はじめに
交流分析(Transactional Analysis: 以下,TA)は,カナダ生まれのアメリカ 人精神科医エリック・バーン(Eric Berne,1910-1970)によって創始された 心理療法の体系である。その理論には<親><成人><子ども><ゲーム>と いった一見すると誰でもわかりやすい言葉が使われているが,実際の定義や意 味は日常語のそれらとは大きく異なり,その理論をさらに掘り下げていくとそ のルーツを精神分析や行動主義,人間性心理学に見出すことができたりするな ど,むしろ様々な心理療法が混ざった複雑な体系を持っているとさえ言える
(小川,2018)。そのため正しく理解し臨床場面で適切に実践できるようになる ためには相応のトレーニングと実践経験を要する。
本稿で取り上げるのは,「人は誰でもOKである」というTAの哲学の礎 となった<人生の立場(Life Positions)>および<OKであること(以下,
OKness)>についてである。<人生の立場>の中でも<私はOKである。あな
たはOKである(I am OK,You are OK.)>というステートメントは,「TAの 目的としておそらく最もよく知られた表現」「すべての人の意味と価値を認め る立場を確立し,強化するというTAの目的を表したもの」とされ,<OKness>
は「人が変化し成長できる能力を持ち,健康な交流(interactions)ができる」
ことを意味するとされている(国際TA協会,2021)。すなわち,TAに基づい
TA における<人生の立場>と
<OKness>に関する文献的検討
小 川 邦 治
A Review of Literature Regarding“life positions”and“OKness”in TA Kuniharu Ogawa
た心理的援助においては,この<OKness>の回復ををめざすことがゴールの 一つとなり得る。
一方で,この「OK」という言葉は,現在では英語圏に限らず全世界で使わ れている日常語である。そしてあまりに軽い響きを持つ言葉であるために,専 門用語として認識されないばかりかTAそのものが“軽い”ものであるかのよ うな誤解を受ける一因にもなっている。
本稿の目的は2つある。まず第一に<人生の立場>という考え方がどのよ うにして生まれたのかを主要なTAの文献から探索し,<OKness>とは何か,
その意味を探ることである。そして第二に,<人生の立場>に関する理論的 な展開を本邦に紹介することで,TAに基づく心理臨床活動の発展に寄与する ことである。<人生の立場>という考え方を心理的援助活動の基盤に置くこと で,TAの全体像を知らない臨床家の実践や他のモダリティに基づく援助活動 においても,クライエントへの理解や見立て,そして心理的援助方針を定める 際の根拠を得ることができると筆者は考えている。
本稿を執筆するにあたり,国際TA協会(International Transactional Analysis Association,以下ITAA)の発行する学術誌Transactional Analysis Journal お よびその前身であるTransactional Analysis Bulletin,その他エリック・バーン をはじめTA実践家による著作,および筆者が受けてきたTAのトレーニング およびスーパーヴィジョンを通じて得た情報を基礎資料とした。
なお,positionの訳語としては従来通り<立場>を採用するが,この訳語が 原語の意味を表現しきれているかどうかは検討が必要かもしれない。本稿では
「ポジション」を当てるとメラニー・クラインによる「ポジション」と区別で きなくなってしまうという理由で従来通りの訳語である<立場>を採用するこ ととする。また,すでに示しているようにTAの用語は< >に入れて示す。
<人生の立場>着想の起源
エリック・バーンは1962年にわずか36行の論文を発表した(Berne,1962)。
“Classification of Positions”と題したこの小論で,バーンはまず,<ゲーム>
を分類していく上で一貫した臨床的結果をなかなか見出せなかった,という指
摘から始めている。TAにおいて<ゲーム>とは,「社交レベルと心理的レベ ルの2つのレベルによって操作されている社会的な行動パターンのうち,最終 的に当事者の少なくとも1人が嫌な感情を経験することによって終わる一連の やりとりのこと」である(Tilney,1998)。すなわちバーンはその<ゲーム>
の始まり方やプロセス,最終的な結末について観察に基づいて分析し,人がど のような<ゲーム>をするのかを識別することができれば,<ゲーム>を生み 出すネガティブな<人生脚本>を書き換えることが可能となり,<ゲームの報 酬>である慢性的な不全感情を経験しなくなるだろう,と考えていた。ところ がクライエントの個人的な特徴,階級や人種,さらには精神分析的な視点から の性的発達段階や精神疾患の分類に着目してみても,その個人の好む<ゲー ム>が何であるかを予測する指標を得ることができなかった。すなわちネガ ティブな<人生脚本>を書き換えるまでに至らなかったのである。そして彼は
「人間の持つ基本的変数(fundamental variable of human living)」としての<立 場(positions)>がどうやら<ゲーム>に影響しているのではないか,と考え るに至る。バーンはこの<立場>が3歳から7歳までの幼少期に形成され,幼 少期の経験に基づく<決断>を正当化するために使われる,と考えた。この
<決断>とは言葉がまだ十分に使えない頃の自分や他者についての確信であ り,あえて言葉にするなら「私は愛される」「私は孤独だ(理解されない)」「他 人はやさしい」「他人は恐ろしい」などのシンプルで原初的な形をとる。そし てこの幼少期に形成された<立場>についての考察を進めるにあたって,「私
