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Academic year: 2024

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      鈴木  1

横川(山形県)

高校時代の3年間を、私は全寮制の高校 で過ごした。私の卒業した基督教独立学園高校は、

内村鑑三の弟子・鈴木弼美によって設立され、20 08年度には創立61周年を記念する。なすべきこ とは労働、読むべきものは聖書、学ぶべきものは天 然の三つのモットーを支柱に、俗世間から確立され た山奥の、新潟の県境に位置する山形県小国町叶水 で、最も自然に近い形で、最小限の人数で生活を送 る共同体である。その私の暮らしていた独立学園に 沿うように流れていたのが横川(厳密には学園の横

の地点では立川であるが、数十メートル下流ですぐに横川と合流し、一般的には横川で馴 染み深いので横川とする。)である。横川の流れは、山形県小国町からまっすぐ南に下っ た、新潟県との県境にある飯豊連峰から始まる。飯豊連峰は、春から秋にかけて多くの 独立学園の生徒が登る、たくさんの動植物を見ることができる自然の宝庫だ。そこの地 蔵岳(高さ 1539m)、大丸森山(高さ1502m)、鍋越山(高さ 1269m)などの山々が横 川の流れのはじまりであり、横川の長さは36.1km。飯豊連峰から北へと流れ下り、流 れを西に変えて、小国町市街部の下流で荒川と合流する。小国町市街部を流れてきた横 川は、北から南下する荒川と、荒川峡の上流付近で合流して西に流れ日本海をめざす。

合流地点を過ぎて水量の増えた荒川を少し下ると、荒川一の景勝地の赤芝峡がある1。 その山々の豊かな自然を携えた横川が、自然と密接に関わる日々の生活の中で、大きく独 立学園の人々の生活やその歴史全体のみならず、その地域全体に影響してきたことは言う までもない。

私は、入学初日の眠れずにいる夜に、女子寮のすぐ下を流れる横川のせせらぎ に安心したことを忘れない。47 期卒業生でもあり、元女子寮舎監でもあった小原希先生は

「在学中に映画、隣のトトロのワンシーンに憧れて、先生に内緒で籠に野菜を吊るして川 で冷やして食べたことがある。今はダムの工事が進んでしまって、その場所はないけれど。」

と私に在学中話してくれたことがあり、印象に残っている。学園の畑で作られる野菜はす べて沢の水で育てられている。沢の水で育った野菜を、沢の水が注がれた川で冷やして食 べるという自然と共にある素晴らしい生活が、千葉から山形に移り住んだばかりの私には 想像を絶した世界であったからだ。そして時折、女子寮の風呂の水が濁ることには驚いた。

水道用水は横川に流れる前の沢水をくみ上げているため、雨が降るとその影響で水が若干

1国土交通省北陸地方整備局  横川ダム工事事務所 http://www.hrr.mlit.go.jp/yokokawa/index.html

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濁るのである。雨と川の直接的な生活への影響をこれほど身近に感じたことはそれが初め てであり、なにより新鮮な感動を覚えた。汚いことでもなんでもない自然の摂理なのだ。

本来、山に雨が降ればその沢水を使っている私たちが目にするのは当然のはずであるが、

普段の生活では、水道水は念いりに浄化されており、それらを目にして意識することはな いのである。また学園で口にする水の甘さといったら、まさに自然の賜物であった。浄水 器の水で育った私が人生で初めて、水に味があること、そして自然の水は甘いということ を知った。春には川に沿って歩いて集めたフキノトウで天婦羅を揚げてみた。農繁休みに 訪れる近隣農家では、田植えを手伝いながら、横川から引かれた、蛙の飛び跳ねる用水路 で、稲の苗床を洗い、川の農業への恩給を学んだ。暑い日には同級生とタイヤチューブで 川下りをし、盆地の夏でも川の水は切れるように冷たいことを肌で感じた。冬の労働作業 の時間には、河原で、流木を細かく鋸で薪にしてパン焼き窯に使った。これらの、数え切 れないほどの私の四季折々の思い出ひとつひとつは川とともにあった。それは私に限った ことではなく、卒業生在学生職員全員に言えることであろう。

