セミナー室
産業微生物の細胞膜を介した物質輸送研究の最前線――物質生産の効率化に向けた新たな挑戦-4コリネ型アミノ酸生産菌のもつ潜在的なグルコース 輸送バイパス
池田正人
信州大学農学部
本セミナー室は産業微生物の物質輸送とその応用に関 する特集であるが,筆者らは最初からそれを意図したわ けではない.当初の課題は,代表的なアミノ酸生産菌で あ る (以 下,コ リ ネ 菌 ) の生育上限温度を改良することにあった.そのために何 が同菌の生育上限温度を決めているのかに興味があり,
この課題に対して2つの知見をつかんでいた.1つは,
上限温度以上でリジン発酵を行なうとグルコースの消費 速度は低下するものの,消費されたグルコース当たりの リジン発酵収率は維持されていたこと.もう1つは,ホ スホエノールピルビン酸依存ホスホトランスフェラーゼ システム (PTS) によって取り込まれる糖での生育上限 温度が非PTS糖のそれに比べて若干低いことである.
いずれの現象も,PTSによる糖の取り込み段階が生育 上限温度の規定要因であると仮定すれば説明がつく.そ の仮説を検証する過程で,PTSの破壊株を造成してい たのであるが,このPTS破壊株から低頻度ながらグル コース寒天培地にコロニーが出現する現象に出くわした ことがここで述べる主題の契機となった.本題に入る前 に,筆者らの関わる発酵生産の研究分野で膜輸送系がど のように目を向けられてきたのか,その経緯を振り返っ てみたい.
発酵生産における輸送系の位置づけ
有用物質の発酵生産において,生産物の膜輸送の重要 性は比較的古くから認識されていた.核酸発酵では,協 和発酵工業(株)の研究者による1984年の論文で,核酸
生産菌 のマンガン非感
受性変異株がイノシン酸を菌体外に著量蓄積する仕組み が排出系の作動によって説明されている(1).アミノ酸発 酵では,1986年に,味の素(株)の研究者によってコリ ネ菌によるリジン生産が同アミノ酸の能動的排出系に依 存していることを示す生化学的なデータが示された(2). その後1990年代に入ると,リジンを含む数種のアミノ 酸で,特異的な排出系がコリネ菌に存在することがドイ ツの研究者によって分子レベルで証明され(3),現在では 広く認知されるに至っている.ごく最近,コリネ菌のグ ルタミン酸生産に関わる輸送タンパク質が我が国の研究 者によって発見された.長年の課題であるグルタミン酸 発酵のメカニズムに一石を投じたその成果は,本セミ ナー室第6回で取り上げられる予定である.
もう一方の輸送システムである取り込み系に関して は,1994年にコリネ菌のトリプトファン生産菌で,芳 香族アミノ酸の共通取り込み系遺伝子を増幅すると発酵 収率が約1/10にまで大きく低下し,逆に同取り込み活 性を低下させると発酵収率が高まることが報告され(4), 以後,数々の研究によって発酵生産における取り込み系
セミナー室
自然免疫の応答と制御
──その共通性と多様性‒5
遮断の意義が検証されてきた.そのような,いわば膜輸 送変異株にはすでに量産工程で成果をあげているものも ある.その一例が,筆者がかつて所属した研究所で育種 された大腸菌のスレオニン生産菌である.この菌株はス レオニン合成系の鍵酵素がスレオニン感受性でありなが ら,細胞内のスレオニン濃度を細胞外の1/40程度に低 く保つことで生産物阻害を免れている(5).このような膜 輸送変異株の共通した表現型は,生産物の生合成経路を 遮断してその要求性にしたとき,同要求物質をきわめて 高濃度に必要とすることである.上記のスレオニン生産 菌の場合は,スレオニン生合成経路を遮断すると,通常 の要求量の約1,000倍に相当する10 mg/mlのスレオニ ンを生育に必要とした.スレオニンを含むジペプチドの 要求量は通常通りの10
μ
g/mlなので,細胞外のスレオ ニンを取り込めない性質になっていることは明らかであ る.さて,このような研究が背景となって,コリネ菌にお ける輸送系の解析は,近年では,種々の糖や有機酸など の輸送体にまで広がっている.とりわけ,発酵工業にお ける最も一般的な糖源であるグルコースの輸送体PTS は,前号(第3回)で取り上げられたように,発酵生産 に重要な役割を担ってきた.コリネ菌ではPTS以外の グルコース輸送系は知られていなかったので,同菌を用 いるアミノ酸発酵はPTSに依存してきたといっても過 言ではない.しかし,ごく最近,筆者らは本菌種には潜 在的にPTSとは別のグルコース輸送系が,しかも複数 存在することを見いだした(6).このいわゆるグルコース 輸送バイパスは,発酵生産菌としてのコリネ菌の潜在力 を引き出すうえで有用なターゲットとなりうる.以下,
現在までに特定できた同バイパス輸送体について,その 実体,ならびにPTSに代えて同バイパスを発現する菌 株の育種技術と同育種の意義について述べる.