(I) ― 他者(Others)」と「OK ― not OK」の2つの軸を設定してみたのである。
こうして最初に示されたのが次の4つである。
1.私(私たち)はOKである。I (we)am OK 2.私(私たち)はOKではない。I(we)am not-OK 3.あなた(彼ら)はOKである。You(They) are OK 4.あなた(彼ら)はOKではない。You(They)are not-OK
この4つを組み合わせることで,現在のTAにおける<人生の立場>を示す
ことができる。
1.私はOKである,あなたはOKである (以下,I+U+)
2.私はOKである,あなたはOKではない (以下,I+U-)
3.私はOKではない,あなたはOKである (以下,I-U+)
4.私はOKではない,あなたはOKではない (以下,I-U-)
バーンは,すべての<ゲーム>,<脚本>,そして人間の運命はこれら4つ の立場のうちのいずれかに基づいているだろうと考えた。あえて「運命」につ いて言及したバーンの意図を考えることは大変興味深い。なぜならTAは「人 は望めば誰でも自分の人生を変えることができる」という考えに基づいた心理 療法のシステムであるが「運命」とはその対局の「変化し得ないもの」を指す からである。
この論文において注目するべき点はまず,バーンは当初から「私」「あなた」
だけでなく「私たち」と「彼ら」という複数形を想定していたということで ある。これはTAのはじまりが集団精神療法だったことに関係するだろう。次 に,「私」「あなた」という2つの軸を組み合わせることによって,対人関係に ついての個人のあり方を表現したことである。これもバーンが集団精神療法の 実践の中でTAの理論的体系を構築していったことと関係があるだろう。彼は,
<I+U+>のみが本質的に建設的な立場で,<I+U->はパラノイド的立場,
<I-U+>は抑うつ的立場,<I-U->は不毛で分裂的な立場であるとした。
大変残念なことに,バーンは引用文献を示していない。しかしながら,「抑 うつ」「分裂」といった用語からも推察されるように,当時すでに議論されて いた対象関係論,特にメラニー・クラインによるポジションに関する議論の影 響は顕著だと思われる。実際,この点については既に何人かの研究者が指摘し ている(たとえばClarkson,1992,Stewart,1992,Tudor,2016)。メラニー・
クラインによる3つのポジションに加えて新たに<I+U+>を立場の一つと し,児童を専門としたクラインとは異なりバーンは主に大人の行動に焦点を 当てて<立場>について論考していったのである(Clarkson,1992;Stewart,
1992)。
最終的に,バーンは<人生の立場>を「自分自身とその周囲の人々,特に両 親に対して幼少期に行った特定の確信であり,その後の人生においてずっと維 持されるものであって,その基本的な立場は外的環境の変化によってのみでは ほとんど変化しない」,とした(Berne,1972)。
このようにみていくと,少なくとも着想の時点では<OK><not-OK>と はあくまで人間の本質的な傾向としての肯定感,否定感を表す代数であって,
OKという言葉自体が特別な意味を持って使われてはいなかったこと,そして バーン自身はTAの哲学として<OKness>を唱えたわけではなかったようだ,
ということが浮かんでくる。実際に今回バーン自身の著作物や論文のレビュー を試みたが,彼自身はOKnessについてどこにもはっきりと定義をしておら ず,同様のことを複数のTA実践家が指摘している(たとえばWhite,1994;
Tudor,2016;Steiner,2012など)。これらのことから考えると,バーンにとっ て重要なのはOKという言葉ではなく,“I am”“You are”という主語と動詞に よる実存的な言明であって(Tudor,2016),これが肯定的か否定的かを示す ために採用されたのが<OK><not-OK>という言葉だったと考えることが最 も自然なように思われる。
なぜ<OKness>は TA の哲学となっていったのか
では,人間の存在に関する肯定感,否定感を示す代数としての意味しか持っ ていなかったはずの「OK」という言葉が,いかにして<OKness>としてそれ 以上の意味と価値を持ち,TAの哲学という位置づけになっていったのか。そ もそも<OKness>ということはどういうことなのか。この点についてTAに 関する文献もとに思料すると,ある可能性が見えてくる。
バーンの最も最初期の門下生にあたるクロード・スタイナーによると,当 初はTAの研究グループの中でディスカッションが行われた際に「OK」「not-
OK」が特に説明を要することなくしばしば使われていたようである(Steiner,
2012)。これは,TAに関するセミナーや様々な研究会,学会での講演やディス
カッションにおいて,専門用語として確立していたかどうかは確認できないが,
少なくとも実存的な<人生の立場>を表す簡便な呼称として「OK」「not-OK」
が使われていたということを示している。
さらには,当時のTAの状況が現在とは全く異なるということも考慮する必 要がある。1960年代はTAが誕生し,発展していった時代であった。TAが普 及するにつれて各地からTAに関心のある専門家が集まり,TAを学ぶインス ティテュートが全米各地に設立され,ITAAによる専門資格の認証が始まった
(Berne,1968)。これはTAに関する知識がバーン個人のものから離れていき,
様々な意味を帯びて使われはじめ,様々な実践が行われていったことを示唆す る。こうした時代の流れの中で当初バーンが考えていた実存的な意味としての
