

オッフェが言うような「1980年代前半の北アメリカの現実は伝統主義と近代主義の並置…が実際にある程度達 成し、西欧の政治権力にとって魅力的モデルとなることができることを示す」(Claus Offe, Modernity and the State, Polity, 2005, pp. 17-18)というような事象をもたらした。

こうした事象は、近代が伝統の反対物であると同時に、伝統に立ち返らざるを得ないという二面性を持ってい るということかもしれない。19世紀半ばにマルクスは、過去の亡霊を呼び出すことは「新しい外国語を覚えた 初心者の場合と同じであって、そういう初心者は、いつも外国語を自分の母国語に訳しもどしてみるものである が、母国語を思いださずに外国語をあやつれるようになり、外国語を使うには生まれつきの言語を忘れるように なってはじめて、その新しい言語の精神をのみこんだというものであり、その言語を自由自在に使いこなすこと ができる」(マルクス「ルイ=ボナパルトのブリュメール18日」、邦訳『マルクス=エンゲルス全集⑧』、107 頁)と述べているが、要は過去の伝統を現代の言葉に訳し換えている段階では、逆に伝統を身に付けたことにな らないということである。そして、外国語を母国語に、伝統を現代に訳しもどすという態度は、現実には外国語 に対し母国語を、伝統に対し現代を軽視する態度につながるだろう。神話への憧憬や言及は常にこの問題を孕ん でいる。M.エリアーデが言うように、神話とは、「天国のような島ないし純潔無垢な土地のイメージ」、「法律 が廃棄され時間が停止しているような特権的な領域」、「神話の本質的機能のひとつがおおいなる時間への解放、

初源的時間への周期的な再加入」(岡三郎訳『神話と夢想と秘儀』国文社、1985年、41頁)であり、ここから 必然的に「現在という時間、いわゆる《歴史的瞬間》を無視する傾向」(同前)が発生することになる。

こうした、伝統の現在という時間を無視する傾向は、一つの問題を引き起こしかねない。小学校学習指導要領

第1章総則第1の2(2)において、「道徳教育は…自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した

人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする」とあるが、この目標は 一言で表現すれば、「自律的人間」を養成する、ということに尽きる。では伝統の有無は自律性と関連するか?

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これについては、S.I.ベン(S.I.Benn)の提起した「超越集団事業」というものが参考になる。これは「個人的 にか、相互的にか、あるいは集団として考えられているかは別にして、事業に参加するメンバーの利益よりも、

活動そのものや(共産主義社会とか生態系の安定とかいったような)ある種の理想的な状態」(Community as a social ideal, edited by Eugene Kamenka, Edward Arnold, p. 48. 土生長穂・文京洙訳『社会的理想としての共 同体』未來社、1991年、91頁)を追求するものであり、そのメンバーたちの関与は「その集団の活動―目的―

への初発の関与に由来するものであるから、前者を後者に基づいて検討することをいつまでも避けることはでき ない」(ibid., p. 49. 同前、93頁)のである。こうした参加者は自律的参加者autonomous participationと呼ば れ、その反対の参加者は他律的参加者heteronomous participationと呼ばれる。前者が「合理的な一貫性を批 判的、創造的に求め、与えられた伝統のある側面を、他の側面から引き出された批判的規準によって評価する」

のに対し、後者は「社会が彼に押し付ける役割を受け容れ、与えられた規範を無批判的に内在化し、それらが指 し示す合図にもとづいて行動」し、「自身に求められる特定の要求を吟味する独自の基盤をもたない」のである

(ibid. 同前)。

それゆえに、自律的人間のパーソナリティとは、「彼の多元的な伝統によって与えられた観念、信念、原理、

そして理念といった素材から彼がつくり出したもの」(ibid., p. 50. 同前、96頁)であり、伝統を自らの人格形 成において批判的に継承しているということである。ゆえに自律的人間と他律的人間との差異とは「文化的遺産 の扱い方にあるのであって、文化的遺産をもっているのかいないのか、あるいはその蓄積を用いるか用いないの か、ということにあるのではない」(ibid. 同前)ということになろう。