コリネ菌のもつ潜在的なグルコース輸送バイパス
1. PTS破壊株から出現したサプレッサー変異株
コリネ菌は大腸菌と同じように,発酵原料として一般 的な糖であるグルコース,フルクトース,およびスク ロースをPTSで取り込み,その過程でリン酸化を行な う.したがって,たとえばPTSの共通コンポーネント で あ るHPrタ ン パ ク 質 を コ ー ド す る 遺 伝 子
(Cgl1937) を破壊すると,そのいずれの糖でも生育でき なくなることは公知であった.ところが,野生株から 遺伝子を欠失させた ΔptsH 株を塗布したグルコー ス寒天培地上に10−6の頻度でサプレッサーが出現する
ことを偶然見いだした.その1株でSPH2と命名したサ プレッサー株はフクルトースやスクロースでは依然とし て生育しないが,グルコースでは良好に生育した(図
1
).この結果を受け,筆者らはコリネ菌にはPTSとは 別にグルコースに基質特異性をもつバイパス輸送系が潜 んでいるのではないかと推察した.2. サプレッサー変異株SPH2の特性
コリネ菌のPTSは他の一般的な細菌と同じように,
グルコースのアナログである2-デオキシグルコースを 基質にして取り込んでリン酸化を行なうが,そのリン酸 化エステルはそれ以上代謝されず,細胞致死をもたらす ことが知られている(7).したがって,グルコースの代わ りに同アナログを含む培地ではコリネ菌は生育できない が,上記で分離したSPH2株がPTSとは異なるシステム でグルコースを取り込んでいるとすると,同アナログに 耐性を示す可能性がある.実際に調べてみると,野生株 がリボースや酢酸など,グルコース以外の炭素源を用い 図1■サプレッサー株SPH2の生育 (▲) とグルコース消費能
(△)
培養は,グルコース (1%) を単一炭素源とする最少培地で行なっ た.対照として,野生株 (●, ○) およびその 遺伝子を欠失 させたΔptsH株 (■, □) のプロフィルを示す.
図2■SPH2株の2-デオキシグルコース感受性
記載の炭素源 (1%) を含む最少寒天培地での生育,および同培地 に2-デオキシグルコース (0.1%) を添加したときの生育を示す.
たときに2-デオキシグルコースに明確な感受性を示すの に対し,SPH2株は,予想通り,同アナログに耐性の形 質を示した(図
2
).この結果は,SPH2株が,2-デオキ シグルコースに耐性の非PTSシステムによってグル コースを取り込みリン酸化していることを示している.コリネ菌は細胞内のグルコースをリン酸化する,いわゆ るグルコキナーゼを有していることが報告されているの
で(8, 9),恐らくは何らかのパーミアーゼでグルコースが
取り込まれ,それが既知のグルコキナーゼでリン酸化を 受けて代謝されていると考えられた.SPH2株が2-デオ キシグルコースに耐性を示すのは,そのパーミアーゼま たはグルコキナーゼ,あるいはその両者が2-デオキシグ ルコースを基質にできないためと説明できる.
3. グルコース輸送バイパスの特定
大腸菌では 遺伝子にコードされるガラクトース パーミアーゼがグルコースを取り込むことが知られてい る(10).コリネ菌には同輸送体は存在しないが,もしコ リネ菌のゲノムに とホモロジーを有する遺伝子が 存在すれば,その産物はグルコース輸送体として働く可 能性がある.ホモログ検索を行なってみると, 産 物と30%程度のホモロジーを有する遺伝子が2種見いだ された.これらはミオ-イノシトールの輸送体遺伝子と して報告のある 遺伝子 (Cgl0181) および 遺 伝子 (Cgl3058) であった(11).