<立場>から次第に「OK」そのものが持つ「受容」「承認」「同意」「許可」な どの日常的な意味合いが強くなり,当初の実存的なものとしての視点から離れ ると共に<OKness>自体が価値あるものとなっていった可能性が浮かんでく る。
その後,生まれたばかりの人はどの<立場>なのか,<OK>なのか<not-
OK>なのかという論争が起きる。この時に「人は生まれながらにしてOK
である」という考え方の根拠としてよく引用されるのが,バーンによる箴言
「人は王子様やお姫様として生まれてくるが,親にカエルに変えられてしま う(People are born princes and princesses,until their parents turn them into frogs.)」である。これはスタイナーの著書“Scripts People Live”(1974)の中 で示されたもので,「王子様」「お姫様」は<OK>であることの象徴として使 われ,この文脈での親とは養育者としての親だけでなく文明の象徴として使わ れているとされる。この言葉についてバーンは直接記してはいないが,他にイ ングリッシュ(English,1975)も言及しているため,バーンが口頭で語って いたことは事実であろう。
この箴言の意味について,スタイナーは「人は生まれながらにしてOKであ り,感情の乱れや不幸,狂気の種は本人ではなく,それを受け継ぐ両親にあ るという考え方である」と説明している(Steiner,1974)。スタイナーは,前 出の著書の中で“PEOPLE ARE O.K.”と題した節により,「(バーンには)“人 間性への信頼”に起因するものとして,人は生まれながらにして本質的には
O.K.であるという確信があった」と主張している。このスタイナーの著作を もとにすると,バーンが「OK」という言葉の示すものとして「人間性」とい う意味づけをしていたということになる。
バーンの認識が実際にどのようなものであったかは今となっては確認する術 がない。スタイナーも2017年に亡くなったため,その真偽を確かめることは できない。しかしながら,これまでみてきたように当初バーン自身は少なくと も文献上は<OKness>そのものについて定義や意味を明示していないことや,
バーンの考え方において精神分析の影響が思いのほか強いことを踏まえると,
やはりバーンの発想を超えてTAのコミュニティの中で<OKness>が独特の 意味や価値を持ち始め,それをバーンも否定しなかった可能性を考えざるを得 ない。
<OKness>がTAの哲学として認識されるようになったもう一つのポイ ントは精神科医トーマス・ハリスによって書かれたTAの入門書“I'm OK-
You're OK.” が1967年に出版されてベストセラーとなったことである(Harris,
1967)。この書籍によって<I am OK,You are OK.>という言葉が日常語では なくTAの専門用語として広く知られるようになった(Steiner,2012)。
なお,この本の中でハリスが「人は生まれた時は<I-U+>である」とした ためにTAのコミュニティではこのハリスによる書籍は正統なTAとして扱わ れていない。しかしながら,ハリス自身がバーンのセミナーに参加していただ けでなく,新フロイト派のH.S.サリヴァンの元で精神分析の訓練を受けた精 神科医であることや,スタイナーとは異なりハリスが当時の医学や心理学の知 見を広く引用しながら記していることなどを考えると,学術的な観点からはも う少し評価されてよいと思われる。
<OKness>の起源
人が誕生した時に<人生の立場>がどのようなものであるかはいくつかの 議論がある。前述したように,スタイナーはバーンの箴言を引用し,人には 人間性についての肯定感が生まれながらにして人に備わっていると主張した
(Steiner,1974)。一方でハリスは乳幼児は養育者に対して無力な存在である
ということを<I-U+>として表現し,人は生まれながらにしてOKではない,
とした(Harris,1967)。
<OKness>の起源については,このように様々な議論があるが,OKか OKでないか,という極端な二元論ではなく,対象関係論の視点を踏襲しなが らTAの枠組みで議論を展開していったのがイングリッシュである(English,
1975)。イングリッシュはシカゴやロンドンのタヴィストックで精神分析の訓 練を受け,その後精神分析に限界を感じていた頃にTAに巡りあい,バーンの もとでTAを学んだ人物である。
イングリッシュは自己と非自己が未分化である乳幼児が抱く<OKness>は 乳児期に特有のものであるとし,この時期の<OKness>は,欲求の充足とし ての<OK>と満たされないこととしての<not-OK>が循環して渾然一体と なって存在していると考えた。そして生後8ヶ月の頃に感じる強い分離不安が
<I-U->の源であるとし,この立場に陥ることから逃れるための防衛的立場 として<I+U->もしくは<I-U+>を形成する,とした。そして欲求不満や 分離不安を解消するための様々な試みが,後の人生脚本の基礎を形成するので ある(English,1975)。
したがって,言葉をまだ獲得していない幼児期の万能感や欲求の充足を
<OKness>の条件とするのであれば,「人は生まれながらにしてOKである」
と言ってよいだろう。しかしながら,このような万能感や欲求の充足として
<OKness>と,抽象的な思考を発達させた大人にとっての<OKness>や言葉 を用いて表現される<OKness>ではその意味が全く異なるだろう。そのよう に考えていくと,「人は生まれながらにしてOKである」いうステートメント はたしかに魅力的ではあるが,適切かどうかは検討の余地が出てくる。むしろ イングリッシュの考えたように,未分化な自己の抱く原初的な<OKness>が,