次に、自然への賛美の問題である。小学校学習指導要領道徳にも、「自然愛護」の項目があり、第3学年及び 第4学年では「自然のすばらしさや不思議さを感じ取り,自然や動植物を大切にすること」とある。これは一 見価値中立的に見えるが、自然賛美は楽園神話と不可分であることに注意しなければならない。エリアーデは、

楽園神話について「すべて至福と自発性と自由とを享受している初源的な人間を示しているが、不幸にしてそう したものをあの堕落の結果、すなわち天界と大地との分裂をよび起こした神話的出来事の結果、人間は喪失して しまった」(岡訳前掲、88頁)というものであることを指摘している。

また、「人間が大地から生まれたということは世界的に流布している信仰」(同前、212頁)だが、これはナシ ョナリズムや愛国主義と安易に結合されるべきではない。というのも「今日のヨーロッパ人においてすら生まれ てきた大地との神秘的な連帯についての漠然とした感情は生き残っている」が、「この感情は国ないし地方に対 しうる世俗的な愛の感情とは関係ないし、また見慣れた景色に対する称賛の気持ちとか、村の教会の周辺に数世 紀にわたって埋葬されている祖先に対する崇拝でもない」(同前、212~213頁)のであり、「土着民の神秘的な 体験つまり土から出現したということ、大地が岩や川や樹木や花々に尽きることのない豊饒さをもって生み出し たのとまったく同じ方式で自分たちが大地によって生み出されたのだという底深い情緒」(同前、213頁)だと いうことである。それゆえ、「数多くの文化において父親は目立たない役割しか演じていなかった」こと、古代 の宗教においては、「至上神は男女両性であり、同時に男であり女であり、天界であり大地であった」(同前、

224頁)ということである。

こうした男女の分裂は、天と地とが統一している段階では起こらない。天と地が分裂することで、「男性と女 性という人間的な形態のもとにその姿を現してくる」(同前、231頁)のである。これはもちろん日本において も無縁な問題ではない。日本神話において「はじめには、イザナギとイザナミという天界と大地は分離していな かった」のであり、この段階では「男性と女性という二つの原理はまだ存在していなかった」(同前、230頁)

ということ、それに対し、天と地の分離により「男性と女性という人間的な形態のもとにその姿を現してくる」

(同前、231頁)ことになる。このような神話における記述は、非政治の政治ともいうべき状況を日本にもたら した。それについて論じたのが丸山眞男の「歴史意識の『古層』」である。

丸山によれば、イザナギ・イザナミによる大八島国の生殖は、「二神の生殖行為という段階に一度は入りなが ら、『うむ』論理はズルズルと『なる』発想にひきずられている」(丸山『忠誠と反逆』ちくま学芸文庫、1998 年、369頁)であり、「有機物のおのずからなる発芽・生長・増殖のイメージとしての『なる』が『なりゆく』

として歴史意識をも規定していることが、まさに問題」(同前、372頁)であるとされる。さらに丸山は、皇室 の「万世一系」について、それは親子の継承と兄弟の順次的出生の両方を意味し、「親子の『継承』だけではな く、宣長的にいえば『縦横』をふくんだひろがりにおける皇室の血統の連続性と時間的『無窮』性を意味」する もの、「一族の末広がり的増殖がつぎつぎと連続する意味での『無窮』性への讃歌」(同前、379頁)だというこ とである。

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次いで丸山は、「日本の価値意識を特徴的に示しているのは、いきほひ=徳という用法」であるとし、「有徳天 皇とか至徳天皇とかの称辞は、中国古典に多少とも共通に窺われるような規範性を帯びていないと解するほかは ない」(同前、387頁)とする。そのうえで「『徳』があるから『いきほひ』があるのではなくて、逆に『いきほ ひ』があるものに対する讃辞が『徳』なのである」(同前、378~379頁)と結論付けるのである。こうした「『つ ぎつぎになりゆくいきほひ』の歴史的オプティミズムはどこまでも(生成増殖の)線型な継起であって、ここに はおよそ究極目標などというものはない」(同前、412頁)ことになり、結果、「古層における歴史像の中核をな すのは過去でも未来でもなくて、『いま』にほかなら」ず、「過去はそれ自体無限に訴求しうる生成であるから、