しかし、卒業後初めて訪れた先の休みで見た川は大きく姿を変えていた。春の 植物観察会や、秋の茸狩りの行事で歩いた川沿いの道は、ついにダムの貯水で埋め尽くさ れ、見る影もないコンクリートで覆われた大きな灰色の湖のようになっていた。私が在学 中も、ダム工事が進む過程で、危険水域に位置する際の神橋が撤去された。学園と、横川 を跨いだ外側を繋ぐ馴染み深い橋であったため、工事は衝撃的であった。そこから見える 横川の景色がもう二度と見ることができないことを実に寂しく感じた。順序は踏んでいた ものの、先日の変化は劇的なもので茫然とした。

ダム建設理由について、「荒川流域は、古くから大雨が降るたびに大洪水が 発生し、人々の暮らしを脅かし続けてきました。この流域の歴史は水害の歴史との闘い といっても過言ではありません。特に、昭和42年8月に発生した「羽越水害」は、9 0名に及ぶ尊い人命が失われ、住宅や田畑が流出し、道路や鉄道が寸断されるなど大き な被害をもたらしました。横川ダムは「羽越水害」のような恐ろしい災害が二度と繰り 返されないよう計画されました。」と横川ダム工事事務所ホームページにあり、役割に ついては「横川ダムは荒川流域の人々を洪水から守ることをはじめ、荒川に流れる水の 量を調節して流域の人々の暮らしに必要な水を安定した量で供給します。また、横川ダ ム建設に伴って新設される水力発電所は、環境にやさしいクリーンエネルギーをつくり、

一般家庭約 12,000 戸で使われる電気の量をおこします」2との説明だ。 

創立者鈴木弼美の娘にあたり、ほぼ学園の歩みと共に叶水に住まわれている今 野和子先生に横川の数十年にまつわるお話を伺った。60 年程前は、「いわな、カジカなどの 魚がややこしい許可なんてなく獲れたので、村の人はよく食べられていた。子どもたちも プールが小中学校に作られるつい最近までは、夏場は川遊びを毎日のようにしていた。あ

2  同上

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と、昔は少し離れたところに鉱山があり、その付近は濁っていたのだけれど、横川と合流 する辺りでまたきれいになっていた。その横川が 40 年程前の洪水で、危険水域まで水が達 したためにダム建設の話がでて、村の人々は保証金をたくさんもらって水田や自宅を明け 渡した。ダムといっても 100 年で土砂崩れになるというから、ダム工事に反対する人もい たのだけれど、農業に見切りをつけていた人は、保証金をもらって、そのまま村から出て いくケースも少なくなかったため、間もなく工事は始まってしまった。」 

私の在学中は、夏になると蛍観察に行ったものだが、これからはそれも見るこ とはできなくなるのだろうか。また、後輩たちは、川遊びは出来ても澄んだ水を目にする ことはできないかもしれない。野菜の味も知らず知らずのうちに甘味を失うかもしれない。

その変化に気付くのは、長年住まわれている先生方だけだろう。

美しい山々から澄んだ水を常に独立学園を含む小国の多くの人々に供給し、豊 かな自然を地球本来のサイクルで地域を潤し続けてきた横川。ダムという人工的で、自然 のサイクルを破壊する大工事によって、横川はくすんだ色を見せ始めている。私にとって そうであったように、横川は、これからもたえず学園生に自然の恵みを与え、直に自然そ のものを教え、自然への感謝を学ぶきっかけであってほしかった。人間は自然を管理する ことがはたして可能なのだろうか。管理しようと試みることは地球にとって正しいことな のだろうか。地域に愛され、大切にされてきた川が、コンクリートで開閉される大きな機 械となった。小国町の紹介として町のホームページはこう載せている。「山が多く険しい。

雪と雨が多い。都市から離れている。こうした状況は簡単に見れば、本町は人の居住環境 としては、恵まれていないと言えるのかもしれません。しかし、このような自然の摂理を 人の手で変えていくことは不可能なことです。また、望ましくもありません。決してあき らめではなく、この環境とその中ではぐくまれてきた人々の力を最大限に生かし、その力 を継続的に高めていくことが本町のまちづくりの基本姿勢なのです。」3ダム工事は本当に必 要だったのであろうか。不必要な護岸工事をこれ以上頻発させずに、生きた川を少しでも 多くこれからの未来に残していきたい。

3山形県小国町Town OGUNI Official Site

http://www.town.oguni.yamagata.jp/introduce/introduce.html

Referensi

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