欲求の充足と不満に絶えず晒され,その後分離不安という<I-U->の立場を 経験し,その立場を避ける防衛的な立場として<I+U-><I-U+>を獲得し たのちに,自律した一個人として<成人>の自我状態から<I+U+>を獲得す る,と考えるのがもっとも自然に思われる。イングリッシュはこの<成人>が 獲得した<I+U+>を乳幼児のものと区別するために,<I+U+(Adult)>と
して表現することを提案している。
<OKness>はどのような意味を持つに至ったか
このように,バーンが当初考えていた意味合い以上の価値を持つ専門用語と して<OK><not-OK>が用いられるようになり,その後TAの研究史におい ては,<OKness>という言葉も発展的に使われるようになって,その意味や 定義についての議論が行われるようになっていった。しかしながら,我が国に おいては<OKness>に関する議論や<人生の立場>に関する理論的展開はほ とんど紹介されていないのが現状である。
専門用語としての<OKness>に関する議論を辿っていくと,大きく分けて 3つの視点が浮かんでくる。
まず第一に,実存的な視点である。これはバーンが最初に<人生の立場>に ついて論考した際に示された「人間の持つ基本的変数」という考え方が元に なっていて,さきほど触れたように“I am”“You are”の中のbe動詞によっ て表される実存的な立場を表している。それが肯定的なものであれば<OK>,
否定的なものであれば<not-OK>と表現する考え方である(Berne,1964;
Tudor,2006)。イングリッシュも指摘するように,バーンが考えていたのは 実存的な<人生の立場>であった(English,1975)。この実存的な<人生の立 場>という考え方は現在ヨーロッパのTAコミュニティにおいて主流な考え方 となっており,特に<実存的な人生の立場(existential life positions)>と呼ぶ ことがある。
第二に,生物学的欲求の視点であり,生物学的欲求が満たされるかどうかに よって<OKness>を定義したものである。この文脈において<OKness>は特 に乳幼児の欲求に対する母親の無条件の反応の結果Steiner,1974)として形 成される。バーンはこうした人間の持つ生物学的欲求を<飢餓(hunger)>と 呼び,<刺激飢餓(stimulus hunger)>,<認知飢餓(recognition hunger)>,
<構造飢餓(structure hunger)>,<接触飢餓(contact hunger)>,<性的 飢餓(sexual hunger)>,および<インシデント飢餓(incident hunger)>の 6つを挙げ,特に前者3つを根源的な欲求であると考えた(Berne,1970;
1972)。これらの欲求が満たされることで<OK>である立場が形成され,満た されなければ<not-OK>の立場が形成される(Woollams and Brown,1978;
Steiner,1974;Novey,1980)。バーンが<飢餓>という言葉を使うことで生 物学的欲求に言及していた点を踏まえると,この第二の視点もバーンから生ま れたと考えられる。スタイナーは「養育者に保護され,食べ物やあたたかさを 提供されたときにあかちゃんが感じる感情」と,養育者との関係性の中で生物 学的欲求が充足される点を重視している(Steiner,2012)。この視点は,アタッ チメント理論における安全感(felt securty;Bowlby,1969)と大変近いもので もあると考えられる。
三番目の視点は「人には価値があり,重要であり,尊厳がある」という 人間性心理学的な視点である(Steiner,1974;James and Jongward,1971;
Stewart and Joines,1987;Stewart 1992)。バーンがもしスタイナーの指摘する ように「人間性への信頼」を基盤に人生の立場を考えていたのであれば,その 考えに最も近い視点でもある。さらには,「自己受容」や「信頼」の意味を見 出す視点(Novey,1980;Newton, 2004)もここに位置づけられるだろう。また,
アースキンは<OKness>について「自分に何が起こっても,どんなに悪い状 況にあっても,その経験から学び,成長することができるという信念(Erskine,
1980)」と定義したが,この定義も成長という視点を含んでいることから人間 性を重視した視点と同根であると考えられる。
この視点の根底にあるのは,人は基本的にポジティブな傾向を備えている
(Steiner,1974)という性善説的な見方である。<OKness>を公平性や平等性 としてとらえ,自由や公平な競争に対する信念といった民主主義社会の基本を 表したとする視点(Jacobs,1997;Steiner,2012)も,広義の人間性に価値を 置いたものと考えられる。
我が国において<OKness>はどのように扱われてきたのだろうか。この点 について汐月(2021)は,我が国に紹介されているTAに関する主要な文献か ら<OKness>がどのような意味で紹介されてきたかについて検討した。そし て「自己/他者への尊重」「自己/他者への関心」「基本的信頼」「自己決定」「他 者からの承認」という5つのカテゴリーを抽出している。このことからもわか
るように,我が国において<OKness>は人間性心理学的な意味をもつ用語と して紹介されてきたことが理解できよう。
<人生の立場>の展開
これまでみてきたように,バーン自身は<OKness>よりも<立場>の方に より強い関心を向けていたと思われる。我が国では<OK牧場>が広く知られ ているが,<人生の立場>はいくつかの理論的な発展をみせている。本稿では