それは『いま』の立地からはじめて具体的に位置づけられ」(同前、413頁)る。これは一見「現在」を重視し ているようだが、実際には、「いま」の尊重というより、「未来のユートピアが歴史に目標と意味を与えるのでも なければ、はるかなる過去が歴史の規範となるわけでもない」(同前)ということ、「いま」の肯定は「生の積極 的価値の肯定ではなくて、不断にうつろいゆくものとしての現在の肯定である限り、肯定される現在はまさに『無 常』であり、逆に無常としての『現在世』は無数の『いま』に細分化されながら享受される」(同前、418頁)

ことになる。「いま」の尊重はそれ以外に対する軽視と表裏一体となるであろう。

こうした日本の「古層」から見るに、日本における「伝統」重視は、その都度の「いま」の絶対化のゆえに、

欧米以上に「現実」を軽視する結果をもたらしかねないということも可能である。日本の「古層」における伝統 賛美と西欧での伝統賛美とでは、形態に大きな差異が存在するとはいえ、現実軽視という点では全く一致するの である。

伝統と教育との問題を考える場合、どうしても上からの伝統重視に関する検討が主となるが、「下からの」も のについても検討する必要がある。検討すべき問題の一つとして、日本の民俗学の特質がある。谷川俊一は、日 本の国土の特徴について、「せまい国土のわりには不相応な急峻な山脈が走り、それが壁となって集落間の交通 を寸断し、いたるところに陸の孤島の状態を現出させている」(『日本民俗文化大系〔普及版〕第一巻』小学館、

1995年、29頁)と述べており、二重の意味での「島国」性を指摘する。具体的には、「島」は「外側の世界の 助力を仰がねばならぬ」存在であり、そこから「島にないものを海の彼方に期待する心情」が発生し、「日本人 の独特の性格」として「古代国家の形成期には中国から、また近代国家の出発にあたっては西洋から、怒濤のよ うに流入する物質文明、精神文明を受け入れてきた日本人が、いつも海の彼方にきき耳をたて、好奇心を燃やす 習性」(同前、40頁)というものが発生する。それは「異人」「異国」への姿勢を「相手に対する冷静な認識を 土台にしたものではなく、願望もしくは期待にもとづくもの」(同前、41頁)としてしまうことになる。こうし た姿勢の一つの条件と言えるのは、外界なくして存在しえない「島」という条件であり、皇国史観であれ伝統崇 拝であれ、そこにあるのは不安の表れであるという点で、万国共通性をもつのである。

伝統と封建性の問題について。「封建時代」とは何か。それは「服従と庇護とが同義語として一体化した時代 であり、双務的な関係を前提とする社会」(『日本民俗文化大系 12 普及版』小学館、1995年、10頁)である。

だからいわゆる「村八分」は伝統的共同体では発生しない。というのも「生産共同体では、共同作業の仲間から 労働力をはずすことはたやすくできないから」(同前)である。ゆえに、初期共同体は抜き差しならない生活条 件から発生したということに注意する必要がある。だからいわゆる血縁集団も、「まず集団は生物的な血縁とか、

婚姻とかの集団ができて、それに適応する生産の方法を知ってゆくのでなく、生産の方法に適応する集団がまず 成立せねばならず、本来の自然関係である婚姻や血縁の関係は、その集団に規制された形式をとる」(中村吉治

『日本の村落共同體』日本評論新社、1957年、14頁)ということになる。そうした場では安易に人間を排除す るという方向には向かない。共同体にとって自殺行為だからだ。まさに、村八分のような「近代社会の悪臭」は