もし,ミオ-イノシトールがそれら遺伝子を誘導発現 し,かつ,その遺伝子産物がグルコースを取り込むとす ると,PTSが破壊されたΔptsH株はミオ-イノシトール 存在下でグルコースを再び消費できるようになるはずで ある.実際,ΔptsH株はミオ-イノシトールが 0.1% 存 在するとグルコースを少量ながら消費できるようにな り,上記の仮説の妥当性が示唆された(図
3
). お よび の遺伝子産物が確かにグルコースの取り込み を担っていることを明らかにするため,コリネ菌で構成 発現する プロモーターの支配下に各々の構造遺伝 子を配したプラスミド(各々,pCiolT1, pCiolT2)を構 築してΔptsH株に導入した.いずれのプラスミドの導入 株もグルコースを代謝して生育できるようになったこと から,両遺伝子産物ともグルコースの取り込み活性を有 していることが検証された(図4
).この事実を踏まえれば,先のサプレッサー変異株 SPH2のグルコース取り込みは , のいずれか,
あるいはその両者に依存していると考えられる.遺伝子 破壊実験の結果,SPH2株は の破壊によってグル コース生育能を完全に失い, の破壊では何の影響
も見られなかった.したがって,SPH2株のグルコース 取り込みは に担われていることが示された.
4. サプレッサー変異の同定
では,SPH2株で を発現させるサプレッサー変 異は何であろうか.SPH2株のトランスクリプトームを DNAアレイで解析してみると, のみならず,
遺伝子クラスター内の多くの遺伝子が高発現しているこ とがわかった(図
5
).一方,ゲノム上で同クラスター とは別の位置に存在する の高発現は見られなかっ た.この結果は, のみがSPH2株のグルコース取 図3■ΔptsH株の生育とグルコース (Glc) 消費能に及ぼすミオ- イノシトール (Ino) 添加の影響グルコース (0.5%) を含む最少培地での生育 (■) とグルコース消 費能 (□),および同培地にミオ-イノシトール (0.1%) を添加した ときの生育 (●) とグルコース消費能 (○) を示す.参考として,
ミオ-イノシトール (0.1%) を単一炭素源とした場合の生育 (▲)
を示した.
図4■ΔptsH株の生育とグルコース消費能に及ぼすpCiolT1
(◆, ◇) およびpCiolT2 (▲, △) の導入効果
培養は,グルコース (1%) を単一炭素源とする最少培地で行なっ た.対照として,野生株 (●, ○) およびΔptsH株 (■, □) のプロ フィルを示す.
り込みを担っているという先の結果と符合する.恐らく は同クラスターに同領域内の 遺伝子群の発現を負に 調節しているレギュレーターが存在し,その変異によっ て の脱抑制が起こったものと推察される.SPH2 株の同クラスター領域には3つのレギュレーター様遺伝 子 (Cgl0157, Cgl0170, Cgl0179) が存在する(図5).そ れらをシーケンスしたところ,そのうちの1つである Cgl0157遺伝子の内部に1塩基の欠失変異(320delA)
を見いだした.この欠失変異はそれ以降のポリペプチド 合成にフレームシフトをひき起こして遺伝子産物の機能 を損なうフレームシフト変異である.この変異をΔptsH 株に導入すると確かにグルコース培地で生育するように なり,さらに を破壊すると再び生育能は失われ た.ΔptsH株でCgl0157遺伝子の内部領域を欠失させて も上記フレームシフト変異と同様なグルコース生育が認 められた.以上から,SPH2株で を発現させるサ プレッサー変異はCgl0157遺伝子産物の機能を不活化さ せる変異であることが明らかになった.