<人生の立場>に関するいくつかのモデルを紹介する。
1.<OK 牧場>と混乱
我が国において<人生の立場>とほぼ同義として扱われているのがアーン ストによる<OK牧場>(Ernst,1971)である。このタイトルはバーンの初 期の弟子の一人であるスティーブン・カープマンの命名によるもので,史実 や映画とは全く関係がない。我が国のTAに関する標準的なテキストとして知
られるTA TODAYでは,「私たちは刻々と<人生の立場>の間を移行する」と
し,そのことを示す図としてこの<OK牧場>が紹介されている(Stewart and Joines,1987)。
ところがアーンストによる<OK牧場>は,実際には「対人関係のあり方(4 つのオペレーション)」を図式化したものであって,<人生の立場>そのもの のモデルではない。アーンストはまず,人間は社会的な動物なので,「自分に とっての自分」や「仲間にとっての自分」の価値について繰り返し評価してい るのだ,と考えた。そして日常生活では様々な人と様々なやりとりがあって,
そのやりとりがちょっとした挨拶程度の短いものであれもっとずっと長い期間 のものであれ,それぞれの出会いの結末はどうやら子供時代の決断に基づく4 つの<人生の立場>のいずれかと似た結果になる,と指摘した。そして<立 場>について「人生の中で親密な人たちとの出会いの中で,好んで使われる子 供時代の原点となるソリューション」であるとし,この子供時代の原点となる ソリューション,すなわち<人生の立場>のそれぞれに対応する4つのオペ レーション(一緒にやっていく(Get-On-With),排除する(Get-Rid-Of),逃
避する(Get-Away-From),どこにもいけない(Get-Nowhere-With))を挙げ た(Figure 1.)。
すなわち,アーンストが当初考えた<OK牧場>とは,<人生の立場>との 関連性が示唆されてはいるが,あくまでも人と人との社会的なやりとりに関す るものであった。アーンストの論文(Ernst,1971)を丁寧にみていくと,彼 が「人生の立場が移り変わる」と考えていたのかどうかは明示されていない。
彼は,対人関係において <成人>の自我状態がより建設的で健康的なオペレー ションを使えるようになることで適応的行動が可能となる,と考えたのではな いかと思われる。そしてその適応的な行動は結果として<I+U+>から生じた 行動の可能性がある。すなわち,<人生の立場>をバーンが考えていた実存的 なものとするのであれば,その実存的な<人生の立場>が変化したり移行して いったりするかどうかについては明言していないのである。
例えば実存的な<人生の立場>が<I-U+>であったとしても,社会生活の 中では適応的な行動を取ることは可能なはずである。心の中に自責の念を抱い ていたり,他者に対して劣等感を抱いていたりしても,社会生活においては折
あなたは私にとってOKである (YOU-ARE-OK-WITH-ME)
あなたは私にとってOKではなぃ (YOU-ARE-NOT-OK-WITH-ME) 私は
私にとって OKではない (I- AM- NOT- OK- WITH- ME)
私は 私にとって OKである (I- AM- OK- WITH- ME) オペレーション:
一緒にやっていく (Get-On-With: GOW) 結果としての立場::
私は私にとってOKであり,
あなたは私にとってOKである
結果としての立場::
私は私にとってOKであり,
あなたは私にとってOKではない オペレーション:
排除する (Get-Rid-Of: GRO) オペレーション:
逃避する
(Get-Away-From: GAF) 結果としての立場::
私は私にとってOKではなく,
あなたは私にとってOKである
結果としての立場::
私は私にとってOKではなく,
あなたは私にとってOKではない オペレーション:
どこにもいけない (Get-Nowhere-With: GNW)
Figure 1. OK 牧場 : 一緒にやっていくためのグリッド(Ernst, 1971)
り合いのつけながら適応的で建設的な行動をとっていることはしばしばみられ る。すなわち実存的な意味での<人生の立場>と社会生活でみられる行動が必 ずしも一致するわけではないということである。
ところが,これまで本稿でたどってきた考察を経ずに<OK牧場>で説明さ れたオペレーションが次第に<人生の立場>と同義的に扱われるようになって いった。すなわち<人生の立場>の概念そのものがバーンの考えていた実存 的で運命的なものとしてのものから行動に焦点を当てたものへと変容してい き,行動の変化によって<人生の立場>が識別可能となるだけでなく,<人生 の立場>そのものが変化するという考えに展開していったのである(White,
1994)。
このように,1970年代から80年代にかけて<OK牧場>の飛躍的解釈と<人 生の立場>との統合が行われ,いつのまにか<人生の立場>そのものが実存的 なものではなく変化可能な行動として解釈されるようになっていった。この変 化は,<人生の立場>を様々な社会生活場面に適用し得る行動のモデルとする 一方で,本来の実存的な視点を軽視,あるいは無視してしまう結果を生み出し た。もし<人生の立場>が行動的に定義され,かつ時々刻々と変化すると考え るのであれば,バーンが考えていた実存的な<人生の立場>との整合性が問題 となる。著者は実存的な心のあり方に対するケアが今後ますます必要とされる と思っているが,理論的な混乱が生じている概念をそのままケアの場面に用い ることには大いに問題があると考えている。
2.「人生の立場」の階層性と相対性