「村落共同体の分解過程に発生する」(前掲『日本民俗文化大系 12 普及版』、12頁)のである。

伝統重視が個人を軽視する、というのは正確ではない。一番の例は明治天皇の平癒祈願である。二重橋前での 祈願は当初は「非文明的な迷信的行為として非難されたり嘲笑されたりするような側面が目立った」が、「次第 に天皇のために熱烈に祈る民衆を賛美する言説が支配的になってい」(島薗進『明治大帝の誕生』春秋社、2019 年、17頁)った。こうした民衆的熱狂がなぜ「古代」崇拝につながるかというと、そこに「群衆」というもの が存在するからだ。モスコヴィッシは「社会的な諸紐帯の断絶、コミュニケーションの速さ、諸国民の持続的混 淆、都市における加速度的かつ刺戟的なリズムといったものが、さまざまな共同体を作り出し、解体」し、「粉 砕された共同体は、不安定な、成長してゆく群衆の形で再構成される」(モスコヴィッシ(古田幸男訳)『群衆の 時代』法政大学出版局、1984年、8頁)と述べている。こうした状況下、「個人は、彼が機械的、非個性的関係 しか持たない他の個人の絶え間ない行列の渦中にあって、他所者と感」じ、「そこからまた、何らかの理想、あ

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るいは何らかの信仰を求めようとする思い、自らが渇望してやまない完璧さを回復させてくれる何らかの手本を 欲しいという思いが生まれる」(同前)のであり、そこから、過去に「手本」を求めようとすると言うことがで きよう。

この「手本」が共同体への帰属資格と関わる場合、厄介な問題が発生する。バウマンが言うところの共同体論 における内在的逆説である。つまり、「『共同体に属せればいいな』という希望は、共同体の一部ではないことの 裏返し、あるいは、個人が努力して、想像力の幅をひろげなければ、共同体の一部になれないことの裏返し」

(Zygmunt Baumann, Liquid modernity, Polity, 2000, p. 169. 森田典正訳『リキッド・モダニティ』、219頁) だということである。これは小学校学習指導要領「特別の教科 道徳」の「内容」の「伝統と文化の尊重、国や 強度を愛する態度」第3~6学年に共通して「我が国や強度の伝統と文化を大切にし」という文言に関わる。な ぜ日本国という国民国家に属する人間にこうしたことが求められるか。ブルーベイカーは「帰属の政治」には「フ ォーマルな側面とインフォーマルな側面」があり、前者の例は法律上の国籍や市民権すなわち「コード化された フォーマルな規則を用いて専門の職員が管理」するもので、後者は「専門の職員ではなく普通の人々によって…

日常生活のなかで管理」(佐藤他訳『グローバル化する世界と「帰属の政治」』、42頁)されるものである。その 結果、フォーマルな帰属とインフォーマルな帰属との間に齟齬が発生し、後者に基づき前者を再編成する試みこ そが「伝統」を利用した政治と言えるのではないだろうか。このような政治の問題点はまさにインフォーマルな 要素がフォーマルな要素を凌駕したことを意味するのである。

伝統は、歴史と共通するようでその実、正反対ともいえる存在である。ローウェンタールによれば「伝統と歴 史とは、説得のために正反対の方法に頼る」ものであり、「歴史は事実によって説得しようとし、虚偽を屈服さ せる」のに対し、「伝統は誇張・省略し、あけすけに発明し、あからさまに忘却し、無知と誤謬の上に繁栄する」

のである(Lowenthal, op. cit., p. 121)。歴史的事実はしばしば修正を迫られることがあるが、伝統は日常的な誇 張・省略ゆえに、容易に修正されることが困難である。というのも「伝統は、博学ではなく教理問答であるがゆ えに批判的再評価に動かされることがなく、教理問答の観点とはチェック可能な事実ではなく、人びとが信じや すい忠誠」(ibid)であるためである。そのため、伝統は中立性を保つことが難しく、「バイアスは伝統の要点」で あり、「過去における偏見のあるプライドは、伝統の残念な帰結ではなく、本質的効果」(ibid., 122)であるとさ れるのである。であるとすれば、一国の歴史と伝統とを同一視することはできなくなる。