グルコース輸送バイパスの応用 ― リジン生産を例 に
以上の結果は, とCgl0157の2つの遺伝子を破壊 すれば,PTSに代えてバイパスルートを発現するコリ ネ菌を育種できることを示している.この方法をリジン
生産菌AHP-3株に適用して,バイパスルートでグル コースを代謝するリジン生産菌を育種した.AHP-3株 は,コリネ菌の野生株にリジン生産に関わる3つの変異
( , , ) を部位特異的に導入して得 た3点変異株である.同株から育種したバイパス発現株 の性能を親株AHP-3と比較した.両者を,グルコース 5%を主炭素源とする発酵生産培地で培養すると,バイ パス発現株はPTS株とほぼ同等の速度でグルコースを 代謝し,リジン発酵収率は約20%向上した(図
6
).ではなぜ,PTSに代えてバイパス輸送系を利用する とリジン生産に有利になるのであろうか.その理由を考 察するうえで参考になる知見が大腸菌で報告されてい る(10).その研究では,芳香族アミノ酸の高生産を目指 し,その出発基質となるホスホエノールピルビン酸
(PEP) の供給をいかに高めるかに焦点が当てられてい る.そして,グルコースの取り込み系の違いがPEPの 供給にどのように影響するかが解析されている.具体的 には,PTSに代えてガラクトースパーミアーゼをグル コース輸送に利用できるようにした菌株が育種され,こ の改変が芳香族アミノ酸生産に寄与することが示され た.PTSの仕組みは,本セミナー室の第3回で取り上げ られているので詳細は割愛するが,PTSでは1分子のグ ルコースの取り込みとリン酸化の過程で1分子のPEPが 消費され1分子のピルビン酸が生成する.これに対し,
Cgl0157, Cgl0170お よ びCgl0179は,
コリネ菌のゲノムデータベースで転 写レギュレーターとしての機能が推 定されている遺伝子である.SPH2株 のCgl0157遺伝子内部に見いだされ た1塩基の欠失変異 (320delA) を図 中に示した.DNAアレイ解析で明ら かになったSPH2株の遺伝子発現レベ ルを野生株に対する相対比で示した.
図5■コリネ菌の 遺伝子クラスターおよび関連領域の遺伝子構成と遺伝子発現レベル
図6■リジン生産菌AHP-3株およびそのバイパス発現 株のリジン生産能
リジン発酵は,40 mlのリジン生産用培地(5%グルコー ス)を用い,500 ml容の坂口フラスコで好気培養するこ とにより行なった.
ガラクトースパーミアーゼのようなパーミアーゼ系で は,グルコースは,たとえばプロトンとの共輸送系によ り取り込まれ,続くグルコースのリン酸化にはPEPで はなくATPが用いられる.したがって,ガラクトース パーミアーゼをグルコース輸送に使う大腸菌はPEPを グルコースの取り込みに消費しないで済む分,そのカー ボンを芳香族アミノ酸の生合成に回せるので有利になる という論理である.この概念はコリネ菌にも当てはまる はずである.すなわち,本研究で育種したバイパス発現 株ではPEPをグルコースの取り込みに消費しないので,
PEPの対ピルビン酸比率が増加していると考えられる.
一方でPTSをもつ通常のコリネ菌では,ピルビン酸カ ルボキシラーゼによるオキサロ酢酸の補給反応(アナプ レロティック反応)がリジン生産の律速になるという報 告がある(12).以上を踏まえれば,バイパス発現株では ピルビン酸カルボキシラーゼに加えて,もう一方のアナ プレロティック反応であるPEPカルボキシラーゼをよ り効率的に利用できるようになったことでリジン方向へ のカーボンフローが高まったと説明できよう.
グルコースリン酸化酵素
バイパス発現株では,ミオ-イノシトールの輸送体に よって細胞内に取り込まれたグルコースは既知のグルコ キナーゼによってリン酸化されると推察されるが,確か であろうか.コリネ菌では2種のグルコキナーゼ遺伝子 が知られている.1つはATPを良好なリン酸供与体と するグルコキナーゼ遺伝子 (Cgl2185)(8),もう1つは ポリリン酸を良好なリン酸供与体とするグルコキナーゼ 遺 伝 子 (Cgl1910)(9) で あ る.バ イ パ ス 発 現 株 SPH2で両遺伝子を破壊するとグルコースでの生育は悪 化するものの,意外にもなお生育することがわかった
(図
7
).この結果は,コリネ菌に第3のグルコースリン 酸化酵素が存在することを示している.その候補をホモ ログ検索した結果, 産物および 産物とそれぞ れ,26%, 29% 程 度 の ホ モ ロ ジ ー を 有 す る 遺 伝 子 Cgl2647が見いだされた.上記の と の同時破壊 株で,さらにCgl2647遺伝子を破壊すると,もはやグル コースでは完全に生育できなくなった(図7).した がって,細胞内のグルコースのリン酸化には既知の図7■SPH2株の生育に及ぼすグルコキ ナーゼ遺伝子破壊の影響
培養は,グルコース (1%) を単一炭素源 とする最少培地で行なった.対照として,
炭素源をリボース (1%) に変えたときの 生育を示す.