こうした<人生の立場>にみられる混乱について整理したのがホワイトであ る。彼は<人生の立場>を2つの水準,すなわち「刻々と変化する表層の<人 生の立場>」と「気質的な<人生の立場>」によってとらえることを提案した
(White,1994)。この視点は「表層の刻々と変化する人生の立場」がアーンス トの<OK牧場>に代表される観察可能な行動的側面(オペレーション)に対 応し,「気質的な人生の立場」が強いて言うならバーンによる実存的な立場に 対応している(Figure 2.)。
ホワイトが行ったのは<人生の立場>を階層的にとらえることであり,社会 行動面から性格や気質,その先にある実存までを<人生の立場>の枠組みで扱 おうとするものである。すなわち,前項でも検討したように,観察可能な行動 としての<人生の立場>と実存的な意味としての<人生の立場>が常に一致し ている必要はなく,むしろそれぞれが異なる<立場>を示す可能性もあるとい うことである。
クライエントの中は深い悩みや心の痛みを抱えながらも日々の社会生活は努 めて穏やかに送っていることもいるだろう。必ずしもその悩みがそのクライエ ントの望んだようには解決していなかったり,無意識の世界に抑圧していてす でに潜在化していたりしても,それはそれで日々を<I+U+>の立場で送るこ とも十分あり得るだろう。しかもこの実存的な<人生の立場>に近くなれば近 くなるほど本人は気づいていなかったり無意識の領域に抑圧している問題が潜 んでいたりする可能性が高いので,扱うには相応の丁寧さが求められる。
さて,「私とあなた」という関係性の中で<OK>か<not-OK>かが規定さ れていくのであれば,その程度も様々であり,相対的に決まってくるのでない
SURFACE, MINUTE-BY-MINUTE LIFE POSITION (表面的,分単位の人生の立場)
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CHARACTER LIFE POSITION (気質的な人生の立場)
Figure 2. < 人生の立場 > のレベル(White, 1994)
だろうか。この点についてもホワイトは,その臨床経験をもとに考察を加えた
(White,1994)。彼はまず,<I+U->について「他者が自分にとってOKで はないと信じるためには,その人自身が『私はOKではない』とある程度信じ ていなければならないはずだ」と指摘し,<I+U->を<I-U--(私はOK ではない,しかしあなたはもっとひどい(worse))>に変更することを提案し た。著者の臨床経験においても,自己愛の強いクライエントがより深いレベル において<I->の立場を持っていることにしばしば遭遇しており,ホワイトの 見解は説得力のあるものである。さらにホワイトは,<I+U->の立場にいる クライエントが治療プロセスの中で<I+U+>の立場を獲得するためには,い きなり<U->が<U+>に変化するように援助することではなく,まず「私は OKではない<I->」ということに直面しそれを受け入れ,<not-OK>の感 覚そのものをまず受容していくことが大切であると指摘した(White,1994)。
それから他者に抱いてきた<not-OK>と向き合い,それを受け入れていくこ とを通して,<I+U+>を獲得していくのである。
なお,ホワイトは「<OK>でも<not-OK>でもない」<立場>についても 考察している。彼はバーンが示した4つの立場に次の立場を加えることを提案 した(White,1994)。
・I+U? (私はOKである。あなたは無関係である(irrelevant))
・I-U? (私はOKではない。あなたは無関係である(irrelevant))
・I-U-- (私はOKではない。しかしあなたはもっとひどい)
・I++U+ (私はあなたよりは少しだけOKである)
実はバーンも<OKness>の強度や<?>という立場について言及している
(Berne,1972)が,その意味については<OKness>と同じく明確に示してい ない。
3.<人生の立場>とストレス
ハインは,カップルセラピーの実践を通じて得えた知見をもとに<人生の 立場>がストレスの影響を受けてどのように変化するのかを示した(Hine,
1982)。ハインはまず,<I+U+>と< I-U->は人生において誰もが経験す る立場であるとした。そして<I+U->と<I-U+>は,<I-U->に陥らな いようにするための防衛的な立場である,と指摘した。この考え方は,先にも 触れたイングリッシュによる<OKness>の起源と発達過程の考察に基づいて いる(English,1975)。このプロセスをハインは図に示している(Figure 3.)。
日常生活においては,一般的にはほとんどの人が<I+U+>の立場で過ごし ていて,完全ではないかもしれないが健康的でいろいろなことがうまくいって いて,ハインはその状態をウェル・ビーイングの立場とした(Hine,1982)。
日常生活において何らかのことが起きてストレスが生じた際に,その度合いが 強くなるに従ってわれわれは幼少期に獲得した防衛的な立場である<I+U->
もしくは<I-U+>に移行する。たとえば納期が迫っているのにトラブル続き で仕事が全く進まない状況において,理想的には<I+U+>に居続けながら仕 事をすること望ましい。しかしながら仕事は一向にはかどらず締め切りだけが 迫ってくるような状況に陥った時,ある人は<I+U->移行して,他者を責め たり何か外的な要因のせいしたりするなどして<I-U->に陥ることを必死に 防ぐだろう。またある人は<I-U+>に移行して他者に対して過剰適応したり
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TypeⅠpositions TypeⅡpositions