また、伝統というものの経済主義的要素を考慮せねばならない。つまり、「伝統は起原の証明によってではな く、現在の価値によって認可される」ということ、その例は、「14世紀には、キリストを包んだとされるトリノ の聖骸布の年代を誰も分析しようとは思わ」なかったことであり、「同様に伝統の価値とは批判的検査によって ではなく現在の効力によって評価される」(ibid., p. 127)ということである。だから、歴史と伝統とでは、寧四方 対象も異なる。「伝統は威信と共通の目的を持つ選ばれた集団に授けている起原と存続の排他的神話を伝える」

ものであり、「歴史は普及され続けることで拡大される」が、「伝統は輸出されることで減少し、損なわれる」(ibid.,

p. 128)のである。いわば伝統は一種の秘密結社的様相を示すものであり、「我々が自らの伝統をほめそやすのは、

それが論証可能な事実だからではなく、それがそうであるべきだから」(ibid)ということになる。

ゆえに、歴史と伝統とは矛盾する存在であると言わざるを得ない。伝統というものは、「連続性と文脈への配 慮なしに諸時代を混同することで、過去をすべて一緒にひとまとめにする」もの、「出来事の順序ではなく、時 代に無頓着に特定の字時代と結合している、時代を超越した構造」(ibid., p. 137)なのである。要は、特定の歴史 を一般的な物語にしたとき、伝統が発生する、と言うことができよう。

問題はなぜ、特定の歴史が「一般的な物語」になるのか、ということである。重要なことは、伝統重視とは伝 統の破壊の後にしか発生しない、ということではなかろうか?例えば、明治政府にとって、伝統が利用すべきも のであったとしても、その中に没入されることは極めて不都合だったと言える。例えば鶴巻は、1880年代の段 階でも、「民衆的制裁としての〈放火〉」というものが存在し、藩政の時代には容認されていたことを指摘する(鶴 巻前掲、135~136頁)。なぜこのような「悪習」が認められていたかといえば、負債返済や地租徴収という目 的であっても、地域共同体を破壊することは許されない、という考え方が存在したからであろう。地域共同体内 部の偏狭さはしばしば指摘されるものだが、他方で構成員相互間には共通の世界が存在した。さて一般に、「近 代政治社会は、呪術の克服(Entzauberung)と世俗主義が成立しなくてはでき上がらない」(高畠通敏『政治学へ の道案内』講談社学芸文庫、2012年、442頁)が、日本の場合、別の形の呪術的要素が成立した、と言えるか もしれない。日本での近代国家の説明方式は「オヤコ擬制によってタテの階層的社会関係をつくる思考様式」で あり、「このようなオヤコ擬制の根本には、氏族のオヤのまつる氏族神への共通の信仰があり、氏族の拡大とは、

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征服氏族の氏族信仰へ征服された氏族が転向することであったとすれば、明治における天皇制国家の成立は、天 皇氏族への氏神(伊勢神宮)信仰に、国民が強制的に転向させられた事件としてもとらえることができる」(同 前、444~445頁)のである。高畠の指摘の重要な点は、本来地域共同体に根差した「伝統」から伊勢神宮信仰 という新たな「伝統」への鞍替えという点である。尊重されるべき「伝統」には「民衆的制裁としての〈放火〉」 のごときものは当然含まれず、中央集権国家にとって有用な「伝統」が慎重に選択されているのである。

ここで、アンソニー・ギデンズが「日常生活で確立された型にはまった行いは、『以前なされた』ことがらが、

新たに手にした知識に照らして理に適うかたちで擁護できる点とたまたま一致する場合を除けば、過去とは本来 的に何の結びつきももたない」(Giddens, The consequences of modernity, p. 38. 松尾・小幡訳前掲『近代とは いかなる時代か』、55頁)と述べたことに注目したい。例として、大宰府政庁跡と水城を見てみる。現地案内板 の写真からもわかるように(写真資料①)、1965年ごろにはまったく史跡としての形を持っておらず、現在も政 庁跡と市街地とのコントラストは甚だしいものであり(写真資料②)、水城は間を幹線道路が走り(写真資料③)、 至近まで住宅地が迫り(写真資料④)、鉄道によって寸断されている(写真資料⑤⑥)。政庁跡整備前は、政庁跡 は地域共同体にとって無意味な存在であり、水城は今でもそうであろう(水城の完全復元のために鹿児島本線を 迂回させるという選択肢は存在しないだろう)。ギデンズの言葉で言えば、「場所は、局域的な活動の場に遠く離 れたところから働く影響力によって次第に作り直されていく」ことになり、「引きつづき残存する地域的慣習は、

