氏 名 中野な か のEA AE一彦か ず ひ こE 学 位 の 種 類 博士 (医学) 学 位 記 番 号 乙第 710号
学 位 授 与 年 月 日 平成 27年 12月 21日
学 位 授 与 の 要 件 自治医科大学学位規定第4条第3項該当
学 位 論 文 名 抗アンドロゲン薬フルタミドの肝障害出現予測法の開発 論 文 審 査 委 員 (委員長) 教 授 礒 田 憲 夫
(委 員) 教 授 岡 本 宏 明 教 授 小 谷 和 彦
論文内容の要旨
1 研究目的
フルタミドはアンドロゲン受容体アンタゴニストとしてアンドロゲンの作用に拮抗し、アンド ロゲン依存性である前立腺癌の増殖を抑制する抗がん薬である。フルタミドは前立腺癌に関する 内分泌治療薬の一環として重要な役割を担い、長く実臨床で使用されてきた背景がある。一方で、
フルタミドは、肝障害の出現頻度が高く、まれではあるが、劇症肝炎を呈し死亡することもある。
フルタミドによる肝障害 (flutamide-induced liver injury: FILI)の発症機序は idiosyncratic
hepatotoxicity と表現され、その全貌は未だ明らかになっていない。実臨床におけるフルタミド
の有用性と肝障害の頻度とを考慮すると、どのような患者にFILIが出現しやすいのかを、早期に かつ個別に予測できる検査法が求められる。
そこで本研究では、フルタミド投与前のヒト血液を採取して網羅的遺伝子発現解析を行い、肝 障害発症群と非発症群とを比較することにより、これまでに報告されていない FILI 発症の責任 遺伝子やバイオマーカーを同定することを試みた。本研究により得られた結果を臨床応用する際 の利便性を考慮し、網羅的遺伝子発現解析にはフルタミド投与予定の前立腺癌患者の末梢血細胞 を用いた。
2 研究方法
U対象症例と試験デザイン
2008年9月より2011年10月までの期間に、自治医科大学附属病院泌尿器科外来を受診した 前立腺癌患者の中で、組織学的に前立腺癌と診断され、アンドロゲン除去療法の一環としてフル タミドを新規に開始する症例を前向きに登録した。
RNA抽出用と血清保存用に静脈血を5 mlずつ採取したのち、フルタミドを我国で臨床用量と して認可されている375 mg/日投与した。FILIを認めた症例をFILI発症群とし、フルタミドに よる治療開始後6ヶ月以上、血清中ASTかつALT濃度が基準値に留まる症例をFILI非発症群 とした。
UcDNA マイクロアレイ解析と定量的リアルタイムPCR
上記の血液検体よりRNAを抽出後に逆転写し、cDNAを合成した。これを増幅後、断片化しラ ベル化した。続いて cDNA マイクロアレイ解析を行い、遺伝子発現データを取得した。同様に、
RNAを逆転写してcDNAを合成したのち、定量的リアルタイムPCRを施行した。各mRNA発 現量は、glyceraldehyde 3-phosphate dehydrogenase (GAPDH) を内在性コントロール遺伝子と し、相対定量した。
U動物実験とフルタミド濃度測定
17-18 週齢のMate1ノックアウトマウス(n=3)およびその野生型マウス(n=3)に、30 mg/kgの フルタミドを腹腔内に単回投与した。投与2時間後にペントバルビタールを用いて全身麻酔をか け、血液と肝臓を採取した。エレクトロスプレーイオン化飛行時間型質量分析計を用いて、血漿 中と肝臓内におけるフルタミドとその代謝物(OH-フルタミド、FLU-1)の各濃度を測定した。
3 研究成果
U前立腺癌患者の背景
選択基準を満たした 60 例が本試験に登録された。予測バイオマーカーのスクリーニングを目 的に、最初の16例を学習群とした。学習群で同定された候補遺伝子の再現性を確認するために、
残りの44例を検証群とした。8例が本研究より除外・脱落し、最終的に観察期間中FILIは17例 で出現し、35 例で出現しなかった。肝細胞障害系酵素を除き、患者背景における全ての項目で、
FILI発症群と非発症群との間で学習群と検証群共に有意な差は認めなかった。
UFILI出現の予測バイオマーカーの同定
FILI発症群と非発症群との間で、フルタミド内服前にすでに発現に差のある遺伝子をスクリー ニングするために、学習群の末梢血細胞を用いて cDNA マイクロアレイ解析を行った。FILI 発 症群と非発症群との間で、P<0.005かつ2倍以上のmRNAの発現量の差を認める条件下におい て、アノテーションを保有する11の遺伝子を含む15のプローブセットが同定された。これらの 遺伝子のmRNA発現量を確認するために、同サンプルを用いて定量的リアルタイムPCRを行っ た。FILI発症群と非発症群との間で、2遺伝子(SLC47A1、GPRC5D)で有意差を認めた。これら 2遺伝子のmRNA発現量の再現性を検証するために、検証群の末梢血細胞を用いて定量的リアル タイムPCRを行った。その結果、FILI発症群におけるSLC47A1のmRNA発現量は、FILI非 発症群と比較して有意に低いことが確認された。FILI発症予測に対して、SLC47A1 mRNA発現 量がバイオマーカーとなる可能性が示唆されたことより、その正確性を確認するために ROC 曲 線を描いたところ、AUCは0.706で中等度の正確性を示した。