I + U + position of well being I + U +
(I - U +) defense position (I + U -)
I - U - despairing position I - U -
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Figure 3. < 立場 > における移行パターン(Hine, 1982)
ひたすら自分を責め続けたりするかもしれないが,これも<I-U->に陥るこ とを防ぐための行動である。
ハインは<I-U+>に移行するものをタイプⅠ,<I+U->に移行するもの をタイプⅡと呼び,いずれのタイプもストレス状態が何らかの形で解決すれば,
再び<I+U+>の立場に戻って健康な日常生活を送ることができるとした。も しストレスが解決せずに長期化したり,増悪していったりするなどして本人の 適応が破綻することになれば,その結果として<I-U->,すなわち絶望の立 場に陥る。<I-U->に陥るということははとても深刻で辛いことであり,そ こに陥らないために我々はなんとかしてストレス状態を克服しようとするのだ が,その過程において我々は<I+U->もしくは<I-U+>を経験するのであ る。
タイプⅠ<I-U+>のパターンを身につけている場合,防衛的になると自分 のことをあたかも「有能な巨人たちの世界に住んでいる小さな人間のように感 じる」とハインは指摘する。タイプⅠの人が防衛的になると,他者の言うこと に従ったり簡単に合わせることができたりし,責任を他者に任せようとしたり 共有しようとする一方,自分自身に確信が持てず疑問や疑いを抱きやすくなる。
またこのタイプがリーダーになったり注目の的になったりすると強くストレス を感じるために防衛的になりやすく,何かを断ることを苦手とするためにます ます心理的な負荷がかかる(Hine,1982)。
タイプⅡ<I+U->の人が防衛的になると、自分のことを「頼りにならず,
がっかりさせられるような人々の世話をしなくてはならない孤独で小さな人間 のように感じる」という。基本的にはタイプⅡはタイプⅠとは逆で、自分自分 の意思に確信を持ち,はっきりと断ったりすることができる。また,注目の的 になったりリーダーとしての責任を果たすことは簡単にこなすことができる が、他人の意見に耳を貸さなくなったり,一人で何でもこなしてしまったりす るという面も持っている。さらには他人に助けを求めたり他者に自分のことを 委ねることがとても苦手である。
ストレスによって<人生の立場>が移行し,かつそれぞれの防衛的立場に よって行動パターンが異なるということは,ストレス場面,特に人間関係にお
ける人間の行動を理解することに役立つと思われる。ハインはカップルセラ ピーの事例を挙げているが、様々な対人関係の問題にあてはめて考えることが できるだろう。例えば職場の人間関係のような場面において、タイプⅠの部下 とタイプⅡの上司の組み合わせは、部下に対するパワーハラスメントが発生し やすい可能性があるだろう。その逆にタイプⅠの上司とタイプⅡの部下の組み 合わせでは,上司が強いストレスを受けてメンタルヘルス不調をきたしたり、
上司に対する部下の不満が蓄積しやすいかもしれない。いずれにせよ本稿で紹 介したハインによる<人生の立場>の移行パターンについては,今後事例の蓄 積が望まれる。
二者関係を超えて
これまでみてきた<人生の立場>は,“私(I)”“あなた(U)”という二者関 係を中心に論じられてきた。実際には、バーンの着想には最初から複数の人に 対する<立場>が想定されていたようである。これはバーンは人生の立場につ いて言及した最初の論文(Berne,1962)で4つの基本的立場を示す際に,“I
(we)”“You(They)”として三者以上の関係について触れていることからも理 解できる。その後,バーンは三者間の立場(three-handed position)について 言及した(Berne,1972)。すなわちこれまで取り上げてきた4つの人生の立 場にそれぞれ「彼らはOKである<T+>」「彼らはOKではない<T->」を加 えて,<I+U+T+>,<I+U+T->,<I+U-T+>,<I+U-T->,<I-
U+T+>,<I-U-T->,<I-U-T+>,<I-U-T->,という8つの<人
生の立場>を示した。この第三の<立場>は社会やコミュニティを示し,社会 やコミュニティに対して<OK>か<not-OK>かを示している。
この8つの<人生の立場>について,デヴィッドソンとマウンテンは,<人 生の立場の三次元モデル>を提案した(Figure 4.)。
この図において+は<OK>,-は<not-OK>を表し,左から順に「自分・
他者・彼ら」を表している。たとえば「+++」の場合,<私はOKである,
あなたはOKである,彼らはOKである(I+U+T+)>を表している。ここ ではBerne(1972)およびMountain and Davidson(2005)に基づいて,それ ぞれの<人生の立場>がどのようなものであるかを紹介する。なお,バーンに よる説明は時に誇張や偏見に基づくものと判断せざるをえないものがあるが,
本稿ではそのまま使用する。番号は図4の右に示されているものと対応して いる。
① I+U+T+ “すべての人は OK である” バーンは「民主的コミュニティ の立場」とした。この立場において特に留意すべきことは,「全ての人が同じ であるという意味ではない」という点にある。この立場は,自分と他者,およ びコミュニティについてそれぞれを尊重し対等な存在として扱っていることを 意味する。異なる意見や個性を持っていてもその人の存在は尊重される、とい う意味において民主的コミュニティの立場とされる。