図8■コリネ菌におけるグルコース 輸送バイパスの概念図
これまでの解析結果に基づけば,本 菌 種 に はIolT1お よ びIolT2を 含 め,
少なくとも3種類の潜在的なバイパ ス輸送体の存在が示唆される.一方,
細胞内に取り込んだグルコースのリ ン 酸 化 に は,Cgl2185産 物 (GLK), Cgl1910 産 物 (PPGK), そ し て Cgl 2647産物の計3種が関与していると 考えられる.
および に加えて,Cgl2647遺伝子が関与している と判断される.
以上の結果に基づけば,コリネ菌におけるグルコース 輸送バイパスの概要は図
8
のように推定される.因み に,コリネ菌はリボースをRbsACBから成るABC輸送 系で取り込み,RbsK1およびRbsK2でリン酸化すると の報告がある(13).その通りであれば,上記3重破壊株 はリボースで培養したときには影響を受けないはずであ るが,実際には生育がやや遅延する現象がみられた(図 7).ここで取り上げたグルコースリン酸化酵素は,限定 的ながらリボースのリン酸化にも関わっているのかもし れない.おわりに
PTS破壊株からサプレッサーが出現したことをきっ かけとして,コリネ菌には潜在的に非PTSのグルコー ス輸送系が,しかも複数存在することがわかってきた.
現在までに特定できたグルコースバイパス輸送体はミ オ-イノシトール輸送体として知られる2種のパーミ アーゼであるが,サプレッサー変異株の生育挙動から,
本菌には少なくとももう一種,バイパス輸送体が存在す ると考えている(図8).その第三のバイパス輸送体も 特定して本菌におけるバイパス経路の全貌解明を目指し たい.ゲノム科学の恩恵は大きいが,こういう課題は一 網打尽にというわけにはいかないことは,ゲノム情報が 公開されて10年もの歳月が流れていてもなおこのよう な遺伝学的なアプローチに頼らざるを得ないことからも 窺われよう.
本 稿 で は,多 様 な サ プ レ ッ サ ー 株 か ら 代 表 一 株
(SPH2株)を選び,同株が発現しているグルコース輸 送バイパスについて,その実体,ならびにPTSに代え て同バイパスを発現する菌株の育種技術と同育種の意義 について述べた.PTSに代えて同バイパスを発現する 菌株の育種技術とは,「PTSの欠損」と「サプレッサー 変異の導入」の2段操作のみである.さらに今回,その 育種の物質生産における意義を,リジン発酵を例に示し てきた.しかし,発酵生産における糖の取り込みという 機能の重要性に鑑みれば,その意義はPEPを目的物質 の生合成のために確保するというような発酵収率に関わ
ることだけに限られるものではないはずである.本稿の 冒頭で,PTSは本菌のグルコース培養における生育上 限温度の規定要因であることを示唆する知見を2つ紹介 した.もしそれが事実だとすれば,PTSをバイパス輸 送系に代えることで,高温発酵能を高められる可能性が ある.実際,本稿で取り上げたバイパス発現株SPH2 は,グルコース培養において,PTSをもつ親野生株よ りもわずかながら生育上限温度が高まることを確認して いる.一方で,コリネ菌のPTSには,浸透圧に比較的 感受性を示すという欠点(14) や,酢酸存在下でSugRと いうレギュレーターを介した負の調節を受けるという発 酵に不利な性質(15)も報告されている.このようなPTS に付きまとう課題はいずれも,バイパス輸送系の利用に より解消できる可能性がある.グルコースの輸送系は1 つに限る必要はないので,2種以上のグルコース輸送系 を組み合わせた菌株,たとえば,PTSとバイパス輸送 系の同時発現株や,異なるバイパス輸送系の共発現株の 育種も興味深い.これらの性能については現在評価中で あり,別の機会に紹介できればと考えている.
謝辞:本稿は,筆者の研究室の竹野誠記助教をはじめ,水野裕太,粟根 真一,林 昌宏,野口土雄ら学生とともに行なった研究成果を主にして まとめたものである.シーケンスおよびDNAアレイ解析は,協和発酵 バイオ(株)の三橋 敏氏,妹尾彰宏氏,林 幹朗氏らの協力を得て行 なった.各位に感謝申し上げます.
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