UMate1ノックアウトマウスに対するフルタミド単回投与後の薬物動態
SLC47A1 は薬物トランスポーターの 1 つである multidrug and toxin extrusion protein 1
(MATE1)を生成するため、上記の結果より、血液中または肝臓中のフルタミドまたはその代謝
物の濃度は、このタンパク活性に影響を受けることが推察された。そのため、Mate1ノックアウ トマウスおよびその野生型マウスにフルタミドを単回投与し、フルタミドとその代謝物(OH-フル
タミド、FLU-1)の血漿中と肝臓内濃度を測定した。その結果、フルタミドとOH-フルタミドの血
漿中濃度には、Mate1ノックアウトマウスと野生型マウスで有意な差は認めなかったが、FLU-1 の血漿中濃度は、野生型マウスと比較して Mate1 ノックアウトマウスの方が有意に上昇してい た。
4 考察
これまでの報告と同様に、本研究では患者背景・採血項目とFILIとの間には有意な関連は確 認されず、これらを用いてFILIの出現を予測することは困難であることが示された。一方で、本 研究では網羅的遺伝子発現解析法を用いることにより、フルタミド内服前の末梢血細胞において、
SLC47A1 mRNA 発現量は FILI 発症群で有意に低いことが確認された。したがって、末梢血 SLC47A1 mRNA発現量は、FILIが出現しない患者群の予測バイオマーカーとして有効である可 能性がある。ただし、末梢血SLC47A1 mRNA量が肝や腎のMATE1タンパク量と関連している かどうかはまだ不明であり、今後検証を要する。
MATE1はpH勾配を利用したH+交換輸送によって薬物を細胞外へ排泄するトランスポーター
の1つである。フルタミドをこのMate1ノックアウトマウスに投与したところ、FLU-1の血漿 中濃度は有意に上昇し、OH-フルタミドも有意ではないが上昇していた。これにより、肝と腎の Mate1欠損がフルタミドの薬物動態(特にFLU-1の血中濃度)に影響することが明らかとなった。
これまでの臨床研究において、血中FLU-1高値はFILI発症と関連することが報告されている。
したがって、末梢血SLC47A1 mRNA量の低い患者では、血中FLU-1が増加している可能性が ある。MATE1はFILI 出現の予測バイオマーカーとなりうるだけでなく、FILIの発症機序にも 関与している可能性がある。
5 結論
本研究では、フルタミド投与前における前立腺癌患者の末梢血細胞を用いて網羅的遺伝子発現 解析を行い、FILI出現の予測バイオマーカー候補遺伝子を抽出した。中でもSLC47A1は、検証 群においてその mRNA 発現量の再現性が確認され、バイオマーカーとして有用である可能性が ある。さらに、MATE1はフルタミドの薬物動態にも影響していたことから、FILIの発症機序に も関与している可能性がある。
論文審査の結果の要旨
本研究では、フルタミド投与前における前立腺癌患者の末梢血細胞を用いて網羅的遺伝子発現 解析を行い、FILI出現の予測バイオマーカー候補遺伝子を抽出した。中でもSLC47A1は、検証 群においてその mRNA 発現量の再現性が確認され、バイオマーカーとして有用である可能性が あるとしている。さらに、MATE1(multidrug and toxin extrusion protein 1)はフルタミドの薬物 動態にも影響していたことから、FILIの発症機序にも関与している可能性があると推論している。
その内容は主要論文として既にCancer Chemotherapy and Pharmacologyに発表済みである。
これらの内容を日本語論文としてまとめたものが本学位論文であり、その内容、結果、考察は独 創的で、十分学位に値するものと審査委員全員一致で評価された。
試問の結果の要旨
試問における発表内容は、論文内容をさらに詳細に説明するものであり、研究内容に対する理 解が一層深まる発表であった。各審査委員から質疑応答があり、申請者は誠意をもって適切に回
答した。その後、学位論文に対していくつかの改善点が審査員から示された。第 1点は序論、方 法、結果の説明を分かりやすくするため、審査委員会で発表に使用したスライドの図表を論文中 に挿入すること。第2点は患者背景についてALPやγ-GTPなどの胆道系酵素についての変化に ついても記載すること。第3点は方法のところをより具体的に正確に記載すること(特にcDNAマ イクロアレイ解析と定量的リアルタイム PCR)。第 4点は SLC47A1 発現量に関するフルタミド による肝障害(FILI)発症群と非発症群とにおける特異度と感度に関して、ROCカーブを入れるこ と。第5点は考察において、本研究の弱点・問題点を列記し、対応策を述べること。
審査委員からの質問および改善点は軽微なものであり、研究内容・成果そのものに対する懸念 は全くなかった。その後、速やかに修正論文が提出され、修正論文審査を各々の三審査委員で行 い、指摘された点は全て修正が行われ、わかりやすい内容となっていると評価されたため、これ をもって最終的に合格の判定となった。