② I+U+T- “彼らが OK でない限り私たちは OK である” バーンは「民 衆扇動家の立場であり,偏見を持ったエセ紳士,または犯罪集団の立場」とし
They are OK They are OK
They are OK They are OK I am not OK
You are OK
I am not OK You are not OK
I am OK You are OK
I am OK You are not OK
They are not OKThey are not OK
They are not OKThey are not OK
+ + +
+ + -
+ - -
+ - + - - -
- - + - + +
- + - ①
②
③
④
⑥
⑤
⑦
⑧
Figure 4. < 人生の立場 > の三次元モデル(Mountain and Davidson(2005))
右の図において,+は OK,-は not OK をさす。
た。社会やコミュニティは<not-OK>でなければならず,それを前提として はじめて<I+U+>が成立する、という考え方である。犯罪集団の立場という のは「悪いのは自分たちではなく騙される社会の方だ」という意味を示してい る。
③ I+U-T- “ここでは私以外に OK である人はいない” バーンは「単独 で行動する人,独善的で批判的な立場」とした。この立場の人は,とても支配 的であり,他者とコミュニティのすべてを<not-OK>とみなすために仮に周 囲が従っているように見えても本人は孤独である。
④ I+U-T+ “ここではあなただけが OK ではない” 「アジテーター,造 反者の立場」であるとバーンは言い,マウンテンらは「迫害者,非難,スケー プゴートを作る立場」であるとした。ターゲットを作り,それを非難すること で排除する立場であり,閉鎖的なコミュニティの中で成立する可能性がある。
⑤ I-U-T+ “ここでは彼らだけが OK である” バーンは「卑屈な妬み,
時に政治的行動の立場」としたが,この説明は不十分であろう。マウンテンら は,この立場をあるコミュニティにおいてその外で起きていることを肯定し,
コミュニティ内で起きていることすべてを否定する例を挙げている。例えば本 社から地方に配属してきた管理職が自分の所属を否定し,本社の意向をすべて 肯定するようなケースである。
⑥ I-U-T- “すべての人は OK ではない” バーンは「皮肉屋の悲観的な 立場,宿命や現在を信じている人の立場」としたがこれもあまり説明としては 十分とは言い難い。この立場は無力であり,コミュニティだけでなくあらゆる 側面で機能不全に陥っている可能性が高い立場である。
⑦ I-U+T- “ここではあなただけが OK である” 「盲従する立場」であ り「どうしたらいいかわからないからどうぞ示してください」という立場であ る。コミュニティの現状がよくないことは理解しているが自分自身に対しても
<not-OK>であるために他者に対して依存する。
⑧ I-U+T+ “ここでは私以外の人はすべて OK である” バーンによると
「自己犠牲的な聖職者やマゾヒスト,メランコリックな立場」であるが,この 説明も適切とは言い難い。集団の中で孤立し,かつ無力感を感じている立場で
ある。
自らが所属している組織やコミュニティ,学校,クラス,そして家族につい ての立場がどのようなものなのかを<人生の立場>という視点で考えていくこ とは,特に組織・コミュニティと個人の関係を扱う援助職にとっては大変有益 だと思われる。例えば上司との関係がうまくいっていない若手社員の問題を扱 う場合,単に二者関係だけを扱うのではなく,この若手が会社や所属組織に対 してどのような感情を持っているのか,自分自身についてはどうなのか,働い ている時の彼はOKであると感じているのか,その上司の人生の立場はどのよ うなものであるのか,といったことをみていくことが重要になるだろう。
著者は産業心理臨床の現場に従事してきたが,教育や福祉,そして医療といっ た心理職の活躍が期待される現場においても,このようなコミュニティの視点 は不可欠であると考えられるため,<人生の立場>を三次元でとらえる視点は 有用に思われる。たとえば学校の中で生徒がどのような立場で学校や教員に対 してどのように感じているのか,受療に対する患者の心理的な立場はどのよう なものかを理解していくことは生徒や患者を理解する上で大切であろう。
結語
本稿ではTAにおける<人生の立場>と<OKness>について,その着想の 起源をたどり,バーンの当初の関心が<立場>にあったこと,<OKness>は その後にバーンの意図を超えてTAの哲学としての価値を持っていったことを みてきた。その中で<OKness>には実存的な視点,生物学的欲求の視点,人 間性心理学的視点,という3つの視点から取り上げられていることをあきらか にした。
<人生の立場>については,我が国にはほとんど紹介されていないモデルも 含めて筆者が有用と考えるモデルを中心に取り上げた。TAは観察可能なモデ ルであることを重視しており,<人生の立場>に関しても,そうしたクライ エントの観察に基づく臨床的な実践に基づいた思索と検討が加えられている。
<OK牧場>が<人生の立場>とほぼ同義として扱われるようになったのもそ
うしたTAそのものの持つ特徴が影響したと考えられる。
TAには今回取り上げた<人生の立場>だけでなく我が国にはまだ紹介され ていない有用なモデルがたくさん存在する。今後はそうした様々なモデルが紹 介され,我が国における心理臨床の現場に寄与することが望まれる。
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西南学院大学人間科学部心理学科