それが担う意味の改変をおこしやすい」のであり、「こうした地域的慣習は、《過去の名残り》か、あるいは《習 癖》になっていく」(松尾・小幡訳『再帰的近代化』而立書房、1997年、189頁)ということ、「過去の名残り の本質は、差異の記号表現として存在することにある」(同前、192頁)ということである。史跡に関するギデ ンズの指摘は、他者との共通点ではなく差異を強調する伝統の性質と一致すると言える。ここに、本来一般的な ものを追究すべき教育において伝統を取り上げることの問題が存在しないか?

公教育の役割について再考する必要がある。ウィリアム・サムナーは1906年に「すべての子供たちへの一般 教育を正当化する唯一の要素は、社会に対して能力をもつ人々の計り知れない価値である」(William Sumner, Folkways, a study of the sociological importance of usages, manners, customs mores, and morals, Ginn and

Company, 1940, p. 628. 初版発行は1906年)と述べた。この言葉は、小学校学習指導要領社会科第一目標に対

応しているとも言える。さらにサムナーは「未開状態barbarismにおいては、子供たちは、彼らの年長者によ って、特に年少の子供たちは年長の子供たちによって教育さ」(ibid., p. 629)れてきたことを挙げており、いわば、

伝統に基づく教育とは、未開状態におけるものであるということだ。

さらにサムナーは、教育における批判精神criticismを強調するが、これは「事実に一致するかどうかを見出 すための承認を提起されるところのいくつかの種類の計画を試験すること」(ibid., p. 632)であるとされ、そのた めの方法とは、「“科学”あるいは“科学的”と呼ばれる」(ibid., p. 633)ものであり、批判精神の訓練とは科学的 素養を身に付けることであるとしたということである。

また道徳教育については、「“有用な”や“悪しき”という用語は…何も意味することができず、むしろ特徴や 力―それは慣習によって推奨され妨害されるものである―を容易に是認し非難することになる」ものであり、「良 き市民、良き夫、良き実業家その他は、ただ特定の時代に流行する類型である」(ibid., p. 634)と述べている。関 連してサムナーは、歴史教育について触れる中で、歴史学者の役割を限定しているが、それは「各歴史学者は、

自らの民族nationを文明のたいまつであるとみなしている」(ibid., 635)という理由からである。つまり歴史学 者が慣習に囚われていたことを問題視したのであり、そこから、「記念碑、祭礼、標語、礼拝堂、詩といったも のは大部分慣習に含まれるであろう」こと、「それらは決して歴史を助けず、あいまいなものとする」(ibid., p. 636) と論じた。そして「現代の歴史学者は、戦争、陰謀、王室の婚姻といった旧来の歴史学者が主要な関心と考えた ものから軽視に向きを変え、彼らの多くは“人民”の歴史を記述することを引き受けて」おり、「明らかに彼ら は、慣習の歴史が必要とされているものであると知覚」し、「もし彼らがそれを得ることができるとすれば、そ の関心において最も普遍的で永続的なものを歴史から抽出することができるであろう」(ibid., p. 638)と結論付け ている。

課題は明らかである。現代という特有の時代に適合的な共同体を探究するために、伝統や慣習の歴史が教育さ れる必要がある。伝統の教育は、歴史の教育に、つまり伝統の歴史の教育に従属させられなければならない。

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〈写真資料〉「過去の名残り」の例としての史跡化された大宰府政庁跡と水城

① 整備前大宰府政庁跡写真(大宰府政庁跡案内板) ②大宰府政庁跡と市街地(左が政庁跡)

③水城と幹線道路 ④水城と住宅地(右の森が水城)

⑤水城を寸断する鹿児島本線(両側が水城) ⑥水城を寸断する鹿児島本線(奥が水城)

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